長崎県立総合体育館
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(アリーナかぶとがにから転送)
長崎県立総合体育館 (アリーナかぶとがに) Nagasaki Prefectural General Gymnasium | |
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施設情報 | |
設計者 | 株式会社日本設計 |
構造形式 | 鉄筋コンクリート(一部鉄骨) |
敷地面積 | 約27,170 m2 |
建築面積 | 約11,680 m2 |
延床面積 | 約16,220 m2 |
階数 | 4階 |
竣工 | 1994年(平成6年)1月 |
所在地 |
〒852-8035 長崎県長崎市油木町7番1号 |
位置 | 北緯32度46分43.6秒 東経129度51分17.7秒 / 北緯32.778778度 東経129.854917度 |
長崎県立総合体育館(ながさきけんりつそうごうたいいくかん、英: Nagasaki Prefectural General Gymnasium)は、長崎県長崎市油木町にある県立体育館である。体育館の屋根の形がカブトガニに似ていることから、「アリーナかぶとがに」と呼ばれている[1]。スポーツ施設としてだけではなく研修室・会議室を有し、大型コンベンション施設としても利用されている[2]。また、長崎市科学館が隣接している。
施設概要
[編集]- 敷地面積 - 約27,170㎡
- 延床面積 - 約16,220㎡
- 建築面積 - 約11,680㎡
- 総事業費 - 約62億円
- 設計者 - 株式会社日本設計
- 3つのゾーン
- メインアリーナ棟
- サブアリーナ棟
- スポーツ科学・管理棟
- 構造 - 鉄筋コンクリート(一部鉄骨)造2階建て - 研修施設、会議室、体力測定・体力相談室、管理室
- 附属施設 - トレーニング室、ジョギングコース、多目的室、レストラン等。
沿革
[編集]- 1988年(昭和63年)
- 1月19日 - 長崎市体育協会(会長:川崎周之)と長崎市議会スポーツ振興議員懇話会(会長:中村七生)が本島等長崎市長に県立野球場と県立体育館を誘致し、スポーツ施設を充実させるように求める要望書が提出された。
- 4月16日 - 本島等長崎市長が柴田副知事を訪ね、県立野球場と県立総合体育館の長崎市への設置を要望する。
- 7月18日 - 長崎市議会定例会最終本会議において、県立野球場および県立体育館の長崎市設置の決議案を全会一致で可決される。
- 9月22日 - 県立体育施設建設に関する協議会が初会合が開かれる。
- 9月26日 - 長崎市に野球場をつくる市民の会(会長:平川純一)代表が、高田勇長崎県知事、本島等長崎市長に会い、11万2,671名分の署名を添えて、松山地区に野球場、油木地区に体育館建設を陳情する。
- 10月3日 - 本島長崎市長(当時)が、市議会各派代表者会議において、県立体育館を油木町の長崎市立長崎商業高等学校跡地に建設したいと表明する。
- 10月5日 - 黒岩長崎市教育長(当時)が、伊藤長崎県教育長に県立体育館を長崎市立長崎商業高等学校跡地に建設を求める要望書が提出される。
- 11月22日 - 県営体育施設建設に関する協議会(座長:小川雄一郎県体協理事長、委員17名)が、県立体育館は長崎市油木町の長崎市立長崎商業高等学校跡地が適当との結論を出す。
- 12月1日 - 高田県知事が、長崎県議会定例会本会議において、県立体育館を長崎市立長崎商業高等学校跡地へ建設する考えを表明する。
- 1992年(平成4年)3月 - 長崎市立長崎商業高等学校跡地に着工する。
- 1994年(平成6年)1月 - 完成。
所在地
[編集]- 〒852-8035 長崎県長崎市油木町7番1号(北緯32度46分43.6秒 東経129度51分17.7秒 / 北緯32.778778度 東経129.854917度)
- 長崎市立長崎商業高等学校跡地に建設された。
アクセス
[編集]- 最寄りのバス停
- 最寄りの電停
- 最寄りの国道
周辺
[編集]- 長崎市科学館
- 長崎交通公園(主に児童への交通安全指導・講習が行われている。)
- 護国神社
- 長崎県営野球場(ビッグNスタジアム)
- ヤマダデンキ 家電住まいる館YAMADA長崎本店
- 城栄公園
- リンガーハット大橋球場前店
- 長崎バス大橋営業所
- TSUTAYAスペース・エム城栄店
- 城栄町商店街
- 長崎市立緑が丘中学校
使用チーム
[編集]脚注
[編集]- ^ 航空写真を掲載した新聞の愛称公募により、中学生の応募案が採用された。
- ^ 2010年(平成22年)11月9日~12日に、労働組合の国際組織であるユニ・グローバル・ユニオン(UNI)の第3回世界大会が開催された。