上野景文
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上野 景文(うえの かげふみ、1948年2月18日[1] - )は、日本の外交官。グアテマラ駐箚駐箚特命全権大使、バチカン駐箚特命全権大使を歴任した。退官後は杏林大学客員教授。「文明論考家」を称する[2]。
経歴・人物
[編集]東京都出身[1]。1970年(昭和45年)東京大学教養学部を卒業して、外務省に入省する。1973年(昭和48年)ケンブリッジ大学経済学部を卒業する。ニューヨーク、在シンガポール日本国大使館参事官、パリの経済協力開発機構(OECD)日本政府代表部公使などの在外公館勤務や、兵庫県商工部商業貿易課長、外務省大臣官房在外公館課在外公館警備室長、国際交流基金総務部長兼日本研究部長を経て、1997年(平成9年)スペイン公使、1999年(平成11年)メルボルン総領事、2001年(平成13年)から2004年(平成16年)までグアテマラ駐箚駐箚特命全権大使。2004年ケンブリッジ経済学部修士課程を修了。財団法人国際研修協力機構常務理事を経て、2006年(平成18年)から2010年(平成22年)バチカン駐箚特命全権大使を歴任した。退官後は2011年(平成23年)4月より杏林大学外国語学部客員教授として教壇に立っている。一般社団法人日本シンガポール協会顧問[3][4][5][6]。
2009年、ローマで開催された先進7か国財務大臣・中央銀行総裁会議に出席した中川昭一が「朦朧会見」を引き起こした直後、バチカン美術館でもトラブルを起こしているが[7]、この時にイタリア駐箚特命全権大使の安藤裕康、財務省国際局局長の玉木林太郎らとともに随行していた[8]。
著書
[編集]単著
[編集]- 『バチカンの聖と俗』(かまくら春秋社, 2011年)
- 『現代日本文明論 ―神を呑み込んだカミガミの物語―』(第三企画, 2006年)
同期
[編集]- 西田恒夫(10年国連大使・07年駐カナダ大使・05年外務審議官(政務担当))
- 安藤裕康(11年国際交流基金理事長・08年駐伊大使)
- 原聰(08年関西担当大使・05年駐ポルトガル大使・01年駐ブルネイ大使)
- 大木正充(07年駐アゼルバイジャン兼グルジア大使・04年駐クウェート大使・駐イエメン大使)
- 小溝泰義(13年広島平和文化センター理事長・10年駐クウェート大使)
- 夏井重雄(08年駐カザフスタン大使)
- 河東哲夫(02年駐ウズベキスタン大使)
- 駒野欽一(10年駐イラン大使・06年駐エチオピア兼ジブチ大使・02年駐アフガニスタン大使)
- 石榑利光(11年駐スロベニア大使)
- 城守茂美(13年駐スロベニア大使)
- 柴崎二郎(10年駐ニカラグア大使)
脚注
[編集]- ^ a b 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.302
- ^ 世界のポピュリストが日本をうらやむ理由 閉鎖性、内向き志向で最先端 共同通信2020年10月28日
- ^ 杏林大学:外国語学部:受験生の方:教員紹介”. 杏林大学. 2014年5月31日閲覧。 “
- ^ 「バチカンから見た日本・バチカンから見たEU」
- ^ 「上智大学後援、上智大学ソフィア会・ソフィア経済人倶楽部共催定例講演会のお知らせ」上智大学後
- ^ 「著者について」『バチカンの聖と俗―日本大使の一四〇〇日』 かまくら春秋社 (2011/8/1)
- ^ 麻生太郎『衆議院議員鈴木宗男君提出前財務大臣のバチカン市国内における行状並びに同行者の対応等に関する第三回質問に対する答弁書』2009年4月7日。
- ^ 麻生太郎『衆議院議員鈴木宗男君提出前財務大臣のバチカン市国内における行状並びに同行者の対応等に関する質問に対する答弁書』2009年3月3日。
- ^ 『官報』号外235号、令和4年11月4日
外部リンク
[編集]- バチカン、ついに北京と合意(中国カトリック教会の処遇を巡り) - 2018年10月15日
- エビタとホルヘ・ベルゴリオを繋ぐもの(フランシスコ法王の初心を探る) - 2018年7月12日
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