利用者‐会話:Kinno Angel/過去ログ2011年1月~2011年12月

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聖絶に関連する項目に関してご意見をお願いします[編集]

はじめまして。キリスト教関係でよく編集を行なっているBokemiannと申します。先日より聖絶の項目でイザヤさんと編集方針の違いでぶつかっています。Kinno Angelさんが西方キリスト教にはお詳しくないことはよく存じていますが、Kinno Angelさんは私がウォッチしているキリスト教関係の項目でよくお見かけするお名前なので、ご意見を伺いたいと思いました。聖絶に関する内容はともかく、イザヤさんの編集には以前から非常に問題点を感じており、たとえば昨年秋頃に私が出典要請タグを付せば、ひと月足らずでその記事ごと削除するような有様です。今回も個別の編集では対処できない改編だったので仕方なく差し戻しをしたのですが、そうすると今度はやたらに出典要請タグをベタベタ貼り付けるという行為に出ます。聖書の記述を記者なりにまとめた項目ですらそうなので、どうしてこういう行為をしたのか質問すると、「神学上の項目に聖書を出典とすることは問題がある」とする議論を紹介してはぐらかすだけです。また、前から考えていたことですが、「聖絶」の項目をヘブライ語の「ヘーレム」に改名の上アナテマと統合すればどうかとこの際提案したところ、今日になってリダイレクト項目でしかなかったヘーレムの記事が新たに起こされているといった案配で(これは私がうっかり起こしてしまった記事ですが、既にアナテマの項目が存在するのです)、手に負えません。今まではノート内だけの議論に抑えてきましたが、こうなると逸脱編集の疑いも濃厚ですので、Wikipedia:井戸端か、或はコメント依頼も考えないといけなくなりつつあります。なるべくなら事を大きくしたくないのですが、この手の記事は編集に関わる人が少ない(現在は私とイザヤさんの2名だけです)ので、少なくとも当該記事のノートでの議論を呼びかける必要があります。聖絶やアナテマについては詳しくないかも分かりませんが、Wikipediaの編集上の問題に限ってでも構いませんので、ご批判も含め、何かご意見・アドバイスをいただければ幸いです。なお、キリスト教関係の項目でよく編集を為さっている他の2~3名にも後でお声をかける予定です。

なお、ついでですが、聖絶には以前から関心を持って調べてきました。東方教会ではアナテマはどのように捉えられているのでしょうか? ご存知でしたらご教示いただけると幸いです。アナテマの項目で記事にして下さるとなおありがたいです。色々な項目でイザヤさんがやたらに記事分割を主張しているので、今は少し厄介な問題が発生するかも知れませんが。

長文大変失礼しました。以上よろしくお願いします。--Bokemiann 2011年1月24日 (月) 06:29 (UTC)

Bokemiannさん
東方教会ではアナテマはどのように捉えられているのでしょうか?
正直に白状しますが、私は本当に色々な事を何も知りません。ただその私から見ても「東方教会関連は改善の余地が大幅にある」と、やむにやまれる思いから精一杯の出典を用意して編集に望んでいる…そのような次第でして、正教会についてすらもまだまだ知らない事だらけなのです。
聖絶、ヘーレム、アナテマについても、ぶっちゃけて言えば「?????」という状況です。唯一「アナテマ」に関しては(ロシア語読みではアナフェマですが)、教会における信徒への最も重いサンクションとして「聞き知っている」程度のものでして、教会法上の一定程度正確な位置づけや、旧約聖書・新約聖書における用例との関係など、まだまだ何も存じません。面目ありません。
もし英語がお出来になるようでしたら、正教における観点についてはThe Word Anathema and Its MeaningAnathemaなどを御覧下さい。実は私もご質問がありましたので、これらを読んで勉強しようと思っていたところです。いずれこれらを出典としつつ当方からも加筆修正に参加させて頂くかもしれませんが、当方の本件についての知識レベルはその程度のものだということを、何卒御容赦下さいませ。
Wikipediaの編集上の問題に限ってでも構いませんので、ご批判も含め、何かご意見・アドバイスをいただければ幸いです。
どこまで御希望に沿えるかは存じませんが、出来る限りの事はさせて頂きます。
イザヤさんとは色々なところで議論は沢山しています。人によってはぶつかっているとも取れる状況でしょう。第一、私の編集傾向・興味関心からすれば、イザヤさんと意見そのものが合う筈がありません。しかしそれもまた福音派と正教会の見解の違いについての議論を正直にぶつけ合っていく中で、NPOVへ発展解消していけば良いと捉えているところです。やはり幾つかの記事では激論の末に落ち着くということがなされています。
今回もNPOVへの発展解消に動ければいいなと漠然と思っております。--Kinno Angel 2011年1月24日 (月) 07:47 (UTC)
お返事いただけただけでも大変ありがたいです。私はノンクリスチャンですが、Jesusファンではあります。聖書学の書籍は比較的よく読んでおり、当然リベラル寄りになります。また、Wikipediaの初期の頃はかなりキリスト教関連項目も編集をしていましたが、編集者に詳しい人が増えたこともあって、最近は聖絶など一部の項目を中心に時間の許す範囲で編集活動をしています。確かに岩波のキリスト教辞典ですら東方の記述が弱いそうですから、Kinno Angelさんのおっしゃることはよく分かるつもりです。私もプロテスタント以外は殆ど知りませんし、それでも知らないことは山のようにあります。従って東方正教会についても高橋保行氏の文庫本もまだ読んでいない有様で、何も知らないに等しい状態です。なお、リアルの印象に関しては、私ももっと怖い人かと思ったというようなことをよく言われます(笑)。
さて、ヘーレムと聖絶の項目の改名&統合提案をノートで行なったのですが、早速イザヤさんから反論がありました。私はユダヤ教とキリスト教の区別が付いていないそうです。それはともかく、私は彼の編集態度についても疑問を呈しているのですが、そのことに対する直接的な返答は結局のところありません。言いたいことは分かなくもないのだけど、私の知識と文章力では太刀打ちができません。聖絶に関して独自研究をしてよいのならば400字詰め原稿用紙100枚だって書けるのですが(笑)、私の知る限りの出典(たとえばウェーバーの『古代ユダヤ教』の聖戦に関する部分など)を明記すると、(旧約)聖書学の観点だからキリスト教と関係ないと反論されるのが目に見えています。キリスト教のどの専門事典でもこれらの項目が分けられることはないのに、彼の強硬な統合反対には意味を感じられません。ここで彼の聖書信仰の立場を問題にしているわけではないのですが、彼はリベラルに対する敵対意識が強すぎるようです。これがWikipedia上の包摂主義の立場で編集していたEvangelicalさんであればまだしも議論の余地があるでしょうが、明らかに排他主義の立場のイザヤさんでは難しいです(ちなみに、私はイザヤさんはEvangelicalさんの別垢ではないかと思っていますが、Evangelicalは活動を停止しているので、そのこと自体は特に問題はないと思います)。そんな訳で、私も文章力がない上に頭も悪いので、これ以上は一人では無理です。特にこの項目での彼の態度は疑問です。また、これはWikipediaの編集姿勢にも関わる問題を孕んでいますので、いずれ近いうちにコメント依頼をしようとは思っていますが、その前にまずはキリスト教に詳しい人に個別にコメントを依頼したいと思い、お願いに上がった次第です。今のところ、Kinno Angelさん以外にはおーたさんのノートにほぼ同文の書込みをしています。なお、私は長文癖があり、ご迷惑かも知れませんが、ご容赦下さい。ではそんな訳で、よろしくお願いします。--Bokemiann 2011年1月24日 (月) 09:30 (UTC)

度々申し訳ありません。プロジェクト‐ノート:キリスト教にもコメントいたしました。キリスト教にはそれなにり詳しいつもりですが、ノンクリスチャンの私がコメントすることに多少の躊躇もありましたが、キリスト教に詳しくない人が大半のコメント依頼などよりもこちらの方が適切と考えました。それに、議論の当事者を無視しての問題提起はいささか疑問を感じました。もっともノンクリスチャンである私のことをイザヤさんがどう見ているかを考えれば分からないでもありませんが、Wikipediaではいささか問題行為でしょう。--Bokemiann 2011年1月24日 (月) 13:02 (UTC)

