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川村カオリ

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川村 カオリ
(川村 かおり)
出生名 川村 かおり
別名 SORROW
生誕 1971年1月23日
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国モスクワ
死没 (2009-07-28) 2009年7月28日(38歳没)
日本の旗 日本東京都
学歴 英国四天王寺学園高等部
ジャンル J-POPロック
職業 歌手
作詞家
ファッションモデル
女優
エッセイスト
担当楽器
活動期間 1988年 - 2009年
レーベル ポニーキャニオン
(1988年 - 1993年)
ファンハウス
(1995年 - 1997年)
ユニバーサル ミュージック ジャパン
(2003年 - 2009年)
共同作業者 上田ケンジ
marhy
松浦晃久

川村 カオリ(かわむら カオリ、1971年1月23日 - 2009年7月28日)は、日本ロック歌手[1][2][3]。本名及び旧芸名は川村 かおりモスクワ生まれ。血液型はB型。父は歴史学者の川村秀、弟は俳優の川村忠、娘はモデルDJの刈込るちあ[4][5]乳癌を患い、闘病しながら音楽活動を継続していたが2009年7月28日死去[3]

略歴

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日本人の父親とロシア人の母親とのハーフとしてモスクワで生まれる[2]。幼い頃に正教洗礼を受ける。聖名ギリシャ語で「復活」「復活した女」を意味するアナスタシア[6]

17歳で歌手としてデビュー。俳優ラジオパーソナリティDJモデルエッセイストとしても活動[3]。1989年春から務めたオールナイトニッポンでは、日露ハーフである事を最大限に生かしてロシア語を教えたりソビエト連邦(当時)から生放送を行ったりした。番組の最終目標は当時のソ連の書記長ゴルバチョフを番組のゲストに招く事であったが、1991年4月に海部俊樹首相(当時)に晩餐会に招待され、念願であった面会を果たした[1][2]。女優としてドラマや映画に出演。映画「東京の休日」(1991年公開)や「BLACK KISS」(2006年公開)では主演も果たし、国内アパレルブランド[7]のモデルとしてパリ・コレクションなどのファッションショーにも多数出演した[1][2]。自身のプロデュースブランド「Royal Pussy」も全国展開させた[1][2]

SORROW(ソロウ)

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1999年から川村の音楽活動の再開にあたり、ソロプロジェクトとしてスタート[8]ギタリスト弥吉淳二との共同プロデュースでミニ・アルバム2枚リリース後、ライブ活動の過程で次第にバンドとして形成されるようになり、何度かのメンバー・チェンジを経て2000年より正式にバンド「SORROW」を結成[8][9][10]。メンバーはギターに川村の当時の夫で元SOBUTのMOTOAKI、ウッドベースに元HELLBENTのYUICHI、ドラムスにASSFORT・ROSSOのドラマーのMASATO[10]

来歴

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1971年1月23日、モスクワ在住の日本商社の社員・川村秀とロシア人女性・エレナ゙の長女として生まれる。幼少期はモスクワの日本人学校に通いながら楽しい毎日を過ごしている。

1982年、家族と共にモスクワから千葉県に移住。帰国後に編入した小学校で、「純粋な日本人ではない」「混血、ハーフ」と揶揄を受け、いじめに遭う[注 1]。ただのいじめにとどまらず、暴力を受け鼻血を流したり傷を作ったりしているが、家族にはいじめに遭っていることは秘密にしていたという。

この頃、たまたま出会った年上の若者からパンクバンド・セックスビストルズを教わり、それから好んで聴くようになる。同バンドでベース担当、いつも傷だらけであったシド ヴィシャスに、暴力を受けて血だらけになっている自身を重ねて共感していたという。この頃の唯一の逃げ道は音楽であり、一生を通じて大きな影響を受け続けている。

中学校に進学した1983年、大韓航空機撃墜事件[注 2]が起きると、同級生はおろか、教師からも心無い非情な言葉を浴びせられたという[11]。やがて行為はエスカレートし、散々な暴力に遭うことになる。この頃は学校でのことが家族に知られており、学校への不信感を募らせている。同級生が多く進学するであろう地域ではない高校への進学を家族で考える。

1986年、一家で千葉から東京都内に引越す。

4月、東京都立田柄高等学校に進学。芸術の選択教科は美術であり、音楽の授業は普通教科のみである。[注 3]。高校進学後は特にいじめられることはなく親友もできている。楽しい毎日の中で新宿ロフトやツバキハウスなどに頻繁に出入りするようになったのもこの時期である。そこで音楽関係者と知り合い、自作の詩を読んでもらうことも多く、このことが決め手となり後にデビューの足掛かりとなったという。

