ノート:カトリック教会/過去ログ2
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記事名について
[編集]著作権侵害の版が含まれていた関係で2004年2月以降の版がすべて削除されてしまいましたので、(著作権問題に抵触しない)自分が加筆した部分を手元にあった原稿から再現し、再加筆しました。--Gakuinryou 2005年5月23日 (月) 14:27 (UTC)
- お手数をおかけしました。ありがとうございます。--竹麦魚(ほうぼう) 2005年5月23日 (月) 20:40 (UTC)
- 情報 2005年5月23日に実施された主ページ「カトリック教会」の特定版削除より以前の当ノートページのログは、《ノート:カトリック教会/削除》を参照。--Yumoriy(会話) 2024年12月6日 (金) 11:45 (UTC)
加筆訂正2箇所の除去理由
[編集]河内景隆による加筆・訂正(2ヵ所)を、その後削除されましたが、その理由をお教えください。--河内景隆 2007年10月25日 (木) 09:59 (UTC)
- 気づいたのが私でも同じように処理したでしょうからお答えしますと、他所様の玄関口(定義部分)で喧嘩売ったり(普遍教会はローマだけじゃない)、勝手な命令したり(ローマ・カトリックと呼ばねばならない)、誰も聞いてない他派の見解の演説はじめたり(プロテスタントも同意している、プロテスタントと理解が異なる)したら、そりゃ荒らしと看做されて消されますね。wikipediaは読者全員が自教派である前提の各個教会の学びのテキストとかじゃないんですから。もっと後ろで出典付きの批判的見解として載せときゃ残ったかも知れませんけれども。--LR 2007年10月25日 (木) 10:47 (UTC)
お返事を有難うごじました。批判のためでしたら、仰るとおり「批判的見解」として書いたことでしょう。しかし、今回の加筆は:
・「カトリック」(普遍的)な教会は、いわゆる「カトリック教会」と呼ばれている教会だけではないと言う事実を述べているのに過ぎません。ギリシャ正教会やプロテスタントの見解を学べばお分かりでしょう。
・そうであれば、区別するために「ローマ」と明記するのが当然です。命令はしませんが、、、。
・第三の点は、書き方があったかもしれません。この部分は「批判的」または、「プロテスタントの見解」としてでも書けばよかったのでしょう。--河内景隆 2007年10月25日 (木) 22:18 (UTC)
- 仮に事実だとしても家の前で怒鳴ってたら人格問われますし、まず警察呼ばれます。まして、ご自分でおっしゃっているじゃありませんか、「ギリシャ正教会やプロテスタントの見解」と。つまり単なる部外者の意見で事実なんかじゃない、ローマの自己言及が事実ではないのと同程度に。したがって「そうであれば」という前提がなくなるので全然「当然」ではありませんし、命令文を書いておいて言い逃れは出来ません。あなた自身がカトリックならまだ善意の仮定も可能ですがそれでも「内輪もめは他所でやれ」という話になるだけです。しかし、あなたはあきらかに他派の方なんですから敵意の発露にしか見えません。そろそろいいかげんwikipedeaでやって良い事と悪い事の区別を付けてください。潜在的な知識量は買ってますけど、不慣れな初心者として無作法が許される期間はもうそう長くはありません。--LR 2007年10月26日 (金) 00:17 (UTC)
「カソリック」との語を固有名詞的に使用する場合は、「カトリック教会」でも構いません。しかし、それが「普遍的」を意味するとして、一般名詞的に使用する場合は、「ローマ・カトリック教会」と限定的な「ローマ」を付すのが、相手のギリシャ正教側に対しての礼儀と思います。東方教会は、単にオーソドックス教会といわず、「ギリシャ正(正統)教」会と言っているわけですので、、、。こちらが「正教」(Orthodox Church)のみでしたら、ローマ・カソリック側は、そうではないと言うでしょう。--河内景隆 2007年10月26日 (金) 02:01 (UTC)
- それは当事者であるカトリックの主張とは異なる、貴方の主体的な美学であり公平観でしょう? 逆にそれが正しいと思ってるのは貴方だけ、という典型的私見かもしれない。むしろ東方正教会にダシに公平を装って自説を強弁しようとするダブルスタンダードな悪意すら感じられます。まして、素人ならともかく、それほどの知識と理解を持ちながら確信的にカソリックと呼ぶことも、やはり中央協議会の意向を意図的に無視する礼を失した行動でしょう。もっと自分と対象を両方突き放してください。記事の当事者の主張をそのまま紹介することを妨げないでください。心の中では「〜などと勝手なことをほざいている」と付け足してもいいから、文面には表さないで下さい。正教とカトリックとプロテスタントは、どれも「正統」「普遍」「福音」の独占僭称を目論んでいるという点で同罪です。あなた方だって「福音派」という誇り高い呼称を自粛して手放す気なんかないでしょうし、プロテスタントの記事冒頭に「使徒継承を保持しないこれらの団体は厳密には教会とは呼べない」などと書かれたら、即削除しますよね? --LR 2007年10月26日 (金) 03:34 (UTC)
