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Wikipedia:コメント依頼/Pauro 2003 20101006

利用者:Pauro 2003会話 / 投稿記録 / 記録氏の対話姿勢についてコメントをお願いいたします。--Pastern 2010年10月6日 (水) 14:11 (UTC)[返信]

依頼理由

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被依頼者の対話姿勢に、以下のような問題・疑問を感じるためです。

  • 自らの行動の意図に関する説明が丁寧でなく、不親切。その上、専ら意見が対立する相手の主張の(些細なものを含む)不備を指摘することで自らの主張を正当化しようとする。
  • 「○○(関連文書)をご熟読ください」などと、相手がルールについて無知であり、関連文書の熟読が必要であることをほのめかす表現を多用する。
  • 相手やその言動を「方針の理解をされていない」、「何を言っても捻じ曲げて解釈される」、「対人的にコミュニケーションを取る事に困難があると考えられる」、「感情にまかせた軽率な行為」などと一方的に断じたり、「小馬鹿にするような発言はやめましょう」、「もう少し柔軟な心を持たれ接してくださるようお願いいたします。」などと「説諭」する傾向や、そのような発言を行って上で対話を打ち切ろうとする傾向がある。
  • 明らかに事実に反すると思われる説明を行ってまで自らの行為を正当化しようとすることがある。

総合すると、ウィキペディア日本語版の公式な方針であるWikipedia:礼儀を忘れないに照らして大きな問題があり、深刻な例として挙げられている

  • 相手をあざけったり馬鹿にすること。
  • 個人攻撃(冒涜)
  • 嘘。

に該当する可能性があります。

以下、具体的な事例を挙げます。なお、この他にも被依頼者の振る舞いに問題を感じる事例がありましたらご指摘願います。

具体例

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ノート:茶外茶でのやり取り

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大きな問題を感じた点は以下の通りです。

  1. Template:出典の明記を貼付した理由を求められたのに対し、当初「ウィキペディアの各方針をご熟読ください」とだけ回答し、詳細な説明を行わない。
  2. 「方針の理解をされていない」、「何を言っても捻じ曲げて解釈される」、「対人的にコミュニケーションを取る事に困難があると考えられる」と一方的に断じた上で対話を打ち切ろうとしている。
  3. 「対人的にコミュニケーションを取る事に困難があると考えられる」という発言の根拠について、「対話相手の利用者ページにおける、「ご本人の記述」にある。しかし「ご本人のプライバシーにも係わる」ため詳細は書けない」と発言している点。対話能力に問題があるという指摘は相手の人格を傷つけうる重大なものであり、理由を説明できないのであればそのような指摘をするべきではない。相手の人格を傷つける可能性が高い重大な発言をしているにもかかわらず、相手のプライバシーへの配慮を持ち出す態度は矛盾に満ちている。自分に都合のいい理屈を並べ立ててもっともらしく見せかけた、根拠のない暴言・冒涜としか思えない。問題の発言の直後にある「決して…人格を傷つけるものではありません」という発言は、Wikipedia:礼儀を忘れない#例に示されている「「個人攻撃をするつもりはないのですが、……」とはじまるコメント」に類するもので、この発言がいかに礼儀を欠いたものであるかを端的に示している。
参考リンク

高田桂子および中村彰を巡るやり取り

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高田桂子[1]および中村彰[2]に、理由説明なしに出典明記を要求するテンプレートを添付し、テンプレートを除去する編集を行った利用者に対し「理由あってテンプレートが貼付されているのです」と説明(利用者‐会話:頭痛#問題を解決させずにテンプレートを剥がす行為について)。履歴を確認する限り、この時点で事後の理由説明もなされておらず、事実に反する説明をして自己正当化を図ろうとしているとしか思えません。またやり取り全体を拝見して、自らの行為の意図を丁寧に説明するのではなく、相手の主張の不備を指摘することに終始している印象を受けます。

なお、やり取りの原因となった、高田桂子における記事の主題である人物の生年月日、職業、出身地、学歴、受賞歴などについて出典を要求する行為については、記事内に列挙されている著書の略歴を参照すれば容易に検証可能と思われ、したがって出典は明記されたも同然であり、そもそも発端となったテンプレートの添付には根拠がないという印象を受けます。中村彰についても、検索をかければ現在所属する大学のホームページでの経歴紹介を見つけることは容易で、それによって問題は解決するはずです。

この件については、以下の3点を指摘します。

  • 出典に関し少し考えればわかりそうな解決方法に思い至らない。
  • 上記問題の解決を、詳細な説明もなしに出典を要求するテンプレートを貼付するという行為によって図ろうとする。
  • 上記貼付行為に異を唱えた相手に対し、事実に反する説明を行って自らの行動を正当化しようとしたり、関連文書をたてに相手の主張の不備を突くという行動に終始する。
参考リンク

誕生の塩工房への即時削除テンプレート貼付を発端とするやり取り

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被依頼者は作成間もない誕生の塩工房に即時削除テンプレートを貼り付け、そのことが発端となって他の利用者との間で議論が起こりました。

被依頼者は利用者‐会話:Pauro 2003/過去ログ1#即時削除について2において、対話相手が「公的な方針」という言葉を用いたことについて、「Wikipediaに「公式な方針」はあっても「公的な方針」は存在しない」と繰り返し強調しています。しかし私には文脈から「公的な方針」とは「公式な方針」を意味することは明らかで、被依頼者が些細な表記ミスをあげつらっているとしか思えません。

また、利用者‐会話:Pauro 2003/過去ログ1#即時削除についてでのやり取りに関連して行われた編集を巡り、利用者‐会話:663highland#何が目的のご発言でしょうかで他の利用者に対し「あなたは何をされたいのでしょうか?」と話題を切り出し、相手の行動を「感情にまかせた軽率な行為」と断じ、挙句「小馬鹿にするような発言はやめましょう」と「説諭」する形で会話を打ち切ろうとしています。比較的短いやり取りの中に、被依頼者の対話姿勢の問題点の数々が端的に表れているように思います。

参考リンク

酷いと思った事例として私の方からも提示します。--shellsquid 2010年10月7日 (木) 06:55 (UTC)[返信]

ノート:ウラジーミル・ヴァシューチンにおいて、Pauro 2003さんは、「ただ翻訳するだけではなく、参考になるものを調べてから立項していただきたいと思います。」とおっしゃっています。私も拙いながら少し翻訳で起稿、加筆をしたことがありますが、翻訳作業は大変なものです。明白な誤訳や機械翻訳もないのに、ただ翻訳するだけと、まるで猿でも出来る作業のような表現をされては、相手を怒らせるのも無理はないと思います。そして、Pauroさんはサヤ氏と、これとは別の案件ですがYonoemon氏に対して、Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:ウィキペディアは何ではないかへのリンクを張り、熟読を推奨しています。これは相手に対して、独自研究や中立性を逸脱したプロパガンダを書き流している、あるいはウィキペディアを百科事典と認識していないユーザーであるという烙印を押していると解釈されても仕方がない行為です。さらに、サヤさんが提示した出典について、「webサイトの出典であるため、本来公刊された信頼のおける2次資料が推奨されているので再度、出典の明記テンプレートを貼りなおさせていただきます」として、再度出典の明記テンプレートを貼り付けております。「sayaさんの明記されたwebサイトが出典に相応しいものではないということではございません」と、誤解を回避するように付記されていますが、出典が付記されているのに出典明記のテンプレートを貼るということは「お前の貼った出典は無効だ」と烙印を押すことではありませんか。Pauro氏はこの後執筆者であるサヤ氏の会話ページで長広舌を振るっていますが、そこでサヤ氏が出典として提示したウェブサイトに対して、「英語のちゃんとしたサイトであるかどうかはさておき」とおっしゃっています。これはサヤ氏の提示した出典の信憑性をロクに吟味しない、どうでもいいと思っているPauroさんの意思の顕現でしょうか。さらには、「日本語版の読者が容易に検証できるようにするため」という、Wikipedia:検証可能性に書かれている文言を振りかざして、公刊された日本語で書かれた二次史料以外は出典の条件を満たさないというあまりにも飛躍した論理を展開しています。本人は「拒否しているのではなく不十分なだけ」と言っていますが、出典として不十分ということはすなわち出典ではないと烙印を押していることに他ならないでしょう。

私からも一言 --Siso-nori

私がノートに書かれた記事を本文に転送したところ、

ノート:神輿からの転載でしょうか?もしそうであるなら要約などにその旨を記述しないと履歴の不継承となりGFDL違犯になると思います。対処いただけますか?--パウロ2003 2010年2月6日 (土) 17:32 (UTC)

と、ご指摘いただいたので要約にその旨を記載したところ、

再度申し上げます。初版で対処していなければ、履歴に残り編集されてもGDFL違犯は変わりません。編集は無駄であることをお知らせしておきます。--パウロ2003 2010年2月6日 (土) 17:48 (UTC)

このようにお返事頂きました。最初から無駄であるならなぜそれを同時に教えてくれなかったのか理解に悩みます。特に文末の「編集は無駄である」この一文には怒りを覚えます。少し指摘の仕方を変えるだけで怒りではなく感謝に変わるのですが、私にはパウロ2003氏は敢えてこのような言い方をしているように見受けられるので時間は経ちましたが掲載させて頂きました。

GDFL違犯と言うのは簡潔に、また少し乱暴に言えば著作権違犯ことです。あなたは他人の書いた文章を履歴継承なしに別記事を転載し若干の編集を加え作成しました。最初の版で要約欄にノート:神輿からの転載であることを記載していれば形式上は問題はありません。初版の要約欄に書いていない以上、履歴には残ります。初版段階で著作権の違犯になります。初版に履歴が残ったものは、初版から削除するのが鉄則です。ご理解いただけましたか?([また、[ノート:神輿]]にも書きましたが、意見がないからと言って同意したものとみなして別記事に仕立てるのはGDFL違犯以前の問題だともいます。)今後立項されたり、編集をされるようでしたら初心に戻り、Wikipedia:基本方針とガイドラインをよく読んでから行ってくださるようお願いいたします。まだご理解いただけないようでしたら、日を改めてご回答させていただきますがよろしいでしょうか?--パウロ2003 2010年2月6日 (土) 18:29 (UTC)

同意された削除ですか? 先ほど他者のコメントを削除されたようですが、それは同意にもとづくものでしょうか?削除を取り消してリバートします。ご了承ください。--パウロ2003 2010年2月6日 (土) 17:43 (UTC)

返事の仕方が分りませんが、ここでよろしいでしょうか? 上記についてですが、同意はありません。問題があるのなら削除していただいてもかまわないですが、 存置による害悪も、削除による利益も無いと思います。 神輿カテにおいてノートによる議論は皆無でして、みんな好き勝手に要約の無い文章を無秩序に押し込んでいたため、数年前に私が体系化しました。--Siso-nori

会話ページや、ノートなどでの署名のある他者の発言を削除することはWikipedia:投稿ブロックの方針#8.2項 他者の発言の改竄にあたり、投稿ブロックの対象になります。害があろうが利があろうが関係ありません。他者の発言を削除すれば害をこうむるのはあなたご自身です。--パウロ2003 2010年2月6日 (土) 18:29 (UTC)

おかげさまで著作権に関する意識が高まりました。が、相手の編集レベルを見極めた上でわざと難しい言葉を使用し、他人の揚げ足を取ってフィルタリングしてるのしょうか。河口を占領するローカルサーファーのようです。Siso-nori 2010年11月10日 (水) 15:57 (UTC)[返信]

当コメント依頼の目的について

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被依頼者からこのコメント依頼が「非難することだけを目的にした」ものであると示唆する発言がありました[3]

依頼者としては、被依頼者の行動には多くの問題がみられるが、とりわけ差別的発言に関してはコミュニティに与える疲弊が深刻であり、今後同様の言動が繰り返されないよう、十分に反省をしたうえで原因を分析し防止策を立てることが重要と考えております。そのためのコメントを、被依頼者が非難としか受け止めておられないことは大変残念です。--Pastern 2011年2月11日 (金) 06:47 (UTC)[返信]

依頼者コメント

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2010年10月8日 (金) 15:59 (UTC)のコメントにおいて被依頼者は、「実体験としてお伝えしたものです」と述べ、実体験を伝えたということをもって自らの発言を正当化しようとされているようですが、実体験を伝えるという形をとって差別的な発言を行っていることが問題視されているのだということが、理解できませんか?実体験としてであれば、特定の精神疾患を抱える人々を「コミュニケーションができない」と断じて構わないとでもいうのでしょうか。また、対話相手についてコミュニケーションができないと決め付けたわけではないという主旨の弁解もされていますが、特定の誰かに対する偏見というレベルを超えて、精神疾患を抱える人々全体への偏見が問われているということをいまだにご理解頂けていないようで、大変残念です。残念ながら被依頼者がコメントを重ねれば重ねるほど、精神疾患を抱える人々に対する偏見が露わになっているという感がぬぐえません。文法や文章の構成上の問題などという次元の話では断じてないでしょう。--Pastern 2010年10月8日 (金) 20:53 (UTC) (加筆)--Pastern 2010年10月9日 (土) 08:21 (UTC)[返信]

被依頼者のコメント再開を受けて

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再開後の被依頼者の言動については申しあげたいことがいくつかありますが、まずはこのコメント依頼でもとりわけ重要な、差別的発言に関するものにものに絞りたいと思います。

コメント再開後、被依頼者は自身の差別的発言について、自身の会話ページにおいて、「人権侵害を犯したとは考えていません。」と断言してます[4]。私はこの発言に大変驚きました。

被依頼者が、このコメント依頼の場などにおいて、精神障害者に対する差別的な発言を行ってきたことは明らかです。被依頼者自身、コメント再開にあたり#再開にあたり謝罪という節を設けて、「静葉さんには、精神障害者に対する差別的発言(このコメント依頼での私の発言)、また差別と誤解されるような発言(「茶外茶のノートや静葉さんの会話ページの発言)をした事を心から謝罪いたします。」と述べ[5]、さらに利用者‐会話:Shizuha#謝罪においても「静葉さんに置かれましてはWikipedia:コメント依頼/Pauro 2003 20101006、及び、ノート:茶外茶に於いて精神障害者に対する差別発言、差別と誤解されるような発言をしたことに関して心から深くお詫びいたします。」などと、自身が精神障害者に対する差別的発言を行ったことをはっきりと認めた上で謝罪の弁を述べておられます。しかしながら「人権侵害を犯したとは考えていません。」という言葉はこれら反省・謝罪の弁と明らかに矛盾しているように思います。

