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Wikipedia‐ノート:内容に関連するリンクだけを作成

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リンクの付け方について~何回も出現する単語

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いくつかの文章を書いていて思ったのですが、リンクを付けるべき単語が文中に何回も出現する場合、その全てにリンクを付けておく方が望ましいのでしょうか。

上記の文ならば

いくつかの文章を書いていて思ったのですが、リンクを付けるべき単語が文中に何回も出現する場合、その全てにリンクを付けておく方が望ましいのでしょうか。

とするか

いくつかの文章を書いていて思ったのですが、リンクを付けるべき単語が文中に何回も出現する場合、その全てにリンクを付けておく方が望ましいのでしょうか。

の違いですが、ガイドラインがあったら教えてください。 Fuji 3 2006年5月11日 (木) 01:21 (UTC)[返信]


以前から、Wikipedia‐ノート:内容に関連するリンクだけを作成で質問されている内容について、私も教えて頂きたいのですが、向こうでは誰の目にも止まらずご返答頂けないようですので、こちらで質問させて頂きます。

質問内容については、私が再び書くよりも上記リンク先でFuji 3さんが分かり易く書かれていますので、そちらをご参照頂きたいと思います。

私は、ウィキペディアに参加して日が浅いのですが、幾つかの記事を読む中で、「何度も出てくる単語については、初回のみリンクをする」という理解の元、参加しています。

しかし、明確な根拠が無い為、私の編集が元での、編集合戦等で無駄なサーバへの負担は避けたいので、オフィシャル(統一)見解があるのであれば教えて頂き、また存在するのであれば、その根拠となる解説(記事)を教えて頂きたいのです。

一応、解説記事は一通り読んだつもりですが、既に記事として書かれている事項でしたら私の見落としです、申し訳ありません。

ご回答の程、よろしくお願いします。--218.46.73.54 2006年9月17日 (日) 16:48 (UTC)[返信]

おなじ語句が何度も登場する場合、過剰リンク回避の観点からリンクは一回でよい(何処に記載されてたか失念しました。役立たずで申し訳ない)とされていますが、各プロジェクト等において合意が得られているケースがあり、絶対一回とは言えないのが現実です。ただ、好ましいリンクと無駄リンクはある程度は明確です。例えば、

  1. 記事の全体量が多く長い記事においてはスクロールしないと閲覧できない事から、可読性向上を鑑み容認されやすい。
  2. 例えば記事下部の関連項目などで列記する場合、文中に出てきたかどうかで逐一区別する方がより煩わしい。等の編集の利便性に基づくもの。

などの頷けるものがあり、反面、

  1. 二行つづけて同一語句にリンクが設定してある(最悪同一行内ってケースもw)。
  2. 語句を青色で表示させる事を「強調表示」の手段として用いている(太文字の誤使用も同じ…)。

といった明らかに間違った使用法と言えるものも混在しているのが実情でしょう。判断に迷うものでなければ編集に取り組んでみてもよいのではないでしょうか? --Lan-Cruer 2006年9月17日 (日) 18:24 (UTC)[返信]

Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル#同一記事への多重リンクの是非につきましてですね。まだ完全に決まったルールという訳ではないようですが、そちらで話し合ってみるのはどうでしょうか?--P.N.沖島 遊 2006年9月18日 (月) 15:17 (UTC)[返信]
Lan-Cruerさん、P.N.沖島 遊さん、ご回答頂きありがとうございます。
やはり既に、議論がなされているんですね。現状では、記事の長さ等に応じて柔軟な対応が必要な様ですね。
貴重なご意見を参考にし、ウィキペディアに参加していきたいと思います。本当にありがとうございました。--218.46.73.203 2006年9月19日 (火) 14:40 (UTC)[返信]
P.N.沖島 遊さま、補足Thanksです。--Lan-Cruer 2006年9月19日 (火) 16:06 (UTC)[返信]

井戸端から移動 --SGreen 2006年9月25日 (月) 04:14 (UTC)[返信]

リンクについての経験則

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本項には、「記録的に売れたアルバムに含まれている個々の歌。「Helter Skelter」は記事に値するが、"Back in the U.S.S.R."は記事に値しない。」という記載がありますが、これは英語版を出典とすると思われるにもかかわらず、Wikipedia英語版からは削除されており、また、日本語版では「ヘルター・スケルター」と「バック・イン・ザ・USSR」の両者について、ともに独立した記事が設けられていますので、この記載は削除すべきではないかと思います。

また、「B.B. King」については、日本語版で「B.B.キング」という項目が設けられているので、内部リンクを修正したいと思います。とりあえず、1週間の間、意見をお待ちして、意見がない場合は上記の修正を行います。--Metatron 2007年1月16日 (火) 16:07 (UTC)[返信]

(賛成)問題ないと思います。B.B. Kingが何であるかわからない人には不親切でしょうから。--Clapon 2007年1月19日 (金) 10:17 (UTC)[返信]

B.B.キング関連の記載を修正しました。ビートルズの方は、次の項目が「同じように」で始まっているので、こちらと合わせた上で、分かりにくい英語版でのハインラインの例を削除して、次のようにシンプルにまとめた方がいいのではないかと思います。 --Metatron 2007年1月26日 (金) 14:56 (UTC)[返信]

<現在>

  • 記録的に売れたアルバムに含まれている個々の歌。「Helter Skelter」は記事に値するが、"Back in the U.S.S.R."は記事に値しない。
  • 同じように、ロバート・ハインラインの熱心なファンが(英語版において)したように全てに記事を用意して詳しく説明する場合を除いた、著者が書いた個々の本と短編小説。

<修正案>

  • 個別に記事を用意して詳しく説明している場合を除いた、個々のアルバム、曲、本、短編小説等。
特段ご意見がありませんでしたので、上記の修正案に沿って修文しました。 --Metatron 2007年2月8日 (木) 13:15 (UTC)[返信]

注意書き追加提案。「より限定的な意味を持つ項目をリンク先に選ぶ」

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へのいちと申します。より限定的な意味を持つ項目がある場合にはそちらへリンクしたほうがよい旨を記載しようという提案です。

たとえば、記事中の「アメリカ海兵隊」という語句からリンクをはる場合、アメリカ海兵隊とするよりもアメリカ海兵隊とするほうがよいというようなことです(ここで張ったリンクにマウスカーソルを当てるなどしてリンク先を確認してみてください)。ある記事を読んでいて「アメリカ海兵隊」という語句で引っかかったとき、まず必要なのは「アメリカ海兵隊」についての解説であって、イギリス海兵隊などについての解説も含んだ「海兵隊」という記事ではないですし、アメリカがいくつの州からなるかというような解説も含んだ「アメリカ」という記事でもないという事情です。もしも「アメリカ」や「海兵隊」そのものについて知りたくなったとしても、まず「アメリカ海兵隊」の記事に跳べばその中に「アメリカ」や「海兵隊」へのリンクが見つかるでしょう。この考え方は、記事にカテゴリ付けする際に最も細分化されたカテゴリを付与するようにしていることと同じ考え方です。

(蛇足なので小さく書きます) 今の例は、単語を細切れにしてリンクを張るようなことはしないというように見えるかもしれませんが、もう少し推し進めると、必ずしもそういうわけではありません。たとえば、単に「海兵隊」という語句が現れるだけであることから「海兵隊」へのリンクが張られているようなケースの中には、実のところ「アメリカ海兵隊」へ言及しているのに、それが文脈上明らかだという理由で「アメリカ」が略されて「海兵隊」となってしまっているものもあります。こういうときもリンク先は「アメリカ海兵隊」のほうがいいのだと思います。

で、結局記載したいのは、

  • より限定的な意味を持つ項目をリンク先に選ぶ。たとえば「アメリカ海兵隊」という語句からリンクを張るときには、「海兵隊」という項目へリンクを張るよりも「アメリカ海兵隊」という項目へリンクを張るようにしましょう。

というような記述です。実際に多くの方が実行していることだと思いますが、これについての記載がないのでお諮りする次第です。--へのいち 2008年3月13日 (木) 09:13 (UTC)[返信]

上の書き込みのあと、実際に、「海兵隊」へのリンクのうち「アメリカ海兵隊」へのリンクのほうが相応しいと思われるものを探して修正する作業をやってみました(→作業の記録)。あとから探すのはけっこう大変なうえ、(私は門外漢なので)リンクを付け替えるべきかどうか判断に迷うものもありました。始めに書いたときに少し気をつけてリンクを張っておいて貰うほうがいい、という考えを再確認した次第です。--へのいち 2008年3月14日 (金) 00:52 (UTC)[返信]
へのいちさん、初めまして。確かに、へのいちさんの挙げられたような例にしばしば出会いますから、”より限定的な意味を持つ項目をリンク先に選ぶ”という記述は確かに必要だと思います。ただ、「アメリカ海兵隊」へ言及しているのに、それが文脈上明らかだという理由で「アメリカ」が略されて「海兵隊」となってしまっているものという例は最初は「アメリカ海兵隊」という語句があるはずなので、それにリンクを張れば後に、出てくる略された「海兵隊」にはリンクは要らないと思います。それはさておき、その記述は是非書き加えましょう。--モトカル 2008年3月14日 (金) 10:06 (UTC)[返信]
へのいちです。モトカルさん、コメントありがとうございます。記述追加に賛成とのご意見ですね。しばらく(二、三週間でしょうか)待って反対がなければ書き加えようと思います。ところでご指摘の“最初は「アメリカ海兵隊」という語句があるはず”という点ですが、たしかにそういう場合が多いようですね。ご指摘ありがとうございます。--へのいち 2008年3月17日 (月) 06:43 (UTC)[返信]

提案者のへのいちです。せっかくご賛成いただいたのにそのまま放っておいてすみません。その後、この提案と同様の提案が「記事どうしをつなぐ」のほうで出されて、そちらに明記されることとなったようです。そちらのほうが場所としても相応しそうで、これでこちらの提案は本懐を遂げたと思います。賛成いただいたモトカルさんには申し訳ありませんが、勝手ながらこれで終了とさせていただければと思います。--へのいち 2009年3月10日 (火) 10:04 (UTC)[返信]

難しい単語や専門的な用語へのリンク

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内部リンクの張り方ですが、3つ疑問点があります。

1つ目は『関連するリンクだけ』という説明ではよく判らないのです。記事全体は、まっとうに書かれていれば全ての文章が主題に関連することについて言及しているはずで、その「関連度合い」は間違いなく関連しているものから、限りなく薄い関連のものまでそれぞれの単語の関連度合いがグラデーションを描いていて、その尺度は個人の主観で変わってきます。『関連するリンクだけ』では余りにもあいまいなまま放置されているようで気持ちが悪いのですが、他の方はどうお考えでしょうか?