- 正教会と合わせた呼び名のお話が出ていますので少しだけ割り込ませて下さい。
- 確かに日本正教会では自らの事を対内的・日常的には「東方正教会」「ギリシャ正教」とは言っていません。対外的な媒体で止むを得ず言っているケースは多々あるようですが。そして自らの「オーソドックス性(正しく神を讃美する性質)」と「カトリック性(普遍性)」についても強く意識していますから、「なぜローマカトリックはカトリック教会と呼ばれ、東方正教会は正教会と呼ばれないのか?」という疑問を持つ正教徒も無い訳では無いようです。
- 確かに、両教会とも「正しい典礼・奉神礼を持つ教会」(オルソドクシア)「普遍教会」(カトリケー)を自認しているのですから、両方に客観的公平な呼称としては「カトリック教会・正教会」か「ローマカトリック教会・東方正教会」の、いずれかの組み合わせが相応しいとは言えます。かねてより興味がありましたので、この際、呼称についていくつかの言語を調べてみました。
- 英語ウィキ:Roman Catholic Church(ローマカトリック教会)-Eastern Orthodox Church(東方正教会)
- ラテン語ウィキ:Ecclesia Catholica(カトリック教会)-Ecclesiae Orthodoxae(正教会)
- ギリシャ語ウィキ:Καθολική Εκκλησία(カトリック教会)ーΟρθόδοξη Εκκλησία(正教会)
- ウクライナ語ウィキ:Католицизм(カトリック)ーПравослав'я(正教)
- となっており、「公平性」が重視された呼称と言える【かも】しれません(偶然という事も有り得ますので)。
- ただ一方で、以下のような事例もあります。
- フランス語ウィキ:Église catholique romaine(ローマ・カトリック教会)ーÉglise orthodoxe(正教会)
- ドイツ語ウィキ:Römisch-katholische Kirche(ローマ・カトリック教会)ーOrthodoxe Kirchen(正教会)
- ルーマニア語ウィキ:Biserica Romano-Catolică(ローマ・カトリック教会)ーBiserica Ortodoxă(正教会)
- ロシア語ウィキ:Римско-католическая церковь(ローマ・カトリック教会)ーПравославие(正教)
- 中国語ウィキ:天主教ー東正教
- 別にローマ教皇と仲が良いか悪いか(ルーマニア正教会はローマ教皇と比較的友好的であり、ドイツはプロテスタントが北部を中心に優勢ではありますが教皇出身国です、フランスはカトリック優勢ですね)を問わず、「ローマ・カトリック教会」と呼んでいるウィキはあるようですし、寧ろ「東方正教会」と呼ぶウィキの方が少ないようです。今見てきた限りでは(他にフィンランド語・スペイン語・ポルトガル語・ベラルーシ語・セルビア語を見てきましたが)、いずれも呼称については
- 「カトリック教会」「正教会」
- 「カトリック」「正教」
- 「ローマ・カトリック教会」「正教会」
- の組み合わせが優勢のようですね。
- 英語ウィキだけのようです、
- 「ローマ・カトリック教会」「東方正教会」
- の組み合わせは。そして
- 「カトリック教会」「東方正教会」
- の組み合わせは、日本語ウィキと中国語ウィキ(「天主教」を「カトリック教会」と同名と看做すかは議論の余地がありますが)だけのようです。
- 勿論、「他言語がカクカクシカジカだから他言語に合わせよう」などというのは単純に過ぎるお話ですし、各国版ウィキペディアでの呼称が各国での標準だと考えるのもナンセンスです。ただこれらの事例から、「『ローマカトリック』という呼称は蔑称」と思われる方がもしいらっしゃるとすればそれは間違いだと思いますし、「ローマカトリックと呼ばなければならない」というのも同じく間違いだとは言えるでしょう。
- 「東西両教会に公平な呼び名」を考えなければならないのは勿論ですが、百科事典という性格上「一般的通用性」というものを考えなければならない事もまた事実であり、そこでの平衡感覚・調整プロセスが必要になってくるかと思われます。
- その意味で、呼称についての河内景隆さんの問題提起は意義無しとはしません。
