利用者:Muyo
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Muyo(無用またはムヨなど、お好きな呼び方でどうぞ)と申します。ユーザー番号14948です。私自身へのご連絡、ご意見などは会話ページまたはウィキメールをご利用ください。
改名にあわせシングルログインとしております。
- 利用者:ムヨは別アカウント。
自己紹介
- 初投稿は2004年12月4日 (土) 18:13 (JST) です。その後しばらくの休眠期間を経て2005年3月12日 (土) 22:57 (JST) から本格的に活動を開始しております。
- 2023年現在は福岡県福岡市在住。今のところ人生の半分以上を九州で過ごしております。
- 皆様のご信任をいただき、2008年11月25日に管理者となりました。よろしくお願いします。
興味のある事柄
ウィキペディア(ウィキメディア)での活動
データ
- ウィキペディア中毒テスト:264点・・・(2010年7月14日 (水) 17:02 (UTC))
- 実績らしきもの
自分が主に行う編集
基本的には鉄道・バスを中心とした公共交通に関する記事でのみ活動しております。記事の執筆、加筆、撮った画像のアップロード(コモンズ)などが中心。ほかに九州・山口の市町村の記事などにも手を出すことがあります。
詳細な活動記録は以下をご覧くださいませ。
写真
2007年10月以前はウィキペディア日本語版にアップロードしていましたが、それ以降はウィキメディア・コモンズへアップロードしております。ウィキペディア日本語版にアップロードした画像についてもコモンズへ順次移しております。
場合によってはすでにある画像を差し替えさせていただくことがございます。
たわごと
- 定義文を命題と考えたとき、なるべく「逆もまた真である」ような定義文にしたいと思います。
- 「Aは○○である」という定義文を「A⇒○○」という命題と考えたとき、「○○⇒A」も真になるような定義文でありたいということです。
- 読者の要望・批判は尊重されるべきと思いますが、方針(五本の柱)から逸脱したものは別です。読者にとって有益な編集が方針に反するときは、方針を優先せざるを得ないでしょう。日本のメディアにいろいろな不満や嫌悪感はあるでしょうが、ウィキペディアは正しいメディアの姿を追求する場ではありません。
- ウィキペディアに載せられるかどうかと、その事物の重要性とは別です。
- たとえ非常に重要な事物・事象であっても、信頼できる情報源の出典がまったくないなど、ウィキペディアに載せられない場合もあります。
- 逆に取るに足らない、くだらない、百科事典に載せるようなものではなさそうな事物・事象であっても、出典がたくさんあればウィキペディアに載る場合もあるでしょう。
- 形式上は信頼できる情報源の要件を満たしていても、その種類や執筆者などによっては、「知識の乏しい人による不正確な記述が多い」「現実味のない荒唐無稽な記述が多い」などの理由で、一般的に出典として使うのは敬遠されている場合があります。
- 私も人間ですから、自分の個人的感情もありますし、思想信条もあります。しかしながら、ウィキペディアはそれらを露骨に出す場ではございません。
- ウィキペディアの方針に沿うためにやむを得ず右翼的/左翼的な記述の修正、あるいは明らかに社会正義に反する編集や管理権限の行使などを行う可能性がありますが、それは自分の個人的感情や思想信条その他を反映したものではありません。
- また「それはあなたの個人的な考えである」として記述を差し戻し/除去した場合、その考えには反対しているかもしれませんが、心底では賛同しているかもしれません(どちらにしても百科事典の記述には無関係なので賛成/反対は表明しません)。
- 自分がよく知っているもの、自分が強い関心を示しているものであろうとも、特筆性を根拠にした削除依頼を出す可能性はあります。「自分が知らないから削除依頼を出している」と決めつけないように。
- 「ぼくがもんだいだとおもった」は「問題になった」と同義ではありません。
- 何らかの形で「社会をよくしたい」との強い思いを抱いたり、またその思いを胸に実社会やインターネット等で活動されたりするのは自由ですが、ウィキペディアは「正義」ではなく「中立的な観点」「検証可能性」が重視される場です。たとえ真っ当な主張でも、それをそのままウィキペディアでぶつけることは基本方針に抵触することになるでしょう。そうした活動・主張をされている方におかれましては、その強い思いに突き動かされながらウィキペディアで活動するより、ウィキペディアのことは忘れ、他の場所で活動されたほうが幸せかと思います。いつか検証可能性を満たすようになり、誰かが書いてくれる日も来るでしょう。
- 大きな政治問題や社会問題に対して一方の立場を支持することを表明しつつ荒らしたりルールに反した投稿を繰り返したりした場合、その立場に対する心象は非常に悪いものとなります。
- あなたが長い間の実務・研究・各種活動などで知り、お書きになられた事柄が検証可能性や独自研究は載せないに反するとして消されることもあるかもしれません。こればかりは本当に申し訳ありませんがご理解いただきたく。
- 「百科事典として『○○○』の記事があったらいいのに」と思うことはよくあるけど、「○○○」に関する信頼できる情報源が存在するのかどうか確証が持てず、ウィキペディア内で大っぴらに言いにくいことが多い。
- 記事を読んで「えっ? なぜこんな常識的なことが書かれていないの!?」と思ったときは、それをうっかり安易に書かないように。それは常識的なようでも信頼できる情報源たる出典がない事柄の場合が多いです。正式に公表されていない事柄で、書くと削除される場合もあります(例:芸能人の本名とされる名前)。
- そもそもあなたより知識のある方がたくさん編集に参加しているにもかかわらず、それが書かれていないということはどういうことかじっくり考えましょう。
