利用者‐会話:呆庵入道

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ウィキペディアにようこそ![編集]

こんにちは、呆庵入道さん、はじめまして!Suisuiと申します。ウィキペディアへようこそ!

  • ウィキペディアで活動する際にはガイドブックを是非ご一読ください。きっとご参考になるものと思います。
  • よろしければ自己紹介してみてください。
  • お隣の利用者ページは、ご自身の自己紹介の他、作業用のスペースなどとして利用することができます。
  • 執筆の際には中立的な観点および著作権にご留意ください。
  • 何か疑問点がありましたらWikipedia:井戸端で質問することができます。

あなたが実り多き活動をされることを楽しみにしております。--Suisui 2006年8月22日 (火) 17:56 (UTC)[返信]

Suisuiさん、ご挨拶に気づくのが遅れまして申し訳ありません。歓迎のメッセージをありがとうございます。さきほど手始めに自己紹介してみました。まだいろいろ不慣れですがよろしくお願いします。--呆庵入道 2006年9月11日 (月) 13:42 (UTC)[返信]

ノート:斎藤一について[編集]

Calveroと申します。ノート:斎藤一の件ですが、一度削除された文章は履歴が参照出来なくなるためGFDLを離れます。ゆえに通常の著作権法に従った取り扱いをするのが妥当と考えます。投稿時にはGFDLでのリリースを認めていますが、これは著作権の放棄とは同義ではないのです。今回、議論の過程で行き違いが生じ、残念な結果となってしまっておりますが、ふんにゃらにゃさんには議論を続ける意思はなく、当該部分を復帰したとしてもあまり意味のないものかと存じます。ここでふんにゃらにゃさんの行動の是非をめぐって白黒つけようとしても得られるものは少なく、後味の悪いものが残るばかりでありましょう。この件に関して、ノートはふんにゃらにゃさんのレス以降を取り除いて、呆庵入道さんの問題提起部分を残しログ化してしまう、すなわち問題提起時点まで巻き戻しておきたいと思うのですが、問題ありますでしょうか。--Calvero 2006年11月20日 (月) 22:32 (UTC)[返信]

ご迷惑をおかけします。また、削除依頼に対処していただいてありがとうございました。
ふんにゃらにゃさんの一連の言動は、投稿者がWikipediaにいったん投稿した文章になお著作権を行使できるとしても、権利の濫用に当たるものだと思います。
早合点をしてせっかくのご忠告を誤解してもいけないと思いますので、順番に確認させてください。これ以上新しい行き違いを生じさせたくはないので、少しくどすぎると思われるかもしれませんが、ご容赦ください。
まず「ログ化」ということですが、これは、たとえばノート:マイナスイオン/過去ログ(~2004年12月)でなされているような処置をとるということでよろしいでしょうか。私は、本件の一連の経緯が誰にでも閲覧できるかたちでWikipediaの記録に残るのであれば、その形式は問うところではないので、この理解でよろしければ、ご提案のとおり「ログ化」していただくことに異論はありません。
つぎに「問題提起時点まで巻き戻す」ということについて。まず「問題提起時点」というのは、1.鈴木正三へのリンクは不要だと指摘した10月22日時点。2.ふんにゃらにゃさんの著作権侵害の可能性を指摘した11月1日時点。3.削除依頼を提起した11月6日時点。の3つを想定したのですが、どれを念頭に置いておられますか。また「巻き戻す」というのは、上記のいずれかの時点以降の投稿をノート:斎藤一から過去ログとして分離するという理解でよろしいでしょうか。
最後に、ログ化の作業は、Calveroさんがしてくださるという理解でよろしいでしょうか。
私としては、最も理想的なのは、11月6日時点の最新版が、私が分割した「斎藤一と鈴木正三とのかかわり」の節ごと、Calveroさんのご作業により、そっくり過去ログとして保存されることです。私の投稿部分だけが残されても、それは記述としてほとんど意味をなさないものになるのではないでしょうか。これは、ふんにゃらにゃさんの言動の是非を明らかにする、というような意図に基づくものではなく(もともと削除依頼自体がそのような意図に基づくものではありませんが)現に起こってしまったことを湮滅するのはおかしい、という単純な疑念によるものです。11月6日時点の最新版は、すでに削除されてしまいましたので、そもそも技術的に復元が可能なのかどうかもわからないのですが、管理者の権限をお持ちのCalveroさんになら、削除された記述の閲覧・復元も可能なのでしょうか。そのあたりも、実はまだよくわかっておりません。
11月6日時点の最新版の復元について、ふんにゃらにゃさんも基本的にご異議はないものと私は考えています。ふんにゃらにゃさんは、11月6日時点の最新版への復元は「中立の第三者が行なうのであれば容認するが、呆庵入道が行なうことは改竄のおそれがあるので認められない」ということを繰り返し述べておられます。この点からも、Calveroさんに作業をしていただくのは私にとって非常に望ましいです。まったくの第三者であり、管理者でもあるCalveroさんに作業をしていただければ、ふんにゃらにゃさんも納得してくれるのではないか、という希望をまだ持っているからです。いかがでしょうか。--呆庵入道 2006年11月23日 (木) 14:51 (UTC)[返信]
(ログ化の方法について)ご指摘の通りです。ただ、サブページを作るのではなく、ノート:喫煙のような感じで過去版へのリンクを貼るのがリソースの節約という観点からは好ましいでしょうから、そのようにするつもりです。
(誰がやるかについて)不肖私めがその任に当たらせていただきたいと存じます。
(「問題提起時点」について)1です。その他の版は削除してしまいましたので、参照できないです。巻き戻すというのもおっしゃる通りの意味です。しかしながら以下をご参照ください。
(11月6日の版を戻せるか、について)技術的には戻せます。また、管理者であれば誰でも削除された版を参照できます。2006年11月6日 (月) 12:34 (UTC) の版であれば著作権侵害部分は取り除かれていますので、呆庵入道さん、ふんにゃらにゃさん、あと途中で1度書き込まれているExtrahitzさんの了解が得られるのであれば、復帰依頼を経て復活させる事ができます。--Calvero 2006年11月23日 (木) 15:54 (UTC)[返信]
(追記)先ほど 利用者‐会話:Calvero#Wikipedia:削除依頼/ノート:斎藤一2006/11/06について にてふんにゃらにゃさんから「復帰は望まない」とのご意見を頂きました。ゆえにログ化するのは10月22日の版以降、ということになるかと存じます。確かに削除したことによって議論があったという事実が一部隠されてしまうことになっているのですが、ノート上には「削除済みノート」も貼られておりますので第三者への事情の周知も行えているのではないかと思います。--Calvero 2006年11月23日 (木) 16:04 (UTC)[返信]
Wikipedia:復帰の方針を読むと、本件は「コミュニティの合意に反した削除」でも「コミュニティの合意が誤っていたと考えられる削除」でもないので、復帰依頼の要件を満たさないものと考えていました。もしも要件を満たすものならば、依頼してみようかとも考えたのですが、ふんにゃらにゃさんが著作権者の立場から承諾しなければ復帰はできないだろう、というご判断でしたら、どうやら私の望むようなかたちでの原状回復は不可能と考えるよりなさそうです。そういう理解でよろしいでしょうか?
原状回復は不可能ということでしたら、本件の処理はCalveroさんがいちばんいいとお考えのとおりにお任せいたします。ただ、ふんにゃらにゃさんとExtrahitzさんの投稿については復元できないにしても、タイムスタンプと署名は残していただけませんか。それだけならば、著作物には当たらず、著作権云々の議論にはならないものと考えますが、いかがでしょうか。
ノート:喫煙を見てみました。ログ化作業の手法についてもいろいろな選択肢があるのですね。どれがよいか判断がつかないのでそれもお任せいたします。いずれにしても、ノート:斎藤一の記述の一部、10月22日から11月5日までに私が投稿した一連の記述すべてを、分割して別の場所に保存することに異論はありません。お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします。--呆庵入道 2006年11月26日 (日) 13:02 (UTC)[返信]
削除された版のうち一番新しい物については著作権侵害部分が取り除かれていましたから、履歴不継承となる点を除けば復帰にあたって法的な問題はなく、上記方針の2「削除依頼に出されていた際に賛成を表明したユーザの大半が、意見を見直した上で復帰が望ましいと言う点で一致し、且つ他のユーザからの反対が少ない場合」とすることができたと思います。あるいは復帰依頼ではなく(共著者全員の合意を得た上で)単純に再投稿してもよかったでしょう。しかしながら共著者の1人であるふんにゃらにゃさんの同意が得られなかったため履歴不継承問題が解決されず、復帰・再投稿ともにできないです。新たに見出しがつけられていましたが、該当の部分をログ化しました。タイムスタンプと署名だけ抜き出すのはややこしいので、履歴情報を貼りました。ログのリンクから見られますので、ご確認ください。--Calvero 2006年11月27日 (月) 11:55 (UTC)[返信]
確認いたしました。ともあれ履歴が明確にわかるかたちであればいいので、もちろん異論はありません。ありがとうございます。著作権の問題についても了解いたしました。いろいろお手数をおかけしまして申し訳ありませんでした。--呆庵入道 2006年11月28日 (火) 12:39 (UTC)[返信]

