青森空港
青森空港 Aomori Airport | |||||||||
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IATA: AOJ - ICAO: RJSA | |||||||||
概要 | |||||||||
国・地域 | 日本 | ||||||||
所在地 | 青森県青森市 | ||||||||
母都市 | 青森市 | ||||||||
種類 | 商業 | ||||||||
運営者 | 青森県 | ||||||||
運用時間 | 7:30 - 22:00 | ||||||||
標高 | 198 m (650 ft) | ||||||||
座標 | 北緯40度44分00秒 東経140度41分19秒 / 北緯40.73333度 東経140.68861度座標: 北緯40度44分00秒 東経140度41分19秒 / 北緯40.73333度 東経140.68861度 | ||||||||
公式サイト |
青森空港ビル株式会社 青森空港管理事務所 | ||||||||
地図 | |||||||||
青森空港の位置 | |||||||||
滑走路 | |||||||||
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統計(2023年度) | |||||||||
旅客数 | 1,169,438人 | ||||||||
貨物取扱量 | 640t | ||||||||
リスト | |||||||||
空港の一覧 |
青森空港(あおもりくうこう、英: Aomori Airport)は、青森県青森市にある地方管理空港である。なお、本項では、旧空港開港以前の航空事案についても記述する。
概要
[編集]青森市中心部から南方に約10キロメートル(バスで約35分)の標高198メートルの山腹に位置する、本州最北端の空港である。
1964年(昭和39年)11月5日開港[1]。当時のターミナルビルは現在の滑走路東端に位置しており、滑走路は10/28方向であった。しかし八甲田山系に位置し雪深いことから当初は5月から10月末までの夏季のみしか運用を行えず、標高200mの山上に位置し「空母に着艦するよう」と評され圧迫感があるとして不評が相次ぎ平内町や上磯海岸への移転が県議会で提案されていた[2]。
その後通年運航やエアバス機(ワイドボディ機)の就航を前提とした新空港計画が検討され1979年には初代空港の南西に隣接する青森市・浪岡町付近への建設を決定[3]、1987年(昭和62年)に新空港へ移転し現在の06/24方向の滑走路が設置された[1]。平成に入ってからも何度かターミナルビルの増床や滑走路の延伸が実施されている。防災航空隊や県警の格納庫等は旧滑走路沿いに設置されており、ターミナルビルとはやや離れている。
2005年(平成17年)6月7日には定期国際線の2路線が同時に就航10周年を迎えた。特にソウル・仁川便は韓国人スキーヤーの県内誘客に寄与している[4]。
滑走路は06/24方向に3,000mで、滑走路24に計器着陸装置 (ILS) が設置されている。2007年(平成19年)3月15日にILSカテゴリーIIIaが運用開始され、濃霧による欠航は2006年度が89便あったが、導入後の2007年度は0便となり「濃霧に弱い空港」の汚名を返上した[5][注 1]。また、国内空港の中でも屈指の雪の多さに悩まされているが、管理する青森県は2013年、作業スピードの早さから「日本一」との呼び声もある空港除雪隊を「ホワイトインパルス」と命名し、インターネットなどを活用してPRに力を入れている[7]。
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チェックインカウンター
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ショッピングエリア
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エアポートラウンジ
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保安検査場入り口
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搭乗待合室
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到着ロビー
統計
[編集]利用者数
[編集]現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
元のウィキデータクエリを参照してください.