またこの時期に初恋を経験している。相手は年上の男性で思いは叶えられないものであったが、これからもその男性の妹のような存在でいたいと、長かった髪を切ってショートカットにし、ライダースを羽織るようになる。彼女らしいこの決断は実を結び、男性は兄のような存在となったという。またショートカットにライダース、という初期のトレードマークもこの経験で得ている。

1987年、父の言いつけにより、都立高校を中退、イギリスに留学。イギリス・四天王寺学園高等部(2000年閉校)に編入、全寮制の学校で学ぶ。全員日本人の教諭、生徒から構成されるこの学校は厳しい規律であったとされる。その中で必須科目である仏教について学んだり、余暇に乗馬を楽しむこともあったという。ごくたまに友達と一緒にロンドンの街に出かけたりもしている。翌年春には単位を修得し卒業。程なく日本に帰国する。

帰国後、音楽業界にいる知り合いから誘われ、写真撮影とレコーディングを行っている。自身はこれがデビュー準備だとはまったく思っていなかったという。ちょっとした遊び程度に感じており、気分良く挑めたことに対して終始感謝している。

1988年11月2日、親しい知人となっていた辻仁成プロデュースによりデビュー。シングル「ZOO[注 4]リリース。

1989年1月21日、アルバム「ZOO」リリース[1][2]

2月21日、シングル「Sweet Little Boy」リリース。

1989年4月から、オールナイトニッポン土曜2部(日曜早朝3〜5時)のパーソナリティを務める。ラジオ番組「川村かおりのオールナイトニッポン」スタート。毎週「やあ、やあ、やあ川村かおりです。松任谷さんお疲れさまでした」と1部のパーソナリティー松任谷由実に敬意を表してから放送を始めている。ロシアとの架け橋となろうとしていることから、「ゴルバチョフ書記長への手紙」というコーナーを設け、視聴者から送られた手紙を紹介、その手紙すべてを丁寧にロシア語に翻訳し、ロシア大使館に届けている。その素直さ、純粋な性格は、多くの視聴者に伝わっていたという。

1989年5月21日、シングル「Hard Rain」リリース、ビデオクリップ集「ZOO」発表。

9月21日、シングル「メリーゴーランドに乗ってる君のことが好きだよ」リリース。

10月21日、アルバム「CAMPFIRE」リリース。

1990年1月10日、ビデオクリップ集「CAMPFIRE」発表。

2月21日、シングル「僕たちの国境」リリース。

5月21日、シングル「神様が降りてくる夜」リリース。

7月21日、アルバム「Hippies」リリース。

8月25日公開の映画「エイジ」に主題歌として「メリーゴーランドに乗ってる君のことが好きだよ」を提供する。他2曲も挿入歌として使用されている。

9月より「神様が降りてくる夜」が自身も準レギュラーとして出演したフジテレビ系バラエティ番組『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』のテーマ曲、フジテレビ系テレビドラマ「悪魔のKISS」の挿入歌として使用されている[2]

9月21日、ビデオクリップ集「Hippies」発表。

11月21日、シングル「三日月に腰かけて」リリース。

1991年1月23日、シングル「翼をください[注 5]をリリース、ヒットとなる。

この頃、成人した記念に左腕上部にタトゥーを入れる。鳳凰の絵柄であり、「この世界に向かって揺るぎなく強く羽ばたいていきたい」という願いを込めたものであるという。「かおりキッズ」と呼ばれる若いファンに影響がないよう、ずっと長袖の洋服を着て隠すことにしており、それはSORROW活動の時期まで続いている。

また音楽番組だけではなくバラエティ番組などにも出演するようになる。また、注目されモデルとして雑誌やショーに出演する機会も増えていく。

3月21日、ベストアルバム「Church」リリース。

この頃、友人に紹介されたTHE STARCLUBのボーカルでありリーダーであるHIKAGEと恋に落ち交際するようになる。後々まで続く彼とのつきあいは、やがて友人として、深く長く続くものとなる。元々彼女自身がTHE STARCLUBのファンであり、ライブに行ったこともあったという。

4月、当時の海部俊樹首相に晩餐会に招待され、念願であったミハイル ゴルバチョフとの面会を果たしている。彼の政策について賛成していたため、応援している気持ちを率直に伝え、感謝の手紙と自身が歌うCDを贈っている。

6月、ラジオ番組「川村かおりのオールナイトニッポン」が終了。

11月2日公開、長尾直樹監督の映画『東京の休日』で初主演。主人公ナーシアを演じる。

11月13日、シングル「見つめていたい」リリース。

1992年2月5日、アルバム「Weed」リリース。

10月25日、エッセイ集『volume ― 僕の手の中』発表。

12月16日、シングル「からっぽの僕」リリース。

1993年6月18日、シングル「風の生まれる場所から」リリース。

秋のライブツアー終了後まで我慢していた対人関係やプレッシャー、ハードなスケジュールに耐えられず、活動を休止。音楽事務所を離れている。

その後何ヶ月か、知り合いのいるアメリカ・ニューヨークで生活している[1]。その間は彼女のアイコンとなっている故シド・ヴィシャスが滞在していたホテルを見に行き、その存在の大きさを確かめる時間を過ごすことが多かったという。