ノート:斎藤一の削除された版の一部を復元[編集]

2006年11月19日 (日) 11:04になされたノート:斎藤一の特定版削除にともなって消えてしまった投稿のうち、私が投稿した部分の全文をここに復元しておきます。本件のログ出自について節の「履歴」にタイムスタンプと署名のみ掲げられているものです。

(復元ここから)


斎藤一と鈴木正三とのかかわり[編集]

(これ以前の議論は、本件のログの出自について節に全文あり)

削除対象ケースB-1に該当したため削除)--ふんにゃらにゃ 2006年10月31日 (火) 18:59 (UTC)[返信]

(削除)--ふんにゃらにゃ 2006年10月31日 (火) 21:07 (UTC)[返信]

Wikipediaは百科事典であって、トリビア集ではないので、しても意味のない「補足説明」は省くべきです。さきにも申しましたように、おおむね1週間程度は待ちますので、鈴木正三への言及が無意味でも不必要でもない理由をきちんと明示していただければと思います。よろしくお願いします。--呆庵入道 2006年11月1日 (水) 13:12 (UTC)[返信]
ついでながら…。「無知」の説明文ですが、著作権のほうは大丈夫ですか?--呆庵入道 2006年11月1日 (水) 13:12 (UTC)[返信]

(削除)--ふんにゃらにゃ 2006年11月1日 (水) 20:19 (UTC)[返信]

1週間という時間は、Wikipedia:記事の分割と統合を参考に設定してみました。本件は分割でも統合でもありませんが、それよりもはるかに軽微な事案ですので、まあこの程度が適当かと考えました。いかがでしょうか。
Wikipediaの記事はあなたの物でも私の物でもないというご指摘にはまったく同感です。しかし、それにしては「自分の書いた記事に手を加えるなら、編集合戦に持ち込むから覚悟しろ」と脅迫されるのは、はなはだ不審であり遺憾であります。旗本鈴木家が斎藤一の父親の主家であり、その家系から鈴木正三が輩出したことに異論はありません。ただ、そのことを本記事で言及することは、正三の思想や言行が斎藤の人格形成に影響を与えたという傍証がない限り、無意味で不必要だと言っているだけです。いかがでしょうか。
著作権云々というのは、くだんの説明文が、Yahoo!辞書の検索結果と酷似しているので、著作権者の承認は得ておられるのだろうか、と疑問に思ったまでです。承認を得ておられるのなら、そのことを明示されるほうがよろしいかと思います。--呆庵入道 2006年11月3日 (金) 06:06 (UTC)[返信]

(削除)--ふんにゃらにゃ 2006年11月3日 (金) 20:06 (UTC)[返信]

(削除)--ふんにゃらにゃ 2006年11月5日 (日) 01:28 (UTC)[返信]

(削除)--Extrahitz 2006年11月5日 (日) 05:51 (UTC)[返信]

鈴木正三の記事に加筆されたのですね。非常に前向きで建設的な対応をしていただいたことを嬉しく思います。これでようやく、本記事での正三への言及が無意味でも不必要でもなくなったと思います。ただ、斎藤一の人格形成に正三の思想がいかなる影響を与えたかについては、やはり具体的な言及と傍証の提示が必要でしょう。そうすることがWikipedia:検証可能性Wikipedia:独自の調査Wikipedia:言葉を濁さないなどの理念にも沿うものだと考えます。
鈴木正三の記事については、私も少し調査をして、加筆できることがあれば編集に参加したいと思います。中村元も正三の思想をカルヴァン主義と対比して評価しています。また、足助の鈴木家もいくつかの系統に分かれるようです。
Wikipedia:井戸端での私の問題提起をご覧になったようですが、それならば、現状の記述は、著作権法上の問題を完全にクリアしたものとは言えないこともご理解いただいたものと思います。「李下に冠を正さず」とも申します。早期に記述を修正されることを切にお勧めします。--呆庵入道 2006年11月5日 (日) 12:44 (UTC)[返信]

(削除)--ふんにゃらにゃ 2006年11月5日 (日) 21:37 (UTC)[返信]


(復元ここまで)

漫画を出典とする「座右の銘」[編集]

かねてより編集合戦の原因となっていた、漫画を出典とする斎藤一の「座右の銘」について、こちらで新たな提案がなされています。より明白な合意形成のためにも、ぜひ議論にご参加ください。--Dojo 2006年11月26日 (日) 05:38 (UTC)[返信]

お誘いありがとうございます。ぜひ参加したいと思います。--呆庵入道 2006年11月26日 (日) 13:03 (UTC)[返信]

Calveroさんのノートにおける遣り取りについて[編集]

(これはご両名のノートに書き込ませて頂いております旨をお断りしておきます)

別にどちらの方のお味方をするつもりもありませんが、いい加減、他所様の庭でご厄介になるのは控えた方が宜しいでしょう。私が勝手に首を突っ込んだ訳ですからこういう言い方をするのも身勝手ではありますが、正直、顔に泥を塗られたような気もしています。

ご両名、言い分はあるでしょうし、納得の行かないところも多い事は承知しておりますが、呆庵入道さんは呆庵入道さんで私がCalveroさんのノートで間に入った直後に書き込まれておきながら尾を引かせており、ふんにゃらにゃさんも私のノートに挨拶に来ておきながら尚Calveroさんのノートで話を続けているように見えます。

仲裁という訳ではありませんが、いかがでしょう。次に書き込まれた方が、ご自身のノートに導かれるという事にされるというのを提案させて頂きます。書き込まれる以上、尚、自分には言いたい事があるという意味でありましょうし、それならばご自身の庭で展開されるのが理に適い、また、ご自身の考え方の主張としても記事を残せるものと思われます。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2006年12月14日 (木) 14:42 (UTC)[返信]

ご迷惑をかけて申し訳ありません。まったくの初対面の私に「おまえは品性が欠けている」と言い放って以来、人の顔に唾を吐くような罵倒を連日重ねてきた彼を赦すことは当分できそうもありませんが、٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥さんにはただただお詫びするより術を知りません。申し訳ありませんでした。--呆庵入道 2006年12月14日 (木) 15:44 (UTC)[返信]

提案です[編集]

(これはご両名のノートに書き込ませて頂いております旨をお断りしておきます)

ご両名、それぞれ別の問題を抱えている為に、個別に書き込むことも考えましたが、それですと文面上、一方を責め、一方を擁護しているようにもなりかねないため、同一文章を投稿させていただきます。

まず、呆庵入道さんですが、ふんにゃらにゃさんの過去ログとして収納されたページに更なる変更を加えるのは、たとえ言い分があったとしても避けるべきではないかと思われます。過去ログとして保管された訳ですから、それ自体を更に伸ばすのは過去ログの観点から逸脱しているように感じます。いずれにせよ履歴は残されている訳であり、執拗にページの所有者以外が過去ログページに編集を加えるのは、やや問題があるのではないでしょうか。

また、ふんにゃらにゃさんは呆庵入道さんからの対話に対して、一切を拒み続けているようにお見受けします。理由はおありかもしれませんが、結果、3RRに近い状況を作っていることは間違いなく、リソースの無駄遣いをしているのは疑いありません。少なくとも、ご自身の庭の上での対処の仕方には難があると思われます。ふんにゃらにゃさんのマイページノートであるのですから、事実上、その場の管理を担い、責任を負うのはふんにゃらにゃさんご自身であると理解されるべきでしょう。

