上徳富駅
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上徳富駅 | |
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かみとっぷ Kamitoppu | |
◄石狩橋本 (2.8 km) (1.7 km) 北上徳富► | |
所在地 | 北海道樺戸郡新十津川町大和 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 札沼線 |
キロ程 | 82.0 km(桑園起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1931年(昭和6年)10月10日[1] |
廃止年月日 | 1972年(昭和47年)6月19日[1] |
備考 | 廃駅 |
上徳富駅(かみとっぷえき)は、かつて北海道樺戸郡新十津川町大和にあった日本国有鉄道(国鉄)札沼線の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲120206[2]。
歴史
[編集]- 1931年(昭和6年)10月10日 - 札沼北線石狩沼田 - 中徳富(初代、現在の新十津川)間開通に伴い開業[3]。一般駅[1]。
- 1943年(昭和18年)10月1日 - 石狩月形 - 石狩追分間の営業休止(不要不急線)により休止[1]。
- 1953年(昭和28年)11月3日 - 浦臼 - 雨竜間復活に伴い営業再開[1]。
- 1964年(昭和39年)4月1日 - 業務委託化。
- 1972年(昭和47年)6月19日 - 札沼線新十津川 - 石狩沼田間廃止に伴い廃駅となる[1]。
駅名の由来
[編集]→「徳富」の由来については「下徳富駅#駅名の由来」を参照
地域名の「徳富」に、石狩川を基準にして中流にあることから「上」を冠した[4]。
駅構造
[編集]駅舎は札幌に向かって左手の東側に設置され、駅裏側利用の島状の単式ホーム1面1線と、駅舎とホーム間に貨物線1本を有していた。両端の分岐は貨物線側が開いた片開分岐の1線スルー状で、石狩追分に良く似ていたが、駅舎横札幌方に貨物ホームがあった[5]。
利用状況
[編集]乗車人員の推移は以下のとおり。1日平均は年間の値を当該年度の日数で除した値を括弧書きで示す。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | |||
1953年(昭和28年) | 9,374 | (25.7) | [6] | 同年11月3日より営業(再開) |
1958年(昭和33年) | 67,508 | (185.0) | ||
1962年(昭和37年) | 53,004 | (145.2) |
周辺
[編集]- 国道275号
- 志寸川
駅跡
[編集]駅舎は農機具倉庫として利用されていたが、2008年(平成20年)7月に取り壊された。 民間に払下げられた駅長・助役用の官舎が残っている。
駅名標は、郷土資料館に展示されている。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、834頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、221頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ 『官報』 1931年10月03日 鉄道省告示第270号(国立国会図書館)
- ^ 札幌鉄道局編 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、33頁。NDLJP:1029473。
- ^ 昭和7年 線路一覧略図 札幌鉄道局発行。
- ^ 小林宏吉 編『新十津川町史』新十津川町、1966年3月25日、924頁。doi:10.11501/3448789 。2022年6月14日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス 1963年撮影航空写真 MHO632X-C3-8 写真中央やや左下に当駅。