コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

レジェップ・タイイップ・エルドアン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エルドアンから転送)
レジェップ・タイイップ・エルドアン
Recep Tayyip Erdoğan


任期 2014年8月28日
副大統領 フアット・オクタイ(2018年7月-2023年6月)
ジェヴデト・ユルマズ英語版(2023年6月-)
首相 アフメト・ダウトオール
ビナリ・ユルドゥルム[注釈 1]

任期 2003年3月14日 – 2014年8月28日
大統領 アフメト・ネジデト・セゼル
アブドゥラー・ギュル

任期 1994年3月27日1998年11月6日

トルコの旗 公正発展党
初代・第4代党首
任期 2001年8月14日2014年8月27日
2017年5月21日
副党首 アブドゥラー・ギュル
セミル・シセック
ビナリ・ユルドゥルム

出生 (1954-02-26) 1954年2月26日(70歳)
トルコの旗 トルコイスタンブール
政党 国民救済党福祉党美徳党公正発展党無所属公正発展党
配偶者 エミネ・エルドアン
宗教 イスラム教
署名

レジェップ・タイイップ・エルドアンRecep Tayyip Erdoğan [ɾeˈd͡ʒep tɑjˈjip ˈæɾdo(ɰ)ɑn] ( 音声ファイル), 1954年2月26日 - )は、トルコ政治家。2014年からトルコ大統領を務めている。

概要

[編集]

1994年から1998年までイスタンブール市長を務めた。2001年に公正発展党(AKP)を設立し、2002年、2007年、2011年にAKPを率いて選挙に勝利し、2003年から2014年までトルコの首相を務めた。2014年に大統領に選出されると退陣を求められた。その後、2017年に行われた憲法制定のための国民投票を経て、AKPのリーダーに復帰した。イスラム主義の政治的背景を持ち、保守民主主義者を自認する彼は、政権時に社会保守主義的でポピュリズム的な政策を推進してきた[2][3][4]

1994年の選挙では、イスラム主義の福祉党の候補者として、イスタンブール市長に選出された。その後、ジヤ・ギョカルプの詩を朗読したことにより、宗教的憎悪を煽ったとして、市長の地位を剥奪され、政治活動を禁止され、4ヶ月間投獄された[5][6]。その後、エルドアンは公然のイスラム主義政治をやめ、2001年に穏健保守のAKPを設立し、2002年には地滑り的な勝利を収めた。エルドアンが技術的に公職に就くことを禁じられていたため、AKPの共同創設者であるアブドゥラー・ギュルが代わりに首相に就任し、後にエルドアンの政治的禁止を無効にした。2003年のシルト州での補欠選挙に勝利した後、エルドアンはギュルに代わって首相に就任し、ギュルはAKPの大統領候補となった[7]。エルドアンは2007年と2011年の2回の選挙でAKPを勝利に導き、2014年には大統領に選出され、2018年に再選された。

エルドアンが首相に就任した初期の頃は、トルコの欧州連合加盟交渉の進展、2001年の金融危機後の経済回復、道路や空港高速鉄道網などのインフラへの投資が見られた。また、2007年と2010年に行われた憲法制定のための国民投票では、見事に勝利を収めた。しかし、同政権は、フェトフッラー・ギュレンと彼が率いるギュレン運動(トルコ国家によりテロ組織に指定されている)との密接な関係から、論争の的となっていた。ギュレンとAKPは、バリョズ裁判やエルゲネコン裁判を通じて、世俗的な官僚や軍人に対する粛清を画策したと非難されている[8][9]。2012年末、同政権はクルド人とトルコ人の紛争(1978年〜)を終結させるため、クルディスタン労働者党(PKK)と和平交渉を開始した。2015年には停戦が破談となり、再び紛争が激化した。エルドアンの外交政策は新オスマン主義と評され、シリア内戦の際にはシリア民主軍がシリアとトルコの国境で地歩を築くのを防ぐことに重点を置き、トルコのシリア内戦への関与につながった。

エルドアンが支配するようになった近年、トルコでは集権的な傾向が強まりつつあるとされる[3][10][11][12]2013年の反政府デモを皮切りに、エルドアン政権は報道機関やソーシャルメディアへの検閲を強化し、YouTubeTwitterWikipediaなどのサイトへのアクセスを制限した[13]。これにより、トルコのEU加盟に向けた交渉が停滞した。2013年に起きた1,000億ドル規模の汚職スキャンダルでは、エルドアンの側近が逮捕され、エルドアンが有罪となった[14][15][16]。ギュレン派との関係が悪化すると、エルドアンはギュレン派の支持者を司法、官僚、軍部から粛清していった。2016年7月に軍事クーデターが失敗し、さらなる粛清と非常事態が発生した。政府はクーデターの指導者がギュレンと関係していると主張したが、ギュレンはその役割を否定している[17]。エルドアンの統治は、権威主義、拡大主義、検閲政党や反対意見の禁止が増加していることが特徴である[18][19][20][21][22][23][24]

トルコの議院内閣制を行政府大統領制に変更することを長年推進[25]してきたエルドアンは、2017年に極右の民族主義者行動党(MHP)と同盟を結んで行政府大統領制を確立し、憲法制定のための国民投票でその変更が受け入れられた。新体制が正式に施行されたのは2018年の総選挙で、エルドアンと新党AKP・MHP人民同盟が再選された後である。その後、彼は2018年のトルコの通貨・債務危機に取り組みつつも、その一因となったと非難され、彼の人気は大きく低下[26][27]し、2019年の地方選挙では、与党が15年ぶりにアンカライスタンブールの支配権を失ったという結果につながったと広く考えられている[28][29]。敗北後、トルコ政府はイスタンブールでの再選挙を命じたが、その際、与党はさらに大差をつけて再び選挙に敗れた[30][31][32]。かつて「イスタンブールを失えば、トルコを失うことになる」と発言していたエルドアンにとって、この2回の連敗は大きな敗北とみなされた[33]

名前の発音

[編集]

姓の“Erdoğan”は、トルコ語の本来の発音に近いのは「エル・ドアン」であるが[注釈 2]アラビア語メディアでは“ğ”が“g”と区別されないため、「エルドガン」と表記されることもある。原語のトルコ語では「エルドガン」とは発音しないため英語から日本語に翻訳する際にも誤りである[34]

ギャラリー

[編集]

生い立ちと政党活動

[編集]

イスタンブルのベイオール区カセンパシャ(Kasımpaşa)(トルコ語ではカスムパシャ)に生まれる[35]

1973年、イマーム・ハティップ高校(イマーム養成学校)卒業後、マルマラ大学経済商業学部入学(卒業記録はなし)。在学中に親イスラム主義政党の国民救済党(MSP:Milli Selamet Partisi)にて政治活動を開始した[要出典]

1980年の9月12日クーデター後の軍政下で国民救済党が非合法化されると、民政移管後の1983年に後継である福祉党(RP:Refah Partisi)に入党、政治活動を再開する。