2つ目は表題の「難しい単語や専門的な用語へのリンク」を積極的に推奨すべきではないかという疑問です。私も記事を書いていて、特に新規作成後は数日の内には他の編集者の手で日本アメリカなどの簡単な単語にわざわざ追加でリンクが張られます。こういった単語はおそらく誰もことさらそのリンクをたどって調べようとはしない、あまりにも簡単な単語であるため、内部リンクを張る必要が無いと思うのですがいかがでしょうか?そしてその反対に、主題に強く関連している場合は当然としても、たとえ主題とそれほど関連が無くとも難解な単語、読んでいて知らない言葉に出くわしたら、場合によってはリンクをたどってゆく可能性が非常に高いと思うのです。記事を書く時は難解な単語や専門的な単語には積極的にリンクを張る事を推奨した方が記事が良いと思うのですがいかがでしょうか? まあ、実際には多くの記事でこういった専門的な単語へリンクを付けるという配慮はなされているのが現状だとは思いますが、公式の推奨には含まれていない訳です。私が期待するのは公式に専門用語、難解な単語にリンクを張ると言うバイアスが掛かることで判りきった単語へのリンクが減るのではないかと言う期待があるからです。

さらにいえば、他の方の賛同が得られるかは自信があまりありませんが、主題との関連性にリンクの必要性・正当性を求めることが正しいといえるのでしょうか?私は記事の文章中で現れる単語に読者が「あ、これ知らないな、どういう意味だっけ?」と疑問を感じた時にリンクをたどれるようにするのが正しいやり方であり、主題との関連は二の次ではないかと思うのです。

個人的には、日本アメリカメートルなどは出来るだけリンクするな!と規定したいところですが、主題にぜんぜん関連していないとも言い切れないようで「考慮すべきガイドライン」を変えるのが良いかと考えました。

3つ目は、現在ここのガイドラインに書かれている『リンクすべきでないもの 単なる日本語の単語』という表現では、何が『単なる日本語の単語』に相当するか示していないので、雰囲気は伝わっても、その実、何も規定していない100%むだな表現だと考えますが、いかがでしょうか?--Tosaka 2008年5月21日 (水) 16:20 (UTC)[返信]

全体的に改訂が必要だと思います。英語版からの翻訳のせいもあるでしょうが、説明が不十分かつ難解で、このような内容ならむしろ無い方がマシではないかとさえ思います。
Tosakaさんが挙げられている(1)については、まったくその通りで、言及されている以上は関連性が皆無とは言えないはずです(むしろ「関連性が低い項目は、読者が知らない内容である可能性が高い」とも考えられますら、リンクは必要でしょう)。 (2)についても基本的に賛成ですが、読者が知っているであろう項目についても、読者が気まぐれにリンクを開く可能性、あるいは何か別の調べ物を思い出してリンクを開く可能性もありますし(百科事典で暇つぶしする時のことを考えると、そういった幅広い記事へジャンプする可能性を確保したいという気持ちもあります)、リンクがあったところで邪魔にはなりませんから、日本だとかメートルなどもリンクすべきだと私は考えます。Tosakaさんが(2)の後半部で仰られている意見には近いかと思います。 (3)については、確かに「何か言っているようで、実は何も言っていない」ようなものですから、削除しても構わないでしょう。--氷鷺 2008年7月10日 (木) 10:34 (UTC)[返信]
へのいちと申します。
リンクというものが、そこから辿って別のページへジャンプするというだけのものであれば、おっしゃるとおりだと思います。しかしウィキペディアにおいては、それはリンクというものの持つ機能の一面にすぎません。
ウィキペディアにおいてリンクの持つもうひとつの重要な機能は、逆に辿れるということです。ウィキペディアには、各解説ページの「リンク元」をリストアップする機能が備わっています。何か調べ物をするときに、その用語なり概念なりがどんなところでどんな風に使われているのかを知ることは意義深いことです。もしも「リンク元」リストが、関係の薄いものが多すぎて役立つものが埋もれてしまうようなことになったならば、せっかくのこの機能が死んでしまいます。一方、リンクを順方向に辿って別のページへジャンプするという機能については、検索機能で肩代わりできるものです。
ウィキペディアを調べ物に活用している一ユーザーとしての意見でした。いかがでしょうか。 --へのいち 2008年7月11日 (金) 02:58 (UTC)[返信]
突然すいません。
僕も、改定の余地があると思います。1つ目については大賛成です。例えばあるリンクについて、この方針に反するのか反しないのかという判断をするとき、今のガイドラインでは抽象的すぎて分かりにくいと思います。2つ目についてですが、ウィキペディアはその性質上、専門用語などが多用されすぎていて分かりにくい記事がたまにあります。そのようなときに、その単語の内部リンクが主題と関連していなかったとしても、役立つものであると僕も思います。しかし、それを簡単な単語にまで多用することによって見にくくなったり、分かりにくくなったりしては意味がないです。(その線引きは難しいですが。)「日本」「アメリカ」などの簡単な単語のリンクも、そこにリンクが貼られていることによって別の文が見にくくなったり、利用者をまどわすようなことがあれば消すべきだと思います。必ずしもそうでなければ、貼られたままでいいのかなと思います。3つ目については皆さんと同意見です。--W.CC 2010年3月28日 (日) 13:17 (UTC)[返信]

このまま「考慮すべきガイドライン」という位置づけでよいのか

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上記の「リンクがあっっても邪魔にならないし、幅広い記事へジャンプする可能性を確保したいという気持ちがある」という氷鷺さんの意見にまったく同感です。結局の所、どこまでを関連しているとするのかを決めるのは個人の主観により大いに違ってくると思います。それに対し、記事が存在するすべての語にリンクを張ることはウィキペディアにその語についての記事が存在していることを示すことになります。また、その記事の内部リンクや関連項目などを辿って行くことは知識を広げることに止まらず、新たな執筆意欲を高める機会を作ることにもつながります。

そのようなことを考えれば、この「内容に関連するリンクだけを作成」というガイドラインが何故必要なのかと思いますし、「私論」ではなく「考慮すべきガイドライン」と位置づけられていることを残念に思っています。これを機会に、本項目を「考慮すべきガイドライン」と位置づけすることがよいのかということをみなさんに一度考えて頂きたいと思います。----モトカル(会話) 2008年7月10日 (木) 12:09 (UTC)[返信]

「存在するすべての語にリンクを張る」には反対です。数字・助詞・記号でもリンクは張れるので記事内容から黒文字が殆どなくなってしまいます。ウィキペディア全体への影響も大きいでしょう。--瑠璃川 2008年7月19日 (土) 15:37 (UTC)[返信]
瑠璃川さん、初めまして。よく考えて頂きたいのですが、内部リンクを張るのは基本的にその語に対して一回だけであり、辞書的な言葉などはウィキペディアに記事がないことの方が多いので、「黒文字が殆どなくなる」というのはちょっとオーバーです。私はできる限り内部リンクを張る方ですが、実際、記事の大部分が青リンクになるということはありません。一例として、ウィキペディアと類似した「はてなダイアリーキーワード」というオンライン辞書があります。ここのウィキペディアのキーワードもこんな感じです。「はてなダイアリー」の方もこんな感じです。別に「はてな」の回し者ではありませんが、このようにハイパーリンク を通じて、スイスイといろんな記事にアクセスできることはインターネットの大きな魅力だと思うのですが・・・--モトカル(会話) 2008年7月19日 (土) 17:06 (UTC)[返信]
今のところ議論は停止しているようですが、一応、考慮すべきガイドラインとして残すべきであるという意見を申し述べておきます。問題となる事例としてWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト キリスト教#一定の傾向を持つ、複数IPによる複数の独自研究編集と過剰な内部リンクを御参照下さい。--Kinno Angel 2010年4月5日 (月) 15:40 (UTC)[返信]

ガイドライン内容の大幅な変更提案

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PJ:内部リンクより転記) このガイドラインは、非常に小さく、分かりにくいものであると思います。特に「リンクするべきでないもの」に関しては問題点(あいまいな点)が多くあります。そこで、このガイドラインを改正するべきであると考えました。
(提案)
1.冒頭文

  • 「特に、文章の主題と関係なく年月日が出てくる場合にはそれらにはリンクしないでください。」を強調する。

2.1-1リンクするべきもの

  • 「ここで重要とは、・・・リンクすべきではありません。」を「ここで重要とは、ある記事がその名称と強く結びついており、その単語の意味が内容を理解する上で欠かせない単語である場合を指します。」と変更。(例示がマニアックで分かりにくい。)
  • 「それに関する記事が、存在すべきだと思われるもの全て。」を「それに関する記事が、存在するべきであると強く望むもの。」と変更。強い表現にすることで不要な赤リンクを減らす。

3.1-2リンクするべきでないもの

  • 「単なる日本語の単語」を「記事と関係の薄い日本語の単語」に修正。
  • 「結婚した年月日、本を出版した年月日・・・・と自分で考えてみてください。」を「結婚した年月日や本を出版した年月日など、その年月日において重要な事柄でないもの。『その出来事がその年月日で年表に登場したことはあっただろうか?』と考えてみてください。」と変更。(意味が分かりにくい。マニアックな例示。)
  • 「その記事と関係が薄い単語であり、比較的認知度が高く、解説の必要がないもの。」を追加

4.関連項目

  • 「赤リンク」を追加。ノートページを削除。

5.体裁

  • 文体をそろえる。文末を工夫する。(同じ文末が続かないようにする。)

いかがでしょうか。 --W.CC 2010年4月18日 (日) 06:45 (UTC) 修正--W.CC 2010年4月18日 (日) 08:43 (UTC)[返信]

コメント異議なしです。特に「その記事と関係が薄い単語であり、比較的認知度が高く、解説の必要がないもの」は是非とも入れていただきたいものです。--在宅ワーク 2010年4月18日 (日) 15:34 (UTC)[返信]
コメント まず、例示はどこかには残した方がいいでしょう。それは5の体裁と一緒に最後に考えればいいですかね。後のコメントは各サブセクションで。--iwaim 2010年4月19日 (月) 00:58 (UTC)[返信]

報告「Wikipedia:お知らせ」に報告しておきました。--iwaim 2010年4月19日 (月) 08:45 (UTC)[返信]

コメント 今、ほとんど提案者であるW.CCさんと私で話していますが、この議論を取りまとめていただくには、W.CCさんはちょっと経験不足なのではないかな、という印象をもちました。どのような内部リンクは推奨し、どのような内部んリンクは推奨しないのかについては、結構判断が難しいものもあります。登録してからの年月が短いとダメというわけではありませんが、提案内容ややりとりから、2010-02-28に登録なさったばかりのW.CCさんには、もう少し記事執筆での経験をつんでいただいた方が、この種の議論ではよい結果を生むのではないかと思います。もちろん、提案の方向性自体は良いと思いますし、この議論にも引き続きご参加いただきたいとは思いますが、「私がこのテーマを取りまとめるんだ」と気負うのではなく、どちらかといえば一歩ひいたぐらいの立場でご参加いただいた方がよさそうに思いました。ご検討ください。--iwaim 2010年4月19日 (月) 14:17 (UTC)[返信]

ずうずうしかったですか?失礼しました。「経験が浅いくせに何言ってるんだ。」と思われても仕方がない部分も正直あったと思います。不快な気持ちにさせてしまったのなら謝ります。すいませんでした。僕としてはiwaimさんの意見(新参者にはない豊富な執筆経験を基にした案)をもっとお聞きしたいと思います。 --W.CC 2010年4月20日 (火) 12:21 (UTC)[返信]
いえ、別にずうずうしいとは思っていませんし、不快でもないんですが、単純に「もうちょっと執筆経験を積まなければ、このテーマの議論を取りまとめることは大変なのではないかな」と思っただけです。このガイドラインが、現在は【リンクについての経験則】がメインになっているところから推察できると思いますが、内部リンクを張るか否かは、個別に検討するしかないという一面もあり、一般化するのは結構大変なのです。(少なくとも、私は一般化はかなり大変だと思う)--iwaim 2010年4月20日 (火) 15:12 (UTC)[返信]

議論は停止してしまったようですが、反対のなかった提案はしばらく時間を置いた後、編集に移させていただきたいと思います。 具体的には、「特に、文章の主題と関係なく年月日が出てくる場合にはそれらにはリンクしないでください。」という文の除去と、関連項目の修正および文末・文体の修正です。--W.CC 2010年5月27日 (木) 13:34 (UTC)[返信]

報告 反対のなかった一部提案について、そのとおりガイドラインを修正しました。残った2つの提案は、引き続きご意見を募集中です。--W.CC 2010年5月31日 (月) 13:49 (UTC)[返信]

冒頭

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  • 「特に、文章の主題と関係なく年月日が出てくる場合にはそれらにはリンクしないでください。」を強調する。

以上、W.CCさんの案 --iwaim 2010年4月19日 (月) 00:58 (UTC)[返信]

  • 反対 むしろ、この文の除去を主張します。記事中で言及された「年」には、原則的にリンクを張るべきだと…少なくとも、それが制限されるべきではないと考えます。--氷鷺 2010年4月20日 (火) 13:53 (UTC)[返信]
コメント この項を放置してしまってすみません。「1-2 リンクするべきでないもの」の議論より、考えが変わりましたので、この項の提案は取り下げさせていただきたいと思っています。--W.CC 2010年4月21日 (水) 11:37 (UTC)[返信]

1-1リンクするべきもの

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  • 「ここで重要とは、・・・リンクすべきではありません。」を「ここで重要とは、ある記事がその名称と強く結びついており、その単語の意味が内容を理解する上で欠かせない単語である場合を指します。」と変更。(例示がマニアックで分かりにくい。)
  • 「それに関する記事が、存在すべきだと思われるもの全て。」を「それに関する記事が、存在するべきであると強く望むもの。」と変更。強い表現にすることで不要な赤リンクを減らす。

