コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

カルカロドントサウルス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カルカロドントサウルス
生息年代: 100–93 Ma
ミネソタ科学博物館の再建されたカルカロドントサウルス の頭蓋骨
地質時代
約1億- 約9,300万年前(中生代前期白亜紀終盤[アルビアン]- 後期白亜紀序盤[チューロニアン])
分類
ドメイン : 真核生物 Eukaryota
: 動物界 Animalia
: 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
: 爬虫綱 Reptilia
亜綱 : 双弓亜綱 Diapsida
下綱 : 主竜形下綱 Archosauromorpha
上目 : 恐竜上目 Dinosauria
: 竜盤目 Saurischia
亜目 : 獣脚亜目 Theropoda
下目 : テタヌラ下目 Tetanurae
階級なし : (未整理[注 1]カルノサウルス類 Carnosauria
上科 : アロサウルス上科 Allosauroidea
: カルカロドントサウルス科 Carcharodontosauridae
Stromer, 1931
: カルカロドントサウルス属 Carcharodontosaurus
学名
Carcharodontosaurus
Stromer1931
タイプ種
C. saharicus
和名
カルカロドントサウルス
英名
Carcharodontosaur
下位分類群(
詳細は本文参照 *

カルカロドントサウルスCarcharodontosaurus, '鮫の歯を持つ蜥蜴'の意)は、約1億- 約9,300万年前(中生代前期白亜紀終盤[アルビアン]から後期白亜紀序盤[チューロニアン])までの約700万年の間を、海進時代のアフリカ大陸北部(画像資料あり[注 2])に棲息していた、肉食恐竜である大型獣脚類の一種(1)。化石は、現在の北アフリカ一帯(エジプトスーダンニジェールモロッコ)から発見されている。

呼称

[編集]
カルカロドントサウルスの歯の化石(サハラ産)

属名 Carcharodontosaurus は、古代ギリシア語: κάρχαρος (karcharos) 「ギザギザの」 + οδούς (odous; 語幹: odont-) 「歯」 + σαῦρος (sauros) 「とかげ」による合成語。あるいは、前2者をあわせた Carcharodonホホジロザメ属を意味することから、「ホホジロザメ」 + 「とかげ」の合成語と見ることもできる。いずれにしても、薄くて鋸状のサメのような歯をもつことによる命名である。

発見史

[編集]
戦禍に消えた化石と再度の発見
カルカロドントサウルスの頭蓋骨化石標本(モロッコ産)

最初の発見となった特徴ある歯の化石は、フランス人古生物学者シャルル・ドペレen)と J.Savornin によって1927年エジプトの白亜紀層からもたらされ、メガロサウルスの1種、Megalosaurus saharicus (メガロサウルス・サハリクス)と命名された。

加えて1931年には、ドイツ人古生物学者エルンスト・シュトローマーによって歯以外の部位の新発見がなされ、詳しい分析の結果saharicus 種には新属Carcharodontosaurus (カルカロドントサウルス属)の名が与えられることとなり、Megalosaurus 属から変更された。

その後これらの化石群は模式標本となっていたが、ドイツミュンヘンに運ばれたのち、第二次世界大戦の戦禍に巻き込まれることとなり、ミュンヘン大空襲によって破壊されてしまった。このとき、スピノサウルスの模式標本も同じ運命をたどっている。

しかし、シカゴ大学アメリカ人古生物学者ポール・セレノの手によって1996年にはモロッコで明らかにカルカロドントサウルスとわかるほぼ完全な頭蓋骨の化石が発見され、模式標本として再記載された。

生物的特徴

[編集]

形質

[編集]
人と巨大な獣脚類のスケール比較。
カルカロドントサウルスはオレンジ色。
人間との大きさ比較

体長約11メートル[1]、頭骨長約1.6メートル[2]ティラノサウルスと同等以上の体長と頭骨長を持ち、体重は5〜7トンに達した史上最大級の肉食恐竜である。同時期に南アメリカ大陸に棲息したギガノトサウルスとは近縁であったと見られている。

学名の由来でもあるは、肉食恐竜独特の縁の歯が特に大きく、波状で皺(しわ)のような形を成す。断面が薄く、幅がやや広く、前後方向のカーブが少ないという特徴があるため、歯はカルカロドントサウルス化石を判別する有力な証拠になる。ティラノサウルスなど、他の肉食恐竜は獲物の骨まで砕くことのできる形質の歯を持ち、捕食者(プレデター)だけでなく腐肉食者(スカベンジャー)でもあった根拠とされるのに対して、カルカロドントサウルスの歯は肉を食べることに適した形状であるとされ、捕食者の傾向が強かったと考えられている。

