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中嶋太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中嶋太郎
なかしま たろう
生年月日 1888年8月19日
出生地 日本の旗 日本 長崎県
没年月日 (1973-03-16) 1973年3月16日(84歳没)
出身校 早稲田大学専門部政治経済科卒業
前職 新聞記者
所属政党改進党→)
日本民主党→)
自由民主党
称号 正五位
勲三等瑞宝章

選挙区 旧長崎1区
当選回数 2回
在任期間 1953年3月14日 - 1958年4月25日

当選回数 2回
在任期間 1947年4月8日 - 1952年4月3日
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中嶋 太郎(なかしま たろう、1888年明治21年〉8月19日[1] - 1973年昭和48年〉3月16日[2][3])は、日本の政治家衆議院議員(2期)、諫早市長位階正五位[3]勲三等瑞宝章綬章[3]

経歴

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長崎県出身[3]1914年大正3年)早稲田大学専門部政治経済科卒[2][3]コロンビア大学大学院に留学し[2]、記者として二六新聞社などで勤務する[2]。その後、1947年(昭和22年)、諫早市長選挙に立候補して当選。同年4月8日、初代公選市長となった[1]。市長在任中は市立中学の開校、市役所機構の再編、自治体警察の設置、諫早球場の開場など市制改革に追われた[1]1951年(昭和26年)に再選。翌1952年(昭和27年)4月3日に退任した[1]第25回衆議院議員総選挙において長崎1区から改進党で立候補したが落選[4]。翌1953年(昭和28年)の第26回衆議院議員総選挙で当選した[5]。2期目は日本民主党[注釈 1]から立候補して再選[8]1958年(昭和33年)の第28回衆議院議員総選挙では自由民主党[注釈 2]から立候補したが落選して、政界を引退した[11]

著作

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翻訳

脚注

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注釈

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  1. ^ 1954年(昭和29年)11月23日に改進党は解党し、翌日日本民主党が結党した[6][7]
  2. ^ 1955年(昭和30年)11月14日に日本民主党は解党し、翌日自由民主党が結党した[9][10]
  3. ^ 書名は『中国倫理学史』と記載されている[12]

出典

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  1. ^ a b c d 『日本の歴代市長』第3巻、575頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』445頁。
  3. ^ a b c d e 歴代閣僚と国会議員名鑑 714コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ 長崎1区 - 第25回衆議院議員選挙(衆議院議員総選挙)1952年10月01日投票 | 選挙ドットコム”. 選挙ドットコム. 2024年10月11日閲覧。
  5. ^ 長崎1区 - 第26回衆議院議員選挙(衆議院議員総選挙)1953年04月19日投票 | 選挙ドットコム”. 選挙ドットコム. 2024年10月12日閲覧。
  6. ^ 衆議院議員党籍録 自第1回国会至第26回国会 85コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 衆議院議員党籍録 自第1回国会至第26回国会 88コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ 長崎1区 - 第27回衆議院議員選挙(衆議院議員総選挙)1955年02月27日投票 | 選挙ドットコム”. 選挙ドットコム. 2024年10月12日閲覧。
  9. ^ 衆議院議員党籍録 自第1回国会至第26回国会 97コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  10. ^ 衆議院議員党籍録 自第1回国会至第26回国会 99コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  11. ^ 長崎1区 - 第28回衆議院議員選挙(衆議院議員総選挙)1958年05月22日投票 | 選挙ドットコム”. 選挙ドットコム. 2024年10月12日閲覧。
  12. ^ a b 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』445頁。

参考文献

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  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第3巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。


公職
先代
池松林一
長崎県旧諫早市長
1947年 - 1952年
次代
野村儀平