以上、W.CCさんの案 --iwaim 2010年4月19日 (月) 00:58 (UTC)[返信]

コメント 「重要」については、意図が変わってしまっていますね。現在は【ここで重要とは、項目をつくるのに値する人々や出来事のことである】と定義されており、それは「Wikipedia:特筆性」でいう「特筆性」について言及しています。W.CCさんの仰る《ここで重要とは、ある記事がその名称と強く結びついており、その単語の意味が内容を理解する上で欠かせない単語である場合を指します。》については、その直前の項目【項目の主題と主に関わっているもの】を別の言葉で言い換えた+αという性質のものかと。そこは【項目の主題と主に関わっているもの】を前提として、かつ「特筆性」を有するものと理解できるように書き換えた方がいいとは思います。【それに関する記事が、存在すべきだと思われるもの全て。】についても、W.CCさん案の【存在するべきであると強く望むもの】についても、誰が望むのかが曖昧なので、これも「特筆性」の話にすべきかな。今のガイドラインは、箇条書きで5つかかれてますけど、3番目と5番目は2番目か4番目を前提とした話だと思うので、そこがわかるように書き換えた方がいいとは思います。現行4番目は言わんとすることはなんとなくわかるけど、わかりにくいので、そこも書き換え対象ですかね。--iwaim 2010年4月19日 (月) 01:18 (UTC)[返信]
「重要」の意図を変えたのはわざとです。執筆もされない赤リンクをどんどん生産されるのを防ぐために差し替えたのですが、ご指摘のとおり「Wikipedia:特筆性」の観点からして、現行の文も入れるべきであると考え直しました。両方の文(現行の文と提案の文)を組み込みましょう。
また、「誰が望むのか」ということですが、それは「執筆者や利用者が」ということです。現行の文の表現を変えただけで、意味は同じです。要は、「存在すべき」という執筆者の独断ではなく、「これがないと不便だ。」という客観的視点から判断してくださいということです。これも、主語を追加して後ほど再提案します。
(まとめ)
  • 「ここで重要とは、項目をつくるのに値する人々や出来事のことである。」を「ここで重要とは、ある記事がその名称と強く結びついていて、その単語の意味が内容を理解する上で欠かせない単語であること、また、項目をつくるのに値する人々や出来事を指します。」と変更。(例示は残します。現行文を追加)
  • 「それに関する記事が、存在すべきだと思われるもの全て。」を「それに関する記事が、存在するべきであると執筆者や他の利用者から強く望まれているもの。」と変更。強い表現にすることで不要な赤リンクを減らす。
これでよろしいでしょうか? (並び替えや細かい補足は後ほど細かく決めましょう。大筋でこんな感じということです。)--W.CC 2010年4月19日 (月) 13:09 (UTC)[返信]
「まとめ」とありますが、まとめるには時期尚早です。
「誰が望むのか」云々はもっと明確にいえばよかったですね。失礼しました。「それに関する記事が、存在するべきであると執筆者や他の利用者から強く望まれているもの。」では各自の主観で「俺が望んでいるんだ」と主張されると困ってしまうので、その表現ではダメでしょう。要するに「その記事が存在すべきだ」というものにはリンクしてもいいって話で、それを客観的に判断してほしいわけですから、「特筆性」に触れる必要があると考えます。--iwaim 2010年4月19日 (月) 14:27 (UTC)[返信]
賛成 なんだかんだ言って、結局ご指摘のとおり「特筆性」という表現を使うのが一番分かりやすそうです。「それの単語に関する記事が、「Wikipedia:特筆性」の観点から見て存在すべきだと思われるもの。」でよろしいでしょうか?
(「まとめ」というのは、あーだこーだ上の文でたくさん語って、「結局何が言いたいの?」といわれないように、とりあえず自分の意見を要約しただけです。誤解を招いてしまいすいませんでした。もちろんだいたいまとまってきたら、時期を見て本当の「まとめ」は必要だとは思いますが。)--W.CC 2010年4月20日 (火) 12:34 (UTC)[返信]

議論が一段落したので、再提案します。

  • 生年月日、死亡年月日
  • 項目の主題と主に関わっているもの。たとえばB.B.キングに関する項目であれば、「ブルース」「ギター」「歌手」にリンクするべきです。
  • 記事内で言及されている重要な名称。ここで重要とは、ある記事がその名称と強く結びついていて、その単語の意味が内容を理解する上で欠かせない単語であること、また、項目をつくるのに値する人々や出来事を指します。例えば、ある記事がローリング・ストーンズに言及しているならば、たとえローリング・ストーンズについての項目が存在しなくとも、そこにリンクするに値します。しかし、B.B.キングのベース奏者は、彼に関する項目が出来上がるまではリンクすべきではありません。
  • 一般に、記事内で触れられている幅広いトピックの、小説、自伝、サックス、ジャズ、アメリカ南北戦争等や、1960年代、17 世紀などの全体的なもの。
  • それの単語に関する記事が、「Wikipedia:特筆性」の観点から見て存在すべきだと思われるもの。多くの記事からリンクされれば、執筆が待望されている記事のリストに入るでしょう。

今までの議論をざっとまとめました。更なるコメントや賛成・反対の意思表示をいただければ幸いです。--W.CC 2010年5月1日 (土) 06:35 (UTC)[返信]

1ヶ月ほど経ちましたが、(提案後からは約2ヶ月)再提案には反対がなさそうですね。一応時間を置いた後、編集に移させていただきたいと思います。 --W.CC 2010年6月13日 (日) 12:25 (UTC)[返信]
コメント 全体的によくわからない記述になっている気がします。
まず、どれがリンクすべき記事名なのかわかりません。例えば《一般に、記事内で触れられている幅広いトピックの、小説、自伝、サックス、ジャズ、アメリカ南北戦争等や、1960年代、17 世紀などの全体的なもの》というのは、どれがリンクすべき記事名なのか不明確ですよね。もちろん推測はできます。しかしながら、ガイドライン系文書はそういう推測を期待するようなものではないと思います。
《それの単語に関する記事が、「Wikipedia:特筆性」の観点から見て存在すべきだと思われるもの》という表現だと、「特筆性」を有すると推測される単語すべてにリンクすべきであると述べていることになりますね。これはさすがにまずいのでは?「特筆性」に関しては《記事内で言及されている重要な名称》のところで同じ事が述べられていますので、そちらにまとめて書けばいいんじゃないですかね?--iwaim 2010年6月13日 (日) 23:51 (UTC)[返信]
編集競合しましたが、そのまま投稿します。
  1. ここで重要とは 』って、日本語としておかしくないでしょうか? 「ここでいう『重要』とは」とかでは…?
  2. ある記事がその名称と強く結びついていて 』は、記事中で用いられているある名称(単語)について、それに相当する別の記事(リンク先候補)がある、ということだと思うのですが、それならば、別の表現に言い換えた方が良いと思います。
  3. 追加部分の『その単語の意味が内容を理解する上で欠かせない単語であること 』というのが気になります。単語の意味がわからないのに、記事の内容を理解できるのでしょうか? すなわち、「記事の内容を理解する上で、意味を知っておく必要がない単語」が存在するのか、という疑問。
  4. ローリング・ストーンズやB.B.キングの例がかえってややこしい。
とりあえず、W.CCさんの案に対する意見のみ。--氷鷺 2010年6月13日 (日) 23:59 (UTC)[返信]
コメント とりあえず、氷鷺さんとiwaimさんの意見に対して、個人的な考えを述べさせていただきます。
  1. 『一般に、記事内で触れられている幅広いトピックの、小説、自伝、サックス、ジャズ、アメリカ南北戦争等や、1960年代、17 世紀などの全体的なもの』や、ローリングストーンズの例示については、原提案でも述べたとおり、分かりにくいものであると思います。しかしながら、他に良い例や言葉が見当たりません。皆さんのご意見を元に、もっと分かりやすい文章にしたいと思います。
  2. 特筆性については、iwaimさんのご意見(「記事内で言及されている重要な名称」へまとめて書く。)を支持します。書ききれない部分が出てきたら、Wikipedia:赤リンクへの転記も考えるべきではないでしょうか。
  3. ここで重要とは 』の表記については、氷鷺さんのおっしゃるとおりです。私のミスでした。
  4. ある記事がその名称と強く結びついていて 』については、具体的にどのような表現への言いかえをお考えでしょうか?--W.CC 2010年6月14日 (月) 13:21 (UTC)[返信]
ある記事がその名称と強く結びついていて 』は「リンク先として適切な記事があり」ではどうでしょう? --氷鷺 2010年6月14日 (月) 13:28 (UTC)[返信]
コメント 修正してみると、「記事内で言及されている重要な名称。ここでいう『重要』とは、リンク先として適切な記事があり、その単語の意味が内容を理解する上で欠かせない単語であること、(以下略)」となりますね。随分分かりやすくなったと思います。ご指摘ありがとうございました。--W.CC 2010年6月15日 (火) 12:44 (UTC)[返信]
コメント さて、『一般に、記事内で触れられている幅広いトピックの、小説、自伝、サックス、ジャズ、アメリカ南北戦争等や、1960年代、17 世紀などの全体的なもの』についてですが、これは『一般に、記事内で触れられている幅広いトピック。例えば、「道路(主要地方道など)」「学校(公立学校など)」「小説」など。また、「1960年代」や「17世紀」などの全体的なもの。』と改めてはいかがでしょうか。書き換えて意味が変わってしまった場合や、余計に分かりにくくなった部分はご指摘ください。
また、ローリング・ストーンズやB.B.キングの例については、削除を提案します。『記事内で言及されている重要な名称。ここでいう「重要」とは、リンク先として適切な記事があり、その単語の意味が内容を理解する上で欠かせない単語であること、また、項目をつくるのに値する人々や出来事のことを指します。』という文だけで十分意味が伝わると思うからです。もしもこの文で不十分ならば、ローリング・ストーンズやB.B.キングよりも分かりやすい例示を希望します。--W.CC 2010年6月18日 (金) 13:04 (UTC)[返信]
コメント 例示にしても「道路」って記事にあまりでてこない気がするので積極的に例に挙げる必要はないと思います。また、《「1960年代」や「17世紀」などの全体的なもの。》はよく意味がわかりません。全体的って何?
たぶん、W.CCさんはこういうものを的確に表現するにはまだ力不足なのだと思います。時間がとれるときに代替案を考えてみますね。--iwaim 2010年6月19日 (土) 03:40 (UTC)[返信]
コメント 個人的に道路記事を編集することが多いので、「道路」を例示として使いました。記事にあまり出てこないというのは言い過ぎではないでしょうか?もっとも、他にいい表現はいくらでもあると思いますので、代替案に期待します。『「1960年代」や「17世紀」などの全体的なもの。』については意味や意図することが分からなかったので、一応、現行ガイドラインから消さずに残しておいただけです。深い意味はありませんので、iwaimさんが代替案で削除するのであれば反対しません。--W.CC 2010年6月19日 (土) 04:28 (UTC)[返信]

(提案)以下の項目の追加を提案します。

  • 文中で表記された年。「その年」「翌年」「十年後」など代名詞的なものは除き、西暦の年には必ずリンクするべきです。
    • 日本における「平成以前」の元号(昭和、大正、明治、慶応など)や、その他の暦(フランス革命暦やイスラム暦)や元号、いわゆる西暦でもグレゴリオ暦以前のもの(ユリウス暦など)など、現在の日本語圏(≒日本)で使用されている暦(暦法・元号)とは異なるものが使用されている場合は、その暦法や元号へのリンクを張るべきです。
  • 単位のうち、日本語圏(≒日本)の日常生活で使用頻度の低いもの(基本的な単位系では、ナノメートルとかセンチリットルなど。尺貫法、ヤード・ポンド法、など)や、その他学術的なもの(ボルト、ヘクトパスカル、ケルビン、ニュートン、など)はリンクすべきです。

メートル、キログラム、秒などについては、特にリンクすべきともすべきでないとも思いませんので、外しました。(ほぼ全ての人に「感覚として」理解されているだろうけど、正確に定義を知っている人は稀でしょう)--氷鷺 2010年6月13日 (日) 23:59 (UTC)[返信]

賛成 「1-2」の議論で出てきたものですね。下でも述べましたが、提案に全面的に賛成します。--W.CC 2010年6月14日 (月) 13:21 (UTC)[返信]