依頼者としては、一方で反省の弁を述べ、もう一方で自身の差別的発言を正当化しようとする被依頼者の態度は大変不誠実であると思いますし、このコメント依頼の場や静葉さんの会話ページにおける反省・謝罪の弁は表面的なものであり本心からのものではないと判断せざるを得ません。なお、被依頼者は自身の会話ページにおいて、「人権侵害を犯したとは考えていません。」というコメントについて、「理由は、すでに途中ですが述べさせていただいています。」と述べていられますが、私には被依頼者の過去のコメントを読んでも、被依頼者が何をもって「人権侵害を犯したとは考えていません。」という言葉を正当化しようとしているのか、よくわかりません。むしろ前掲謝罪との矛盾が目につくばかりです。被依頼者に対し、「人権侵害を犯したとは考えていません。」という言葉の根拠と、この言葉が#再開にあたり謝罪利用者‐会話:Shizuha#謝罪における謝罪・反省の弁と矛盾していないかどうかについて、コメントを求めます。--Pastern 2011年1月29日 (土) 20:12 (UTC)[返信]

依頼者としては「人権とは何か」ということに踏み込んだ議論をしたいとは考えていません。しかし人権というものをどのようにとらえるにせよ、精神障害者に対する差別を認め謝罪をしていることとは矛盾しているとしか思えず、被依頼者が自己正当化に走るあまり支離滅裂な発言を行っているということを指摘する意図で上記発言を取り上げました。このことは、「私のあなたが指摘する人権侵害だとするコメントは、あなたのコメントにより感情的になり誘導されたものと考えています。」という被依頼者のコメントに現れていると思います(この点については被依頼者のコメントを頂いてからに指摘しようと考えていましたが、Kinno Angelさんからご指摘頂いたことを受け、依頼者としても取りあげます)。
おそらく感情的になったので、自分の心の底にある差別的な考えをむき出しにしてしまったということだと思いますが、感情的になったからといって差別的発言をしてよいというものではないでしょう。被依頼者の心中に差別的な考えがなければたとえ感情的になったとしても差別的発言をすることはないのですから、被依頼者には発言時の感情のせいにするのではなく差別的な考え方をしているという事実をこそ見つめて、反省して頂きたいです。残念なことに被依頼者は問題の焦点を、自身の差別的な考えから自身の感情の問題へと移してしまっているようです。繰り返しますが、被依頼者が差別的発言を行った最大の原因は、被依頼者が精神障害者に対し「経験上」、「概ねコミュニケーションができない場合が様々な面である」などという、差別的な思い込みをしていたことにあるのです。依頼者は「精神障害者に対する差別的発言、また差別と誤解されるような発言」と反省の弁を述べておられますが、ならば今後同様の発言を行うことのないよう、どのような注意を払うつもりであるのか、お尋ねしたいと思います。--Pastern 2011年2月3日 (木) 08:00 (UTC)[返信]
依頼者としては、「精神障害者に対する差別発言、差別と誤解されるような発言をしたことに関して心から深くお詫びいたします。」と発言する一方で「人権侵害を犯したとは考えていません。」と発言するという被依頼者の態度が、謝罪の態度として妥当であるかどうかを問うています。被依頼者にお尋ねします。謝罪の相手が「人権侵害を犯したとは考えていません。」という発言をどのように解釈するだろうかということは、まったくお考えにならなかったということでしょうか。--Pastern 2011年2月11日 (金) 04:11 (UTC)[返信]
依頼者は、被依頼者が、謝罪の相手が「人権侵害に関してまったく異にする見解を持ってる」ことを想定していないのかということをお尋ねしています。依頼者と被依頼者との人権観の差異は問題にしておりません。再度質問します。謝罪の相手が「人権侵害を犯したとは考えていません。」という発言をどのように解釈するだろうかということは、まったくお考えにならなかったということでしょうか。--Pastern 2011年2月11日 (金) 06:10 (UTC)[返信]
依頼者は2011年2月3日 (木) 08:00 (UTC)に被依頼者に対し、被依頼者が行った差別的発言について、「今後同様の発言を行うことのないよう、どのような注意を払うつもりであるのか」ということをお尋ねしましたが、お答え頂けていないようです。この点は今後被依頼者が再びコミュニティに疲弊をもたらすことを防ぐ上で重要と思われますので、ご回答願います。--Pastern 2011年2月11日 (金) 06:03 (UTC)[返信]

被依頼者コメント

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具体例についてお話しさせていただきます。

茶外茶に関して

  1. 「どのような理由で出典タグを張られたのかは解りませんが」と初稿者の方が言われたので、まず、方針を読んでくださいと簡単に書かせていただきました。さらに、根拠がわからないので具体的にとのことでしたので、関連する方針を列挙し方針こそが根拠である事をお話ししていただいております。方針に書かれてあるため私の言葉で説明する事は、私的解釈も入る可能性があるため基本的に書かれている部分はどの方針を読んでいただきたいか記載するにとどめています。相手の方に根拠となる部分を再度確認していただくことが重要であると考えています。
  2. 2.「方針の理解をされていない」について、方針に関して一度読んでいても忘れる事はあります。ですから再度読んでいただき確認をしていただきたいということであり、再読していただければどの点に問題があるか自ずから判断できるものだと思いますが相手の方は、再読されていないのか、失礼ながら理解力がないのかこの点はわかりかねますが根拠については方針を示し、その後もご説明させていただいております。方針以外に根拠はなく、不親切といわれてもどうしようもないことです。私の言葉に置き換えても誤解を生む結果になるだけです。相手の方は、さらに話を変え私の出典の明記を貼る行為に対して苦言を申されてました。苦言は苦言としてお聞きしようと思いましたが、ご自身の出典に関する問題を絡めご自身の正当性を述べられようとされていましたので、そのことに関しては切り離してお話をさせていただこうと思い利用者‐会話:Shizuha#ノート:茶外茶の件に書かせていただきました。しかし相手の方はその点をご理解いただけなかったようですし、私も上手く切り離してご説明ができなかった部分があるかと思います。私のテンプレート貼り付けに関しての行動のご説明をさせていただいたのですが、その後の相手の方の言動は、私の行動に関してではなく記事の出典に関して話を戻されてしまいました。Wikipedia:検証可能性を再読していただいておればご理解いただけたはずであるはずであるのに、ま逆的な事柄を述べられ続けます。資料が少ないという事を述べられ、さらにはほとんどないというニュアンスを延々と述べられたうえ、『今回の件について、事態を打開するための明確な方法は思い当たりません。解決するためには、何をどうすべきか、その確実な方法を、ぜひにも教えて下さい』といわれましたので、方針に従い考えるならばということで究極的には、削除もありうるのではと申し述べさせていただいた上で削除ではなく記事を充実させる方向でご協力も惜しまないという姿勢を示させていただきました。しかし、『出典となりうる資料とは、実際にどのようなものなのか、明確にご回答下さい。』と言われます。ここまで来ると方針を再読していただいていないのであろう勘ぐりたくもなります。『中国に住まれているのなら、中国茶に関する書籍は非常に多いことはお解りになるはず。そうした中国茶の資料はすべて探されましたか?まさかそうした努力を何一つ行わず、要出典タグを貼り付けただけ、なんてことはありませんよね?』という事を書かれました。このときになって初めて?が私の頭の中をよぎりました。私は中国に住んでいると入っていないむしろ、茶どころ狭山の近くにと述べさせていただいています。何を持ってこのような話をされるのだろうかと?出典に関してお話しをさせていただこうとしているのに、私の行動に関して苦言を呈され、場違いの場所であるため会話ページに移動し行動に関してお話させていただこうとすると記事の出典お話になり、住んでいる場所を誤認?され、延々と資料が少ないほとんどないという事を述べられました。おかしいなと思いつつも相手の方が言われている事を信じ私の行動に関する件に関しても納得いかないご様子で、私が出典の明記テンプレートを貼った行為そのものを責め、出典に関して今後どうされるのか明確なご意見が示されませんでした。会話ページにおいても書きましたが、敵対心のようなものが感じられましたので、相手の方が話されたことのみを根拠にしてですが、二人で話すよりも記事のためにはコミュニティに広く意見をお聞きしたほうが良いのではという意味で、削除依頼か、コメント依頼を出させていただく方向でいる事を申し上げました。その後当該記事のノートに移動され、削除依頼かコメント依頼でコミュニティの意見を広く聞きたいといっているにもかかわらず、『要出典タグを張ったPauro 2003氏は、この記事に対し即時削除する考えであることを事実上表明致しました。記事を育てるのではなく抹消する方向に動いたことに失念しております(Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない)。』と言われます。即時削除する考えなどとはいってないのです。資料がない上での立項であると本人が言われているのでそれを元に削除依頼を出すかコメント依頼を出すかといっているにもかかわらずです。さらに『いい加減、タグを貼り付けるだけ貼り付けて、貼り付けた記事の実際の執筆に一切関わろうとしないその態度を改めて下さいませ』や『(資料は、彼の住む地域であっさり手に入る可能性が非常に高いのですが、そうした資料を集めることは行わないとする態度を取られました)。』と言われました。協力すると再三言っているにもかかわらずこのような言葉がどこから出てくるのでしょうか?何度何度も方針に書いてありますのでと説明しているにもかかわらず真逆の事を繰り返される。私の住んでいる場所を間違える(なぜこのような間違いをされるのか理解に苦しみます)。さらに私が話していることと真逆の事をさも私が主張しているかのように言われる。対話を続けても互いに歩み寄れないと思いました。その時点でこの方はどのような方なのかと言うことにふと疑問を持ち利用者ページを拝見させていただいたわけです。

#に関しては、コメント依頼を出された方は読まれたのでしょうか?汚名を着せられるのは侵害なので明らかにさせていただきたいと思います。この件でプライバシー云々とか言わないでほしいと思いますが・・・。お話しをさせていただいた方の利用者ページには、『うつ病』『パニック障害』に罹患され闘病生活を送られていることがかかれてありました。精神障害に対して決して偏見など一切持っていません。私も年齢が年齢ですので『うつ病』『パニック障害』『統合失調症』など闘病生活をされている多くの方と個人的な接点があります。概ねコミュニケーションができない場合が様々な面であるという事を経験上理解しています。相手とコミュニケーションがとれず爆発させるタイプの病態の方もおられます。対話させていただいた方がどのタイプに入る『うつ病』の方かを判断できません。しかし、その事実を知った上でこれ以上コメント依頼を出したりする事は、相手の方を攻めることになり病気の悪化も懸念されました。一方的と思われるかもしれませんが対話の中断をしなければならなくなったというのが真意です。このように精神障害があったという事を早く知っていれば、件のちぐはぐな会話が納得できコメント依頼等の提案をすることもなかったでしょう。私は、相手の方の心情と混乱に対し大変申し訳ないと思いました。そして、これ以上お話ししても堂々巡りであり、混乱を招くだけであると判断させていただいたのです。利用者ページを読み、会話の流れと言葉の食い違いを判断していただければこのようなご意見はでないと思います。どうしてこのような3の意見が出るのか理解できません。無神経なご意見だとしか言いようがありません。相手の方の心情を思い「隠す」面があっても良いのではありませんか?絶対にこのような形のお話しはしないつもりで対話を終了させていただいたのですが、とても残念です。そして、対話させていただいた方には大変申しわけないと思います。茶外茶に関する一見はこの通りです。今回は具体例のみのご説明とさせていただき、他の件に関してのご説明は数日中にさせていただきます。とめどもなく書き誤字脱字があるかもしれませんが修正等は次回にさせていただくきます。また要点をまとめ次回に。--Pauro 2003 2010年10月6日 (水) 16:19 (UTC) [返信]

私も年齢が年齢ですので『うつ病』『パニック障害』『統合失調症』など闘病生活をされている多くの方と個人的な接点があります。概ねコミュニケーションができない場合が様々な面であるという事を経験上理解しています。相手とコミュニケーションがとれず爆発させるタイプの病態の方もおられます。対話させていただいた方がどのタイプに入る『うつ病』の方かを判断できません。しかし、その事実を知った上でこれ以上コメント依頼を出したりする事は、相手の方を攻めることになり病気の悪化も懸念されました。一方的と思われるかもしれませんが対話の中断をしなければならなくなったというのが真意です。このように精神障害があったという事を早く知っていれば、件のちぐはぐな会話が納得できコメント依頼等の提案をすることもなかったでしょう。私は、相手の方の心情と混乱に対し大変申し訳ないと思いました。そして、これ以上お話ししても堂々巡りであり、混乱を招くだけであると判断させていただいたのです。

「とめどもなく書き誤字脱字があるかもしれませんが修正等は次回にさせていただきます。また要点をまとめ次回に」と申し上げさせていただいた通りですが、私の書いた文章の真意が全く伝わらない文章であった事を知りましたので少しだけ釈明致します。上記の赤下線部と太字で強調した部分をまず見てください。「概ね」「しかし」と書いた部分が全体の文章に誤解を与えてしまったようです。概ねと言う言葉の使い方が間違っていました。どなたかのコメントにもあったように少しヒートアップしすぎ夜間遅くにコメントを書いたため文章の推敲がおろそかになっておりました大変申し訳ありませんでした。わたしは経験上『うつ病』『パニック障害』『統合失調症』の方においてコミュニケーションができない場合が様々な面であるという経験的認識を持っている事をお伝えし、相手とコミュニケーションがとれず爆発させるタイプの病態の方もおられる。これを実体験としてお伝えしたものです。また文章を繋げるため、適切な接続詞を探すことがあります。「しかし」という接続詞が「好き」だという文体の癖のようなものがありましてついつい何も考えずに使ってしまいました。[このサイトの2]と同じ感覚で全体の文章を考慮に入れることなく使ってしまいました。また、文章を書く場合、前後関係を無視してセンテンスで書きそれを接続詞で配置しながら文章を作ることがしばしばあり、接続詞をどこで用い繋げればならないかという点をおろそかにしてしまいみなさんに静葉さんやみなさんに大変ご不快な思いをさせてしまった事は大変申し訳なく思います。下線部を見ていただければわかるように、静葉さん(お名前が既に出ておりますので名前を出させていただきますね)が病気であること、特にうつ病パニック障害であることからこれ以上対話することによって(病状的に)何が出てくるかわからない面とコメント依頼などを出すことになればパニック障害(どのようなケースのものかわかりませんが)によりパニックを起される事を心配しました。という事をお伝えしたかったのです。また、病気によってコミュニケーションが取れないのだと言う事を決め付けたものではありません。それは、静葉さんがどのような病態のうつ病であるか判断できないと私は書きました。これは、コミュニケーションできない・し難いタイプの障害を持っている方だという事を決め付けていないということをお伝えしたつもりでした。静葉さんが、病気によってコミュニケーションを取れないということをお話しようとしたわけではありません。緑下線部の静葉さんのちぐはぐなコミュニケーションに関して病気のせいだと取れるような発言をしたことに関しては謝罪申し上げます。対話を一方的に止めるという事を判断させていただいた理由についてはさらに次回のコメントとさせていただきます。仕事の都合上、ウィキペディアには度々ログインしますが、仕事の原稿締め切りが切迫しておりますのでコメントはすぐはできません。数日間はコメントできませんのでご容赦ください。辛辣なコメントを頂いていたようですので気になる部分に関して釈明になっているかどうかわかりませんが書かせていただきました。あわてつつ今回のコメントを書いたため少し手直しなければならないかもしれませんのでその点を再度申し上げさせていただきます。--Pauro 2003 2010年10月8日 (金) 15:59 (UTC)コメントを残しておくため削除ではなく、削除線を引くことで意思表示しておきます。[返信]

