犠牲バント
犠牲バント(ぎせいバント)とは、野球で、打者がアウトになる代わりに、走者を進塁させることを目的としたバントのことである。公認野球規則9.08[注 1]により定められている。英語ではSacrifice buntという。
犠牲バントのうち、一塁走者や二塁走者を次塁に進めるバントは、走者を次の塁へ「送る」ことから送りバントとも呼ばれる。また、三塁走者を本塁に生還させる犠牲バントはスクイズプレイ(英: squeeze play)と呼ばれる。
概要
[編集]歴史は古く、1860年代にブルックリン・アトランティックスの中心選手として活躍していたディッキー・ピアスが最初に犠牲バントを行っていたとされている[1]。犠打ないし犠牲バントという語句が新聞紙面に初めて現れたのは1880年で、1889年には公式記録に犠打の記録が現れるようになった[2][注 2]。
犠牲バントの要件として、無死または一死で打者がバントをし、塁上の1人または複数の走者が次の塁へ進塁する必要がある。ただし、次の塁への進塁を試みた走者が1人でもアウトになった場合は、犠牲バントは記録されない[注 3]。
打者が犠牲バントを決めた場合、打席は記録されるが打数は記録されない。この規則により、犠牲バントを決めた打者の打率や出塁率が下がることは無い。
なお、犠牲バントとほぼ同義の用語として「犠打」(犠牲打)がある。日本野球機構 (NPB) では、犠牲バントを指して「犠打」の表現を用いている[4][5]。ただし、公認野球規則では「犠打」という用語は使用されておらず、犠牲バントと犠牲フライを総称して「犠打」とするとされる場合もあるため[6][7]、注意を要する。日本語版ウィキペディアにおいては、原則として「犠打」は犠牲バントを指す。
犠牲バントを企図した打球に対し、守備側に失策が生じて誰もアウトにならなかった場合、失策がなくても走者は進塁できていたと記録員が判断すれば、犠牲バントと失策が記録される[注 4]。また、打者走者をアウトにできるにもかかわらず、守備側が先行する走者をアウトにしようと試みて失敗し、誰もアウトにならなかった場合には、犠牲バントと野手選択が記録される。いずれの走者もアウトにならず、打者も相手の失策や野手選択によらずに一塁に生きた場合は、犠牲バントではなく安打が記録される。
送りバント
[編集]前述のように、犠牲バントは一塁走者や二塁走者を次塁へ進塁させる送りバントと、三塁走者を本塁に生還させるスクイズプレイに大別される。
走者一塁での送りバントは一塁線を狙って打球を転がすのがセオリーであり、走者二塁もしくは一・二塁の場合は三塁線に転がすべきであるとされる[8]。適切にバントが行われた場合、塁上の走者は打者走者が一塁でアウトになる間に進塁する。犠牲バントが予想される局面では守備側は必要に応じてバントシフトを敷いて対処する。なお、犠牲バントの打球にはインフィールドフライは宣告されないため、敢えて打球を落とし、併殺を狙う場合もある。
悪球はバントが難しいので、ボールになる投球であれば打たずに待つ[9]。バットに当たった瞬間にバットをわずかに引く。そして、バントされた球の飛ぶ方向はバットの角度で定まる。打つ面が三塁を向いていれば三塁に、一塁を向いていれば一塁線にそって球は転がっていく[10]。一塁に走者を置いた場合の犠打はファウルラインに近いフェアグラウンドで一塁手が深く突っ込まねばならぬ地点、一・二塁に走者を置いた場合は三塁方向か三塁と本塁の中間で三塁のファウルラインに近い地点、二塁に走者を置いた場合は三塁と本塁との中央のファウルライン近くにバントするのがそれぞれ最適とされている[11]。
送りバントが成功すれば、走者を得点圏(二塁や三塁)に進めたうえ、内野ゴロ等の凡打による併殺のリスクを回避できる。その一方で、守備側にアウトを一つ与えるというデメリットもある。ここから主に僅差の試合や、投手など安打を期待できない打者の打席で用いられる。しかし、どうしても1点が必要な局面などでは、チームの主砲である4番打者も犠牲バントを敢行することがある。
有効性と現状
[編集]セイバーメトリクスに基づく統計学的な分析によれば、現在の日本プロ野球およびメジャーリーグでは、送りバントをした場合としない場合の得点期待値(1イニングにどれだけ得点できると見込まれるか)を比較すると、無死一二塁の場合を除き[12]バントをしない場合の方が高くなることが複数のデータの分析から明らかになっており[13]、送りバントの有効性が疑問視されている。
