シヅオカヤ
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
↓ 東京都八王子市初沢町1227-4[5] |
設立 | 1960年(昭和35年)3月3日[3][2] |
業種 | 小売業 |
事業内容 | スーパーマーケット[1] |
代表者 | 萩原勤也(社長)[1] |
資本金 |
500万円(設立時)[1] ↓ 5000万円[1] ↓ 3億7000万円[6] |
売上高 | 259億2200万円[5] |
決算期 | 2月期[1] |
主要株主 | 忠実屋88.3%[5] |
シヅオカヤは、かつて首都圏を中心に生鮮食品に強みを持つスーパーマーケットを展開していた日本の企業[7]。
1984年(昭和59年)3月に忠実屋と提携し[8]、同社が51%の株式を取得して子会社化された[6]。
1991年(平成3年)6月に「株式会社シヅオカヤ」へ商号を変更した[2]。
1994年に忠実屋がダイエーに吸収合併されたため同社傘下となるが、2000年(平成12年)に同じダイエー傘下のセイフー(後のグルメシティ関東)に吸収合併された。[要出典]
歴史・概要
[編集]志太郡岡部町出身の萩原勤也が[9]、神田市場の東京東印青果から独立し[1]、1946年(昭和21年)に東京都新宿区歌舞伎町で果実商を開いたのが始まりである[1]。
1960年(昭和35年)3月3日に[2]資本金500万円で「萩原商事株式会社」を設立し[1]、同年7月8日にスーパーマーケットの三鷹店を開店した[10]。
1963年(昭和38年)3月20日に「シヅオカヤ労働組合」が結成された[11]。
1969年(昭和44年)4月に本部を町田に移転してスーパーマーケットチェーン展開の基盤を構築した[4]。
1980年(昭和55年)5月に高島屋ストアから3店舗を譲受した[12]。
1981年(昭和56年)6月から本部から半径5㎞を対象として夕食材料の宅配を開始した[13]。 同年7月にベスト電器と業務提携して[14]大山店内に家電売り場を開設した[15]。
1980年代初めには生鮮食品に強みを持つローカルスーパーとなり[7]、1981年(昭和56年)度に34店舗で売上高約440億円を上げて国内小売業で71位となった[16]。
1981年(昭和56年)度の集中出店の失敗により業績が悪化し[6]、1984年(昭和59年)3月に忠実屋と業務提携して[8]、同社が51%の株式を取得して子会社化されたが[6]、創業家である萩原家が社長を務め続けた[17]。
しかし、忠実屋の傘下に入ってから約2年後の1986年(昭和61年) 3月6日に忠実屋側が創業家出身の萩原秀樹社長を解任して取締役に降格し[18]、忠実屋専務の金森方志を社長に就任させた[17]。
ところが、翌々日の同月10日にこの社長解任が一方的であると同時に理由が不明確であるとして解任された萩原秀樹が忠実屋側に公開質問状を出し[18]、忠実屋側も即座に解任は正当であるとの反論を行ったため[19]、経営権を巡って創業家と筆頭株主の忠実屋が争う事態に陥った[20]。
この騒動は、同年6月が創業家から株式を取得して完全に傘下に入れると共に前社長の萩原が取締役も退任して当社を去ることで和解し、創業家の萩原家が経営から離れることになった[20]。
そして、1985年(昭和60年)3月に忠実屋本社ビル内に本社機能を移転して、同社と事実上一体的に運営されるようになった[21]。 それに伴い、当社は商品部を廃止して商品の仕入れ部門を忠実屋と一体化し、物流についても忠実屋の東京都羽村市にあった加工センターと神奈川県厚木市にあった厚木物流センターから各店舗に直接配送することになった[22]。
1991年(平成3年)6月に「株式会社シヅオカヤ」へ商号を変更し[2]、同年9月1日に同じ忠実屋グループとなっていた「ナイス」と経営統合して[23]同社から15店舗の営業を継承した[2]。
年表
[編集]- 1946年(昭和21年) - 静岡市出身の萩原勤也が東京都新宿区歌舞伎町で果実商を開業[1]。
- 1960年(昭和35年)
- 1963年(昭和38年)3月20日 - 「シヅオカヤ労働組合」結成[11]。
- 1969年(昭和44年)4月 - 本部を町田に移転し、スーパーマーケットチェーン展開の基盤を構築[4]。
- 1980年(昭和55年)5月 - 高島屋ストアから3店舗を譲受[12]。
- 1981年(昭和56年)6月 - 本部から半径5㎞を対象として夕食材料の宅配を開始[13]。
- 1984年(昭和59年)3月[8] - 忠実屋が51%の株式を取得し、同社の子会社化となる[6]。
