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交響曲第43番 (ハイドン)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ローマ神話マーキュリー神(ヘンドリック・ホルツィウス作『メルクリウス』、1611年

交響曲第43番 変ホ長調 Hob. I:43 は、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンが作曲した交響曲。『マーキュリー』(あるいは『水星』、: Merkur)の愛称で知られる[1]

概要

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第44番『悲しみ』と同様に、1772年ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社のカタログに記載されており[2]1771年前後に作曲されたと考えられている。激しい第44番とは対照的な、明るく爽やかな調子の曲である。

愛称の由来

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マーキュリー』という愛称はハイドン自身によるものではなく、1839年アロイス・フックスドイツ語版によって書かれた手書きの目録に初めて現れるが、由来は不明である[3][4]

ジャン・パン(Jean Pang)[5]は、この愛称が第50番との混同であったのではないかと推測しており、それは第50番の最初の2楽章が、ハイドン自身が作曲した人形劇『フィレモンとバウキス』(Philemon und Baucis, Hob. XXIXa:1)の序曲を引用しており、この劇の登場人物として「メルクール」(マーキュリー)が登場するためである。

編成

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オーボエ2、ホルン2、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、低音(チェロファゴットコントラバス)。

曲の構成

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全4楽章、演奏時間は約25分。

  • 第1楽章 アレグロ
    変ホ長調、4分の3拍子ソナタ形式
    同音の4回の繰り返しに始まる、長い穏やかな第1主題がヴァイオリンによって演奏され、華やかに盛り上がって変ロ長調に転調した後にも繰り返される。展開部もこの主題が支配する。
  • 第2楽章 アダージョ
    変イ長調、4分の2拍子、ソナタ形式。
    弱音器をつけたヴァイオリンによって主題が演奏される。管楽器の使用は全体に控えめである。展開は弦楽器のみにより、短調で始まった後に和音を変えながら同じ音型が繰り返される。
  • 第3楽章 メヌエット - トリオ
    変ホ長調、4分の3拍子。
    メヌエット主部とトリオの双方ともかなり単純な曲である。H.C.ロビンス・ランドンは「流行歌」(Hit tunes)を旋律に持っていると言っている[6]
  • 第4楽章 フィナーレ:アレグロ
    変ホ長調、2分の2拍子(アラ・ブレーヴェ)、ソナタ形式。
    再び長めの穏やかな主題で始まる。再現部の後にコーダが付加され、いったん まで音を落とした後、全休止を挟んで華やかに終わる。

脚注

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  1. ^ 大宮(1981) p.177
  2. ^ デッカ・レコードのホグウッドによるハイドン交響曲全集第6巻、ウェブスターによる解説、1994年
  3. ^ Horst Walter: Merkur. In Armin Raab, Christine Siegert, Wolfram Steinbeck (Hrsg.): Das Haydn-Lexikon. Laaber-Verlag, Laaber 2010, ISBN 978-3-89007-557-0, S. 503.
  4. ^ Walter Lessing: Die Sinfonien von Joseph Haydn, dazu: sämtliche Messen. Eine Sendereihe im Südwestfunk Baden-Baden 1987-89, herausgegeben vom Südwestfunk Baden-Baden in 3 Bänden. Band 2, Baden-Baden 1989, S. 39–40.
  5. ^ zitiert bei: A. Peter Brown: The Symphonic Repertoire. Volume II. The First Golden Age of the Vienese Symphony: Haydn, Mozart, Beethoven, and Schubert. Indiana University Press, Bloomington & Indianapolis 2002, ISBN 0-253-33487-X, S. 128.
  6. ^ 音楽之友社ミニスコアの解説

参考文献

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  • 大宮真琴『新版 ハイドン』音楽之友社〈大作曲家 人と作品〉、1981年。ISBN 4276220025 
  • 『ハイドン 交響曲集IV(41-49番) OGT 1592』音楽之友社、1982年。 (ミニスコア、ランドンによる序文の原文は1967年のもの)

外部リンク

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