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1981年のパシフィック・リーグプレーオフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1981年のパシフィック・リーグプレーオフ
ゲームデータ
優勝 日本ハムファイターズ
19年ぶりのリーグ優勝
MVP 柏原純一
優勝チーム監督 大沢啓二
進出 1981年の日本シリーズ
プレーオフ
開催日程 10月7日 - 13日
球場 川崎球場(第1-2戦)
後楽園球場(第3-4戦)
勝利チーム 日本ハムファイターズ
対戦相手 ロッテオリオンズ
勝敗 3勝1敗1分
前期・後期優勝チーム
前期優勝 ロッテオリオンズ35勝26敗4分 勝率 .569
後期優勝 日本ハムファイターズ37勝23敗5分 勝率 .608
 < 19801982 > 
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1981年のパシフィック・リーグプレーオフは、1981年10月にプロ野球パシフィック・リーグの前期優勝チームと後期優勝チームの2球団で行われたプレーオフである。

概要

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前期優勝の山内一弘監督率いるロッテオリオンズと後期優勝の大沢啓二監督率いる日本ハムファイターズとの対決となった。

シーズン中の対戦においてはロッテが16勝7敗3分と圧倒していたが[1]、日本ハムが3勝1敗1分で前身の東映フライヤーズ以来19年ぶりの優勝を果たした。

大沢は「予想じゃ、ロッテ有利の声が多かった。というのも、リー兄弟(レロン・リーレオン・リー)に有藤、それに落合といった打線がよかったからな。なかでも当時28歳の落合なんか、翌年に三冠王を獲得するぐらい上り調子よ。ほんと、強力な打線だった。」[2]、当時ロッテの選手だった落合博満は「(ロッテは)打線が強力で前評判も圧倒的ロッテ有利だったが山内一弘監督がバントなど普段しなかった手堅い野球をして選手も戸惑って1勝3敗1分で負けた短期決戦というのは普段通りの野球ができるかということだな。」[3]と述懐している。この他、現役最晩年を迎えていた張本勲も出場している。

試合結果

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1981年 パシフィック・リーグプレーオフ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月7日(水) 第1戦 日本ハムファイターズ 1 - 0 ロッテオリオンズ 川崎球場
10月8日(木) 第2戦 雨天中止
10月9日(金)
10月10日(土) 日本ハムファイターズ 5 - 5 ロッテオリオンズ
10月11日(日) 第3戦 ロッテオリオンズ 1 - 4 日本ハムファイターズ 後楽園球場
10月12日(月) 第4戦 ロッテオリオンズ 11 - 6 日本ハムファイターズ
10月13日(火) 第5戦 ロッテオリオンズ 4 - 8 日本ハムファイターズ
年間優勝:日本ハムファイターズ

第1戦

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10月7日 川崎 観衆17000人

日本ハム 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1
ロッテ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

(日)○高橋一(1勝)、S江夏(1S)-大宮
(ロ)●村田(1敗)-土肥
本塁打
(日)柏原1号ソロ(4回村田)

4回、柏原純一の本塁打による1点を高橋一三江夏豊のリレーで守り切り、日本ハムが先勝。ロッテは7安打したものの庄司智久の2度のバント失敗など拙攻が響き、無得点だった。村田兆治は柏原の一発以外はほぼ完璧な投球だったが、0点では勝てなかった。

第2戦

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10月10日 川崎 観衆25000人

日本ハム 2 0 0 0 0 0 1 0 2 5
ロッテ 1 2 0 0 0 1 1 0 0 5

(9回時間切れ引き分け)
(日)岡部高橋里村上工藤宇田、江夏-大宮
(ロ)仁科倉持三宅三井高橋博
本塁打
(日)高代1号ソロ(7回倉持)

