三泊駅
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三泊駅 | |
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さんとまり Santomari | |
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所在地 | 北海道留萌市三泊町 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 羽幌線 |
キロ程 | 2.7 km(留萠起点) |
電報略号 | サリ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1927年(昭和2年)10月25日[1] |
廃止年月日 | 1987年(昭和62年)3月30日[1] |
備考 | 羽幌線廃線に伴い廃駅[1] |
三泊駅(さんとまりえき)は、北海道留萌市三泊(さんどまり)町[2]にあった日本国有鉄道(国鉄)羽幌線の駅(廃駅)である。電報略号はサリ。事務管理コードは▲121601[3]。
一部の普通列車は通過した(1986年(昭和61年)11月1日改定の時刻(廃止時の時刻表)で下り1本、上り2本(うち上下1本は急行「はぼろ」後継の主要駅停車列車)[4])。
歴史
[編集]- 1927年(昭和2年)10月25日 - 鉄道省留萠線留萠駅(東留萠信号場) - 大椴駅間開通に伴い開業[1]。一般駅[1]。
- 1931年(昭和6年)10月10日 - 留萠駅 - 古丹別駅間を留萠線から分離し線路名を羽幌線に改称、それに伴い同線の駅となる。
- 1941年(昭和16年)12月9日 - 留萠駅 - 当駅間に新線を建設、駅間が2.3km短くなる。それまでは留萌駅から1.3km深川寄りに東留萠信号場が存在し、そこからスイッチバックして羽幌線に入っていた。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1960年(昭和35年)9月15日 - 貨物取扱い廃止[1]。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 業務委託化。
- 1972年(昭和47年)2月8日 - 荷物取扱い廃止[5]。同時に無人化[6]。
- 1987年(昭和62年)3月30日 - 羽幌線の廃線に伴い廃止となる[1]。
駅構造
[編集]廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の西側(幌延方面に向かって左手側)に存在した。
無人駅となっており[6]、有人駅時代の駅舎は改築されプレハブ[7]の、バンガロー風の小さな[8]駅舎(2代目駅舎[7])となっていた。駅舎は構内の西側に位置しホームから少し離れていた。
駅名の由来
[編集]当駅の所在する地名より。
アイヌ語の「サムオトマリ(sam-o-tomari)」(和人・いる・泊地)からとする説のほか、「サンチプ(? -cip)」(?・舟)、「サントマリ(san-tomari)」(出し風を避ける港?)とする説がある[2]。
駅周辺
[編集]- 国道232号(天売国道/日本海オロロンライン)
- 三泊小学校
- 塩見海水浴場 - 駅から西に約0.1km[8]。
駅跡
[編集]2011年(平成23年)時点で旧駅構内は国道に面した広場になっており、旧駅舎は沿岸バスの待合所に再利用されている[7]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、871頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b “アイヌ語地名リスト ゴ~シブ P51-60P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2014年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月20日閲覧。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、230頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ 時刻表『JNR編集 時刻表 1987年4月号』(弘済出版社、1987年4月発行)JRニュース13ページより。
- ^ “日本国有鉄道公示第569号”. 官報. (1972年2月8日)
- ^ a b 「通報 ●羽幌線三泊駅ほか4駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1972年2月8日、2面。
- ^ a b c 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社、2011年9月発行)210ページより。
- ^ a b 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)199ページより。