(ご報告)大変申し訳ない気持ちでいっぱいなのですが、色々ご配慮いただき、私も改名&統合提案に関しては条件付きながら引っ込める方向に傾いていたのですが、プロジェクト‐ノート:キリスト教にて2日ほど前に合意形成がなされるまでは大幅な編集を控えてほしいとお願いしていたにも拘わらず、イザヤさんによるリバートにも等しい編集が為されてしまいました。今まではどんなに熱くなっても感情的にはならずにいられたのですが、もう無理です。再リバートは今は控えておりますが、当該掲示板にも書いたようなイザヤ氏の一連の行為に対するWikipedia:コメント依頼と聖絶のWikipedia:保護依頼への提出を本気で考えています。私が暫く離脱すると書いたのが原因で、イザヤさんがどさくさに紛れて編集を行なったのでしょうが(確信的にそう思います)、こちらの行為も誠意も無にする彼の行為には呆れるばかりで悲しくなってしまいます。あそこで議論すれば他の人も見ているし、そこまでゆかずに収められると信じていたのですが、相手が悪かったのか、私が甘かったのか、こんな結果となってしまいました。最終的にはWikipedia:投稿ブロック依頼もしなければならないかも知れません。Kinno Angelさんのような度量が私にない、私の不徳の致すところがこんな結果を招いてしまいました。今まで一度もやったことのない、やりたくなかった行為を始めてやることになるかも知れません。ご協力いただいたにも拘わらず、本当に申し訳ありませんでした。--Bokemiann 2011年1月26日 (水) 04:11 (UTC)

コメント クールダウンのための編集保護は妥当と考えます。ただ、Bokemiannさん、コメント依頼については48時間は待って頂けませんか。少なくともブロック依頼については48時間は待って頂きたいです。(Bokemiannさんの言い分が全て正しいものと仮定して右の話を進めますが)もしBokemiannさんの御懸念が正当なものであれば、48時間の間に事例が蓄積するでしょう。もしBokemiannさんの御懸念が杞憂であれば、その間に事態は沈静化するでしょう。これは、プロジェクトノートページ、Bokemiannさんの会話ページにも同文を書いておきます。--Kinno Angel 2011年1月26日 (水) 08:52 (UTC)
(報告)私なりに一番よいであろうと考えた解決策を聖絶のノートページで提案しました。--Bokemiann 2011年1月26日 (水) 15:21 (UTC)

色々とありがとうございました。私も多少ながらやっと時間を取れるようになりました。ノート:聖絶に私の最終的な案を提案しておきましたので、ご意見をお願いします。まずはご挨拶まで。--Bokemiann 2011年2月4日 (金) 04:06 (UTC)

報告 聖絶の保護がそろそろ解除になります。先ほどノート:聖絶プロジェクト‐ノート:キリスト教イザヤさんの会話ページに私の最終提案に対して賛否及びご意見をいただきたい旨を書き込んでおきました。Kinno Angelさんにも提案の細かい点につき賛否なりご意見なり表明して下さるとありがたく思います。なお、ついでながら、イザヤさんはヨハネによる福音書の資料ばかりでなく、プロジェクト‐ノート:キリスト教#聖書に出てくる人名の表記においても、履歴継承の上転記したと書かれています。でも、履歴は管理者でなければ統合等の作業ができないはずで、ちょっと調べたところ履歴統合の依頼をされた形跡がありません。このような行動もかなり問題であると前から思っていました。以上ご報告しておきます。--以上の署名のないコメントは、Bokemiann会話投稿記録)さんが 2011年2月7日 (月) 07:24 (UTC) に投稿したものです(Kinno Angelによる付記)。

あ、「履歴統合」と「履歴継承」は違います。その辺、申し訳ありませんが^^;御自身でお調べ頂きたく存じます。「履歴継承」面ではイザヤさんに瑕疵は見当たりません。ただし「大量転記にあたって提案がなされなかったのはいかがなものか」とは思いますが。聖絶についてはまた改めてコメントさせて頂きます。--Kinno Angel 2011年2月7日 (月) 07:36 (UTC)

イザヤさんにも困ったものです。恐れていたことなのですが、あれだけ有利な案が提出されていながらまだ気に入らないらしい。それよりも、自分が明らかな論点ずらしをしていることも気がついていないようです。Kinno Angelさんが彼のノートでそれとなく提言された内容も理解できていないようです。私も似たようなことを加筆しておきましたが、分かって下さるか殆ど期待出来ません。プロジェクトページで誰かが言っていましたが、周囲が見えない人なのでしょう。自分らか議論相手にすり合わせようという姿勢がイザヤさんからは全く見えません。今度どうなるかは彼次第なのですが、最悪の形になっても彼の巻いた問題です。でも、彼にはそれを理解する力がないように思います。私が先にブロック依頼も考えていると申し上げましたが、彼のそういう姿勢を改めてもらうために、数ヶ月の冷却期間をおいて、自分のそのような姿勢を反省し、Wikipediaの基本精神を熟読して、発展途上にあり矛盾も内包したWikipediaの運用とその曖昧さに耐えるだけの力をつけてもらいたいと思ってのことです。ただ、経験上この手の人は、そういったある意味で優柔不断な状態に耐えることができない人が多いように思います。だからこそ問題行動を起こすのでしょうが、そうなるとどうしようもありません。彼の知識量はすごいし、優秀な編集者であることは私も認めますが、このままではどうなるか分かりません。不幸な結果にならないとよいのですが。--Bokemiann 2011年2月7日 (月) 11:23 (UTC)

こんばんは、Sillgaoともうします。別の場所では既に対話していますね。今回はイザヤさんの件です。この件に関して私はBokemiannさんと同意見です(自分が書いたのかと思った)。私の考えとしましては、イザヤさんが立てた各記事でディスカッションすると疲弊してしまうと思いますよ。彼はこれからも沢山作ると思いますし。どこか一カ所でイザヤさんと方針についてお話しするのがよいと思います。その場所はプロジェクト:キリスト教のノート、イザヤさんのノート、コメント依頼のいずれかでしょう。Kinno Angelさんはコメント依頼に消極的です。ブロック依頼の前段階となっている現実もあるからでしょうか。でもコメント依頼の本来の目的は当事者を糾弾するものでは全然無く、広く意見を問うて合意の道を図るものです。彼と合意の道を歩まないとえらいことになります。私は解決するために何とかしたいと思っています。--Sillago 2011年2月7日 (月) 15:48 (UTC)
Bokemiannさん
Sillagoさん
私はこれまでコメント依頼に「慎重」でしたが、Sillagoさんのお言葉を借り、「広く意見を問うて合意の道を図る」ためのコメント依頼であれば、「反対しない」に転じます。ただしブロック依頼までは現時点では対話によって解決したいと思っており、現時点では必要ないという考えです。--Kinno Angel 2011年2月7日 (月) 15:57 (UTC)
ごめんなさい。ここBokemiannさんのノートと勘違いしていました。でもKinno Angelさんにも見て頂きたかったのでそれはそれでよかったかと(汗。コメント依頼については私が出しても良いですし、あるいはこれまでの経緯をよく知っているBokemiannさんかKinno Angelさんの方がよいのかもしれません(例えば「聖絶」は私にはもう論点が見えず、「壮絶」に見えます…用語自体は検証可能な出典を複数所持しているのですが)。その点なども詰められればよいかと思います。なんか密議のようですが、誰でも見られる場所ですから、そうではないので誰の前でもやましい事はしていないと思います。--Sillago 2011年2月7日 (月) 16:13 (UTC)
報告 聖絶の保護が自動解除になりました。昨日改名提案をしたので、聖絶トップページも告知しておきました。また、ノート:聖絶にお答えを書いておきました。1週間ほど後に改名が実行できればよいと思っています。それもこれもイザヤさん次第なのですが、どうなるか未知数です。私はイザヤさんの要望にこれだけ譲歩しているわけだし、イザヤさんがこれ以上あれこれ言うようであれば私も合意はできません。彼は自分の意見を相手に少しでも合わせる気持ちが全くなく、対話の姿勢に欠けます。質問にも中々答えないばかりか、答えたと思ったら論点のずれた事柄を論じ立てるばかりです。なので、4~5日様子を見た上でコメント依頼をする予定です。私のコメント依頼は、申し訳ありませんが、「『広く意見を問うて合意の道を図る』ためのコメント依頼」ではありません(それならば「合意形成のコメント依頼」ですみますし、当初はそれも考えましたが、対話困難者が相手であればやるだけ無駄でしょう)。あくまで「利用者の行為についてのコメント」をする予定です。無理かも知れませんが、彼がそこで少しでも反省し、態度を変える様子を見せてくれればよいのですが。--Bokemiann 2011年2月9日 (水) 14:25 (UTC)
コメント 私からはコメントするかどうかはまだ分かりません。コメントするにしても軟着陸の方向を目指したいと思っています。しかしながらBokemiannがコメント依頼をなさること自体については、現時点では反対しません。--Kinno Angel 2011年2月10日 (木) 03:55 (UTC)