ふんにゃらにゃさんは呆庵入道さんを荒らしと見なされているようですし、呆庵入道さんはふんにゃらにゃさんを対話を拒絶する者と見ておられる。相違ありませんね? もし呆庵入道さんを荒らしとお考えであり、たびたびしつこい書き込みを行う者であるとお思いであれば、管理者に対して荒らし報告を打診してみてはいかがでしょうか。呆庵入道さんも「Wikipediaのルールにのっとって事を運びます」と仰っておりますし、ふんにゃらにゃさんがこれを無視する理由も無いのではありませんでしょうか。また、呆庵入道さんもふんにゃらにゃさんを、対話をせず、方針文書の要熟読者であるとお思いであるならば、これもまた同様に管理者への打診も検討されてはいかがでしょう。

管理者の手を煩わせることになるのは余り宜しいこととは言えませんし、こうしたことを提案するのも出過ぎているとは思いますが、少なくともお2人のみで行っている事実上の編集合戦、そしてこれによって実質的には何の答えも出てこぬままにページが肥大化することは、リソース上宜しくなく、たとえ言い分はあれども、ウィキペディアを私物化していると言われても反論の余地無しは避けられないかもしれません。もしご自身に分有りとお思いならば、喧嘩両成敗に到るとは思われますまい。現に荒らし報告のページには、喧騒する両者が互いに申告し、分無しと見なされた者側のみがブロック対象となったケースもあります。自分に分有りと思われて、なお、管理者から指摘を受けるようであれば、それは他者から見て分無しと思われる行為であったのは間違い無く、ご両名においての相手とは異なる立場の見解を以ってしても自らに非があったと省みる時間を持たれるのではないでしょうか。また、そうすべきでもありましょう。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2006年12月28日 (木) 18:06 (UTC)[返信]

ブロック依頼について[編集]

後醍醐天皇#皇子の名の読みの件おつかれさまでした。編集合戦の頃に比べて見違える内容になりましたね。ところで、ご存じかと思いますが、Wikipedia:投稿ブロック依頼/呆庵入道が提出されています。もしご存じでなければ、今後の執筆の参考に目を通しておいて頂くと良いかと思います(現時点でブロックの流れにはなっていませんので、くれぐれも、該当ページで依頼者の方のコメントに反論なぞなされませんように)。また、ブロック依頼の審議が終わるまでは、議論になっている項目については、少し執筆を控えられた方が無難かとも存じます。--Snap55 2008年6月10日 (火) 15:05 (UTC)[返信]

後醍醐天皇#皇子の名の読みの件ではいろいろご迷惑をおかけして申し訳ありません。またご親切にさまざまなフォローをしていただきほんとうにありがとうございます。お礼が遅くなって申し訳ありませんでした。
ブロック依頼のこともわざわざのご教示ありがとうございます。もともと他の利用者の方のプロフィールや投稿履歴には関心のないたちで、まして現に議論している相手方のものは、先入観を持って議論に臨みたくないのであえて見ないようにしているもので、少しも気づきませんでした。私としては、電車に乗って携帯電話で大声で通話している人を注意するような感覚でおりましたものが、あのように逆恨みされているとは…。どうも脇が甘かったようです。今後の言動のご忠告までいただきかえって恐縮です。少し頭を冷やします。何から何までお世話になりお礼の言葉もありません。ほんとうにありがとうございます。--呆庵入道 2008年6月18日 (水) 13:33 (UTC)[返信]


コメント依頼について[編集]

こんにちは。わざわざご親切に通報していただいてありがとうございます。体を壊して、Wikipediaからもインターネットからもずっと遠ざかっていたもので、お礼とご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした。私は、相手に先入観をもって議論に臨みたくないので、特定のアカウントの投稿履歴をチェックする習慣がありません。教えていただかなければ最後まで何も気がつかないままだったでしょう。
それにしても、意見や立場を異にする相手に対して、理を尽くして説くでもなく、反証を示して論駁するでもなく、発言すること自体をやらせない、議論すること自体をやらせない、という選択肢が選ばれるというのは、まったく空恐ろしいです。しかも、それが、管理者の権力に媚びるとか、衆を恃んでリンチにかけるとかのやり方でなされるとあっては、言うべきことばがありません。
もっとも、“被告”本人には何も知らせず、最初から欠席裁判にするつもりで“法廷”を開かせ、自己に有利な“判決”を引き出してみたところで、ただ“検察官”が恥をかき面目を失うだけのことで、勝手に“被告”にされた方は痛くもかゆくもありません。くだんの“法廷”が“検察官”への非難が殺到して収拾のつかないありさまになったことがすべてを物語っています。
とはいえ、こうした恐喝まがいの言いがかりをつけられるについては、私の側に油断や隙があってのことでしょうから、その点は今後の反省材料にしたいと思います。さしあたっては、ノートで議論になったら、論争相手が私を“背後から一突き”にしようとしていないかどうか、投稿履歴を毎日チェックすることからでしょうか。悲しいことですが、百科事典編纂というウィキペディアンの本分に徹するためのコストとあきらめるしかありません。まあ、私も病みあがりでまだまだ本調子ではありません。当面は、Wikipedia全体の利益のために私にできることからひとつずつ、コツコツと、ゆるゆると取り組んでいこうと思っております。--呆庵入道 2009年7月6日 (月) 21:36 (UTC)[返信]

被依頼者に対する改善勧告[編集]

こんばんは。あなたに対するコメント依頼が停止してから一ヶ月が経ちましたので、コメント依頼はこれで終了とし、あなたに対し以下の改善勧告を行わせていただきます。

コメントを寄せて下さった方々の意見を踏まえ、

  • 議論においては冷静かつ公正に議論すること。
  • 他の編集者、特に自分と異なる意見の編集者の編集に対して無闇とリバートしないこと。
  • コメント欄での挑発行為を今後止めること。
  • リバートし再編集する時、感情的な言葉を用いて自説を強調しないこと。
  • 他の編集者の編集を偏向などと、また議論を打ち切った編集者を逃亡したなどと攻撃しないこと。
  • ノートページにおける議論において自説が採用されるまで議論を続けようとする姿勢を改め、議論の方向が決したならすみやかに議論をまとめることに協力すること。
  • 議論を提起したもののコミュニティの賛同が得られず参加者がなく議論が自動的に却下された案件については、再度の提案は控えること。

以上、あなたに対して勧告するものとします。以後は感情的な編集、論争は慎まれるようよろしく願いします。--アダモステ 2008年8月11日 (月) 16:42 (UTC)[返信]

三面六臂の活躍に加え使者のお役目までごくろうさまです。お話は謹んで承っておきます。--呆庵入道 2009年7月6日 (月) 21:36 (UTC)[返信]

小川宮について[編集]

はじめまして、こんにちは。小川宮の項への加筆・修正ありがとうございました。ご修正いただいた内容については、概ね妥当かと思いますが、一点だけ「元服を遂げないまま死去したため、諱は命名されていない。」という内容について、私の知識不足からか、そのような例を知らず、首肯いたしかねたため、ノートにてご質問させていただいております。補足いただければありがたいので、よろしくお願いいたします。--CalendrierChien 2009年9月22日 (火) 11:29 (UTC)[返信]

小川宮の再編集と大幅加筆ありがとうございました。議論の経過で不愉快なお気持ちにさせてしまっていたら、申し訳ありません。このたびのご協力ありがとうございました。--CalendrierChien 2009年10月10日 (土) 02:52 (UTC)[返信]

削除依頼4件[編集]

Wikipedia:削除依頼/暗君Wikipedia:削除依頼/名君Wikipedia:削除依頼/暴君Wikipedia:削除依頼/奸臣の削除依頼4件ですが、依頼の根拠が暗君に書かれたことで同一なら、暗君1件にまとめたほうが可読性がよいと思います。まとめた記載方法はWikipedia:削除依頼に書かれていますが、具体的には

  1. 対象ページの{{Sakujo/本体|2009年11月3日|名君}}の「名君」などを「暗君」に書き換える
  2. 暗君以外の依頼ページを白紙化し、{{即時削除|初版作成者による白紙化(削除依頼を[[Wikipedia:削除依頼/暗君]]に一本化)}}と書き加える
  3. Wikipedia:削除依頼/暗君に対象ページ4件を「*」を用いて箇条書き列挙し、「暗君」の削除依頼理由で結ぶ
  4. Wikipedia:削除依頼/ログ/2009年11月3日からWikipedia:削除依頼/暗君以外の3件を除去する

