塚口駅 (JR西日本)
塚口駅 | |
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東出口(左はビエラ塚口) | |
つかぐち Tsukaguchi | |
◄JR-G49 尼崎 (2.5 km) (1.4 km) 猪名寺 JR-G51► | |
左は阪急塚口駅 | |
所在地 | 兵庫県尼崎市東塚口町一丁目9番1号[1] |
駅番号 | JR-G50 |
所属事業者 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
所属路線 | ■福知山線(JR宝塚線) |
キロ程 |
2.5 km(尼崎起点) 大阪から10.2 km |
電報略号 | ツカ |
駅構造 | 地上駅(橋上駅)[1] |
ホーム | 2面3線[1] |
乗車人員 -統計年度- |
10,199人/日(降車客含まず) -2020年- |
開業年月日 | 1894年(明治27年)3月6日[1] |
乗換 | 塚口駅(阪急神戸本線・伊丹線) |
備考 |
直営駅[1] みどりの窓口 有 |
塚口駅 | |
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つかぐち Tsukaguchi | |
(2.5 km) 尼崎臨時乗降場► | |
所在地 | 兵庫県尼崎市東塚口町一丁目9-1 |
所属事業者 | 日本国有鉄道 |
所属路線 | 福知山線(尼崎港線) |
キロ程 | 0.0 km(塚口起点) |
電報略号 | ツカ |
駅構造 | 地上駅 |
開業年月日 | 1894年(明治27年)3月6日 |
廃止年月日 | 1984年(昭和59年)2月1日[2] |
塚口駅(つかぐちえき)は、兵庫県尼崎市東塚口町一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)福知山線の駅である[1]。駅番号はJR-G50。
アーバンネットワークおよび「JR宝塚線」の愛称区間に含まれている。かつては、福知山線の支線に当たる尼崎港線の起点でもあった[1]。 地元や沿線の住民では、阪急塚口駅と駅名が混同しないように、「J塚」という愛称で親しまれている。
歴史
[編集]当駅が所属する福知山線は、長年にわたって単線・非電化という低規格の路線であったため、ターミナル駅である大阪駅からさほど離れていない[注釈 1]割りに利便性は劣っていた。改札も列車別改札で行われていた。1980年頃にもなると、当駅のすぐ北側で交差する阪急神戸本線を最新鋭の6000系電車が満員の通勤客を乗せて時速100キロで通過する近くで、当駅からDD51形ディーゼル機関車に牽引された43系客車の普通列車が発車する対照的な光景が見られた。
しかし1981年の複線電化を機に、橋上駅舎が整備され、ようやく大都市近郊駅としての機能を果たすようになった。
1984年までは、尼崎港駅へ至る支線(通称・尼崎港線)が当駅 - 尼崎駅間で分岐していた[1]。開業当時はそれが本線とされ、尼崎港方面へ向かう線路が直線的に敷設(現在でも路盤の跡が残っている)され、さらに大阪方面行き上り線が、少し西に振れて敷設されていたのに対し、現在の本線は、元の下り線を複線化し、一旦西にそれて大きく回り込むような線形となっている[注釈 2]。この迂回ルート上にあるカーブで、2005年4月25日に脱線事故が発生した[注釈 3]。
東海道本線の東京駅 - 大阪駅間で運転されていた長距離客車特急『つばめ』や『はと』は、大阪駅に到着した後に当駅まで回送された上、当駅で機関車を編成の後端に付け替えた後、宮原操車場[注釈 4]へ入り方向転換を行っていた。これは各列車の最後尾に展望車があり、展望車側を最後尾にする必要があったためである。こういった運用に対応すべく、1956年11月のダイヤ改正を機に尼崎駅 - 当駅間は早々に電化された。その後も1978年10月のダイヤ改正まで、宮原操車場への回送の際の時間調整のため、大阪駅から一部の特急が当駅まで回送されて運行まで待機していた。同改正をもって電気運転は一旦廃止されたものの、電化設備はそのまま残され、1981年の線内電化の際に再利用された[注釈 5]。
また、かつては貨物取扱を実施しており、駅東側の現在の留置線のあたりに貨物取り扱い線と貨物ホームが設けられ、近隣の森永製菓や三菱電機の工場からの貨物を主に取り扱っていた。駅北側には三菱電機への引き込み線があり、蓄電池式の機関車が入れ替えを行っていた。また引き込み線横の側線には、1980年代半ばまで、廃車となっていた国鉄シキ400形貨車が長らく留置されていた。貨物取扱量は多く、駅の北側と南側の両方には信号所が設置されていた。