- ただ、河内景隆さんの書き方(突然の書き込みの数々)はマズいと思います。精々「ローマカトリックという呼び名もある」(これは事実です)と記述する位に留め、正式に移動提案を(長期的議論になるのを前提の上で)するのが穏当でしょう。また、確かにプロテスタントからの批判を各所に書き込むのも適当ではありません。そんな事が広がりだしたら、正教会・カトリック・プロテスタントの三つ巴になり、果ては東方諸教会の人々まで介入してきて滅茶苦茶になる事は目に見えています(日本にもシリア正教会信徒がいますしね^^;)。最低限でも「他教派からの批判」として別項目で、穏やかな文面で事実関係のみを述べるに留める配慮は必要でしょうね。長文、失礼しました。--Kliment A.K. 2007年10月26日 (金) 07:12 (UTC)
- ただ一方で、以下のような事例もあります。
- 呼称の話を受けますと、部外者の勝手な美学で他派とのバランスとかなんとか言い出すより、当事者の申請通りに運用するのが礼の基本だと思います。「○○と呼んでください」「うるさい、お前なんか××だ、あいつらが△△で俺等が□□なんだから文句言うな」では喧嘩にならないほうがおかしい。
- カトリック教会に関しては、15年ほど前に、全国一斉に名称統一をしています。私の近隣のカトリック教会は、創立以来「{地名}カトリック教会({Chimei}Roman Catholic Church)」だったものが「カトリック{地名}教会(Catholic {Chimei} Church)」になりました。それまで自分でRoman付けてたのですから、それは蔑称でもなんでもない、むしろ彼等が聖座と信じるローマとの結びつきを高らかに宣言する誇らしいものだったのでしょうけれども、とにもかくにも彼等は自分でそれを省いたんです。そして、それは部外者にとやかく言われる筋合いのない事です。ですから「では今後こちらもその様にしましょう」というのが唯一の大人の付き合い方ですよね。
- その流れで、現在の正教会に関する記事での呼称が日本語を話す正教徒に違和感のあるものになっているなら、他派も他言語版もバランスも関係ありません、そちらで修正、あるいは改名・移動提案を出してください。逆に、wikipedeiaに芳しくない名称で載ってるとそれが正しいと思われて誤解が拡大再生産され、時間が経つほど厄介が増大しますよ。--LR 2007年10月26日 (金) 09:37 (UTC)
- LRさん、コメントをありがとうございます。
- >「○○と呼んでください」「うるさい、お前なんか××だ、あいつらが△△で俺等が□□なんだから文句言うな」では喧嘩にならないほうがおかしい。
- 全く仰る通りなのですが、そういう事が日本における訳語・用語を巡ってお互いに行われてきたのが、東西両教会の間・カトリックプロテスタント間で行われてきたのがこれまでの日本における経緯であり、その感覚が未だ色濃く残っている人々が居る事もまた確かです(このような事を申しますのはLRさんの今までの編集履歴を拝見していますと釈迦に説法だと思いますが^^;)。ですので「かの教派ではこう言っている」だけでは説得力として不十分だというのも現実的問題としてあるのです。私の申したことはそうした「現実的問題」を考慮し、自説を補強する為に世界的事例を申し上げたものだと解釈頂ければと思います。
- その上で、日本語ウィキペディアの記事もまず、「カトリック教会」「正教会」の組み合わせにするのがベストだと思います。両教会の自称を尊重するのがスジだというのは全く仰る通りです。それとともに、冒頭文中に「ローマ・カトリック教会という別称もある」「東方正教会という別称もある」などと付加えれば、古い呼称でやってきたウィキ利用者にも混乱を招かずに済むかと思います。
- まあ結論としては、こちらのカトリック教会のページ名に関しましては「現状維持」に賛成ですので、こちらで延々とやっている意味がありません^^;という訳で「東方正教会」の改名提案の準備をこれからしようと思います。--Kliment A.K. 2007年10月26日 (金) 16:59 (UTC)
様々な書き込みを有難うございました。大いに学びました。さて、通称や自称は、様々あってもやむを得ないと思いますが、それぞれ宗教法人として登録されていると思いますので、正式名は、その登記名を使用するのが適切と思います。カトリック教会、また、正教会、それぞれ登記名がどのようになっているのかをご存知の方々、お教えいただけませんか。--河内景隆 2007年10月26日 (金) 23:51 (UTC)
カトリック教会批判
[編集]百科事典、しかもネット百科事典であるウィキペディアで記事の記述が細かすぎるから削除というのは詭弁でしょう。それに、たいていの加筆の内容は英語版を読む、あるいは具具るなどしてちょっと調べればその事実は確認できることばかりなのにいきなり削除とは厳しいですね。一度、元に戻します。出典に疑問があるところを[要出典]で指摘してくだされば英語のグーグルニュースなどでソース探してきますよ。ソースが出ない場合は削除されて結構です。--Vapour 2008年2月16日 (土) 05:17 (UTC)