- 1986年(昭和61年)
- 1985年(昭和60年)3月 - 忠実屋本社ビル内に本社機能を移転し、事実上一体化[21]。
- 1991年(平成3年)
かつて存在した店舗
[編集]東京都
[編集]23区
[編集]- 店舗面積約110m2[29]。
- 店舗面積約1,671m2[2]。
- 遊座大山商店街の一角に出店していた[40]。
- 閉店後に商店街の客足が激減したことから商店街側から再開を働きかけ、1995年(平成7年)6月に店舗面積約300m2のビッグ・エーが店舗跡の一部に開店した[40]。
- 店舗面積約1,400m2[29][41]。
- 「成増名店街」地下1階に[42]丸井や高島屋ストアなどと共に核テナントとして[43]地下売り場に出店していた[44]。「成増名店街」は建て替えを行い[43]、1988年(昭和63年)6月30日にダイエー成増店が開店した[45]。
- 近隣に(2代目)成増店を移転開設した[44]。
三多摩
[編集]- 店舗面積約960m2[50]。
- 店舗面積約501m2[52]。
- 店舗面積約570m2[33]。
- 店舗面積約182m2[59]。
- 店舗面積約418m2[2]。
- 店舗面積約580m2[65]。
- 店舗面積約850m2[70]。
- 当社が建設したショッピングセンターのテナントとして招致した[27]町田大丸の地下2階に出店していた[69]。地下1階の町田大丸食品売り場のさらに下という不利な立地であったが、町田大丸食品売り場を上回る売上を上げていた[68]。
- 店舗面積約980m2[50]。
- 店舗面積約610m2[72]。
- ナイス鶴川緑山店(町田市三輪町27-2332[73])
神奈川県
[編集]- 店舗面積約900m2[75]。
- 店舗面積約365m2[2]。
- 店舗面積約267m2[72]。
- 店舗面積約210m2[72]。
- 店舗面積約408m2[72]。
- 店舗面積約484m2[2]。
- 店舗面積約624m2[72]。
- 店舗面積約242m2[72]。
- 店舗面積約247m2[72]。
埼玉県
[編集]千葉県
[編集]- ナイス千城台店(千葉市若葉区[2]千城台西2-14-1ref name="selfservice-member-1981-149"/>、1966年(昭和41年)6月1日 野村ストア開店[93] - 1991年(平成3年)9月継承開店[2])
- 店舗面積約324m2[72]。
静岡県
[編集]- 敷地面積約4,528m2[94]、鉄筋コンクリート造地上5階建て塔屋1階[94]、延べ床面積約11,615m2[94]、店舗面積約6,952m2[94](当社店舗面積約1,374m2[94])、駐車台数約300台[94]。
- 「シーザースボウル」跡地に建設し[96]、静岡駅南地区初の大型店として開業した[97]。
- 店舗面積約8,500m2[104]。
- 店舗面積約1,065m2[50]。
- 店舗面積約1,110m2[50]。
過去に存在した事業所
[編集]- 静岡センター(静岡県静岡市池田町230-1[50])
過去に存在した関連会社
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 『日本繊維商社銘鑑 1969年版』 東京信用交換所、1968年。pp1472
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- ^ a b c d 『流通会社年鑑 1979年版』 日本経済新聞社、1978年10月20日。pp232
- ^ a b c 『流通会社年鑑 1978年版』 日本経済新聞社、1977年10月25日。pp212-213
- ^ a b c 『流通会社年鑑 1990年版』 日本経済新聞社、1990年11月24日。pp228
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- ^ a b c “忠実屋、社長に起用 金森専務を派遣 萩原商事を派遣へ”. 日本経済新聞(日本経済新聞社). (1986年3月8日)
- ^ a b c “忠実屋に質問状 社長解任に異議”. 日本経済新聞(日本経済新聞社). (1986年3月11日)
- ^ “萩原商事の質問状に忠実屋が反論「社長解任は正当」”. 日本経済新聞(日本経済新聞社). (1986年3月12日)
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