被依頼者のコメント再開

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上記のわたしのコメントは常軌を逸していたものでした。コメント依頼を出されたPasternさんに対し感情的になりエスカレートしてしまいました。なぜ感情的になったかに関しましては、このコメント依頼に、大変な影響をもたらしてしまいましたがそのこと自体はなんら関係するものではないので、ここでは若干触れるだけに留め以後Pasternさんの会話ページにて詳しくお話させていただきたいと思います。また、必要であれば各方針のノートページで議論、コメント依頼させていただきたいと思います。

私にコメント依頼を出されたPasternさんとは、過去において全く対話というものがありません。Pasternさんは、私の対話姿勢に問題があるということを私の会話ページにて対話を試みようとはなさいませんでした。コミュニケーションというものも全くありませんでした。今回の件でこちらのコメントを頂いたのみです。それに対しては私も誠意をもってコメントさせていただきました。しかし、Pasternさんのコメントとこのコメント依頼の時系列を見ていただければわかると思いますが、私が誠意をもってお返事を差し上げた直後、おそらく私の返事も読まずにこのコメント依頼を出されたのでしょう。対話姿勢に対するコメント依頼には当事者との対話は必要ないと Pasternさんはお考えなのでしょうか。誠意を持ってお返事差し上げているにもかかわらず、コメント依頼をいきなり出され、「相手をあざけったり馬鹿にした」「個人攻撃(冒涜)」「嘘」つき呼ばわりされ私は、感情的になってしまった次第です。その結果常軌を逸するコメントをしてしまったことは、どのような理由があったにせよ大変申しわけなく思います。対話姿勢に対してのコメント依頼提出に当事者との対話がなければ、提出してはいけないという規定はありませんが、まず、対話を試みた後にお話が物別れになった場合などに、他の方々がどのようにお考えになるかを示し理解を求めていく対話者に対し理解を求めるためにコメント依頼を出すのが一般人として常識的なマナーではないでしょうか。依頼者においては、対話姿勢を問うコメント依頼なのですから、常識的な態度を持ってコメント依頼を出していただきたかったと思います。コメント依頼の提出方法によっては、感情的になりせっかくのコメント依頼を台無しにしてしまうこともあります。またコメント依頼提出方法に関しては、他のコメント依頼見てもわかるように多くの問題があり、今後改めて議題として取りあげ屈託のないご意見を頂きたいと考えております。

再開にあたり謝罪

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静葉さんには、精神障害者に対する差別的発言(このコメント依頼での私の発言)、また差別と誤解されるような発言(「茶外茶のノートや静葉さんの会話ページの発言)をした事を心から謝罪いたします。今後このようなことのないよう十分に気をつけていきたいと思います。

依頼理由に対する総合的コメント

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まず、私は対話することの重大性を最近強く感じてまいりました。できる限り意見の違う方とも対話を進めたいと考えてきました。しかしながら、私の稚拙な文章の性なのでしょうか、私が「A」と言った事に対して「あなたはBと言われる」とか「あなたはA+αだと言う」、「あなたはAだと言われるが、本当はBなんでしょ」などと捻じ曲げて反論されることがあります。このようなことではコミュニケーションは取れません。基本的な対話「A」を「A」と理解していただけない方とお話ししても話が拗れ土壷にはまるだけで新たなる問題を引き起こす危険性のほうが大きくなります。また、間違い?勘違い?は指摘もさせていただいております。単純な勘違いに関しては、単純に「すみません」とお答えいただくのが普通の対話、会話だと思います。指摘させていただくのは通常の対話であり些細なことであってもお互いの意思疎通を図るためには同じ土俵で同じ認識で話さなければならないと考えています。また対話とは、はじめに全てを語らなければいけないというものではありません。対話は少しずつしてはいけないというのでしょうか?それがコミュニケーションをとる最善だとは思いません。みなさんも普段のご自身の会話を考えればわかることではないでしょうか。「自らの行動の意図に関する説明が丁寧でなく」と言われておりますが数回の対話の中でご説明させていただくよう努力しております。しかしながら、不親切だというご指摘を受け、ご意見を頂いたことに関しては、そのようなご意見を賜ったことですので今後なるべく注意し善処したいと思っています。

「『○○(関連文書)をご熟読ください』などと、相手がルールについて無知であり、関連文書の熟読が必要であることをほのめかす表現を多用する。」とのことですが、わたしたちWikipediaの編集に携わる者の唯一の共有できるルールは緒方針であり、それは編集する者の常識であるはずです(常識として知識として蓄え努力すべき財産です)。少なくとも無条件に三大基本方針には従うべきです(字面ではなく方針の意図する面で)。もちろん方針には問題がないわけではありません。問題があればノートなどで議論し方針の変更をした後、改められた方針に従うことが最善です。しかし「ガイドライン」や「考慮すべきガイドライン」に関してはかなりの問題点を含んでおり必ずしも完全に従わなければいけないとは考えてはおりません。問題があれば適宜に対処するべきと考えております。もちろん、変更には合意が必要と考えます。尚、メインページには「ウィキペディアはオープンコンテントの百科事典です。基本方針に賛同していただけるなら、誰でも記事を編集したり新しく作成したりできます。ガイドブックを読んでから、サンドボックスで練習してみましょう。質問は利用案内でどうぞ。」と書かれております。すべての人が全ての方針を記憶しているわけではなりません。時として意に反し方針に反する編集を本人も気づかず行ってしまう場合もあるでしょう。「相手がルールについて無知であり」と言われていますが、「あなたは無知だ」と非難したことはありません(少なくとも理由なく故意にしたことはありません。もしそのような発言を見つけられましたらご指摘ください)。編集するために多くの方が基本的ルールとしている方針を知らないということは、とても不幸なことです。基本方針に賛同して編集しているのですから基本方針だけでも熟読したいものです。「お互い様」という言葉があります。私も知らず知らずに方針に従っていない場合もあります。間違いがあればご指摘頂ければうれしく思います。指摘もなしに人民裁判的方法は好みません(このコメント依頼が人民裁判だといっているのではありません。多くの、コメント依頼、投稿ブロックの審議に、相手の方との対話を試みることなしに行うものが多数ある事を指しています)。私自身、指摘する場合には適応する方針をまず読んでからお話しするようにはしています。互いの共有財産であるのですから、まずは方針を読む、自分のやろうとしている事柄の関連文章を読むようにするべきではないでしょうか(自戒をも込めて)。問題があるのであれば、私たちの共有財産である方針に則って話すべきです。その意味でもまず、関連文書を読んでいただき知識を新たにし、記憶を呼び戻して対話のステージに立つべきだと思います。多用といえば多用かもしれませんが、多用してはならないというルールでもあるのでしょうか?私はそのような議論がされているという事を知りませんので、もしあるとするならばどこで議論されどのようなコミュニティの結論に至っているのかご教示頂ければ幸いです。その議論をよく読み理解したいと思います。

具体例に対するコメント

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既にいくつかは、コメントさせていただいていますが改めてコメントさせていただきます。

ノート:茶外茶でのやり取りに関して

「1.Template:出典の明記を貼付した理由を求められたのに対し、当初「ウィキペディアの各方針をご熟読ください」とだけ回答し、詳細な説明を行わない。」

これに関しては、有体に言えば「仕事場への出勤間際の編集だったため、短文になった」のです。後付での弁明と取られてしまうかもしれませんが時間がなく「短文」で「疑問だといわれる」ので共有財産である方針を読んでいただく事を申し上げさせていただきました。丁寧ではないとの指摘ですが詳細に関してはその後の対話にてご説明しております。また、どの方針を読むべきかも後述させていただいています。さらに説明もさせていただいています。誤解を与えるようなコメントはなるべく避け、またなるべく時間のない時にはコメントせずまとめてご説明させていただくよう努力したいと思います。しかしながら、ブッチャケ話させていただくと対話なのですから1から10まで最初から説明しなくても、またできなくても良いのではないでしょうか。このコメント依頼を出されたPasternさんですら、私の会話ページでコメントを小出しにされているのですから。許容される事例だったのではないかと思います。そして、それこそ対話であると思います。

「2.「方針の理解をされていない」、「何を言っても捻じ曲げて解釈される」、「対人的にコミュニケーションを取る事に困難があると考えられる」と一方的に断じた上で対話を打ち切ろうとしている。」方針を理解されていないのは明らかです。検証の可能性に関する方針を良くご理解されていないか、誤解をされているのは明白な事実です。(この件は、改めて静葉さんに会話ページにてご説明し、お話させていただきたいと思っております)「何を言っても捻じ曲げて解釈される」この件に関しては前述済みですがさらにもう一つこのコメント依頼においても、よく言えば誤解されている悪く言えば捻じ曲げ話された事実と違う事をお話される印象操作ではないかともとられる発言を続けられておられます。静葉さんの2010年10月6日 (水) 14:40時点におけるコメントノート:茶外茶静葉さんの会話ページを対比して読んでいただければ明白ですが、特に前述の静葉さんのコメントにある一文「さらに、名前空間は、単独で編集を行うものだという考えも、私との会話で見受けることができます。こういう姿勢はいただけません。」と言われています。そのようなことは一切言っておりません。「今後の記事の充実が静葉さんのペースでゆっくりと着実に図られますように」とご病気の事を察し申し上げたまでです。また、何度も協力できる部分は協力いたしますと申し上げております。そして、わたしに「茶」に関する知識がないと断定したり攻撃しているなどと印象操作ともとられそうな発言をされています。これは甚だ遺憾です。茶外茶の問題は「出典なしに記事立項しても構わない」という「編集姿勢」にある事をご理解頂けず、編集もせずにタグを貼り付ける行為が問題だとか出典がない言い訳に終始されています。まず指摘された方針を読んでいただき失念されている部分を思い出していただくことや、また理解されていない部分があればご理解を深めて頂き、なぜ茶外茶にタグが貼られたのか熟考される事、「なぜ」という部分を理解できるようお勧めさせていただきました。タグが貼られた理由を説明しているにもかかわらず、「説明がない」とか言い続けるのはどうなのでしょうか。静葉さんにとってタグ貼り付けこそが間違えであるという視点に立ち、静葉さんが望んでいる回答が私から出ないということから「回答がない」と決め付けられることは、誤解されているという言葉では表現するには余りあるでしょう。私としては、捻じ曲げているとしか言いようがありませんでした。そのような発言をされる方と取り留めなくお話しさせていただいてもし方ありません。お互いが嫌な気持ちを持ち続けるだけです。そこでコメント依頼を出すことを考えましたが静葉さんのご病気「うつ病」さらにうつ病に伴いよく見られる「パニック障害」をお持ちである事を知り、コメント依頼を出すことでパニックを起されては申し訳ないと思ったことが件のご指摘の人格侵害発言を疑わせる私のコメントになってしまいました。場合によっては、対話を一方的に中断することもお互いがそれ以上に傷つけ合わないための良策であると存じます。しかしながら、何度も申し上げますが人格侵害、差別発言等の疑いのある件の発言に関しては大変申し訳なく思っています。私の稚拙なコメントでご迷惑をおかけいたしました。さらに静葉さんには謝罪した上、ご自身の編集姿勢に関する誤解や間違えに関して会話ページにて茶外茶と切り離し後日お話しさせていただく事をお知らせしております。茶外茶に関しては各資料を精査した結果、そもそもの記事立項に関して問題があると感じていますのでその点も後日ノートにてお話しさせていただくこともお知らせしております。

高田桂子および中村彰を巡るやり取り

「出典に関し少し考えればわかりそうな解決方法に思い至らない。」に関して、私が無知な人間だとでも思われてこのような発言をされたのでしょうか?対話ではなく、ご自身の思われている事を推測で物言われ相手を小馬鹿にされるのはいかがなものでしょうか?そうしてはならないとご自身が指摘されているのではないでしょうか?コメント依頼の中のコメントにもマナーを持っていただきたいと思います。

「上記問題の解決を、詳細な説明もなしに出典を要求するテンプレートを貼付するという行為によって図ろうとする。」詳細な説明をしなければ出典を要求するテンプレートを貼ってはいけないのでしょうか?またそのような規定はなく、むしろ出典は初稿者が最初にすべき問題です。また加筆に寄与していないものはタグ貼るべからずというお考えはいかがなものかと思います。

「上記貼付行為に異を唱えた相手に対し、事実に反する説明を行って自らの行動を正当化しようとしたり、関連文書をたてに相手の主張の不備を突くという行動に終始する。」 理由に関することなのでしょうが、理由を説明しなければいけないということもないと思います。タグを貼るということは出典がない、初稿者の書かれた記事の細部に渡る検証ができないという理由で十分です。また、この件に関しては、既にこのコメント依頼が出される前に私の考えを利用者‐会話:頭痛#問題を解決させずにテンプレートを剥がす行為についてに書いています。「高田桂子」に関しては、タグ貼り付け後書誌情報に関する出典が記載されました。しかしその他の情報に関して出典がなく頭痛氏の「どこに出典の必要な記述があるのか」という要約欄の(実際は質問的なコメントではありませんが)読み方によっては質問とも思われるコメントに対し、単純に出典の範囲を示したものです。確かに要出典範囲を示す必要はなかったかとも思います。 私が頭痛氏に感じたのは、対話もなくテンプレートを剥がす頭痛氏の行為に問題があると思ったからです。ですからそのことのみをお話しさせていただきました。また「中村彰」の出典に関してはPasternさんにはお手数をかけましたが、WEBサイトからの出典に関しては、人物の場合その人物が組織(大学など)より抜けた場合、多く削除されるものです。現時点で検証できたとしてもWEBサイトから削除されるという危険性もあり出典として完全(完全無欠)ではないと思いますので、検索で見つかったとしても私は基本的には出典として加筆しないよう努めています。終世検索でヒットする情報ではないからです。インターネットでの百科事典事業なのだからという理由もあるかもしれませんが、より信頼性のおける百科事典となるように発行された書籍等から出典を探すようにしています。ただ、私の実情はなかなか図書館等に足を運ぶことができないので、私の加筆は数が限られます。しかし、もちろんWEBサイトのものは有効ではないといっているのではありません。私なりに確実性を考え加筆する場合は、そのようにさせていただいているということを述べさせていただきました。