年間利用客は、1998年(平成10年)から2002年(平成14年)は150万人以上あり[8]、東北地方では仙台空港に次ぐ利用者数がある空港であったが、2002年12月に東北新幹線が八戸駅まで延伸されたことで、利用客が新幹線に転移し2008年(平成20年)度は年間利用客が1,131,513人[9] に減少し、秋田空港に次ぐ3位となった[10](ミニ新幹線である秋田新幹線は所要時間が長く、秋田空港では青森空港ほど新幹線への転移が起こらなかった[11])。さらに2010年12月、東北新幹線が新青森駅まで延伸後、新幹線の速達化で新青森-東京間が最速2時間台で結ばれるようになると、さらに利用者が新幹線に転移し、年間利用者が80万人台で推移するなど[8][12]、一時、減少が続いていた。2013年(平成25年)度は、国内826,196人、国際34,749人[13]。
しかし、2014年(平成26年)7月からの大阪、札幌便のダブルトラック化で、利用客数は、大阪便は前年同月の2.1倍の18,146人、札幌便は、1.5倍の12,548人と、利用客が大きく増えた[14]。2015年(平成27年)度には年間利用客が1,010,552人と再び100万人を超え、2018年(平成30年)度には国際線の好調も相まって1,196,270人まで増加するなど、新型コロナウイルス感染拡大前の2019年(令和元年)度まで年間利用客110万人台で推移していた[15]。
その後も2023年(令和5年)度に、青森−大阪(伊丹)、札幌(新千歳)を運航する全日本空輸(ANA)において、両路線とも搭乗客数が新型コロナウイルス感染拡大前の2019年(令和元年)度を上回り、過去最多を記録するなど、好調が続いている[16]。2023年(令和5年)度、コロナ禍で落ち込んでいた年間利用客は1,160,836人にまで回復した。
国際線においても好調で、新型コロナウイルス感染拡大収束後、2024年(令和6年)1月に再開した大韓航空青森-ソウル(仁川)線の国際定期便にて、再開した1月20日から3月末までの利用者数が6,525人、利用率は71.2%となるなど順調な滑り出しとなっている[17]。また、2019年(令和元年)度に約23,000人の搭乗者数を記録し好調だった、エバー航空青森-台北(桃園)線の国際定期便も2024年(令和6年)10月29日に再開された[18]。初日の搭乗率は、台北からの便と青森からの便のいずれも95%を超えた[19]。
以下に1995年度以降の定期便乗降客数(国内線と国際線の合計)を示す[20]。マウスポインタを棒グラフに合わせると、該当年度の数値がポップアップする。
沿革
[編集]旧空港開港以前
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
旧空港
[編集]- 1962年(昭和37年) : 設置許可。
- 1964年(昭和39年)
- 1965年(昭和40年)6月1日 : 初の定期便として[23]、日本国内航空(現・日本航空)の東京(羽田)線が就航[24]。開設時の機材はYS-11[23]。
- 1967年(昭和42年) : 改修工事計画を開始、滑走路1,500mへの延伸やエプロン拡張・夜間照明設置を計画した[2]。
- 1971年(昭和46年) : 滑走路を1,350mに延伸する。
- 1972年(昭和47年) : 滑走路を45mに拡幅する。
- 1973年(昭和48年) : 滑走路を1,400mに延伸する。
- 1974年(昭和49年) : 空港ターミナルビルを増築する。
- 1978年(昭和53年) : 空港ターミナルビルを増築する。
- 1981年(昭和56年) : 通年運航を開始[25]。
- 1987年(昭和62年) : 新空港への移転に伴い廃止する。
新空港
[編集]- 1979年(昭和54年)8月 : 新空港の建設地を決定する[注 2]。
- 1982年(昭和57年)10月14日 : 新空港工事着工[27]。
- 1985年(昭和60年)4月1日 : 青森空港ビル株式会社を設立する[28]。
- 1987年(昭和62年)
- 1989年(平成元年)7月21日 : この日をもって、青森空港発着便におけるYS11型機での運航が終了(最終便は大阪発青森11時25分着の便と折り返しの青森11時50分発大阪行の便)[30]。
- 1990年(平成2年)7月27日 : 全面供用を開始する(滑走路長は2,500m)。平行誘導路およびエプロン5バースが設置される。
- 1992年(平成4年)
- 1993年(平成5年)4月 : 動植物の検疫の特定飛行場の指定を受けた事から、動植物の携帯品の持ち込みが可能になった[33]。
- 1995年(平成7年)
- 1998年(平成10年)11月 : エアーニッポンが仙台線を運航開始する(約1年で廃止)[35]。同時期には、日本エアシステムの沖縄(那覇)線(季節運航)も就航[35]。
- 2003年(平成15年)