1994年3月27日イスタンブール市長に当選。イスタンブール市長として活動中の1997年に政治集会でイスラーム教を賛美するズィヤ・ギョカルプの詩を朗読したことが宗教感情を利用した「国民の分断」を煽動したとして告発され、1999年3月26日に国家治安法廷(現在は廃止)から刑法第312条2項(国民間の宗教およびレイシズムを扇動)の罪により4年半の実刑判決を受け、憲法第76条により被選挙権を剥奪される。一時服役したが、1999年9月4日に釈放された。

2001年6月22日、福祉党の非党員支持者によって結成された後継政党の美徳党(FP:Fazilet Partisi)が非合法化される。その後、同年8月14日に美徳党の若手議員を中心に結成された公正発展党(AKP:Adalet ve Kalıknma Partisi)において、被選挙権剥奪のまま党首に就任。2002年12月27日トルコ大国民議会により憲法第76条が改正され(2002年12月13日に憲法改正案を大国民議会が可決するが、2002年12月19日セゼル大統領は改正案を差し戻した。2002年12月27日に大国民会議が再可決、2002年12月31日、セゼル大統領が国民投票に付託せずに承認。法的な改正日付は2002年12月27日)、被選挙権を回復した。

首相時代

[編集]

公正発展党と「民主化」

[編集]

エルドアンは2003年3月9日、軍部の政治介入を止めさせてトルコを「先進的な民主国家」にするという公約を掲げ[36]、圧倒的支持を得てスィイルト県補欠選挙で当選。それに伴い、公正発展党副党首で首相のアブドゥラー・ギュルから首相職を譲り受け、2003年3月16日首相に就任(ギュルは外相として第1次内閣に残った)。就任当初は公約どおり改革に取り組み、ヨーロッパ諸国もそれを歓迎した。

2007年の総選挙にも勝利し、第2次内閣を組閣した。

2007年に爆弾テロ未遂事件が起きる。捜査当局はこの事件を、超愛国的な将校たちから成る地下組織「エルゲネコン」がクーデターを計画したものと断定し、大々的な摘発に乗り出した。ジャーナリスト100人以上に加え、約250人の軍関係者が投獄された。エルドアンはエルゲネコンの訴追を支持し、報道の弾圧に対する国際社会からの批判を「単なる中傷」だとはねつけている。後にこの事件がきっかけでトルコの民主化が後退したとみなされるようになった[36]

2期目の終わりには国外でのエルドアンの評価は頂点を極める。好調な経済に加え、中東諸国(イスラエルを除く)やその他の地域とも良好な外交関係を保ち、軍の介入を排して政局を安定させたからである。そのため、「サラディンクルド人)が1187年十字軍からエルサレムを奪還して以来、アラブ人が最も尊敬する非アラブ人指導者」「新たなオスマン帝国を築けると考えたとしても許される」「(AKPは)キリスト教民主主義者のイスラム版」とまで評された[37]。こうしたエルドアンの姿勢は新オスマン主義と呼ばれた[38][39][40][41][42]

2011年の総選挙にも勝利して第3次内閣を組閣した。しかし、この頃から政権に批判的なジャーナリスト、政治家、企業に対して圧力が強まっているとして、国際社会におけるエルドアンの評価は下がり始め[36]2013年の反政府運動では国内からも矛先を向けられる。

エルドアンはツイッターについて、2014年3月20日に「裁判所の命令もある。ツイッターを根絶やしにする」「国際社会はいろいろと言うだろうが全く気にしない」などと述べ、ツイッターへのアクセスを遮断する姿勢を示した。過去にもエルドアンはフェイスブックYouTubeへのアクセスを遮断する姿勢を見せたことがある。こうしたネット規制に積極的な背景には、政権の元閣僚による汚職事件の捜査に関する情報がネット上に流れており、統一地方選を控えて火消しに躍起になっているということがある[43]

次いで新法を成立させ、政府がウェブサイトの遮断や個人のインターネット閲覧記録収集をすることを認め、実際にYouTubeを遮断した[44]

トルコ国内のクルド人への対応

[編集]

EU加盟に向けた民主化をアピールしていた首相時代には、2005年からクルド人政党のクルディスタン労働者党(PKK)党首アブドゥッラー・オジャランと和解交渉を行っていた。過去にトルコ政府によって行われたクルド人迫害やアルメニア人虐殺についても謝罪している[45]

経済

[編集]

AKP政権は2001年の金融危機を終息させ、国際通貨基金(IMF)に従って経済構造改革を実行し、財政を健全化して高インフレも抑え込んだ。政治の安定もあって対内直接投資が増え、トルコ経済は年平均4.9%(2002~2013年)の高い経済成長率を見せた。国民一人当たりの所得は2002年の3492ドルから、2013年には3倍増の1万807ドルとなった。ゼロ・プロブレム外交によって貿易額も増加し、特にアラブ諸国への輸出額が増大した[45]。しかし、2011年以降はシリアの内戦によって流通が滞り、トルコの経済成長が鈍化した[45]

大統領へ転じた後の2015年6月にはエルドアンの親族の財閥企業チャルック・ホールディング英語版が傘下のエネルギー会社と日本の三菱商事との資本提携を行ったものの、通貨トルコリラは対ドルで一時1ドル=2.8リラ台と過去最安値を更新することとなった。

2020年もトルコリラは対ドルで下落し、11月7日には大統領令中央銀行のウイサル総裁を解任した。エルドアン大統領は高金利政策に反対して、「金利・為替・インフレという魔の三角」にトルコ経済を追い込む人々と経済戦争をしていると発言[46]近代経済学と逆の、金利を下げれば物価上昇を抑制できるという持論を唱えている[47]

エルドアン政権下では縁故主義の恩恵に与れる受益層がいる一方で、抑圧やイスラム化を忌避して、世俗主義に慣れ親しんだ従来の富裕層や起業家らの国外移住や亡命も相次いでいる[48]

外交

[編集]

2005年、欧州連合(EU)加盟交渉を始める。さらにイランロシアアルメニア中国など、EU諸国以外の国々とも関係強化を図る、「ゼロ・プロブレム外交」と呼ばれる全方位外交を展開した。

2009年以後は隣国では特にイランとの関係強化を行い、イランの核開発問題では核エネルギーの平和的利用を支持している。2009年10月、イランのマフムード・アフマディーネジャード大統領との会談で、イランの核(エネルギー)保有の権利があると強調し、「地球上で非核の呼びかけを行う者はまず最初に自分の国から始めるべきだ」と述べた[49]

2010年5月にはトルコ、イラン、ブラジルの三国間でテヘラン宣言が調印された。この宣言は、核問題を巡るイランと西側の協議の行き詰まりを打開しようとする努力であり、濃縮度3.5%の低濃縮ウラン1200キログラムをトルコに移送し、代わりにイランが20%の高濃縮ウラン120キログラムを受け取るというものだった[50]

トルコではイラク戦争などを理由として反米感情が強いが、エルドアンはアメリカ合衆国との関係も重視していた。バラク・オバマ大統領との会談では「トルコは東も西も、北も南も注目する」と様々な国との関係構築に積極的な姿勢を見せた[51]