さらに記事の編集は、一人でするものではありません。私がタグを貼り要出典の喚起をし他の方で出典を出せる方によって出典の記載がなされても良いのではありませんか。それが私のウィキペディアのひとつの貢献の仕方であると思っています。このコメント依頼が提出された後、フィルターなるものができ、要約欄に出典がないことが明記されるようになったことはとてもよい方法ができたと思います。

誕生の塩工房への即時削除テンプレート貼付を発端とするやり取り

この件に関しては、Wikipedia:コメント依頼/Pauro 2003においてお話しさせていただいていますので、それ以上ご説明することはございませんが、二つだけお話させていただきます。「些細な表記ミスをあげつらっている」というのはその通りかと思います。「相手をあざけったり馬鹿にすること」になるかと思います。私の性格として(直さなければいけないと思いますが)、相手の方に小馬鹿にされると小馬鹿にして返すという癖があるようです。これは直さなければいけないことだと感じております。しかし、前回コメント依頼以降、些細な表記ミスなどを殊更に詰め寄ることはしていないつもりです。私の理解が不十分か相手の方が何をおっしゃろうとしているかわからない部分のみ聞き直すようにしています。また、説諭と申されますが実際に注意を喚起しなければならない場合もございます。注意されてはじめて気が付く場合もあるのですから、対話の中でご注意させていただく場合もあります。上から目線というわけではなく通常ありえる行為ではないでしょうか。

ウラジーミル・ヴァシューチンにおけるやりとり

深読みもいいところです。そのまま私の文章を読んでください。だれも翻訳の労を無視するような発言はしていませんよ。出典は,翻訳であろうが新規立項であろうが必要とされているのです。特に、翻訳作業の場合は、出典のない原文を翻訳するとき、何を信頼して翻訳するのでしょうか。出典がないのですから新たに情報を収集し検証して初めて翻訳できるのではないでしょうか。「わたしは、内容が正しいという事を知っているから出典は必要ない」という姿勢で翻訳、新規立項してはならないと思います。また烙印を押すと何度もいわれますが、テンプレートの内容をもう一度読んでみてください。信頼がない記事であると烙印を押すように書いてはいません。むしろ、専門家ではなく、一般人である私たちが編集するために信頼性を欠く危険性が大きいウィキペディアの百科事典の性格上、より信頼性を上げるためにテンプレートはあると思います。また、前述いたしましたように出典の終世に渡る信頼度からいうと、いつ消えてしまうかわからない誰にも保障できないWEBサイトの情報だけを出典とするのはどうかなと思います。公刊された二次資料を補うものとして使うべきではないでしょうか?そういった意味で不十分と申し上げました。有効性がないということでもありません。信頼のおけるサイトの情報であれば、現時点での出典としては有効でしょう。「出典として不十分ということはすなわち出典ではないと烙印を押していることに他ならないでしょう。」というのは深読みです。「ウラジーミル・ヴァシューチンにおけるやりとり」やサヤ氏との会話を最後までお読み頂ければご理解いただけるかと思います。また「「日本語版の読者が容易に検証できるようにするため」という、Wikipedia:検証可能性に書かれている文言を振りかざして、公刊された日本語で書かれた二次史料以外は出典の条件を満たさないというあまりにも飛躍した論理を展開しています。」と言われておられますが、「公刊された日本語で書かれた二次史料以外は出典の条件を満たさない」などと主張した覚えはありませんがいかがでしょうか。方針に関する意見は前述したとおりです。

房州神輿の件

ごめんなさいね。私この件のやり取りで房州神輿の記事がどのようになったのか確認できませんでした。GFDL違反で即時削除としたんでしょうかね?細かいことはさておき、Siso-noriさんからのご意見ですが、私よりも長い編集経験をお持ちの方であるのに「相手の編集レベルを見極めた上でわざと難しい言葉を使用し、他人の揚げ足を取って・・・。」と言われましたが、編集レベルを見極めた上でというのはどういう意味なのでしょうか?その件まで対話もしたこともありませんしあなたがどのような方であることも知りませんでした。そのような状態で見極めることなどできません。またGFDLいう言葉は難しいというのでしょうか?確かに内容は、難しいと思います。私も全てを把握しきってはいません。しかし、GFDLに関しては、3大基本方針を読んでいけば何度も出てくる言葉です。私自身も「房州神輿の件」のお話しの最中には、恥ずかしくもGDFLなどと表記間違えをしています。人の書いた文章をそのまま使うということは著作権侵害になるやってはいけないことだということであることはこの件以前にすでにご存知であったことでしょう。そして、著作権に関して意識が高まったことで今後の編集を注意深く行えるということはとてもよかったと思います。GFDLという言葉は、前述している通り編集するものにとって共有財産である方針には度々出てきます。その方針に賛同して編集するものにとっては大事なことであり、難しいからとは弁明はできないかなとも思います。そして他者のコメントを同意もなしに削除改変することは、荒らし扱いにされることも十分注意していただきたいと思います。確かに嫌なコメントは消したくなる心情は良くわかります。「最初から無駄であるならなぜそれを同時に教えてくれなかったのか理解に悩みます。特に文末の「編集は無駄である」この一文には怒りを覚えます。」に関してですが対話に関しては、前述したとおりで全てを予測して全てを書かなければいけないということではないはずです。同時に教えてくれなかったのか理解に悩みますとのこと、私よりも編集は何年も前からされている方なのに、何故というのが正直なところです。知らないことは不幸なことです。知らないのであれば「聞く」ということも必要です。 対話というのはコミュニケーションを取り合いながらなされるべきです。あなた御自身が対話に参加して頂いていればこのようなことはなかったのではないでしょうか。房州神輿の件では私の一方通行のコメントで致し方ない部分もありました。会話ページに記載があるときは、なんらかしらのお返事をしていただければ幸いです。また「編集は無駄であることをお知らせしておきます」という言葉には、決して感情的な部分はなく侮蔑した意味もありません。ただ「編集は無駄である」という言葉に怒りを覚えたのでしたら、それは当方の言葉遣いの問題であり申し訳ありませんでした。


コメントいただいた方に対してお返事

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  • 静葉さんへ  静葉さんの会話ページにて若干お話しさせていただきました。またウィキペディアの参加方法は記事への直接の編集寄与だけではないと思います。そのようなご批判は残念ですがお受けすることはできません。
  • shellsquidさんへ 「対話や議論の場において妥協や折衷案というものを提示することがなく」と言うことですが折衷案は出させていただいている場合もあります。方針に関する件は前述の通りです。
  • ЧКさんへ 全くそのと折りかと思います。ご意見ありがとうございました。
  • 663hさんへ 大変申し訳ありませんがお返事いたしません。
  • パールブリッジさんへ ご意見ありがとうございました。善処していくよう努めてまいります。
  • ブースカさんへ ご意見ありがとうございました。速やかにとは行きませんでしたが、十分とはいえないかもしれませんが謝罪させていただきました。
  • チャボさんへ 常軌を逸したものだと思っております。弁明をしてはいますが、その弁明がどのような理由だとしても、謝罪しなければいけないとおもいました。いつも貴重なご意見頂きありがとうございます。
  • Nzrst1jxさんへ えっと何を言われてるのかわかりません。リンクを見ていないからでもあるのですが・・・。赤や青文字で示したのはあなたが思われているような意味ではございません。
  • Kinno Angelさんへ いつもご苦労様です。あなたのご意見はなるほどと思わせる部分もありますがそれは違うだろうという部分も多々あります。サヤ氏との会話ページをご覧ください。対話の途中経過を見てのご発言かなと思います。烙印を押すタグではないことは前述の通りご説明させていただきました通りです。タグ=烙印という短絡的な考えはございません。そして、日本語の出典を求めるタグ、タグではなくても構いませんが何か方法があれば良いと思っています。何せ日本語の事典なのですから、誰でも検証できるようにしたほうが良いでしょう。小学生であっても、私の父母のように英語教育を受けていないものにも容易に検証できるようにした方がいいと思いませんか?ウィキペディアの精神はそういったところもあるのではないでしょうか?誰でもかける誰でも検証できるようにする。そういった面もあるかと思います。タグを貼る事に関しては、様々なご意見があることも良くわかりました。フィルターもできたようです。十分気をつけて理由付けノートに書くなどしてタグを貼りたいと思います。また、この際ですが「幸福ではない議論」に関して申し上げたいと思います。私の稚拙な文章でご理解いただけなかったかとは思います。あなたの個人情報と思われる文章をあなたの利用者ページに書き込まれたのを発見した私はコメントアウトし書き込んだ方にご注意申し上げました。そしてその方は理解してくださり謝罪もされています。あなたのお気持ちは良くわかります。個人情報をさらけ出され(過剰に反応されたのであの個人情報の信憑性が増してしまったのは残念です)怒りに覚えたのは良くわかります。もしわたしであっても同じ反応をしたでしょう。それにしても1週間は置かないとは思いますが。そして謝罪している方に向かってあなたは何と言ったか覚えておられますか?「今回の件ですが、不快というよりは怖い思いといった方が正確です。(中略)プライバシーに関わる事項ついて平然とネット上に公開してしまえる方なのかという疑念が生じました。」と相手の方を煽り挑発しているのです。確かに怖い思いをしたでしょう。その通りです。しかし謝罪してる相手にこのように追い討ちをかけるような発言は感情的になっているからとしか説明が付きませんでした。確かに相手の方に問題があるその点はその通りなのです。でも指摘するといいながら挑発されたのは、問題だと思いました。そして相手の方は感情的になったのですからあなたの挑発行為(言葉がほかに見つからなかったのでこのような表現になりましたこと申し訳ありません)は土壷にはまってしまったのです。この方にはその後いろいろと問題があったようですが、この時点では、謝罪したものに対してさらに追い討ちを掛けて挑発するような言葉を投げかけたあなたに部はないと思いました。さらに、書き込まれた部分をコメントアウトした私になんら一言もなかったのは感情的になっておられたからではないかと思いました。一言「対処ありがとうございました」という言葉があってもおかしくなかったですよね。あなたのコメント依頼にディベートではなくディスカッションをというご意見をされた方がおられましたがディスカッションの姿勢で相手の方のお気持ちも考えていただきたいと思います。(これは自戒を込めて申し上げております)

長々と書き申し訳ありませんでした。わたしのコメント依頼なのに場違いを重々承知で「幸福ではない議論」と言われたので長らく気に掛けていた事を書かせていただきました。

総括としてのコメント

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今までにお話したこともないような方からも様々なご意見を頂きありがとうございました。コメント依頼を頂き感情的になり常軌を逸した発言をしてしまい大変申し訳ありませんでした。タグ貼りに関しては同意できない部分も多々ございます。しかし、多くのご意見を頂く中もう少しよく考え理由付けをしてタグ貼りをしていきたいと思います。また、対話姿勢についても良く考えていきたいと思います。主に著作権侵害における削除依頼をさせていただいています。長い期間ではありませんがその関係で要出典のタグを貼ってまいりました。ご自身の書かれた記事に難癖をつけるものとしてお怒りになられる方もおられます。対話の言葉遣いには十分気をつけていきたいと思いますが、至らない部分もあります。そのような面を見つけられましたら何なりとWikiメールや会話ページにてご指摘いただけると幸いです。さて、更なるコメントを頂くかもしれませんが返答は致しません。コメントはしっかりと読ませていただき更なる編集の糧とさせていただくことお約束させていただきます。宜しくお願い申し上げます。--Pauro 2003 2011年1月29日 (土) 16:46 (UTC)何回かにわけコメントを書き加えてきましたが、不穏当な表現等削除し加筆しております。本日のコメントを持って前述したものは削除させていただきました。[返信]

誤解されている部分へのコメントなど

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「誘導」の部分に関して、結果として誘導されたと感じていることを書かせていただいたものです。決して依頼者が誘導したものだとは申しておりませんし、弁明がましくまた非難しているものではありません。結果として当方が「誘導され」常軌を逸した発言をしたことに関して」は間違えであり申し訳なく思いつつ、静葉さんへの差別的また差別と疑われるような発言に対して謝罪しており、正当化など一切しているものではありません。

「人権侵害に関して」差別的発言、差別と疑われる発言が即「人権侵害」とされるのでしょうか?差別的個人の発言や人格を傷つけてしまう個人的発言が「人間の権利を侵害する」人権侵害とは考えていません。私はこのウィキペディアにおいて何ら権力を持ち合わせていません。また、私の発言により何か静葉さんの権利を侵害してしまったのでしょうか?もしそうであるならばどのような権利を侵害したのでしょうか?人権とは何かをお話しするつもりのない方である依頼者と人権侵害に関する認識が違うのでこれ以上のコメントは無意味かと思います。また、認識が違う中で、非難に終始される方にコメントを返すのも非難合戦となり意味がないものと思いますのでこれ以上の人権侵害に関するコメントは差し控えさせていただきます。また、謝罪はコメント依頼や依頼者にするものではなく差別的発言、差別的と疑われる発言をしてしまった静葉さんに引き続きさせていただきます。

「幸福ではない議論」に関して、Kinno Angelさんのいわれるとおり不適切だったかもしれませんがKinno Angelが言及されたのであえてお話させていただいたものです。これに関してはお許しいただきたくお願いします。あなたが異論が意義があろうとそのように見えたということが趣旨でお話しさせていただたものです。「幸福ではない議論」の発端になった事例にも見られるようにお互いが違う視点で話している場合コメント依頼に出したほうがよい場合もあることを肝に銘じました。この件でコメント依頼を出すというものではありませんが、今後のよい教訓としたいと思います。また、「私は○○と思って発言した」ことを「あなたは××である」と違う見方、正反対の見方をされる場合も多々あり、コメントには十分気をつけたいと思っています。--Pauro 2003 2011年2月11日 (金) 03:17 (UTC)[返信]