帰国後は様々なアルバイトをして生活、ファッションモデルとしての活動以外は、宅配便配達員、カレーショップの店員、住み込みでのアサリ工場の工員などのアルバイトをしているという。

また、つきあい続けていたHIKAGEと一緒に部屋を借りて暮らすようになる。

1995年、新しい音楽事務所と契約。所属レコード会社をファンハウスに移籍。

6月25日、シングル「Big Beat」リリースで音楽活動を再開。

8月25日、シングル「HEY HEY」リリース。

9月1日、アルバム「BEATA」リリース。

12月1日、シングル「DREAMER DREAMER」リリース。

1996年1月、NHK-BSのテレビドラマ『新宿鮫・屍蘭』に出演[注 6]。青木晶を演じる。

5月22日、シングル「Go Home No Home」リリース。

8月21日、シングル「夏の朝にキャッチボールを」リリース。

8月31日発売のトリビュートアルバム「BORDER ー A Tribute To Motoharu Sano」に参加。「悲しきレイディオ」を歌う。

9月21日、アルバム「BAMBITA」、ビデオクリップ集「BEATA」リリース。

1997年1月放送、NHK-BSのテレビドラマ「新宿鮫」シリーズの『新宿鮫・毒猿』に再び出演。青木晶を演じる。

1月22日、シングル「WONDER RAIN」リリース。

この頃、彼女の活動を支えてきた担当者が音楽業界を引退することになる。彼女のソロとしての活動は、ここで一旦ストップとなる。

またモデルとして活動しながら、クラブで働きながら、DJの勉強をしている。先輩のDJに教わり繰り返し学んでいき、徐々にDJとしても活動するようになったという。女性DJがまだ少ない時代である。

1998年3月5日、母国ロシアで乳がんの闘病していた母が他界。棺の中の母の仕度は、彼女の手で行われた。ロシアの墓地に埋葬される。この死はとてつもない悲しみを抱かせた。この後の活動にも大きく影響していく。

4月から6月の間、フジテレビ系テレビドラマ「With Love」に出演。主人公の昔の恋人・リナ役を演じる。ミュージシャンとしても挿入歌「Miniature Garden」を担当。

この頃、クラブイベントでのDJの活動が多くなってくる。モデルとしては知られる存在であり、DJとしても活動している坂田かよと共に、東京・恵比寿のクラブ「みるく」でロックイベント「696」を開催する。

この頃、「川村かおり」から「川村カオリ」に改名している。

夏頃、バンド「SOBUT」のギタリストであるMOTOAKIと知り合う。4才年下の彼に対しては、当初は恋愛感情はなかったが、積極的なMOTOAKIに惹かれるようになり、情熱的な恋愛に変わっていく。長年つきあっており同棲もしていたHIKAGEとMOTOAKIの間で話し合いが行われ、HIKAGEとの同棲を解消しMOTOAKIと交際することに決まったという。この年のクリスマスには彼女からMOTOAKIにプロポーズしている。

1999年2月、MOTOAKIと結婚[12]

夫・MOTOAKIとふたりで被写体になった写真集「True Romance」を発表。撮影はロシアや海外でも行われている。撮影はニッキー・スターキーによるものである。

また、クラブ音楽の制作を目的としたソロプロジェクトSORROWを開始。ギタリスト弥吉淳二との共同プロデュースとしてはじまっている。

3月25日、ミニアルバム「SORROW」リリース。

この頃、自身のプロデュースのアパレルブランド「Royal Pussy」が立ち上がる。「音楽とファッションは融合された化学物質である」ことをブランドポリシーとし、強く媚びない美しさを追求したアイテムを生み出し続けていく。各ディーラーから共感を得て、全国的に展開される。

また、アパレルショップ「GARROT de matou」(原点となった店は「HEAD SHOP」)のプロデュースに携わる。店舗は東京・名古屋。経営者でありブランド「Ego Tripping」のデザイナーである河合淳と共に話し合いながらプロデュースしている。

10月21日、SORROWミニアルバム「MACARONI」がリリース。

10月30日公開の手塚眞監督の映画『白痴』に出演。メイク役を演じる。

2000年6月21日、バックバンドを従えてのSORROWのシングル「TEENAGE HERO」をリリース。

この頃、自分たちでデザイン、装飾したバスで日本各地を回りながらロックイベント「696」を開催。ともに活躍するDJは坂田かよに加えて中村達也、ゲストとしてチバユウスケ、MOTOAKI、バンドはSORROW、MAD 3 、LOSALIOS、SHERBETSと豪華な顔ぶれとなる。DJやミュージシャンとしてプレイしたりするだけでなく、観客と共に激しく踊って楽しむ姿は、誰の目にも印象に残るものだったという。ツアーは全国で盛況となり、ラストまで大成功を納める。