- 4月 : 全日本空輸が撤退する。なお、同社の航路は同月以降、スカイマークエアラインズが運航したが同年11月末日をもって撤退する。
- 10月 : 航空管制官による管制業務開始。(以前までは航空管制運航情報官が配置されるレディオ空港として運用されていた。)
- 2005年(平成17年)
- 4月 : 滑走路長を3,000mに延伸する。立体駐車場が完成する。
- 3月 : 旅客ターミナルビル国際線施設増改築工事が完成し、供用を開始する。
- 2006年(平成18年) : 立体駐車場と空港ターミナルを結ぶ連絡通路が完成する。
- 2007年(平成19年)
- 3月15日 : ILSカテゴリーIIIaの運用を開始する。
- 10月 : 福岡線の運航を休止する。
- 2010年(平成22年)10月 : 名古屋(中部)線の運航を休止する。
- 2011年(平成23年)7月2日 : フジドリームエアラインズが名古屋(小牧)線の運航を開始する。
- 2012年(平成24年)
- 3月25日 : 運用時間が22時までに延長される。
- 7月26日 : ILSをカテゴリーIIIaからIIIbに向上する[36]。
- 2014年(平成26年)7月1日 : 全日本空輸が大阪(伊丹)線、札幌(新千歳)線の運航を開始[37]。全日本空輸が11年ぶりに青森へ乗り入れた。
- 2015年(平成27年)4月1日 : 有料ラウンジの「エアポートラウンジ」が改装。日本航空との共有ラウンジとしてサービス開始。
- 2019年(令和元年)
- 2020年(令和2年)3月29日 - フジドリームエアラインが神戸線を就航[40]。
- 2024年(令和6年)
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒030-0155 青森県青森市大字大谷字小谷1番5号 |
設立 | 1985年4月1日 |
業種 | 不動産業 |
法人番号 | 8420001000081 |
事業内容 | 貸室業並びに空港利用施設の賃貸業等 |
代表者 | 代表取締役社長 林哲夫 |
資本金 | 16億20百万円(2020年7月1日時点) |
発行済株式総数 | 3万2,400株[43] |
売上高 | 6億52百万円(2020年3月期) |
営業利益 | △1億4百万円(2020年3月期) |
純利益 | △2億4百万円(2020年3月期) |
純資産 | 31億51百万円(2020年3月31日時点) |
総資産 | 55億81百万円(2020年3月31日時点) |
従業員数 | 20人(2020年7月1日時点) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 |
青森県 54.6% 青森市 15.5% 日本航空(株) 10.5% 日本政策投資銀行 4.9% (株)青森銀行 2.5% (株)みちのく銀行 2.5% 東北電力(株) 1.9% 日本通運(株) 1.5% (株)東奥日報社 1.2% 青森放送(株) 1.2% (2020年7月1日時点) |
外部リンク | 青森空港ビル株式会社 |
特記事項:会社基礎情報は、令和2年度(2020年度)公社等経営評価書[44] より。 |
空港ターミナルビルは地上3階建てのものが滑走路北側に1棟あり、ボーディングブリッジは5基を備える。運営および物販などを目的とする「青森空港ビル株式会社」が運営しており、株主には自治体や航空会社・金融機関のほか、電力会社・陸運業者および地元メディアが名を連ねている。
- 1階 - 航空会社カウンター、到着ロビー(国内線・国際線)、税関検査場、団体有料待合室、売店、コンビニ自販機、レンタカー
- 2階 - 出発ロビー、搭乗待合室(国内線・国際線)、出国審査場、入国審査場、有料待合室「エアポートラウンジ」、売店、飲食
- 3階 - 送迎デッキ(無料)
路線
[編集]国内線
[編集]航空会社 | 就航地 |
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日本航空 (JAL) [注 3] | 札幌/新千歳、東京/羽田、大阪/伊丹 |
全日本空輸 (ANA) [注 4] | 札幌/新千歳、大阪/伊丹 |
フジドリームエアラインズ (FDA)[45] | 名古屋/小牧 、大阪/神戸 |
東京線にはエアバスA300-600R(旅客定員290名)が就航していたが、2011年2月をもって運用が終了し、翌月から比較的小型の機材に変更された[46]。しかし、同年3月11日に発生した東日本大震災で東北新幹線が全線不通となったことに伴う輸送力増強(機材変更)のため、同年5月31日までの間[47]、MD-90(旅客定員150名)に代わり再び運用に就いた[48]。
行き先 | 旅客数 | 国内線順位 |
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東京国際空港 | 542,226人 | 上位48位 |
