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** 3月 - 名古屋大学大学院理学研究科修了([[博士(理学)|理学博士]])
** 3月 - 名古屋大学大学院理学研究科修了([[博士(理学)|理学博士]])
** 4月 - 京都大学理学部助手就任
** 4月 - 京都大学理学部助手就任
* [[1979年]](昭和53年) - 高エネルギー物理学研究所(現・[[高エネルギー加速器研究機構]]助教授
* [[1979年]](昭和53年) - 高エネルギー物理学研究所(現・[[高エネルギー加速器研究機構]])(KEK)助教授
* [[1985年]](昭和60年) - 高エネルギー物理学研究所教授
* [[1985年]](昭和60年) - 高エネルギー物理学研究所(KEK)教授
* [[2003年]]([[平成]]15年) - 高エネルギー加速器研究機構[[素粒子原子核研究所]]長
* [[2003年]]([[平成]]15年) - 高エネルギー加速器研究機構(KEK)[[素粒子原子核研究所]]長
* [[2004年]](平成16年) - [[大学共同利用機関法人]]高エネルギー加速器研究機構理事
* [[2004年]](平成16年) - [[大学共同利用機関法人]]高エネルギー加速器研究機構(KEK)理事
* [[2006年]](平成18年) - 高エネルギー加速器研究機構名誉教授、財団法人[[国際高等研究所]]フェロー
* [[2006年]](平成18年) - 高エネルギー加速器研究機構(KEK)名誉教授、財団法人[[国際高等研究所]]フェロー
* [[2007年]](平成19年) - 独立行政法人[[日本学術振興会]]理事
* [[2007年]](平成19年) - 独立行政法人[[日本学術振興会]]理事
* [[2008年]](平成20年) - 名古屋大学特別招へい教授<ref>{{Cite web
* [[2008年]](平成20年) - 名古屋大学特別招へい教授<ref>{{Cite web

2021年2月4日 (木) 10:48時点における版

小林 誠
生誕 (1944-04-07) 1944年4月7日(80歳)
日本の旗 日本愛知県名古屋市
居住 日本の旗 日本
国籍 日本の旗 日本
研究分野 物理学
研究機関 京都大学
高エネルギー物理学研究所
(現・高エネルギー加速器研究機構
出身校 名古屋大学理学部
博士課程
指導教員
坂田昌一
主な業績 CKM行列の導入
小林・益川理論の提唱
影響を
受けた人物
南部陽一郎
大貫義郎
主な受賞歴 仁科記念賞1979年
日本学士院賞1985年
J・J・サクライ賞1985年
朝日賞1994年
文化功労者2001年
文化勲章2008年
ノーベル物理学賞(2008年)
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示
ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:2008年
受賞部門:ノーベル物理学賞
受賞理由:クォークが自然界に少なくとも三世代以上ある事を予言する、CP対称性の破れの起源の発見(小林・益川理論
イタリア国立核物理学研究所所長ニコラ・カビボ(左)と
小林誠

小林 誠(こばやし まこと、1944年4月7日 - )は、日本理論物理学者素粒子理論を専門分野とし[1]、小林の名が付けられた「CKM行列 (Cabibbo-Kobayashi-Maskawa matrix)」や「小林・益川理論」で知られる[2][3]ノーベル物理学賞日本学士院賞受賞。文化功労者文化勲章受章者。名古屋大学特別教授および素粒子宇宙起源研究機構諮問委員会座長、高エネルギー加速器研究機構特別栄誉教授独立行政法人日本学術振興会理事および学術システム研究センター所長、財団法人国際高等研究所フェローを務める[4][5]

人物・来歴

愛知県名古屋市出身。愛知県立明和高等学校卒業。幼くして父を亡くしたため、母方の伯父に当たる海部家に身を寄せ、従兄の海部俊樹らと共に暮らす[6]名古屋大学理学部にて坂田昌一らの指導を受ける。学位理学博士(名古屋大学・1972年)。論文の題は 「軽粒子ハドロン散乱と流れ代数和則」[7]。 卒業後は京都大学や高エネルギー物理学研究所(現・高エネルギー加速器研究機構)で理論物理学の研究を続けた。その業績により2001年に文化功労者に選ばれ、2008年には益川敏英南部陽一郎と共にノーベル物理学賞を受賞した[8]