失礼します[編集]

一度こじれると、やり取りと言うのは悪い方悪い方へ行くものです。いったん、対話からになるのも一つの考えです。充分に説明は尽されました。今後、何か問題がおきたならば、方針の無理解と言うことで、他の方から議論が提示されるでしょう。特殊な分野であり、編集がかち合うことが多いのはよくわかりますが。。。。。--アイザール 2011年1月27日 (木) 09:24 (UTC)

えーっと、すみません、ノート:聖絶について仰っておいでですか?それともTsubasabbsさん絡みのことを御指摘でしょうか?--Kinno Angel 2011年1月27日 (木) 09:26 (UTC)
あ、ごめんなさい。言葉を濁してみたんですが。。。。。ひとまずは後者の方です。コメント依頼もされましたので、さらなる問題がおきれば、それはコミュニティに共有されるでしょう。Kinno Angelさんも、言葉がだんだんと鋭くなってきています。売り言葉に買い言葉は不毛ですので、いったん水入りというか。--アイザール 2011年1月27日 (木) 09:30 (UTC)
言葉を濁してみたんですが
すみません、そうかなとは思っては居たのですが、当方が仲裁に入っております燃えている案件も同時進行していましたので、伺いました次第です。
水入りについては承知しました。言いたい事は既に言い尽くしております。
第三者から見れば「何を熱くなっているのか」と思われるかもしれません。
ですが彼(彼女?)のページでも書いたのですが、当方のページに対する意味不明な書き込み、被取材者との信頼関係を壊しかねない(ここは本当に大事です)昨年来の著作権軽視・今年に入ってからの肖像権軽視、ガイドラインの理解不足など、積み重なるものも積み重なり切っているというのも正直なところです。
その辺はどうか何卒御理解下さい。
仮に次に同種の問題が起きれば、コミュニティに法的リスクを負わせるものとして、ブロック依頼を出します。アイザールさんに素朴に伺いたいのですが、それは「やり過ぎ」と思われますか?--Kinno Angel 2011年1月27日 (木) 09:38 (UTC)
肖像権のことなどは、深刻な問題ですので、私もコメント依頼にあとで書き込みます。ですが、同じミスを繰り返されないようにお約束いただけるのならば、ひとまず対話は収束させてよいでしょう。ですが、その上で問題を起されるようでしたら、何らかの対応が必要になるかもしれません。ただ、それはKinno Angelさんではなく、他の方にお任せした方がいいかもしれません。--アイザール 2011年1月27日 (木) 09:51 (UTC)
二点、申し上げます。
  • 法的リスクについては、今月の問題が初めてではありません。去年の8月にも著作権につき指摘していたのですが、その時にも当方は揶揄・逆説教を受けました。今回も反省の弁は一応ありましたが、「一応」と言わざるを得ないのはその後も揶揄・逆説教が続いているからです。また、著作権と肖像権という別個の問題ではありますが、法的リスクの軽視、ガイドラインの理解不足という点では、共通した問題です。もし反省しているのであれば、もっと敏感になっている筈です。
  • すみません、特殊な分野であり、編集がかち合うことが多いのはよくわかりますとのお言葉についてですが、今回の問題は、ジャンルによる特殊性は一切御座いません。ですので「宗教関連の難しさ」については、今回は配慮なさる必要は無いかと存じます。博物館の中の人物を勝手に撮影して勝手に配布したのと同種の問題とお考え下さいませ。
とは言え、私だけが何を言っても、もう聞き入れて頂けないのも事実です。コメント依頼は、私だけが何を言っても聞いて頂けませんのでお願いしているものでもあります。他の方が対処して下さるのであれば、私はもう身を引きたいです(私が色々言っても「邪魔している」とか「正教関連の思い入れからだろう」と邪推を受けるだけでもありますから)。
もしアイザールさんをはじめとする他の方が対処して頂けるのであれば、私は喜んで身を引きます。--Kinno Angel 2011年1月27日 (木) 10:09 (UTC)
アイザールさんへ。
どう考えても第三者にとって得にならない厄介な問題につき、仲裁をありがとうございます。本当に感謝申し上げます。--Kinno Angel 2011年1月27日 (木) 10:25 (UTC)
そうですね。Aを改めたから自動的にBが改まる、と言うものでも無いのが人間の難しいところですね。でも、そこは基本的に善意を信じて、気長に対応するしか無い訳です。例の画像については、確かに深刻です。Kinno Angelさんのご心労は深く理解いたします。ですが、その新郎のあまり、私から見ても、少々お言葉がきつくなっている様子です。それがまたあちらのかたくなな態度を呼び。。。という悪循環ですね。お疲れでしょうから、コメント依頼を契機に、一対一での対応はお控えになるのが、Kinno Angelさんご自身のためにも賢明だと思います。同様の問題が起きればコミュニティとして対応する必要があるでしょうし、今後は私も含め、コミュニティとして対話が行われるでしょう。ひとまず以上で。--アイザール 2011年1月27日 (木) 10:32 (UTC)

Wikipedia:コメント依頼/Pauro 2003 20101006の再開について[編集]

Wikipedia:コメント依頼/Pauro 2003 20101006依頼者のPasternです。当該コメント依頼について、被依頼者がウィキブレイクより復帰しコメントを再開されましたのでご連絡いたします。--Pastern 2011年1月29日 (土) 20:36 (UTC)

お知らせ、確認しました。コメントさせて頂きました。--Kinno Angel 2011年2月3日 (木) 06:30 (UTC)

プロジェクトキリスト教についていくつか[編集]

Kinno Angelさんこんにちは、Sillagoです。本日はいくつかの質問と相談事がありまして参った次第です。最初に復活 (キリスト教)について、加筆しますと言いながら何もしていないのは、イザヤさんを刺激するのを避けるためです。次に純粋な質問です。私は正教会のことについてあまりにも知識がなく、プロジェクトキリスト教に関わる以上は最低限の知識が必要であると実感しています。何を読めばよいのか、また聖書をどうやって入手すればよいのかを教えて頂けると助かります。お茶の水のニコライ堂にいけば購入できるのでしょうか。お幾らなのかわかりますでしょうか。

次にイザヤさんのことです。彼はおそらく「主の栄光を表す」という目的遂行のために行動していると思われますが、周りが見えておらず、少々常軌を逸していると見なされても仕方ないくらいに見えます。どう穏便に対応すべきか考慮していますが、このままではよくない事態になるかもしれません。Kinno Angelさんも巻き込まれて疲弊してしまうかもしれません。彼はこれからも精力的にいろいろな記事を書いていくことが予想されますが、それらに個別に対応していったらきりがないでしょう。彼とは一度きちんと方針全般についてお話した方がよいかと思います。もちろん私も建設的になるよう努力します--Sillago 2011年2月7日 (月) 07:56 (UTC)