以上です。--218.110.170.81 2009年11月3日 (火) 03:52 (UTC) (1項追加 --218.110.170.81 2009年11月3日 (火) 03:54 (UTC)[返信]

ご親切なアドバイスをありがとうございます。まだまだいろいろ不慣れでどうも申し訳ありません。さっそくお勧めに従いました。--呆庵入道 2009年11月3日 (火) 12:23 (UTC)[返信]


リンクの修正について[編集]

曖昧回避へのリンク外し行為は不適切です。不適当な記事へのリンクを外すことは適切な行為ですが、曖昧回避へのリンクは適切記事へのリンク張りなおしが適切な編集です。単純にリンクを外すのは、曖昧回避リンク対応としてよろしいないです。--Los688 2009年11月4日 (水) 11:34 (UTC)[返信]

ご親切なご指摘をありがとうございます。さりながら、肝腎の「適切な記事」がそもそも存在しない場合はいかがいたしましょう?--呆庵入道 2009年11月4日 (水) 11:40 (UTC)[返信]
全く違う不適切なリンクならば、それは「不適切なリンク」の削除として編集してください。「曖昧回避」への対応ではありません。編集理由が異なります。あと、いくつかの編集は「[[傀儡政権|傀儡]]」で対応できるように見えましたが。--Los688 2009年11月4日 (水) 11:43 (UTC)[返信]
さっそくにお答えをちょうだいしましてありがとうございます。自分では「傀儡」が人物を指している場合はリンクをはずすのみ(記事が Wiktionary にしかないため)とし、組織・国家を指している場合は「[[傀儡政権]]」にリンクし直す(人物を「政権」と呼ぶわけにはいかないため)という方針で編集していたつもりなのですが、漏れや判断ミスがあったかもしれません。今後はよく注意いたします。--呆庵入道 2009年11月4日 (水) 12:07 (UTC)[返信]


ノート:斎藤一について[編集]

太政大臣などでの編集について[編集]

太政大臣両統迭立でのあなたの編集行動についてご注意申し上げます。あなたが編集合戦を行われたため保護された記事について、保護が解除されるや否や同様の編集をされるのはどのようなお考えなのでしょうk。誰のせいで保護されたのかをまずお考え下さい。それでも言葉尻の修正にこだわるならまず議論を提起してください。現状のあなたの行動は、改善勧告に違反した行動ととられても仕方がないのではないでしょうか。--彩華1226 2011年4月12日 (火) 14:58 (UTC)[返信]

私はあなたに議論の提起を提案申し上げたはずです。ノート:両統迭立における「一方的な主張」が議論の提起だとおっしゃるならそう善意に取るしかありませんので、対論を行わせていただきます。さて、「崩御」が尊敬語にあてはまるのかについては過去に井戸端で議論が行われており、次のような意見がありました。以下に引用します。

  • 普通の百科事典では「崩御」という言葉は使いますよね
  • 敬称に準じるが、敬語の範疇には必ずしも入らない動詞の類の使用は、議論の余地がある(中略)敬意の表現というよりも地位の表現ですが、敬意の表現という要素がないとはいえない。(中略)その地位に議論の余地にある場合をのぞき、私は許容範囲だと思います。

この議論では、「崩御」が許容されないとの意見は出ていません。方針では「文章は敬語を使わない」「敬称は原則として使用しません」と明記されていますが、敬意を含んだ名詞の使用が明確に否定されていません。そのことも以上の議論の根拠となっています。

そもそも、辞書が「天皇が死ぬことを崩御という」と定義してあるのであれば、天皇が死ぬことを「崩御」と書いて何の問題があるのでしょうか。Wikipediaの編集において現状のところ「崩御」が許容されている一番の理由はそこにあると思います。

少なくとも現在、ことさら「崩御」を問題視して除去しているのはあなただけですが、あなた以外の編集行動について「議論の余地はない」「ナンセンスであり、論外」などというのであれば広く意見を募ればいいのではないですか。広く意見を募り、議論を行うこともなく他者を攻撃するだけであれば、論点は当該記事の保護依頼の是非、用語の使用の是非ではなくあなたの編集行動そのものになるのではないでしょうか。--彩華1226 2011年4月15日 (金) 07:18 (UTC)[返信]

私への投稿ブロックの扱いについて[編集]

方針によりブロックされたこの利用者 (ブロック記録 | 現在有効なブロック | 自動ブロック | ブロック解除 | 投稿記録 | 削除された投稿 | 不正利用記録) はブロックの解除を依頼しましたが、管理者がブロックを再検討し、依頼を却下しました。他の管理者がこのブロックを更に再検討することは可能ですが、充分な理由がない限り、この決定を覆すべきではありません(投稿ブロックの方針参照のこと)。ブロックが継続している間は、このブロック解除依頼を除去しないでください。

ブロック解除依頼の理由: 「このたびは管理者にお手数をおかけてしましたことをお詫びいたします。特定の一利用者から逆恨みにより多年にわたりつきまといと編集妨害の被害を受けていること、また感情的な激しいことばで当方の意見を頭ごなしに全面的に非難・否定されたことで頭に血がのぼり、善意の第三者からは「暴言」「議論の拒否」とみなされかねない発言に走ったことは大いに反省しております。そこは、Wikipediaが何よりもまず議論をすべき場であるということを踏まえ、怒りはぐっと呑み込み、嫌がらせや罵倒は黙殺して、穏当な議論に相手を引き込む努力をすべきでした。また「いかなる語彙であれ、尊敬語である以上はNPOVに違反するのは当然ではないか」という強い先入観がそれを妨げる結果となってしまいました。

なお、通常の投稿ブロック手続きではなく、即時投稿ブロックが行われた理由については明確な説明をいただいていないのですが、本件解除依頼の審議にともない明示されるものと期待しております。この点が明示されれば再発防止のためその理由を肝に銘じさらなる反省材料とすることができるものと思います。

「それはおまえの主観だ」と言われてしまうかもしれませんが、自分では「議論の拒否」をするつもりは毛頭ないことは繰り返し弁明いたします。ことにこのたびの論点は「Wikipedia:ガイドブック 編集方針#記事の体裁」がWP:NPOVを前提としているかどうか、というWikipediaにおける記事編集の根幹にかかわる可能性のあるものですので、当方としてはむしろ「議論をしたくてたまらない」という気持ちであります。その点は、ただ「信用してください」としか申しあげられませんが、私の投稿記録を一瞥していただければ、ノートにおける発言・議論も多々積み重ねてきておりますので、決して我意を通すことを以てWikipediaにおける記事編集の基本的な態度として編集に臨んでいるのではないとご理解いただけるものと思います。投稿ブロック期間の短縮についてなにぶんよろしくご検討ください。よろしくお願いいたします。--呆庵入道 2011年4月22日 (金) 18:56 (UTC)[返信]