- 批判ではないが自分はものみの塔だが以前家族でカトリック(ローマの)信者だった人がいてカトリックという日本語は公同と言うより普公と言うと聞いた。カトリックの信仰を大事にしたいので自分もそう書いた。--伊藤栄一 2010年5月5日 (水) 09:38 (UTC) =追伸そのカトリックだった青年はとてもまじめでカトリックの主の祈りも知っていて、…誘惑に引き給わず・・・だったかな悪に・・・だったかな。とても好青年でした。模範的見えない所ででした。--伊藤栄一 2010年5月5日 (水) 09:50 (UTC) =また追伸だがものみの塔もローマ教皇の記述があり、三重冠(ティアラ)をかぶっているそうだ。地獄と地上と天国の王と言う意味らしい自分もそれをそのまま信じている。(信憑性が無かったら書かないものみの塔の書籍である --伊藤栄一 2010年5月5日 (水) 10:16 (UTC)。)
伊藤栄一さんへ ノートページにおける演説はお止めください。Help:ノートページもお読み下さい。--Kinno Angel 2010年5月5日 (水) 10:37 (UTC)
聖書翻訳に関する編集につき
[編集]聖書翻訳に関する編集について疑問があります。「ここに書くべきでない内容」とGakuinryouさんは仰いますが、小生には皆目、問題だとは思えないのです。フランシスコ会訳聖書の質については小生の周り(カトリック信者では無い者達)からも高い評価がされており、削除は意外です。カトリック教会にとってフランシスコ会訳聖書の位置づけというのは高くないのでしょうか?
本当は再び差し戻させて頂こうかとも思ったのですが、カトリック教会に造詣の深いGakuinryouさんによる編集です、門外漢には分からない事情があるのかもしれないと思いました。まず、「なぜ『ここに書くべきでない内容』」なのかを伺いたく存じます。宜しくお願いします。--Kliment A.K. 2009年1月30日 (金) 04:40 (UTC)
- Kliment.A.Kさんのお尋ねにあった編集についてお答えします。編集の理由は「フランシスコ会訳聖書の質云々」の問題ではなく、見やすいウィキペディアにするため、つまり「ある事柄」に関して「上位項目」から「下位項目」まで存在するなら「上位項目はできる限りシンプルにし、詳細な事柄は下位項目にゆずるほうが良い」と思っているためです。こうすることで各項目がより見やすく、調べやすくなることはお分かりいただけるかと思います。(ここでの上下とは単にそこから派生していく項目の数についてのものです。)
- 加筆が行われた当該箇所は「カトリック教会」という「上位項目」の中の「カトリック教会における教典」についてのことですので、ここで書かれるべきことは「カトリック教会では旧約・新約聖書の両方が用いられていること、そして2000年の歴史の中で(初めギリシャ語、その後)長い間ラテン語聖書が用いられてきたが、第二バチカン公会議以降は各国語の聖書があわせて用いられている」というできるだけ簡明な「総論」的なことで、ここであえて各国語の聖書、それも特定の聖書について言及するような「各論」を展開しないほうが良いと考えます。なぜなら他に書く場所がないのなら仕方ありませんが、「旧約聖書」および「新約聖書」の項目があり、「日本キリスト教史」や「聖書翻訳」というそのものずばりの項目もあるため、そちらに譲ってよい事柄かと思えたからです。さらにいうなら近代語の聖書訳が生まれるのは近世以降であり、典礼で公式に用いられるようになるのは第二バチカン公会議以降のことです。さらにフランシスコ会訳聖書が出版されるのはさらに後になります。このような大きな流れの中で書かれている「カトリック教会の教典」の項になぜあえて20世紀のフランシスコ会訳聖書について「のみ」言及しなければならないのかがわからなかったため編集いたしました。
- さらに、もしどうしてもここでカトリック教会固有の日本語訳聖書をひとつあげたいというなら、フランシスコ会訳よりも、もっとも古くに成立し、長く教会で用いられた「ラゲ訳」(新約のみ)あるいは、新旧が一冊にまとめられて(フランシスコ会訳聖書は新約のみ一冊版がありますが、新旧はもとより旧約も一冊版はありません)、より歴史があり、広く一般に普及していた「バルバロ訳」などがふさわしいと思います。カトリックの日本語訳聖書の例として三つの聖書名をここに書き込むという方法もあるかもれしれませんが、そうすると最初に述べた「上位項目、総論はシンプルに」するという方針から外れていきます。私にはどうしても「この部分であえてフランシスコ会訳聖書についてのみ言及する」ことの必然性がわかりません。これは加筆したIPユーザー氏にお答えいただくしかないことですが、最初にあげたような「読みやすさ」を曲げてまでそこに書き込む特別な理由があるのでしょうか。