こんばんは。まず書籍について乏しい私の知る範囲内で出来る限りお答え申し上げます。
正教会のことについてあまりにも知識がなく、プロジェクトキリスト教に関わる以上は最低限の知識が必要であると実感しています。何を読めばよいのか(中略)購入できるのでしょうか。
日本語文献では、基本レベルのものでは以下三つが比較的入手が容易です。
  • 『正教要理』(ニコライ堂など、各地教会で入手可能です、ただしニコライ堂に在庫があるかどうかは存じません)
  • 高橋保行『ギリシャ正教』講談社学術文庫(一般書店で入手可能)
  • 川又一英『イコンの道』東京書籍(一般書店で入手可能)
本当はイラリオン・アルフェエフの『信仰の機密』もニコライ堂に在庫があればお勧めしたいのですが、私がずっと以前に購入した段階で在庫が少なくなっていましたので、今は無いかもしれません。
上記三点の他には、名古屋教会の松島神父の翻訳によるシュメーマン関連の書籍や、及川神父、小野神父といった聖職者達による著作・翻訳もあります。それらは大変役に立つ貴重なものであり、私も勉強させて頂いているのですが、基本的な理解・総合的な内容のものとなりますと、上記三点が挙げられます。ただし神学面の記述はいずれもそれほど豊富ではありません。最低限のことは高橋神父によるものに書かれています。が、高橋神父の著作も1980年のものであり、若干こなれていない部分が無きにしも非ずです。
正教要理はベースになるかと思います。ただし理解が若干古いところもあって、西方教会からの影響を排除し、正教の聖伝に復帰する現代の正教会の潮流においては、「時代遅れ」になっている部分も否めません。
ほか、シュメーマン、メイエンドルフによるものは初心者には少し難解なものかもしれません上に、好き嫌いの分かれる神学者です。私からの彼らに対する評価はまだ定まっていませんが(評価出来るほど存じません^^;)、事典に基本文献として採用することはお勧め出来ません(補完材料としては使えると思いますが、これまではまだ使ったことはありませんすみません、そういえば機密 (正教会)関連で使っていました・汗)。ウラジーミル・ロースキイの『キリスト教東方の神秘思想』(勁草書房)も内容が事典に必要以上の高度さを伴っている上に(取捨選択には前提知識が必要でしょう)、カトリック系の神学者による翻訳ということもあって訳語が正教のものと乖離しています。
一番手っ取り早いのは、日本正教会の公式サイト内にある、日本正教会発行の書籍『正教会の手引き』から転載された文章群でしょう。これと、上記三点を組み合わせられれば宜しいのではないかと思います。なお『正教会の手引き』は、書籍としてもニコライ堂で入手可能です。通読にあたってインターネットでは目が疲れるとお感じでしたら、確かそれほど高くなかったかと思いますので購入されてはいかがでしょうか。
明治時代の文献まで探索範囲を広げますと、国立国会図書館近代デジタルライブラリーにある、マカリイ1世 (モスクワ府主教)による『正教定理神学』が、正教会の教理理解においてどこを聖書箇所として採用しているかが一目瞭然となる、便利な著作になります。ただし19世紀ロシアにおける一般的理解を基にしていますので、これは上記著作群よりもはるかに「時代遅れ」の面を含んでいる事に注意が必要です。比較神学については、私も補強材料としてはエピファノヴィチによるものなどを近代デジタルライブラリーから拾っていますが、19世紀という時代を反映し、東西双方向の誤解がまだ残っているほか、現代の東西教会のいずれにも当てはまらない記述が散見されますので、前提知識が無いと扱いに難しいと思います。
聖書注解書については、日本語文献は残念ながら明治時代の文語体著作のみに限られます。
すみません、英語はお読みになれますでしょうか。英語がお読みになれるのであれば、2冊、分かり易いものがあります。
いずれも詳細な説明については若干の不満が残りますが、それほどスタンダードから外れた事は書かれていないように(私の見る限り)思えます。--Kinno Angel 2011年2月7日 (月) 10:00 (UTC)
いやあ、詳細な説明ありがとうございました。ニコライ堂のそばによる機会が今月何回か有りますので、その際に問い合わせてみます。しかしこれ、「プロジェクト:キリスト教・基本文献・正教編」など作って掲載できるのでは?などとおもいました。あとイザヤさんの件ですが、上で既にBokemiannさんが私と同趣旨のことを述べていましたね。拡散は避けますね。ただ編集方針についてはKinno Angelさん、Bokemiannさんとそう遠いものとは思っていないと思っています(違っていても話し合いで解決できる)。ではよろしくお願いいたします。--Sillago 2011年2月7日 (月) 14:09 (UTC)
良質かつ重要な一冊を失念しておりました(汗)
  • カリストス・ウェア主教論集『私たちはどのように救われるのか』日本ハリストス正教会西日本主教区、水口優明・松島雄一両神父翻訳(ニコライ堂ほかで入手可能ですが、事前に在庫を電話等でお問い合わせ頂くことをお勧めします)
上記3冊のうち、高橋保行神父の『ギリシャ正教』が総合書籍とすれば、カリストス・ウェアのものは正教神学総合入門といったところです。神の像と肖、原罪(陥罪)、成聖、共働といった、正教における術語の数々がすっきりと纏められた良書です。最低限、事典執筆に際して正教への配慮として必要な基礎知識は『ギリシャ正教』と『私たちはどのように救われるのか』の二冊をまずお勧めします。Sillagoさんの会話ページにもお知らせさせて頂きますねm(_ _)m。--Kinno Angel 2011年2月8日 (火) 00:21 (UTC)
私もお聞きしたかったことなので、とても参考になりました。今度神田方面に行った時はニコライ堂に寄ってみます。ちなみに、私は高橋氏の本もまだ読んでおらず、小田垣氏の『キリスト教の歴史』(講談社学術文庫)の正教の部分を読んだ程度の知識です。今は時間が取れませんが、まずは高橋氏の本を読んでみたいと思います。クリスチャンでもないのに変な言い方ですが、直観では私は西方教会より正教会の教義の方が合っているようです。
なお、ついでにここでコメントしておきますが、記事の統合と分割は読んできちんと理解しているつもりです。ただ、分割の場合の履歴の継承に関しては幾ら読んでも理解できません。今度利用案内に質問してみようと思っていました。多分このややこしさはコピー&ペーストでページの移動などを平気で行なっていた時代の名残もあるのではないでしょうか。今は時間がないので、それ以外のことはまた後で。--Bokemiann 2011年2月8日 (火) 01:01 (UTC)
ついでによろしいでしょうか。ちょっと個人的に教えていただきたいことがありまして。値段の高すぎない手頃な事典を何か1~2冊手許に置きたいと思っているのですが、『岩波キリスト教辞典』はどう思われますか? アマゾンの書評では東方教会に弱いことが取り上げられていてかなりぼろくそです。1冊はカトリック系の『聖書思想事典』、もう1冊は岩波がよさそうだと思っていたのですが。福音派の事典は図書館にあるし、CDROMも出ているので、そちらで間に合います。総合的で何かよい事典があれば教えて下さいませんでしょうか。--Bokemiann 2011年2月8日 (火) 01:59 (UTC)
『岩波キリスト教辞典』は古紙再生位にしか使えないと思います。それ位酷いです。東方教会については全く以て話になりません。見当外れが平気で書かれており、我が国のキリスト教の基礎研究レベルが昭和中期の『キリスト教大事典教文館からむしろ後退・退化したことを示すものでしかありません。
また全体的にリベラル寄りのものしか書かれていません。リベラルならリベラルで、『旧約新約 聖書大事典』教文館や『キリスト教大事典教文館の方が質も量もあります。数千円を岩波の中事典に割くほどの価値は見出せません。図書館等でこれら大事典を利用された方が宜しいかと存じます。
我が国では「エキュメニズム」の名の下に(エキュメニズム自体は否定はしませんが)、「細かい違いなんてどうだっていいじゃないか」という意識・無意識によって、比較神学が歪められていると思います。エキュメニズムに賛同するにしろ反対するにしろ、まず他者の言い分を素直に率直に読み取って現状把握する事が大前提の筈なのですが。特にカトリック系の学者が、正教について述べる時、意識的にせよ無意識的にせよ我田引水が過ぎるように思います。
私の知らないだけで、さらに良い事典があるのかもしれませんが、超教派の事典で、東西両教会に亘ってバランスがとれており、プロテスタントではリベラル・福音派双方に配慮したような事典は、私の知る限りゼロです。『聖書思想事典』三省堂は愛用しておりますが、これは比較的カトリック寄りであることが分かるものであり、その事を弁えた上で利用しております。
という訳で、「値段の高すぎない手頃な事典」は、日本語文献では「ありません」が回答になってしまいます…。英語で東方教会を扱ったものならば"The Blackwell Dictionary of Eastern Christianity" Wiley-Blackwell; New edition (2001/12/5), ISBN 9780631232032を挙げますが…。--Kinno Angel 2011年2月8日 (火) 03:48 (UTC)
ありがとうございます。岩波は仏教辞典も浄土系が弱いとのことで、評判がいまいちです。仏教者のキリスト教理解は悲惨なものがありますが、それと似て、東方教会は西方教会の学者にとって異宗教そのものなのかも知れません。以前マクグラスの事典を紹介された時は1万円でも高いと思いましたが、今は10万円です。事典だけ読んで信仰が理解できるわけがないので、『聖書思想事典』といのちのことば社の事典(CDROM購入予定)でとりあえずはよしとします。--Bokemiann 2011年2月8日 (火) 11:20 (UTC)
報告 Bokemiannさん、すみません、御紹介申し上げました上記カリストス・ウェアの書籍についてニコライ堂に問い合わせましたが、どうやら在庫が無いようです…従いまして名古屋ハリストス正教会にお問い合わせされることをお勧めします。それだけの価値はある本です。名古屋ハリストス正教会図書案内中に、Emailリンクが用意されています。--Kinno Angel 2011年2月8日 (火) 12:57 (UTC)