却下の理由: Wikipedia:投稿ブロック依頼/呆庵入道_追認による無期限ブロックのため。 Vigorous actionTalk/History2011年5月17日 (火) 07:41 (UTC)[返信]
ブロック解除の依頼を再度行いたい場合には、投稿ブロック解除依頼作成の手引きをまずお読みになり、もう一度 {{unblock}} テンプレートを使用してください。なお、これらのテンプレートの乱用があった場合は、あなたの会話ページの保護や、会話ページへのブロックを実施する場合もありますのでご注意ください。
なるほど。利用者:トホホ川会話 / 投稿記録 / 記録さん、利用者:Suttokodokkoi会話 / 投稿記録 / 記録に対して「嫌悪感を覚えます」(ノート:両統迭立)「無責任の極み」「言い逃れ」[1]などと暴言を吐いたのは私のせいですか。謝罪よりも言い訳を先に言っている時点で“大いに反省しております”“「議論の拒否」をするつもりは毛頭ない”などのお言葉が空々しく聞こえます。
あなたは明仁で2009年に崩御を死去と書き変える編集を行って差し戻されているはずです。また2008年にはコメント依頼に基づく改善勧告が行われています。つまり、3年たっても何ら行動の改善が見られないということです。トホホ川さんがおっしゃるとおり“今後も同様の姿勢で編集を続けていれば、おそらく他の利用者とも紛争を起こすことは必然であろうことは容易に予想できます”[2]。--彩華1226 2011年4月23日 (土) 05:07 (UTC)[返信]
そうです。あなたのせいです。よくおわかりじゃないですか。わかっているならやめてもらえますか。あなたが「暗君」の件をいつまでもいつまでも逆恨みしつづけてねちねちねちねち嫌がらせをしてくるので私もほとほと疲れましたよ。3年前の改善勧告もよく読めば今回同様に特定個人が私的な恨みを晴らすために仕組んだことだとおわかりになると思います。それでいながら自力では解決できずに管理者に泣きついているところも共通しています。そういう個人的感情から自由になってこその「中立的な観点」だと思うのですが、人の心はままならぬものです。--呆庵入道 2011年4月23日 (土) 11:57 (UTC)[返信]
Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#OPINION および Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありませんをお読みください。「『それはおまえの主観だ』と言われてしまうかもしれませんが、自分では『議論の拒否』をするつもりは毛頭ないことは繰り返し弁明いたします。」というのはここの方針に反する表れではないでしょうか?それと暴言または嫌がらせという理由でブロックされたにもかかわらず、他人のせいにして暴言を繰り返していますが、あなたは全く反省する気がないのでしょうか?あと感情的に発言するのはやめたほうがいいですね。--114.165.183.184 2011年4月24日 (日) 06:24 (UTC)[返信]
Wikipediaをもっぱら私的な報復と憂さ晴らしに使って恬として恥じない彩華1226さんこそWP:NOTを玩味するべきではありませんか。--呆庵入道 2011年4月24日 (日) 10:04 (UTC)[返信]
114.165.183.184と同一人物です。さっき、あなたについて指摘しているのですが、なぜ他の利用者の名前が出てくるのでしょうか?それ以前に、なぜ私の質問に答えないのでしょうか?--114.146.36.134 2011年4月24日 (日) 10:25 (UTC)[返信]
反省していることはすでに申しあげております。ただ、そもそもの原因をつくった彩華1226さんから居丈高に「反省しろ」と言われる筋合いはない、ということです。彼の逆恨みとつきまといと嫌がらせがやめば、おのずと私の暴言とやらもやむでしょう。--呆庵入道 2011年4月24日 (日) 11:17 (UTC)[返信]
いや、そういうことではないんです。まず、あなたが何のためにブロックされたのか考えてないように思うんですね。他者が誰であろうと暴言を吐いてはいけない、それに反したからブロックされたはずです。「反省していることはすでに申しあげております」と言ってますが、あなたの発言から反省しているようにはみえません。
最初に書いたことには全く触れていないようですが。ノート:両統迭立で独自解釈という指摘をされたはずです。そういう独自研究や解釈を議論および記事に反映させるべきではないでしょう。--114.146.36.134 2011年4月24日 (日) 12:23 (UTC)[返信]

「あなたはストーカー加害者です。私は被害者です。これ以上の加害を重ねるのはやめていただきたい」と訴えるのが「暴言」ですか。Wikipediaの権力構造というのは、結局のところ職場でのセクハラ・パワハラと同じで「やった者勝ち」なんでしょうか。彩華1226さんの一連の暴力についてはなんの制約もないわけですか。私は泣き寝入りするのは嫌ですが、管理者に泣きついてなんとかしてもらおうというやり方を潔しとしないので、それで彼は無事に済んでいるというだけです。また、いまも彩華1226さんはこの問題をあなたに丸投げして自分の加害責任と説明責任から逃げているわけですがそれでもいいのですか。

なお「独自解釈」かどうかについては「これから議論すべきこと」としてトホホ川さんがそのように主張されているものです。「独自解釈」であることがコミュニティの合意として確定したわけではありません。私もこれから議論しようとする気満々だった矢先に彩華1226さんの讒言によって投稿ブロックされたことは非常に残念に思っています。まあ時間はたっぷりありますので解除されるまで待っても一向にかまいません。

とにかく、私としては「暴言」を吐いて管理者の手をわずらわせることになったことについてはすでに申しあげているとおり深く反省しております。ただそれは彩華1226さんへの謝罪や屈服ではありません。彩華1226さんのいつまでもいつまでも続く逆恨みとねちねちねちねちと繰り返されるつきまといと人格攻撃に終始する嫌がらせについてはこれからも抗議の声をあげてゆきます。泣き寝入りする理由はありません。--呆庵入道 2011年4月24日 (日) 16:18 (UTC)[返信]

ひとつずつ答えていこうと思いますが、まず間違いなく上記の訴えは暴言の趣旨はそこではなく、感情的に発言してコミュニティを疲弊させていることではないでしょうか。「感情的に発言するのはやめたほうがいい」と前に書きましたよね。
確かに「独自解釈」であることがコミュニティの合意として確定したわけではありませんが、ノートページでは、あなたは何の根拠を示さず腕ずくで解決しようとする態度で議論に臨んでいたように思えます。そしてブロックされる前に暴言を吐いた。こういう方には議論に参加すべきではないんですね。
他の利用者について発言したつもりはないのですが、あなたは私の発言がまだ理解できていないようです。ブロックされているのですから、少なからずあなたには問題があるということです。私はあなたについてのみ発言したのですが、あなたは何度も私の発言に関係のない他の利用者について主張するので、要約にクールダウンしてくださいとも書きました。しかし最終的には他人のことしか発言していません。これではお話になりません。自分の行動に関して省みないのであれば、またブロックされることでしょう。
今後他の利用者について主張なさるのであれば、これ以上相手にはしません。嫌がらせ等の関係はご自身で解決してください。--114.146.36.134 2011年4月26日 (火) 06:50 (UTC)[返信]
失礼しました。要約欄の「クールダウンしてください」というのは見落としていました。確かに私はクールダウンすべきです。なにぶん数年にわたってつきまといと嫌がらせを受け続けているうえに讒言されて弁明の機会も与えられずに投稿ブロックされた、というので逆上していました。
ただ、自分では「なんの根拠も示さなかった」「腕ずくで解決しようとした」「暴言を吐いた」というのがいまだにピンと来ないままです。Wikipediaの記事では「崩御」等の敬語を使ってはならない理由は、Wikipediaの公式文書に基づいて主張しております。「腕ずくで」と言われましても、たとえばろくな反論もせずにいきなり管理者の介入を要請するような強権的手法は採っていません。あくまで反論を待つという姿勢で述べたつもりです。「暴言」というのは、多少心当たりがあります。私は一連の発言を彩華1226さんとの私的な紛争と取り違えていたかもしれません。私的な紛争になぜ無関係の第三者が、しかも一方の当事者の肩を持つかたちで容喙してくるのか、ということで感情を爆発させてしまったと思います。ここは現時点での反省点です。ただ、私が第三者の立場なら、あのような紛争に不用意に介入して自分も巻き込まれるような軽率な真似はしないものを、との思いはあります。
いずれにせよ投稿ブロックが解除されるまでは時間があります。その間にゆっくりクールダウンしてゆくことにします。足りないところがあればご指摘ください。「具体的にどこがどういけなかったのだろう」という点についてはまだわからないところ、納得のいかないところが多々あります。--呆庵入道 2011年4月26日 (火) 11:57 (UTC)[返信]
なんかいきなり割り込んできてすぐ消されてしまった変な人がいたみたいですが「呆庵入道の発言のここがこういう理由で暴言なんですよ」と具体的に指摘してもらえると助かります。自分ではわからないので。少なくともトホホ川さんやSuttokodokkoiさんのそれが暴言でなくて、自分のそれが暴言だというのがなぜなのか全然理解できないので。彩華1226さんがブロック依頼を出したか出さなかったかの違いくらいしかいまのところわからないので。--呆庵入道 2011年4月26日 (火) 17:37 (UTC)[返信]