1-2リンクするべきでないもの

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  • 「単なる日本語の単語」を「記事と関係の薄い日本語の単語」に修正。
  • 「結婚した年月日、本を出版した年月日・・・・と自分で考えてみてください。」を「結婚した年月日や本を出版した年月日など、その年月日において重要な事柄でないもの。『その出来事がその年月日で年表に登場したことはあっただろうか?』と考えてみてください。」と変更。(意味が分かりにくい。マニアックな例示。)
  • 「その記事と関係が薄い単語であり、比較的認知度が高く、解説の必要がないもの。」を追加

以上、W.CCさんの案 --iwaim 2010年4月19日 (月) 00:58 (UTC)[返信]

コメント W.CCさん案2番目、《その年月日において重要な事柄でないもの》ってのは違うと思います。例示の【1961年にボブ・ディランがニューヨーク市に到着したというのは、その時代精神を示すので、重要である】を例に説明しますと、項目「ボブ・ディラン」のその記述の「1961年」にはリンクすべきなのですが、「1961年」にとって、ボブ・ディランがニューヨーク市に到着したかどうかはあまり重要ではないですよね。例示がマニアックというのであれば、変にそこを一般化しようとせず例示だけを削ればいいんじゃないでしょうか。そもそも、一般化されている上に例示が記述されているのですから。それとも、現ガイドラインのその箇所の「一般化」が理解しづらいということですか?
W.CCさん案3番目、追加する意味あるのかな、と思います。W.CCさん案1番目を換言しただけな気はします。そもそも、関連が薄い時点でリンクすべきではないのですから、その認知度は無関係かと。ただ、W.CCさんや在宅ワークさんはこれが必要だと判断なさっているのですから、私が何か気づいてないだけかも知れません。これを追加することでどのような効果が期待できるのか教えていただけないでしょうか? --iwaim 2010年4月19日 (月) 01:29 (UTC)[返信]
コメント 要するに、「1961年」にとって「ボブ・ディランがニューヨーク市に到着した」ことが重要でないなら、そのリンクを削除すべきであるということです。そもそも「ボブ・ディラン」さんについて調べている利用者さんが「そうかそうか、じゃあ1961年には他にどんな出来事があったのかな?」なんて言ってその記事の途中で別リンクへ飛んでいくなんてことはないでしょう。正直不必要なリンクであると思います。その不要リンクがあることで、「1961年のリンク元」は、利用者に必要な情報を提供できる場でなくなっています。それこそ、「『その出来事がその年月日で年表に登場したことはあっただろうか?』と自分で考えてみてください。」という文の意図するところではないでしょうか?
提案項目3番目は、ご指摘のとおり、1番目と重複していますので、「①記事と関係の薄い日本語の単語であるもの。」「③比較的認知度が高く、解説の必要がないもの。」にそれぞれ変更させていただきます。(議論の流れを見て、インデントを戻し、再提案します。)また、この③の追加によって、「日本」や「昭和」などの「ただそこにその言葉があるだけなのにリンクがされている」ものが排除できると思います。日本昭和などと関わりが深いなら別として、余分な単語にも沢山リンクが張られてしまっている現状を見直すための項目です。(←例) --W.CC 2010年4月19日 (月) 13:43 (UTC)[返信]
コメント うーん……。《そもそも「ボブ・ディラン」さんについて調べている利用者さんが「そうかそうか、じゃあ1961年には他にどんな出来事があったのかな?」なんて言ってその記事の途中で別リンクへ飛んでいくなんてことはないでしょう。正直不必要なリンクであると思います》ということですが、それは現行の【1961年にボブ・ディランがニューヨーク市に到着したというのは、その時代精神を示すので、重要である。】と正反対のことをいってますよね。とすれば、これは議論を尽くすべきことだと思います。私としては、その例示にあるように、時代背景を知るために有用なリンクであると判断します。《議論の流れを見て、インデントを戻し、再提案します》については、文案を出すのはW.CCさんでなくてもいいので、しばらく議論をしていきましょう。
《「③比較的認知度が高く、解説の必要がないもの。」》には反対します。これを盛り込むと、たとえば記事「ギター」などはどの記事からもリンクすべきではないと言っているようにもとれます。--iwaim 2010年4月19日 (月) 14:06 (UTC)[返信]
コメント”文案を出すのはW.CCさんでなくてもいいので、しばらく議論をしていきましょう。”もちろんそのつもりですよ。ただ、分かりやすい議論を展開するためにも、『いろんな意見ががぐちゃぐちゃ乱立している』ということを防ぐために一度まとめという形で再提案することも考えています、ということです。現時点ではもちろん考えていませんよ。時期はちゃんと見極めるつもりです。
(年月日については長月みどりさんの意見の下に書きます。)③についてですが、①さえあれば③は確かに不要かもしれませんね。ただ、①は何が関係が深いのかという点が曖昧ですから、何か補強できるような文が必要な気がします。(もちろん各記事のノートページで「○○は必要。」と議論していくのが一番ですが、きりがないですし。もし何か全般的に言えるような定義があれば追加したいです。もしもの話ですが。) --W.CC 2010年4月20日 (火) 13:00 (UTC)[返信]
コメント 「1961年」にとって「ボブ・ディランがニューヨーク市に到着した」ことが重要でないとのことですが、ボブ・ディランの記事の主題は「ボブ・ディラン」さんというひとりの人物です。その人物にとって「1961年」が特筆すべき年であるのでしたらリンクすべきだと考えます。主題にとって重要な単語にリンクするのではないのでしょうか。
また、その出来事がその年月日で年表に登場したことはあっただろうか?という視点からでは、著名な人物でない限り生年月日へのリンクも不要になるのではと思います。年表に生年月日が登場するからではなく、その人物にとって生年月日が重要であるからこそリンクしているのではないでしょうか。--長月みどり 2010年4月19日 (月) 19:04 (UTC)[返信]
賛成 特筆性についてすっかり忘れていました。(上ではいろいろ議論してるのに・・・ふぅ。)ご指摘ありがとうございます。要は、考えるべきことは「その出来事がその年月日で年表に登場したことはあっただろうか?」ということではなく、「その記事にとってその年月日は本当に特筆すべきものなのか?」ということですよね。原文から差し替えが必要ですね。 --W.CC 2010年4月20日 (火) 13:08 (UTC)[返信]
コメント 割とよく見かける誤解だとは思いますが、「Wikipedia:特筆性」でいうところの「特筆性」は、個別記事内に記載される事柄などを「掲載すべきか否か」と判断する基準ではありません。長月みどりさんが仰る『特筆すべき年』ってのは「特筆性」の話ではないので……。それはともかく、《「その記事にとってその年月日は本当に特筆すべきものなのか?」ということですよね。原文から差し替えが必要ですね》については、なんかすごい勘違いの下に《原文から差し替えが必要ですね》と仰っているような懸念があります。そもそも、今は内部リンクをどうするのかという話なのですから《「その記事にとってその年月日は本当に特筆すべきものなのか?」ということですよね》については明らかに誤りでしょう。--iwaim 2010年4月21日 (水) 14:12 (UTC)[返信]
コメント なにか誤解なさっているかもしれません。まあ、僕の表現力のなさが誤解を与えてしまっているようですが。僕は特筆性については理解しているつもりです。その上で「その年月日は本当に特筆すべきものなのか?」と書いているんです。要するに、「年月日を掲載すべきか否か」ではなく、「その記事にとってその年月日の記事が必要かどうか。」と考えているんですよ。そして僕の考えは、「時代精神を表すために必要」であるということです。それを考慮した上で、年月日への内部リンクをすべきだと思っています。認識の違いを与えてしまって申し訳ありませんでした。しっかりと理解できる発言を心がけます。--W.CC 2010年4月22日 (木) 11:24 (UTC)[返信]
コメント 「特筆」の意味については適当な国語辞典で引いていただければご理解いただけると思いますが、記述することを示す表現であるため、内部リンクを付与するか否かということを表現するために「特筆」という表現は不適切です。意思疎通の妨げとなりますので、言葉は的確に使って下さい。--iwaim 2010年4月22日 (木) 13:14 (UTC)[返信]
コメント 了解しました。適切な表現を使うよう心がけます。--W.CC 2010年4月24日 (土) 03:20 (UTC)[返信]
  • 反対 いずれも反対です。「年」は、その時代を理解するのに必要であり、むしろ、なるべくリンクを張るよう推奨すべきです。そもそも、ウィキペディアは百科事典です。様々な事柄を扱っています。そして、捲るのに時間のかかる何百何千ページの紙製の百科事典ではなく、ハイパーリンクで記事同士が結ばれた、瞬間的に他の記事を参照できる百科事典です。別の記事へのリンクをむやみに制限することはないでしょう。サイドバーに「おまかせ表示」があるように、そういう、様々な記事との出会い、アクセサビリティにこそ、ウィキペディアの価値があると考えます。文中に言及されたのに、関係ない、要らないと切り捨てる「必要」があるのですか? 「関係ない」わけがないでしょう? 文中の意味・用法とは異なる「間違った」リンクや、特別な意味がない(特別な意味に言及されていない)数値・文字へのリンク、代名詞や形式名詞など、ごく少数の「リンクするべきでないもの」を解説すれば十分ではないでしょうか。--氷鷺 2010年4月20日 (火) 13:53 (UTC)[返信]
    • 賛成 「年月日」へのリンクについては前述のとおり、特筆性の観点やご指摘のとおり、その時代を理解するためにも、重要な意味を持つと思います。そもそもほとんどの年代に記事があるわけですから、よっぽどの事情や項目でない限り、そのリンクを削除する必要はないと思いますよ。
      前のコメントと重複しますが、重視すべきは「年表に登場したか」ではなく、「時代精神をあらわすためにその年月日が必要か」と言うことだと思います。こう考えると、いらない年月日へのリンクはごく限られた少数でしょうが。 --W.CC 2010年4月21日 (水) 12:12 (UTC) インデント調整 --iwaim 2010年4月21日 (水) 14:24 (UTC)[返信]