正教基本文献ご協力への謝意[編集]

Kinno Angelさんこんばんは。題名の件で参りました。問い合わせまでしていただくとは、本当に感謝です。こちらも本気で取り組みます。そして毎週ニコライ堂に礼拝へと。。。いやいやいや(汗--Sillago 2011年2月8日 (火) 12:55 (UTC)

いやいや、当方の勝手な思い入れにから来る手前味噌に対し、そこまで仰られますと汗顔です…今後とも宜しくお願いします。--Kinno Angel 2011年2月8日 (火) 12:57 (UTC)
Kinno Angelさんこんにちは。中間報告です。あれから教えて頂いた名古屋ハリストス正教会にメールを出したところ、翌朝に返答がありました。「どのようにすくわれるか」は在庫切れ、「信仰の機密」は私も寡聞にして・・・とおっしゃっておりました。数日後、「どのようにすくわれるか」は何とか1冊だけ手配できたとのことで注文することになりました。残りの書籍はニコライ堂で購入しようと思います。それと質問ですが、お勧めの1冊である『ギリシャ正教』という書籍をアマゾンで見たのですがhttp://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_ss_i_0_6?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A3%E6%AD%A3%E6%95%99%E3%80%80%E9%AB%98%E6%A9%8B+%E4%BF%9D%E8%A1%8C&sprefix=%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A3%E6%AD%A3%E6%95%99&rh=n:465392,k:%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A3%E6%AD%A3%E6%95%99%E3%80%80%E9%AB%98%E6%A9%8B+%E4%BF%9D%E8%A1%8C&ajr=3

高橋保行著で1050円の新品と5979円の古書があるのです。同じものでしょうか。1050円のでよいかとは思っていますが、どうなんだろう。--Sillago 2011年2月12日 (土) 05:51 (UTC)

「信仰の機密」はニコライ堂が教会単位で出版したものなので、名古屋まで出回っていなかったのかもしれません。「どのように救われるか」は在庫切れでしたか…とても良い本なので、再販を期待したいところです。『ギリシャ正教』については、新品の写真つきで宜しいかと思います。なお日本正教会訳聖書についてなのですが、絶版にはなっていないにも関わらず、絶版であるかのように古本でおそろしく高い値段がついていることがありますので注意して下さい。教会に直接問い合わせになられて購入された方が、新品でかつ安い、ということが往々にしてあります。たまに、明治時代印刷の古い装丁のものが価値に見合った高値で売られていることもあることはあるのですが、ネット情報ではちょっと見分けはつきません。特に古さや装丁といったコレクター的拘りがないのであれば、ネットで購入されるのであれば、正教会訳聖書等は教会に直接お問い合わせになることをお勧めします。明治印刷のものも、昭和・平成印刷のものも、同じ旧字体をそのまま使っており、装丁を除いて版による違いはありません。--Kinno Angel 2011年2月12日 (土) 06:49 (UTC)
お世話になっています、Sillagoです。本日ニコライ堂に入って参りました。入ってすぐ左にある事務棟にて聖書(列聖35周年記念版)を入手しました。また『ギリシャ正教』も在庫豊富にありました。ただ『正教要理』だけは誰も(名古屋も含めて)知らないようでした。他の書籍は『ギリシャ正教』、『イコンの道』はアマゾンで入手、『私たちはどのようにすくわれるか』は名古屋ハリストス正教会から最後の1冊を入手(お代払っていないのですがどうしましょう、訳者と同名の方から応対して頂きました)、『信仰の機密』は入手するのを忘れてました(汗、でも見当たらなかったような気がします。『Orthodox Study Bible』もアマゾンで手に入れました。まず手始めに『ギリシャ正教』を読んでいるところです。なお、IPさんからのコメント依頼対応ですが、ウィキペディアに割ける時間が限られているため、無視しているわけではないのですがすぱっと書き込みができない状況です。統合案件もイザヤさんから意見が出たため、その返答も考えなければなりませんし、できるところからやっていきますので、どうかご理解下さい。--Sillago 2011年2月22日 (火) 09:30 (UTC)
お返事が遅くなりました、申し訳ありません。
正教関連の文献を買い揃えられましたこと、大変嬉しく思います^^
名古屋ハリストス正教会から最後の1冊を入手(お代払っていないのですがどうしましょう、訳者と同名の方から応対して頂きました)
金額については言われていませんでしたか?実は日本正教会の頒布品は(あくまで小規模の「頒布品」という位置付けということもあり)各教会ごとに金額設定が違います。献金額については名古屋教会さんのSillagoさんがお話になった神父さんにお問い合わせ下さい。もし「幾らでも構わない」と言われましたが、「この本だったら一般書店だったらこれ位出していい」とSillagoさんがお考えの金額をお支払い頂ければと思います。
『正教要理』だけは誰も(名古屋も含めて)知らないようでした。
うーーーん^^;結構有名な本なんですが…在庫が切れて久しい場合、本当に「知らない」ということは有り得ます。私も結構、日本正教会の物品に触れるようになって長いので、新しい教職者の中には私が知っている物品についても「そんなのあったっけ?」ということが時々あります。
また何かありましたらお知らせ下さい。--Kinno Angel 2011年2月25日 (金) 06:21 (UTC)

fuusennからのおわび[編集]

Kinno Angelさんにおわびしなければならないのは記事を作らない人扱いしたことで、Kinno Angelさんのやられた投稿記録のメンテナンス作業で、どんな分野で、どういう感じの記事をかかれるひとか理解して、いくつかは興味深く拝見しました。本題の手抜きの件はまた後日言い訳させていただきます。Fuusenn 2011年2月9日 (水) 09:55 (UTC)

憑依でのコメント依頼について[編集]

ノート:憑依でのやりとりを、ざっとながら拝見させていただきました。IP氏は文が立つ人のようで、中々大変だと思います。議論活性化や合意形成のコメント依頼ならまだしもなのですが、いたずらに利用者のコメント依頼までして多くの人の目につくと、そのためにキリスト教側にとって却って不利なコメントを呼び込んでしまう可能性も懸念されます。利用者の行為は別にして、場合によっては多数決で負けますよ。