- 右寄り/左寄りの思想など、偏った思考をお持ちであるだけでは投稿ブロックの対象になりません。ただし、ウィキペディアは中立的な観点すなわち理想的には中立・公平・公明正大が求められる場です。
- 「中立的な観点」とは「正しい観点」ではありません。
- 論争の存在する事柄について、論争が存在するという事実を冷静に受け止めず、どちらか一方の立場を「正しい」と信じ込んでいるのであれば、結果としてウィキペディアの方針に著しく反した振る舞いを行ってしまう可能性が高いと思います。
- 敵側の記述であっても、信頼できる情報源の出典がある記述はむやみに除去しないでください。
- 他者に中立性を要求する者は中立的ではない。
- 方針に賛同するなら誰でも書けるが、誰でも書ける記事に対する評価は低い。
- どんなに大多数が抱いていようと主観は主観。客観にはならない。どんなに合理的で大多数が納得しようと推測は推測。事実にはならない。
- 意見の主張はそのまま意見の主張として書かず、「○○は~と主張している」という第三者視点の書き方を。
- 一つの文にいくつも出典がついている場合は暗に意見の主張が入っている場合が多い。特に多数のニュース記事にリンクして「これだけ多い」と主張したがる人が多い。
- 何らかの問題から書き始める記事は(その問題を解決することを謳う)商品もしくはそれを製造販売している企業の宣伝である場合が多い。
- 因果関係について、一度WP:SYN(特に「ロックバンドのガガガガーは…」以下)、前後即因果の誤謬、擬似相関などを熟読してほしい人が多い。
- いかに合理的に思えても前後即因果や擬似相関はそれ以上のものではありません。
- ある命題が真であっても、逆や裏は真ではありません。また、対偶も真ではないと考えるべきです。
- 事件・事故の記事において、報道に関する記述はほどほどに。事件・事故そのものに関する記述より報道に関する記述が多い記事は論外(報道そのものが事件的である場合は例外)。ウィキペディアは報道研究の場ではない。
- 個人がYouTubeやニコニコ動画などの動画投稿サイトにアップロードしたテレビ番組の動画は出典になりません。無許諾でのアップロードであり著作権侵害という犯罪行為になる場合が多いですし、意図的に捏造・改変したものをアップロードしている可能性が絶対にないとはいえませんよね? あなた自身は捏造をしていないことを認知しているとしても、あなたがいくら「捏造していない!」と言ったところで信頼性はありませんし、見る側はそれを確認する手段を持ちません。
- 個人サイト・ブログに載せた新聞・雑誌等の記事の引用文やスキャン画像も出典になりません。これも上記同様に意図的に捏造・改変している可能性が絶対にないとはいえないので。上記と異なり、見る側に確認する手段がまったくないわけでもないでしょうが、手間がかかりすぎます。
- 「隠蔽」と言われた編集が本当に「隠蔽」というべき編集だったのを見たことがない。
- 逆に本当に「隠蔽」というべき編集が「隠蔽」と言われたのも見たことがない。
- 「一方的に消すな」「ノートで議論を」という人は本当にノートで話し合ったら自分の主張をただただゴリ押しするだけ。いつまでも納得しない。
- ネット上に出たとされる(ひょっとしたら執筆者が捏造したのかもしれない)無名の大衆による批判より、名前と権威と知識と経験があり関連的なことに精通している批評家・批判者による批判のほうがよっぽど重要。たとえそれが部外者から見て的外れであっても。
- 「方針違反の記述が長期間修正されないままであった」は「その記述が容認されていた、正しいものとして受け入れられた」ということではありません。
- 異議申し立て期間・アピール期間といったものは存在しません。
- 自分に都合のいい答えの「科学的」「論理的」な主張は本当にすばらしく感じるものです。しかし、一般社会に広く認められない限り、あくまでも「そういう意見が存在する」以上でも以下でもありません。
- ウィキペディアの記事は自分の意見を述べる場ではない。
- 「あまりにも情熱を持っている事柄については執筆を避けてください。」(Wikipedia:エチケットより)
- 自分自身があまりにも強く賛成・共感している事柄、逆にあまりにも強く敵視・憎悪・否定している事柄、あまりに深い関心を持っている事柄については、出典があっても書かないほうがいいでしょう。
- 自分がある程度の距離を置いている事柄であれば、出典をあたって書いていけばある程度の中立性は保てます。
- 逆に、自分があまりにも情熱を持っている事柄では、出典をもとに書いているつもりでも…
- 偏った出典ばかり使っているため、偏った内容になる。
- 書いているうちにいつの間にか自分の思いがにじみ出たりして、独自研究のようなそうでないような極めてもやもやした文章になる。
- こういうのはなかなか消しにくいのですが、ウィキペディアの質を落とすことになるのでやめてほしい。はっきり言ってグレーな独自研究。
- 自分自身があまりにも強く賛成・共感している事柄、逆にあまりにも強く敵視・憎悪・否定している事柄、あまりに深い関心を持っている事柄については、出典があっても書かないほうがいいでしょう。
- 敵味方が生じるのは仕方ありませんし否定しませんが、ウィキペディアは戦いの場ではありません。
- 「ウィキペディアは100%正確ではない」「読者が正確性を判断すべき」は記事を書く側がおおっぴらに言うことではない。ましてや怪しかろうが独自研究だろうが好き放題書くことを許されるための魔法の言葉ではない。
- 「この世からなくすべき有害な事物・人物」だからといって、その事物・人物の記事を削除依頼に出さないように。
- 初心者とおぼしき方(IPユーザー含む)にこういうことをする方が意外におられます。
- 賞賛ばかりの記事どころか、批判で埋め尽くされた記事さえも受容できないほどに存在を抹殺したいのか、それとも検証可能性を守ると賞賛ばかりの記事にしかならないのか…。
- 日本語版は日本版にあらず。英語版はアメリカ合衆国版にあらず。フランス語版はフランス版にあらず。スペイン語版はスペイン版にあらず。
