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ベルウッド・レコード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
キングベルウッドから転送)
ベルウッド・レコード株式会社
Bellwood Records Co., Ltd.
種類 株式会社
略称 ベルウッド
本社所在地 日本の旗 日本
112-0013
東京都文京区音羽1丁目2番3号
設立 1973年昭和48年5月17日
業種 情報・通信業
法人番号 8010001007069 ウィキデータを編集
代表者 遠藤 潤(代表取締役社長
資本金 2500万円(2007年7月現在)
主要株主 キングレコード
外部リンク http://bellwoodrecords.co.jp/
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ベルウッド・レコード株式会社は、キングレコード系列のレコード会社、および同社が展開するレーベルである。名称の由来は「鈴・木」の英直訳。販売業務はキングレコードへ委託している。講談社を中心とした音羽グループに属する。

1972年昭和47年)に発足。1979年(昭和54年)に一旦休止したが、2001年平成13年)に復活。以下、1972年 - 1979年を「第1期」、2001年以降を「第2期」とする。

概要

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第1期

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キングレコードのディレクター・長田暁二は「1970年(昭和45年)の第二回全日本フォークジャンボリーが1万人近い観客を集めたことを知り、フォークソングが商売になると踏んで、後に私どもが作ったレーベルがベルウッド・レコード」と話している[1]。キングレコードのディレクター・三浦光紀1971年(昭和46年)に制作した上條恒彦+六文銭の「出発の歌」が大ヒットしたことで[2]1972年(昭和47年)キングレコード内に本格的にフォーク/ロック系レコードを制作するため[3]、三浦を中心として設立したレーベルが「ベルウッド」である[2][3]。「ベルウッド」という名前は三浦を強力に支持してくれた鈴木実文芸部長の名前を適当に組み合わせたもので三浦の命名[4]

当時キングレコードは経営不振の渦中にあり、希望退職を募っていて[3]、三浦も他のディレクターとソリが合わなかったこともあり退社を決意[4]。するとキングレコードの町尻量光社長から「ベルウッドを独立させて会社組織にしたらどうか」との提案を受け[3]、三浦他、10数人のスタッフが独立し、1973年(昭和48年)5月1日、「キング・ベルウッドレコード株式会社」が設立された[3]。社長はキングと同じ町尻量光で、専務が小池康之、取締役は草野昌一(漣健児)、長田暁二他、三浦も取締役兼制作チーフで、他の取締役が4人[3]。出資はキングとベルウッドが半々[3]。アーティストからの出資はなく、スタッフにもアーティストはいない[3]。事務所の場所はキング社内から豊島区雑司が谷2丁目のサガラビル2階に移った[3]

第3回全日本フォークジャンボリーで、三浦がスカウトしたあがた森魚[5][6]、1972年4月25日にベルウッドの第一弾シングル「赤色エレジー」でデビューし[2]、この曲が大ヒットしレーベルも軌道に乗った[2]。あがたは先行していたよしだたくろうとは違い[7]、長髪、下駄履き姿でテレビに出て歌唱した[2]

なお、ベルウッド・レコードの「松カサのきれいな」最初のロゴマークを作ったのは、絵描きをしていた高田渡の兄[8]

1972年はあさま山荘事件などで、"政治の季節"の終焉を予感させる社会の流れがあり[2]URCのアーティストがバタバタとメジャー・レーベルに移籍した[2]岡林信康高石友也は「プロテスト・シンガー」というレッテルにうんざりし[2]、URC自体も会社として整っていく姿を"商業主義"と批判され困惑していた[2]。URCに所属していた小室等高田渡が先にキングレコードに移籍した後、ベルウッドに移り[2]、URCは売上げ的にはピークのときであったが、キングレコードとURCと話し合いがもたれ[2]、1972年以降、はっぴいえんど西岡恭蔵はちみつぱい山平和彦いとうたかおザ・ディランII加川良などをベルウッドが引き取った[2]

1972年に吉田やあがたが大ヒットシングルを出したことで、大手レコード会社もフォークが歌謡曲並みに商売になることを実感し[7]、大手レーベルの邦楽制作陣の中には歌謡曲以外のものをやりたがる者が増えた[7]。1972年~1973年には、どのレーベルもフォーク/ロック系の邦楽アーティストを抱えるようになった[7]