国際線
[編集]航空会社 | 就航地 |
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大韓航空 (KE) | ソウル/仁川 |
エバー航空 (BR) | 台北/桃園 |
新型コロナウイルス感染拡大により、両路線とも一時運休していたが、ソウル(仁川)線は2024年(令和6年)1月20日に再開し、台北(桃園)線は同年10月29日に再開した[50]。
かつて就航していた定期航路・航空会社
[編集]- 国内線
航空会社 | 就航地 |
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日本航空 (JAL) | 名古屋/小牧、名古屋/中部、大阪/関西、福岡、那覇 |
全日本空輸 (ANA) | 仙台、東京/羽田、名古屋/小牧、広島 |
スカイマーク (SKY) | 東京/羽田 |
2004年夏期には、JALグループの臨時増便で日本エアコミューターも就航していた。
- 国際線
航空会社 | 就航地 |
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ダリアビア航空 (H8) | ハバロフスク空港 |
かつてはダリアビア航空 (KHV) がロシア・ハバロフスク空港へ就航していた。しかし、運航するダリアビア航空が財務状況悪化のため、2008年9月20日をもって全便の運航を停止。通年運航の新潟空港便はウラジオストク航空が引き継いだが、夏期季節運航の当空港便は2009年度夏期スケジュールに運航予定がない[51] ほか、以降も運航されてない。
交通
[編集]当空港は、青森市街(青森市役所)から約13km、約30分、弘前市街(弘前市役所)から約30km、約50分の位置にある[52]。県庁所在地の市街地まで距離が、東北地方で最も近い空港となっている。
- 青森空港と青森市街(青森市役所)が約13km
- 秋田空港と秋田市街(秋田市役所)が約20km
- 花巻空港と盛岡市街(盛岡市役所)が約40km
- 仙台空港と仙台市街(仙台市役所)が約23km
- 山形空港と山形市街(山形市役所)が約23km
- 福島空港と福島市街(福島市役所)が約77km
- 福島空港と郡山市街(郡山市役所)が約25km
路線バス
[編集]本数・所要時間・料金等の詳細は、該当項目や公式サイトを参照。
タクシー
[編集]青森空港のターミナル到着ロビーにタクシー乗り場があり、青森市内、新青森駅、青森駅にアクセスすることができる。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 上月英興(2014年11月6日). “安定飛行へ伸ばせ集客 青森空港50周年、17年度までに100万人”. 朝日新聞(朝日新聞社)
- ^ a b 青森県の未来像と課題(31) 第二部 加速度ます交通、通信革命11 東奥日報1968年2月3日 - 青森県史デジタルアーカイブスシステム
- ^ 新青森空港位置、青森・浪岡地区に/県議会議員全員協議会知事報告要旨 - 青森県史デジタルアーカイブスシステム
- ^ 『韓国人スキー客 福島が好調7割増』(2008年5月18日 河北新報)
- ^ 『「濃霧空港」汚名を返上 青森空港』(2008年5月18日 河北新報)
- ^ 運航情報2007年3月・運航情報2007年7月 - 日本航空
- ^ “青森空港「日本一の除雪」PR”. 東奥日報. (2014年1月14日) 2016年2月25日閲覧。
- ^ a b 青森空港活性化[2013], p.3
- ^ 青森空港活性化[2013], p.30
- ^ 青森空港活性化[2013], p.5
- ^ “新幹線vs航空、実は疑わしい「4時間の壁」の根拠 鉄道が3時間台でも「航空が圧勝」の区間も”. 東洋経済オンライン. 2024年7月5日閲覧。
- ^ 青森空港活性化[2013], p.4
- ^ 『管内空港の利用状況概況集計表(平成25年度速報値)』(PDF)(プレスリリース)国土交通省東京航空局 。2016年2月25日閲覧。
- ^ “青森空港の利用実績”. 青森県. 2020年12月31日閲覧。
- ^ “定期便利用実績総括表(国内線+国際線)”. 青森県. 2024年7月5日閲覧。
- ^ “ANA青森定期便 就航10周年の大阪、札幌線とも搭乗者数過去最多 2023年度(東奥日報)”. gooニュース. 2024年7月5日閲覧。
- ^ a b “青森空港の国際化推進 「台北線」の早期再開と新たに「上海線」就航目指す”. ABA青森朝日放送. 2024年7月5日閲覧。
- ^ “青森-台北線、10月末から火・木・土曜運航(東奥日報)”. Yahoo!ニュース. 2024年7月5日閲覧。
- ^ a b “青森・台北定期便 コロナ禍の運休経て約5年ぶり運航再開”. NHK. 2024年10月29日閲覧。
- ^ 定期便利用実績総括表(国内線+国際線) (PDF) (青森県)