- 当該項目を加筆されたIPユーザー氏は「フランシスコ会訳聖書」について項目をたてられた方で、おそらく自分のつくった項目へのリンクを増やしたいと思われたのではないかとお察しします。そのような意図なら、本項目では関連項目に聖書という項目を付してそこに「フランシスコ会訳聖書」を書き加えるのが一番おさまりがいいかと思いますがいかがでしょうか。
- 簡潔にまとめたつもりでしたが、結構長くなりましてすみません。--Gakuinryou 2009年1月31日 (土) 07:03 (UTC)
- お答え頂き、ありがとうございます。どちらかと言えば私は包摂主義者でありまして、基本的に削除には疑問を示す姿勢をとっているのですが、記載されるに値するだけの聖書翻訳が他にも複数あるのであれば、確かにフランシスコ会訳聖書のみを記載するのは不適切ですね。なるほど、了解しました。
- >本項目では関連項目に聖書という項目を付してそこに「フランシスコ会訳聖書」を書き加えるのが一番おさまりがいいかと思いますがいかがでしょうか。
- お話を伺いますと、仰るように関連項目への記載がバランスある解決策でしょうね。ラゲ訳・バルバロ訳・フランシスコ会訳を並べて列挙すれば最良かと思いますが、ラゲ訳・バルバロ訳の記事がまだ無いのが頭が痛いところですね。この辺の具体的解決については、小生は全くの門外漢のため、Gakuinryouさんをはじめとしたカトリック教会関係の執筆者にお願いしたく思います(他力本願で申し訳ありませんが…)。--Kliment A.K. 2009年1月31日 (土) 07:20 (UTC)
参照方法テンプレにつき
[編集]思い切って記事正教会、記事カトリック教会にTemplate:参照方法を添付しました。
今後の記事正教会の抜本的な改良を志向しています。出典が参照出来ない箇所については削除も有り得ることを予めコミュニティに対して示唆するものでもあります。
また特にカトリック教会については文献が豊富であり、jawpにはカトリック教会関連の編集者も複数いらっしゃいます。解決には若干の時間がかかるとは思いますが、これだけの基幹記事がjawp初期のクオリティのままというのは少々問題があります。私も鋭意努力しますが、門外漢であり、やはり限界があります。特に記事カトリック教会につき、皆様のお力添えを頂きたく存じます。--Kinno Angel 2011年2月11日 (金) 02:36 (UTC)
「教義」節の編集報告
[編集]この編集につき説明します。
- まず「我が国」を「日本」に変えました。編集者の国籍が不明な日本語版ウィキペディアにおいて、「我が国」はどこを指すのか明瞭ではない表現になります。
- しかし、現在ではエキュメニズムの進展に伴って対話がすすみ、過去の互いの弾劾において誤解による部分が少なからずあったことを双方が認めているとする主張もある。とありましたが、「言葉を濁さない」に抵触するという問題があるほか、日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳の使用は2000年2月15日からカトリック教会で許可されているのに対し、バチカンの教理省が発表した教会論のいくつかの側面に関する問いに対する回答は2007年7月10日のもので、時系列的にもおかしな文面になっていました。文面を直し、別段落として整理しました。
以上編集報告まで。--Kinno Angel 2011年2月28日 (月) 14:43 (UTC)
節・カトリック教会への批判・論争、事件など の一部CO・削除について
[編集]「カトリック教会への批判・論争、事件など」の節で、一部CO・削除を行いました。その理由を、要約欄に書ききれなかったので、説明します。
まず、「酒井信彦・元東京大学教授は…」の部分のCOについて。当該部分にリンクされているサイト(日本カトリック教団の『戦争の反省』の欺瞞②)を見ても、本文中にあるような「(日本のカトリック教会が)日本だけを対象とした国際的な非難決議が出されるように活動」とは書かれていません。「国際連合人権委員会へのロビー活動によって」というのも、当該サイトでは「(従軍慰安婦)被害者の尊厳と名誉回復の実現を求めて、熱心にロビー活動を行った。」というカトリック新聞の記事を引用しているのであって、「(日本を差別するために)国連からの非難勧告が日本だけに出される」ためにロビー活動を行ったという意味には読み取れません。そして、酒井教授が「日本に対する極度の差別以外の何者でもない」と言うのは、日本のカトリック教会全体に対してというより、カトリック信者の武者小路公秀明治学院大学教授の記者会見における発言のことのように読みとれます。そもそもカトリック教会に批判的な(それもカトリック新聞の記事だけで批判している)個人の(?)ブログを引用するのものどうかと思いますが、その内容を拡大解釈して、このように本文に書くのはおかしいと思い、コメントアウトしました。引用するなら、もっと正確に引用するべきではないでしょうか。