「人権侵害」に関して、すでに御説明しています。人権侵害と個人の発言として人格を傷つけてしまうこと、差別的な言動とはまったく意味が違うと考えています。その意味で人権侵害はしていないと言いました。人権侵害に関してまったく異にする見解をお持ちであると推察できますので、平行線ですね。さて、わたしの質問に対してはお答えいただけないのはなぜなのでしょうか?質問をしますと言わなければ質問と捉えていただけないのでしょうか? (この一文だけでも二つ質問させていただきました。また、このコメント依頼の中でも何箇所か?をつけさせていただき「○○でしょうか?と質問させていただいています)--Pauro 2003 2011年2月11日 (金) 06:04 (UTC)[返信]

「人権侵害」という言葉は、人としての権利を侵害する奪うものであることは誰でも知っていることです。私が人の権利を奪うことができると考える方はいないでしょう。実際そのような権力をウィキペディア上には持っていません。コメント依頼者の方は、私が最初に人格侵害と言うあいまいな、また間違った言葉遣いをしたため飛躍し「人権侵害」という言葉を使われたのではないでしょうか。人権侵害の中には障害に対する差別や差別的発言が属性として含まれます。しかし、差別や差別的発言=人権侵害ではないことは明らかです。人権を侵害していないのですから人権侵害はないのです。不知である方がどのように誤解されようと仕方のないことですね。また、静葉さんに対しての差別的と疑われる発言に関しては、本意ではなく私の稚拙な文章により大きな誤解を生んでしまったことは申し訳ないと思っています。私の要支援者(障害者という言葉自体も問題があると思いますので)に対する私の考え方を利用者ページに表明したいと思います。さて、「当コメント依頼の目的について 」という節をたてられたようですが、あなたは対話なしにコメント依頼をだされ、あなた御自身が非難しますと明言されたのです。それに対し私が苦言を申し上げたものですが、それに対する答えというには遅すぎるものではないしょうか。Pasternさんの 2011年2月11日 (金) 06:03 (UTC)における発言においても、なんの提案もなく非難するだけに終始していますが、後付になった目的に関しては、好意的に取りたいと思います。さて謝罪をしているということで、今後同じ誤った発言をしないということが含まれていると深慮していただきたかったですね。Pasternさんの御提案お聞きしたいと思います。--Pauro 2003 2011年2月19日 (土) 12:12 (UTC)[返信]

Kinno Angel さんへ あなたが言われた「日本語文献以外の文献の信用性を否定」「日本語以外の文献の有効性の低さ」に関して、私がいつどのような発言でそのような極端なことを申し上げましたか?具体的に私が話した言葉を用いていただけませんか?もし私がそのような誤った発言をしているなら訂正したいと思います。また、あなたの受けたプライバシー侵害に関して、軽く考えたことはありません。あなたのプライバシーと思われることを書かれた方には大いに問題があります。何度も申し上げましたがその点、非があるのは確かです。しかし、相手が謝罪しているにもかかわらず追い討ちを掛けることの是非はどうなのですか?その点を申し上げているだけです。あなたは相手のかたが謝罪したことにより斟酌されることはされないのでしょうか。私は当初あなたが救いを体験されたキリスト者(信仰的な言葉を書きましたが御理解できない方には申し訳ありません)であると誤解し仲介に入りました。その点は私の思い込みであることわかり、信仰者であれば御理解いただけるであろう文言でお話してしまいました。そういった私の発言に対してもお怒りを助長させてしまったようです。その点に関して再度謝罪いたします。--Pauro 2003 2011年2月19日 (土) 12:39 (UTC)[返信]

コメント

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問題の当事者となった一人としては、本来ならコメントを避けるべきなのかも知れませんが…。
まず、私との一連の対話については、私からの要求に一切応えることなく、話が平行線を辿っております。そもそも要出典タグを貼り付ける際、出典となり得るものがあるのかどうか調べたのか、どのようなものが出典として認められるのか、という問いに一切答えていただけなかった次第。また、出版物を出典として出せといいつつ、Webの情報を出典として記すべきという発言もあったりで、一連の言動に一貫性がなかった、というのが正直な印象です。最終的には、私を攻撃するかのような印象を持つ編集も行われていたりもしています。
もし、彼が、もともと中国茶に詳しく、茶外茶に関する知識をある程度持ち合わせていたのであれば、本人自らが、名前空間をさらに発展させる編集を行っていたでしょうし、要出典タグを貼り付けたあとも、明確なフォローを行っていたはずです。しかし、彼はそうした編集を一切行わなかった。ただ単に要出典タグを貼り付け、会話ページで議論を雑多なものにし、今後の名前空間の編集を事実上妨害しただけに過ぎなかった、という印象を持っています。
さらに、名前空間は、単独で編集を行うものだという考えも、私との会話で見受けることができます。こういう姿勢はいただけません。
ちなみに、投稿履歴を確認していただくと、名前空間の編集においては、タグを貼り付けるだけに終始しているのが非常に目立ち、そして、実際の名前空間の編集は、たいしたことを行っていないことがお解りになると思います。--静葉 2010年10月6日 (水) 14:40 (UTC)[返信]

  • 管理者伝言板に依頼した時も言いましたが、パウロさんは善意で管理活動を行っているものと思われますし、記事の品質向上を求め、読み手を尊重する姿勢そのものは素晴らしいと考えています。ですが、確固たる信念や論拠があるからなのか、対話や議論の場において妥協や折衷案というものを提示することがなく、話が平行線を辿るとヒートアップして、相手に方針への理解が欠如していると判断して説諭する…という事例が多いように思われます。議論の中で相手を怒らせるような発言をしてしまうのも、ヒートアップして冷静さを失い、適切に言葉を選べないからではないかと私は推測します。
  • 私も不適切な干渉を行い度々注意されましたが、タグの貼り付けや他の利用者に対する指導など、管理系に関与する作業は高い判断力と熟慮が要求されるものではないでしょうか。また随所で方針の文言を援用した論陣を張っていますが、ルールを全て無視しなさいという文書があるように、ウィキペディアの規範は矛盾を孕んでいてかつ未成熟であり、全てのケースの対応できるような事例ではないと思います。パウロさんが熟慮に基づいてタグの貼付や他利用者との対話などを行っていたとしても、私から見ると、本当に熟考して行動しているのか疑問に思うことがあります。
  • 何より、ウィキペディアの方針というものは、百科事典の記事が正確かつ品質の高いものへと昇華されていくのを手助けし、編纂に関わる編集者達が円滑に行動できるのを手助けする補強材のようなものではないでしょうか。方針の遵守は大切なことですが、それによって書き手の活動や記事の発展を結果として妨害してしまうのは本末転倒のように思えます。--shellsquid 2010年10月6日 (水) 23:08 (UTC)[返信]
  • …。とにかく3点目については早急に取り下げ、謝罪すべきだ。前言撤回的に記述すれば全てが赦されるという法はない。これはwikiの埒外のことで、いまの被依頼者には倫理の箍が外れてるとしか思えない--ЧК 2010年10月6日 (水) 23:33 (UTC)[返信]
  • おそらくパウロさん本人としては彼なりの思いやりからの発言、行動であったと思います。しかし、その見解には同意しがたいですし、例え善意からの発言であったとしても、侮辱、偏見と解釈されるのも止むを得ないでしょう。私も疾患を抱えておりこのウィキペディアでも他の利用者との間に齟齬を生じたことが幾度かありましたが、私は疾患がありコミュニケーションに問題があるからそういう前提で接して欲しいとは思っていませんし、恥ずかしながら結果には反映されてませんが他の利用者さん同様できる限り円滑に意思疎通、対話をしようと心掛けています。悪気がなかったとしても短慮な発言だったのではないでしょうか。本人からの弁明がありますが、複数の利用者さんがパウロ氏の姿勢や発言について不快感を表明していることについて、なお「誤解」「曲解」と判断するのですか。--shellsquid 2010年10月6日 (水) 23:23 (UTC)[返信]
  • 当事者の一人ですが、パウロさん本人に対してコメントさせてください。
ネット上であれ、パウロさんほど恥ずかしくも無く*******な内面を曝け出すことができる人は滅多にいません。どうしようもなく素直でない実に面白い存在であると思っています。もしも実社会で出会っていたら、パウロさんはさぞやツッコミ甲斐のある同僚あるいは同窓だったでしょう。しかし、このような最大限の善意ある見方をしている人は極めて少数ではないでしょうか。ネットは誤解が生じやすい場所で、丁寧の上に丁寧を重ねるくらいにして丁度よい程度と私は思っています。そして、それは公開されている場所なので、自分の書いた文章が第三者の心情を意図せず傷つける可能性は間違いなく在るということです。それらのような認識がパウロさんには欠落しているように見えます。相手や閲覧者が自分の内なる心情を汲んでくれるというのは「甘え」で、ましてパウロさんのような編集履歴の人は、それを一切期待してはいけません。ウィキペディアでも実社会でもそうですが、重要なことは「人に迷惑をかけない」です。迷惑をかけてしまったことに気づいたら直ぐ、相手や第三者に誠意が明確に伝わるように謝罪しましょう。謝罪行為がパウロさんの存在価値を脅かすというなら、別の方法を考えて直ぐ実行しましょう。ウィキペディアは公開されているということを常に意識してください。自戒でもあります。--663h 2010年10月7日 (木) 13:59 (UTC)[返信]

(shellsquidさんと663hさんの発言を、まとめからコメントに移動しました。--静葉 2010年10月7日 (木) 15:10 (UTC))[返信]