      • コメント うーん、W.CCさんはもう少し落ち着いてもらった方がいいと思います。《重視すべきは「年表に登場したか」ではなく、「時代精神をあらわすためにその年月日が必要か」と言うことだと思います。こう考えると、いらない年月日へのリンクはごく限られた少数でしょうが。》について、どういう意図で発言なさっているのかは掴みかねるのですが、《「……その年月日が必要か」》というのはここでは話していないわけです。各記事にその年月日が必要かどうかは内部リンクとは関係ありません。また、《「時代精神をあらわすために……」》と、わざわざ「時代精神」などということを出してくるのは、他者の意見をなんとなく理解したつもりになって議論しているか、もしくは自分の意図する内容をうまく文章化できていないのどちらかだと思います。いずれの場合も、もう少し落ち着いて考え、もう少し落ち着いて意見をまとめ、もう少し落ち着いて文章化していただく方がお互いのためだと思います。提案者であるから気負いがあるのかも知れませんが、そんなに急がなくてもいいです。落ち着いてください。--iwaim 2010年4月21日 (水) 14:24 (UTC)[返信]
        • コメント ご要望どおり、「重視すべきは~少数でしょうが。」について補足します。「各記事にその年月日が必要かどうかは内部リンクとは関係ありません。」とのことですが、僕が言っているのは、「時代精神をあらわすためにその年月日への内部リンクが必要か」ということです。年月日の記述自体をさしているわけではありませんよ。だって、内部リンクについて議論しているわけですから。もう少し補足しますと、「その記事において、『1975年 - Aが起こる』などと年月日が書かれた場合に、その"A"が起こったときの時代精神を含む歴史的背景を理解するために、その時代へのリンクを貼るべきであるのかを考慮してください。」ということです。(この文ならば分かりやすいですか?)議論姿勢に関することについては、議論終了後じっくりご指南いただきたいと思います。いろいろ並べ立てられるよりは、簡潔に「もうすこし分かりやすく、誤解を与えない表現で。」の一言で十分です。具体的なことについては、後ほどゆっくり伺い、今後の議論姿勢の参考にさせていただきたいと思います。ご迷惑おかけしますがよろしくお願いします。--W.CC 2010年4月22日 (木) 11:54 (UTC)[返信]
          • コメント 説明ありがとうございます。仰っていることが理解できました。これからもより的確に記述するように心がけていただければと思います。で、本題。年月日の「年」についてのW.CCさんの現在の意見は理解できましたが、「月日」の方はどうでしょうか?何か意見をお持ちですか?--iwaim 2010年4月22日 (木) 13:14 (UTC)[返信]
            • コメント 横槍失礼します。「月日」に関してですが、その記事に直接かかわりが無い日は、リンクさせる必要性はないと考えます。例えば、関ヶ原の戦いならば9月15日_(旧暦)は徳川家康が石田三成を破った決定的な日なので重要であり当然リンクすべきと考えますが、関ヶ原の前後の出来事の日付をリンク(しかも旧暦)でさせるかと重要でもないのでいらないと考えます(参考→Wikipedia:秀逸な記事の選考/関ヶ原の戦い)。他の記事にも同様のものがあるかもしれません(元禄赤穂事件大石良雄吉良義央を討ったとか)。皆さま、どうお考えでしょうか?--Wushi 2010年4月22日 (木) 14:20 (UTC)[返信]
              • コメント 月日については、年のように「リンクを張るべき・推奨すべき」とは思いませんが、些細なことでも、それが日付の記事に繋がっていれば「百科事典」の記事の繋がりがより複雑になって、より様々な記事に「飛べる」ようになるので、ガイドラインで明確に禁止・制限することは避けていただきたいと思います。そこは記事の内容(や暦法など)を考慮して、執筆者・編集者が各自決めたほうがよいでしょう。メインページに「今日は何の日」があるように、おそらく需要はそれなりにあるかと思います。AからBへのリンクについて考えるときに、AがBで言及されるようなことかどうかなど、判断基準にすべきではないと考えます。--氷鷺 2010年4月22日 (木) 15:07 (UTC)[返信]
                • 賛成 ガイドラインで一般化して書くべき性質のものではないと思います。臨機応変にリンクをつけるかつけないのか判断したほうがいいと思いますよ。年と違って、「別の年のその月日に何があったのか」という情報が重要であるとは限りませんし。(需要がないとは言いませんが)--W.CC 2010年4月24日 (土) 04:15 (UTC)[返信]
  • コメント些細な言葉であってもできる限りリンクはつけるべきだと思います。たとえ赤リンクであってもそこから別のリンクしているページへは「リンク元」経由で逆参照ができ、たどれるから意味はあるのです。それよりも、「パイプ付きリンク」や「アンカーへのリンク」は乱用を戒める文言を設定してほしいとは思います。私はブラウザの機能をほとんどカットしている関係で、移動先で言葉が変わっていてクリックした箇所を間違えたかと見返すことがたびたびあるものですから、やはり、リンク元とリンク先はそう軽々しく言葉を変えないでほしいと思います。--Bellis 2010年4月20日 (火) 14:16 (UTC)[返信]
    • コメント このガイドラインは、「内部リンクを減らすため」のものではなく、「必要なリンクを残すため」のものだと思います。(今さらな話ですが)だからこそ、氷鷺さんの仰っている「文中の意味・用法とは異なる「間違った」リンクや、特別な意味がない(特別な意味に言及されていない)数値・文字へのリンク、代名詞や形式名詞など」の「記事と関係の薄い日本語の単語」へのリンクは残すべきではありません。(前述のとおり、補強が必要な定義だとは思いますが。)ですから、些細な言葉でもどんどんリンクしてしまうのは、危険だと思います。特に赤リンクについては「Wikipedia:特筆性」の観点に基づいたリンク選びが欠かせないものだと考えていますが、いかがでしょうか? --W.CC 2010年4月21日 (水) 11:56 (UTC) インデント調整 --iwaim 2010年4月21日 (水) 14:30 (UTC)[返信]
    • コメント 《それよりも、「パイプ付きリンク」や「アンカーへのリンク」は乱用を戒める文言を設定してほしいとは思います》についてはそういう意見は理解できなくもないですが、このガイドラインのテーマとは外れると思うし、別のガイドラインでも、そのような規定は作るべきではないと思います。ただし、Bellisさんの仰る「乱用」の程度次第なのかな、とは思います。「乱用」の定義次第では織り込むことも可能かも知れない。そこで、どのようなケースが「乱用」であり、どのようなケースが「乱用」ではないかを教えていただけますか?--iwaim 2010年4月21日 (水) 14:30 (UTC)[返信]
  • コメント いろいろなご意見がありますが、例えばこちらはリンクしすぎではないかなと思います。これをみて、リンクがあまりに多いと読みにくく、適度にあることがよいように感じました。--長月みどり 2010年4月21日 (水) 18:58 (UTC)[返信]
    • コメント 「リンクが多すぎて読みにくい」と仰るので、文字の6割7割とかそういうレベルを勝手に想像していたのですが……リンクの「量」だけを考えると、私はまったく問題がないと感じました。近い位置での過度の重複リンクや、あまり内容を期待できそうにないリンクなども多いですが…この程度の「青字率」であれば、わざわざガイドラインで制限するほどのことだろうかと疑問に思います。普通に、適切にリンクを張っていった結果、このぐらいのリンクの数になることは、あり得ると思います。リンク同士が過度に「接触」しているわけでも、段落全体(の大部分)が青くなっているわけでもありませんし、「この程度でもそう感じる方もいるのだな」という印象です。もしかしたら、個人の感覚・考え方だけでなく、ブラウザ・フォント・外装といった閲覧環境によるのかもしれませんね(IE8はFirefoxに比べてリンクが水色っぽかったような気がします…)。--氷鷺 2010年4月22日 (木) 15:07 (UTC)[返信]
    • コメント これは良いサンプルなのだと思います。量については私は全然気になりませんでした。たぶん「ウィキペディアではリンクが結構張られており、しかもその中には私にとってたどる必要がないものもある」という認識があり、慣れているからなのでしょう。それがウィキペディアへの慣れなのかハイパーテキストへの慣れなのかはわかりませんが。
      私は、量で規定するべきではないと思いました。氷鷺さんの仰るように、これぐらいの量だと適切なリンクだけでもあり得ると思います。ですから、質で判断すべきでしょうかね。この例だと例えば登場人物「ジャン」の解説部分にある「変身」なんかは、リンク先が曖昧さ回避だということもあり、リンクしないことを推奨した方がよいとは思いました。--iwaim 2010年4月22日 (木) 16:08 (UTC)[返信]
      • コメント 説明不足でどうもすみませんでした。リンクの「量」や読みやすさについては個人差があることを理解しておりますので、これ以上はふれないことにします。適切なリンクで量が多くなるのはもちろんかまわないと思います。わたしが今回例に挙げさせていただいたのは、リンクの「質」がどうかという点でも疑問に感じたものです。この例にあるなどは、リンク先をたどる方がどれくらいいらっしゃるかはわかりませんが、登場人物と全く関連がない単語ではありません。このような場合の判断ですが、リンクしてもよいのか、しないほうがよいのか、これまでの議論から迷っています。コミュニティの合意による文書を根拠として編集を行うべきだと考えていますので。--長月みどり 2010年4月22日 (木) 19:21 (UTC)[返信]
        • コメント 他言語版を見ているときの話です。多言語だと言葉の区切りがわかりにくくて、些細な言葉であってもリンクが張ってあると助かる場面って結構あります(タイ語版とか、自分は言葉の区切りすら苦労しました)。重複リンクについても、繰り返しリンクして貰った方が助かる場面も結構あります。他言語話者からすれば日本語版でも同じではないかと推察します。--Bellis 2010年4月24日 (土) 03:54 (UTC)[返信]

