ノート:趙雲
まずは話し合いを
[編集]保護依頼に出されていますが、まず話し合いを試みてください。依頼されてもいないのに保護テンプレを貼るのは論外ですが、そのテンプレをはずす際に特定の記述が消されていることも事実です。編集合戦の理由の一つがこの記述にあるのならば、この記述を消そうとされる方はなぜ不要かを述べてみて、説得を試みてください。話し合いを無視して編集が行なわれるようであれば保護もやむを得ませんが。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2005年7月18日 (月) 00:59 (UTC)
趙雲が長坂で阿斗救った~
[編集]趙雲が長坂で阿斗救ったが、救わなければ、蜀が早くに滅亡するということはなかったという記事は、本当のことです。これは、インターネット上の三国志に関するページにかかれていました。事実なので、削除する必要は、ないと思いますが。劉雲 2005年7月19日 (火) 14:28 (UTC)
- 「趙雲が長坂で阿斗救った~」云々の話について「個人的な意見」だと思います。「インターネット上の三国志に関するページにかかれていました」と言われても、本当のことと言われても、説得力が皆無です。更に自己勝手に保護テンプレを張り出して保護をするということについてはどうなんですか?何か問題があるのであれば理由を書き込むのが普通の対応だと思います。222.158.218.125 2005年7月23日 (土) 11:08 (UTC)
保護のテンプレートを貼ったのは劉雲氏ではなくLusheeta氏です。履歴を見てみてください。222.158.218.125はしかもは自己勝手とおっしゃっていますが、これは保護依頼に出されています。更に222.158.218.125は、 この記述を消そうとされる方はなぜ不要かを述べる所なのに違うことを述べています。私もそのような話を聞いたことがあるので、消さなくてもいいと思います。利用者:61.207.108.232 2005年7月28日 (木) 15:23 (UTC)
- いえ、Lusheetaさんではありません。履歴をよくみてください。この編集で219.162.8.55さんが保護依頼に出されてもいない状態でテンプレートを貼付しています。そしてこのIPはその後行なっている低俗な荒らし行為からおそらく劉雲さんと推測されています。保護依頼もしない状態でテンプレを貼り、そのことで編集合戦を招いた責任のいくらかの部分がこのIPつまり劉雲さんにもあるのは明らかです。
- さて、一般論ですが「みたことがあります」や「聞いたことがあります」では他人を説得するのは困難です。より説得力を持たせようと考えるのならそのソースを明らかにすることをお勧めします。
- 最後に、署名はチルダ4つ(~~~~)ですることができます。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2005年7月28日 (木) 09:35 (UTC)
- tanuki_Z(sysopは偉くない)の推測の通りだと私は思います。何故なら、61.207.108.232と219.162.8.55のIPアドレスを探ってみますと同じ北海道のOCNからだとホストを吐きましたので。更に追加で言わせて頂くと、劉禅のように毛沢東が直接批判する発言なら良いですが、「趙雲が劉禅を救ったから蜀が滅亡した」と毛沢東とまでは行かなくても著名な人物が言っているのでしょうか?試しに検索しましたが、私の検索キーワードが悪かったのか著名な人物どころか、それを批判する発言が出てきませんでした(笑)。222.158.218.248 2005年7月29日 (金) 17:19 (UTC)
劉雲氏が言っているのはこのページではないでしょうか。[1]。「滅亡」とまでは書かれていませんが趙雲が劉禅(阿斗)を救ったことを「非難されている」と言っています。文が長いのでよく探してみてください。 雷 2005年8月11日 (木) 11:03 (UTC)
