中山郡
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中山郡(ちゅうざん-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。漢代から隋初にかけて、現在の河北省中部に設置された。
概要
[編集]漢の高祖のとき、中山郡が立てられた。紀元前154年(景帝3年)、劉勝が中山王となると、中山国が置かれた[1]。前漢の中山国は冀州に属し、盧奴・北平・北新成・唐・深沢・苦陘・安国・曲逆・望都・新市・新処・毋極・陸成・安険の14県を管轄した。王莽のとき、常山郡と改められた[2]。
25年(建武元年)、劉茂が後漢に降り、中山王に封じられると、再び中山国が置かれた[3]。中山国は盧奴・北平・毋極・新市・望都・唐・安国・安憙・漢昌・蠡吾・上曲陽・蒲陰・広昌の13県を管轄した[4]。
232年(太和6年)、三国魏の曹袞が中山王となると、中山国が置かれた[5]。
265年(泰始元年)、司馬睦(司馬彪の父)が中山王となると、中山国が置かれた[6]。晋の中山国は盧奴・魏昌・新市・安喜・唐・蒲陰・北平・望都の8県を管轄した[7]。
北魏の初年、定州が立てられると、中山郡は定州に転属した。北魏の中山郡は盧奴・上曲陽・魏昌・新市・毋極・安喜・唐・蒲陰・北平・望都の10県を管轄した[8]。孝昌年間(525年 – 528年)に、中山郡から蒲陰・北平・望都の3県を分離して北平郡とした。定州に属し、郡治は北平城に置いた。
583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、中山郡は廃止されて、定州に編入された[9]。