私も、イザヤさんに同様のことを言ったことがありますが、「そんなにリベラルな記述をされるのが嫌なら、自分で保守神学の見解を出典付きで書きなさい、そういうレベルのPOVは排除されていないばかりか奨励されています」と、彼のPOVという言葉を使って反論しておきました。でも、彼には理解出来なかったようですが、憑依での議論にも似たものを感じました。IPが言うように、気に入らない記述を削除することでバランスを取ろうとせず、加筆補正などで対処しながら、キリスト教の見解を書き足してゆけばよいので、それがWikipediaの流儀ではないでしょうか。確かに不快なのだけど、それは我慢しなければならないことだと思いますし、私も幾つもの記事で我慢してきました。たとえば、かつて「民族浄化」で「民族浄化の歴史」の節に「クロマニヨン人によってネアンデルタール人が民族浄化された」とする記述が出典付きで記述されていたので削除したところ編集合戦になったことがあります。この時は数名の編集者がその出典への疑問を提示しましたが、「出典付きの記述を削除することは規則違反だ」と言って譲らない編集者に押し切られて、仕方なく目立たない箇所にその記述を移動させることで論争を終わらせた、ということがあります。ただ、その記述は2年ほどするうちに「民族浄化の歴史」の項目ごとコメントアウトないし削除されました。あの論争は何だったのかと思いますが、Wikipediaはそういったところです。幾ら正論だからと言って、Wikipediaでは正論だけでは押し通せません。そんな訳で、今は目にするのも嫌な、或は逸脱した記述であっても、キリスト教側の記述を増やしつつ、長丁場で様子を見ることが一番よい方法ではないかと思います。こういうことは余り言いたくないのですが、そのうちにIP氏が活動を縮小されたり居なくなったりするのを待つのもよいと思うのです。

それと関連するのですが、最近キリスト教側の主張が受け入れられなくなっていると書かれていましたが(いま見たら見当たりませんでした)、イザヤさんが各所で余りにも「進化論の話題に創造論の話題まで入れるな」というような大袈裟な表現で頑張りすぎたこともあるのではないかと思います。悪口と思われると困るのですが、皆さんがこの手の項目で頑張ると、「あ、またキリスト教のおかしな人たちが何か言っているよ」と思われてしまう、そんな前例を作ってしまっては、コメント依頼も何も逆効果になりかねない。私は某新宗教の信者なのですが、私の経験から言っても、キリスト教に限らず宗教の熱心な信者というのは、常識を逸脱した行為をそれと知らずに行なってしまうことがよくあります。本人は気が付かないだけで、周囲からは変な目で見られてしまい、評判を落としてしまうということがよくあるのです。こんなことはKinno Angelさんには言わずもがななのですが、イザヤさんのような人には分かってもらえないようです。福音派の先生の言葉を引用して、それとなくアドバイスしておいたのですが。

さて、長くなりましたが、イザヤさんの私に対する態度がここ数日多少軟化したように見えたので、コメント依頼はもう少し様子を見ようかと思っていたのですが、そうしたら今度はSillagoさんの方からコメント依頼の宣言が為されてしまいました。イザヤさんの行為に対するコメント依頼はどうやら必然だったようです。そんな訳で、今日明日にでもコメント依頼をする予定です。このような時期にイザヤさんのコメント依頼をすると、「憑依」の議論に悪影響を及ぼすかも知れませんが、いつまでも延期も出来ません。私がやらなければSillagoさんが為さるでしょう。そんな訳で、事前にご報告しておきます。なお、この投稿は「憑依」のノートで行なうよりもこちらで書いた方がよいと思い、ここに書き込みました。お互いにとって、そしてみんなにとって、よりよい結果になるとよいですね。--Bokemiann 2011年2月15日 (火) 06:13 (UTC)

全面的に事実誤認されておいでのようで大変大変残念です。私はオカルト研究家による文献の精度を問題にしているだけであって、キリスト教限定の話は一切していません。たった「2対1」というだけでタグを除去するという荒らしに加担される言動、正直言って全く失望しました。IP荒らしはこれで大喜びでしょう。--Kinno Angel 2011年2月15日 (火) 06:16 (UTC)

加えて申し上げますが、「キリスト教側の言い分」を書き加えたいという動機があるのだとしたら、もう言われなくてもやっています(実際他の記事ではそうしているのですから)。私の言い分は私の書き込みから判断するのがスジではありませんか?私の問題提起を全く曲解しているIPの言い分から私の言い分を曲解されたこと、はっきりいって失望しました。--Kinno Angel 2011年2月15日 (火) 06:19 (UTC)
Wikipedia:コメント依頼/60.39.109.32・221.188.37.41・60.39.109.134は御覧になりましたか?経緯はご確認の上でしょうか。私の言い分を確認してから仰いましたか?
IPが言うように、気に入らない記述を削除することでバランスを取ろうとせず、加筆補正などで対処しながら、キリスト教の見解を書き足してゆけばよいので、それがWikipediaの流儀ではないでしょうか。」についてですが、「気に入らないから」ではなく「精度に問題がある」ことを議論提起している訳です。「気に入らないからKinno Angelはこういうことをやっている」というのはIP氏の主張そのままです。そこに私は失望しています。
議論活性化や合意形成のコメント依頼ならまだしもなのですが、いたずらに利用者のコメント依頼までして多くの人の目につくと、そのためにキリスト教側にとって却って不利なコメントを呼び込んでしまう可能性も懸念されます。利用者の行為は別にして、場合によっては多数決で負けますよ。」と仰いますが、これまで問題になったことはありません。私はウィキペディアンの皆様の良識を信じています。「合意が得られた」と一方的に宣言してタグを一方的に除去するような荒らし行為に、「相手はキリスト教徒らしいから拍手喝采」などという人達だったら、こんにちまでの私の編集への許容だって無かった筈なのです。
議論活性化のためのコメント依頼は既に出しています。それなのにIP氏は第三者の言葉を勝手に解釈して勝手にルールをでっち上げてタグを除去し続けている訳です。このような暴挙が「多数決」で容認されることは無いと信じています。--Kinno Angel 2011年2月15日 (火) 06:30 (UTC)
コメント 誤解させてしまったようですが、その線を強調して書きました。オカルトには興味がないので、IPの文献の精度そのものについて余り詳しくは知りませんが、私はKinno Angelさんの言い分の方が正しいことは分かっているのです。ただ、一般の人が見るとどう感じるか、そのことを強調して書いたまでです。多くの人がキリスト教側の記述を書けとするIPの意見を承認する可能性があると思って、却ってKinno Angelさんの主張が不利になるのではないかと心配して書きました。これが世に知られたカルトなどであればこちらの言い分は通るでしょうが、余り人の知らないオカルト文献だと、私が上で書いたような意見が主流になるでしょう、ということです。私はキリスト教側の言い分も分かるし、非キリスト教者側の感覚も両方分かるので、今回は後者の感覚でコメントしたのです。誤解しないでほしいのですが、一般人からどう思われるか、ということです。そして、その原因のひとつが最近のイザヤさんの頑張りもあるのではないかと思っています。イザヤさんが頑張れば頑張るほどキリスト教側の主張にとって不利になります。その懸念を申し上げました。それと、Kinno Angelさんの主張が全面的に正しくても、間違った主張の方が通ってしまうのがWikipediaです。ログインもしないIPなどといたずらに論争せず、様子を見ながら、IPが居なくなった段階で正しい編集すればよいのではないでしょうか。そうそう、そういう誤解があると思ったので、IPに利するような解釈をされると困るので、ここに書いたのです。あと、多くの人の意見を聞きたいのであれば、コメント依頼のリストに載せるのもよいと思います
コメント 編集競合してしまったので、ここに書きます。ざっとながら見ておりますよ。上の書いた通りIPが逸脱しているのも知っております。それでいながら、IPが文が立つ人なので彼の主張が通りそうだとの懸念からコメントしまたまでです。幾らこちらが正しくても、その主張が通らないのがWikipediaですし、頑張れば却って不利になりかねない場合もあります。--Bokemiann 2011年2月15日 (火) 06:41 (UTC)
コメント あと、私も謝罪しますが、イザヤさんが関わった記事が却って事態を悪くしているのではないかとの懸念を主に書きかかったので、問題は「憑依」に限らず、一般論として書きました。「聖絶」での議論も含めてです。そこが誤解のもとかも知れませんね。--Bokemiann 2011年2月15日 (火) 06:45 (UTC)
あと、書き忘れたので、Kinno Angelさんの主張を全面的に認めていますよ。ただ、「民族浄化」の例で出したように、同じような経験を私を含む数名の編集者がしています。その時は論争を避けるために、おかしな相手の言い分を認めざるを得なかったのです。私がウィキブレイクした理由のひとつでもあるのですが、Wikipediaはそういったところです。Wikipediaは必ずしも正論が通るとは限りません。--Bokemiann 2011年2月15日 (火) 06:50 (UTC)
(編集競合してしまったので、よく読めておらず、度々の投稿申し訳ありません) よく分かりました。
「合意が得られた」と一方的に宣言してタグを一方的に除去するような荒らし行為に
許せない行為です。それと闘う姿勢も否定しません。でも、それと同じことをイザヤさんが度々為さっているのです。あなたはそれを容認してきた。私は容認しません。迷いがありましたが、ブロック依頼も視野に入れたイザヤさんのコメント依頼をいたします。--Bokemiann 2011年2月15日 (火) 06:58 (UTC)
聖絶改名案にイザヤさんから全面的な同意が得られました。改名後どうなるかは分かりませんが、とりあえずこれで一件落着です。そんな訳で、イザヤさんに対するコメント依頼は、Sillagoさんとも相談の上、暫く延期することにしました。あと、あのIPはかなり手強い相手なので、極力気をつけるようにして下さい。下手に騒ぎ立てると足許を掬われます。くれぐれも相手の術中に嵌まらないようにしないといけません。その意味のウィキブレイクな‎らよいと思います。ゆっくり休んで英気を養って下さい。--Bokemiann 2011年2月15日 (火) 12:28 (UTC)
心のこもったコメントをありがとうございます。一点だけ。
あなたはそれを容認してきた。
とありますが、イザヤさんには私からも普段からかなりの分量で苦言を呈しています。イザヤさんの会話ページを見れば、私からの苦言のオンパレードで、事情を知らない人が見たら「粘着」と思えるほどでしょう。私からこれ以上のことが出来ないのは、各種ページで議論している相手であり、コメント依頼やブロック依頼で簡単に批判に積極的に同調してしまっては、それこそ要らぬ誤解を受けるという事情もあるのです。そういう意味で、Bokemiannさんや他の心配していらっしゃる皆様が、私とIPとの外にあって完全に第三者でいらっしゃるのと違い、私は完全な第三者ではありません。慎重であるべき立場だとも思っております。その辺の事情も汲んで下さい。--Kinno Angel 2011年2月18日 (金) 01:43 (UTC)

