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Wikipedia‐ノート:コメント依頼/江戸村のとくぞう

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クローズ後のコメント

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ノート:大浅間ゴルフクラブ#東京湾岸道路計画の発表者についてを見て、このコメント依頼のことを思い出しました。クローズに向けてには「非依頼者の投稿には著作権侵害のおそれがあり解決する必要がある」(「非依頼者」は原文ママ)と書かれています。そう書かれてから1年くらい経過しましたが、削除依頼が次々に出されるわけでもなく、「解決」に向けた動きは見られません。著作権侵害のおそれのある記事は、そうお考えの方が削除依頼に出せばよいと思います。何かの参考になるかもしれませんので、コメント依頼向けに書いた文章をここに投稿しておきます。

これまでの経緯に「著作権侵害をする編集傾向はアカウント作成後から一貫して近年になっても変わっていない」とありますが、別に一貫してなどおらず、問題の程度は時期によって変わっています。だいたい3段階くらいに分けられると思います。

第一のグループは、出典の文献が単に転記されているものです。初期の投稿によく見られますが、多くは許容範囲にないと思います。このコメント依頼を見て、既に把握している記事をいくつか削除依頼に出しました。例外として、戦前の新聞と思われるものの多くは問題がないと思うのですが、発表の状況によってはそうとも限りません。また「日本では」保護期間満了と思われる書籍もあり、注意が必要です。

第二のグループは、転記同然だが、途中の語句を言い換えてあるものです。元の文章が短いとこうなっているのだと思います。言い換えは徹底的で、勢いあまって出典とはずれたことが書いてあるものもあります。例えば井上誠一2021-02-26T06:25:48Z時点における版で井上はゴルフ関連の文献を取り寄せたことになっているのですが、『美しい日本のゴルフコース』494ページにそんなことは書いてありません。今井信郎2021-02-26T06:25:48Z時点における版では静岡新聞の記事が投稿されていますが、普通は原文通りに引用する理事長の発言まで改変して縮めてあります。これはこれで問題ですけれども、著作権の観点ではこのグループ全般に問題ありとは言えず、個々に判断しないと何とも言えないと思います。

第三のグループは、長い文章の途中を飛び飛びに、点々と拾ってつないであるものです。例えば浜離宮恩賜庭園の加筆に使われている、小杉雄三『浜離宮庭園』(郷学舎、1981年)は、歴史の部分が62ページあり、加筆されたような分量ではありません。拾い方は独特で、なぜ拾ったのか疑問に思える文言が残っていることもしばしばです。浜離宮恩賜庭園で言いますと、2023-05-03T01:06:04Z時点における版の「徳川吉宗の時代」冒頭に「吉宗を待っていたのは(中略)「享保の改革」」とあります。「待っていた」に違和感を感じて書籍を見ると、書籍は前の段落で吉宗が将軍になるまでを書いた後、「将軍としての吉宗を待っていたのは、幕府財政の立て直しという大仕事」(14ページ)と受け、大仕事=享保の改革と進めているわけです。単なるつなぎの「待っていた」を残してしまうところが、百科事典の文章としては問題かもしれませんが、著作権の観点では一般に許容範囲だと思います。

履歴に第二グループがあらわれるのは後の方ですから、この投稿者なりに著作権を意識はなさっているのでしょう。「変わっていない」ということはないと思います。ただこの投稿者は、資料に書かれている文章の意味を理解して書いているのか、疑問に思える編集をしばしばなさっています。たとえば本光寺 (東京都港区)2014-07-11T07:52:00Z時点における版に「ビンビサラ玉」とありますが、ビンビサーラは王です。おそらく劣化した紙文献を見たままで書いたのだろう、と思います。戦前の新聞や、戦後も旧字体だった時代の書籍をよく御覧になっているのですが、原文の文意を理解していたらありえないような誤字があります。文章の意味がわかっていなかったら、著作権を考慮した文章を書くことなどできませんから、著作権を問題視されると単に字数が減らす、という対応になるのだと思います。

一方で『月刊文化財』に基づいて書かれているいくつかの記事は、原文と全然違います。原文に書いてないことが投稿されているわけでもなく、事実としては『月刊文化財』にもどこかに書かれている、という状況です。別の可能性もありますが、あえて好意的に解釈すると、御自分の専門分野に近い分野なら、文献に基づいて自分の文章で書くことができるのだろうと思います。また、秋田県、静岡県、東京都のある区にしかなさそうな文献が使われている記事もあります。記事を書くために現地に行ったのではないかと思われるものもあります。仮に単なる身内自慢が動機でも、そこまでやる人はそんなにいないでしょう。こういう点に着目して、得意分野に集中するよう誘導しないと、書ける人は集まらないと思います。私が利用者‐会話:江戸村のとくぞう#ゴルフ場記事についてに書いたことも、全く成功はしませんでしたが、そういう誘導の試みでした。複数の文献を見ることを主に、著作権を従に書かれているのは、この利用者に著作権について御理解いただくのは無理、と考えていたためです。

そういうつもりで書いた文章が、このコメント依頼では批判材料の一つとして使われていることに驚きました。困惑しながら書いていたのが今投稿している文章ですが、書き終わる前にコメント依頼は終了しました。一般に、投稿者を対象としたコメント依頼は批判が集中しますけれども、投稿者に対してブロックなどの対応がされると誰もいなくなり、記事自体には何の対応もされないまま放置されるのが常です。このコメント依頼でも楯の川酒造静岡市歴史博物館といった記事名が挙がっているのに、放置されています。気付いた人が気付いたときに削除依頼に出していかないと、何とか事典の劣化コピーだの、海外論文の単なる翻訳だの、新聞のスクラップブックもどきだのの巣窟と化している状況は、改善しないのではないでしょうか。--西村崇会話2024年11月7日 (木) 12:00 (UTC)[返信]