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ハーディービジョン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハーディービジョン
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1981年2月23日
死没 1996年12月18日
(15歳没・旧16歳)
マンオブビィジョン
ハーディスイフト
母の父 ミシアーフ
生国 日本の旗 日本北海道様似町
生産者 中村肇昭
馬主 鈴木健司
調教師 柄崎義信美浦南
競走成績
生涯成績 5戦3勝
獲得賞金 5976万2400円
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ハーディービジョン日本競走馬。1983年の朝日杯3歳ステークスなど重賞競走を2勝。翌1984年のクラシック戦線を前にシンボリルドルフビゼンニシキとともに「関東三強」と称されたが、両馬と対戦のないまま故障で引退した。主戦騎手的場均

馬齢は2000年以前に使用された旧表記法(数え年)で統一して記述する。

戦績

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1983年6月、札幌開催の新馬戦でデビュー。調教で際立った動きを見せて厩舎関係者の間でも注目を集める1頭であった。的場均を鞍上に、スタートからの逃げ切りで2着に4馬身差を付けて初戦勝利を収める。しかし次走の札幌3歳ステークスの競走前から骨膜炎の兆候が表れ、本競走は12着と大敗。次走の函館3歳ステークスも先行策から失速し、5着に終わる。

その後骨膜炎が治まり、11月に京成杯3歳ステークスに出走。大器と評判のあったサクラトウコウや、デビュー2戦をレコードタイムで圧勝していた牝馬マリキータに人気が集中する一方、本馬は10番人気と低評価であった。不良馬場で行われた本競走で、的場はそれまでの先行策から一転した後方待機策を採る。直線では大外からマリキータを差し切り、1馬身半差を付けて優勝。重賞初勝利を収めた。

12月に迎えた関東の3歳王者戦・朝日杯3歳ステークスでは、サクラトウコウが故障により不在、良馬場で巻き返しを期待されたマリキータが単勝オッズ1.7倍という圧倒的1番人気に推され、本馬はこれに次ぐ2番人気となった。レースは前走と同じく後方に控えると、直線で先行勢を一気に交わして優勝。重賞2連勝を遂げた。推定の上がり3ハロン34秒9は、当時の3歳馬としては破格のタイムであった。しかし当年の年度表彰では、関西の阪神3歳ステークスを制し、5戦4勝・2着1回という好成績を収めたロングハヤブサ最優秀3歳牡馬に選ばれ、ハーディービジョンは無冠となった。

朝日杯の後は翌年のクラシックに備えて休養に入る。復帰までの間に、関東ではビゼンニシキシンボリルドルフという新勢力が台頭し、これにハーディービジョンを加えた「関東三強」がクラシックの中心と目された。この3頭は皐月賞への前哨戦・弥生賞での初対戦が有力視された。しかしハーディービジョンは同競走への調整中であった2月、調教へ向かう際に地面に張った氷で脚を滑らせ、左前脚の靱帯を損傷。クラシックを断念し、長期休養を余儀なくされた。この後のクラシックはシンボリルドルフの独擅場となり、同馬は日本競馬史上初となる無敗での三冠を達成している。

陣営はハーディービジョンの再起を図って試行錯誤を重ねたが、再びレースに出走することはできず、1987年2月に競走生活から退いた。的場は1994年に行われたインタビューの中で、「もう一度乗ってみたい馬」としてハーディービジョンの名を挙げ、「相手がルドルフでも何とかなるんじゃないかという手応えを、僕自身持っていました」、「スピードもあったし、パワーもありました。(中略)新馬を使う前から、これは札幌の3歳Sはもらったって、僕は言ってたんです。その後ソエ(骨膜炎)が出てしまったんですが、そのくらい期待していましたし、クラシックを意識してましたね」と語っている。

競走成績

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以下の内容は、netkeiba.com[1]に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離(馬場)


オッズ
(人気)
着順 タイム 着差 騎手 斤量
[kg]
1着馬(2着馬)
1983.06.19 札幌 3歳新馬 ダ1000m(良) 8 4 4 003.80(2人) 01着 R1:00.8 -0.7 0的場均 53 (シーブラック)
0000.07.31 札幌 札幌3歳S 重賞 ダ1200m(良) 13 6 8 016.00(4人) 12着 R1:18.3 -4.8 0的場均 53 シーブラック
0000.09.25 函館 函館3歳S 重賞 芝1200m(不) 12 2 2 019.50(6人) 05着 R1:16.0 -1.3 0的場均 53 サクラトウコウ
0000.11.06 東京 京成杯3歳S 重賞 芝1400m(不) 12 5 6 065.6(10人) 01着 R1:25.6 -0.2 0的場均 54 マリキータ
0000.12.11 中山 朝日杯3歳S 重賞 芝1600m(良) 8 8 8 005.10(2人) 01着 R1:36.3 -0.3 0的場均 54 (ハツノアモイ)

引退後

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引退後は種牡馬となり、様似町のエーコープファームで繋養された。最後の出走から3年以上が経過しているにもかかわらず、初年度から50頭以上の繁殖牝馬を集めたが、種付け後に受胎馬なしという結果に終わる。翌年も数十頭への種付けを行ったが、誕生馬は2頭のみとなり、授精率の悪さから2シーズンの供用のみで廃用となった。

以後は去勢され、種馬場長の計らいで帯広畜産大学馬術部へ乗馬として寄贈された。種牡馬として供用された馬は、激しい気性から一般に乗馬には不向きとされたが、馬術部員の努力によって徐々に気性は改善され、全日本選手権に出場するまでの成長を見せた。1992年の全日本総合馬術大会では5位入賞という成績を残している。

以後も馬術競技馬として全国大会での活躍を続けたが、1996年12月、厩舎内で疝痛を発症。治療による症状の改善が見られず開腹手術が行われたが、結腸破裂が見つかり、回復の見込みがないものとして安楽死の措置が執られた。遺体は火葬の後、馬術部敷地内に埋葬されている。

血統表

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ハーディービジョン血統(ネヴァーセイダイ系(ナスルーラ系)/ Bois Roussel5×4=9.38%、Nearco4×5=9.38%、Vatout5×5=6.25%) (血統表の出典)

*マンオブビィジョン
Man of Vision 1976
栗毛 イギリス
父の父
Never Say Die 1951
栗毛 アメリカ
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Singing Grass War Admiral
Boreale
父の母
Cawston's Pride 1968
栗毛 イギリス
Con Brio Ribot
Petronella
Cawston Tower Maharaj Kumar
Silver Ribbon

ハーデイスイフト 1972
黒鹿毛 日本
*ミシアーフ
Misyaaf 1964
鹿毛 アイルランド
*セントクレスピン
St.Crespin
Aureole
Neocracy
Nucciolina Nuccio
Mah Behar
母の母
ウレシノ 1963
鹿毛 日本
*ヒンドスタン
Hindostan
Bois Roussel
Sonibai
スイフトワイ トキノチカラ
ホンフジ F-No.10-c


脚注

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出典

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  1. ^ ハーディービジョンの競走成績”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2024年9月14日閲覧。

参考文献

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外部リンク

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