コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

UDラス・パルマス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
UDラスパルマスから転送)
UDラス・パルマス
原語表記 Unión Deportiva Las Palmas, S.A.D.
愛称 La Union Deportiva
Los Canariones
Pío-pío
クラブカラー     黄色
   
創設年 1949年
所属リーグ ラリーガ
所属ディビジョン 1部(2023-24
昨季リーグ順位 2位(2022-23
ホームタウン カナリア諸島の旗 カナリア諸島州ラス・パルマス
ホームスタジアム
エスタディオ・グラン・カナリア
収容人数 32,400[1]
代表者 スペインの旗 ミゲル・アンヘル・ラミレス・アロンソ
監督 スペインの旗 ルイス・カリオン
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

UDラス・パルマス(Unión Deportiva Las Palmas, S. A. D.) は、スペインカナリア諸島ラス・パルマス・デ・グラン・カナリアに本拠地を置くサッカークラブ。2023-24シーズンからプリメーラ・ディビシオンに在籍している。32,400人収容のエスタディオ・グラン・カナリアをホームスタジアムとしている。同じくカナリア諸島に本拠地を置くCDテネリフェとの対戦はカナリア諸島ダービーとして知られる。

歴史

[編集]

スペインサッカー連盟に登録されたのは1949年6月6日であるが、公式に設立されたのは8月22日である。カナリア諸島にあるCDグラン・カナリア(Club Deportivo Gran Canaria)、アトレティコCF(Atlético Club de Fútbol)、レアル・クルブ・ビクトリア(Real Club Victoria)、アレナス・クルブ(Arenas Club)、マリーノFC(Marino Fútbol Club)が合併して新クラブが誕生。クラブ名称を決めるための会合が開かれ、どの前身クラブの名称も含まないことで合意した。デポルティーボ・カナリアス(Deportivo Canarias)という案もあったが、グラン・カナリア島単独よりもカナリア諸島全体に言及しているとして廃棄された。5クラブの合併による繋がりを表し、ラス・パルマスを本拠地とすることから、最終的にUDラス・パルマス(Unión Deportiva Las Palmas)が選ばれた。この連合クラブは、カナリア諸島の優秀な選手を諸島に引き留め、本土でクラブを探さなくてもよいように設立された。最初の練習は1949年9月16日に行われた[2]。1949-50シーズンにテルセーラ・ディビシオン(当時3部相当)に初参戦し、2位となってセグンダ・ディビシオン(2部)昇格。1950-51シーズンはセグンダで3位となり、プリメーラ・ディビシオン(1部)昇格を決めた。今日まで、リーガ・エスパニョーラ初参戦から2シーズン連続で昇格してプリメーラ昇格を決めたのはラス・パルマスだけである。トップリーグ初挑戦の1951-52シーズン終了後にセグンダ降格となったが、1953-54シーズン終了後に再びプリメーラ昇格を果たし、今度はプリメーラに6シーズン在籍した。

1963-64シーズンにはセグンダで優勝してプリメーラに昇格し、1960年代後半から1970年代後半にかけてはクラブ史上最も成功を収めた期間となった。ビセンテ・ダウデル監督が率いた1967-68シーズンにはレアル・マドリードFCバルセロナに次ぐ3位となり、母国開催となったUEFA欧州選手権1968にはラス・パルマスから4人の選手が出場して優勝を経験。1968-69シーズンにはレアル・マドリードに次ぐ2位となってさらなる躍進を遂げ、リーグ戦ではレアル・マドリード以外には敗れなかった。1969-70シーズンにはインターシティーズ・フェアーズカップに出場したが、1回戦でヘルタ・ベルリン(ドイツ)に2試合合計0-1で敗れた。1971年3月9日には、ラス・パルマスの現役選手であった28歳のフアン・グエデスが突然死去した。1971-72シーズンには、フランス人のピエール・シニバルディ監督がクラブをリーグ戦5位に導き、翌シーズンのUEFAカップ出場権を獲得。1972-73シーズンのUEFAカップではトリノFC(イタリア)とŠKスロヴァン・ブラチスラヴァ(チェコスロバキア)を下し、FCトゥウェンテ(オランダ)に敗れた。1974-75シーズン末には、グエデスとともにプレーしたディフェンダーのトノーノが肝臓の伝染病で死去した。1977-78シーズンはクラブ史に残るシーズンとなった。ミゲル・ムニョス監督が采配を振るい、アルゼンチン人ミゲル・アンヘル・ブリンディーシダニエル・カルネバーリカルロス・モレーテキケ・ウォルフなどが在籍したチームは、欧州カップ戦(UEFAカップ)に3度目の出場を果たし、1回戦でFKスロボダ・トゥズラ(ユーゴスラビア)を倒したが、結果的に優勝するイプスウィッチ・タウンFC(イングランド)に2回戦で敗れた[3]。同シーズンのコパ・デル・レイではクラブ史上初めて決勝に進出したが、エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウで行われた決勝ではFCバルセロナに1-3で敗れた[4]