このツアーから、SORROWはソロプロジェクトからMOTOAKIを含む4人編成のバンド形態へと移行し、インディーズで活動を続ける[1][2][8]。メンバーはボーカル・ギターを彼女が担当、他にギター:MOTOAKI、ウッドベース:YUICHI、ドラムス:MASATO。

この頃、SORROW写真集『THESE ARE THE DAYS』発表。

2001年8月25日公開、行定勲監督の映画『贅沢な骨』に出演。主人公を誘惑する女性役を演じる。

この頃、自身の活動のために事務所を設立。代表として活動する。

10月、クラブイベント「696」の全国ツアーの様子を自分たちで撮影したドキュメンタリー映画『696 TRAVELING HIGH』を映画館公開。

12月21日、長女を出産[12]

2002年1月23日、SORROWフルアルバム「Lagrimas de Maria」リリース。

この頃、DVD『696 TRAVELING HIGH』発表。

2003年2月5日、SORROW名義でユニバーサルJ(ユニバーサル ミュージック)よりミニアルバム「TOKYO RODEO」でメジャー・デビュー

11月5日、SORROWフルアルバム「confusion」リリース。また、ライブDVD「RODEO GIGs Nights」発表。

2004年のこの頃、MOTOAKIとの別居生活を始める。

4月28日、SORROWライブDVD「Night of confusion 」発表。

8月11日、SORROWシングル「Buddy」リリース。

9月25日、SORROW限定シングル「CRAZY BUZZ BUGGY」リリース。

12月15日、SORROWシングル「RIVIERA」リリース。

この頃、乳がんが見つかり、左乳房の切除手術と抗がん剤治療を受ける[12]

2005年3月30日、SORROWビデオクリップDVD「NINE CLIPs」、ライブDVD「THE LIVE UNDER GROUND」発表。

9月14日、SORROWベストアルバム「THIRTEEN :13」リリース。

この頃、事務所の代表から退き、関係者に引き継ぐ。

9月21日、宝島社から自叙伝「Helter Skelter」を発表。少女期に受けたいじめや結婚・出産、音楽活動での紆余曲折、乳癌とその闘病生活などを綴っている。

この頃より定期的なクラブイベントとして、東京渋谷のClub Asiaで「Honey Hall」を開催するようになる。旧友の坂田かよと共にDJとして活動。毎回ゲストとして様々なバンド・DJを招いている。彼女自身も時にはバンド編成でソロアーティストとして何曲か披露している。

2006年秋に公開、手塚眞監督の映画『BLACK KISS』に出演。主人公ルーシーこと黒木香純役を演じる。

2007年2月、SORROWの活動休止(実質解散)を発表。

この頃、宝島文庫から自叙伝「Helter Skelter」文庫版発表。

5月公開の北村龍平監督の映画『LOVE DEATH』に出演。カオリン役を演じる。

6月、3年半の別居の末にMOTOAKIと離婚。

6月20日発売のTHE NEATBEATSのアルバム『JAPANESE ROCK & ROLL ATTACK!!ロックンロールの逆襲〜日本編』に、「ロックンロール・ウィドウ」のカバーで参加。

9月29日、ピンクリボン運動のイベントでトークショーに出演。「年に1度はマンモグラフィー検査に行ってほしい」と訴えている[13][14]。イベント終了後の記者会見ではプライベートについても語り、話し合いを経て共に悔いの無い心境で離婚届を提出した事、長女の親権は彼女が持つ事などを明かしている[15]

2008年4月21日、ブログ「川村カオリの調子はいいんだけど...。」スタート。日々のこと、現在の気持ち、活動について綴るようになる。

7月1日発売、雑誌「DJ GIRLS 100」で日本を代表する女性DJ100人の中に選ばれ掲載される。

10月1日0時、ブログにてがんの再発を発表。同日参加したピンクリボンフェスティバル終了後の記者会見で手術が不可能なため抗がん剤治療を続けていることを明かす[注 7][12]

11月21日、東京・渋谷BOXXで旧友であるギタリスト原田喧太のライブにゲスト出演。「ZOO」など3曲を歌う。またこのライブの後、東京・渋谷Club Asiaでのクラブイベント「Honey Hall」が開催され、この日をもってラストを迎える。