ただし、たまにバントを行うことで相手にバントを意識したシフトを敷かせる効果が期待できる[14]し、得点期待値よりも得点確率(得点出来るかどうか)を重視する場面、つまり1点を争うような展開の試合終盤に送りバントを選択することにも一定の合理性が認められる[15]。また、言うまでもなく打者が投手といったような攻撃側に打力が期待できない場合でもバントは効果的である。またプロ野球・高校野球等同一の枠組みであっても、得点環境は年代により大きく変動しており[注 5]、作戦の評価や比較の際にはこうした環境の影響にも注意する必要がある。
近年のメジャーリーグ、特にセイバーメトリクスを重視した戦術を取る「新思考派」と呼ばれるチームでは、犠牲バントの数が大幅に減少している。リーグ全体で見た場合も、1940年代は500打席に対し約5.5回はバントが行われていたが、1980年代までにその比率は約5回に下がり、2004年には3回を少し超える程度にまで頻度が落ちている[16]。
対照的に日本では犠牲バントが広く用いられており、2005年の時点で比較した場合、日本プロ野球とメジャーリーグではバントの頻度において倍近い差があることがわかっている[17]。また、高校野球ではプロ以上にバントが多用されており、2010年の夏の甲子園では1試合平均で5.02本のバントが行われた[18]。一方で、蔦文也監督が率いた徳島県立池田高等学校(通称「やまびこ打線」)や、2007年に選抜大会を制した常葉菊川はバントをしない戦術で注目を集めた[19]。プロ野球においても1998年に横浜ベイスターズを優勝に導いた権藤博はバントを用いることに消極的であった[20]。
スクイズプレイ
[編集]日本プロ野球
[編集]通算記録
[編集]順位 | 選手名 | 犠打 |
---|---|---|
1 | 川相昌弘 | 533 |
2 | 平野謙 | 451 |
3 | 宮本慎也 | 408 |
4 | 今宮健太 | 395 |
5 | 菊池涼介 | 353 |
6 | 伊東勤 | 305 |
7 | 田中浩康 | 302 |
8 | 新井宏昌 | 300 |
9 | 細川亨 | 296 |
10 | 金子誠 | 292 |
順位 | 選手名 | 犠打 |
---|---|---|
11 | 石井琢朗 | 289 |
12 | 荒木雅博 | 284 |
13 | 正田耕三 | 282 |
14 | 水口栄二 | 279 |
15 | 小坂誠 | 267 |
16 | 大島公一 | 265 |
17 | 吉田義男 | 264 |
東出輝裕 | ||
19 | 平野恵一 | 256 |
20 | 中島卓也 | 254 |
- 記録は2024年度シーズン終了時[21]
シーズン記録
[編集]順位 | 選手名 | 所属球団 | 犠打 | 記録年 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 宮本慎也 | ヤクルトスワローズ | 67 | 2001年 | セ・リーグ記録 |
2 | 川相昌弘 | 読売ジャイアンツ | 66 | 1991年 | |
3 | 田中浩康 | 東京ヤクルトスワローズ | 62 | 2011年 | |
今宮健太 | 福岡ソフトバンクホークス | 2013年 | パ・リーグ記録 | ||
今宮健太 | 福岡ソフトバンクホークス | 2014年 | |||
中島卓也 | 北海道日本ハムファイターズ | 2016年 | パ・リーグ記録、左打者記録 | ||
7 | 平野恵一 | 阪神タイガース | 59 | 2010年 | セ・リーグ左打者記録 |
8 | 川相昌弘 | 読売ジャイアンツ | 58 | 1990年 | |
田中賢介 | 北海道日本ハムファイターズ | 2007年 | |||
10 | 和田豊 | 阪神タイガース | 56 | 1988年 | |
川相昌弘 | 読売ジャイアンツ | 1996年 |
- 記録は2024年度シーズン終了時[22]
1試合記録
[編集]選手名 | 所属球団 | 犠打 | 記録日 | 対戦相手 |
---|---|---|---|---|
弓岡敬二郎 | 阪急ブレーブス | 4 | 1985年6月9日 | 南海ホークス |
平田勝男 | 阪神タイガース | 1985年7月18日 | 広島東洋カープ | |
栗山英樹 | ヤクルトスワローズ | 1989年6月4日 | 中日ドラゴンズ | |