あの、すみませんが。わたしはともかく、トホホ川さんやSuttokodokkoiさんがどこでどう暴言を吐いているのですか? ノート:両統迭立においても利用者‐会話:Suttokodokkoiにおいてもあなたへの忠告やなだめすかしや注意など善意での発言こそあれ「暴言」などどこにも見当たりません。また、あなたは「弁明」という形を借りてただひたすらにわたしへの恨み言を述べていらっしゃるようです。そもそも、コメント依頼に基づく改善勧告で「他の編集者、特に自分と異なる意見の編集者の編集に対して無闇とリバートしないこと」「他の編集者の編集を偏向などと、また議論を打ち切った編集者を逃亡したなどと攻撃しないこと」「議論を提起したもののコミュニティの賛同が得られず参加者がなく議論が自動的に却下された案件については、再度の提案は控えること」と勧告を受け、「お話は謹んで承っておきます」と返答されていますよね。崩御を死去と書き変えるあなたの編集は2009年の末に明仁で差し戻しをされています。にも関わらず今回の編集合戦です。改善勧告が何の意味も持たなかったことをご自身が証明していらっしゃいますよね。まあ今回は「提案」すら行おうとなさらなかったわけですが。いくら善意にとるべきとはいえ、あなたの「弁明」から感じ取れるのは、反省も口だけ、むしろ反省してるふりをすることすら自分のプライドに反するという心情です。わたしがやらなくても誰かがブロックの追認ないしは延長の提案を行うかもしれません。提案が行われずにブロックが解除されたとしても、いずれ同じ展開を見ることは火を見るより明らかなのではないでしょうか。--彩華1226 2011年4月27日 (水) 11:14 (UTC)[返信]

「改善勧告」に対する私の態度は次のとおり明示しております。

こんにちは。わざわざご親切に通報していただいてありがとうございます。体を壊して、Wikipediaからもインターネットからもずっと遠ざかっていたもので、お礼とご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした。私は、相手に先入観をもって議論に臨みたくないので、特定のアカウントの投稿履歴をチェックする習慣がありません。教えていただかなければ最後まで何も気がつかないままだったでしょう。 それにしても、意見や立場を異にする相手に対して、理を尽くして説くでもなく、反証を示して論駁するでもなく、発言すること自体をやらせない、議論すること自体をやらせない、という選択肢が選ばれるというのは、まったく空恐ろしいです。しかも、それが、管理者の権力に媚びるとか、衆を恃んでリンチにかけるとかのやり方でなされるとあっては、言うべきことばがありません。 もっとも、“被告”本人には何も知らせず、最初から欠席裁判にするつもりで“法廷”を開かせ、自己に有利な“判決”を引き出してみたところで、ただ“検察官”が恥をかき面目を失うだけのことで、勝手に“被告”にされた方は痛くもかゆくもありません。くだんの“法廷”が“検察官”への非難が殺到して収拾のつかないありさまになったことがすべてを物語っています。

とはいえ、こうした恐喝まがいの言いがかりをつけられるについては、私の側に油断や隙があってのことでしょうから、その点は今後の反省材料にしたいと思います。さしあたっては、ノートで議論になったら、論争相手が私を“背後から一突き”にしようとしていないかどうか、投稿履歴を毎日チェックすることからでしょうか。悲しいことですが、百科事典編纂というウィキペディアンの本分に徹するためのコストとあきらめるしかありません。まあ、私も病みあがりでまだまだ本調子ではありません。当面は、Wikipedia全体の利益のために私にできることからひとつずつ、コツコツと、ゆるゆると取り組んでいこうと思っております。。--呆庵入道 2009年7月6日 (月) 21:36 (UTC)
これはいまも一貫して変わっていません。「お話は承っておきます。」というのは通常の日本語の会話では承諾の意味には解さないと思います。「あなたのおっしゃることはわかりましたが、私の立場は違います。」という意味のことばではないですか?
「恣意的拡大解釈」「記事破壊行為」「飛躍的な独自解釈」「言葉狩り」「方針文書の曲解・プロジェクト精神に反する行為」等々の文言は感情的な非難すなわち暴言ではないでしょうか。また人が真剣な議論をしたいと望んでいるときに「なだめすかし」という態度に出ることは嘲弄であり韜晦であり一種の侮辱でなくてなんでしょうか。
私は議論がしたいのですよ。NPOVというWikipediaの憲法とでもいうべき規範について議論がしたいのです。「陛下」「殿下」という敬称は禁じられて「崩御」「薨去」という尊敬語は許容されるその矛盾について議論がしたいのです。なぜそれがよってたかって抑圧され嘲弄されるのでしょうか?「寝た子を起こすな」とでもいうのでしょうか?--呆庵入道 2011年4月29日 (金) 16:41 (UTC)[返信]
「崩御」「薨去」という尊敬語許容の是非についてはブロック解除後に議論提起いただければよいと思いますが、ブロック解除まで時間もありますので、他の百科事典でどのように記載されているか調査されてはいかがでしょうか。当件は中立的な観点ではなく、検証可能性の問題と認識しています。あと、余計なお世話かもしれませんが彩華1226さんに対する批判はやめたほうがご自身のためと思いますよ。--Snap55 2011年5月1日 (日) 17:55 (UTC)[返信]
彩華1226への抗議について、言えば言うほど当方に不利になることは認識しております。彼が「自分のしていることは呆庵入道の言うとおりつきまといと嫌がらせだ」と認めなければ埒があかないですからね。ただここまで暴力をふるわれて黙って泣き寝入りするのではつけあがらせるだけので仕方なく続けております。
言うなればアダモステとか彩華1226とかは強姦魔です。強姦をしておいて「あの女はふしだらな女だから強姦されて当然だ、だから自分は悪くない」と居直る強姦魔です。私はセカンドレイプを受けているようなものです。私が彼らの執拗な嫌がらせと編集妨害に囂々の抗議すれば「ホラ見ろ呆庵入道はああいう不届きな奴だから他人から何をされても文句は言えないはずだ」と囃すでしょう。だからと言ってただ泣き寝入りする理由もないので声はあげ続けます。仲裁機関の存在しない日本語版Wikipediaでは自助努力以外に身を守る方法がありません。
本件が「検証可能性」の問題だというのは、申し訳ありません、いまひとつよく飲み込めませんでした。「崩御」が尊敬語であることが検証可能かどうか、ということでしょうか。また他の百科事典でWikipediaのように「中立性の観点」を三本柱のひとつに据えているものは見あたらないので、他の百科事典との比較がどれほどの意味を持つのかという疑問もあります。「中立性の観点」はここを曖昧にしてしまったらWikipediaがWikipediaではなくなってしまうというほどの重大問題なので、よそで「中立性の観点」を軽視しているからWikipediaでも軽視してかまわないということにはならないかと思います。
ちなみに、日本史学の最高到達点とも言える「国史大事典」では、天皇の死を表現することばを「崩」とするか「死」とするかは各執筆者の裁量に任されていて統一基準はないようです。--呆庵入道 2011年5月3日 (火) 20:42 (UTC)[返信]
理由の如何を問わず特定ユーザーに対して「強姦魔です」と断定されたことを強く批判致します。今後は絶対におやめください。呆庵入道さんにも言い分はあるのでしょうが、まともに会話をしようとしている当方へ多大な迷惑がかかっていることに思い至っていただきたく存じます。あと、本題に関して2点。
  • 現状のWikipediaコミュニティにおいては、天皇などの死亡を意味する日本語表現は「」が一般的である、として概ね合意ができている状態と思われます。極端な言い方をすれば「崩」を利用するほうがより「中立的」な表現ということなのかもしれません。従って、呆庵入道さんの思われる内容に変更するとすれば、「」を用いることが一般的である、ことを証明する必要があると認識しており、それを「検証可能性の問題」と表現いたしました。「死」の方が「平等」な表現ではあるでしょうが、それが本当に「中立」かどうかはよくお考えいただければと思います。
  • 「各執筆者の裁量に任されていて統一基準はないようです」という調査結果は非常に興味深い示唆で、国史学研究者(=『国史大辞典』の執筆者)間でも表現の揺らぎがある文言(おそらくどちらも正しい)を、不特定多数が執筆可能なWikipedia上でどのように表現していくべきかというのは、なかなか解決困難な問題と考えられます。
--Snap55 2011年5月5日 (木) 02:31 (UTC)[返信]

私としては当方が被害者であり彼らが加害者であることを一生懸命に訴えているのに、ただ「呆庵入道は言葉遣いが悪いからけしからん」と片づけられることに非常なとまどいと憤りを感じています。なぜ彼らのつきまといと嫌がらせ、編集妨害行為・記事破壊行為がそのように安易に免罪され、私が泣き寝入りを強要されるのか知りたく思います。

Wikipedia日本語版において、君主の死亡を「崩」と表現することが一般的である、という合意がすでに形成されているとしたら、それは多数派が数の力で無理を通して道理を引っ込めさせたものだと思います。「崩」が尊敬語であることは信頼できる情報源があってすでに動かないからです。「陛下」の敬称がNGで「崩御」の敬語はOKだというのは公式な方針の自家撞着であり法の網をくぐるものです。それを黙殺してただ多数意見を尊重するのはNPOVを枉げるものでありWP:NOTにも違背するものだと考えます。私としてはその旨警告はしましたので、荒野の預言者の主張として切り捨てられるのはある意味覚悟の上です。--呆庵入道 2011年5月6日 (金) 18:09 (UTC)[返信]