12月21日、東京・代官山UNITでのSIONのライブにゲスト出演。4曲、SIONとの共演で歌う。

2009年1月23日、11年ぶりの誕生日ライブを東京・原宿アストロホールで行う。

2月3日、TBS系ニュースバラエティ「キミハ・ブレイク」に出演。VTRで現在の生活がレポートされる。生放送のスタジオにてバンド編成で「ZOO」を歌う。

2月21日、東京・渋谷The Gameで開催のクラブイベント「Low - Cal - Ball」にDJとしてゲスト出演。

3月13日、TBS系バラエティ「中居正広の金曜日のスマたちへ」に出演。VTRで近況などが放送される。カオリ自身がスタジオで現在の思いなどを語っている。

3月18日、シングル「バタフライ〜あの晴れた空の向こうへ〜」リリース。

また同日、書籍『MY SWEET HOME〜君に伝えたいこと〜』発表。愛する娘へ遺したい思い、これまでの自分と家族を振り返り綴ったフォトエッセイである。

3月19日、テレビ朝日系「徹子の部屋」に出演。黒柳徹子とは後々まで交流は続いている。

3月22日、東京渋谷HMVでシングル「バタフライ〜あの晴れた空の向こうへ〜」と書籍『MY SWEET HOME〜君に伝えたいこと〜』の発売記念インストアライブ、サイン会を行う。

4月4日、単発特番の『川村カオリのオールナイトニッポン』が放送される予定だったが、体調不良のため川村本人は生出演せず、急遽『川村カオリのためのオールナイトニッポン』として放送される。MCは構成作家の鈴木おさむ

4月20日、SIONと共に出演予定であった25日のARABAKI ROCK FESの出演キャンセルが発表される。体調不良によるものである。25日、SIONは「金色のライオン」を歌い彼女に捧げている。

5月5日、東京渋谷C.C. Lemonホールで活動20周年を記念したワンマンライブ「川村カオリ Kaori Kawamura 20th Anniversary Live 〜羽化〜」を開催[注 8][17]。デビュー当時からの想いが詰まったホールでどうしてももう一度ステージに立ちたいという自身の強い希望から行われている[17]。直前で体調が悪化したために公演中は椅子に座ったり、マイクスタンドの前に立ったりを繰り返しながら歌い続けている。3時間にわたるライブをやり遂げ、アンコールの『ZOO』ではアコースティックギターを抱えて力強く立ちながら歌っている[17]

5月6日、ライブDVD「re-birth 2009123」発表。

5月27日、13年ぶりのソロアーティストとしてのフルアルバム『K』リリース。

7月1日、ブログで癌の新たな転移が見つかったことを報告。

7月28日11時01分、乳がんのため東京都内の病院で死去[18][19]。享年38才。正教の信徒であったため、葬儀は日本正教会最大の教会であるニコライ堂で行われた。7月30日夜にパニヒダ(通夜)、31日昼に埋葬式(葬儀)[注 9]が行われ、友人・知人からの献花を受けた[20]。聖堂内には川村のCD、愛用のギター三本などが並べられた[21]。弔辞は水谷豊、喪主は彼女の弟である川村忠が務めた[22]

9月19日、「川村カオリ献花式『アナスタシア』」開催。東京・渋谷C.C. Lemonホールにて、ラストライブを再現したステージに、ファンが赤いバラとメッセージカードを捧げている。

2010年1月28日、新潮社「復活アナスタシア」発表。彼女のブログ、旧知の人々からのエピソード等がまとめられている。

6月9日、シンガーソングライター・LOVEのシングル「STAY」がリリースされる。カップリング曲の「遠い声」は川村カオリ作詞で提供されたものである。

7月29日、アルバム「Message~LAST LIVE 2009.05.05~」リリース。最期のライブをまとめたアルバムである。

2014年11月23日.「ROYAL ROCKS」が東京・渋谷Club Asiaで開催。カオリが育て上げたアパレルブランドRoyal Pussyが創立15周年を迎えた記念のパーティーイベント。生前のカオリと親交を深めていたミュージシャン・関係者・DJが集まる。この「ROYAL ROCKS」は不定期のイベントとして後々開催されている。

2015年10月、「川村カオリ作品展『FACES』」を1ヶ月に渡り東京・中目黒のダイナー FRAMES NAKAMEGUROで開催。彼女が作成したアート作品、刺繍作品、写真等が展示され、店内のビジョンで「696 TRAVELING HIGH 」が放映される。

2017年9月21日、彼女のロシア正教の洗礼名である「アナスタシア ー Anastasia ー」を看板にしたフラワーショップが、東京・世田谷区にオープンされる。オーナーは歌い手、フラワーデザイナーのSAICO(鈴木彩子)。大好きだった友人である彼女の名前の花屋をと、強い希望でオープンさせたとしている。

2019年7月6日から2日間、東京・渋谷のspace EDGEにて「Royal Pussy 20th Anniversary Exhibition ー Road To The R“N”R Life ー」を開催。Royal Pussy、彼女と親交のある関係者・DJ・ミュージシャンを集め、これまでの活動をふり返る展示を行うと共に音楽ライブを披露、ブランド設立20周年を祝っている。