阪神・淡路大震災が発生した折には、発生翌日から東海道本線の尼崎駅 - 甲子園口駅間が復旧するまでの数日間のみ、大阪方面からの列車の一部が当駅で折り返していた。
年表
[編集]- 1891年(明治24年)
- 1893年(明治26年)12月12日:川辺馬車鉄道が摂津鉄道と改称[2]。塚口駅が廃止されたため塚口村有志者が復活を出願したとの資料があるが[4][5]、恒久的な廃止の予定だったのか、一時的な休止だったのか定かでない。
- 1894年(明治27年)3月6日:摂津鉄道の長州駅(現存せず) - 伊丹南口駅(現存せず)間に再開業。旅客・貨物の取り扱いを開始。
- 1897年(明治30年)2月16日:阪鶴鉄道が摂津鉄道を買収[2]、同社の駅となる。
- 1898年(明治31年)6月8日:神崎駅(現在の尼崎駅) - 塚口駅間が開業[2]。長州駅、尼ヶ崎駅(のちの尼崎港駅)方面は支線に。
- 1907年(明治40年)8月1日:阪鶴鉄道が国有化され、帝国鉄道庁の駅となる[2]。
- 1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定[2]。阪鶴線の所属となる[2]。
- 1912年(明治45年)3月1日:線路名称改定[2]。阪鶴線福知山駅以南が福知山線となり、当駅もその所属となる[2]。
- 1947年(昭和22年)3月1日:園田村が尼崎市に編入されたのに伴い、当駅の所在地が尼崎市内となる。
- 1981年(昭和56年)4月1日:尼崎港線の旅客営業が廃止される[2]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:貨物の取り扱いが廃止[6]。尼崎港線が廃止される[2]。
- 1985年(昭和60年)3月14日:荷物扱い廃止[6]。
- 1987年(昭和61年)4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる[2]。
- 1988年(昭和63年)3月13日:路線愛称の制定により、「JR宝塚線」の愛称を使用開始。
- 1992年(平成4年)11月1日:みどりの窓口営業開始。
- 1997年(平成9年)12月10日:自動改札機を設置し、供用開始[7]。
- 2003年(平成15年)11月1日:ICカード「ICOCA」の利用が可能となる[8]。
- 2005年(平成17年)
- 4月25日:尼崎駅 - 当駅間でJR福知山線脱線事故が発生[2]。これにより、営業休止となる。
- 6月19日:福知山線が復旧、脱線事故後55日ぶりに営業を再開[2]。
- 2011年(平成23年)
- 3月8日:JR宝塚・JR東西・学研都市線運行管理システム導入。接近メロディ導入。
- 3月12日:日中時間帯の快速列車が当駅で折り返すようになる。
- 2018年(平成30年)3月17日:駅ナンバリングが導入され、使用を開始。
駅構造
[編集]島式と単式の複合型2面3線のホームを持つ地上駅で、橋上駅舎を有している。ホーム間の移動には跨線橋を使う。
単式ホームの屋根は島式ホーム分ほどの大きさで、ホームの外側にも張り出している(掲載写真を参照)。形状も島式ホームに準じたものになっている[注釈 6]。
3番線の東隣には3本の留置線があり[注釈 7]、尼崎駅発着の列車(夜間以外にも設定)などの留置に使われている。留置線は本線に沿ってさらに南方(尼崎駅方)にも伸びており、そこには保線用車両が留置されている。
直営駅(尼崎駅の被管理駅)で、ICOCA(および相互利用対象のICカード)が利用できる。
のりば
[編集]のりば | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | JR宝塚線 | 下り | 宝塚方面[9] | 土休日ダイヤの一部列車は2番のりば |
2・3 | 上り | 尼崎方面[9] |
上表の路線名は旅客案内上の名称(愛称)で記載している。
- 1番のりばが単式ホーム、2・3番のりばが島式ホームで、本線は下りが1番のりば、上りが3番のりばである。中線である2番のりばは当駅折り返しと大阪方面行きの普通で快速や特急の通過待ちを行う列車が使用する。なお、土曜・休日ダイヤに限って宝塚方面の列車が2番に停車する設定がある。
ダイヤ
[編集]日中は尼崎方面が1時間に8本(JR京都線に直通する普通(高槻行き)とJR東西線・学研都市線に直通する区間快速(当駅折り返し)がそれぞれ4本ずつ)、宝塚方面が1時間に4本発車する。朝のラッシュ時はさらに本数が多く設定されている。