特筆性について
- もしあなたがお作りになられた記事が独立記事作成の目安(いわゆる特筆性)を根拠とした削除依頼を出された場合、あなた自身が他の方を納得させる形で特筆性を証明するのは難しいと思います。
- 当然のことながらあなた自身は「これは百科事典に特筆されるべき事物である」と思って記事を作ったわけですよね? それにもかかわらず特筆性を示せていないという事実を認識すべきでしょう。
- 作成者自身は削除依頼でむやみに発言しないほうがいいと思います。どうしてもというなら、一度で相手を納得させられるだけの説得力のある発言をお願いします。削除票が出るたびに様々な理由を付けて何度も何度も繰り返し存続を訴えれば訴えるほど、逆に存続の可能性は下がるでしょう。
- 削除依頼を出す側も「特筆性のガイドラインを満たしていない記事」に基づきある程度の調査を行っており、その上で提出された削除依頼に対して、作成者自身が反論しても有効性は少ないのです。
- 削除された記事でも、適切な改善がなされた場合、またはその記事の記述対象たる事物に対する状況の変化が生じてその事物が百科事典に記載されるべきものとなった場合、記事は再作成できます。そうして復活を果たして発展している記事もたくさんあります。
- 削除したからといって、その事物の百科事典的価値を永久に否定したわけでもありません。ましてや、その事物を葬り去るべきなどとはまったく考えておりません。削除された場合でもあまり気を落としたり、削除した管理者を恨んだりしませんように。
- まずは記事を改善することを試みましょう。ウィキペディアとは別に記事の原稿を保存していれば、その原稿までも消されるわけでもありませんし。
- ただし何の改善もなしに記事を再作成すると即時削除されます。
- 非常に重要な事柄であるにもかかわらず、様々な報道事情により情報が不十分で十分な出典が得られず、削除のやむなきに至ることもあるかもしれません。そのようなことがあった場合、それはウィキペディア側ではなく、報道を十分にしない側が非難されるべきです。本当にその事柄に本当に強い関心があるのなら、現実世界で様々な活動を行い、もっともっと世に広く知らしめてから再作成することをお勧めします。これが最も発展的ですばらしい手法です。信頼できる情報源でない情報源をいくら使ってもダメですが、頑張れば信頼できる情報源に取り上げられるかもしれません。
- まずは記事を改善することを試みましょう。ウィキペディアとは別に記事の原稿を保存していれば、その原稿までも消されるわけでもありませんし。
- 今現在の時点において特筆性がないものは削除というのが基本です。「将来的に百科事典に記載されるべきものになる(かもしれない)」というのは受け入れられません。たとえその「将来」が明日であってもです。したがって「特筆性があるかどうかもうしばらく様子を見る必要があるので存続」といったコメントは本来あり得ないはず。今現在特筆性がなければ削除、あれば存続です。
- 例として「間違いなく必ず売れて有名になる有力な新人アイドル」には特筆性はないです。有名になればその時点で特筆性がありますが、有名になるまでは特筆性はありません。
- 建設・開設される計画のある施設、実施に向けて動いている法制度などについては、今までの経緯を出典付きで書けるのであれば計画中・建設中・各種作業中の段階でも特筆性があるでしょうし、たとえ実現しなくても実現に至らなかった経緯を出典付きで書けるのであれば特筆性があるでしょう。
- 日本の政治家の特筆性については概ね以下のような運用です。
- 国会議員 - 基本的に無条件に特筆性あり。まず間違いなく出典はいくらでもある。
- 都道府県知事 - 基本的に無条件に特筆性あり。まず間違いなく出典はいくらでもある。
- 市町村長・特別区長 - 今のところ基本的に特筆性ありとされるが、ことさら目立った実績を何も残さない場合もあり、異論もある模様。出典はいくらかあるとは思うけど…。
- 首長職務代理者 - それだけでは特筆性なし。一時的に置かれるだけで、選挙で選ばれるわけでもないし、すぐに改めて首長が選挙で選ばれるはず。出典があるかどうかも怪しい。なお経歴や実績によっては特筆性がある場合もある。また重大な政治問題に関連している場合、単なる首長職務代理者であっても特筆性がある場合も例外的にあるだろう(例:謝花喜一郎)。
- 都道府県・市町村・特別区議会議員 - それだけでは特筆性なし(経歴や実績等によっては特筆性がある場合もある)。全国に約35000人いるうえ、何ら目立った業績を残さず出典も残さない議員も多い。過去の議員についてもすべて収録するのは無理。
- 候補者 - 国会議員・都道府県知事・市町村長といった、就任すれば特筆性がある役職に立候補した者であっても、当選しない限りそれだけでは特筆性なし。被選挙権は25歳/30歳になれば基本的に誰にでも与えられますし、供託金や選挙費用が出せる/調達できるというだけでは特筆性はないです。
- 都道府県・市町村・特別区議会議員や候補者の記事があるとすれば、たとえただのデータだけの記事のように見えても、その人物は何か特筆に値する要素を持つはずです。「○○議員・△△候補の記事はあるのになぜオレの作った議員・候補記事は削除されるんだ?」と言う前にその人物について調べてください。
- ただ単にその事物について取り上げている新聞記事、雑誌、ウェブサイト(ニュースサイト)を羅列しただけでは特筆性の証明になりにくく、他者を納得させられない場合が多いでしょう。
- なお、本来は特筆性は記事を書く側が示すべきものです。
- WP:FAILNは削除という手法を用いようとするにあたって
- 新規記事を書く人はウィキペディアのルールに精通していない人も多い
- たとえ削除の方針や即時削除の方針に抵触していても、なるべくなら削除したくない
- ということなどを考慮したベテランユーザーによる特別の配慮とお考えください。記事を書く側がそのような配慮を当然のように自ら要求するものではありません。