2023年2月19日、『オールナイトニッポン55周年記念 オールナイトニッポン55時間スペシャル』内で放送された『伊集院光のオールナイトニッポン あのときの2部オールスターズ〜2部振り返り&反省会スペシャル〜』で、伊集院光をはじめ当時の2部を担当していたパーソナリティが集結。昔を懐かしみ、エンディングには出演が叶わなかった彼女の『ZOO』が流される。

ディスコグラフィー

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※1stシングル - 17thシングル/1stアルバム - 7thアルバムまでは川村かおり名義。

※18thシングルと8thアルバムは川村カオリ名義となっている。

シングル

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  発売日 タイトル 規格 規格品番 収録曲 レーベル 備考
1st 1988年11月2日 ZOO 8cmCD S10A-0183 SEE SAW[注 10]
2000年8月19日 CD PCCA-01471
2nd 1989年2月21日 Sweet Little Boy 8cmCD S10A-0242
3rd 1989年5月21日 Hard Rain 8cmCD S9A-1017
4th 1989年9月21日 MERRY-GO-ROUND 8cmCD PCDA-00002
5th 1990年2月21日 僕たちの国境 8cmCD PCDA-00052
6th 1990年5月21日 神様が降りて来る夜 8cmCD PCDA-00085
7th 1990年11月21日 三日月に腰かけて 8cmCD PCDA-00134
8th 1991年1月23日 翼をください 8cmCD PCDA-00150
9th 1991年11月13日 見つめていたい 8cmCD PCDA-00251
10th 1992年12月16日 からっぽの僕 8cmCD PCDA-00394
11th 1993年6月18日 風の生まれる場所から 8cmCD PCDA-00430
12th 1995年6月25日 Big Beat 8cmCD FHDF-1486 ファンハウス[注 11]
13th 1995年8月25日 HEY HEY 8cmCD FHDF-1496
14th 1995年12月1日 DREAMER DREAMER 8cmCD FHDF-1519
15th 1996年5月22日 Go Home No Home 8cmCD FHDF-1551 NHKBS2ドラマ「新宿鮫 屍蘭」の主題歌。
16th 1996年8月21日 夏の朝にキャッチボールを 8cmCD FHDF-1569 THE HIGH-LOWS真島昌利作詞・作曲によるシングル。
17th 1997年1月22日 WONDER RAIN 8cmCD FHDF-1608
18th 2009年3月18日 バタフライ 〜あの晴れた空の向こうへ〜 CD UMCC-5008 MILESTONE CROWDS[注 12] デビュー20周年シングル。

スタジオ・アルバム

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  発売日 タイトル 規格 規格品番 レーベル 備考
1st 1988年11月21日 ZOO CD D32A-0402 SEE SAW[注 10] 2018年11月21日にUHQCDにて

ポニーキャニオンから再発売
PCCA-50304

2nd 1989年10月21日 CAMPFIRE PCCA-00006
3rd 1990年7月21日 Hippies PCCA-00091
4th 1992年2月5日 Weed PCCA-00345
5th 1995年9月1日 BEATA FHCF-2247 ファンハウス[注 11]
6th 1996年9月21日 BANBITA FHCF-2309
7th 2009年5月27日 K CD+DVD<初回限定盤> UMCC-9018 MILESTONE CROWDS[注 12]
CD UMCC-1033

ベスト・アルバム

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  発売日 タイトル 規格 規格品番 レーベル
1st 1991年3月21日 Church CD PCCA-00247 SEE SAW[注 10]
2nd 2003年4月16日 Anthology 川村かおりBEST PCCA-01882 ポニーキャニオン
3rd 2008年7月16日 川村かおり ベスト・コレクション PCCS-00047
4th 2014年7月16日 メモリアルベスト 39番目の夢 CD+DVD PCCA-4072

ライブ・アルバム

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  発売日 タイトル 規格 規格品番 レーベル
1st 2010年7月28日 Message-Last Live 2009.05.05- 2CD PCD-18636 Pヴァイン

SORROW名義

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  発売日 タイトル 規格 規格品番 収録曲 レーベル 備考
シングル
1st 2000年6月21日 TEENAGE HERO CD DGRC-1001 DEAD GIRLS
2nd 2004年8月11日 Buddy CD DGCD-1002
3rd 2004年9月25日 CRAZY BUZZ BUGGY<限定盤> CD DGCD-1003
4th 2004年12月15日 RIVIERA CD DGCD-1004
2005年4月27日 BUDDY & RIVIERA DRIVE<限定盤> 2CD DGCD-1005 シングル2枚組セット。
ミニ・アルバム
1st 1999年3月25日 SORROW CD CRCH-10001 ミッション・ヒル TX系「サッカーTV」エンディング・テーマ「My name is Sorrow」他を収録。
2nd 1999年10月21日 MACARONI CD PIPR-1003 DEAD GIRLS
3rd 2003年2月5日 TOKYO RODEO CD UPCH-1217 ユニバーサルJ
フルアルバム
1st 2002年1月23日 Lagrimas de Maria CD DGCD-1001 DEAD GIRLS
2nd 2003年11月5日 confusion CD UPCH-1298 ユニバーサルJ
ベスト 2005年9月14日 THIRTEEN:13 CD DGCD-1008 DEAD GIRL