- ^ 「村政施行百周年記念『西目屋村史』」(西目屋村・1991年2月15日発行)186頁「年表」より
- ^ 『新青森市史 通史編第四巻 現代』(青森市・2014年3月31日発行)「第二章 変わりゆく県都・第一節 復興から発展への胎動・三 きしむ公営事業・ねじねる市議会」119頁「旧青森空港の開港と青森港の県移管」
- ^ a b “青森―東京線、就航50周年で式典 利用者、07年度から減少傾向”. 朝日新聞(朝日新聞社). (2015年6月4日)
- ^ 宮城裕也(2015年6月2日). “日本航空:青森−羽田定期便、就航50年 放水アーチでお祝い”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ 記者レポート/通年運航に入った青森空港 - 青森県史デジタルアーカイブスシステム
- ^ 新青森空港工事誌編集委員会『新青森空港工事誌』青森県、1989年3月。
- ^ 『大間町史』(大間町・1997年3月31日発行)952頁「大間町年表 大間町および下北・青森地方の史実」
- ^ 1985年4月3日付東奥日報朝刊6面青森空港ビル㈱広告記事より。
- ^ 『東奥日報百年史』(東奥日報社・1988年8月6日発行)「東奥日報 年表」67頁「県内外参考事項 昭和62年 1987」
- ^ 『東奥日報』1989年7月22日付け朝刊18面「YS11お疲れさま 青森 - 大阪 きょうジェット化」記事と同紙同年7月付け「飛行機空席情報」より。
- ^ 『青森テレビ30年のあゆみ』309頁「年表 1992年」より
- ^ a b 青森空港ターミナル3F掲示物『青森空港50年のあゆみ』より
- ^ 『東奥年鑑1994』(東奥日報社・1993年9月1日発行)「運輸・通信 - 航空・郵政・電気通信」272頁「航空 青森空港」より。
- ^ “ソウル線が2日に就航20周年 魅力PRへ”. 陸奥新報(陸奥新報社). (2015年4月2日)
- ^ a b 『浪岡町史 第四巻』(浪岡町・2004年12月25日発行)「第Ⅵ部 浪岡の近・現代、第5章 新浪岡町の成立と発展」430頁「第五節 青森空港」
- ^ 2012年7月よりCAT-3b供用開始 - 青森空港ビル[リンク切れ]
- ^ 『2014年 国内線サマーダイヤについて~羽田発着路線の増便により、国内線ネットワークが更に便利に!~ ~11年ぶりに青森空港の定期便を再開!~』(プレスリリース)全日本空輸、2014年1月22日 。2016年2月25日閲覧。
- ^ “出発便一覧”. 青森空港ビル株式会社. 2020年12月31日閲覧。
- ^ “青森空港旅客ターミナル 改装オープン”. 東奥日報. gooニュース (2019年7月29日). 2020年12月31日閲覧。
- ^ “青森神戸線時刻表”. フジドリームエアライン. 2020年12月31日閲覧。
- ^ “進入管制区を指定する告示等を一部改正する告示(国土交通省令和六年告示第一九八号)”. 官報 (2024年3月21日). 2024年3月25日閲覧。
- ^ 青木謙知「F-35ライトニングIIの最新ニュースを世界から」『航空ファン』第73巻第9号、文林堂、2024年7月20日、69頁、ISSN 0450-6650、JAN 4910037430946。
- ^ 第27期(平成24年3月期決算)貸借対照表、損益計算書 - 青森空港ビル (PDF)
- ^ “令和2年度(2020年度)公社等経営評価書” (pdf). 青森県. 2020年12月31日閲覧。
- ^ 日本航空(JAL)とコードシェア
- ^ “エアバスA300がラストフライト/青森空港”. 東奥日報 (47NEWS). (2011年2月28日) 2016年2月25日閲覧。
- ^ “震災輸送で「最後のご奉公」A300-600R型機ラストフライト”
- ^ 『3月14日(月)「山形・青森・秋田発着」臨時便設定と定期便機材大型化のお知らせ』(プレスリリース)日本航空、2011年3月14日 。2013年3月7日閲覧。
- ^ 『平成29年度の航空輸送統計の概況について』(PDF)(プレスリリース)国土交通省総合政策局、2019年6月13日 。上位50位までを記載
- ^ “青森-台北線、10月末から火・木・土曜運航(東奥日報)”. Yahoo!ニュース. 2024年7月5日閲覧。
- ^ ウラジオストク航空
- ^ アクセス - 青森空港ビル(2014年3月7日閲覧)
参考資料
[編集]- 「青森空港活性化ビジョン〜未来へ世界へ広がる北東北のゲートウェイをめざして〜」(PDF)、青森空港活性化検討委員会、2013年3月、2016年2月25日閲覧。
外部リンク
[編集]- 青森空港公式ホームページ - 青森空港ビル株式会社
- 青森空港管理事務所 - 青森県
- 青森空港 ー 国土交通省 東京航空局
- 青森空港(公式) (@aomoriap) - Instagram