トルコは北大西洋条約機構(NATO)加盟国であるにもかかわらず、後に撤回したもののNATO防空システムと互換性のない中国の地対空ミサイルシステムであるHQ-9の導入を進めたことでも注目を浴びた[52]。ただし、トルコと中国はJ-600Tユルドゥルム英語版などに代表されるように1990年代から弾道ミサイルの共同開発で軍事的協力関係にあった[53]。2009年までアメリカやイスラエルと行ってきたアナトリアの鷲英語版を2010年に中国と実施し[54]コンヤ空軍基地にはパキスタンとイランで給油した中国空軍Su-27が飛来した[55][56]。2011年にはイスラエルの懸念を一蹴してトルコ初の軍事衛星ギョクテュルク-2を中国から打ち上げた[57]。エルドアンはトルコ世論に押されて2009年ウイグル騒乱の際に中国と緊張関係になったこともあったが、トルコはアメリカによる制裁やインフレ高騰と急増する外貨建て債務から中国への経済的な依存を強めており[58]、中国主導の経済圏構想である一帯一路にトルコは参加して一帯一路国際協力サミットフォーラム英語版にもエルドアンは出席し[59]、トルコ政府は国内の反中的な勢力とメディア報道の排除も表明した[60]2019年2月にトルコは国際連合人権理事会新疆ウイグル自治区人権状況に懸念を示した唯一のイスラム教国だったが[61]、同年7月に訪中したエルドアンは「新疆の人々が、中国共産党の指導の下で幸せに暮らすのが我々の望みだ」[62]新疆ウイグル再教育キャンプの問題によって中国とトルコの関係が損なわれてはならない」[63][64]と述べた。新型コロナウイルス感染症の世界的流行の際は中国から輸入したCOVID-19ワクチンCoronaVac)をエルドアンが自ら接種したのと同時に議会で批准が持ち上がった中国との犯罪人引渡し条約にエルドアンは署名しており[65]、野党は「ワクチンとウイグル人を取引した可能性がある」と批判した[66]

トルコでは露土戦争ロシア連邦航空宇宙軍によるシリア空爆などを理由に反露感情が強いが、エルドアンはロシアとの関係も重視しており、トルコ空軍機によるロシア空軍機撃墜事件の際は緊張関係になるも後に関係を正常化させている。その際にテュルク評議会などで友好関係にある仲介役のカザフスタンヌルスルタン・ナザルバエフ大統領に感謝を表明している[67]。エルドアンは中国とロシアへの訪問時には両国が主導する上海協力機構にトルコ(2012年に対話パートナーとなった)の正規加盟を要請している[68][69]。また、ロシアから地対空ミサイルS-400を購入し、これに対してアメリカはF-35の売却を凍結して開発計画からトルコ企業を排除する制裁措置を行った[70]

カタールとはムスリム同胞団への支援という共通性から事実上の軍事同盟に近い友好関係を結んでおり[71]、トルコ軍初の海外基地をカタールに設置している[72]。同胞団支援を理由にアラブ諸国からカタールが断交された2017年カタール外交危機に際してはカタールを擁護している[73]。アラブ諸国はカタールに対してトルコ軍基地の閉鎖を要求している[74]。また、ジャマル・カショギ殺害事件の際はサウジアラビアと緊張状態になった[75][76]2022年11月20日、カタールで開催されたワールドカップ開会式に出席。首脳外交を行う中、2013年のアラブの春(後述)以降に犬猿の仲になっていたエジプトのシシ大統領とも握手を行った[77]

イスラエルとの対立と和解

[編集]

エルドアンは当初は親イスラエル的な人物と評され、さらなる軍事的経済的関係の強化を求めて首相当時の2005年にイスラエルを訪問してヤド・ヴァシェムで献花し、反ユダヤ主義人道に対する罪であるとしていた[78][79]。また、イランの核開発問題に関するイスラエルの立場にも理解を示していた[80]

しかし、2009年1月29日に、ダボス会議ガザ侵攻の正当性を25分にわたって主張したイスラエル大統領シモン・ペレスに対し反論しようとしたところ、アメリカの保守派ジャーナリストで司会を務めていたデイヴィッド・イグネイシャスから時間切れだと制止され「人殺しをしているのはイスラエルだ」「(ダボス会議には)二度と来ない」と言い捨てその場を立ち去った[81]。会議後にペレスは「誤解があったなら遺憾に思う」と電話したが、エルドアンは自身が激怒したのはペレスにではなく司会者のイグネイシャスに対してであるとコメントしている。帰国したエルドアンは空港で出迎えた数千人の市民から喝采を浴び[82]パレスチナ国を含むアラブ諸国からも「英雄」「現代のスルタン」だと熱狂的に支持された[83]

2010年6月2日、人道支援のためにトルコからガザ地区へ向かっていた各国の親パレスチナ支援団体の船団がイスラエル軍特殊部隊の急襲を受け、トルコ人を含む多数の死傷者が出た事件について、「イスラエルの犯罪は必ず罰せられなければならない」とイスラエルを強く非難した[84]。同事件については、2013年にイスラエルのネタニヤフ首相が謝罪したことで幕引きとなったものの、2014年7月に発生したイスラエルとハマースとの交戦及びガザ地区侵攻を受け、支持者向けの演説で「ヒトラーを昼夜非難する者が、野蛮さでヒトラーを超えた」とまで発言。再び溝を深めた[85]

しかし、2015年にはイスラエルとの関係改善を重視する発言も行っており[86]、両国は正常化で合意したとされ[87]2016年にトルコとイスラエルは関係正常化を発表した[88]。また、イスラエルとトルコの貿易は政治的緊張にもかかわらず、拡大傾向にある[89]

「アラブの春」と新オスマン主義

[編集]

2011年以降、アラブ諸国で独裁政権打倒を求める民衆運動(アラブの春)が広がりを見せる。

エルドアンはシリア大統領バッシャール・アル=アサドとはイスラエルとの和平仲介を行う傍ら、家族ぐるみで休暇を一緒に過ごすほど親密な関係を築いていた。シリア内戦では、2011年11月に閣僚ポストの4割をムスリム同胞団メンバーに与えるなら、反体制派の鎮静化に影響力を行使すると伝えたとされる。しかし、宿敵である同胞団を受け入れよと要求してきたことに不信感を抱いたアサドはこの提案を拒絶した。するとエルドアンはアサド政権を倒すために対シリア経済制裁を発動し、シリアのスンニ派反政府武装勢力(ISIL関連の深い組織を含む)を支援した。また、国民を虐殺するアサドに未来はないと公言し、彼をヒトラーやムッソリーニに譬えた。エルドアンのこうした姿勢はスンニ派アラブ世界で喝采を浴び、欧米でも高く評価された[90]。アラブの春ではトルコがイスラム国家における民主主義のモデルとされ、エジプトやモロッコではAKPを参考にした政党が作られた[45][91]