家族・親族

内閣総理大臣を務めた海部俊樹、天文学者海部宣男愛知トヨタ自動車元副社長の小野茂勝は従兄。海部俊樹は後に小林について「年下だったので、マー坊と呼んで可愛がった。男の子にしてはおとなしく、いつも部屋で難しげな本を読んでいた。思えばあのころから、天才に『突然変異』する芽があった」と語っている[6]

研究

素粒子理論を専門分野とし、彼の名が付けられたカビボ・小林・益川行列で知られる。

京都大学の助手であった1973年に、同僚の益川敏英と共にウィーク・ボゾンクォークの弱い相互作用に関するカビボ・小林・益川行列 (CKM matrix) を導入した。

教科書への苦言

ノーベル物理学賞の受賞が決定した後の2008年10月10日に益川敏英と共に塩谷立文部科学大臣と面会し、小林は「検定教科書は必要最低限が書かれるが、これは読む気を失わせる、もっとストーリーが必要」と苦言を呈した[9][10]

略歴

学術賞

栄典

  • 2001年 - 文化功労者
  • 2008年 - 文化勲章[17]

脚注

注釈・出典

  1. ^ 氏名表記、氏名の読み、生年月日、職業(理論物理学者)は、日外アソシエーツ株式会社編『新訂 現代日本人名録 2002 2.かなーせ』日外アソシエーツ株式会社、2002年1月28日、939頁。
  2. ^ 小林誠・益川敏英博士のノーベル賞受賞”. 京都大学大学院理学研究科 物理学教室 グローバルCOE事務局 (2008年12月9日). 2009年11月22日閲覧。
  3. ^ 【ノーベル物理学賞】素粒子物理学の世界に金字塔「小林・益川理論」”. MSN産経ニュース (2008年10月7日). 2009年11月22日閲覧。
  4. ^ kekノーベル賞(経歴)”. KEK(高エネルギー加速器研究機構) (2009年10月1日). 2009年11月22日閲覧。
  5. ^ kekトピックス(小林誠名誉教授経歴)”. KEK(高エネルギー加速器研究機構) (2007年7月6日). 2009年11月22日閲覧。
  6. ^ a b 英語、大嫌い 授賞式が初の海外 ノーベル賞益川氏”. asahi.com(朝日新聞社) (2008年10月7日). 2009年11月26日閲覧。
  7. ^ 博士論文書誌データベース
  8. ^ 小林・益川・下村氏にノーベル賞授与、晩餐会も”. YOMIURI ONLINE(読売新聞) (2008年12月11日). 2009年11月22日閲覧。
  9. ^ 読売新聞2008年10月10日夕刊記事要約
  10. ^ 益川さんと小林さん、文科相ら表敬…教育行政を手厳しく批判”. YOMIURI ONLINE(読売新聞) (2008年10月10日). 2009年11月22日閲覧。
  11. ^ ノーベル賞の小林、下村氏を特別教授に委嘱 名古屋大”. MSN産経ニュース (2008年12月24日). 2009年11月22日閲覧。
  12. ^ kekプレス(小林誠名誉教授に特別栄誉教授の称号授与)”. KEK(高エネルギー加速器研究機構) (2009年1月6日). 2009年11月22日閲覧。
  13. ^ スーパーアドバイザー - 横浜サイエンスフロンティア高等学校” (2016年7月7日). 2016年7月12日閲覧。
  14. ^ 名古屋市科学館” (2020年5月4日). 2020年5月4日閲覧。
  15. ^ 朝日賞:過去の受賞者”. 朝日新聞. 2009年11月22日閲覧。
  16. ^ 中日文化賞:第41回-第50回受賞者”. 中日新聞. 2009年10月23日閲覧。
  17. ^ 平成20年度 文化功労者及び文化勲章受章者について 平成20年度 文化勲章受章者(五十音順)”. 文部科学省 (2008年11月3日). 2009年11月22日閲覧。

関連項目

外部リンク

公職
先代
山田作衛
日本の旗 素粒子原子核研究所所長
第2代:2003年 - 2006年
次代
高崎史彦
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