任城郡
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任城郡(にんじょう-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。三国時代から隋代にかけて、現在の山東省済寧市一帯に設置された。
概要
[編集]84年(後漢の建初9年)、東平王劉蒼の子の劉尚が任城王に封じられ、東平国を分割して任城国が置かれた[1]。任城国は兗州に属し、任城・亢父・樊の3県を管轄した[2]。
曹魏が建国されると、任城国は任城郡と改められた。222年(黄初3年)、曹彰が任城王に封じられると、任城国が立てられた[3]。231年(太和5年)、任城王曹楷が任城県に改封された。232年(太和6年)、曹楷が任城国に再び改封された。246年(正始7年)、曹楷が済南王に徙封されると、任城国は任城郡と改められた[4]。
277年(西晋の咸寧3年)、北海王司馬陵が任城王に改封され、任城国が立てられた[5]。任城国は任城・亢父・樊の3県を管轄した[6]。
北魏のとき、任城郡は任城・亢父・鉅野の3県を管轄した[7]。
北斉のとき、任城郡は高平郡と改められた。代わって魯郡が任城郡と改められた。
583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、任城郡は廃止されて、兗州に編入され、任城郡の呼称は姿を消した[8]。