日本ハムは初回、2つの犠飛で2点を先制。その裏ロッテはこの年の首位打者落合博満のタイムリーヒットで1点を返し、2回庄司のタイムリーと押し出し四球で逆転。6回にも追加点を挙げて2点差とした。2点差で迎えた9回、日本ハムは村井英司井上弘昭のタイムリーヒットで追いつき、結局9回時間切れ引き分けとなった。試合時間5時間17分は9イニングの試合としてはプロ野球で公式に行われた試合の中で最長記録[4][5]

第3戦

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10月11日 後楽園 観衆38000人

ロッテ 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1
日本ハム 0 1 0 0 0 2 0 1 X 4

(ロ)●水谷(1敗)、安木梅沢-高橋博、袴田
(日)○間柴(1勝)-大宮

日本ハムは2回、1死満塁から大宮龍男のタイムリーヒットで先制。6回にいったん同点とされたが、その裏2死から古屋英夫、井上弘の連打、大宮の野選で満塁とし、代打・加藤俊夫がレフト前にはじき返し、2点を勝ち越した。シーズン15勝無敗の記録を作った間柴茂有が完投し、日本ハムが王手をかけた。

第4戦

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10月12日 後楽園 観衆25000人

ロッテ 2 3 0 0 6 0 0 0 0 11
日本ハム 0 0 4 2 0 0 0 0 0 6

(ロ)○村田(1勝1敗)-土肥
(日)高橋一、●高橋里(1敗)、村上、宇田、成田-大宮
本塁打
(ロ)有藤1号2ラン(1回高橋一)、落合1号3ラン(5回高橋里)、水上1号3ラン(5回宇田)

ロッテは有藤道世の2ランなどで2イニングで早々と5点を先取。日本ハムは島田誠の連続タイムリーなどで一度は逆転したが、5回、落合の3ランが飛び出しロッテが再逆転。水上がダメ押しの一発を叩き込んだ。

第5戦

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10月13日 後楽園 観衆24000人

ロッテ 0 0 0 0 0 1 3 0 0 4
日本ハム 3 1 0 2 0 2 0 0 X 8

(ロ)●仁科(1敗)、三井、倉持、三宅、梅沢-高橋博、土肥
(日)○木田(1勝)、江夏-大宮
本塁打
(ロ)有藤2号ソロ(6回木田)、レオン1号2ラン(7回木田)、土肥1号ソロ(7回木田)

日本ハムは初回、柏原のタイムリーと岡持和彦の2点タイムリー二塁打で3点を先制。その後も着々と加点し、5回までに6-0という一方的な展開。6回有藤の本塁打で1点を返したが、その裏さらに2点を追加し、8-1。ロッテはさらにレオン土肥健二の本塁打で追い上げたが、反撃もここまで。7回途中から木田勇を救援した江夏が後続を抑え、日本ハムが前身の東映時代以来の19年ぶりのパ・リーグ優勝を飾った。

脚注

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  1. ^ スポーツニッポン江夏豊の我が道、2023年3月28日、「優勝請負人」広島から日本ハム、11版
  2. ^ 大沢啓二『球道無頼』集英社、1996年、P168
  3. ^ 落合博満著、決断=実行、ダイヤモンド社、2018年、40頁
  4. ^ ただし、公式戦だがポストシーズンのものは参考記録扱いで、公式記録とみなされるレギュラーシーズンの9イニング最長記録は1990年5月6日に行われた大洋阪神の5時間10分。
  5. ^ 尚、当時は試合開始から3時間経過した場合は次のイニングに入らないという規定であったが、9回終了までは経過時間にかかわらず続行するようになっていた。

表彰選手

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テレビ・ラジオ放送

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ラジオ中継

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  • 第1戦:10月7日
  • 第2戦:10月10日
  • 第3戦:10月11日
    • NHKラジオ第1 解説:高田繁 ゲスト解説:鈴木啓示
    • TBSラジオ 解説:野村克也
  • 第4戦:10月12日
    • NHKラジオ第1 解説:加藤進 ゲスト解説:山田久志
    • TBSラジオ 解説:野村克也
    • ニッポン放送 解説:関根潤三
  • 第5戦:10月13日

関連項目

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