小休止も必要かと[編集]

Kinno Angelさんこんばんは、Sillagoです。ウィキブレイクに入られるようですが、良いことだと思います。気分転換などしていただき、気が向いたら復帰して頂けると嬉しいです。今は少し混乱しているようにみえます。仕方ないことです。いろんな事が同時進行しているのですから。私がどこまでお役に立てるか分かりませんが、Kinno Angelさんがまた気持ち良く執筆や編集できる環境になるようなことを考えて、できることあらば実行しようと思います。キリスト教関連記事はKinno Angelさんがいないととても困るのです(とプレッシャーかけてはいけないか)。お待ちしております。--Sillago 2011年2月15日 (火) 14:06 (UTC)

ちょっと戻りますが、少し色々考えることも御座いました。謂れの無い論難が第三者から正当化され続けて、何かが切れてしまったという感じもあります。私は弱くはありませんが、並外れて強くもありません。リアルもまた、いきなりですがおそろしく多忙になりました。多分、ペースは落ちるでしょう。心のこもったコメントをありがとうございます。--Kinno Angel 2011年2月18日 (金) 01:43 (UTC)

こんにちは。Pasternです。自分なりに分析をしてできる範囲でコメントをと考えていましたが、Kinno Angelさんがノートで議論からの撤退を宣言されるのに間に合いませんでした。お役にたてず申し訳ありません。Wikipedia:コメント依頼/Kinno Angel 20110214のほうへ、議論そのものからは撤退されているKinno Angelさんにご迷惑がかからない範囲でコメントをさせて頂きました。また何らかの問題でお困りの際には、私でよければいつでもお声掛けください。--Pastern 2011年2月20日 (日) 01:21 (UTC)

Pasternさん
心のこもったコメント、痛み入ります、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。--Kinno Angel 2011年2月25日 (金) 06:22 (UTC)

こんにちは、Tsubasabbsです[編集]

私はあなたの「情熱」に負けました。私の負けです。 あなたにはどうしても削除しなけらばならない理由があったのでしょう。今頃になって、それに気づかなかった私に非があったのは否定しません。あなたの身内のことであれば、なおさらのことです。議論が二転三転してしまいましたが、これに関する論争は今回をもって私からは終息にしたいと存じます。無責任な奴だと憤られるでしょうが、それはどうかご容赦下さい。
連絡事項として、コモンズには存続票を取り消して削除票を投じておきました。
また、私もそれなりに今回の責任を取りたいと思います。覚悟は出来てますのでいつでも「投稿ブロック」をかけてください。無期限でも構いません。後のことは宜しくお願いします。--Tsubasabbs 2011年3月2日 (水) 12:58 (UTC)
情熱なんてありません。責任感です。
>無責任な奴だと憤られるでしょうが
「憤り」はしませんが無責任だとは思います。
で、どうやらまだ(私以外の複数第三者から)説明を受けているのにお分かりになっていないようですが、確固たる法的問題を説明しなければもはやコモンズからは削除出来ないのです(それは私も「疑わしきは削除」というjawpのあり方がコモンズにおいても有効だという誤認をしていた訳ですが)。--Kinno Angel 2011年3月2日 (水) 23:36 (UTC)

コモンズでのご投稿について[編集]

この投稿ですが、少なくとも、最後の文は余計でしょう(以下、引用はcommons:Commons:Deletion requests/File:Takasakiseikyoukai3.JPG 12:27, 2 March 2011より)。

第一に、これ自体に具体性がなく、いったいTsubasabbsさんの何を「many users」が問題にしているのかよく分かりません。そのように受けとれば根拠のない非難だということになりますし、たぶんコモンズの人たちもそう受け取るのではなかろうかと思います。

また、仮にこれがその前段を受けて「it was forced from Kinno-Angel in an discussion with him」という発言を問題にしているというのであれば、「many users」がそうしているようには思えません。たしかに、私は、それを問題にしています(いました)。しかし、Kinno Angelさんを除いて、他にこの発言をとくに問題としている人がいらっしゃるでしょうか。むしろ、Dwyさんのこの発言はその点も含めてTsubasabbsさんを擁護しているように思えます。

第二に、「皆がこういっている」式のことはあまり申し上げたくはないのですが、Wikipedia:コメント依頼/Tsubasabbs20110223の動向は、Tsubasabbsさんのみを非とし、Kinno Angelさんに非はないというものでは決してないでしょう。Tsubasabbsさんにライセンス理解不足があったことについては異論がないといってよいでしょうが、問題となっている画像がプライバシーを侵害しているといえるかどうかもはっきりとした意見の一致があるわけではありません(むしろ堂役さんが聖職者ではないということが明かになる以前は、問題ないだろうといったニュアンスのほうが強かったように見えます)。

そのライセンスの理解不足の件を除いては、実質的にKinno AngelさんによるTsubasabbsさんへの非難については言及していない、というのが大勢ではないかと思います(私も意図的に言及していません)。その状況で「His behaviour brought on much criticism by not only me but also many users on jawp」というのはまったくの嘘とまでは言えないまでも、かなりミスリーディングだろうと思います。