  • 被依頼者よりコメントが出されましたので拝見しましたが…当事者の私からすると、出されたコメント内容は、どう考えても後付けでしかないと思えてなりません。やりとりを行っている期間中は、何度も基本方針云々を繰り返すだけで、こちらからの質問には一切答えようとしない態度を見せ議論を撹乱していますし。極めつけは、精神疾患を抱えている、私を含めすべての人々に対する偏見としてしか捉えることができない発言を提示されました。これは一個人や患者としてではなく一社会人として見過ごすことはできません。ちなみに、私に対する攻撃を行ったとして見て取れるその決定的な証拠として、その文中には、何度も私のページへリンクを執拗に張りまくっていることを挙げておきます。通常の会話であれば、このようにリンクを張りまくるような会話方法はあり得ないでしょう。執拗に私のページへのリンクを張りまくったその行為と、対象者から今回出されたコメント内容は、第三者の視点からしても無理があります。--静葉 2010年10月7日 (木) 15:04 (UTC)[返信]
  • コメント第三者の意見を言わせていただきます。まずは、#ノート:茶外茶でのやり取りに関してですが、静葉さんが精神疾患に書かれていることに対して、「『うつ病』『パニック障害』『統合失調症』など闘病生活をされている多くの方」は「概ねコミュニケーションができない」と言う発言に対してですが、Wikipedia:礼儀を忘れない(エチケット)を無視した、差別や偏見と判断されてもしょうがないと感じました。また、他の件に関してもやや対話姿勢に問題ありと感じます。ですから、被依頼者には利用者の行動に関する文書を熟読することをお勧めいたします。--パールブリッジ 2010年10月7日 (木) 18:54 (UTC)[返信]
  • コメント同じく第三者よりコメントを。パウロさんにも仰りたいこと、主張したいことがおありなのでしょうが、さすがに上記の発言をなさったのは致命的ではないかと思います。依頼者より指摘された内容を自覚なく認めてしまったようなもので、明らかな失当でしょう。言い訳など一切なさらず、とにかく今一度、可及的速やかに皆さんへ謝罪されるべきだと思います。--ブースカ(talk) 2010年10月9日 (土) 04:17 (UTC)[返信]
  • コメント弁明や言い訳の上に立った謝罪には説得力がありません。誤った認識に基づく「偏見があった」ことを認めた上で、当該発言を撤回し、謝罪するべきだと思います。対話を打ち切った理由が他にあるとのことですが、それが静葉さんの利用者ページを閲覧した上でのことだとすれば、どんな理由をつけようとも、被依頼者が現時点で置かれている立場が変わることはありません。早急に謝罪を。個別の議論はそれからです。--ジャニスカ 2010年10月9日 (土) 05:30 (UTC)[返信]
  • コメントPauroさん、文章構成上のミスについて長々と反省していらっしゃいますが、「Pauroさんの文章のまずさ」について怒っている人はいません。謝罪の意図が伝わっていませんよ。ネガティブな一般論を特定の個人に結びつけて批判するのは、「○○のくせに生意気だ」というような、偏見を助長する強引な論法です。Pauroさんご自身「静葉さんのちぐはぐなコミュニケーションに関して病気のせいだと取れるような発言をしたことに関しては謝罪申し上げます。」とありますから、その点に関しては良くなかったと認識されているし、謝罪するつもりもあるんですよね? 大きな過ちを、比較的どうでもいい事柄や他人への批判と一緒くたにして語られるから、「ごまかそうとしている」と解釈されてしまうんですよ。少し落ち着いて、何について謝るべきかを考えて、その点に絞ったコメントをなさることをお勧めします。--チャボ 2010年10月9日 (土) 09:37 (UTC)[返信]
  • コメント Pauro 2003さんは弁解に精神疾患を利用している印象を受けます(2010年10月6日 (水) 20:44 (UTC)差分)。この版(2010年10月8日 (金) 15:59 (UTC)差分)ではわざわざ文字色を赤と緑で強調しているし。まるで自分たちと異なる意見を持つ人たち(反政府的人たち)を抑圧するためにソビエト連邦南アフリカ共和国が精神医学を利用した手法を模擬しているかのように思えてしまいます(「宇都宮病院事件#影響」を参照)。--Nzrst1jx 2010年10月11日 (月) 16:43 (UTC)[返信]
  • コメント 私は一度パウロ2003さんとはあまり幸福ではない議論をしてしまった事がありましたので、第三者性が弱いと思われます。従いまして二点に留めます。一点目ですが、精神疾患への無理解・誤解・偏見をそのままにしてしまいますと、それこそパウロ2003さんが目指されるところであるjawpの信頼性向上に対して大きなマイナス要因になるでしょう。パウロ2003さんには他の論点につきましては兎も角、この一点に対しては速やかに謝罪・訂正される事が、ご自身の目指される目標にとっても、jawpにとっても、良い事だと思います。二点目ですが、英語出典を「不十分」であるとされた事についてです。shellsquidさんが「本人は「拒否しているのではなく不十分なだけ」と言っていますが、出典として不十分ということはすなわち出典ではないと烙印を押していることに他ならないでしょう。」と仰っていますが、その通りです。このような事が罷り通りますと、日本語文献が碌に無い分野ではほぼ全記事が崩壊しかねません。それどころか当方は東欧・正教会に係る記事でギリシャ語・ロシア語文献・外部リンクも出典として使用しますため、これらについて「不十分」とされては、既存記事の信頼性向上のための出典付与がほぼ不可能になります。これではパウロ2003さんの目的とは相反するのではありませんか。もちろん、相対的に多くの日本人が解する外国語である英語以外の言語媒体を出典として使用するに当っては、説明を求められれば、馬鹿にする事なく可能な限り丁寧に対応するなど、相応の配慮が必要である事は言うまでもありません(「この言語が分からない位であればこの分野に手を出すな」とまで述べた行き過ぎた編集者も居ますが、私は相応の配慮は当然必要という立場です)。しかしながらただ英語以外の外国語であるというだけで「さらなる出典を求める」とタグを貼られるのでは、「記事の信頼性向上」を目指すものというよりは、「タグを貼る事」という、本来手段であるものが(無意識にではあっても)目的に置き換えられてしまっているのでは…との懸念を生じさせるものです。どうか御再考をお願いします。--Kinno Angel 2010年10月13日 (水) 15:35 (UTC)[返信]
  • パウロさんの行動にはやや独善的というか、「自分が正しいことを疑わない」というような点がありますので、その点は反省して今後の行動に活かしてもらいたいと思います。特に誕生の塩工房関連は、あまりに拙速な対処に見えました。
  • パウロさんの発言が人権侵害にあたるとする依頼者の主張は無意味です。問題となっているパウロさんの発言は「愚かで失礼な発言」以上のなんでもありません。礼儀に関してルールの逸脱があったことは確かですし、二度はないと強く思います。しかしコメント依頼は裁判所ではありませんし、人権研究会でもありません。ウィキペディアのコミュニティが行う対処には何ら変わりはないのですから、「人権侵害かどうか」を判断したところで、「人権とはなにか」「どのような行為が侵害とみなされるか」と議論を交わしたあげくに何の成果も出ないことが目に見えています。なので僕は人権侵害うんぬんの議論にはこれ以降参加しません。--チャボ 2011年1月30日 (日) 14:27 (UTC)[返信]
  • コメント 法的問題は一定の枠内で論じる事が可能ですが、人権侵害かどうかは確かに実りの少ない議論になるかと思います(ウィキペディアが信頼に足るサイトで在り続けることを志向する以上、人権にかかる問題につき「無意味」という文言まで使うことには躊躇いが生じますが)。人権侵害かどうかよりも、私はむしろ「私のあなたが指摘する人権侵害だとするコメントは、あなたのコメントにより感情的になり誘導されたものと考えています。」とのパウロ2003さんの御発言に驚きました。「誘導」されたから言ってしまった、という弁解交じりの非難は、あまり良いものとは思えません。--Kinno Angel 2011年2月3日 (木) 06:30 (UTC)[返信]
  • コメント それから「コメント頂いた皆様への返答」の直後にパウロ2003さんが細かい編集をなさっていたため(これは悪意によるものとは思っていません、念の為)、今気付いたので申します。私に対する長文のコメントをここでなさるのは不適切です。経緯や理解内容について大いに異議があるのですが、私としましてはパウロ2003さんに対するコメント依頼の場で私を巡る議論の応酬を控えざるを得ず、なぜこの場でこのような私(それも私に対してのみ)に対する長文を、しかも直接的な関係の無い内容を書かれたのか理解に苦しみます。「幸福でない議論」というのは、第三者に対して私Kinno Angel側の正当性のみを主張したものではないのであり、長々とここで書き込みをなさる必要があるのでしょうか?異議があるのでしたら一旦終結はしていますが私へのコメント依頼は過去に出されているのですし、私の会話ページに御越し頂いても結構でしょう。--Kinno Angel 2011年2月3日 (木) 08:49 (UTC)[返信]
  • コメント 茶外茶において、彼の一方的な編集があり、その編集に対する問題点を指摘した上で、対象者との対話を改めてノート:茶外茶で開始しています。私には、このコメント依頼ページで、対象者に向けられた様々な言葉を対象者が完全に無視しているようにしか思えません。私には、コミュニティを軽視あるいは無視し、自分勝手に物事をいまだに進めているようにしか思えてなりません。私が関わっているのは茶外茶だけですが…正直言うと、彼の編集をなどを含めた関連する事項をすべて、今すぐにでも差し戻ししたいところではありますが、問題の解決を優先するために手をつけることができない状態ではあります。それはともかく、このままの状態では、対象者が関わるすべての記事において、同様の問題が必ず発生するはずですし、それはコミュニティを疲弊させ、また記事を育てていく障害にも繋がると思われます。このようなことは正直言いたくないのですが、予防策として、対象者の投稿ブロックを視野に入れなければならないのではないかとも思うのですが。このコメント依頼が出されてから5ヶ月もの長い時間が流れておりますが、いまだ終結されていないのも、ひとえに、対象者の対応や態度によるものが要因として大きいと考えられますし。どうすれば、JAWPにとって、いい解決策になるのだろうかと、いまだに困惑しております。--静葉 2011年3月29日 (火) 23:29 (UTC)[返信]
  • コメント上記コメントを記してからかなりの日数が経過しましたが、現在でもノート:茶外茶における状況は変わらないばかりか、さらに後退しているような印象さえあります。彼は茶外茶の出典を見つけ、それを元に編集を行うと発言していますが、しかしながら、その出典がいかなるものかについては、現時点でも明らかにしておりません。それどころか、質問を質問で跳ね返す始末で、こちらの話を無視し続けている印象すらあります。このコメント依頼での対話を拒否する旨の意思も見せておりますし。こうした一連の行為については、コミュニティの意思を無視しているものと見なしてもおかしくはないでしょう。彼の対応や態度は、結果的に、記事の執筆を妨げ、また、その執筆をされている方々の妨害を行っていると見なされても不自然ではないと思っております。相手が何を伝えようとしているのかを明確に捉えることなく、ただ自らの主張を繰り返すだけという態度を現在でも取っており、また、このコメント依頼の内容を無視すらしているような発言も見受けられると私は感じておりますが…このコメント依頼に参加されている皆さんは、このコメント依頼を、どのような方向へ進ませればいいとお考えでしょうか。今後の為に、きっちりと結論を出したほうがいいのではないでしょうか。--静葉 2011年5月7日 (土) 01:31 (UTC)[返信]
コメント 私はPauro2003さんはこの場での議論に復帰されるべきだと思います。もっぱら差別的発言に焦点があたる中で議論が停止しましたが、指摘されている問題点はそれにとどまりません。Pauro2003さんはこのコメント依頼を、自分を非難するためだけに出されたものだという発言をされていますが、果たしてそれが説得力のある主張なのか、議論を打ち切る正当な理由といえるのかについて検討する必要があるでしょう。--Pastern 2011年5月8日 (日) 09:18 (UTC)[返信]

まとめ

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中間のまとめ

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コメント依頼を提出したばかりですが、被依頼者から重大なコメントがありましたので中間のまとめを行います。#ノート:茶外茶でのやり取りの3点目に関し、被依頼者は、対話相手の利用者ページに精神疾患により闘病中であると書かれていることを指摘した上で、「『うつ病』『パニック障害』『統合失調症』など闘病生活をされている多くの方」は「概ねコミュニケーションができない」という見解を「経験上の理解」として有していることを明らかにしました。これは精神病を抱える人間への偏見・侮辱に他なりません。私は利用者ページの記載内容を把握していましたが、よもやそのような差別的発言をしたわけはないだろうと解釈し、根拠のない暴言・冒涜だと指摘しました。しかし被依頼者自身が真意を明らかにした以上、問題の発言は「あなたは精神疾患を抱えているから、対人的にコミュニケーションを取る事に困難があると考えられる」という内容のものであったということになります。これは最も深刻な部類に属する暴言・冒涜・誹謗中傷です。被依頼者は他にも「『うつ病』『パニック障害』『統合失調症』など闘病生活をされている多くの方」は「概ねコミュニケーションができない」という偏見を根拠に一方的な対話の打ち切りという問題行動を正当化しています。そればかりか精神疾患を抱える人間に対する偏見を自ら露呈したにもかかわらず、責任を依頼者に転嫁しようとしています。「絶対にこのような形のお話しはしないつもりで対話を終了させていただいた」などと書いていますが、現に偏見を抱いていることを自ら明らかにした後ではまったく空しいばかりです。差別的発言を平然と行い、自己正当化の材料にさえする被依頼者がこのまま活動を続ければ、コミュニティにさらなる重大な被害がもたらされるのではないかと案じられてなりません。--Pastern 2010年10月6日 (水) 20:44 (UTC)[返信]

本依頼を継続すべきかどうか、ご意見をお聞かせください

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#当コメント依頼の目的についてでも指摘しましたが、被依頼者は依頼者の会話ページにおいて、このコメント依頼が「非難することだけを目的にした」ものであるという主旨の発言を繰り返しています[6][7]。被依頼者がこのような認識を持った状態でこの依頼を継続して、果たして前向きな成果を得ることができるのかどうか、疑問に思えてきました。多くの利用者と衝突を起こし、その上それらについて提出されたコメント依頼の中でも特定の性質を持つ人間に対する配慮を欠いた発言をした挙句、依頼自体を「非難することだけを目的にした」ものであると反発している、ということを確認した上でこの依頼を終了したほうがよいのでしょうか?ご意見をお聞かせください。--Pastern 2011年2月13日 (日) 07:53 (UTC)[返信]

被依頼者の、Pasternさんが問題アリとみなす言動について、「人権侵害」に当たるかどうかについて意思表示をしている人は殆どいませんが、眉を顰めこそすれ、「問題無し」とする人は居なかったように思います(見落としていたら御指摘下さい)。複数のユーザーから眉を顰められたということについては被依頼者には謙虚に受け止めて頂きたいと思いますが、少なくとも被依頼者の依頼者へのコメントを見ていますと、かなり不安が残るのも確かです。ただ本コメント依頼を継続すべきかどうかについては、新たな進展は見込めないようにも思います。コメントした他ユーザーも、たしなめるべきはもう既にたしなめているようにも思えます。私としては、本コメント依頼を見て、もう近い将来に被依頼者の言動が改善されることはないだろうという印象を受けました。それは私に対する長文をここで書かれた事にもよります。日本語文献以外の文献の信用性を否定されては事典としての品質を維持するなど到底不可能だと思う私は、外国語文献を否定されてはたまらない旨指摘したのですが、ガイドラインに無い「日本語以外の文献の有効性の低さ」といった勝手な価値観を持って来ることが、どれほどコミュニティに深刻な疲弊を齎すかという危険性に、まるで被依頼者が無自覚なことが明らかになっただけでした。しかも本長文には、関係の無い私のプライバシー侵害についても無神経な感性も示されています表す長文でした。繰り返しますが、正直、もう近い将来に被依頼者の言動が改善されることはないだろうという印象を受けています。--Kinno Angel 2011年2月13日 (日) 13:43 (UTC)[返信]
お疲れ様です。当節におけるPasternさんとKinno Angelさんの御意見が当コメント依頼の結論でよいと私は思います。被依頼者には、多くの人と衝突を起こしてしまった理由・原因について深く考えていただきたい。--663h 2011年2月16日 (水) 14:12 (UTC)[返信]

Wikipedia:投稿ブロック依頼/Pauro 2003を提出しました。

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私がした、「謝罪の相手が『人権侵害を犯したとは考えていません。』という発言をどのように解釈するだろうかということを考えなかったのか」という質問に対する返答が「不知である方がどのように誤解されようと仕方のないことですね。」というのはあまりにひどいと思いました。自分が差別的発言を向けた相手への言葉とは思えません。あまりにも思いやり、配慮に欠けた言葉です。コメント依頼の依頼者としては、指摘したような相手への配慮の欠如や、考えが異なる他の利用者を「不知」と呼んだ挙句、自分と異なる考えは「誤解」、つまり誤った理解や解釈であるとするその態度こそ、Pauro 2003さんがこの1年余りの間、複数の利用者と衝突を起こしてきた原因であると考えざるを得ません。しかもそのことを、Pauro 2003さん本人が問題として認識してるところが全く感じられません。それも、発言より前に、他の利用者から「パウロさんの行動にはやや独善的というか、『自分が正しいことを疑わない』というような点がありますので、その点は反省して今後の行動に活かしてもらいたいと思います。」[8]とコメントされていたにもかかわらずです。

すでに他の方が同様の発言をされていますが、私は被依頼者の言動の改善に関し、絶望に近い思いを抱くに至りました。そしてこのままでは近い将来、Pauro 2003さんの言動によってさらなる衝突が生じ、コミュニティに重大な疲弊がもたらされることを懸念せずにはいられません。以上の理由から、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Pauro 2003を提出いたしました。--Pastern 2011年2月19日 (土) 16:32 (UTC)[返信]

  • 投稿ブロック依頼を取り下げました。私には謝罪する一方で不誠実な態度をとっているように見え、このままでは今後また同様の軋轢を引き起こす可能性は高いように思えましたが、コミュニティの見解とは食い違いがあったようです。今後についてですが、このコメント依頼が「非難することだけを目的にした」ものであるという姿勢で臨まれても、実りある成果を得ることは困難だと思います。依頼者としては他の利用者のご意見も参考に、コメント依頼をひとまず終了させたいと思います。被依頼者が当該発言を撤回された場合には再開させましょう。--Pastern 2011年2月24日 (木) 14:17 (UTC)[返信]

ノート:茶外茶などでのやりとり記録

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現在でも茶外茶の記事を存続させるための話として、彼は延々と私に非があるという主張を繰り返し、また、議論を前向きなものとせず、それどころか、どんどん後退させていっております。議論は、記事を編集するよりも骨の折れる作業ですので、私自身がかなり疲弊しました。そこで、うまく説明できるかどうか解りませんが、私自身の為にも、編集履歴により時間を追ってみました。こうした記載がコメント依頼の形式に沿ってはいないことは承知しておりますので、相応しい場所があればそちらへ移して下さい。
なお、これはあくまでも私の主観から見た一方的な編集であることをお伝えします。また、個人的な印象なども書いておりますが、掲載する際にあえてそのまま明記しておきます。