- WP:FAILNは削除という手法を用いようとするにあたって
- 特筆性があるというのは「面白い」ということではありません。
- マスコミがある事象に関して過度にギャーギャーワーワー騒いだ場合、その事象についてはメディアへの露出度の割に特筆性がない場合もあります。
- まあ私も人間ですから、私を直接攻撃した者の特筆性はあまり認めたくないものですね。他の皆様には関係ないでしょうけれども。
誰もが知っている言葉と、いわゆるケースE案件について
注:ケースE案件=削除の方針ケースEの抵触が指摘された削除依頼。
- 誰もが知っている言葉を記事化することについて、いかなる概念であるか、どういった歴史を経てどのように使われている(いた)のか、出典を付けて説明できるなら百科事典であるウィキペディアの記事として有用ですが、語義以外の事柄を出典付きで説明できない言葉は「百科事典的な記事に成長する見込みのないもの」であり、ウィキペディアではなくウィクショナリーで扱うべきと考えます。
- いかなる記事であれ、全文が完全に独自研究で構成された記事は原則的に削除対象です。
- 誰もが知っている言葉は出典のあるまともな記事に改善できる可能性があるので、削除依頼を出したときには意見が分かれるようです。
- 個人的にはもし削除依頼を出した後に実際に改善がなされれば早急に削除依頼を取り下げ(削除票を存続票に切り替え)、存続させるべきですが、実際に改善がなされなければそのまま削除すべきと思います。
- まともな記事に改善されなくとも、「まともな記事に改善できる可能性がある」というだけで存続を主張する方もおられるようです。
- なお、独自研究を理由に削除されたのち、削除された後に出典のあるまともな記事として再作成された場合、その記事は削除対象にはなりません。
- 誰もが知っている言葉は出典のあるまともな記事に改善できる可能性があるので、削除依頼を出したときには意見が分かれるようです。
辞書(ウィクショナリー)と百科事典(ウィキペディア)
(原則)
- その語が指し示す事物の内容を説明する → 百科事典
- その語の語義を説明する → 辞書
- その語の語義と語源を説明する → 辞書の範疇と思われるが、百科事典の範疇と考える人もいるらしい。
- その語の語義と、その語が生まれた経緯、その語が生まれたときの関連する時代背景・社会状況等を説明する → 難しいところだが、今のところ、百科事典の範疇という考え方が優勢なようである。語義を説明する、あるいは語義と語源を説明するより一般的には楽しい作業であり、ウィクショナリーとウィキペディアの盛り上がり方の違いの一つの要因であろう。
- 個人的には新語については別に新語百科事典的なウィキメディアがあればとも思う。新語が続々生まれるのは現在の日本独自の現象というのが壁だが。
- その語の正確な語義をロクに説明せず、その語がメディアや著名人により用いられた記録を逐一列挙する → 辞書でも百科事典でもない。それがやりたいなら他の場所でやっていただきたいところ。
速報について
- 速報自体は「速報であることを理由に」否定しない。
- しかし、速報を書くときにその事柄に対してウィキペディアでの執筆に必要な冷静・中立的・客観的な姿勢を保つのは難しいと思う。
- そして、その姿勢を保てないためと思しき以下のような事態が頻発するにつれて速報に対する心象も悪くなっていく。
- 情報が混乱中の速報的な記述
- わずかな文章と出典のURLを書いただけで、カテゴリを付ける、スタイルを整えるといったことをいっさいしていない記事
- よほど「一番乗り」で投稿したいのであろうか。
- まとめサイトなどをソースとした記述
- 信頼できる情報源に比べて情報の出が早くて量も多く、信頼できる情報源が出さない情報も出るなど、使いたい気持ちはわかりますが、方針に違反しているうえ、デマに加担する元にもなるのでダメです。
- 「遺族が泣き崩れ悲しみと怒りをあらわにしていた」「誰某(事件と無関係な有名人・政治家)は『○○』とコメントした」など、事件・事象を説明するのに何の役にも立たない取るに足らない事柄の記述
- 「起こったばかりのこと」「現在進行中のこと」「強い政治性を有すること」は何もかもがとてつもなく重要なことに見えるものです。
- 主観を入れた独自解釈的な内容の記述
- 助詞の使い方がおかしいなど、まともな日本語になっていない文章の記述
- 「書きたい!書きたい!!」という気持ちが強く前に出過ぎているときにまともな日本語を書くのは難しいものです。
- 著作権侵害(ニュース記事の転載など)
- プライバシー侵害(被疑者・被害者の氏名記載など)
- 編集合戦
- 事件・事故・災害から長期間経過し、他の出来事が発生したとたんに放置
- 新規アカウント、もしくはそれまでほとんど活動していなかったアカウントによる記事作成・編集
- いちいち事件ごとにアカウントを使い分けて記事を書かないように(しかもアカウントの使い分けを知らせずに)。
- 事件の内容には大して関心を示さず、事件の報道に関することにやたらと興味を示す
- ウィキペディアは事件に関する報道について記述するものではなく、事件そのものについて記述するものです。
- 速報に対する制限に反対の声を唱える人々はこの冷静・中立的・客観的な姿勢を保てる人なのだろう。その確固たる姿勢を保てるからこそ、自信を持って反対できるのだろう。
過去の(ウィキペディアが世に出る以前の)諸問題の記事はスカスカ、現在(数年前以降)の諸問題の記事は報道をただただ垂れ流すだけ、という状況を改善できれば速報に対する心象もよくなりそう。
まあしかし、ウィキニュースでニュースを書くのはつまらないのに、ウィキペディアでニュースを書くことはとてつもなく楽しいと思う人も多いのだろう。なぜだかわからないが。
宣伝について
- Wikipedia:即時削除の方針#全般4「宣伝」は営利目的の事物でなくても適用されます。純粋にこの国を少しでも良くする気持ちで活動しているであろうボランティアや活動家、有益にして無料の品物、その他何か無償のモノ・サービスであっても同じです。
