万富駅 (宜蘭県)
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万富駅 | |
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萬富 ワンフー Wanfu | |
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所在地 | 台湾宜蘭県三星郷上将路三段 |
所属事業者 | 林務局 |
所属路線 | ■羅東森林鉄路 |
キロ程 | 10.24 km(羅東起点) |
駅構造 | 地上駅 |
開業年月日 | 1926年5月18日 |
廃止年月日 | 1979年8月1日 |
万富駅(二万五) | |
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各種表記 | |
繁体字: | 萬富車站(二萬五) |
簡体字: | 万富车站(二万五) |
拼音: |
Wànfù chēzhàn (èrwànwǔ) |
通用拼音: |
Wànfù Chejhàn (èrwànwǔ) |
注音符号: |
ㄨㄢ ㄈㄨ ㄔㄜ ㄓㄢ (ㄦ ㄨㄢ ㄨ) |
発音: |
ワンフー チャーヂャン (アーワンウー) |
台湾語白話字: |
Bān-pù Chhia-thâu(車頭) (Jī-bān-gōo) |
日本語漢音読み: |
まんふえき (にまんご) |
日本語慣用読み: | まんとみえき |
英文: |
Wanfu Station (Erwanwu) |
万富駅(まんふえき、ワンフーえき、繁体字中国語: 萬富車站)は台湾宜蘭県三星郷にかつて存在した羅東森林鉄路(太平山森林鉄路羅東線)の駅。
開業時の駅名は二万五(二萬五)で、旅客化前に一帯で運行されていた台南製糖(沖縄製糖の前身)のサトウキビ列車が二万五千株の糖蔗を運搬していた、あるいは収穫量が二万五千斤だったこととされている[1]。 廃止後に駅舎や線路は撤去されたが、2017年4月14日に駅舎が再現されたバス停が供用[2][3]、 また、2014年には付近の住民が民家を駅舎風に改装したカフェ「二萬五車站」を開業させている[4]。
沿革
[編集]- 1920年(大正9年)1月6日 - 台南製糖の路線(天送埤以東)を借用して輸送を開始[5][6]。
- 1921年(大正10年) - 天送埤以西が開通[5][7]。
- 1924年(大正13年)1月27日 - 竹林まで延伸し全線開業[6]。
- 1926年(大正15年)5月18日 - 旅客扱い開始に伴い駅を設置[5]。
- 1954年8月15日 - 1950年の地名の改称に伴い[8]、万富に改称[9][10]。
- 1976年 - 大洲とともに無人駅となる[11]。
- 1979年8月1日 - 全線廃止[7]。
駅周辺
[編集]- 県道196号 (台湾)
- 宜蘭県立万富国民小学
バス
[編集]最寄りの停留所は《萬富》
系統 | 管轄 | 事業者 | 区間 | 備考 |
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1794 | 公路客運 | 国光客運 | 羅東転運站(羅東駅) - 三星 |
出典
[編集]- ^ 【林鐵溯源】踏騎森林鐵路,看見農田變遷2014-04-28,森林報
- ^ 二萬五懷舊車站完工啟用2017-04-15,中華日報
- ^ 三星鄉萬富居民夢想成真 二萬五懷舊車站完工啟用2017-04-15,iNN/宜蘭新聞網
- ^ 對森林鐵路深深情感 二萬五咖啡等你來品嚐2015-12-07,聯合報
- ^ a b c 戴寶村 (2001). 宜蘭縣史系列 (經濟類(3)宜蘭縣交通史 ed.). 宜蘭縣政府. p. 67. ISBN 9789570289909
- ^ a b 黃雯娟 (2004-12). “日治時代叭哩沙地域的產業開發與人口成長”. 宜蘭文獻雜誌 (宜蘭縣文化局) (第69期 國家.資本.人民與開發專輯(下)): 20. ISSN 1021-4607 .
- ^ a b “太平山大事記”. 太平山(林務局羅東林區管理處) (2016年3月1日). 2017年12月3日閲覧。
- ^ 黃雯娟 (2000-12). 臺灣地名辭書 ((卷一)宜蘭縣 ed.). 國史館台灣文獻館. p. 337. ISBN 9789570274745
- ^ “案名:林產局森林鐵路站名改稱案”. 臺灣省政府交通處鐵路管理局. 國家發展委員會檔案管理局. 2022年5月10日閲覧。 “內容摘要︰本案為臺灣省政府交通處鐵路管理局時期,鐵路局呈請交通處核備,有關林產管理局太平山林場森林鐵路二萬五車站,因係由日據時期,根據地方名稱沿用至今,然該「二萬五」三字不雅,故林產局計劃自民國43年8月15日起改稱為萬富車站。”
- ^ 蘇昭旭. “台灣的森林鐵路簡介”. 蘇昭旭老師的全球鐵道視野部落格. 2031年3月1日閲覧。
- ^ “社區通各社區網站-宜蘭縣三星鄉大洲社區”. 台灣社區通. 2017年12月3日閲覧。