最後のコメントから1週間たち、議論も落ち着いてきたようなので、再提案(まとめ)をしたいと思います。

  • 文中の意味・用法とは異なる「間違った」リンクや、特別な意味がない(特別な意味に言及されていない)数値・文字・単位へのリンク。代名詞や形式名詞などへのリンク。
  • 重要でない年月日が出てくる場合。その記事において、『1975年 - Aが起こる』などと年が書かれた場合に、その"A"が起こったときの歴史的背景を理解するために、その時代へのリンクを貼るべきであるのかを考慮してください。例えば、「1961年にボブ・ディランがニューヨーク市に到着した」というのは、その時代精神を示すので、重要です。
  • 個別に記事を用意して詳しく説明している場合を除いた、個々のアルバム、曲、本、短編小説等。

更なるご意見や賛成・反対の意思表示をお待ちしています。(個人的には、項目2をもっと分かりやすい表現に改めたいです。)--W.CC 2010年5月1日 (土) 07:04 (UTC)  一部削除--W.CC 2010年5月7日 (金) 13:14 (UTC)[返信]

  • まだまとめには早いですし、具体的な説明をもっと入れる必要があると思います。根本的な提案なのですが、リンク先の有無から考えてはどうでしょうか。現状では、作品記事に関してのみその点に言及されていますし、リンクの基準に特筆性のような考え方を採用しているあたり、このガイドラインは「記事が全然なかったころ」のリンク先の有無を想定していない(むしろ赤リンクを想定した?)もの、そして「その記事だけ見て判断させている」ように思います。
    で、まず1番についてですが、単位はむしろリンクすべきではないでしょうか? 確かに、人、名、頭、匹、日、か月、個、台、機、件、といったごく基本的なものは基本的に「リンクすべきでない」と思います。しかし、メートル、リットル、キログラム、のようなものは、リンクを張っても/張らなくても「構わない」と思います。また、基本的な単位系でもナノメートルとかセンチリットルといった(日本語圏の日常生活で)使用頻度の低いもの、あるいは尺貫法、ヤード・ポンド法、その他学術的なもの(ボルト、ヘクトパスカル、ケルビン、ニュートン)などはリンクを推奨すべきでしょう。
    2番について。これは残すのですか? 現状、何を言っているのかさっぱり分かりませんし、何度も言っていますが、年は基本的にリンクすべきと考えているので、私はこの記述そのものの削除を主張します。--氷鷺 2010年5月2日 (日) 13:33 (UTC)[返信]
    • コメント 項目1については、「特別な意味がない(特別な意味に言及されていない)」の文をもっと拡張して、分かりやすくするべきですね。抽象的過ぎますし。氷鷺さんのおっしゃっている、「使用頻度の低い単位」については、リンクに含めるべきだと思います。しかし「メートル、リットル、キログラム」のようなものは「人、名、頭、匹、日、か月、個、台、機、件」などと同様に基本的な単位に含まれると思いますので、基本的にリンクするべきでないのではないかと考えています。
      項目2については、正直、今までの議論から一般化してまとめるのは非常に難しかったです。現状ではほとんどの記事で年へのリンクが貼られていますが、特に問題や不都合などは聞いたことはありませんし、これ以上他の文案が出なければ削除したほうがいいかもしれません。 --W.CC 2010年5月2日 (日) 14:26 (UTC)[返信]
コメント 上記の議論は、多岐にわたっているためその内容が把握しずらく、的外れな意見でしたら申し分けありません。
年月日についてのリンクは、その年の「できごと」に関連しているかどうかが問題だと思います。
つまり、「××××年」の「できごと」の下に、「 {{Notice|<big>[[Wikipedia:特筆性|特筆性]]の無い記事は掲載しないで下さい。<big>|section=1}} 」を付して、特筆性のある(もしくは、ノートページにおける議論で認められた)記事のみを掲載し、特筆性を確定させておく。
その年の「できごと」(特筆性のある記事)に対して何ら関係の無い事柄には、年月日のリンクはしない。
例えば「慶長8年(1603年)2月12日 - 江戸幕府開府。」は、関連する事柄においては、とても重要な年月日だと考えます。(同年のその他のできごとは「1603年#できごと」を参照してください。)
しかし「日本語」の記事にある「近代以前」のセクションの記述にある、「安土桃山時代から江戸時代極初期にかけては、ポルトガル人の宣教師が数多くのキリシタン資料を残しているが、その中に各地の方言を記録したものがある。京都のことばを中心に据えながらも九州方言を多数採録した『日葡辞書』(1603年1604年)や、筑前や備前など各地の方言の言語的特徴を記した『ロドリゲス日本大文典』(1604年1608年)はその代表である。」という記述の中にある『日葡辞書』と『ロドリゲス日本大文典』の編纂時期(?)について「1603年」(「1604年」・「1608年」)がリンクされています。
これらの編纂時期が1603年の「できごと」に関連性が強いとは考えません。
1603年の「できごと」について、「徳川幕府開府」・「初代日本橋が架橋される。」などに対して、何ら関係のない事柄に対して付しているリンクであると考えます。
長文でまとまりの無い意見ですが、一考頂けたらと存じます。--Resto1578 2010年5月27日 (木) 18:10 (UTC)[返信]
(コメント)記事AとBについて、「AからBへの関連性が強い場合にAからBへの誘導性確保(リンク)を設けるのが妥当で、弱い場合には設けないとする、ことはある程度妥当」「AからBへの関連性が強いこととBからAへの関連性が強いことは一致しない」と個人的には考えています。その意味で、1603年という記事からみた関連性の強さを以って≪「徳川幕府開府」・「初代日本橋が架橋される。」≫という事柄が書かれた箇所からのリンクの有無を判断するのは不適切と、個人的には考えます。--NISYAN 2010年5月27日 (木) 23:31 (UTC) 訂正 --NISYAN 2010年5月29日 (土) 14:42 (UTC)[返信]
(補足)私は≪基準(ガイドライン)から『「関連性」「関係」「特筆性」という概念を破棄すべき』≫といった考えは持っていませんが、年の情報は、当該記事対象の歴史(人物史や社史など)を語る上でほとんど例外なく重要な情報であると考えております。他の人と判断根拠は異なりますが、左記の理由から、年については氷鷺さんの≪原則的にリンク推奨≫に近い考えを持っています。--NISYAN 2010年5月29日 (土) 14:42 (UTC)[返信]
(Resto1578さんへのコメント)リンクを張るかどうかという基準から「関連性」「関係」「特筆性」という概念を破棄すべきと主張します。年に限らず、A→B と B→A の関係性、重要性が等価でない関係は普通にあり、逆方向の関連性・重要性を基準とするのはナンセンスです。それを基準とするならトキの記事中のリンクはほぼ全滅です。リンクを1つも張れなくなる記事すら出てくるでしょう。少なくとも、年については、「原則的にリンク推奨」くらいが望ましいと考えます。--氷鷺 2010年5月28日 (金) 23:27 (UTC)[返信]
コメント 基準(ガイドライン)から『「関連性」「関係」「特筆性」という概念を破棄すべき』とまでは思いません。しかし、年については、このような概念を破棄してもいいと思います。リンクをはったことによって、意味を差し違えたり、閲覧者に誤解を与えてしまったり、リンクミスをしてしまうようなことはほぼ100%ないと考えられるからです。デメリットがないのであれば、リンクを禁止する理由はないと思います。「年へのリンク」を「リンクすべきでない」基準に入れることは反対です。--W.CC 2010年5月29日 (土) 13:02 (UTC)[返信]
コメント
本ガイドラインの定義の確認
まず、このガイドライン「Wikipedia:内容に関連するリンクだけを作成」の冒頭部には、「内容に関連するリンクだけを作成しましょう。リンクできる単語を全てリンクしても、役に立ちません。項目の前後関係に関連する単語のみリンクしてください。」とあります。
氷鷺さんは「リンクを張るかどうかという基準から「関連性」「関係」「特筆性」という概念を破棄すべきと主張します。」と仰られますが、それでは本ガイドラインの定義自体の否定です。
また氷鷺さんは、「トキの記事中のリンクはほぼ全滅です。」とコメントされています。
トキの記事の冒頭部から一部抜粋すると、「2008年から2009年にかけて日本の佐渡島において人工的に繁殖された30羽が放鳥された。」という記述に「2008年」と「2009年」にリンクが貼られています。
リンク先である「2008年」と「2009年」の記事は、トキの記述と何の関連性があるのでしょうか?
ガイドラインの基準は、「内容に関連するリンクだけを作成」です。そうするとリンク元「トキ」とリンク先「2008年」・「2009年」に関連がなければ作成すべきではないと考えます。
「逆方向の関連性・重要性を基準とするのはナンセンスです」について
前述したようにリンク先である「○○○○年」の「できごと」等との関連性が必用です。
先の「1603年」の例でいえば、「A」という記事の中にある「1603年」にリンクを貼り付けたいのであれば、1603年の「できごと」等にリンクさせたい関連する内容の記述「B」を加筆すれば良いだけです。
また生没年へのリンクについては、その記事の人物の生年・没年に何があったのか(時代背景など)を知る上で「関連する内容」と言えると考えます。
「年」にリンクを貼るデメリットについて
リンクを貼ることを目的とする編集者が少なからずいらっしゃいます。すべての「年」にリンクを貼ってもよいとすると無意味な履歴がいたずらに増え、履歴参照など際に非常に時間がかかります。
履歴増加・リンク増加によるデメリットは「Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らす#連続投稿を減らしたい理由」と同質であると考えます。--Resto1578 2010年7月15日 (木) 20:29 (UTC)[返信]
コメント 1. 「トキ」の例で考えて、その記述はトキの(日本における)歴史を知る上で有用な記述であろうと思いますし、そうであれば年は重要な要素(その記述から年を除くとどの程度情報が劣化するかを考えれば判るかと)であろうと思います。
2. 「トキ」を語る上で「2008年」や「2009年」がどの程度重要であるかということと、「2008年」や「2009年」を語る上で「トキ」がどの程度重要であるかは異なります。「トキ」という限定された範囲において「2008年」や「2009年」は前記の意味で重要と考えます。「2008年」や「2009年」という記事は対象記事分野を限定しない(例えばどのようなアニメが放送開始されたか、どのような音楽系人物がテレビに初出演したかといったことも含まれる)わけで、その意味から「世界の事象」が対象となるわけですが、「トキ」という特定分野からの観点で重要だからといって「世界の事象」という観点で重要とは言えないでしょう(「トキ」が世界的観点で重要でないと言っているわけではなく、あくまで例です)。--NISYAN 2010年7月15日 (木) 23:49 (UTC)[返信]
「逆方向の関係性、重要性」は積極的に無視するべきです。たとえば、古典的な「名作」とされる作品は、後世の無数の作品に影響を及ぼします。その有象無象の作品にとっては、その名作への言及は必要でしょう。しかし、その逆は(十中八九)成り立ちません。(「○○を題材にした作品一覧」とかいう醜悪な一覧でもない限り) では、「逆方向の関係性、重要性」をリンクの基準とするならば、「影響を与えられた側」の作品記事から「影響を与えた側」の作品記事へのリンクが張れないということになります。これは、理論、事件、人物、企業、国などにも言えることで、A国にとってB国が「一番重要な国」であって相互の交流が活発でも、逆が「さほど重要な国ではない」場合(具体的には小国と大国の関係)は、A国⇔B国 の記事間リンクは張れなくなります。リンクは、基本的に一方的な関連性・言及によって作られるべきです。
このガイドラインの「強制力」は低くし、これを根拠とする「些細な編集」、特にリンクの操作のみを主目的とする大量の編集は規制・禁止されるべき、と考えますが、そういう趣味の方は少なくないので、難しいかもしれません。新規記事へのリンク整備は重要ですし。--氷鷺 2010年7月16日 (金) 09:07 (UTC)[返信]
コメント 年号に関してはNISYANさんと同意見です。そもそも、年号の記述は「内容に関連する」ものであると思います。また、「年」にリンクを貼るデメリットについてですが、大量リンク貼り付けの根拠としてこのガイドラインが使われるのは確かに不適切ですね。リンクを貼るだけの編集はある程度規制するべきでしょう。ですが、だからといって、『ガイドラインの「強制力」は低く』する必要はないのではないでしょうか。但し書き等で注意を促すだけでいいと思います。(場合によってはWikipedia:同じ記事への連続投稿を減らす#連続投稿を減らしたい理由」へのリンクもつけたほうがいいでしょう。また、この件には別議論が必要かもしれません。)
「逆方向の関係性、重要性」に関してですが、年号についてはこの考え方を完全排除、氷鷺さんが例にも挙げているような一般的なケースでは編集者裁量でかまわないと思います。いろいろなケースが考えられますし、リンク自体一方的なものですから、相互関係はそこまで重視することではないでしょう。--W.CC 2010年7月16日 (金) 13:16 (UTC)[返信]
コメント 参考までに
英語版ウィキペディアのガイドラインManual of Style (linking)"Chronological items"では、「月日へのリンク」(Month-day linking)・「年へのリンク」(Year linking)について明確に制限しています。--Resto1578 2010年7月21日 (水) 11:17 (UTC)[返信]
英語版のガイドラインでは基本的に(生没年すら)リンク禁止ですが、さて、それを参考にして良いものかというと疑問です。英語版は英語版として、本件では積極的に無視するべきでしょう。日本や近隣諸国には元号という厄介なシステムがありますし、太陽暦(グレゴリオ暦)と和暦等との不一致の問題もあります。なお、月日のリンクについては、実用性というより雑学的な用途になりますが、そういう側面を否定したらおしまいだと思いますので、「リンクすべき」とも、「リンクすべきでない」ともするべきでない(特に定めないほうが良い)と主張します。--氷鷺 2010年7月21日 (水) 13:54 (UTC)[返信]

関連項目

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  • 「赤リンク」を追加。ノートページを削除。

以上、W.CCさんの案 --iwaim 2010年4月19日 (月) 00:58 (UTC)[返信]

(追記)「赤リンク」とは、Wikipedia:赤リンクのことです。 —以上の署名の無いコメントは、W.CC会話履歴)さんが 2010年4月20日 (火) 13:09 に投稿したものです(W.CCによる付記)。

体裁

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  • 文体をそろえる。文末を工夫する。(同じ文末が続かないようにする。)

以上、W.CCさんの案 --iwaim 2010年4月19日 (月) 00:58 (UTC)[返信]

関連するリンクの基準について

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前々思っていたのですが、関連するリンクの基準が曖昧すぎませんか?あるアーティストの作品の発売日のリンクについて、一人のユーザー様と話し合いましたが、このWikipediaの方針について賛否両論でした。賛成派の方は、「その発売日に何があったか、誰が何をしたか、と言うのはCDには関係ない。」主張してらっしゃいます。その意見について反対派は「確実に関連しないとは言い切れない。そもそも関連するかどうかは、編集者が決めることでなく閲覧者本人である。」と、意見が分かれてしまいました。なので、この方針は不要と考えます。皆さんはどうお思いでしょうか?ご意見をお願いします。--Rainbow colors会話 2010年6月2日 (水) 05:04 (UTC)[返信]