1990年代から2000年代にかけてはセグンダ・ディビシオン(2部)とセグンダ・ディビシオンB(現3部相当、1977年創設)が主戦場となった。2000年にプリメーラに昇格し、2シーズンの間トップリーグに在籍した。2001年10月3日にホームで行われたレアル・マドリード戦では、下部組織出身のルベン・カストロの2得点などで強豪相手に4-2で勝利。しかし、2001-02シーズン終了後にセグンダ降格となった[5]

下位クラブと他競技

[編集]

1954年からファームチームを所有しており、1976年には正式なBチームとしてUDラス・パルマス・アトレティコが発足した[6]。2006年にはCチームが設立され、カナリア諸島地域リーグの最上位ディビジョン(プレフェレンテ=ラス・パルマス)に到達した。2010年に活動停止したが、翌シーズンには再び活動を再開した[7]

またラス・パルマスは女子サッカーチームを所有しており、2009年から2011年にはプリメーラ・ディビシオン・フェメニーナ(女子1部)に在籍した。2010年にはインドアサッカーチームを設立し、セントロ・インスラール・デ・デポルテスをホームコートとしてリーガ・デ・フトゥボル・インドア(1部)に在籍している[8]

エル・バンデラとピオピオ

[編集]

カナリアの鳴き声を真似た「ピオピオPío-Pío)」という擬音語は、ラス・パルマスの愛称として知られている。その由来はカナリアとの明白なつながりの他に、クラブの生涯のファンであるフェルナンド・エル・バンデラ(本名はフェルナンド・ゴンザレス・ゴンザレス)という男性にある。

リナーレスからの移住者であるバンデラは、大工兼家具職人であり、何十年にもわたって倦まず弛まずラス・パルマスを応援したことでスペイン中から人気を博したファンだった。ポンチョメキシカンハットラッパ、そしてチームカラーの黄色と青の旗。これらの荷物を持って、彼はチームの遠征の度にスペイン中を追いかけ、ラス・パルマスがプレーするところではいつも(娘の結婚式の日でさえも)相手サポーターに混じって声援を送っていた。

エル・バンデラがカナリア諸島の象徴的な人物になったのは、1978年のコパ・デル・レイ決勝であった。彼が指揮を執る中、何千人もの島民がマドリードの通りを行進し、バルセロナとの対戦前にマヨール広場とスタジアムで記念すべき祝賀会を開き、最終的に約2万人のカナリア諸島出身者が決勝戦の舞台であるエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウでラス・パルマスを応援した。試合は1-3で敗れたものの、カナリア諸島のスポーツ史上最も大規模なサポーターの移動となった。

「ピオピオ」という特徴的な応援が初めて聞かれたのは、1980年代にカナリア諸島最大のスタジアムであるエスタディオ・エリオドロ・ロドリゲス・ロペスで行われたCDテネリフェとのダービーマッチの時だった。その日、一部のテネリフェサポーターが侮辱的な言葉を添えて 「カナリオン 」としつこく挑発した。すると、バンデラは"カナリオン"という言葉を聞くたびに"ピオピオ"と返すことを思いついた。彼らが「カナリオン」と言うと、パンデラも「ピオピオ」と返す。テネリフェサポーターの煽りに対して、バンデラが90分間も擬音で応えるこの印象的な応援はグラン・カナリアサポーターのチャントの中に永遠に残った。

それ以来、この伝統的な応援はホームスタジアムを経て、やがてラス・パルマスの黄色いシャツが登場するすべての試合に持ち込まれるようになった。このシンプルなリフレインで始まるフェルナンド・エル・バンデラの嗄れた声はピッチの外にも深く浸透してき、黄色と青のキットを身に纏うラス・パルマスのマスコットキャラクターも「ピオピオ」と名付けられている。

晩年、バンデラは健康上の理由でスタジアムに応援に行くことは出来なくなり、2003年2月19日に70歳でこの世を去った。それはラス・パルマスの新スタジアムであるエスタディオ・グラン・カナリアの落成式が行われる僅か2ヶ月前のことであった[9][10][11]

エンブレム

[編集]

ラス・パルマスのエンブレムは上部にクラブ名入りの巻物を配した青色の盾である。盾の下部には小さな5つの盾が描かれている。これは1949年に合併して消滅したレアル・クルブ・ビクトリア(一番左)、アレナス・クルブ、CDグラン・カナリア、マリーノFC、アトレティコCF(一番右)の盾である。それらは巻物を囲むように配置されており、巻物にはラス・パルマス市のスローガンである「Segura tiene la palma」という文字が刻まれている。