「当方が被害者であり彼らが加害者であることを一生懸命に訴え」るのであれば、何を「つきまといと嫌がらせ、編集妨害行為・記事破壊行為」と考えるのか具体的にお示し下さい。それができない限り、自分のポリシーに反する内容に書き換えられてしまうことを「被害」と騒ぎ立てているだけ、とみなされるだけでしょう。だいたい、呆庵入道さんは天皇の死に対して「崩御」という表現を否定されるほどの平等主義者とお見受け致しますので、基本的人権の大切さも十分ご理解されているはずです。そのような方が具体的な理由も示さず、特定ユーザに対する名誉毀損にも繋がりかねない個人攻撃を継続されるのは全く理解できません。
なお、繰り返しになりますが、「崩御」は「平等」な表現ではありませんが、「中立的な観点」に反するかどうか(さらには表現として禁止すべきかどうか)は議論が必要と考えます。少なくとも十分な議論もない現状で、「死」に一方的に寄せてしまうのは決して「中立」とは思えません。以下を踏まえて、何が「中立」なのかよくお考えいただければと存じます。
  • 日本語敬語表現が豊富であることが大きな特徴の一つであること。
  • 極端な考え方かもしれないが、「天皇などの死を「死亡」と表現する人は日本語の知識が乏しい人、あるいは、ウィキペディアという場を利用して伝統的な日本語表現に対する言葉狩りを推進しようとしている人だ」という考え方もあること。
--Snap55 2011年5月7日 (土) 02:23 (UTC)[返信]
被害者の側が加害者の加害行為を立証するように求められる、という転倒した構図こそセカンドレイプだと申し上げたのです。本来なら被害者の抗議に対して加害者が自らの潔白を証明するのが当然です。私からの抗議に対して彩華1226さんが一言の反駁もできずに押し黙っているのはひとつの傍証だと思います。最初のきっかけは「暗君」の記事をめぐって私が彼の意志に反して削除依頼を提出したことについて自らの監督不行届であった旨の見当違いの発言をされたことです。その後も彩華1226さんは自らを呆庵入道の保護者・監督者であるかのように強権的にふるまい、自分の構想する枠組みに私を押し込めるべく努力を続けています。「準皇族」の削除依頼、「蝦夷征討」のノート、「酋長」のノート、「豊臣秀頼」の記事における秀頼の遺伝上の父親に関するゴシップ記事の取り扱いなどです。本人から弁明がないので網羅することは困難ですが、本件においてもノートで議論の場を設けるのではなくいきなり保護依頼に走ったことは、彩華1226さんの偏頗な姿勢をよく表現していると思います。この間の彩華1226さんの私に対する批判は一貫して「呆庵入道は態度が悪いからよろしくない」という議論の内容そのものには踏み込まない不毛なものです。
私は別段自分のことを平等主義者だなどとは毛頭思っておりません。本件は単にNPOVの問題ですから、平等がどうのこうのという問題ではありません。他国語版に比較して日本語の敬語表現が豊富であることはこの際関係ありません。英語版だろうとアラビア語版だろうとWikipediaはWikipediaなのであって、日本語版だから特別扱いが許されるという理由はないはずです。
「言葉狩り」ということはトホホ川さんも言われましたが、ご自分でもおっしゃっているとおりあまりにも極端な見解だと思います。見方を変えれば、Wikipediaという場で「死亡」「死去」に代えて「崩御」「薨去」などの敬語の使用を強行しようとすることはまさに不敬罪の復活であり「言葉狩り」以外の何物でもありません。また対立する見解に対して政治的なレッテルを貼ることはフェアな議論とは思えません。
賛否両論がある以上、ご指摘のとおり中立的な観点に反するかどうかの議論は是非とも必要だと思いますが、今般の保護依頼と投稿ブロック依頼とはその議論さえ行わせないという結果をもたらしたということは銘記しておきます。--呆庵入道 2011年5月8日 (日) 19:33 (UTC)[返信]
>「準皇族」の削除依頼、「蝦夷征討」のノート、「酋長」のノート、「豊臣秀頼」の記事における秀頼の遺伝上の父親に関するゴシップ記事の取り扱い
当該ノートページへの直接のリンクを貼らないのは「ずっといやがらせを受け続けている」「あなたには羞恥心というものはないのですか」「あなたは暴力団員に過ぎません」「私に対する腹いせ」「きわめて卑劣で姑息」「目的のためには何をするかわからないヤクザ者」「逆恨みで目のくらんだ人」などといった私や他のユーザーの方への暴言が書いてあるからですか?--彩華1226 2011年5月9日 (月) 11:16 (UTC)[返信]
呆庵入道さんが列挙されたページを読みましたが、呆庵入道さんが「被害者」であることを理解できませんでした。この状況では、他ユーザに呆庵入道さんが「被害者」であることを認めてもらうことは困難でしょう。よりはっきりした証拠を示していただくのでもよいですが、どうせ、あと1週間ほどですし裁量ブロック明けまで静かにされている方が遙かに有利と思います。1週間なんて議論のネタ収集をしていればすぐじゃないですか。
呆庵入道さんだって、Wikipediaをよりよい百科事典にすることを目的に活動されていると思いますので、彩華1226さんの批判ネタを探すような非建設的なことに労力を使うのは止めて、Wikipediaの内容を充実させるための議論の準備をしませんか。--Snap55 2011年5月9日 (月) 14:57 (UTC)[返信]

まず彩華1226さんにお答えします。よくもまあ卑劣なネットストーカーの分際でそのような悪意に満ちた中傷ができたものです。記事本文のページにリンクを張っておけば自然とノートページも読めるだろうと考えたから些末な節単位のリンクまでは張らなかったまでのことです。「ずっといやがらせを受け続けている」「あなたには羞恥心というものはないのですか」「あなたは暴力団員に過ぎません」「私に対する腹いせ」「きわめて卑劣で姑息」「目的のためには何をするかわからないヤクザ者」「逆恨みで目のくらんだ人」云々というのは端的に事実を指摘したまでであって暴言でもなんでもありません。不足であればもういちど指摘してさしあげてもよろしいですが、どうなさいますか?私に反省するところがあるとすれば、あなたに私と同様の良心や羞恥心があると誤認したことと、あなたの挑発に乗って感情的なことばを吐いて無実の罪で告訴され冤罪により処罰されたことくらいです。結局のところ、私の「ずっといやがらせを続けている」云々の指摘に対してあなたは反論することばを持たないのでしょう。持てるはずがありません。実際にあなたは卑劣なネットストーカーでしかないのですから。

次にSnap55さんにお答えします。ご親切は身に沁みますが、それは泣き寝入りというものです。今度の件で、Wikipediaという場所はコミュニティも管理者も誰も守ってくれない、自分の身は自分で守るしかない無法地帯だと思い知りました。今後も彩華1226は私に対して執拗で陰湿ないやがらせを繰り返すでしょう。そうなったら私はまた囂々の抗議をします。自分の身は自分で守るしかありませんからね。彩華1226にしても私の編集行為のすべてに対してもれなく編集妨害・記事破壊をしかけてくるわけではないので、いやがらせをかいくぐって細々と編集に携わることになるでしょう。実に哀れなものです。「暗君」の削除依頼の件で恐るべきネットストーカーの機嫌をそこねたばかりにこのありさまです。私も微力ながらWikipedia日本語版の記事の充実に貢献できればそれはそれで嬉しいことですが、こうもくだらないゲスな妨害行為に不断に悩まされるとなるとおのずと熱意も薄れます。こんな状態でいつまで根気が続くかは私にもわかりません。それにしても、ブラック企業では職場のセクハラ・パワハラがこのようにしてもみ消されるのだなとよくわかりました。加害者のなした加害行為は不問に付され、被害者の抗議の態様がよろしくないとしてそちらばかりが問題とされる。実に偏頗な話です。--呆庵入道 2011年5月10日 (火) 15:23 (UTC)[返信]