前肢アロサウルス同様に長く、ティラノサウルス類とは異なる。自身より大きな草食恐竜がほとんどいない時代に生息していたティラノサウルスが、自身と同程度の体格かより小型の獲物を捕食していたのに対し、ティタノサウルス類など巨大な草食恐竜と同時代に生きていたカルカロドントサウルスは、かつての剣歯虎(サーベルタイガー)のように、自身より体の大きな獲物に深手を負わせ、出血で死亡させる方法[注 3]で狩りをしていた可能性が指摘されており、ギガノトサウルスにも同様の言及がある。

頭骨。国立科学博物館(東京)の展示品。

頭蓋骨(とうがいこつ)は高さがあり、部が長く、左右の幅は狭かった。骨の内部は空洞が多く軽量化に役立っていた[1][2]

Chureは2000年にカルカロドントサウルスが発達した涙骨を持っている理由は頭突きに使用されたためとした[3]。SerenoとBrusatteは、同じくカルカロドントサウルス科のエオカルカリアの記載時に、このグループの額の隆起が雌をめぐって争うのに使用された可能性を指摘している[4][5]

頭蓋骨のサイズはティラノサウルスを上回るほどであるが、脳函の大きさから脳自体はティラノサウルスの3分の2(人間の15分の1[2])程度であったことがわかっている。これは獣脚類としては一般的な大きさである。

分類

[編集]

系統分類

[編集]

頭蓋骨や前肢など多くの特徴からギガノトサウルスと近縁とされ、カルカロドントサウルス科をなす。このことはアフリカ大陸と南アメリカ大陸の分離時期が遅かったことの根拠となるとポール・セレノらは見ている。北アメリカのアクロカントサウルスもこの科に属するとされるが、アロサウルス科とする意見も強く、結論は出ていない。いずれにせよ、カルカロドントサウルス科はアロサウルス科、中国の恐竜からなるシンラプトル科en)とともに近縁であることは間違いなく、総じてアロサウルス上科とされる。

下位分類

[編集]
  • Carcharodontosaurus saharicus (Depéret et Savornin, 1927)  カルカロドントサウルス・サハリクス
模式種。化石標本は戦禍で失われたのち、それとは別に再度発見され、改めて記載されている。
  • Carcharodontosaurus iguidensis Brusatte et Sereno, 2007  カルカロドントサウルス・イグイデンシス

人間との関わり

[編集]

化石展のグッズショップや化石即売会などで、モロッコ産のカルカロドントサウルスの歯の化石とされる物が、同じくスピノサウルスとされる物とともによく販売されている。本物の産出量は決して多くない事から、市場に出回っている化石の多くは、人の手の入った補修品が多いと考えられている。これらは砂を使って歯根を水増しした物や、モロッコ産の実物から型をとって人形焼のごとく型抜き製造された中国産の偽化石であるとされる[6]

脚注

[編集]
  1. ^ a b マイケル・J・ベントン他, ed (2010). 生物の進化大図鑑. p. 319,489. ISBN 978-4-309-25238-4 
  2. ^ a b c 富田 幸光『カラー版 恐竜たちの地球』岩波新書、1999年9月29日、66-67頁。ISBN 978-4004306375 
  3. ^ Chure, Daniel (2000). “On the orbit of theropod dinosaurs.”. Gaia 15: 233–240. https://www.researchgate.net/publication/228550944. 
  4. ^ New Meat-eating Dinosaur Duo from Sahara Unveiled” (英語). www.newswise.com. 2023年9月21日閲覧。
  5. ^ サメのように殺す恐竜ハイエナのように食べる恐竜”. natgeo.nikkeibp.co.jp. 2023年9月21日閲覧。
  6. ^ 東京国際ミネラルフェアパンフレット(文面に編集あり)。

注釈

[編集]
  1. ^ 分類学上、未整理の階級。階級未定の分類群(タクソン)
  2. ^ 当時のアフリカ大陸の様子については右の画像を参照のこと。本種が棲息していた当時のアフリカ大陸北部地域は、この図よりはもう少し陸地が広がっていた。
  3. ^ 剣歯虎の長大な上顎犬歯の用途については諸説あり、出血死を狙ったとする説は、脊椎を直接断裂させるとする説と並んで、積極的な狩猟者と見る学説の中の有力な一つである。

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]