- 「どの点が『広告・宣伝』に該当するのか具体的に指摘してほしい」「『広告・宣伝』にならないようにするにはどうしたらいいか」等のお問い合わせには応じられません。ウィキペディアは本来的にはいかなる形であれ何かの組織・人物・商品を宣伝する意図での投稿をお断りしているからです。
- 広告・宣伝とみなされやすい記事として次のような傾向があるようです(必ずしも削除されるわけではありませんが)
- 広告の文章をそのまま、あるいはそのままただ常体に変えただけ。
- 会社名、その会社の代表者名、商品名と同じ名のアカウントでその会社・商品の記事を作成する。
- 「株式会社」などを付けた記事名(社名)で記事を作成する。
- 新規アカウントで記事を作成する。最近は会社名・商品名のアカウントを回避し、会社名・商品名と無関係な名の新規アカウントでの広告宣伝記事が増えているようです。
- 企業の記事とその企業の起業者の記事を続けて作成する。
- ロゴ画像を投稿する。
- 多数の外部リンクがある。「こんなメディアで取り上げられました!」という宣伝と、特筆性の証明を兼ねているのであろう。
- 「宣伝」とは良いことを広めようとするだけではなく、悪いことを広めようとするのもまた「宣伝」です。
- 組織・人物の悪行や商品の悪評を世間に知らしめる意図で記事を書いた場合、それもまた「宣伝」となるでしょう。
- ある企業や団体が宣伝記事を作ったからといって、その記事にその企業や団体の不祥事を加筆するのは、改善にはなりません。
- あなたが何かの組織・人物・商品を宣伝しようという気持ちでそれの記事を作るのであれば、いかなる小細工をしようとも宣伝記事になります。
- あなたがその組織・人物・商品の直接の関係者ではなく、「とにかく好き!」「みんなに広めたい!」「応援したい!」という気持ちで作った記事は宣伝記事のように見えてもなんとなくわかりますし、特筆性があれば削除対象にはなりにくいと思います。
- ただ、事前にマスメディア等にちょっと売り込んで載せてもらえれば、宣伝記事でも存続しやすいという面もあるのはウィキペディアの弊害として存在する。
- 明らかに「出典武装」している記事もある。
- 明らかに宣伝の意図をもって書かれた記事であっても特筆性があれば削除されないのが慣習ですが、明らかに宣伝の意図をもって書かれた記事は上記のように「こんなメディアで取り上げられました!」などを一緒に載せてくるため、特筆性を判別するのは非常に困難です。
出典に関する問題などを示すタグの意味合い
少なくとも私が使用する場合は下記のような意味合いで使用しています(タグの基本的な使い方についてはそれぞれのタグの公式の説明をお読みください)。
- {{出典の明記}} - 出典が全くない。または、ごく一部の文に脚注で出典が付けられているだけで、参考文献が挙げられていない。誰が見てもわかる状態であり、記述内容が正確か不正確かは問わない。事実に基づく正確な記述であれ、何かを参照して書いた記述であれ、出典が示されていなければこのタグを貼られてもしょうがない。「どの部分に出典を求めるのか具体的に示すべき」というものではない。
- {{単一の出典}} - 記事がひとつの出典のみに依拠している。「種々の分析・見解・意見等がある事物であるにもかかわらず1つの出典しかないため記述が不正確だったり偏ったりしている可能性が高い」という意味合いが強く、記述対象の事物のバイブル的・教科書的な書籍などを参照しているのであれば、たとえ出典が1つだけであってもこれを付けるべきでない場合もある。
- {{参照方法}} - 参考文献は挙げられているが本文中で出典として結び付けられていない。「記述対象と関連のありそうな文献を示しただけで、実際には記事作成者の独自見解を織り交ぜている可能性が高い」という意味合いが強く、記事全体がきちんとその参考文献を参照して書かれていると思われる記事については、本文中で出典として結び付けられていない場合でもこれを付けるほどではない場合もある(厳しい人だと、付ける人もいるのかもしれないが)。
- {{独自研究}} - 独自研究が書かれている。(主観や憶測の入らない)事実の記述や、何かを参照しているが出典が示されていない場合、あるいは出典が信頼できる情報源の要件を満たさない場合は含まれない(ただしこれらも「信頼できる情報源の出典がない」ということで問題ではある)。出典がないことと異なり、誰が見てもわかるわけではない場合が多い。したがって、よほど誰が見てもわかるような独自研究でもない限り、どの部分が独自研究なのか具体的に示すべきである。
- {{未検証}} - 記事の内容について検証の必要性がある(要するに記事自体が怪しい)状態。当然、どういう点で怪しいのか、他の人にはわからないので、タグを貼った人が具体的に示すべきである。
- {{宣伝}} - 宣伝意図であることが明らかな記事。記事の記述対象に特筆性がある場合でも、文体があまりにも宣伝的であると判断した記事(特筆性がなければ削除・即時削除対象である)。
- 個人的には削除しようとかいう目的ではなく、「宣伝であることを明確にするためのタグ」として位置付けたいと考えておりますが、必ずしも同意されないかもしれません。
カテゴリ・リダイレクト
- 「よく知られている通称 → あまり知られていない正式名である記事名」へのリダイレクトは有用だと思う。
- 「あまり知られていない通称 → よく知られている正式名である記事名」へのリダイレクトにはあまり有意義性を感じない。
- 「厳密な定義」と「一般的な認識」に大きな乖離があるものはカテゴライズしてもあまり有用でないのではなかろうか。たとえば「犯罪者」など。
人物の記事(主に存命人物の記事)
- 存命人物の記事はその性質上、情報源が本当に存在しない記述なんてものは禁止でもあるが、それ以前にそんなもの(物理的に)作ることはできないんじゃないかなあ?
