下関市立水族館
下関市立水族館 | |
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下関市立水族館跡(現:関見台公園)に残る鯨館 | |
施設情報 | |
事業主体 | 下関市 |
管理運営 | 下関市 |
面積 | 12,000㎡ |
頭数 | 鳥獣[1]46点、魚類など[2]2,454点(被災前) |
種数 | 鳥獣9種・魚類等241種(被災前) |
開館 | 1956年11月29日 |
閉鎖 | 2000年4月15日 |
下関市立水族館(しものせきしりつすいぞくかん)は、日本の山口県下関市長府にかつて存在した水族館。
概要
[編集]1956年(昭和31年)に開館。市営の水族館だったが、クジラを模した捕鯨資料の展示施設「鯨館[3]」やエンペラーペンギンなど動物の一部は下関市に本拠を置いていた大洋漁業(現:マルハニチロ)の寄贈によるものだった。
日本で初めてイルカショーを開催したとされ[4]、1958年(昭和38年)には昭和天皇・皇后が来館した。
開館から1998年(平成10年)末までに約1700万人が訪れたという[4]。
本施設は老朽化が進んできたことから、1999年(平成11年)2月以降は唐戸地区にて後継施設となる下関市立しものせき水族館(海響館)の建設を開始し、同施設に移転する予定だった[5]。しかし本施設は「海響館」建設中の同年9月24日に山口県を襲った台風18号[5]の強風・高潮により施設全般が被災。電気設備冠水により水の循環が停止し、飼育していた約80%の魚類が死滅、残りの魚類も生育困難となったため、復旧を断念。自然界への放流や近隣の宮島水族館への譲渡が行われた[4]。この時点で事実上、海響館の開館を待たずして閉館状態となったが、翌2000年(平成12年)4月15日に正式閉館となり、その後は12月3日まで見学希望者への無料公開が行われた[4]。海響館は2001年(平成13年)4月1日に開館したが[5]、旧館から移された魚類は一部にとどまった。なお当館で飼育されていたゴマフアザラシは雌雄2頭(雄の「ハツオ」と雌の「マル」)が高潮により流失し行方不明になったが、「マル」は6日後(9月30日)に下関市細江町の岸壁で無事保護され[6]、「帰ってきたアザラシ」として話題になった[7]。
現在は、関見台公園(櫛崎城跡)に鯨館のみが残されており(ただし館内に立ち入ることは出来ない)、鯨館の近くには台風18号で死滅した魚類の慰霊碑がある。
歴史
[編集]- 1956年(昭和31年)11月29日 - 開館[4]。
- 1958年(昭和33年)4月7日 - 昭和天皇・皇后が来館。
- 1999年(平成11年)9月24日 - 台風と高潮の影響により施設が被災、無期限閉鎖。
- 2000年(平成12年)4月15日 - 正式閉館。一部施設の無料公開開始。
- 2000年(平成12年)12月3日 - 無料公開終了、お別れセレモニーを開催。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ イルカ・アシカ・ペンギンなど
- ^ 魚類・無脊椎動物など
- ^ 長府観光協会のウェブサイトの一部や、関見台公園にある説明板では「くじら館」と表記している。
- ^ a b c d e 水族館の概略 - 長府観光協会公式サイト
- ^ a b c “あくあはーつ通信 Vol.229 Happy Sixtieth”. 海響館 公式ウェブサイト. 下関市立しものせき水族館 (2016年11月29日). 2020年4月10日時点のhappy-sixtieth/ オリジナルよりアーカイブ。2020年4月10日閲覧。
- ^ 「アザラシ、高波にさらわれ逃走中(山口県下関市長府)」(PDF)『にぎわい通信』第22巻、日本海にぎわい・交流海道推進協議会事務局 第四港湾建設局 海域環境課、1999年10月、7頁、 オリジナルの2020年5月28日時点におけるアーカイブ、2020年5月28日閲覧。
- ^ “フロアマップ > ゴマフアザラシ”. 海響館 公式ウェブサイト. 下関市立しものせき水族館. 2020年5月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月28日閲覧。