「Wikipediaという場所はコミュニティも管理者も誰も守ってくれない、自分の身は自分で守るしかない無法地帯」と仰いますが、それは当然のことです。自分の身を守るためには自らの努力で他ユーザと協調を図っていくほかはなく、他ユーザを攻撃したり、ましてや管理者に保護されることで実現されるはずがありません。確かに一部のユーザでは他ユーザを巧妙に攻撃しつつ自らの身を守っているように見えるようなケースも無くはないですが、正直言って呆庵入道さんにはムリです(私もムリですが)。それと、他ユーザに対する不毛な批判(恐らくコミュニティの賛同を得られないでしょう)はやめて、Wikipediaの内容充実のための議論の準備をして頂きたいという当方の提案は拒絶されたとの理解でよいでしょうか。--Snap55 2011年5月10日 (火) 16:12 (UTC)[返信]
いいえ、お勧めに従って投稿ブロックが解除されたあとのことはそれなりに考えております。アドバイスをいただきありがとうございます。ああいう人間のクズに調子を合わせてこちらが一生懸命クズの真似をしても追いつくものではありませんからね。愚痴まで聞いていただき申し訳ありませんでした。--呆庵入道 2011年5月14日 (土) 12:02 (UTC)[返信]
あいかわらず「暴言」を用いた個人攻撃を続けられているようですが、当方の提案には「他ユーザに対する不毛な批判」もやめる事も含めておりますが、そちらは拒絶されるというとでしょうか。ブロックの見直しの中で「善意の第三者からは「暴言」「議論の拒否」とみなされかねない発言に走ったことは大いに反省しております。」と仰ったことについては、現時点ではどのようにお考えなのでしょうか。--Snap55 2011年5月14日 (土) 18:33 (UTC)[返信]
たとえばSnap55さんは「善意の第三者」であり、彩華1226さんは「悪意ある紛争当事者」であると認識しております。彩華1226さんからの私への暴言がやまないのには閉口しておりますが、Snap55さんのように事を分けて親切にアドバイスをくださることには深く感謝しております。--呆庵入道 2011年5月14日 (土) 20:57 (UTC)[返信]
正直に言いますと、私は彩華1226さんが怖いのだと思います。薄気味が悪いのです。彼は私の行く先々になんの前触れもなく現れます。投稿履歴を見る限り、彼と私の関心領域はそれほど重なり合っていないにもかかわらず、きわめて頻繁に現れては、さして説得力のない理由を挙げて私の編集を論難し、明確な根拠も示さずにリバートします。ときには今回のように管理者に讒言したりコミュニティに訴えて私刑を行おうとします。私にはその意図するところがまったくわかりません。私をコミュニティから排除しようとしているのかもしれませんし、私の言動を矯正しようとしているのかもしれません。その意図についてはこれまでたびたび質問もしこちらの仮説も提示しましたが、返答はありません。逆恨みか、つきまといか、いやがらせか、と迫っても、彼はYesともNoとも言いません。とにかくまともな返事をしたことがありません。ただひたひたと私の後ろについてまわりリバートをするだけです。とにかく薄気味が悪く、そしていらだたしいのです。その意図がまったく理解できないからです。
今回の件でもっと薄気味が悪いのは、それにもかかわらず彼の肩を持つ人々が次々に現れるということです。彩華1226さんが何を考えているのかわからない以上に、そういう人々の考えていることもわかりません。よかれと思ってのことなのかそうでないのかもわかりません。どういう点でみなさんが共通認識を持って行動しているのか、具体的に何を私に要求しているのか、とにかく私の理解を超えたところで事態がどんどん動いていきます。ひたすら薄気味悪いです。--呆庵入道 2011年5月14日 (土) 22:22 (UTC)[返信]

それで結局、彩華1226さんは自らの行為が逆恨みでありつきまといであり嫌がらせであることを認めていただいたのでしょうか。今後は反省して2度としないと誓約していただけるのでしょうか。沈黙は同意とみなされてもしかたがないと思います。彩華1226さんの一連の加害行為がやめば、私の「暴言」も自ずから停止され2度と起きることはないでしょう。--呆庵入道 2011年4月24日 (日) 16:50 (UTC)[返信]
「都合が悪くなると黙る」「あとになって『同意した覚えはない』と言ってノートの合意を平然と覆す」というのは「豊臣秀頼」でも見せてくれた彩華1226さんの常套手段ですから、今度の沈黙も同様ということでよろしいですか。彩華1226さんに加害者の自覚がなくてもつきまといと嫌がらせの加害行為は成立するのでその点からの言い逃れもできないことはご承知置きください。セクハラ加害者にセクハラ加害の自覚がなくても被害事実があればセクハラは成立するのと同様です。--呆庵入道 2011年4月25日 (月) 17:01 (UTC)加筆--呆庵入道 2011年4月25日 (月) 17:04 (UTC)[返信]

個人攻撃はやめてください。個人攻撃はやめてください。これ以上続ければ、ウィキペディアの編集ができなくなる投稿ブロックの対象となります。ご注意ください。--彩華1226 2011年4月27日 (水) 11:17 (UTC)[返信]

つまり、いつまでもいつまでも逆恨みを続け、ねちねちねちねちとつきまといと嫌がらせをやめるご意志はないということですか?私の何がそれほどまでに憎いのですか?私が何をしたとおっしゃるのですか?「暗君」の削除依頼であなたの意のごとく行動しなかったことですか?「豊臣秀頼」の編集であなたの意向に反する結果を導いたことですか?私の言が個人攻撃だというならたった一言「私はそんなことはしていない、私は何々をしているだけだ」と言えばいいものをそれを言わないのはなぜですか?--呆庵入道 2011年4月29日 (金) 16:41 (UTC)[返信]
(追記)他者に何かを要求するのならば自らもそれを実践すべきだと思うので念のため付け加えておきます。「私は個人攻撃をしているのではありません。彩華1226さんの正当な理由のない編集妨害行為に対して抗議をしているのです。それだけです。」--呆庵入道 2011年4月29日 (金) 17:16 (UTC)[返信]
彩華1226さんが「返答に窮すると黙る」のはいつものことなのでいまさら驚きませんが、Wikipediaではかつてのアダモステさん、現在の彩華1226さんのように理不尽な暴力をふるう人に対しては、ウィキペディアンは管理者も一般参加者もただ傍観を決め込むだけで誰も助けてくれないので、自分の身は自分で守る、泣き寝入りしないで断乎抗議と中止要求を続けるスタンスは放棄しません。自分の行為を合理化・正当化できる返答ができないなら今後は同じつきまといと嫌がらせという理不尽な暴力は2度と繰り返さないでください。--呆庵入道 2011年5月1日 (日) 17:25 (UTC)[返信]
彩華1226さんは私がこれまで「逆恨みでつきまといで嫌がらせだ」と繰り返し指摘してきたのに対して、ただの一言も「逆恨みではない」「つきまといではない」「嫌がらせではない」という趣旨の言明を行っていません。このことは、彩華1226さんが自らの行為が「逆恨みでつきまといで嫌がらせだ」と自ら認めたことに等しいと考えますが、それでよろしいですね。では、以後そういうことでよろしくお願いいたします。--呆庵入道 2011年5月4日 (水) 19:34 (UTC)[返信]

ブロック追認のお知らせ[編集]

こんばんは。このたびWikipedia:投稿ブロック依頼/呆庵入道 追認を提出いたしました。私の言葉も暴言と捉えていたことに驚きを覚えています。--Suttokodokkoi 2011年5月7日 (土) 13:43 (UTC)[返信]

こんばんは。ご自分の発言を暴言と捉えられていなかったことに驚きを覚えています。それにしても欠席裁判とはまたアンフェアなことをなさったものです。--呆庵入道 2011年5月10日 (火) 15:09 (UTC)[返信]

投稿ブロックのお知らせ[編集]

あなたは無期限ブロックされました。 あなたは投稿ブロック依頼に基づいて無期限ブロックされ、ウィキペディアの編集が制限されました。ブロックが自動的に解除されることはありませんのでご留意ください。今後の対話ならびに異議申し立てはメーリングリストで受け付けます。Wikipedia:Appealing a blockもご覧ください。ブロック中においても、あなたの会話ページでのみ、ウィキペディア内での投稿が可能な場合もあります(ヘルプ)。会話ページにおけるブロック解除の方法についてはWikipedia:ブロックへの異議申し立ての手引きをご覧ください。--Vigorous actionTalk/History2011年5月15日 (日) 01:57 (UTC)[返信]