確かに発売日からみますとCDとの関係はあまりないと思いますが、CDの記事の主題はCDですので、CDからみて重要かどうかで判断すべきだと考えます。CDの発売日は人物にたとえれば生年月日と同じようなものでしょう。たとえば発売当時に起こったできごとや流行したものを知りたいなと思ったとき、そこにリンクがあれば閲覧者のそういったニーズに対応できてよいのではないでしょうか。わたしは以上の理由から発売日にリンクしたほうがよいと思います。--長月みどり 2010年6月2日 (水) 18:49 (UTC)[返信]
私は前節で≪年の情報は、当該記事対象の歴史(人物史や社史など)を語る上でほとんど例外なく重要な情報≫と書きました。発売年については同じであろうと考えていますが、(発売日に限らず)月日については考えがまとまっていません。というのも、例えば(適当に人物記事を挙げるとして私が初版作成の)川口千里さんを挙げると、彼女のファーストDVD発売日のところにあるリンク(2009年2月6日)のうち、前者(年リンク)は≪発売当時に起こったできごとや流行したもの≫を知るのに有用だと思いますが、後者(月日リンク)のリンク先である「2月6日」は「2009年2月6日」という特定の日を指し示す記事ではなく、「2月6日」という年を特定しない日付を対象とした記事です。もちろん「2009年2月6日」のことも載っている場合はあるでしょうが、「誕生日」「忌日」「記念日・年中行事」といった切り口で記事内でも情報が点在しており、「2009年」という切り口ではないため、≪発売当時に起こったできごとや流行したもの≫を知るのに有用かというと疑問を感じています。--NISYAN 2010年6月2日 (水) 23:30 (UTC)[返信]
確かに、年のリンクはほぼ全てにおいて重要と考えれますが、月日は非常に曖昧なのが現実です。「各人物の生年月日及び没年月日のみ月日の記載」などと言ったものを作るべきではないでしょうか?--Rainbow colors会話 2010年6月3日 (木) 12:22 (UTC)[返信]
2月6日のような月日の記事も、読みたい方がいらっしゃるからあるのだと思います。ですので、リンクを貼ることに全く意味がないとは考えていません。現状では2009年2月6日のような特定の年月日の記事がないために年と月日を別々にリンクしているのだと思います。--長月みどり 2010年6月3日 (木) 21:15 (UTC)[返信]
◆事前に書いておくべきだったかもしれませんが、特定年を示さない月日を用いて説明している記述(「雛祭り」に記されている「3月3日」など)における月日リンクは、この節のこれまでの話に挙がっている月日とは性質が異なると考えていますし、私は妥当なリンクだと感じています。何か改訂する場合でも、そのあたりを考慮していただきたいと思います。
私の立場は「(特定年を示さない)月日のリンクは除去されるべき」「結論に除去ありき」などというものではなく、「(特定年を示す月日の記述から特定年を示さない月日記事への)月日のリンクを有用と考える人がいれば、その意見を伺いたい」(仮にここで何らかの結論が出なかったとしても、説得力ある意見であれば、今後の編集の参考としたい)というものですので、念のため(既に挙がっている≪今日は何の日≫的な理由もそれなりに説得力は感じますので、そもそもリンク除去されるべきとは思っていません)。--NISYAN 2010年6月3日 (木) 23:31 (UTC) 訂正 --NISYAN 2010年6月4日 (金) 01:11 (UTC)[返信]
別に、月日リンク自体を否定している訳ではなく、キチンとした方針を作るべきではないでしょうか。(人物の生年月日没年月日のリンクはOK。発売日はNGの様に。)--Rainbow colors会話 2010年6月5日 (土) 13:21 (UTC)[返信]
CDの発売日は人物における生年月日のようなものですから、生年月日がOKであるならCDの発売日も問題ないと思います。例示があったほうがわかりやすいでしょうね。--長月みどり 2010年6月5日 (土) 19:01 (UTC)[返信]
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コメント
「その発売日に何があったか、誰が何をしたか、と言うのはCDには関係ない。」という意見に賛成します。
長月みどりさんの「CDの発売日は人物における生年月日のようなもの」というコメントについて、本ガイドラインは「内容にかんれんするリンクだけを作成」であり、CDの発売年月日に何が関連しているのでしょうか?
CDの発売日と人物の生没年月日は、性質が異なると考えます。ただし歌手や演奏者が、バンド・オーケストラ等の複数人から構成されている場合は、結成時・解散時の年月日についてリンクすることは、人物の生没年月日にリンクするのと同様であると考えます。--Resto1578 2010年7月15日 (木) 20:29 (UTC)[返信]
コメント CD記事における年月日はそのCDがこの世に誕生する日付でしょうから、人物の生没年月日と同質と思いますが、どういう観点から性質が異なるという意見でしょうか?私は同質だと思いますし、人物の生没年月日同様、リンクの存在に疑問を感じません。--NISYAN 2010年7月15日 (木) 23:49 (UTC)[返信]
コメント 参考までに
英語版ウィキペディアのガイドラインManual of Style (linking)"Chronological items"では、「月日へのリンク」(Month-day linking)・「年へのリンク」(Year linking)について明確に制限しています。--Resto1578 2010年7月21日 (水) 11:17 (UTC)[返信]
同じことを2か所に(それも、そのことを明記せずに)書くようなことはあまりよろしくないかと。しかも「英語版では」というだけ…。--氷鷺 2010年7月21日 (水) 13:54 (UTC)[返信]

重複リンクのガイドライン

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いわゆる重複リンク(記事Aの中で、記事Bへのリンクを複数設置すること)のガイドラインを追加しませんか? 井戸端でもしばしばこの話題が出ています(Category:井戸端の話題/リンクの付け方)。たとえば、以下のようなものは如何でしょう?

  • ある段落中で、同じ記事へのリンクはなるべく1か所のみにしてください。ただし、「段落」と言っても20文字程度のものから1000文字程度のものまで、その大きさにはかなり差がありますので、これはあくまで「目安」としてください。
    • 大きな段落の中では、同じ記事へのリンクを複数設けても構いません。
    • 表やリストなど一覧性の高い形式の箇所では、リンクを張る回数を特に気にする必要はありません。文章中で何かを列挙する場合なども、同様です。
    • 大事なことは、読者がそのリンクを探し回らないで済むようにすることであり、その語句に対応するリンク先の記事が「ない」と読者に勘違いさせないようにすることです。
    • どの箇所にリンクを張るのか(張らないのか)という基準は特に定めません。その段落で最初に出てきた箇所でも構いませんし、より適切な(リンクを張るべき)箇所があればそちらでも構いません。

--氷鷺 2010年6月18日 (金) 14:50 (UTC)[返信]

コメント 大筋で賛成します。ただ、「段落」ではなく、見出し(セクション)単位で考えたほうがいいのではないかと思います。文字数が多いセクションは、たいてい見出し3、見出し4と分かれていて、延々と一つのセクションが続くようなことも少ないと思いますし。そもそも段落よりも見出しのほうが境界がはっきりしていてガイドラインとして分かりやすいのではないでしょうか。そして、同じセクション内ならリンクを探し回るようなケースもないと思います。いかがでしょうか。--W.CC 2010年6月19日 (土) 01:11 (UTC)[返信]
コメント 井戸端で「セクション(節)ごとに」という意見もありましたが、そうすると、その大きさが非常に幅広くなってしまう(20文字程度から、大きいものでは4000文字ほどにまで達する)ため、「セクションごとに1つ」という目安が成立しづらく「適宜自分で考える」方が一般的になってしまうかと思います。もし基準を「セクション(節)ごと」とするのであれば、上の草案の文章を並び替えて『大事なことは…』を一番最初に持ってきた方が良いかもしれません。--氷鷺 2010年6月19日 (土) 01:40 (UTC)[返信]

上の草案では文にしませんでしたが、個人的には「一般的なPCの閲覧環境下で、なるべくスクロールすることなく目的のリンクを見つけられること」という感覚があります。一般的なデスクトップPC・ノートPCだと、考慮すべきラインは1024×768あたりでしょう。それでIE8やFx3.6を使用すると、フォントにもよりますが、1300字(メイリオ)から1500字(MS Pゴシック)程度になるかと思います。実際には画像とか段落の区切りなどがありますので、本文800-1000字に最低1か所くらいが望ましいかと思います。
このような段落や節に依存しない「具体的な文字数の目安」または「一般的なPCの閲覧環境下で、なるべくスクロールすることなく目的のリンクを見つけられること」という文をガイドラインに盛り込むことは如何でしょうか? --氷鷺 2010年6月19日 (土) 02:04 (UTC)[返信]

コメント なるほど、納得しました。「段落」という表現に賛成します。(この議論には関係ないですが、個人的には4000文字を超えるような見出しは小見出しで区切ってほしいところです・・・)
実は、『セクション』という表現を提案したのは、「見出し」という目印があるから、スクロールですぐ移動しやすいかな、という考えがあったからです。ですから、「一般的なPCの閲覧環境下で、なるべくスクロールすることなく目的のリンクを見つけられること」という文はどこかにほしいと思います。このガイドラインの目的が書かれている、「大事なことは、・・・」の項目を「ある段落中で、同じ記事へのリンクはなるべく1か所のみにしてください。・・・」という最初の文のすぐ下に持ってきた上で、「一般的なPCの閲覧環境下で、・・・」の文を付け加えてはいかがでしょうか?--W.CC 2010年6月19日 (土) 03:25 (UTC)[返信]

少し直してみました。

ある段落中で、同じ記事へのリンクはなるべく1か所のみにしてください。ただし、「段落」と言っても20文字程度のものから1000文字程度のものまで、その大きさにはかなり差がありますので、これはあくまで「目安」としてください。

大事なことは、読者がそのリンクを探し回らないで済むようにすることであり、その語句に対応するリンク先の記事が「ない」と読者に勘違いさせないようにすることです。一般的なPCの閲覧環境下で、なるべく読者が画面をスクロールすることなく目的のリンクを見つけられるよう心掛けてください。

  • 大きな段落の中では、同じ記事へのリンクを複数設けても構いません。
  • 表やリストなど一覧性の高い形式の箇所では、リンクを張る回数を特に気にする必要はありません。文章中で何か(リンク先記事のある項目)を列挙する場合なども、同様です。
  • どの箇所にリンクを張るのか(張らないのか)という基準は特に定めません。その段落で最初に出てきた箇所でも構いませんし、より適切な(リンクを張るべき)箇所があればそちらでも構いません。

あと、「セクションごと」とする場合の問題点がもう一つありました。セクション単位で考えると、段落と段落の間に表やリスト、ギャラリー、大きめの画像などが入る可能性もあります。(そうするとやはり「セクションに1か所」という「目安」が効果的でなくなってしまいますし、説明がより複雑になってしまいます)--氷鷺 2010年6月19日 (土) 13:17 (UTC)[返信]