それと、その次の部分「女性等をプレタリアードとして見ている解放の神学、等は共産主義テロを認め…」については、出典もない、ただの主観的な記述・独自研究にしか見えないので削除しました。--Ao Porto(会話) 2012年6月18日 (月) 08:39 (UTC)
「日本におけるカトリック教会」について分割提案
[編集]現在、本記事は相当の分量になってきておりますが、英語版en:Catholic Churchおよび他言語版、ならびに英語版en:Roman Catholicism in Japanおよび他言語版との整合性も考慮し、「日本におけるカトリック教会」を外出しとする分割提案をいたします。なお分割後は、現在平行して分割提案をしている教区#日本のカトリック教会の教区および教区#日本のカトリック教会の歴史との統合も視野に入れております。--トマス秋茄子(会話) 2013年12月17日 (火) 03:23 (UTC)
- 賛成 異議ありません。日本聖公会、日本正教会とも(教会論・教会組織の態様は違いますが)記事として並立し、見通しが良くなると考えます。--Kinno Angel(会話) 2013年12月19日 (木) 10:42 (UTC)
- 賛成 英語版で"Roman Catholicism in Japan" というページがあるのですね。それにならって「日本におけるカトリック教会」として分割していいと思います。ノート:教区での分割提案についても、こちらと一緒にして最初から「日本のカトリック教会の教区」「日本のカトリック教会の歴史」もまとめて「日本におけるカトリック教会」という記事にしていいのではないでしょうか。 --Lorettibarrend(会話) 2013年12月19日 (木) 13:08 (UTC)
- 分割を実施しました。ご賛同、ご協力に深謝いたします。--トマス秋茄子(会話) 2013年12月24日 (火) 08:46 (UTC)
画像削除編集について
[編集]この編集につき説明申し上げます。
- ウクライナのリヴィウにある教会であることと、聖堂の構造(至聖所の高座がある張り出し部分と思われる場所がある)からして、おそらくは東方典礼カトリック教会(ウクライナ東方カトリック教会)の聖堂と思われるのですが(ウィキメディアのカテゴリもそうなっています)、どちらかと言えばウクライナ、ベラルーシ、ロシアの正教会にみられる建築様式であり、記事「カトリック教会」にサン・ピエトロ大聖堂以外に唯一載せられる聖堂の写真として適切かどうか…?
- かと言って、ゴシック建築でもロマネスク建築でも、何らかの建築様式が「典型的なカトリック教会」と言えるのか、どのような建築様式が記事に載せるのに適切なのか、私には判断はつきかねました。
- そもそも東京カテドラルやイグナチオ教会などを見ますと、「典型的な建築様式」なるものが現在のカトリック教会にあるかどうかすら微妙と、専門外の立場の人間からは思います。これも判断がつきかねた原因です。
以上の理由から、「置き換え」ではなく「削除」とさせて頂きました。カトリック教会の領域で執筆されておいでの皆様の御判断を待ちたく存じます。--Kinno Angel(会話) 2013年12月25日 (水) 10:24 (UTC)
- 編集ありがとうございます。私はカトリックでありますが、建築については門外漢です。ただ一般のかたが記事を目にしたときに目にするサンピエトロ聖堂ともうひとつ、という意味では適切性に疑問ですので編集に異存ありません。差し替える候補をしばし考えておきます。--トマス秋茄子(会話) 2013年12月26日 (木) 00:29 (UTC)
- Kinno Angelさんの当該編集には異議ありません。ウクライナの教会の画像を貼りつけた方には申し訳ないのですが、「サン・ピエトロ大聖堂以外に唯一載せられる聖堂の写真として適切かどうか」と言われれば、仰る通りだと思います。他に画像を付け加えるなら、(「典型的なカトリック教会の建築様式」と言えるのか自信はありませんが)日本の教会の中で一般的にもそこそこ有名だと思われる大浦天主堂の画像あたりを添付してはどうかと思います。最近建てられる聖堂はゴシック建築のものは少なくなったものの、東京カテドラルや聖イグナチオ教会よりは、多くの方が記事を目にしたときに「カトリック教会(の聖堂)」をイメージしやすいような気がするのですが、いかがでしょう? --Lorettibarrend(会話) 2014年1月4日 (土) 14:16 (UTC)