平野謙 | 西武ライオンズ | 1991年6月19日 | オリックス・ブルーウェーブ | |
佐藤幸彦 | 千葉ロッテマリーンズ | 1993年7月9日 | 西武ライオンズ | |
石井琢朗 | 横浜ベイスターズ | 2003年7月8日 | 中日ドラゴンズ | |
関川浩一 | 東北楽天ゴールデンイーグルス | 2006年9月5日 | オリックス・バファローズ | |
関本賢太郎 | 阪神タイガース | 2008年6月17日 | 東北楽天ゴールデンイーグルス | |
山崎憲晴 | 横浜DeNAベイスターズ | 2014年7月21日 | 中日ドラゴンズ |
メジャーリーグベースボール
[編集]注:一部記録については犠飛(犠牲フライ)を含む。
通算記録
[編集]順位 | 選手名 | 犠打 |
---|---|---|
1 | エディ・コリンズ | 512 |
2 | ジェイク・ドーバート | 392 |
3 | スタッフィー・マッキニス | 383 |
4 | ウィリー・キーラー | 366 |
5 | ドニー・ブッシュ | 337 |
6 | レイ・チャップマン | 334 |
7 | ビル・ワムスガンス | 323 |
8 | ロジャー・ペキンポー | 314 |
9 | ラリー・ガードナー | 311 |
10 | トリス・スピーカー | 309 |
順位 | 選手名 | 犠打 |
---|---|---|
11 | ラビット・マランビル | 300 |
12 | タイ・カッブ | 292 |
13 | マックス・キャリー | 290 |
14 | ジミー・シェッカード | 286 |
15 | ジョー・ティンカー | 285 |
16 | ジャック・バリー | 284 |
17 | フランク・シュルト | 279 |
18 | ジミー・オースティン | 278 |
19 | ハリー・ハイルマン | 277 |
19 | フレッド・テニー | 277 |
- 記録は2024年シーズン終了時[23]
シーズン記録
[編集]順位 | 選手名 | 所属球団 | 犠打 | 記録年 |
---|---|---|---|---|
1 | レイ・チャップマン | クリーブランド・インディアンス | 67 | 1917年 |
2 | ビル・ブラッドリー | クリーブランド・ナップス | 60 | 1908年 |
3 | ジャック・バリー | ボストン・レッドソックス | 54 | 1917年 |
4 | ボブ・ガンリー | ワシントン・セネタース | 52 | 1908年 |
ドニー・ブッシュ | デトロイト・タイガース | 1909年 | ||
6 | レイ・チャップマン | クリーブランド・インディアンス | 50 | 1919年 |
7 | ドニー・ブッシュ | デトロイト・タイガース | 48 | 1920年 |
ジョー・ギデオン | セントルイス・カージナルス | |||
9 | オッシー・ビット | ボストン・レッドソックス | 47 | 1919年 |
10 | ビル・ブラッドリー | クリーブランド・ナップス | 46 | 1907年 |
ジミー・シェッカード | シカゴ・カブス | 1909年 | ||
ラルフ・ヤング | デトロイト・タイガース | 1919年 | ||
バッキー・ハリス | ワシントン・セネタース | 1924年 |
- 記録は2024年シーズン終了時[24]
順位 | 選手名 | 所属球団 | 犠打 | 記録年 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | ドニー・ブッシュ | デトロイト・タイガース | 48 | 1920年 | ア・リーグ記録[注 6]、両打者記録[注 7] |
ジョー・ギデオン | セントルイス・カージナルス | ナ・リーグ記録[注 8]、右打者記録[注 6] | |||
3 | バッキー・ハリス | ワシントン・セネタース | 46 | 1924年 | ア・リーグ右打者記録 |
4 | スタッフィ・マキニス | ボストン・レッドソックス | 45 | 1920年 | |
5 | ビル・ワムズガンス | クリーブランド・インディアンス | 43 | 1921年 | |
6 | 42 | 1922年 | |||
パイ・トレイナー | ピッツバーグ・パイレーツ | 1928年 | |||
8 | レイ・チャップマン | クリーブランド・インディアンス | 41 | 1920年 | |