  • 平成22年9月28日 (火) 23:10時点における版 要出典タグを貼り付けたその根拠について、まず説明を求める。その際、茶外茶という言葉の存在について、Baidu.comの検索結果をまず示唆。
  • 平成22年9月29日 (水) 07:57時点における版 しかし、彼は、基本方針を読めというたった一行だけ。
  • 平成22年9月29日 (水) 09:25時点における版 その態度にまず不信感を持ち、ちゃんと説明するようにと伝える一方、すでにAllAboutの記事を出典として取り扱える可能性を、初期に示唆してある
  • 平成22年9月29日 (水) 22:01時点における版 が、彼は、このページを読めとした言わない。また、AllAboutの記事が出典にならないという考えを彼はここで暗に指し示している。これは後の彼の発言と矛盾する事になる。
  • 平成22年9月29日 (水) 22:50時点における版 この時点で、茶外茶という記事の明確な出典の提示が困難であることを伝える一方、彼が納得できる出典を出すことを彼に求めることにした。
  • 平成22年9月30日 (木) 00:32時点における版 何故か茶外茶の話題をPauro_2003氏が移動、そのことを私がノートに記している。議論を攪乱させているという疑念がここでわき上がることになる
  • 平成22年10月1日 (金) 00:04時点における版 私の会話ページで、茶外茶の記事を早急に削除するという態度を表明したことを受け、それをノートページで伝えると同時に、出典となり得る可能性のあるウェブ上での資料を、参考資料として示唆。ここでも私はAllAboutの記事を参考として記載している
  • 平成22年10月1日 (金) 14:21時点における版 彼の仕事の関係で茶外茶の出典を探すことができること、また、発言の最後で、出典となり得るものを探してみるとしている。この発言により、以前の彼が行った一連の発言から、彼がもともと中国茶を知っている、または知識を充分に掌握できる環境にいるのだと私が勘違いしてたことが分かる。また、私のページへのリンクを執拗に貼り付けるという行為が見られるが、その理由が後に発覚する。
  • 平成22年10月2日 (土) 07:10時点における版 双方が持っていた誤解なども含めて状況を私が整理。有意義な出典の提示をPauro_2003氏が行うことに期待することにした。なお、私は、この時点で、第三者にも解りやすいよう、茶外茶という言葉に対する現状を簡単に説明している。
  • 平成22年10月2日 (土) 11:22時点における版 が、ここで、彼は、私と対話が成り立たない、その理由が私の利用者ページに書かれていると伝え、対話の終了を宣言した。ここでPauro_2003氏が執拗に私のページへのリンクを張るその理由が発覚する。
  • 平成22年10月2日 (土) 23:39時点における版 私だけではなく、同じように障害を抱えている者に対するPauro_2003氏の偏見に対して強く非難。話題をころころと変え議論を攪乱しようとしているように取れる態度についても指摘。また、どのような記事でも、単独で記事を編集することが相応しくないことも示唆しています。なお、私が現在でも記事執筆にかなり慎重に取り組んでいるのは、記事はみんなで育てるものだと考えている事もここで書いています。私が書けることなんて、たいしたことないですしね。
  • Wikipedia:コメント依頼/Pauro_2003_20101006が提出され、このコメント依頼で、上記のやりとりも問題として取り上げられる。
  • ここでPauro_2003氏との会話は一端打ち切りとなります。対話の終了がPauro_2003氏より一方的に宣言されている以上、私との対話を拒否したと考えていいでしょうし、この事は言い逃れはできないはずです。そして、彼と交代で、今度は可変IPユーザーとの対話が開始されます。
  • 平成22年10月14日 (木) 08:13時点における版 可変IPユーザーからの新たな対話が発生。
  • 平成22年10月15日 (金) 20:40時点における版 現状を説明。ここで中立性を保つ出典をまだ私が見つけてはいないと伝えている。
  • 平成22年10月16日 (土) 02:39時点における版 また、高額ではあるが中立性を保つ出典となり得る書籍として期待しているものがあることを伝えているが、実はすでにそのことはこの版に記載しています。
  • 平成22年10月16日 (土) 15:30時点における版 対話をしている可変IPユーザーが、茶外茶の出典となり得るものを知っていることが解る。が、私が確認したものではないので出典として使用せず。
  • 平成22年10月16日 (土) 23:45時点における版 この可変IPユーザーから削除依頼が提出。しかし早くにこの動議は否決され終了。なお、要出典タグを貼ったままで記事を存続させるという合意があったとの発言があるが、現在でも、どこにもそのような合意は無い。
  • 2010年11月6日より、私はJAWPから離れる。翌年3月21日に復帰するまで、JAWPへのアクセスや履歴確認は一切行っていない(→特別:投稿記録/Shizuha)。以降は、私が関知していない間での出来事になる。
  • 平成23年2月19日 (土) 21:55時点における版 (←Wikipedia:コメント依頼/Pauro 2003 20101006)彼のコメント依頼において、現時点では、この書き込みがPauro_2003氏の最後の投稿となる。現在でも、ノート:茶外茶において、私は何度もコメント依頼への復帰を促してはいるが、彼は拒否している。
  • 平成23年2月20日 (日) 01:42時点における版 Wikipedia:投稿ブロック依頼/Pauro 2003が提出。後にこの投稿ブロック依頼は、依頼者取り下げにより審議終了となり、見送りとなった。ただし記載されている意見については、Pauro_2003氏の行動に対する一連の問題が指摘されているようにも思える。
  • 平成23年3月2日 (水) 23:03時点における版 コメント依頼で、彼の偏見による発言が問題視された結果なのか、彼は発言を取り消し線で削除(ただし取り消し線を付加した時の署名は行っていない)。また、現在でもこの取り消し線を使用した経緯についての説明はなく、また、Pauro_2003氏は、この一連の発言に対する何らかの謝罪を行ったとしているが、実際にはそのような事実は無い。そしてこの取り消し線を付加すると同時に、茶外茶のリダイレクト化を宣言。なお、コメント依頼において、彼の差別発言に関する意見が多く出てから彼が取り消し線を用いて発言を撤回したとするまで、大きく時間があいていることもここで指摘しておきます
  • 平成23年3月10日 (木) 11:44時点における版 茶外茶という言葉が辞書に掲載されているかを調べたが無かったと発言。この時点で、出典の有無を確認するために調べたのは、どうやら日本語の、中国語に関する辞書だけらしい。その書籍に、一葉茶苦丁茶竹葉茶菊花茶洋菊茶などなど…の、あまり一般的とは言えない中国茶の言葉も辞書に掲載されているのかと問いたくはなるが、私はウィキブレイク中なので知るよしもない。なお、ここで、茶外茶を、中国茶というくくりとしてではなく、茶としてくくるとする考えがうかがえる事と同時に、彼は出典を提示することなく編集しようとしている(後にその事を指摘されている)。私に言ってることとやってることに対するその矛盾が解る。
  • 平成23年3月19日 (土) 11:52時点における版 茶外茶のリダイレクト化を、誰の賛成意見を得ることもなく、彼単独の判断で実施。
  • 平成23年3月21日 (月) 10:33時点における版 私がウィキブレイクから復帰(もっとも、ブレイクを行うという宣言は行ってはいないが)。リダイレクト化されていることに驚く。リバートすることもこの時点で考えたが、編集合戦を招くのは目に見えている為記事には手を出していない。
  • 平成23年3月21日 (月) 11:11時点における版 Pasterm氏から、Pauro_2003氏へ、何をどう調べたのかと質問が出される。
  • 平成23年3月21日 (月) 16:28時点における版 その出典がPC内に蓄積されたデータであることを暴露。つまり明確な出典無くリダイレクト化に動いたことがここで判明。一連の、強く出典を求めていたはずの彼の発言と実際の行動に大きく矛盾することが解る。しかもこの時点で、資料として出しているという彼のPCは復帰していないらしい。と、いうことは、何の出典もなく編集に動いた事を自ら認めたこととなる
  • 平成23年3月26日 (土) 21:59時点における版 しかも参考としている資料をほぼ持ち合わせていないことがここで露見。このコメントで、の記事をさらに雑多にするとも取れる発言がある一方、茶外茶に対する独自研究をここで述べているのは見逃す事ができません(→花茶で、花茶の3つの分け方を先日解りやすいように編集しましたけれど、値段の安い中国茶の本でもしっかり書かれている内容です。実際に自己所有の、590円の本を見ながら編集しました。ただし、この花茶についても、書籍によって解説に大きくばらつきがあります。中国茶の記事は、何を出典として採用するか、その判断の難しさが、ここにもあります)。
  • 平成23年3月27日 (日) 02:04時点における版 彼に対すて質問を、答えやすいように箇条書きで提示。
  • 平成23年3月27日 (日) 16:31時点における版 Pasterm氏も質問を行う。だが…
  • 平成23年3月29日 (火) 15:32時点における版 ここで問題発言が出る。Pauro_2003氏は、茶外茶という言葉に対する出典が必要ないと言ってのけた。これは初期に今まで私が彼にさんざん質問していた、出典の形態を否定したことになる上、このことは後に私への言いがかりに発展する。また、私の質問は、箇条書きにしたにも関わらず、「すでに答えた」の一点張りで、その答えたとするものを全く示唆していない(そもそも、答えていないから質問をしているのが理解できていないらしい)。また、茶外茶の記事で起きている出来事について、ここで解答するものではないという態度を示し、対話を拒否。なお、PCに入っているデータがクラッシュしたそうだが、その時期と、茶外茶の出典を求めた時期とかなりの隔たりがあることをここで指摘しておく。つまりは、彼の上記までに登場した、「出典を持ち合わせている」という発言の信憑性がここでも失われたと言ってもいいだろう。
  • 平成23年3月29日 (火) 20:19時点における版 質問を追加し全9項目を提示。なお、ここで、私は、Pauro_2003氏に、謝罪を受けた事実はないと伝えているし、実際に現在でもそうした謝罪を受けた事はない。関連するすべてのページを確認したものの、何をどう謝罪したのかすらいまだに確認できていない。
  • 平成23年3月29日 (火) 20:50時点における版 記事だけの対話を行うとしているが、ここでも、その記事の対話すら私と行おうとしていない。また、謝罪したのにしていないとするのは遺憾でるとの発言をしているが、その謝罪したとする根拠を現在でも提示していない。この投稿の後、Pasterm氏からその謝罪云々の話が出されている。この時、私がPauro_2003氏のノートページに記載した編集を取り上げているが、実はこの時も、このノートページで「謝罪を行った」という言葉だけしか確認していないため、実際に謝罪を行っていたとしてもうわべだけの言葉だと今でもそう感じていますし、それはこの後の、話題をそらしまくろうとする態度にも見受けられます。
  • 平成23年3月30日 (水) 01:36時点における版 Pasterm氏が、記事について論点を指摘。ここで話題となった苦丁茶は、初版は確かに私が編集したものですが、しかし以降の編集についてはほとんど関わっていないことをお伝えしておきます。
  • 平成23年3月30日 (水) 08:07時点における版 私が、ここで、Pauro_2003氏に対する疑念を出す。明らかな対話拒否もここで指摘。また、発言や意思がころころ変わっていることもここで指摘している。その上で、質問に対する明確な回答を期待したのだが、その後もやはり答えることは無かった。
  • 平成23年4月13日 (水) 06:42時点における版 Pasterm氏の会話ページにも話題が波及]。この茶外茶に関する話題が、私、Pauro_2003氏、Pasterm氏の各ノートページ、そしてコメント依頼の4つにまたがる事となった。これは議論を拡散させ、うやむやにするためだと思われて当然であろう。
  • 平成23年4月18日 (月) 06:38時点における版 ノートページで、出典を提示した上で編集を行うとし、その作業工程を記しています。この時に、すでに彼が差し戻しを行った場合、回数に関係なくコメント依頼により協力を求めることを宣言しています。これは、すでにPauro_2003氏によるリバートを予測し、編集合戦を防ぐ為でもありました。
  • 平成23年4月18日 (月) 07:06時点における版 参考資料として、中国茶協会HPなどを提示。簡潔にではあるが、ここに茶外茶の説明が書かれています。この説明を根拠に、以前張られていた要出典タグを削除した上で記事を編集し、リダイレクト化を解除(参考までに比較をどうぞ。ただし記事には書き間違いもありますので参考程度です)。その他二つについては、ものが中国語であるためとりあえず書いとけ程度のもので後ほど修正することとした。ただし、現在でも、その言葉が使われているという、オンラインで閲覧できる資料として、小さな記述ではあるものの中国茶協会の説明は強力な出典として採用できると考えています。
  • 平成23年4月18日 (月) 21:41時点における版 が、直後にリバートを行うと宣言。その理由として、『合意のない編集はコミュニティを疲弊させます』とあるが、しかしながらリダイレクト化に関する合意形成がされたという事実はありません。単独の判断が何故合意になるのか、理解に苦しむところです。なお、彼が中国茶に関する知識が無いことそのものについては、前述の花茶に関する事からもうかがい知ることができます。さらに、私がリダイレクト化の提案に参加していないとしているが、そもそも私がウィキペディアから離れていることを彼は調べてはいないようです。…もしくは、私がウィキペディアから離れているところを狙い澄ましてのリダイレクト化提案だったのか…。こういう疑念は募るばかりですのでやめておきましょう。
  • 平成23年4月18日 (月) 21:39時点における版 上記を根拠に、Pauro_2003氏がすぐに差し戻しを実施。
  • 平成23年4月19日 (火) 08:31時点における版 予想通り差し戻しが実行されたため、コメント依頼の提出の準備を行う事を私は宣言しています。
  • 平成23年4月19日 (火) 09:34時点における版 そしてコメント依頼を行うため、コメント依頼で判断していただく内容を記述。すでに、このときに中国茶協会のHPを出典として採用することを、間接的ではあるものの記事の差分を確認してもらうとした上で伝えています(後に、この出典をPauro_2003氏が否定しました)。
  • 平成23年4月19日 (火) 17:51時点における版 氷鷺氏が、私の編集の版に差し戻しを実施。
  • 平成23年4月19日 (火) 21:06時点における版 が、すぐさまリダイレクトとするものに差し戻しを実施。これは明らかに3RRに違反しています。今まで基本方針を守れと言っていたにも関わらず、その本人が基本方針を守っていないのがよく解ります。
  • 平成23年4月19日 (火) 15:12時点における版 ここでPauro_2003氏が、私に対して投稿ブロック依頼を出すと宣言。ここでも方針の熟読を私に伝えていますが、…3RRを実行したのはどこの誰でしょうか。
  • 平成23年4月19日 (火) 19:23時点における版 念のため、コメント依頼が違う方向へ行かない為にも、方向性を定めるために最後に付け加える…のだが、その後、私もPauro_2003氏の議論の攪乱に釣られてしまうことになる。