しかし、アラウィー派シーア派の一派)であるアサドを倒そうとしたことで、シーア派が多数を占めるイランやイラクとの関係は悪化した。また、エジプトでは、それまでエルドアンが支持していたムハンマド・ムルシー(ムスリム同胞団系の自由と公正党出身)が2013年のクーデターで失脚し、アブドルファッターフ・アッ=シーシーが権力を握った。するとエルドアンはシーシーを激しく批判し、トルコとエジプトは互いに大使を追放。トルコはエジプト、シリア、イスラエルの周辺主要3カ国に大使がいない異常事態に陥る[92]。これによって同胞団を警戒していたペルシャ湾岸諸国との関係も冷え込み、「ゼロ・プロブレム外交」は行き詰った[45]

さらにシリアへの反体制派を支援するために国境を事実上開放し続けた結果、ISILに大勢の戦闘員が流入し、シリア情勢が制御不能に陥ってしまうなど、[93]

クルド人への対応

[編集]

北イラクのクルディスタン自治政府との関係はトルコ国内とシリアのクルド人組織、PKK(=PYD)を牽制するため比較的良好である。

大統領

[編集]

トルコで初めて直接選挙で大統領が選ばれることとなった2014年の大統領選挙に立候補、8月10日に行われた第1回投票で過半数の票を獲得し当選した[94]。同月28日、大統領に就任[95]。首相にはエルドアンに従順なアフメト・ダウトオール外相が就任し、エルドアンが引き続き政治の実権を握る。

2014年9月以降、シリアのクルド民主統一党(PYD)とISILの間でコバニ(アイン・アル=アラブ)を巡りコバニ包囲戦が行われた。エルドアンは「PKKもイスラム国同様のテロ組織」と言い放ち、「PKKと関わりの深いPYDへの支援を拒否する。そのため、トルコ政府と和解交渉を行っていたオジャラン(コバニに近いシャンルウルファ出身)は「コバニ陥落は交渉打ち切りを意味する」と警告。南東部では治安部隊とクルド人が衝突し、50人以上が死亡した。最終的にエルドアンはイラクのクルディスタン地域からペシュメルガがトルコを経由してコバニに援軍に行くことを認め、2015年1月のPYD勝利宣言に繋がる[45]

2014年11月、女性の人権に関する会議で「女性に必要なのは、平等であるより対等であることだ」との持論を展開し、フェミニスト団体などから批判を受けた[96]

2015年6月、AKPは総選挙で敗北し、13年ぶりに過半数を割り込んだ。背景には強権化を進めるエルドアンへの拒絶感があったとされる[97]。この事態を受けてエルドアンは危機的状況を自ら作り出す賭けに出る。それまでのクルド人組織への融和策、ISILへの傍観策を改め、両勢力に軍事的な攻撃を加えた。その結果、国内でテロが頻発するなど治安が悪化するが、人々が安定を求めた結果、AKPへの支持は広がり、2015年11月の再選挙ではAKPが過半数を獲得した[35]

2016年7月のクーデター未遂事件では休暇のために滞在していたリゾート地マルマリスのホテルをクーデター側が襲撃したものの、クーデター側が到着する数分前に大統領特別治安部隊はエルドアンを密かにホテルから退避させていた[98][99]

2017年には大統領権限の拡大を目的とした憲法改正を発議し、4月16日の国民投票では賛成が過半数を獲得し、可決された[100]

その後、憲法改正により大統領の政党所属が可能になったため、エルドアンは5月2日に公正発展党に復党し、5月21日には公正発展党が臨時党大会を開き、エルドアンを党首に復帰させた[101]

2017年12月、トルコ大統領として65年ぶりにギリシャを訪問した[102]。ただギリシャとは完全に和解したわけではない。トルコ国土の大半を占めるアナトリア半島の西側と南側の東地中海にあるほとんどの島々はギリシャ領で、キプロス島の南側もギリシャ系住民が支配している(キプロス共和国)。東地中海では天然ガス開発が本格化しており、エルドアン政権はトルコ独自の海洋権益を主張してギリシャなどと対立し、トルコ対岸のリビアの内戦にも介入している[47]

2018年6月24日の大統領選挙英語版にて再選。また同時に実施された議会選挙でも与党連合が過半数を獲得し勝利した[103]

2018年の再選以前より中央銀行の方針とは異なる独自の理論を展開している。再選後には、財務大臣に娘婿のベラト・アルバイラクをつけた[104]が、これが嫌われリラの下落などを招いた。こうして2022年10月にはインフレ率が85%に達するなど国民は大きな負担を強いられたほか、エルドアン自身の強権化に対する批判、また2023年2月に発生したトルコ・シリア地震に対する遅れやそもそもの震災政策の不備も支持率に大きな影を落とした[105]。2023年5月14日に執行された選挙では議会選英語版こそエルドアン政権の与党連合が過半数を維持したものの、大統領選挙英語版では野党統一候補のケマル・クルチダルオールがエルドアンに肉薄したため過半数に届かず[106]、5月28日の決選投票でようやく再選を果たした[107]

2019年シリア北部侵攻

[編集]

2016年以降、トルコ軍はシリア国境付近のクルド人武力組織(クルド人民防衛隊など)の掃討を名目にシリアへの侵攻を行ってきた(「トルコ軍によるシリア侵攻 (シリア内戦)」を参照)が、2019年10月9日、シリア北部からアメリカ軍が撤退したタイミングで地上部隊が越境作戦を開始した(「トルコ軍によるシリア侵攻 (2019年)」を参照)。各国はトルコの軍事行動を批難したが、エルドアンはシリア難民の帰還も目的の一つであり、批判をするなら各国にシリア難民を向けると警告[108]。自制を求めたドナルド・トランプ米大統領からの親書はゴミ箱に送られた[109]。さらに同月15日にはアゼルバイジャンで行われた国際会議の場でトルコの正当性を主張し、「われわれの目標が達成されるまでやめることはない」と戦闘継続の意思を示した[110]。同月17日、トランプ大統領の特使としてトルコを訪問したマイク・ペンス米副大統領との間で5日間の停戦に合意したが[111]、クルド人勢力が国境付近から撤退しなければ、再び軍事作戦の全面再開も辞さないとの考えを表明した[112]

エルドアンは、予定していた訪日および即位礼正殿の儀への参列を取りやめ、10月22日にロシア南部のソチを訪問してプーチン大統領と会談[113]。シリア国内における両国の活動について合意を得た。翌10月23日、トルコ国防省は、アメリカ側よりクルド人勢力の撤退情報がもたらされたとして、攻撃を再開しないことを発表した[114]

2020年ナゴルノ・カラバフ紛争

[編集]

2020年ナゴルノ・カラバフ紛争では、民族・宗教的に近いアゼルバイジャンに無人攻撃機などの供与し、即時停戦を求めた露米仏と一線を画してアゼルバイジャンを全面的に支持した。アゼルバイジャンは支配地域を広げ、同年12月10日に首都バクーで開いた戦勝パレードにはエルドアン大統領が主賓格で出席して「栄誉ある勝利」と讃え、トルコ軍兵士も行進した[115]。中東・中央アジアの研究者である山内昌之は、エルドアン政権はトルコとアゼルバイジャンを陸路で結ぶ回廊の設置をロシアに同意させ、シリア内戦などへの介入を含めてオスマン帝国旧領に一定の発言権を持つことをロシアやイランに認めさせる成果を得たと評している[116]