スペインの多くのサッカークラブが国王の庇護下にあり、クラブ名称に「レアル」(Real、国王の)という接頭語を用いることを許され、それぞれのクラブはエンブレムなどに王冠を採用している。ラス・パルマスは国王の庇護のもとになく、エンブレム最上部の王冠は前身クラブのひとつであるビクトリアのものである。エンブレムはクラブ旗の中央に鎮座し、上部は黄色、下部は青色の2色が均等に塗られている。ラス・パルマス市の旗にはこれらの色が斜めに使用される[12]

タイトル

[編集]

国内タイトル

[編集]
1953-1954, 1963-1964, 1984-1985, 1999-2000
1992–93, 1995–96
1977-78

成績

[編集]
エスタディオ・グラン・カナリア

近年の成績

[編集]
シーズン リーグ コパ・デル・レイ
ディヴィジョン 順位 備考
2014-15 セグンダ 42 22 12 8 73 47 78 4位 昇格 ベスト32
2015-16 ラ・リーガ 38 12 8 18 45 53 44 11位 ベスト8
2016-17 ラ・リーガ 38 10 9 19 53 74 39 14位 ベスト16
2017-18 ラ・リーガ 38 5 7 26 24 74 22 19位 降格 ベスト16
2018-19 セグンダ 42 12 18 12 48 50 54 12位 2回戦敗退
2019-20 セグンダ 42 14 15 13 49 46 57 9位 2回戦敗退
2020-21 セグンダ 42 14 14 14 46 52 56 9位 2回戦敗退
2021-22 セグンダ 42 19 13 10 57 47 70 4位 2回戦敗退
2022-23 セグンダ 42 18 18 6 49 29 72 2位 昇格 2回戦敗退
2023-24 プリメーラ 38

過去の成績

[編集]
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1949-50 テルセーラ 2位
1950-51 セグンダ 3位
1951-52 プリメーラ 15位
1952-53 セグンダ 4位
1953-54 セグンダ 1位
1954-55 プリメーラ 12位
1955-56 プリメーラ 11位
1956-57 プリメーラ 10位
1957-58 プリメーラ 11位
1958-59 プリメーラ 14位 ベスト32
1959-60 プリメーラ 16位
1960-61 セグンダ 5位
1961-62 セグンダ 4位
1962-63 セグンダ 3位
1963-64 セグンダ 1位
1964-65 プリメーラ 9位
1965-66 プリメーラ 10位
1966-67 プリメーラ 11位
1967-68 プリメーラ 3位
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1968-69 プリメーラ 2位
1969-70 プリメーラ 9位
1970-71 プリメーラ 14位
1971-72 プリメーラ 5位
1972-73 プリメーラ 11位
1973-74 プリメーラ 11位
1974-75 プリメーラ 13位
1975-76 プリメーラ 13位
1976-77 プリメーラ 4位
1977-78 プリメーラ 7位 準優勝
1978-79 プリメーラ 6位
1979-80 プリメーラ 12位
1980-81 プリメーラ 15位
1981-82 プリメーラ 15位
1982-83 プリメーラ 16位
1983-84 セグンダ 11位
1984-85 セグンダ 1位
1985-86 プリメーラ 13位
1986-87 プリメーラ 14位
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1987-88 プリメーラ 20位 ベスト16
1988-89 セグンダ 11位 ベスト32
1989-90 セグンダ 6位 1回戦敗退
1990-91 セグンダ 15位 ベスト16
1991-92 セグンダ 20位 4回戦敗退
1992-93 セグンダB 1位 4回戦敗退
1993-94 セグンダB 2位 3回戦敗退
1994-95 セグンダB 3位 4回戦敗退
1995-96 セグンダB 1位 2回戦敗退
1996-97 セグンダ 7位 準決勝敗退
1997-98 セグンダ 3位 3回戦敗退
1998-99 セグンダ 6位 4回戦敗退
1999-00 セグンダ 1位 2回戦敗退
2000-01 プリメーラ 11位 ベスト32
2001-02 プリメーラ 18位 ベスト32
2002-03 セグンダ 5位 ベスト64
2003-04 セグンダ 20位 ベスト64
2004-05 セグンダB 7位 ベスト64
2005-06 セグンダB 3位 3回戦敗退
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
2006-07 セグンダ 18位 3回戦敗退
2007-08 セグンダ 8位 ベスト32
2008-09 セグンダ 18位 2回戦敗退
2009-10 セグンダ 17位 3回戦敗退
2010-11 セグンダ 15位 2回戦敗退
2011-12 セグンダ 9位 2回戦敗退
2012-13 セグンダ 6位 ベスト16
2013-14 セグンダ 6位 ベスト32
2014-15 セグンダ 4位 ベスト32
2015-16 プリメーラ 11位 準々決勝敗退
2016-17 プリメーラ 14位 ベスト16
2017-18 プリメーラ 19位 ベスト16
2018-19 セグンダ 12位 2回戦敗退
2019-20 セグンダ 9位 2回戦敗退
2020-21 セグンダ 9位 2回戦敗退
2021-22 セグンダ 4位 2回戦敗退
2022-23 セグンダ 2位 2回戦敗退
2023-24 プリメーラ