  • 平成23年4月19日 (火) 22:53時点における版 Rabit_gti氏により、複数の出典となり得るものが存在すると指摘、また、私が参考資料として提示している中国茶協会HPについてもここですでに言及している他、(ショップHPについてはともかく)個人のサイトではあるが充実したものなどを紹介してくれている
  • 平成23年4月19日 (火) 23:43時点における版 Wikipedia:投稿ブロック依頼/Shizuha 20110419が提出される。が、しかし依頼者以外誰も私の投稿ブロックに賛成しないばかりか、日本語版の編集方針を読むようにとさえ言われている。この事からも、私よりむしろPauro_2003氏のほうが、方針を理解していないのではないかという印象すら受ける。結果的に、24時間もたたず依頼者の取り下げにより終了となるが、議論が締結したことを私のノートページに記載することは無かった事も、私に対して悪意を未だに持ち続けている根拠として捉えています(そもそも、その議論のなりゆき自体、私はJAWPから離れており、確認することができていなかったりします私の投稿履歴を見ても、その間、私はウィキペディアに関わってはいません…が、投稿履歴ではその証拠にはなりませんね)。
  • 平成23年4月21日 (木) 07:26時点における版 投稿ブロック依頼が出され、その内容についてのコメントをノート:茶外茶で記しています。ここで、Pauro_2003氏により議論の攪乱が行われていることを念のために指摘しています。
  • 平成23年4月21日 (木) 22:41時点における版 ここでRabit_gti氏が、上記問題に対するまとめを行っております。後に、こうして仲裁につとめる彼に話のまとめ役をお願いしたのですが、しかし彼は辞退されています。
  • 平成23年4月23日 (土) 01:16時点における版 Pauro_2003氏が、私が記事を差し戻した際に提示してある参考文献を出典としては認めないとする発言をここで行いました。また、リダイレクト解除にも反対であるとする態度を取っています。その根拠として、中国茶協会に書かれているその資料と私の発言が矛盾しているとしています…が、ここまでに、私は、「日本茶の世界において茶外茶という言葉は存在していない」と伝えてはいるものの、麦茶などを茶外茶とはしないという発言を一切行っていないにも関わらず、それが矛盾であると指摘しているわけです。(これは余談ですが、麦茶は日本発祥、杜仲茶は中国発祥です)。さらに、Pauro_2003氏が、「私が調べた資料を再確認してのち月末をめどに書き換えを行いたいと思いっています」と発言しているのも見逃せないポイントです。そのほか、期間を定める旨の発言すら行っているのも注目です。
  • 平成23年4月23日 (土) 02:30時点における版 Rabit_gti氏による、Pauro_2003氏へのコメントが出される。ここでもガイドラインを読むようPauro_2003氏に指摘している。
  • 平成23年4月23日 (土) 09:51時点における版 記事を私の編集した版へ差し戻した氷鷺氏からコメントが出される。ちなみに、ここまでに、私がリダイレクト化された記事を差し戻し、執筆を行った事に関してはコメント依頼等を経してこられた方々からは批判を受けていない。
  • 平成23年4月25日 (月) 16:16時点における版 みっちさんの発言に触発され、JAWP上における、中国茶に関する記事の実情や情報の取り扱いについての個人的な考えを参考程度に書いてみた…が、ここでPauro_2003氏への批判を書いていることに二人から注意を受けています。
  • 平成23年4月25日 (月) 23:30時点における版 あのようなコメントを記すようにしたそのいきさつについて説明。ちなみに、ここで、「むしろこのように保護されている状態が、かえって都合がいいとさえ考えています」と発言していますが、その後に続くように、これは編集合戦を避ける為、ちゃんと議論がまとまるまで記事の編集を取りやめるという意思表示でもあります。
  • 平成23年4月26日 (火) 19:11時点における版 みっち氏が論議から離れることをここで宣言…されましたが後にまたコメントをされています。それはともかく、私自身が話題をそらす原因を作ったことがここで解ります。
  • 平成23年4月26日 (火) 20:08時点における版 Rabit_gti氏が私が伝え切れていない事…つまり保護解除後の編集合戦に対する懸念を伝えてくれています。が、その懸念が杞憂であることも同時に伝えています。
  • 平成23年4月26日 (火) 21:43時点における版 ここで上記のような記述について反省することに。その一方で、コメント依頼でこられたみっちさんに、期限を定めた旨の発言の撤回を申し出ています。この期限が合意に組み込まれたら、たまったものではありません。
  • 平成23年4月29日 (金) 21:57時点における版 Pauro_2003氏により、記事保護後の記事存続について、ようやく態度を軟化させている。その際、AllAboutの記事を出典として取り入れたらどうかとの提示されましたが…それをさんざん無視したのはいったいどこの誰だったのでしょうか。その一方、「茶外の茶」という記事名にすればどうかとの提案が出されているのですが、むしろ茶外の茶という言葉よりも茶外茶という言葉のほうが茶商の間でも一般的であるため、個人的にその事には合意することはできないと考えています。つまり、ここでも合意に至るための意見が衝突することになります。
  • 平成23年4月30日 (土) 00:20時点における版 Rabit_gti氏により、この時点で保護解除後の記事のありかたについて見解が出されています。ちなみに、ここでAllAboutの記事を、一時的にであれ出典として明記すべきとの意見も出されているのと同時に、記事名を「茶外の茶」とすることに関しては、言葉を濁しつつも、どちらかといえば賛同しかねるという態度を取られています。
  • 平成23年4月30日 (土) 13:00時点における版 Pauro_2003氏が、ここで、茶外茶に関する出典を集めたという発言があり、これがさらに後に揉める要因となります。「茶外の茶」への改名については見送りとしてはいます。しかし、このあたりのこうした態度が、私のいらつきを爆発させる結果となります。
  • 平成23年5月1日 (日) 06:47時点における版 私は、記事の執筆より、私へのコメント依頼を出すと宣言しているのだから、そちらを最優先してくれとの意思を示しています。前述のように、私へのコメント依頼の提出をほのめかしているため、コメント依頼が実際に出た際にすぐに対応できるよう、JAWPでの執筆を避けていたのですが、それらをすべて棚にあげてしまわれたことに怒りを覚えたわけです(もっとも、勝手な感情ですけどね)。以前の、疾患に関する容認できない発言も、発言を行った事実を取り消すことはできませんし、現在でも同様の態度を取っていると私が感じています。すぐに仲裁に入っていただけてはいますが、これまでの経緯から、Pauro_2003氏の、私への一連の行為の怒りがきており、しばらくの間冷静さを失っています。
  • 平成23年5月1日 (日) 15:21時点における版 私が、中国茶の本は、書籍によって解説内容が違うことをここで指摘…していますけれど、私がかなり冷静さを失っているのがこの記述からも解ります。
  • 平成23年5月2日 (月) 10:53時点における版 Pauro_2003氏、ここでAllAboutの記事が、出典として問題ないとの見解を出す。なお、AllAboutの記事に関して、私がそれを出典とすることを批判しているとした発言がありますが、現在でも批判そのものは行ってはいません。また、「あなたの言うところの明確な出典がどのようなものか教えてくれと何度も伝えましたが、あなたはその私の問いかけには現在まで一切応じていません。」とご批判されていますが、私はその御批判に対しては既にお答えしていますとあるものの、しかしどこにあるのか、このように時間軸を追って編集していますが確認ができませんし、彼自身、どれがそうであるという指摘を現在でも行ってはいません。
  • 平成23年5月4日 (水) 09:04時点における版 私が、上記を踏まえ、どこでどう説明しているのか教えてくれと伝えています…が、以降の編集でも、現在においても答えておりません。なお、相変わらず冷静になれていませんね。それも踏まえ、Rabit_gtiさんが仲裁に再び入っています
  • 平成23年5月4日 (水) 18:13時点における版 ここである程度冷静さを取り戻しています。また、議論を正常化させるため、これまでの議論を踏まえ合意案を記載しました。また、茶外茶の記事成立がどうしても必要なその理由についても、ついでに明記しています…が、余計でもありますね。ここでの最大のポイントは、Pauro_2003氏が持っているとする出典を採用することにあります。過去にすでに、彼は出典となりうる資料を複数所持しているとする発言がありました。どのような形であれ、現在でのいきさつから、彼が私が参考文献として取り上げるものはすべて否定することが目に見えているため、それなら彼の持つという資料を出典として取り扱えばいい、という考えによるものです。つまりは、Pauro_2003氏を合意に導くための方法でもあるわけです。が…
  • 平成23年5月5日 (木) 09:57時点における版 彼はリダイレクトの解除に突然反対する態度を示しました。しかも、その根拠として中国茶協会HPに記された内容と一致しないとしています(このあたりは、上記で説明を行いました)。
  • 平成23年5月5日 (木) 10:17時点における版 一連のこうした態度は、議論を攪乱する目的以外の何者でもないと感じ、再び激高。締結していない彼のコメント依頼及び、一連の対話を元に投稿ブロックを行うと宣言し、実際にその直前まで作業を進めましたが…JAWP外での仲裁もあり、そのために何とか冷静さを取り戻し、投稿ブロック依頼の提出を見送ることにしています。ある程度準備は進めていて、原稿も残してはいます。
  • 平成23年5月5日 (木) 12:16時点における版 再び冷静になり、合意へと向かわせるための議論を行うため、話を横道にそらすその態度に対して権勢を行うと同時に、コメント依頼への復帰を促しています。体裁を整えてくれとコメントしたことに対しては即座に対応しているものの、コメント依頼の復帰に関しては無視されています。
  • 平成23年5月6日 (金) 07:35時点における版 私は、ここで改めて、Pauro_2003氏が持つという出典が何なのか、詳細を求めています。もっとも、記載している内容は皮肉が色々と込められておりますので、まだ完全に冷静にはなっていないことがよくわかります。ちなみに、ここで茶経が出典としてなり得ないことを示唆しています…が、一方で、茶経の完全な日本語版記事については、まだ私も掌握していませんので、何とも。
  • 平成23年5月8日 (日) 07:21時点における版 再度、私が出典の提示を彼に求めることになっていますが、仲裁に入っていただいているRabit_gti氏にも噛みついていますね私。
  • 平成23年5月8日 (日) 09:59時点における版 Rabit_gti氏が、議論を区分けしています。このうち、誰が出典を出してもかまわないという態度を取っており、もちろんこれは当然のことです。
  • 平成23年5月9日 (月) 21:04時点における版 みっち氏、ここで私の投稿ブロックに賛成すると発言していますが、ここは投稿ブロック依頼のページでないこと、また、投稿ブロック依頼そのものも現時点では出されていません。何かの勘違いでしょうか。
  • 平成23年5月9日 (月) 22:10時点における版 さらにその投稿ブロックにPauro_2003氏が賛成するというおかしな事態がこのノートページ上で展開されています。
  • 平成23年5月9日 (月) 22:50時点における版 上記を受け、Rabit_gti氏が仲裁のコメントを出してくれています。ここで、投稿ブロック依頼がどのようなものであるかも指し示していただいています。なお、上記で投稿ブロック依頼を提出するとしたのは、この対話だけを理由としたものではないことをあえて示しておきます。
  • 平成23年5月10日 (火) 10:41時点における版 ここで再び、Pauro_2003氏が持つという出典について、具体的にどのようなものなのかを求めているという意思表明をしています。また、Rabit_gti氏とみっち氏に対して、話をそらさず合意…この場合は結論ですね…を出すよう要求すらしています。この時点で、お二人とも、、私が提示した合意案については、出典のありかたについてはコメントをされているものの、それ以外の項については何も発言されてはいません。
  • 平成23年5月10日 (火) 12:16時点における版 気分転換として、ここで茶外茶に関する小話を載せることに。こうした記事とは関係ない事を書くことに関しては、実は前科があったりします。が…
  • 平成23年5月10日 (火) 22:42時点における版 この、どうでもいいような話にさえ意見を伝えてきております。それも、こんな事よりも重要であるはずの、彼が持っているとする出典を明らかにしないままに、です。なお、この一連の発言について、出典の提示を求めますと言ったら、彼はどうするでしょうか。
  • 平成23年5月10日 (火) 23:03時点における版 Pauro_2003氏、私に対して方針の無理解を再び提示した上で、翌日詳しく記載すると発言しています。私に、繰り返し注意されていることを受け止めろと伝えてきていますが…
  • 平成23年5月11日 (水) 00:35時点における版 ここで、私は、再度、私がPauro_2003氏へ行った質問…この中には、彼が持つとする出典を明確にすることも含まれています…が無視されていることを伝えています。まだ冷静になれていないですね私。
  • 平成23年5月11日 (水) 22:18時点における版 Pauro_2003氏は、予告通り、発言は行いました。…が、現在までの主張を繰り返すだけで、こちらの質問に答えることはありません。それどころか、これまでの行動や行為を無かったかのような発言すら行っております。しかも記載されている内容については、かなりいい加減なものばかりであると判断しています。が、いい加減うんざりしているので…まだその指摘は行っておりません。
  • 平成23年5月12日 (木) 03:55時点における最新版 上記により、結局、私とは対話できないのであろうと判断、情報の整理を行うため、時間軸を追う形で再度状況を確認するためにも、こうしたリストを作ることを決め、このように公開に至りました。

以上、これは私が関わっている範囲での時間軸をまとめてみたものです。かなり膨大なものとなりましたが、こちらも、このコメント依頼で行う議論及び参考とする資料として提示致します。--静葉 2011年5月12日 (木) 06:45 (UTC)[返信]

さて、この膨大な時間軸に関する思慮の提出から時間が経過しました。この資料に関する、被依頼者からのコメントは現在のところ確認できません。この時間軸の資料は、彼が何度も私に求めている質問の回答も含まれています。しかし、相変わらず茶外茶のノートページで、このような発言をされています。茶外茶のノートページでは、私からの質問に彼は答えていない以上、これ以上彼の質問に答える義理はないと考えていますので、皆さんにはその旨ご了承いただきたく思います。もし、この時間軸を元に、私が求めている、彼からの明確な回答をいただけたのであれば、納得して返答します。なお、この時間軸に関する資料を確認していただいた上での、私及び被依頼者に対する、皆さんからの意見(ただし、私の視点だけで記載していることを念のために再度お伝えしておきます)、そして被依頼者からのコメントをお待ち致します。--静葉 2011年5月13日 (金) 05:46 (UTC)[返信]