ドニー・ブッシュ | タイガース→セネタース | 1921年 | |||
バッキー・ハリス | ワシントン・セネタース | 1925年 | |||
ジョー・シーウェル | クリーブランド・インディアンス | 1929年 | 左打者記録[注 9] |
- 記録は2024年シーズン終了時[25]
脚注
[編集]脚注
[編集]- ^ 2015年以前は10.08
- ^ 当初の「犠打 (sacrifice hit)」は、バントによるものだけでなくフライ(今日でいう犠牲フライ)やゴロ(今日でいう進塁打)によるものも犠打として認めるものであり、また、犠打とともに打数も記録された。ゴロは1894年に対象から除外され、その後数度の変更を経て1931年に今日と同じルールに落ち着いた[3]。
- ^ 走者のアウトが、タッグアウトであったか、フォースアウトであったかは問わない。
- ^ なお、失策がなかったとしても、打者走者を一塁でアウトにすることもできなかったと判断された場合、犠牲バントではなく安打が記録される。
- ^ 例えば2011~12年の日本プロ野球ではいわゆる「統一球」の導入により極端な投高打低の環境となった。そのため1試合のチームあたり平均得点がパシフィック・リーグで4.47点から3.41点まで減少した一方、リーグ全体の犠打数は2010年の745から2011年には863に増加している。
- ^ a b ライブボール時代以前を含めると、上記のレイ・チャップマン
- ^ ライブボール時代以前を含めると、上記のドニー・ブッシュ
- ^ ライブボール時代以前を含めて歴代最多
- ^ ライブボール時代以前を含めると、上記のボブ・ガンリー
出典
[編集]- ^ 佐山和夫. 野球の英語A to Z:佐山和夫が語るアメリカ野球用語. 三修社. p. 52. ISBN 978-4384051773
- ^ 榎本吉雄. “犠打の歴史”. 天理大学. 2024年8月17日閲覧。
- ^ John Schwartz. “The Sacrifice Fly” (英語). アメリカ野球学会. 2024年8月17日閲覧。
- ^ “歴代最高記録 犠打 【通算記録】”. 日本野球機構. 2024年8月17日閲覧。
- ^ “NPB式スコアブックの記入方法”. 日本野球機構. 2024年8月17日閲覧。
- ^ “犠牲打”. コトバンク. 2024年8月17日閲覧。
- ^ “野球用語一覧 犠打”. SPAIA. 2024年8月17日閲覧。
- ^ 転がす場所の狙いどころ
- ^ キャンパニス(1957年) p.205
- ^ キャンパニス(1957年) p.206
- ^ キャンパニス(1957年) pp.206-208
- ^ バントは手堅い作戦か? 6回無死一塁、阿部寿樹へのバント指示を考える 中日新聞2020年7月12日
- ^ 日本の野球でも「バントは損」か 日米野球比較(3) 日本経済新聞 2011年1月17日
- ^ 日本でも「脱バント」が浸透するか 日米野球比較(5) 日本経済新聞 2011年2月14日
- ^ 試合終盤ならバントすべきか 日米野球比較(2) 日本経済新聞 2012年12月20日
- ^ メジャーはなぜバントをしないのか 日米野球比較(3) 日本経済新聞 2010年12月6日
- ^ 日本の野球でも「バントは損」か 日米野球比較3 日本経済新聞 2011年1月17日
- ^ 早大野球部の“バント伝来”107年目。高校野球で、その功罪を見きわめる。 NumberWeb 2011年8月11日
- ^ 『信頼』が生んだ常葉菊川の優勝
- ^ 日本にもいた「バントの嫌いな監督」 日米野球比較(4)
- ^ 歴代最高記録 犠打【通算記録】 - NPB.jp 日本野球機構
- ^ 歴代最高記録 犠打【シーズン記録】 - NPB.jp 日本野球機構
- ^ 通算記録 (MLB) - Baseball-Reference.com
- ^ シーズン記録 (MLB) - Baseball-Reference.com
- ^ http://www.baseball-reference.com/leaders/SH_season.shtml
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- Al Campanis 著、内村祐之 訳『ドジャースの戦法』ベースボール・マガジン社、1957年。ASIN B000JAY4RG。