編集提案
[編集]内容は変えずに、下記のような順番に変えたいと思います。
1 概要
1.1 「カトリック」の語源
1.2 名称
2 歴史
3 組織
3.1 ローマ教皇と枢機卿団
3.2 司教
3.3 司祭と助祭
3.4 信徒
4 信者数 カトリック信徒の分布
5 教義
5.1 「聖書と聖伝」
5.2 聖書と教典
6 活動
6.1 典礼・年間行事
6.2 秘跡
6.3 公会議
6.4 カトリック教会のメッセージ
7 教義についての他教派との関係
9 「カトリック」の語源
10 日本におけるカトリック教会
11 カトリック教会への批判
12 カトリック教会の性的虐待事件
--Tokinokawa(会話) 2020年7月23日 (木) 06:57 (UTC)
教義の項目の編集
[編集]「カトリック教会のメッセージ」を削除して、教義の項目に、下記の文を載せたいと思います。
おとめマリアより生まれたイエス
- ナザレのイエスは、処女マリアから生まれた、と信じる。聖書に書いてある通りである。
ナザレのイエスは死んだけれども、よみがえった
- 罪がないナザレのイエスは死刑になったが、死んでから三日たってからまた生き返った、と信じる。聖書に書いてある通りである。
ナザレのイエスは天に昇って行ってから、神の右に座った
- ナザレのイエスはみんなの見ている前で、天に昇って行った、と信じる。聖書に書いてある通りである。
- ナザレのイエスは再び天から降りてきて、最後の審判の時に、今現在生きている者と、すでに死んだ者とをさばくと信じる。
- すでに死んだ人でも生き返ると信じる。イエスを救い主と信じる人は、神の国が到来したら、新しい命がもらえると信じる。<キリスト教#ニカイア・コンスタンティノポリス信条の全文参照>
ナザレのイエスの母だったマリアは、その人生の終わりに、肉体のままで天国にあげられたという信仰。
ナザレのイエスの母だったマリアは子供を宿した時に原罪が潔められた、という意味ではなく、「マリアはその存在の最初(母アンナの胎内に宿った時)から原罪を免れていた」という信仰。<中世には「来世の裁き」の観念が発達し、最後の審判を描く図像には天国の場所に神が裁判官として座し、マリアや聖人たちが仲介者として周りを囲んでいた。(岩波キリスト教辞典P779)><神の母という信仰は、3世紀初めからアレクサンドリアの教父によって行われている。428年ネストリオスはキリストの母と呼ぶべきだとして、激しい論争がおこった。(岩波キリスト教辞典P767) >
ローマ教皇が「信仰および道徳に関する事柄について教皇座(エクス・カテドラ)から厳かに宣言する場合、その決定は聖霊の導きに基づくものとなるため、正しく決して誤りえない」という教義のこと。<教皇ピウス12世の「聖母の被昇天」に関する宣言には、「もしこれらのことを疑い、否定する発言を行うものはカトリック教会の信仰から離れているとみなされる」とした。
--Tokinokawa(会話) 2020年8月13日 (木) 10:13 (UTC) / --Tokinokawa(会話) 2020年8月18日 (火) 09:42 (UTC) / --Tokinokawa(会話) 2020年8月18日 (火) 09:43 (UTC)
歴史の項目の追記について
[編集]下記の文を歴史の項目に追記したいと思います。
キリスト教としての信仰の確立の歴史
イエスの復活信仰の確立・ナザレのイエスの死を通しての贖罪信仰の確立・主イエス・キリスト信仰の確立・終末信仰の確立については、キリスト教#歴史を参照
聖書は神の言葉という信仰の確立
聖書は神の言葉という信仰の確立については、旧約聖書#神の言葉として成立した聖書の歴史を参照
--Tokinokawa(会話) 2020年8月15日 (土) 08:58 (UTC)
カトリック教会での事件の追記
[編集]カトリック教会の性的虐待事件からの引用文を載せたいと思います。
2010年3月、ニューヨーク・タイムズが、ベネディクト16世自身が枢機卿在任時代に司祭の虐待事件をもみ消していたという疑惑を報じたことにつき教皇側が強く反発したことから、同年3月28日にはロンドンで教皇の退位を要求する抗議デモが行われた。
また、近年一部の聖職者が児童に対して性的虐待をしていた事実が判明し、カトリック教会の一大スキャンダルに発展している。
--Tokinokawa(会話) 2020年8月15日 (土) 08:58 (UTC)
カトリック教会が影響した出来事の項目の作成
[編集]脚注の上にこの項目を作成したいと思います。
内容はキリスト教#キリスト教が影響した出来事とほぼ同じ。(プロテスタント関係を除いた形)