- あるとすれば
- 執筆者の妄想
- 本人とごく親しい・近しいなどで、本人から直接話を聞く
- 独自に本人を追跡調査
- 1.は豊かな想像力が必要、2.は本人との強いコネが必要、3.はものすごい行動力・情報収集能力が必要。どれもありえなくはないが通常の人では考えにくい。とするとあとは「情報源が存在するが信頼できる情報源の要件を満たしていない」パターンか。
- あるとすれば
- 性質上、すべての発言が検証可能性を満たす発言(公式な場での発言、本人のブログ・ツイッター・フェイスブック等での発言)を記載する場合に要求される条件は3通り考えられる。
- 無条件
- 発言をした事実を示す第三者出典が存在する
- 発言に対する評価を示す信頼できる情報源が存在する
- 1.は「ボクが重要だと思った」というだけで書き放題ということになるが、百科事典としてそれはちょっとどうかなあ。
- 無論、発言を独自解釈することは禁止である。
- 一般的に「○○ ⇒ △△」が成立するような事柄であっても、「○○」と発言したことを理由に「△△」と書くのはNG。
- そもそも、公式な場での発言や本人のブログ・ツイッター・フェイスブック等での発言はその場の状況・雰囲気・空気などに合わせている場合もあり、その人物の基本的なスタンス・人間性を示すものではない場合が多いので、人物の説明にはあまり使えないような気もする。
- ツイッターは最大140文字を場合によっては複数に分けて投稿するという性質上、前後のつながりを故意に無視して特定の1つのツイートだけ取り上げることが可能。すなわち、発言の恣意的な切り取りが可能。
- 人物の行動や言動について「批判を浴びた」「非難を受けた」といったようなことを書く場合、その行動・言動を示す出典だけでなく、「批判を浴びた」「非難を受けた」ことを示す信頼できる情報源の出典が必要。たとえ誰が考えてもとんでもないと思えるような行動・言動であろうとも。
- 存命人物で本人自身(あるいは本人の代理者)がウィキペディア上でウィキペディアに不利益をもたらす行動や言動をした場合でも、ウィキペディア以外の出典が必要。ウィキペディア自身は信頼できる出典にならないので。
- 「万死に値する唾棄すべき存命人物」の記事について。
- あなたの思いはわかりますが、そんな人物の記事でもWikipedia:存命人物の伝記は必ず遵守してくださいませ。そんな人物の記事に対してなされた「正常な感覚に基づくものだが不適切な」編集を差し戻したからといって、その人物を支持しているなどと勘違いなさらないように。
- 逆に「こんな奴は百科事典に載せるな!」などといっていきなり削除の方針を完全に無視した削除依頼を出すのも勘弁してくださいませ。
- 敵または唾棄すべき者とみなした人物はどこまでも悪人に見えますし、その人物によるいかなる弁明も詭弁に思えるものです。
個人・組織の違法行為の記述
「○○は~という違法行為をしている」ということを書く場合に必要な出典は2つ考えられる。
- 「○○は~をしている」(違法行為であるとは書かれていない)出典と、「~をすることを禁ずる」「~をした場合は罰せられる」旨が書かれている出典(主に法令の条文)
- 実際に○○のその行為を直接的に「違法行為」と書いている出典
- 「○○が違法行為をしている」ことを「特定の観点の主張」ととらえるなら1.は特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に該当するので2.でなければならないということになるだろう。「特定の観点の主張」と解釈しない場合は1.でもいいかもしれないけど、基本的に2.のほうが妥当な気がする。
- しかし、「○○は~という違法行為をしている」と書かなくとも「○○は~をしている。~は××法**条により禁止されている。」と書けば実質的に「○○が違法行為をしている」ということを主張できるのでは?