- 個人のWebページ1ページだけでは、全く説得力がないということは確かですね。このまま劉雲の書き込み合戦が起こる可能性がありますので、このまま保護しておいた方が一番良いかと。もし趙雲に関して新しく資料が出土した時に保護解除が適切かと存じます。222.158.218.111 2005年8月14日 (日) 07:34 (UTC)
- 繰り返し記載されたので削除しました。典拠不明、かつ結果論に基づく無意味で質の低い内容です。二度とカキコなされないようお願いします。Aboshi 2005年9月11日 (日) 02:35 (UTC)
保護解除の提案
[編集]3ヶ月音沙汰がありませんし論争の対象者が1ヶ月以上活動しておりませんので、様子見で保護解除でもよいかと思います。特に反論なければ年明けにでも解除依頼を出そうと思います。--Goki 2005年12月26日 (月) 06:42 (UTC)
- 保護は解除されています。三日月 2005年12月26日 (月) 06:45 (UTC)
- 失礼しました。--Goki 2005年12月26日 (月) 07:15 (UTC)
陳寿の趙雲評、其灌滕之徒歟について
[編集]今、趙雲のページでは陳寿が趙雲を夏侯嬰に比しているとなっています この傍証として李光地の意見を載せていますがこれは李光地の私見ではないでしょうか? 本文は黃忠、趙雲、彊摯壯猛、並作爪牙、其灌滕之徒歟。並んで、と並列で表記しており 黄忠が灌嬰、趙雲が夏侯嬰に対応するようには書いておりません。 また「灌滕之徒」を分解して2人にそれぞれ当てはめるのも不自然に思えます 英語版、中国語版も原文通り趙雲を灌滕之徒と陳寿が評したと言う表記です 陳寿の原文に則って灌嬰、夏侯嬰のような人物であろうか、とすべきではないでしょうか--Sangoku3goku(会話) 2018年1月21日 (日) 11:24 (UTC)
二次資料
[編集]特別:差分/73258960についてですが、 Wikipedia:信頼できる情報源#独立した二次資料とは?に従ってください。--Takabeg(会話) 2019年6月29日 (土) 11:16 (UTC)
鎮東将軍→鎮軍将軍は降格か
[編集]表題の件そのものをここで論争するつもりはないのですが、それについての注釈で下記の記述がありました。
盧弼『三国志集解』が注引く南宋の胡三省が言うには、『晋書』職官志によれば、鎮軍将軍は四征将軍、四鎮将軍の上位である。いま趙雲は、鎮東将軍から鎮軍将軍に降格したようだが、晋の制度では昇格になってしまう。蜀漢の制度で、鎮軍将軍というのが雑号将軍であったのだろうか。それなら降格になるから、つじつまが合う。しかし宗預が(征西大将軍から昇格し)鎮軍大将軍に任じられていることを見ると鎮軍将軍が雑号将軍でないのは明らかである。
これについてですが、どこまでが胡三省の指摘でしょうか?正直白文は全く読めないのですが「宗預」の文字はないので、「しかし宗預が~」以降は個人の見解と判断し削っています。そもそも◯◯将軍と◯◯大将軍は別物であり、「鎮軍将軍がこうだから鎮軍大将軍もこう」という論理が誤っています。
ついでに言及しますが、蜀漢は基本的に後漢の職制を引き継ぎ、それに比べると後漢からの変更があるのが魏、さらにそれを引き継いだのが西晋です。つまり両者は別物なので、蜀漢の官職を晋書と照らし合わせるという大元の指摘も意味あるものとは思えません。もっともそれは史書に書かれているものであり、それに対する私の指摘こそが個人の見解なので、全面賛同を得られなければ削除はし難いですが…。--narumi(会話) 2023年8月27日 (日) 13:01 (UTC)
正史と別伝について
[編集]最近この人物について興味が沸いて、色々読み漁っております。