とても分かりやすくなったと思います。この案に全面的に賛成します。--W.CC 2010年6月19日 (土) 13:29 (UTC)[返信]
コメントこの文面だと結果的に「和暦テンプレートの使用を積極的に推奨しない」ことになりますがそれでよいのですね?--Goki 2010年6月23日 (水) 13:35 (UTC)[返信]
コメント どういう解釈をしたらそうなるのか理解できませんが、否定だけしておきます。--氷鷺 2010年7月15日 (木) 03:05 (UTC)[返信]
コメント まだ提案の段階であり、「目安」と書いてあるにも関わらず、上の草案を元にリンクを削る「だけ」の編集を行うような常識のない迷惑な方もいらっしゃいますので、これに強制力は持たせないこと、「このガイドラインを根拠に機械的な処理を行ってはならない」と追加したいと思います。--氷鷺 2010年7月15日 (木) 03:05 (UTC)[返信]
同一ページへのリンクが忌避される理由についてきちんと言及すべきではないでしょうか。そもそも私自身、ここまで同一ページへのリンクが忌避される理由が理解できないでいるのですが、その内容次第では別の提案をしたいと考えています。--Lincun 2010年7月15日 (木) 12:38 (UTC)[返信]
正直まったく分かりません。青い文字になるのが嫌いなだけかもしれませんし、環境によっては本当に読みづらいのかもしれません。私には、感覚的には理解できませんし、「適切なリンク先のある語句」は全部リンクでも良いと思うのですが、まぁ、そういう方もいらっしゃるので。--氷鷺 2010年7月15日 (木) 15:20 (UTC)[返信]
「強制力を持たせない」という意味は分かりかねますが、「このガイドラインを根拠に機械的な処理を行ってはならない」という文の追加には賛成します。
また、同一ページへのリンクが忌避される理由についてですが、青い文字だらけになるのは(個人的に)読みにくいと思います。スクロールするたびにリンクのURLがウィンドウ下部でピコピコ点滅するのも不快ですし。そして何より、「同じページへのリンクを何回も貼るだけ」の編集者さんが大量に版を増やしてしまうのもあまりいいことだとは思いません。--W.CC 2010年7月16日 (金) 13:25 (UTC)[返信]
コメント 思うところを書いてみます。
1. パイプ付リンクを使った同じ記事へのリンクが近い場所に複数あると、「その説明はさっき読んだよ」と読者を疲れさせることになるのではないでしょうか。良い例か判りませんが、とある記事には「キャロットケーキ」「パンプキンケーキ」「ショートケーキ」が隣接しています。この近くには幸い「ケーキ」へのリンクはありませんが、その節の冒頭説明に「スイーツ(菓子デザートケーキなど)」といったように「ケーキ」へのリンクがあるとします。独立記事のない「パンプキンケーキ」の代わりに最低限の説明が期待できる「ケーキ」へパイプ付リンクで代用することは充分考えられますし、その場合、読者は単なる「ケーキ」の観点とは異なる言及がなされた「キャロットケーキ」「ショートケーキ」のような独立記事を期待しかねません。「パンプキンケーキ」から「ケーキ」へのリンクがなければ余計な期待をさせる懸念は避けられると思います。なお「パンプキン」+「ケーキ」というリンクを認めるなら「Wikipedia:記事どうしをつなぐ#連続した単語へのリンクは避ける」との兼ね合いを考慮する必要があると思います。
2. テキストブラウザ(ほぼテキストブラウザのようなGUI的入力要素を持つものではなく、LynxLinksのようなものを想定)だと、リンクのあるページ内ではリンク単位でフォーカス移動することになります(フルブラウザじゃない携帯電話のような感じ)。その入力系では同一記事への重複リンクは閲覧(というか目的リンクにフォーカスを移動させる操作)の妨げでしかないように感じます。
3. ≪「同じページへのリンクを何回も貼るだけ」の編集者さんが大量に版を増やしてしまう≫については、多数のリンク付与が最終的に読者のためになるのなら、その目的地に向かう上で執筆者やシステムが多少の負担を負うのは仕方のないことかと思います。逆に、それほどまでメリットのないことなら、抑制的文言の追加もありだと思います。ともあれ、まずは多数のリンク付与、重複リンク付与が読者のためになるかという話が先ではないでしょうか?--NISYAN 2010年7月17日 (土) 18:30 (UTC)[返信]
1番目については、重複リンクの問題として捉えるよりも、基本的なリンクの張り方・パイプ付きリンクの問題のような気がしますが、確かに何かガイドラインがあったほうが良さそうです。2番目について。そういう場合、リンクがこまめに存在している方が、スムーズに閲覧できるように思いますし、リンクを辿るのにも便利でしょう。そして、そのような閲覧環境まで考慮するくらいなら、携帯電話・スマートフォンあたりを重視したほうがよほど有意義ではないでしょうか。(もし、携帯電話などを重視するなら、重複リンクの容認・推奨という逆方向に進めたほうが良いように思います) 3番目について。新規記事へのリンク整備だとか、(重複どころか)ほとんどリンクのない記事へのリンク追加、あるいは、頻出の重要語句すら「自主規制」している長い記事へのリンク追加、……こういうものであれば有意義でしょうけど、それ以外のケースでは「重複リンクの修正」にはほとんど意味がないように思います。--氷鷺 2010年7月18日 (日) 05:03 (UTC)[返信]
2についてうまく説明できておらず申し訳ありません。ページの中央にXというリンク付の語句があったとして、その前に10種類(L01,L02,……,L10)の他のリンク付きの語句がある状況であれば、読者は下キーを10回押下すればXにフォーカスを当てることができます。10種類のリンク付き語句がそれぞれ10件ずつの重複リンクになっているとすれば、読者はXにフォーカスを当てるために下キーを100回押下する必要があります。マウス操作が使えるならそういう問題もないんでしょうけど、今回の話に挙げている環境はマウス操作を受け付けないテキストブラウザですので、そういう方法は使えません。私はこの状況に対して、読者は「L01,L02,……,L10のリンクはそれぞれ1回でいいよ。100回もキーを押下しなければ目的のリンク(X)を辿れないような記事構成にしないでくれ」と思うだろうと推測しています。
一応書いておくと、重複リンクでもこのようなことになりますが、過剰リンク(その記事を読んでいる読者がリンク経由で他記事の説明を見たいと思う需要が少ないと思われる語句についてもリンクしているケース)の場合でも読者が「L01,L02,L03,……,L99へのリンクなんていらないよ。この記事を読んでいる人がL01,L02,L03とX以外の記事を見に行くことなんかあるわけないじゃん。100回もキーを押下しなければ目的のリンク(X)を辿れないような記事構成にしないでくれ」と思うだろうと推測しています。
今回の提案には賛成なんです。私が問題として挙げているほどの過度(同一ページ内に同じ語句に対するリンクが10回も登場する、という頻度)の重複リンクを促すような提案内容ではありませんので。ただ、今回Lincunさんからの重複リンク自体への疑問の声があったのと、氷鷺さんが≪「適切なリンク先のある語句」は全部リンクでも良いと思う≫≪感覚的には理解できません≫とおっしゃっていることに対して、「こういう環境だと重複リンクや過剰リンクを嫌がるのではないか」という観点で説明しているだけであって、そういう(少数派の)環境を優遇しろと主張するつもりはありませんので、そこは誤解なきように(氷鷺さんの発言が、基本的語句や一般用語も含めて須くリンクするという主旨でないのなら、そもそもが私の誤読ですが)。--NISYAN 2010年7月18日 (日) 12:37 (UTC)[返信]
よいガイドライン案だと思うので賛成しようと思っていたのですが、氷鷺さんの2010年7月15日 (木) 15:20 (UTC)の発言で少々混乱しております。氷鷺さんが、「同一ページへのリンクが忌避される理由」が「正直まったく分か」らず、「感覚的には理解でき」ず、『適切なリンク先のある語句』は全部リンクでも良いと思う」のであれば、そもそも何故、ある段落中で、同じ記事へのリンクはなるべく1か所のみにしてください。というガイドラインを提案されたのでしょう。もしかして私が本ガイドライン案の中身を大きく読み違いしているのではないかと思いましたので質問させていただきました。よろしくお願いいたします。--るなあるてみす 2010年7月18日 (日) 09:28 (UTC)[返信]
「リンクは減らした方が良い、減らすべき」という意見の方がおり、その極端な例として「非常に長い記事における頻出重要語でも、リンクが冒頭1回のみ」などという、私に言わせれば「馬鹿げた」自主規制を行う方すらいらっしゃるからです。そのような読者に不便を強いる「極端で機械的な」自主規制の防止、あるいは執筆・編集の際の「参考」とするガイドラインとして本提案を出した次第です。本提案の趣旨、最も重要な点は「読者のことを考えて、十分な(必要な)数のリンクを置こう」ということであって、「段落中の2つ目以降のリンクは消さねばならない」だとか「各段落に1つはリンクを置かねばならない」という解釈は、正しくありません。段落云々は導入部のための目安として考えたのですが(実際「目安」と書いてある)、そういう誤解を避けるためには、書き方を改めるか、いっそ段落云々は消したほうが良いのかもしれません。--氷鷺 2010年7月18日 (日) 12:13 (UTC)[返信]
ご回答ありがとうございました。「必要十分な数のリンクを目指す」というガイドラインかと思っていましたが、むしろ「必要な数」より「十分な数」とすることが趣旨で、「十分すぎる」ことは特に問題としていないということで理解しました。確かに大きく読み違いをしていたようです。「非常に長い記事における頻出重要語でも、リンクが冒頭1回のみ」も確かに問題ですが、年表などで数十行にわたって「明治」や「昭和」のリンクが続くのもどうかと思うので、個人的には「必要十分な数」を目指すガイドラインが良いのではと思います。ともあれ誤解は解けましたのですっきりしました。ありがとうございました。--るなあるてみす 2010年7月18日 (日) 13:32 (UTC)[返信]
賛成 氷鷺さんの案に全面的に賛成します。仮に、別の記事へのリンクが許されるのは最初の一回のみとしてしまうと、ページ半ばのセクションへジャンプして来た閲覧者が別の記事へのリンクを探すとき、負担を強いることになります。アクセシビリティがよろしくありません。どれほどのリンク頻度が過剰か、不足か、そして適切か、現状ではきわめて曖昧模糊としており編集合戦の要因にもなるこの問題ですが、そんな現状を打開する良い提案と考えます。俺が一番セクシー 2011年2月6日 (日) 04:33 (UTC)[返信]
コメント(反対寄り) 『「適切なリンク先のある語句」は全部リンクでも良いと思う』というご意見があるのは承知しておりますし、批判するつもりもまったくありません。結局、リンクの有用性と記事の見た目という個人の価値観の相違に起因する問題だと考えています。私は黒い文字の中に青リンクや赤リンクが幾度も現われるのが「うざったい」と感じるだけでありまして、各々の多少難しげな単語に関するリンクが幾度か本文中に存在すればリンク機能として十分だと考える立場です。リンクを本来の機能である他の記事への誘導とは別に、語句の強調に使っているように見受けられるケースもあり、文章を読む場合の障害になっていると感じます。このような個人の「好き嫌い」を理詰めで解決するのは困難であり、相互の落とし所を求める他ないでしょうね。例えば記事の主題とはあまり関係がないのに「例え」や「関係」などにリンクを幾度も張る必要はないでしょうが、「赤リンク」や「ガイドライン」のように主題に関係が深く、読者には判り辛い語句は『最初の1回のみ』と限定する必要はないでしょうね。結局は程度問題であり、中庸を探る必要があると考えます。ただし、上記提案内容の段落中で各々1個までとか、列挙する場合には幾つでも可というのはあまりに多すぎると感じました。それだと記事内がリンクだらけになりそうですので、反対寄りです。主題に関係が深い単語に限り、同一画面内で最大1個まで程度が妥協点のように考えます。--Shigeru23 2011年3月7日 (月) 20:58 (UTC)[返信]
コメント(賛成寄り) Wikipedia:表記ガイドWikipedia:内容に関連するリンクだけを作成#リンクについての経験則への誘導記述を加えた方がいたのでこちらに参りました。概ね賛成ですが「なるべく1か所のみにしてください」だと、1か所にこだわってリンクを消して回る編集者の根拠にされそうです。「なるべく必要最初限度にとどめるようにしてください」程度の表現でよいのではないでしょうか?--Wolf359borg 2011年10月27日 (木) 15:43 (UTC)[返信]

月日へのリンク

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上の議論を読むと、「年」はともかく、「月日」へのリンクに関しては原則不要という合意はあるように思います。これに関しては、英語版 en:Wikipedia:Linking#Month-day_linkingの記述がよくまとまっています。冒頭だけ適当に訳すと、こんな感じでしょうか。

  • 「月日(例えば2月24日)への記事のリンクはしてはいけません。もっとも例外的に、月日が記事の内容に密接に関連して話題(topical)になっているときには役立つリンクとなることがあります。」

英語版と同様な記述を速やかに導入しませんか?月日リンクマニアはほとんどがIPユーザなので明記したところで効果薄かもしれませんがね。--fromm 2010年11月24日 (水) 05:51 (UTC)[返信]

反対 どこを読めば『「月日」へのリンクに関しては原則不要という合意はある』と解釈ができるのでしょう。原則禁止には反対です。--氷鷺 2010年11月24日 (水) 15:03 (UTC)[返信]
コメント Wikipedia:表記ガイドWikipedia:内容に関連するリンクだけを作成#リンクについての経験則への誘導記述を加えた方がいたのでこちらに参りました。原則禁止は性急過ぎるかと思いますが、実は以前から「月日」が律儀にリンク化されているのに疑問を感じておりました。年ならびに月日の記事リンク作成の基準は必要かと思います。--Wolf359borg 2011年10月27日 (木) 16:34 (UTC)[返信]

年へのリンクと和暦テンプレートについて

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私は「沿革」の節を記述する際など、和暦表記を計算せずに済むので和暦テンプレートを多用するようになったのですが、あれは西暦年を無条件にリンク化します。和暦テンプレートを知る前は、最初に現れた西暦年や元号だけリンクにする暗黙のルールが既存の記事にあったのでそれに従っていたのですけど、和暦テンプレートのリンク作成をオプションにできるような変更を加えるか、使い分けのガイドラインが必要な気がします。--Wolf359borg 2011年10月27日 (木) 16:34 (UTC)[返信]

Wikipedia:記事どうしをつなぐ と統合しては?

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英語版と同様に、この文書をWikipedia:記事どうしをつなぐに統合してはいかがでしょう。あちらはリンク一般のマニュアルのような内容ですし、統合後は実際にリンクを作成する際の判断基準と位置づければ、文書としてわかりやすくなると思います。--伏儀会話2012年9月16日 (日) 09:51 (UTC)[返信]

統合についてですが、Wikipedia:記事どうしをつなぐの章立てを修正し、リンク方法と注意点に分けましたので、「注意点」配下に「内容に関連するリンクだけを作成」節を作成し、そちらへ移すことを考えています。--伏儀会話2012年10月6日 (土) 07:19 (UTC)[返信]

報告プロジェクト:プロジェクト関連文書/リストに告知しましたのでお知らせします。2週間ほどで結論が出せればと思います。ご意見のある方はコメントをお願いします。--伏儀会話2012年10月6日 (土) 07:19 (UTC)[返信]

完了 上記のとおり統合しました。今後は、あちらの文書を参照していただきましょう。--伏儀会話2012年10月20日 (土) 03:57 (UTC)[返信]