1974年(昭和49年)頃になると、吉田拓郎や、井上陽水かぐや姫などが超メジャー化し[3]、ベルウッド系のアーティストはマイナー視されはじめ、大きな転機に立つ[3]。自分のポリシーを曲げてまで、ベルウッドをメジャー化する気のなかった三浦は1974年いっぱいでベルウッドを退社し、アメリカに脱出した[3]。三浦の後は小池康之専務が制作を引き継ぐが、以降の作品はカラーが変わった[3]。ベルウッドは三浦のパーソナル・レコード的な色合いであったため、三浦が1975年(昭和50年)夏アメリカから帰国し、日本フォノグラムに移ると、ベルウッドのスタッフ・アーティストが三浦とともに移籍したため、事実上こちらの方がベルウッド的レーベルになった[3]

ベルウッドの方は1978年(昭和53年)5月の中川五郎のアルバムリリースを最後にレーベルとしての活動が停止状態となり[3]、法人としてのベルウッド・レコード株式会社は実質的に休眠会社となっていた[9]。この間もベルウッド作品は親会社のキングレコードがLP・CDなどで再発売することがあった他、所属アーティストの中には親会社に移籍する形で事実上残留した人もいた[3]

第2期

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2001年(平成13年)に企業活動を再開[3]、主にインディーズバンド・イージーリスニング・アニソン歌手を中心としたアルバムを発売している。

復活当初はインディーズレーベルの受託販売業務が中心であったが、2005年頃から所属アーティストの原盤制作・リリース活動を本格化させ、アニソン歌手インディーズバンドイージーリスニングなどのジャンルで単発系アルバムの制作・発売を行っている。

FLMEのように、はちみつぱい高田渡など第1期の作品の復刻も行っている。

作品(第1期)

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六文銭関連
基本的にポップなフォークソング。現代詩や歌謡曲にアプローチ。小室等・及川恒平原茂上條恒彦
高田渡関連
ブルーグラス・ジャグ・バンド・カントリー・ディキシージャズ・ロードソング・現代詩を織り交ぜた作品群。武蔵野タンポポ団シバ加川良佐藤博岩井宏など。
はちみつぱい・はっぴいえんど・ザ・ディランII
グレイトフル・デッドや、ヴァン・ダイク・パークスなどの影響や、無国籍サウンドの基礎を形成。
西岡恭蔵・細野晴臣
骨太なアコースティックロックや、カントリー色のあるポップス。
あがた森魚・大瀧詠一
あがた森魚は、英トラディショナルや、キネマ、大正ロマンなどにこだわり、独自の展開の基礎を築く。大瀧は、米国ポップスの影響の強い音楽を展開。
友川かずき・遠藤賢司・三上寛
パンク・ロック・ニューウエーブ・プログレ・劇的展開を取り入れた作品を残す。
唐十郎・ピラニア軍団
俳優達が唄うアングラ歌謡。
やしきたかじん
クニ河内プロデュース。
その他
金森幸介銀河鉄道斉藤哲夫小坂忠センチメンタル・シティロマンス中山ラビ吉田美奈子松平純子・となりきんじょ・キリギリスなどのライヴ音源。

その後

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所属アーティスト(第2期)

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ROCKBELL records

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かつて所属していたアーティスト(第2期)

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専属

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マネジメント(第2期)

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「摩天楼オペラ」以外のレーベルはキングレコード

販売受託していたアーティスト(第2期)

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自主制作盤の販売元としていた者(原盤制作は無し)

作品一覧(1991年 - )

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関連項目

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脚注

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出典

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  1. ^ 加東康一伊藤強共著『ザ・芸能界 おもしろタレント学録』ミュージック・アット・チョイス編・全国朝日放送、1986年、135-136頁。ISBN 4881310836 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 200CDフォーク編集委員会 編『200CD フォーク 伝説の名曲からJ–フォークまで』立風書房、2003年、125頁。ISBN 9784651820606 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 黒沢進「ベルウッドレコード概説」『日本フォーク紀 コンプリート』シンコーミュージック・エンタテイメント、2009年、108-109頁。ISBN 9784401633104 
  4. ^ a b 黒沢進「三浦光紀インタビュー(1986年9月6日)」『日本フォーク紀 コンプリート』シンコーミュージック・エンタテイメント、2009年、110-114頁。ISBN 9784401633104 
  5. ^ あがた森魚が語る「ベルウッド・レコード」と、伝える技術の話 -インタビュー
  6. ^ 「新・家の履歴書」『週刊文春文藝春秋、2009年11月26日、90-93頁。 
  7. ^ a b c d 湯浅学監修 編『日本ロック&ポップス・アルバム名鑑』株式会社ミュージックマガジン、2013年、104頁。 
  8. ^ 「資料日本ポピュラー史研究 初期フォーク・レーベル編」黒沢進著、SFC音楽出版、1986年12月15日発行、119ページ。
  9. ^ 会社法第473条に基づく手続きを行う形で名目上存続していた。

外部リンク

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