ネット上では頻繁に『別伝』は子孫が書いたもの、とか、胡散臭くて信用できないという記述を見かけたりしたので(特に前者)、てっきり研究者の著作物でも否定的なのかと思っていたのですが、どれを読んでもそういった話が載っていなく、所謂「子孫が書いた(※家伝を改編した)」との発言は何焯でしか確認できません。李光地ですら、正史と比べ功績が多いとは指摘しつつも、「趙雲、張嶷不獨有將畧,其見事明決持重老成,實古重臣之選。」等と評価しています。『諸葛孔明 三国志とその時代』で有名な宮川尚志先生の本でも『別伝』を正史として扱っていて、何ら前置きの説明もありません。東征(対呉戦争)の時に趙雲の諫言について高く評価しています。
中国の研究家の本も翻訳して読んだりしていますが、やはり何焯ぐらいしか批判(全否定)しておらず、錢大昕は何焯の『義門讀書記』を読んだ感想として、「援引史傳,掎摭古人,有絕可笑者。」とボロクソに批判しています。あとちょっと誰の発言(書物)か失念しましたが、何焯は歴史に関しては的外れな指摘が多いので信用にならないという評価もありました。
中国のネットでもここ数年、日本のネット上で流布しているような「子孫が書いた信用にならないうさんくさい本」という話が広がっているようで、三国時代研究家の趙春陽が言うように、アクセス目的でそういった訪問者を煽るタイトルを使うサイトが増えているのが原因のようです。
前置きが長くなりましたが、このように『別伝』を信用に足らない書物だと批判している人物が研究者の間でほぼおりませんし、中文版の趙雲のページのように正史と別伝の記述を分けず、一緒に書いた方が時系列も分かりやすくて理解も深まりますので、良いと思うのですがみなさまはどう思われますでしょうか。--Npzqkbzk(会話) 2024年6月9日 (日) 11:44 (UTC)
- どうしても本伝と別伝を分けたいのであれば、ここの記述の出典は別伝であるとわかるように出典をつければよいだけの話なので、皆まとめて記載してもよいと思います。あと私見ですが、別伝が疑問視される傾向を示した上で否定するのはよいと思いますが、記事内でのインターネット云々のくだりは不要に思えました。ネット上でそういう言説が多いのは確かですが、どうせそのほとんどが無出典の放言に過ぎないので、記事で取り上げるには値しないでしょう。また「『門閥社会成立史』などの著書で知られる〜否定派は極少数である」あたりの記述ですが、矢野の論説が全てというわけではないですから、あまり中立的に見えませんでした。『孫資別伝』について裴松之が「家伝をもとにしており、汚点を隠そうとする」と言っているのも事実なので、別伝には多少の誇張や偏向が入ることに注意しつつも、「史書を補う資料の一つとして扱うのが通例である」などと書く程度でいいと思います。これに関しては、中国語文献で別伝について論じているものをいくつか見つけているので(矢野の論を否定するものではないです)、もしよければ編集時に書き加えようと思っておりますが。
- 出典についてですが、李光地が趙雲と張嶷を誉めている部分の出典は『三国志集解』ではなく『榕村語録』巻22で、内容的にも評価節に記載した方が適当だと思います。また李光地だけでなく、他の論者による別伝の記述をもとにした評価があったなら、評価節に足してしまっていいと思います。--胡馬(会話) 2024年6月9日 (日) 23:16 (UTC)
- ご丁寧な返信をありがとうございます!正史と別伝は一緒にして出典をつけて再構築したいと思います。別伝の項についてですが、もっと否定的な批判がたくさんあるのかと思っていたので確認次第追加していこうかなと思っていたのですが、どうも見つかりそうになかったので時間がある時に一度全て整理し直したうえで、要点のみをまとめて採用・否定のところやインターネット云々の箇所は削除をしようかと思っておりました。ご指摘ありがとうございます。中文の別伝についての論文をご存じだと聴いて個人的にとても興味があります。否定派含め色々な考察や研究を読んでみたいと思っておりました。李光地の指摘は理解出来るのですが何焯の指摘はあまりピンとこなかったので。リンクの誤りについてもご指摘ありがとうございます。評価の項についてもこちらに移したほうがいいかな?と思っておりました。この度は貴重なご意見、ご指摘ありがとうございました!--Npzqkbzk(会話) 2024年6月10日 (月) 11:03 (UTC)