快速は東西線経由で当駅で折り返しになるものが停車し、新三田駅・篠山口駅発着系統はすべて通過する。これらは、2011年3月12日のダイヤ改正で、昼間宝塚駅発着として運転していたものを当駅折り返しに変更したものである。(一部の列車は折り返さず、当駅の留置線に入る)[注釈 9][10]。このような「快速始発駅」には、他に大和路線の柏原駅がある。しかし、2022年のダイヤ改正で廃止された。なお、これらの快速の一部は2015年3月14日のダイヤ改正で区間快速に置き換えられた。それまで当駅発着の区間快速は、JR宝塚線内を普通列車として運転していたが、この改正を機に、一部を除いて、全区間で区間快速として運行されるようになった。
JR東西線への直通列車は、快速・区間快速・普通の各種別が設定されている。これらはすべて京橋駅まで各駅に停車する。
利用状況
[編集]「兵庫県統計書[11]」によると、2021年(令和3年)度の1日平均乗車人員は10,212人である。
近年の1日平均乗車人員は以下の通り。当駅周辺の道路が広くなったことに加え、JR東西線の開通などにより利用者が以前より増えている。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1995年 | 6,631 |
1996年 | 6,435 |
1997年 | 7,196 |
1998年 | 7,595 |
1999年 | 7,897 |
2000年 | 8,100 |
2001年 | 8,183 |
2002年 | 7,994 |
2003年 | 7,960 |
2004年 | 8,084 |
2005年 | 7,532 |
2006年 | 8,224 |
2007年 | 8,449 |
2008年 | 8,673 |
2009年 | 8,705 |
2010年 | 8,859 |
2011年 | 9,015 |
2012年 | 8,992 |
2013年 | 8,957 |
2014年 | 8,854 |
2015年 | 9,148 |
2016年 | 9,986 |
2017年 | 11,059 |
2018年 | 11,656 |
2019年 | 12,042 |
2020年 | 10,199 |
2021年 | 10,212 |
駅周辺
[編集]かつては西に小規模な工場や牛舎[注釈 10]などが、東に大規模な工場が存在するのみで、周辺に住宅はさほど多くなかったが、1980年代以降、工場が閉鎖されて跡地にマンションが次々に建設されたことにより、住宅地に様変わりした。東側にあった大工場のうち、旭硝子の工場は2000年代に閉鎖され、跡地には複数の大型マンションが建設された。
駅のすぐ東隣には森永製菓塚口工場が存在したが、2013年6月に閉鎖された[12]。その跡地を野村不動産・長谷工コーポレーション・JR西日本不動産開発の三者が大規模な再開発し、2016年4月9日に「ZUTTOCITY」としてまちびらきを行い、これに合わせて駅ビル「ビエラ塚口」が開業した[13][14]。
長らく駅付近にロータリーが存在しなかったが、2000年代になって、南側で交差する県道が立体交差化された際、併せて県道の東側にロータリーが整備された。このロータリーは駅舎からはやや南方に離れていた(駅のすぐ隣が工場だったため)ものの、ZUTTOCITY開業以前は唯一のロータリーで、バスやタクシーが発着していた。その後、ZUTTOCITYの建設の一環として、2016年に駅舎のすぐ東隣に新ロータリーが整備され、バス停はそこへ移転した。それに伴い旧ロータリーは十数年で廃止され、2018年にはJR塚口駅交通広場という公園になった。バス停の屋根が公園施設として残っている。
駅の西側にもごく小さな広場があり、タクシー乗り場が併設されている。
阪急塚口駅は当駅から西へ直線距離で800メートルほど離れているが、神戸本線は当駅の北側で立体交差(オーバーパス)している。
- ビエラ塚口
- ミリオンタウン塚口
- 三菱電機伊丹製作所
- 上坂部西公園
- 尼崎市都市緑化植物園
- 尼崎市役所 緑の相談所
- 近松公園(尼崎市ゆかりの近松門左衛門を記念した公園。記念館もある)
- 尼崎南塚口郵便局
- 尼崎市立上坂部小学校
- 兵庫県立尼崎青少年創造劇場
- 兵庫県道606号西宮豊中線
- 兵庫県道13号尼崎池田線(産業道路)
バス路線
[編集]駅東側の「ZUTTOCITY」にあるロータリーに、阪神バス尼崎市内線[15]が乗り入れている。2016年4月10日に現在地に設置される前は、駅南側の県道立体交差の脇にあるロータリーに停留所が設置されていた[16]。
- 北側の標柱
- 南側の標柱
- ■ 12番・■ 21番・■ 21-2番:阪急塚口
隣の駅
