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丹阿弥谷津子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
たんあみ やつこ
丹阿弥 谷津子
丹阿弥 谷津子
『朝日クラブ』 朝日新聞社1952年
本名 金子 谷津子
(旧姓:丹阿弥)
生年月日 (1924-06-25) 1924年6月25日(100歳)
出生地 日本の旗 日本東京市本所区両国
(現・東京都墨田区両国)
身長 157 cm
血液型 O型
職業 女優
ジャンル 映画
テレビドラマ
舞台
活動期間 1942年 -
配偶者 金子信雄1958年 - 1995年、死別)
著名な家族 丹阿弥岩吉(父)
丹阿弥丹波子(妹)
主な作品
映画
夜叉ヶ池』(1979年)
テレビドラマ
池中玄太80キロ』シリーズ
ちゅらさん』シリーズ

CM
パラマウントベッド
受賞
第22回 芸術祭賞奨励賞
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丹阿弥 谷津子(たんあみ やつこ、1924年大正13年〉6月25日[1][2] - )は、日本女優[2]東京市本所区両国(現・東京都墨田区両国)出身[1]。本名:金子かねこ 谷津子やつこ、旧姓:丹阿弥[1]。身長157cm、血液型はO型[2]村上事務所所属。父は日本画家丹阿弥岩吉、妹はメゾチント作家の丹阿弥丹波子。夫は金子信雄1995年、死別)。

人物・略歴

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1937年東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業。東京府立第十高等女学校卒業。

1942年、文化学院文学部卒業[3]。1942年文学座研究生となる[4]。同年「富島松五郎伝」で初舞台[5]。1945年新劇合同公演「桜の園」のアーニャ役で注目され、以後「シラノ」のロクサーヌ、「マリウス」のファニーなど美貌と演技をかね備えた女優としての地位を確立[5]

アサヒグラフ』 1951年11月21日号 朝日新聞社
『毎日クラブ』 1954年11月17日号

1954年3月24日カンヌ国際映画祭出席[注釈 1]のためフランスへ出発。

1964年喜びの琴事件により文学座を脱退した三島由紀夫らと「劇団NLT」を結成、翌年、『サド侯爵夫人』で主人公を演じた。1966年に退団、金子と新たに「新演劇人クラブ・マールイ」を結成した。

1967年、「女優の愛と死」で芸術祭賞奨励賞を受賞[5]。2000年、第10回日本映画批評家大賞功労賞[3]

テレビドラマでは連続テレビ小説に主人公の祖母役で多く出演した。

CMではパラマウントベッド沢井製薬等に出演した。

父の丹阿彌岩吉(1901 - 1992)は横山大観に師事した東京出身の画家[6]

母のとみゑは兵庫県氷上町(現・丹波市)出身の桐塑人形作家。

妹の丹阿弥丹波子(たんあみ にわこ、1927 - )は文化学院に進学後銅版画家となった[7]

一家は豊島区長崎のアトリエ村(1931年から建てられた美術学生向けのアトリエ付借家群)で暮らした[8]

出演

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映画

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テレビドラマ

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ラジオ

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  • ラジオコメディ みんな大好き(-2004年、NHKラジオ第1放送) - 成田のばぁば(大吉の母)役

舞台

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CM

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脚注

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注釈

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  1. ^ 当時は海外渡航自由化以前で、大変貴重な訪問だった。

出典

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  1. ^ a b c 丹阿弥谷津子 - 略歴・フィルモグラフィー”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2024年9月11日閲覧。
  2. ^ a b c 丹阿弥谷津子”. 日本タレント名鑑. VIPタイムズ社. 2024年9月11日閲覧。
  3. ^ a b 読売人物データベース
  4. ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
  5. ^ a b c 日外アソシエーツ現代人物情報
  6. ^ 丹阿弥岩吉 たんあみ いわきちコトバンク
  7. ^ 時のきらめき 丹阿弥丹波子銅版画展茅ヶ崎市美術館、2015年5月
  8. ^ アトリエ村散策マップ”. 豊島区役所. 2016年5月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月1日閲覧。

外部リンク

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