たまたま実例になる編集をした人がいた。ここで取り上げてるのはこういう感じの記述のこと。
逮捕された人物についての記述
- 逮捕されたばかりの人物の記事に対して、その逮捕のことが書かれていない状態で保護がなされることがあります。そのときに「なぜ逮捕されたことを書かずに記事を保護するのか。隠蔽するつもりか」というような苦情を出す方がよくおられますが、逮捕されたことが報道されている限り、逮捕されたことを書いたという理由だけで保護されたり、書いた人がブロックされたりすることは基本的にはないでしょう。
- 逮捕されたばかりの人物の記事が保護される主な経緯は次のようなことです。
- 逮捕されたことを出典を示さずに書く。たとえ報道事実どおりに「○○の容疑で逮捕された」と書いたとしても、出典を示していない場合、あるいは明らかに信頼できる情報源でない情報源を示した場合は差し戻しの対象になりますし、差し戻されて記事が保護されることもあります。
- 逮捕された人物の記事の定義部に「犯罪者」あるいは「○○犯」というような犯罪者の呼称を書き足す。推定無罪の原則により、不適切な記述となります。
- 無意味な悪戯書きを繰り返す。多数の捨てアカウントやIPからこれが行われる場合、投稿ブロックでは対応しきれないため、保護されることがあります。
- 苦情を言う前に履歴をチェックしてください。上記に該当するような不適切な編集が行われているか、あるいはそれがもとで削除・秘匿されているでしょう。
- 出典を付け、出典に沿って正しく書くだけであれば保護されることは基本的にないのでは。
- 苦情を言う人に限って、保護されていなければ上記のような不適切なことを書くのでしょうけれども。
- 上記のような結果として、逮捕のことが書かれていない状態で保護がなされることはやむを得ないことです。その場合「逮捕の事実だけ記したうえで保護してほしい」は基本的に受け入れられませんのでご了承ください。
- スポーツ選手など、生涯にわたって著名活動せず、引退した(著名活動をやめた)人物の逮捕については注意が必要。著名活動をやめたことで、もはや著名人ではなく一般人となったものと解釈されうる。ただし、引退後も著名活動を続けている人物も多いため、一概に「引退した人物の逮捕歴を書いてはいけない」ということではない。
「訴訟を起こした」ことの特筆性
人物・団体・組織について「○○に対して訴訟を起こした」ことは特筆に値することなのだろうか?「ない」とも「ある」とも考えられる。なお(少なくとも日本では)どんなくだらない訴訟でも情報源は存在する以上、「出典がある」という理由は特筆に値するかどうかを検討する材料にはならないものとする。
- 「ない」
- 理論上はどんなに勝ち目がなく、くだらないことでも訴訟を起こすことが可能(たとえば「飼い猫を乾かそうとして電子レンジで加熱したら死んでしまった。取扱説明書に『ネコを乾燥させてはいけません』とは書かれていない」でも訴訟を起こすことは可能である)。加えて、原告・被告の属性や、訴訟内容によっては、訴訟を起こしただけで被告のイメージダウンを図ることが可能。
- 情報源が信頼できる情報源の要件を満たすかどうか怪しい場合が多い。
- 「ある」
- 日本では訴訟の敷居が高く、実際にはあまり勝ち目もないうえにくだらないことで訴訟が起こされることは少ない。
- メディアに取り上げられている以上、その訴訟は何かの社会問題に一石を投げかけるものとみなされていることになる。
なお、当人の強い信念によりあまりにもくだらない訴訟が起こされた場合、「くだらないけど面白い、ちょっと考えさせられる」といった理由で特筆に値する場合もあり得よう(例:新幹線運賃差額返還訴訟、近鉄特急料金訴訟)。
「何も発表されていない」「何も取り上げられていない」「証明されていない」などの検証可能性
何かの話題・問題について公式サイト・その他公表された物などで何らの発表もない場合「○○については何も発表されていない」は検証可能性を満たすといえるのかどうか? 「○○で取り上げられていない」といったような場合も同様。
- 公式サイト(あるいは公表物・議事録など)を逐一つぶさに見れば確認可能だが、具体的にピンポイントで出典を示すことは性質上不可能。
- 公表物・議事録などを逐一つぶさに見るのはとてつもなく面倒だし、方針上適切といえるようかどうかも微妙である。
- 往々にして「本来は取り上げられているべき」「取り上げないことにより隠蔽している」「問題なのにスルーしている」「根拠がないのでウソである」などの執筆者独自の主張が入り込んでいる可能性がある。
- もちろん、明確に「何らの発表もない」と書かれた出典がある場合は別である。
- 最低限「その話題・問題自体の存在が信頼できる情報源により示されていること」が条件であるはず。そうしないと事実無根の話題・問題を勝手にでっち上げて「(その話題・問題について)何も発表されていない」と書けることになってしまう。
- 「存在を証明できない」ことは「不存在を証明する」ことにはならない。
- 「存在を証明できない」より「不存在を証明する」ほうがはるかに困難である。
- 「存在を証明できない」ことを「不存在を証明する」ことと同じことと思い込んでしまった人を説得することもこれまたとてつもなく困難である。
- 「『ない』ことを証明するのは困難なので、『ある』と主張する側が『ある』ことを証明できない以上、『ない』ことを証明したのと同じ」というのは実証する場合の話。ウィキペディアは実証するのではなく出典を示すものである。「ない」ことを実証するのは無理だが、「ない」ことを示している出典を示すことはできるだろう。
- STAP細胞騒動の余波があるが、科学界の考え方とウィキペディアの考え方は違うのである。
- 関連して気になる論争--2014年6月10日 (火) 00:56 (UTC)
「世界一」「世界初」「日本一」「日本初」の検証可能性
「世界一」「世界初」「日本一」「日本初」「戦後初」といったようなことを書くのは楽しいだろうが、それはすなわちそれを上回る例、もしくはそれより古い例が「存在しない」ことであり、上記の「『何も発表されていない』『何も取り上げられていない』ことの検証可能性」と似たような問題があるように思う。
- 基本的に「世界一」「日本初」などを明記している出典が必要になるだろう。
- 個人的にはそれを上回る/古い例の不存在を確実に証明できればまあいいのではとも思うが、これとて甘いかもしれない。
- 厳しい考え方をすれば「新しい事実を主張する」ことであり、認めるべきではないという人もいるだろう。
- 単にそれを上回る/それより古い例の存在を証明できないだけで不存在を確実に証明できないのであれば認めるべきではないだろう。
「~が多発している」ことの検証可能性
「~が多発している」ということを書くときにどういう出典を用意したらいいか?