人物

[編集]

少年時代を過ごした下町カセンパシャはイスタンブールでも最も保守的で庶民的な地区である。伝統的な軍・官僚・財閥というエリートとは無縁なところから、イスラーム性や庶民性をアピールするポピュリスト的な政策を掲げ、「民意」を手にしてトップに上り詰めた。権力を握った当初は決断するまでに様々な意見をよく聞いていたが、3期目以降は権力に自信を持ったためか、独裁的な傾向が強まったとされる[35]

2004年4月と2014年1月、2015年10月に来日している。2015年10月8日には、エルトゥールル号遭難事件から125周年を迎えたことを契機として、早稲田大学がエルドアンに名誉博士号を授与している[117]

エミネ夫人との間に二男二女。夫人は公の場での着用が禁止されていたスカーフを常に着用しているため、トルコ国内の国家行事の場には招待されていない時期があった。娘の一人シュメイイェはアメリカ合衆国に留学。

2018年から2020年まで財務大臣を務めたベラト・アルバイラク、トルコ軍が運用する無人航空機であるバイラクタル TB2の開発者であるセルチュク・バイラクタル英語版は娘婿でもある[118]

サッカーを趣味としており、高校時代に地元のサッカーチームで名を馳せてフェネルバフチェSKからはオファーを受けたとの噂もある。なお、現在はイスタンブル・バシャクシェヒルのファンでもある。2010年キング・ファイサル国際賞イスラーム奉仕部門受賞。

姦通罪復活法案(のち廃案)、オスマン語の高校必修化、大学など公の場での女性のスカーフ着用(トルコではイスラーム主義の表明とみなされる)を認める法案を提出するなど、従来の世俗主義を再解釈したイスラーム回帰を思わせる行動もあり、都市部の知識階級やリベラル派、軍部などの世俗主義者には、エルドアンに対する根強い反感がある。2007年大統領選挙の際はエルドアン自身が出馬を希望したが、世俗主義者の猛烈な反発に遭い大都市での反エルドアンデモ(共和国集会)が頻発したため出馬を取りやめ、代わって擁立されたギュル外相・前首相が紆余曲折の末に大統領に選出された。

注釈

[編集]
  1. ^ 首相職は2018年7月廃止。
  2. ^ ğ”は“g”ではなく、「ユムシャック・ゲー」(yumuşak G/やわらかいG)と呼ばれるアルファベットであり、母音間ではほぼ発音しない。