その他

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楽曲提供

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  • 「遠い声」LOVE(作詞)

映像作品

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ソロ名義

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  発売日 タイトル 規格 規格品番 レーベル 備考
ビデオ・クリップ・ドキュメント集 1989年5月21日 KAORI KAWAMURA 1 ZOO VHS VX45M1887 ポニーキャニオン ポニーキャニオン時代の各アルバムタイトルよりビデオクリップ、

ゆかりの地へ赴く様子やメイキング、オフショットを収録したもの。

※「KAORI KAWAMURA 1 ZOO」のブックレットに依るとM4「Russian Blue」には、赤の広場に於ける"近衛兵交代"の貴重なシーンがある為一部、自然音で収録されている。

1990年1月10日 Kaori Kawamura 2 CAMPFIRE PCVP-10118
1990年9月21日 Kaori Kawamura 3 Hippies PCVP-10324
ビデオ・クリップ集 1996年9月21日 VIDEO BEATA FHVF-1115 ファンハウス[注 11] ※未DVD化
ライブ映像集 2009年5月6日 re-birth 20090123 DVD UMBC-1010 MILESTONE CROWDS[注 12] 2009年1月23日、11年ぶりに行われた"20th Anniversary Birthday Live「re-birth」"の映像を収録。
2010年9月22日 UMBC-9013<初回生産限定盤>
ビデオ・クリップ・ドキュメント集 2019年1月16日 KAORI KAWAMURA 1・2・3 PCBP-53504 ポニーキャニオン ポニーキャニオン時代のVHS、3タイトルをDVDパッケージに1枚にまとめ再発。

ボーナストラックとして「翼をください」、「見つめていたい」を収録。

SORROW名義

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  発売日 タイトル 規格 規格品番 レーベル 備考
ライブ映像集 2003年11月5日 RODEO GIGs Nights DVD UPBH-1100 ユニバーサルJ
2005年6月29日 UPBH-9200
ライブ映像集 2004年4月28日 Night of confusion DVD DGDV-1001 DEAD GIRLS
ビデオ・クリップ集 2005年3月30日 NINE CLIPs DVD DGDV-1002
ライブ映像集 2005年3月30日 THE LIVE UNDERGROUND DVD DGDV-1003

出演

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映画

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  • 東京の休日」(1991年、長尾直樹監督) - ナーシア 役(主演)
  • 白痴」(1999年) - メイク 役
  • 贅沢な骨」(2001年) - クラブの女 役
  • 「696TRAVELING HIGH」(2001年)[23] - 川村カオリ(本人) 役(主演・監督)
  • 「BLACK KISS」(2006年、手塚眞監督) - ルーシー(黒木香純) 役
  • 「LOVEDEATH」(2007年) - カオリン 役

TVドラマ

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TVバラエティー

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ラジオ

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CM

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著書

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写真集

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  • 『THESE ARE THE DAYS』(2000年)
  • 『True Romance』(撮影:ニッキー・スターキー、2000年) - MOTOAKIとの写真集。

関連人物(楽曲提供・プロデュースなど)

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参考

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脚注

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注釈

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  1. ^ 私物を隠されたり、教科書を破かれることもしばしばあった。一部の生徒が「川村かおりを殺す会」と呼称したグループまで作り、時に給食にゴミや害虫などの異物を入れるような酷い仕打ちをしたという。
  2. ^ ソ連上空を領空侵犯した大韓航空機がソ連防空軍の戦闘機に迎撃され撃墜した事件。日本人犠牲者は28人。
  3. ^ 1986年当時の同校芸術選択教科は、美術・音楽・書道の三つから選択。
  4. ^ 後に辻仁成自身(所属バンドECHOESによるセルフカバー)や菅野美穂(ドラマ「愛をください」の役名の「蓮井朱夏」名義)、福山雅治伴都美子沼倉愛美などによりカバーされた。
  5. ^ 赤い鳥(1971年)のカヴァー。
  6. ^ 原作の「青木晶」は川村をイメージしてキャラクター付けされているという。
  7. ^ 前年関節炎と診断された胸の痛みの原因が実際はがんである事が1月に判明、リンパ節の3ヶ所に転移しており、手術が不可能なため点滴での抗がん剤治療を続けている事を明かした[16]
  8. ^ ゲストは鈴木祥子浅井健一高橋研吉川晃司、渡辺俊美、鈴木彩子で、13年ぶりのフルアルバム『K』に参加したメンバーが入れ換わりで演奏した。合間にはオールナイトニッポンの公開録音を行った。
  9. ^ 埋葬式は主教祈祷
  10. ^ a b c ポニーキャニオンのレーベル。
  11. ^ a b c 現・ARIOLA JAPAN
  12. ^ a b c ユニバーサル ミュージックの邦楽レーベル。
  13. ^ 主題歌として「メリーゴーラウンドに乗ってる君のことが好きだよ」を使用の他、挿入歌としてアルバム『ZOO』から「Kids」、『Hippies』から「パイレーツ」をそれぞれ使用。ビデオパッケージによると、原作者である江口寿史本人の希望によって実現した。