現所属メンバー

[編集]
2024年2月14日現在[13]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK スペイン アーロン・エスカンデル
2 MF スペイン マルビン・パーク
3 DF スペイン セルジ・カルドナ
4 DF スペイン アレックス・スアレス
5 MF スペイン ハビ・ムニョス
6 DF スペイン エリック・クルベロ
7 FW スペイン クリスティアン・エレーラ
8 MF アルゼンチン マクシモ・ペローネ ()
9 FW スペイン サンドロ・ラミレス
10 MF スペイン アルベルト・モレイロ
11 FW スペイン ベニート・ラミレス
12 MF フランス エンツォ・ロイオディス キャプテン
13 GK スペイン アルバロ・バジェス
14 DF スペイン アルバロ・レモス
No. Pos. 選手名
15 DF スペイン ミカ・マルモル
16 FW ギニア ソリ・カバ
17 FW モロッコ ムニル・エル・ハダディ ()
18 DF オランダ デーリー・シンクフラーフェン
19 FW スペイン マルク・カルドナ
20 MF スペイン キリアン・ロドリゲス
21 MF スペイン ホセ・カンパーニャ
22 MF コンゴ民主共和国 オメヌケ・ムフル ()
23 DF 赤道ギニア サウール・ココ ()
24 FW スペイン ぺヒーニョ
25 MF スペイン ファビオ・ゴンサレス
28 DF メキシコ ジュリアン・アラウージョ ()
31 DF スペイン フアンマ・エルソグ

※括弧内の国旗はその他保有国籍、もしくは市民権、星印はEU圏外選手を示す。

監督

リザーブチーム

[編集]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
27 FW スペイン パウ・フェレール
29 MF スペイン イニャキ・ゴンサレス
30 GK アルゼンチン アルバロ・キジャーネ
No. Pos. 選手名
34 FW コートジボワール アブバカル・バッシンガ
35 GK スペイン アレ・ゴリン

ローン移籍

[編集]
in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
2 MF スペイン マルビン (レアル・マドリード)
8 MF アルゼンチン マクシモ・ペローネ (マンチェスター・シティ)
No. Pos. 選手名
28 DF メキシコ ジュリアン・アラウージョ (バルセロナ)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- DF スペイン エンリケ・クレメンテ (ラシン・フェロル)
No. Pos. 選手名
-- FW スペイン ジョエル・デル・ピノ (レアル・アビレス)

歴代監督

[編集]

歴代所属選手

[編集]

GK

[編集]

DF

[編集]

MF

[編集]

FW

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ Stadium”. UD Las Palmas. 2023年5月11日閲覧。
  2. ^ Historia - Nombre del club ラス・パルマス公式サイト(スペイン語)
  3. ^ Historia - De las tragedias del destino a los argentinos (71-83) ラス・パルマス公式サイト (スペイン語)
  4. ^ Spain - Cup 1978 RSSSF
  5. ^ Liga - El 'niño' que eclipsó a Zidane reta al Madrid Yahoo! Deportes、2011年10月12日 (スペイン語)
  6. ^ El filial: vivero del fútbol canario Historia del Fútbol Canario (スペイン語)
  7. ^ La UD Las Palmas volverá a tener equipo "C" ラス・パルマス公式サイト、2011年6月20日(スペイン語)
  8. ^ La UD Las Palmas crea un equipo de Fútbol Indoor ラス・パルマス公式サイト、2010年9月23日 (スペイン語)
  9. ^ Fernando El Bandera, sonido eterno de la Naciente” (スペイン語). UD Las Palmas (2020年4月3日). 2023年5月11日閲覧。
  10. ^ Why do the players of Las Palmas call themselves 'pío-pío'?” (スペイン語). La Liga (2015年7月19日). 2023年5月11日閲覧。
  11. ^ Fernando El Bandera, creador del 'pío-pío'” (スペイン語). Tinta Amarilla (2013年2月19日). 2023年5月11日閲覧。
  12. ^ Historia - Escudo ラス・パルマス公式サイト (スペイン語)
  13. ^ Top Team”. UD Las Palmas. 27 June 2019閲覧。

外部リンク

[編集]