出典

[編集]
  1. ^ トルコ基礎データ”. 外務省. 2023年6月13日閲覧。
  2. ^ “Turkey's Davutoglu expected to be a docile Prime Minister with Erdogan calling the shots”. Associated Press. Fox News. (21 August 2014). http://www.foxnews.com/world/2014/08/21/turkey-davutoglu-expected-to-be-docile-prime-minister-with-erdogan-calling/ 27 November 2014閲覧。 
  3. ^ a b Yildirim, A. Kadir; Lynch, Marc (8 December 2016). “Is there still hope for Turkish democracy?” (英語). The Washington Post. ISSN 0190-8286. https://www.washingtonpost.com/news/monkey-cage/wp/2016/12/08/is-there-still-hope-for-turkish-democracy/ 27 June 2018閲覧。 
  4. ^ Finchelstein, Federico (2019). From Fascism to Populism in History. University of California Press. p. 152 
  5. ^ Shambayati, Hootan (May 2004). “A Tale of Two Mayors: Courts and Politics in Iran and Turkey”. International Journal of Middle East Studies (Cambridge University Press) 36 (2): 253–275. doi:10.1017/S0020743804362057. 
  6. ^ Walter Mayr (16 July 2007). “Turkey's Powerful Prime Minister: Who Can Challenge Erdogan?”. Der Spiegel. http://www.spiegel.de/international/europe/0,1518,495683,00.html 3 December 2014閲覧。 
  7. ^ Arda Can Kumbaracibasi (24 July 2009). Turkish Politics and the Rise of the AKP: Dilemmas of Institutionalization and Leadership Strategy. Routledge. pp. 1–2. ISBN 978-0-203-87629-9. https://books.google.com/books?id=tZLL9cg--u0C&pg=PA2 
  8. ^ Nick Tattersall (28 February 2013). “Erdogan's ambition weighs on hopes for new Turkish constitution”. Stratejik Boyut. https://www.reuters.com/article/us-turkey-constitution-idUSBRE91H0C220130218 9 July 2013閲覧。 
  9. ^ Growing consumption”. Metro Group (24 November 2011). 28 July 2012閲覧。
  10. ^ Esen, Berk; Gumuscu, Sebnem (2016). “Rising competitive authoritarianism in Turkey”. Third World Quarterly 37 (9): 1581–1606. doi:10.1080/01436597.2015.1135732. http://repository.bilkent.edu.tr/bitstream/11693/36632/1/Rising%20competitive%20authoritarianism%20in%20Turkey.pdf. 
  11. ^ Turkey” (英語). Freedom House (5 January 2018). 27 June 2018閲覧。
  12. ^ Turkey takes a big step toward nationalist fascism”. washingtonpost.com. 27 June 2018閲覧。
  13. ^ “Turkey Blocks Twitter”. The Washington Post. (21 March 2014). オリジナルの21 March 2014時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140321092718/http://www.washingtonpost.com/world/middle_east/turkey-blocks-access-to-twitter/2014/03/20/7bad19d2-b08c-11e3-b8b3-44b1d1cd4c1f_story.html 27 November 2014閲覧。 
  14. ^ Genç, Göksel; Esit, Elif (27 December 2013). “Yeni yolsuzluk dosyasının ekonomik boyutu 100 milyar dolar [New economic corruption files valued at $100 billion]” (トルコ語). Zaman. オリジナルの17 December 2014時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20141217043626/http://www.zaman.com.tr/gundem_yeni-yolsuzluk-dosyasinin-ekonomik-boyutu-100-milyar-dolar_2189530.html 3 December 2014閲覧。 
  15. ^ “100 milyar dolarlık yolsuzluk [$100 billion dollar corruption]” (トルコ語). Sözcü. (26 December 2013). http://sozcu.com.tr/2013/gundem/100-milyar-dolarlik-yolsuzluk-430737/ 3 December 2014閲覧。 
  16. ^ “Yolsuzluk operasyonunun maliyeti 100 milyar Euro [Corruption operation costs 100 billion euros]” (トルコ語). Milliyet. (17 December 2013). http://www.milliyet.com.tr/yolsuzluk-operasyonunun-maliyeti-10/gundem/detay/1809059/default.htm 3 December 2014閲覧。 
  17. ^ Turkey's failed coup attempt: All you need to know”. aljazeera.com. 2022年4月24日閲覧。
  18. ^ Reuters Staff (8 April 2021). “Italy's Draghi accuses 'dictator' Erdogan, draws Turkey's condemnation”. Reuters. https://www.reuters.com/article/us-turkey-eu-italy-idUSKBN2BV2YW 
  19. ^ Cook. “How Erdogan Got His Groove Back”. 2022年4月24日閲覧。
  20. ^ Democratic decay and uncertainty in Turkey” (25 March 2021). 2022年4月24日閲覧。
  21. ^ Goodman, Peter S. (18 August 2018). “The West Hoped for Democracy in Turkey. Erdogan Had Other Ideas.”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2018/08/18/business/west-democracy-turkey-erdogan-financial-crisis.html 
  22. ^ Ben-Meir (24 October 2020). “Erdogan's Calamitous Authoritarianism”. 2022年4月24日閲覧。
  23. ^ Yılmaz, Zafer; Turner, Bryan S. (20 October 2019). “Turkey's deepening authoritarianism and the fall of electoral democracy”. British Journal of Middle Eastern Studies 46 (5): 691–698. doi:10.1080/13530194.2019.1642662. 
  24. ^ Aytaç, Selim Erdem (2021). “Effectiveness of Incumbent's Strategic Communication during Economic Crisis under Electoral Authoritarianism: Evidence from Turkey” (英語). American Political Science Review: 1–7. doi:10.1017/S0003055421000587. ISSN 0003-0554. https://www.cambridge.org/core/journals/american-political-science-review/article/effectiveness-of-incumbents-strategic-communication-during-economic-crisis-under-electoral-authoritarianism-evidence-from-turkey/7C1A2E066F89A38B8FDFBFCEBD827876. 
  25. ^ Reuters Staff (22 June 2018). “Turkey's powerful new executive presidency”. Reuters. https://www.reuters.com/article/us-turkey-election-factbox-idUSKBN1JI1O1 
  26. ^ Erdogan picks EU fight, as Turkish economy tanks” (英語). EUobserver. 29 August 2019閲覧。
  27. ^ “As Turkish Economy Sours, Erdogan's Party Could Lose Grip on Big Cities” (英語). Haaretz. (19 January 2019). https://www.haaretz.com/middle-east-news/turkey/as-turkish-economy-sours-erdogan-s-party-could-lose-grip-on-big-cities-1.6851941 29 August 2019閲覧。 
  28. ^ Isil Sariyuce and Ivana Kottasová (23 June 2019). “Istanbul election rerun won by opposition, in blow to Erdogan”. CNN. 20 August 2019閲覧。