[編集]かつて存在した路線
[編集]- 日本国有鉄道
- 福知山線支線(尼崎港線)
- 塚口駅 - 尼崎駅(尼崎臨時乗降場)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 当駅 - 大阪駅間の営業キロは10.2km、所要駅数は普通列車で3駅(1997年8月31日までは、普通を含む全便が塚本駅を通過していたため、2駅のみ)である。
- ^ JR東西線の開業以前は接続線は上りと下りでややルートが異なり、それぞれ東海道本線の列車線(外側線)に接続していた。
- ^ なお、列車が突っ込んだ線路脇のマンションは、上り接続線跡と下り接続線(現在の本線)に挟まる位置にある。
- ^ 現在の網干総合車両所宮原支所。
- ^ 線内電化までは、現在の阪急神戸本線との立体交差部の下まで架線が張られ、以北は非電化であった。
- ^ 単式ホームの屋根は、線路とは反対の側(線路に向かって立った時、背後になる側)に支柱を立てて線路へ向かって屋根が伸びる形になることが多いが、当駅の単式ホームは中央に支柱があり、屋根は線路側と反対側の両方へ傾斜して伸びている
- ^ かつてはそのうちの1本が三菱電機の工場内に伸びていた。工場へ至る線路があった土地は2017年現在、自転車駐輪場になっている。
- ^ 東西線の開通後も、2番線では逆方向の新三田行き普通が特急『北近畿』を待避していたことがあり、改札口には『次の普通新三田行きは2番線から発車する』旨の掲示がなされていた。
- ^ 同改正までは、朝のラッシュ時と毎日21時台にのみ設定されていた。なお、尼崎駅構内にある引き上げ線は配線の関係で東西線方面からの折り返しができないため、同改正以前から当駅まで回送されて方向転換していた。
- ^ 牛舎は、森永製菓塚口工場で使用する牛乳や、学校給食用牛乳を生産・納入するためにあったもので、工場周辺には、昭和50年代まで小規模な牛舎が点在していた。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h 『兵庫の鉄道全駅 JR・三セク』神戸新聞総合出版センター、2011年12月15日、98頁。ISBN 9784343006028。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 44号 福知山線・播但線・加古川線・姫新線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年5月30日、10-11頁。
- ^ a b 川辺馬車鉄道乗客貨物運賃収入表 尼崎市史第7巻p698 (1976)
- ^ 尼崎市史第3巻p268 (1970)
- ^ 「琴陽雑誌」摂津鉄道塚口停車場の開設 尼崎市史第7巻p700 (1976)
- ^ a b 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』 II(初版)、JTB、1998年10月1日、124頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 「JR年表」『JR気動車客車編成表 '98年版』ジェー・アール・アール、1998年7月1日、186頁。ISBN 4-88283-119-8。
- ^ 「ICOCA」いよいよデビュー! 〜 平成15年11月1日(土)よりサービス開始いたします 〜(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2003年8月30日
- ^ a b “塚口駅|構内図:JRおでかけネット”. 西日本旅客鉄道. 2023年1月18日閲覧。
- ^ 平成23年春ダイヤ改正について 近畿統括本部のプレスリリースを参照。
- ^ 兵庫県統計書
- ^ “森永・塚口工場6月で閉鎖 跡地を長谷工に売却へ”. 神戸新聞 (2013年2月6日). 2013年9月4日閲覧。
- ^ “JR西日本不動産開発・他 「ビエラ塚口」来月9日開業”. 交通新聞 (交通新聞社). (2016年3月14日)
- ^ “JR西日本不動産開発・他 「ビエラ塚口」オープン”. 交通新聞 (交通新聞社). (2016年4月12日)
- ^ 旧・尼崎市交通局の路線。
- ^ JR塚口停留所の駅前ターミナルへの移設について (PDF, 阪神バス 2017年8月18日閲覧)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 塚口駅|駅情報:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道