出典

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  1. ^ a b c d e f g BIOGRAPHY”. Kaori Kawamura web. 2018年2月2日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 川村カオリBIOGRAPHY”. UNIVERSAL MUSIC JAPAN. 2018年2月2日閲覧。
  3. ^ a b c ロック歌手・川村カオリ献花式“アナスタシア””. ZAKZAK. 夕刊フジ (2009年10月1日). 2018年2月2日閲覧。
  4. ^ “川村カオリの娘(るちあ)の現在(2023)。旦那のモトアキとは離婚。弟の川村忠は俳優?”. アスネタ (バイロンベイ). (2023年8月16日). https://asuneta.com/archives/32199 2023年10月29日閲覧。 
  5. ^ 刈込るちあ”. PUMP management. 2023年10月29日閲覧。
  6. ^ 川村カオリさん通夜に700人”. スポーツ報知 (2009年7月31日). 2009年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月2日閲覧。
  7. ^ LIMI feu(リミフゥ・山本耀司の長女・里美のブランド)、alfredo BANNISTER(アルフレッド・バニスター)、Roen(ロエン)、Candy Stripper(キャンディストリッパー)、HIROMICHI NAKANO(ヒロミチナカノ)、FULLCOUNT(フルカウント)など
  8. ^ a b c BAND PROFILE”. SORROW OFFICIAL WEBSITE. 2018年2月2日閲覧。
  9. ^ グラン・トリノ”. 川村カオリ オフィシャルブログ (2009年4月29日). 2018年2月3日閲覧。
  10. ^ a b FACTORY #0102 SORROW – Profile”. フジテレビ (2003年1月11日). 2018年2月2日閲覧。
  11. ^ 2009年3月13日放送『金スマ波瀾万丈』及び、自伝『Helter Skelter』参考。
  12. ^ a b c d 『川村カオリ作品展 “FACES”』ピンクリボン月間に開催中。”. Techinsight. ウーマンエキサイト (2015年10月3日). 2018年2月2日閲覧。
  13. ^ 川村カオリ、自身の乳がん体験を初告白”. ORICON NEWS (2007年9月30日). 2018年2月2日閲覧。
  14. ^ 『ピンク ピンク ピンク!』開催のお知らせ”. 富士フイルム (2007年8月29日). 2007年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月2日閲覧。
  15. ^ OICON STYLE ニュース 川村カオリ、離婚届は「笑いながら」提出 参考。
  16. ^ 川村カオリ「歌い続けたい」ガン再発を告白”. スポーツ報知 (2008年10月2日). 2008年10月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月2日閲覧。
  17. ^ a b c 川村カオリ、生前最後のステージを収めたライブアルバム”. 音楽ナタリー (2010年5月27日). 2018年2月2日閲覧。
  18. ^ information”. 川村カオリ公式サイト. 2020年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月30日閲覧。
  19. ^ 歌手の川村カオリさん死去、乳がんで闘病”. サンケイスポーツ (2009年7月28日). 2009年7月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月2日閲覧。
  20. ^ “川村カオリさん 翼を広げ 天国へ”. スポニチ. (2009年8月1日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2009/08/01/kiji/K20090801Z00002440.html 2023年9月30日閲覧。 
  21. ^ “川村カオリさん“ロック葬”で天国へ…”. デイリースポーツ. (2009年7月31日). http://www.daily.co.jp/gossip/obituaries/2009/07/31/0002182693.shtml 2011年2月15日閲覧。 [リンク切れ]ただし、出典記事には正教会の用語等につき多くの誤りがあり、これを修正して本項文章を作成。
  22. ^ 川村カオリさん死去…2度の乳がん転移の末”. Sponichi Annex (2009年7月29日). 2009年7月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月2日閲覧。
  23. ^ “映画公式サイト”. https://web.archive.org/web/20010808210855/http://www.696officialgate.com/special/index.html 2022年6月4日閲覧。 
  24. ^ 川村カオリ『ヘルター・スケルター』p11

外部リンク

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