  29. ^ Gall, Carlotta (23 June 2019). “Turkey's President Suffers Stinging Defeat in Istanbul Election Redo” (英語). The New York Times. ISSN 0362-4331. https://www.nytimes.com/2019/06/23/world/europe/istanbul-mayor-election-erdogan.html 20 August 2019閲覧。 
  30. ^ Turkey's ruling party loses Istanbul election”. BBC News (23 June 2019). 2022年4月24日閲覧。
  31. ^ Gauthier-Villars, David (23 June 2019). “In Setback for Erdogan, Opposition Candidate Wins Istanbul Mayor Seat”. The Wall Street Journal. https://www.wsj.com/articles/in-setback-for-erdogan-opposition-candidate-wins-istanbul-mayor-seat-11561309654 
  32. ^ Son dakika… Financial Times'tan şok İstanbul seçimi yorumu”. sozcu.com.tr. 2022年4月24日閲覧。
  33. ^ Erdoğan: 'İstanbul'da teklersek, Türkiye'de tökezleriz'”. Tele1 (2 April 2019). 2022年4月24日閲覧。
  34. ^ トルコのエルドガン首相 ニュージーランドを訪問 - ニュージーランドAFPBB(2005年12月8日配信)2013年3月27日閲覧[リンク切れ]
  35. ^ a b c “「テロとの戦い」を政治利用するエルドアンの剛腕”. 『ニューズウィーク』日本版. http://www.newsweekjapan.jp/kawakami/2016/03/post-13_3.php 2016年3月21日閲覧。 
  36. ^ a b c “「民主化」トルコを売った男”. 『ニューズウィーク』日本版. http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2013/06/post-2959_1.php 2015年6月28日閲覧。 
  37. ^ フィナンシャル・タイムズ』2011年9月16日付
  38. ^ http://www.gercekgundem.com/yazarlar/baris-yarkadas/2406/akpnin-osmanli-sevdasi-ve
  39. ^ http://www.sozcu.com.tr/2013/yazarlar/ugur-dundar/yeniden-osmanli-hayalinin-pesinden-kosan-akp-felaketi-yakaladi-291359/
  40. ^ http://t24.com.tr/haber/kilicdaroglu-akp-cokmus-osmanliciligi-ambalajliyor,284360
  41. ^ http://www.independent.co.uk/news/world/europe/recep-tayyip-erdogan-the-new-sultan-now-has-a-new-palace--and-it-has-cost-turkish-taxpayers-400m-9841319.html
  42. ^ Google”. google.com. 2015年10月28日閲覧。
  43. ^ “トルコ首相、ツイッターを「遮断する」”. CNN.co.jp. (2014年3月21日). https://www.cnn.co.jp/tech/35045516.html?tag=cbox;tech 2014年3月21日閲覧。 
  44. ^ “ネット検閲に突き進むトルコのエルドアン首相―ユーザーやネット企業との果てしなきいたちごっこ”. 『ウォール・ストリート・ジャーナル』. (2014年5月6日). http://jp.wsj.com/articles/SB10001424052702304555804579545080176271734 2014年5月6日閲覧。 
  45. ^ a b c d e f トルコが中東地域で孤立感を深める理由”. 東洋経済. 2015年3月14日閲覧。
  46. ^ トルコ大統領、ウイサル中銀総裁を解任 後任に前財務相ロイター(2020年11月7日)2020年12月13日閲覧
  47. ^ a b 【ニュースの門】帝国復活 トルコ大統領の野望『読売新聞』朝刊2020年11月16日(解説面)
  48. ^ エルドアン政権に失望、トルコから人材も資金も続々逃げ出す朝日新聞GLOBEニューヨークタイムズ 世界の話題】(2019年2月13日)2020年12月13日閲覧
  49. ^ 『Milliyet』紙2009年10月28日付
  50. ^ イラン大統領、「テヘラン宣言の目的は協力」”. IRIB (2010年8月16日). 2010年10月8日閲覧。
  51. ^ Foresight』2010年1月号
  52. ^ Toksabay, Ece (26 September 2013). "Chinese firm wins Turkey's missile defense system tender". reuters.com.
  53. ^ “Turkey Is Ready To Export Chinese Ballistic Missiles”. 21st Century Asian Arms Race. (2017年5月12日). https://21stcenturyasianarmsrace.com/2017/05/12/turkey-is-ready-to-export-chinese-ballistic-missiles/ 2017年9月20日閲覧。 
  54. ^ “Sino-Turkish Strategic Partnership: Implications of Anatolian Eagle 2010”. The Jamestown Foundation. (January 14, 2011). http://www.jamestown.org/single/?tx_ttnews%5Btt_news%5D=37369 2016年9月9日閲覧。 
  55. ^ “The Anatolian Eagle Is Looking Eastward”. The Daily Signal. (2010年10月15日). http://dailysignal.com/2010/10/15/the-anatolian-eagle-is-looking-eastward/ 2016年9月9日閲覧。 
  56. ^ “Growing Ties Between Turkey, China, Iran Worry Israel and US”. ハアレツ. (2010年10月7日). http://www.haaretz.com/growing-ties-between-turkey-china-iran-worry-israel-and-u-s-1.317583 2016年9月9日閲覧。 
  57. ^ “Turkey dismisses Israel's concerns over satellite”. ロイター. (2011年3月12日). https://www.reuters.com/article/turkey-israel-satellites/turkey-dismisses-israels-concerns-over-satellite-idUSLDE72A1VM20110311 2019年7月3日閲覧。 
  58. ^ トルコ官民、中国マネーに接近 インフラ融資36億ドルで合意”. 日本経済新聞 (2018年8月21日). 2019年2月25日閲覧。
  59. ^ Turkey plays key role in Belt and Road Initiative: Erdogan”. 新華社 (2017年5月13日). 2017年7月7日閲覧。
  60. ^ トルコ外相、国内の反中国勢力を「取り除く」と表明”. AFP (2017年8月3日). 2017年8月7日閲覧。
  61. ^ トルコ大統領、中国非難から一転「ウイグルの人々は幸せに暮らしている」”. AFPBB (2019年7月3日). 2019年7月14日閲覧。
  62. ^ China says Turkey president offered support over restive Xinjiang”. ロイター (2019年7月2日). 2019年7月14日閲覧。
  63. ^ Erdogan says Xinjiang camps shouldn't spoil Turkey-China relationship”. CNN (2019年7月5日). 2019年7月14日閲覧。
  64. ^ The last major opponent of China's Muslim oppression has retreated into silence. Here's why that's a big deal.”. ビジネスインサイダー (2019年7月5日). 2019年7月14日閲覧。
  65. ^ 逃げ場失うウイグル族、中国にすり寄るトルコ”. ウォール・ストリート・ジャーナル (2021年2月3日). 2021年3月14日閲覧。
  66. ^ 米、トルコへのF35売却凍結 ロシア製兵器導入で”. 日本経済新聞 (2019年7月18日). 2019年8月14日閲覧。
  67. ^ “Turkey aspires to be full member of Shanghai Cooperation Organization: Turkish president”. Hürriyet Daily News. (2016年8月9日). http://www.hurriyetdailynews.com/Default.aspx?pageID=449&nID=102629 2016年8月14日閲覧。 
  68. ^ “Turkey Renews Plea to Join Shanghai Cooperation Organization”. The Diplomat. (Nov 1, 2013). http://thediplomat.com/2013/12/turkey-renews-plea-to-join-shanghai-cooperation-organization/ July 1, 2015閲覧。 
  69. ^ “Turkey aspires to be full member of Shanghai Cooperation Organization: Turkish president”. China Central Television (CCTV). (July 7, 2015). http://newscontent.cctv.com/NewJsp/news.jsp?fileId=308609 Aug 2, 2015閲覧。 
  70. ^ 米、トルコへのF35売却凍結 ロシア製兵器導入で”. 『日本経済新聞』 (2019年7月18日). 2019年8月14日閲覧。
  71. ^ “カタール断交 トルコ、仲介に意欲 「あらゆる支援する」”. 『毎日新聞』. (2016年6月6日). https://mainichi.jp/articles/20170606/k00/00e/030/181000c 2017年6月26日閲覧。 
  72. ^ 「新オスマン主義」「エルドアン大統領 支持の背景」『読売新聞』朝刊2017年4月26日
  73. ^ “トルコ大統領、カタールを擁護 トランプ氏は断交を支持”. 『朝日新聞』. (2017年6月7日). http://www.asahi.com/articles/ASK672JT1K67UHBI00B.html 2017年7月7日閲覧。 
  74. ^ “アラブ諸国、カタールにアルジャジーラとトルコ軍基地閉鎖要求”. WSJ. (2017年6月23日). http://jp.wsj.com/articles/SB10024787458549603923904583224970924547336 2017年7月7日閲覧。 
  75. ^ “【記者殺害疑惑】トルコはなぜサウジアラビアの主張に反論し続けるのか”. ビジネス・インサイダー. (2018年10月23日). https://www.businessinsider.jp/post-177977 2019年2月25日閲覧。 