できれば、この最後の文は訂正くださることを希望いたします。--mizusumashi(みずすまし) 2011年3月2日 (水) 15:59 (UTC)

mizusumashiさんに半分納得します。
>仮にこれがその前段を受けて「it was forced from Kinno-Angel in an discussion with him」という発言を問題にしているというのであれば、「many users」がそうしているようには思えません。
これについては誤解の無いようにコモンズにおいて訂正しておきました。また確かにコメント依頼では彼の態度についてはどなたも問題にしていないので、その点についてもコモンズで訂正しました。もしコモンズでの私の「訂正」に異議がまたあれば仰って下さい。
>そのライセンスの理解不足の件を除いては、実質的にKinno AngelさんによるTsubasabbsさんへの非難については言及していない、というのが大勢ではないかと思います
コメント依頼では確かにそうですが、既に彼は私への暴言を理由に短期ブロックされた他、彼の会話ページにおいて、他の方3名からも態度については(「たしなめ」から「批判」まで温度差はありますが)指摘を受けています。「言及していない」のも確か3名か4名ほどだったかと思いますので(数に誤りがありましたら御教示下さい)「大勢」というのはそれもまた事実誤認でしょう。--Kinno Angel 2011年3月2日 (水) 23:36 (UTC)

コンテスト記事についてのお願い[編集]

ご無沙汰しています。ウィキペディアのロシア正教関係項目でのご活躍に敬意を表します。さて、実はこのほど「Wikipedia:第7回執筆コンテスト」に「スコモローフ」でエントリしました。私なりに調べて書いたものの、ロシア語やロシアに関する事柄の知識に乏しく、見当違いの記述などがないか心配しています。スコモローフは歴史的にロシア正教会と浅からぬ関係があるようで、もしよろしければ、項目に目を通していただけないでしょうか。さらにご意見などいただければ幸いです。なお、関連分野で実績があると見込んだ方数名に同様のお願いをしておりますことを申し添えます。--みっち 2011年3月5日 (土) 00:12 (UTC)

みっちさん、ようこそ。
さて、私もそれほどロシア正教会の全てに詳しい訳ではありません。私の主要執筆分野はロシアに限定されない正教会ですが、それはロシアに限定されない全世界の正教会について広く、かつ薄く齧っているという程度のものでありまして、スコモローフとの関係についてはまるで存じません(正教会=教派・信仰名、ロシア正教会=組織名です。「正教徒」も参照して下さい)。
ただ、記事「スコモローフ」における正教用語・記事リンク先については、幾つか先ほど修正をさせて頂きました。この位しかお力添え出来ませんこと、お詫び申し上げます。--Kinno Angel 2011年3月5日 (土) 02:06 (UTC)
さっそく対応していただき、感謝します。修正していただいたリンク先の記事も興味深いもので、いろいろリンクをたどるだけでも楽しい感じがするのではないかと思います。今後ともお気づきの点がありましたら、よろしくお願いします。--みっち 2011年3月5日 (土) 07:02 (UTC)

ご報告[編集]

ついにイザヤさんのコメント依頼を実行しました。ものすごい長文になってしまいましたが、個別論論点は「旧・聖絶」や「ヘレム」等のでの議論を中心に取り上げました。それ以外にはスタブ量産について大きく取り上げました。列記したところ、ものすごい量です。簡単ながら、以上ご報告します。--Bokemiann 2011年3月8日 (火) 13:56 (UTC)

ご挨拶[編集]

最近活動なさっていないようですが、まさか地震・津波で被災なさったわけではありませんよね……?

活動縮小とのことですので、たんにそのためだと思いますが、ふと心配に……。--PRUSAKiN 2011年3月18日 (金) 17:02 (UTC)

横から失礼します。レスの日付が2011年3月7日 (月) 12:10 (UTC)で、これは震災前ですから、おそらく大丈夫でしょう。もしご心配なら共にご無事を祈りましょう。--Tsubasabbs 2011年3月20日 (日) 06:31 (UTC)

あ、ありがとうございます。無事と健康をお祈り致します。

前日3月10日まで活動なさっていたのがそれ以降、つまり震災以降の活動記録が一切ないようなので、心配しています……。「元々諸事情で活動縮小のつもりだったが、被災したので輪を掛けて活動できない」、とかいう事態を……。--PRUSAKiN 2011年3月20日 (日) 15:49 (UTC) コメント日時修正。--PRUSAKiN 2011年3月20日 (日) 16:47 (UTC)

久々に色々な記事を巡回していたところ、私もPRUSAKiN様と同じくKinno Angel様が活動されていないことに気づきました。3月11日以降、活動が無いようですのでもしかしたらという考えが頭を過ぎっております。何卒、Kinno Angel様がご無事であることを切に願っております…。Kinno Angel様に神の祝福のあらん事を!--Hideokun 2011年5月9日 (月) 03:44 (UTC)

生存の御報告&お詫び&お断り[編集]

皆様に御心配をおかけしましたこと、お詫び申し上げます。震災の影響が物理的にあったかについては、狭い世界なものでその有無を申し上げるだけでまた私個人の特定が容易になってしまいますので、申し訳ありませんが申し上げられません…。ただ、震災を契機に色々と考えることがあったのは事実で御座います。

ウクライナ正教会チェルノブイリの救主と呼ばれるイコンがあります(Икона «Чернобыльский Спас»)。イコンに聖人ではない人々が描かれるのは、正教会では大変珍しいことです。チョルノーブィリで起きた人類未曾有の惨劇に、神の救いがあるよう祈りが込められ、2003年に成聖されたものです。

同様の事故が福島で起きてしまいました。福島原発事故の解決を祈ります。

「いきなり多忙になった上に、書く時間もエネルギーも意欲もいきなり無くなり、色々と暫く落ち着きたかった」ということもありました。多分、ここ数年で最も人格的な変容を迫られた時期であったとも言えると思います。

もし各種ノートページで、私の編集にかかる問題が生じている場所があれば、お知らせ下さい。可能な範囲で対応させて頂きます。

しかしもはや、以前のような活動ペースには戻ることは出来ません。活発な議論も出来なくなっております。そのことで皆さまに御迷惑をおかけすることもあるかもしれません。(もちろんこれを言い訳にするようなことはしないつもりですが)予めお詫び申し上げます。--Kinno Angel 2011年9月1日 (木) 16:22 (UTC)

PRUSAKiNさん、Tsubasabbsさん、Hideokunさん、御心配をありがとうございました。--Kinno Angel 2011年9月1日 (木) 16:22 (UTC)

iw[編集]

Hello! It is sometimes hard to find the correct interwiki links in a language I don't know. Thank you very much for your help! Place Clichy 2011年9月14日 (水) 16:33 (UTC)

お礼[編集]

「杉原千畝」の項目に関しまして、聖名に訂正を入れて下さり、ありがとうこざいました。千畝氏は、ハルビンの在外教会で、ご家族は、戦後に神田のハリストス正教会で洗礼を受けられたとの由です。過日、洗礼台帳を調べるためにお茶の水まで参ったのですが、何か内部でごたごたがあったようで、1960年より以前のものは残っていないとのことでした。また、お知恵を拝借致したく、よろしくお願い申し上げます。Tizizano 2011年11月3日 (木) 22:07 (UTC)

こんにちは[編集]

お世話になっています。今回のブロックの期間についてコメントをいただきましたが、今回は「それは駄目でしょう。」という強い暴言であり、1週間は最低ラインであると判断しています。僕の見た範囲内では今回が最初だと判断していますので、(数日以上経過して)クールダウンができていると他の方が判断されて解除依頼が出されたら検討する案件だとは思いますが、最初から数日程度では軽すぎると考えます。KMT 2011年12月30日 (金) 17:35 (UTC)

御判断は承りました。こういう「量」に関わる問題は、大人数の判断に委ねた方が良いとは思うのですが、現在のjawpのシステムそのものに改善の余地があるのではと近頃思っております(これまで形成されてきた成果にもそれなりの合理性と理由があるのだろうとも思いますが)。取り敢えず、KMTさんの御判断ではあれが妥当ということだったのでしょうけれど、私は妥当ではない、と思った次第です。まあその辺は、私も「自分の判断が絶対に正しい」と思っているのではなく、あくまで「(私から見れば)重過ぎると思う」の「一票」を入れたもので御座います。解除依頼は私がするかもしれませんし、他の方がすれば賛同します。他方、そこで「いや1週間が妥当だ」が多数派になるのであれば、ゴリ押しするつもりもありません。--Kinno Angel 2011年12月31日 (土) 02:03 (UTC)