また、その最後に、バチカンの国家財政管理を行う組織である「宗教事業協会」のことで、2013年5月22日、独立機関の聖座財務情報監視局は、2012年の金融取引において6件のマネーロンダリングの疑いがあると発表した。2013年6月28日には、現金4千万ユーロ(約52億円)を無申告でスイスからイタリアに運ぼうとしたとして、スカラーノ司祭がイタリア警察に逮捕された。2013年7月1日には、幹部2人が辞任に追い込まれた事件があり、追記したいと思います。
--Tokinokawa(会話) 2020年8月16日 (日) 02:17 (UTC)
組織 の項目の修正
[編集]内容をもう少し簡略化して、教義上はバチカンの上に、聖人たちと聖母と神の右に座したイエスと神ヤハウェが存在するようなので、それについても少し触れたいと思います。
--Tokinokawa(会話) 2020年8月16日 (日) 02:17 (UTC)
教義の項目に追加
[編集]--Tokinokawa(会話) 2020年8月22日 (土) 07:49 (UTC)
組織
「キリストの教会」という世界観
カトリック教会においては、自宗を「キリストの教会」だとする世界観がある。[3]この世界観は、神と神の右に座するイエス、神の母マリアや聖人たちのとりなし[4]、天国の鍵を管理するペテロ、信者たちの集う天国等で構成されている[5]。こうした世界観にもとづく組織構造がペテロの権威を引き継ぐローマ教皇という現実の人間を中心に展開されている。
ローマ教皇
ローマ教皇とは、カトリック教会の総代表者で、全カトリック教会の裁治権と統治権を持つものである(日本語では「法王」と呼ばれることも多いが、カトリック教会での正式名称は「教皇」であり、「法王」という言い方は日本国にとってのバチカン市国の首長を表す外交用語でしかない)。ローマ教皇は使徒ペトロによる使徒座の後継者であり、現在はバチカンに居住する
枢機卿団
枢機卿団は、教皇庁で働く高位聖職者や世界の重要な司教区の司教たちの中から教皇によって任命される。教皇選挙に参加できるのは80歳未満の枢機卿である。
司教
司教は使徒たちの後継者であり、教え、聖化し、統治する務めを与えられた者であるとされる。ローマ教皇もまた、司教の一人であるが、使徒ペトロの権能を引き継いでいるとみなされ、司教団の中における特別な地位を認められている。なお、東方教会(東方典礼カトリック教会)の一部では「総大司教」がいて、教会の首長となっている。
司教の本来の職務は、教区の責任者として教区内の教会を統治することで、キリストの代理者として、司祭・助祭の協力を得て司牧の務めを果たすものとされている[6]。通常の司教(教区司教)のほかに、(大司教など職務の多い)司教を補佐するために「協働司教」や「補佐司教」が任命されることがある[7]。
司祭と助祭
司祭と助祭は司教の職務を補助している。司祭には、教区に属する教区司祭(かつて「在俗司祭」とも呼ばれた)と、修道会に属する修道司祭とがあり、どちらにも属さないフリーの司祭というものは存在しない。
また、教皇パウロ6世の時代まで、守門、読師、祓魔師、侍祭という下級聖職(下級品級)および副助祭という聖職位階が存在したが、1972年8月15日に発布された自発教令「ミニステリア・クエダム」によって1973年に廃止され、現代では聖体奉仕者と祭壇奉仕者の2つの「奉仕職」に改められて、かつてのような聖職位階として扱われることはなくなった[8]。
カトリック教会の聖職者(司教・司祭・助祭)は、独身の男性に限られ、叙階の秘跡を受けることで選ばれる。
信徒
洗礼を受けた信者は、信徒と呼ばれる。
--Tokinokawa(会話) 2020年8月22日 (土) 07:49 (UTC) / --Tokinokawa(会話) 2020年8月22日 (土) 08:01 (UTC) / --Tokinokawa(会話) 2020年8月22日 (土) 08:02 (UTC)
活動の項目に追加
[編集]脚注
- ^ マタイによる福音書の16:18-19の箇所にのみ出てくる、ペテロはイエスより天国の管理人に任命されたとされる。。岩波新約聖書2004年P131
- ^ 教皇を参照
- ^ 教皇#地位と権威参照
- ^ 中世には「来世の裁き」の観念が発達し、最後の審判を描く図像には天国の場所に神が裁判官として座し、マリアや聖人たちが仲介者として周りを囲んでいた。(岩波キリスト教辞典P779)
- ^ マタイによる福音書の16:18-19の天国の鍵の記述の中で、ペテロが天国の管理人をするところの教会を、イエスは「自分の教会」と言ったという記述がある。岩波新約聖書2004年P131
- ^ 『カトリック教会のカテキズム 要約(コンペンディウム)』175頁
- ^ こ「東京大司教区に補佐司教任命」(2004年12月2日 カトリック中央協議会)
- ^ 『カトリック教会の教え』251-254頁
- ^ 『カトリック教会の教え』252頁