  76. ^ “サウジ皇太子の主張、トルコ大統領「信じられない」”. 『朝日新聞』. (2018年12月2日). https://www.asahi.com/articles/ASLD22TFWLD2UHBI00B.html 2019年2月25日閲覧。 
  77. ^ エジプト、トルコ大統領が握手 「和解」印象付け―W杯サッカー”. 共同通信 (2022年11月22日). 2022年11月22日閲覧。
  78. ^ Turkish leader visits Israel, offers to help with peace process
  79. ^ Turkish Leader Visits Israel, Restoring Friendly Ties
  80. ^ Erdogan's travels
  81. ^ “「2度と来ない」トルコ首相、ダボス会議でイスラエルと応酬”. 『産経新聞』. (2009年1月30日). https://web.archive.org/web/20090130135723/http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/090130/mds0901301006004-n1.htm 2009年7月17日閲覧。 
  82. ^ “トルコ首相を市民は大歓迎 ダボスでイスラエルと応酬、退席”. 『産経新聞』. (2009年1月30日). https://web.archive.org/web/20090203143304/http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/090130/mds0901302136007-n1.htm 2009年7月17日閲覧。 
  83. ^ “英雄!エルドアン首相―退席事件で中東諸国から大賛辞”. Radikal(東京外国語大学). (2009年1月31日). http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20090131_142551.html 
  84. ^ “トルコ首相、イスラエルとの関係見直し示唆”. 『産経新聞』. (2010年6月2日). https://web.archive.org/web/20100812002116/http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/100602/mds1006020100002-n1.htm 2010年6月2日閲覧。 
  85. ^ “イスラエルにトルコ首相「ヒトラーより野蛮」と激しく批判”. スポーツニッポン新聞社. (2014年7月20日). https://web.archive.org/web/20140720041352/http://www.sponichi.co.jp/society/news/2014/07/20/kiji/K20140720008597560.html 2014年7月20日閲覧。 
  86. ^ “Israeli-Turkish rapprochement crucial for region, says Erdoğan”. Daily Sabah. (2015年12月13日). http://www.dailysabah.com/diplomacy/2015/12/14/israeli-turkish-rapprochement-crucial-for-region-says-erdogan 2015年12月14日閲覧。 
  87. ^ “Israel and Turkey reach 'understanding' on restoring ties”. BBC. (2015年12月18日). https://www.bbc.com/news/world-middle-east-35128744 2015年12月18日閲覧。 
  88. ^ “トルコ、イスラエルと6年ぶり関係正常化 ロシア機撃墜では遺憾表明”. ロイター. (2016年6月28日). https://jp.reuters.com/article/turkey-israel-russia-idJPKCN0ZE08G/ 2016年7月2日閲覧。 
  89. ^ “Turkish-Israeli trade booms despite bitter rhetoric against Israel”. Today's Zaman. (2015年2月7日). http://www.todayszaman.com/anasayfa_turkish-israeli-trade-booms-despite-bitter-rhetoric-against-israel_372021.html 2015年12月14日閲覧。 
  90. ^ 国枝昌樹『シリア アサド政権の40年史』(平凡社)108 - 115ページ。
  91. ^ 「優等生」トルコがアラブ世界のお手本に”. IRIB (2011年4月7日). 2015年4月5日閲覧。
  92. ^ 『日本経済新聞』2014年8月14日 付
  93. ^ “抜け道だらけのシリア・トルコ国境、イスラム国との戦いで難題に”. http://jp.wsj.com/articles/SB11096553489394754382504580473202675510356 2015年6月28日閲覧。 
  94. ^ “トルコ大統領選、エルドアン首相が当選 初の直接選挙”. 『日本経済新聞』. (2014年8月11日). https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM11006_R10C14A8MM0000/ 2014年8月12日閲覧。 
  95. ^ “エルドアン新大統領が就任 トルコ、新首相29日組閣へ”. 『日本経済新聞』. (2014年8月28日). https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM28H0Z_Y4A820C1FF2000/ 2014年8月29日閲覧。 
  96. ^ “「男女平等は自然の法則に反する」トルコ大統領の発言が波紋”. (2014年11月26日). https://www.huffingtonpost.jp/2014/11/26/turky_n_6223710.html 2015-04-o5閲覧。 
  97. ^ “焦点:トルコ総選挙、エルドアン大統領の「野望」を有権者が拒絶”. ロイター. https://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0OP0JI20150609/ 2015年6月28日閲覧。 
  98. ^ “トルコのクーデターはなぜ失敗したのか”. wsj.com (『ウォール・ストリート・ジャーナル』). (2016年7月19日). http://jp.wsj.com/articles/SB10352986937800543568904582198302637265294 2016年7月19日閲覧。 
  99. ^ “エルドアン大統領、奇跡的に死を回避(動画)”. スプートニク. (2016年7月19日). https://sputniknews.jp/20160718/2509389.html 2016年7月19日閲覧。 
  100. ^ “トルコ、大統領に強権…「改憲」僅差の勝利”. 読売新聞. (2017年4月17日). http://www.yomiuri.co.jp/world/20170417-OYT1T50009.html 2017年4月17日閲覧。 [リンク切れ]
  101. ^ エルドアン党首が復活=大統領に権力集中-トルコ 時事通信 2017年5月21日付
  102. ^ トルコのエルドアン大統領、ギリシャ国境線引いた条約に異論”. BBC (2017年12月8日). 2017年12月12日閲覧。
  103. ^ “トルコ大統領選、エルドアン氏の勝利確定 権限強化の新体制に移行”. ロイター. (2018年6月25日). https://jp.reuters.com/article/turkey-presidencial-election-idJPKBN1JK14F 2018年6月26日閲覧。 
  104. ^ “トルコ大統領、新財務相に娘婿起用 市場に警戒感広がる”. 『朝日新聞』. (2018年7月10日). https://www.asahi.com/articles/ASL7B5GJLL7BUHBI02P.html 2018年8月25日閲覧。 
  105. ^ “トルコ大統領選挙 エルドアン氏の再選は?”. NHK NEWSWEB. NHK. (2023年5月12日). https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/300/483194.html 2023年5月16日閲覧。 
  106. ^ “トルコ大統領選、決選投票へ エルドアン氏過半数届かず”. 日本経済新聞. (2023年5月15日). https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR150BE0V10C23A5000000/ 2023年5月16日閲覧。 
  107. ^ “Erdogan wins Turkish election, extending rule to third decade”. CNN.com. CNN. (2023年5月28日). https://edition.cnn.com/2023/05/28/europe/turkey-president-runoff-polls-erdogan-intl/index.html 2023年5月29日閲覧。 
  108. ^ 「占領と呼ぶなら難民送り込む」、トルコ大統領がEUに警告”. CNN (2019年10月11日). 2019年10月21日閲覧。
  109. ^ 「バカなまねはよせ」トランプ氏の手紙、捨てられていた”. 『朝日新聞』 (2019年10月22日). 2019年10月24日閲覧。
  110. ^ トルコ大統領、「目標達成」までシリアでの軍事作戦継続の意向表明”. AFP (2019年10月15日). 2019年10月19日閲覧。
  111. ^ 米・トルコ、シリア軍事作戦5日間停止で合意 クルド勢力退避へ”. ロイター (2019年10月17日). 2019年10月17日閲覧。
  112. ^ シリア北部、停戦後も戦闘 トルコ大統領、作戦再開を警告”. AFP (2019年10月19日). 2019年10月19日閲覧。
  113. ^ トルコ大統領 訪日やめ ロシア大統領とシリア情勢で会談へ”. NHK (2019年10月22日). 2019年10月24日閲覧。
  114. ^ クルド攻撃再開は「必要ない」 トルコ国防省、撤退完了受けて発表”. AFP (2019年10月23日). 2019年10月23日閲覧。
  115. ^ ナゴルノ停戦 アゼルバイジャン「戦勝」パレード 旧ソ連圏 トルコ存在感『朝日新聞』朝刊2020年12月13日(同日閲覧)
  116. ^ 『読売新聞』朝刊2020年12月6日:【地球を読む】山内昌之(武蔵野大学特任教授)バイデン氏「新中東」米の存在感薄れ(1面)/「露・トルコ、影響力強める」(2面)
  117. ^ トルコ共和国 エルドアン大統領閣下へ名誉博士号贈呈 早稲田大学 2018年2月12日閲覧
  118. ^ Sümeyye Erdoğan bugün evleniyor”. Posta (14 May 2016). 30 May 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。14 May 2016閲覧。

外部リンク

[編集]
公職
先代
アブドゥラー・ギュル
トルコの旗 トルコ共和国大統領
第12代:2014年 -
次代
現職
先代
アブドゥラー・ギュル
トルコの旗 トルコ共和国首相
第59代 - 第61代:2003年 - 2014年
次代
アフメト・ダウトオール
先代
ヌレッティン・ソズン
トルコの旗 イスタンブール市長
第28代:1994年 - 1998年
次代
アリ・マフィット・ガチュナ
党職
先代
創設
トルコの旗 公正発展党党首
初代:2001年 - 2014年
次代
アフメト・ダウトオール
先代
ビナリ・ユルドゥルム
トルコの旗 公正発展党党首
第4代:2017年 -
次代
現職
外交職
先代
トニー・アボット
オーストラリア首相
G20首脳会議議長
2015年
次代
習近平
中国国家主席