- 「~が発生した」ことを示す出典を多数用意する
- 「~が多発している」と直接的に書いている出典を用意する
厳しい目で見れば2.かなあ。こういうのを書きたがる人に限って1.の方式で書こうとするだろうけど。
特定の観点を推進するような、発表済みの情報の「並列」
(未執筆)
アーカイブサイトの利用
ウェブアーカイブ。記事の内容を充実させるためにはぜひとも使いたいし、かといっていろいろとリスクもあるようで悩ましい。
「誰でも情報を保存できるが、自動的に保存されるわけではない」という点が悩みどころ。ウェブ魚拓を存命人物の記事に使う場合、「当人が過去に公開していても現在は非公開化を望んでいる情報を、(当人から見て)悪意ある第三者が当人の意思に反して公開する」ということにもなってしまう。
出典のある記述を消すことについて
「出典のある記述を消してはいけない」と主張する人は多数見受けられる。しかしこれはどういう方針に基づいているのか不明。
- 出典がある記述を除去する理由は2つ考えられる。
- 出典があるといえども、百科事典に載せる価値がない(よりよい百科事典を作るための除去)
- 自分の主張を述べるにあたり都合が悪い(特定の観点を推進するための除去)。
- ウィキペディアの目的は「出典のあるすべての事象を蒐集すること」ではなく「百科事典を作ること」のはず。百科事典として無意味な記述であればたとえ出典があっても消されるのはやむを得ない。1.は考え方としては真っ当だろう。
- 逆に言えば「出典のある記述を消してはいけない」と主張するのではなく、「その記述が百科事典に載せるべき有用な記述である」すなわち「それを書くことにより、百科事典の記事としての質がより高められる」ことを説明すればいいんじゃなかろうか。
- 実際に出典がある記述が消される場合、1. が理由であることのほうが多いと思う。
- 「出典のある記述を消してはいけない」と主張する人は2. としか受け取ることができないように思う。
- 明らかに2. と思しき除去も見受けられるが、その場合もまずは「その記述が百科事典に、そしてその記事に載せるべき有用な記述である」ことを説明するのが筋だろう。そうすれば2. であることが自然に露呈するはず。
- 活動内容や他者への対応がまともと思える人が「出典のある記述を消してはいけない」と主張しているのを見たことがない。
- まともなことを書く人なら上記のようにまず「その記述が百科事典に、そしてその記事に載せるべき有用な記述である」ことを主張するはずで、「出典があること」をわざわざ主張しないだろうから。
- そもそも、自分なりに「その事象は百科事典に書かれるべき事柄である」と思ったから百科事典に書いたはずなので、そう思うに至った理由を説明できるのが当然。「出典があるから」という理由だけではそうは思わないはず。百科事典は出典のあるすべての事象を蒐集する場ではないのだから。
- でも、なんでもかんでも消さないでね。
- 今まで述べたことは除去する側にも反対のことが言える。つまり「その記述は(たとえ出典があっても)百科事典に載せる価値がない」ことを説明すべき。
なおWikipedia:荒らしにある「不当な白紙化」の文言に基づいているのかもしれないが、あれは全文を読む限り「如何なる理由があろうとも出典のある記述を消してはいけない」というのは誤読であろう。
暴言について
- 批判・注意・忠告等の目的で発せられた言葉はそうそう暴言になるようなものではない(はず)。
- 攻撃・排除の目的で発せられた言葉は暴言になりやすい。
- 暴言だ暴言だと主張している人は暴言で傷つかない。「暴言」を自分の主義主張を通す(敵の主義主張を悪として扱う、敵を排除する)ための攻撃材料にしているだけ。これにはまったく賛同できない。
- しかしながら暴言で傷つく人もいることは事実であり、本当に暴言で傷ついた人は傷ついたことを主張できない場合が多いのが非常に難しいところである。
- 「問題行為に対する批判」と「問題行為を行う人への罵倒・人格攻撃」は切り分けが難しいのかもしれない。しかしできれば切り分けたい。
- 言葉遣い自体は一見して丁寧に見えるが、過度に相手をイラつかせたり、相手に対して脅迫的であったりするような受け答えをする人もいる。
ちょっと気になる方々
- 以下の傾向のある人は執筆・編集した記事の記述対象の事物に関して専門的知識や実務経験や強い関心があるのだろうと思う。有益な内容の加筆が大いに期待されるが、その反面、「書きたい!書きたい!!」という気持ちが強く前に出ている状態である場合が多いため、独自研究を書いたり、中立性に欠けたり、宣伝的なことを書いたり、他者との対話の必要性が生じたときに対応に問題を生じたりする懸念もある。
- 利用者ページを作らない。たぶんそんなものに関心が向かない。
- 初投稿が高度な専門的知識を要する執筆。
- ある程度の大きさを持ち学術的・実務的知識を要する記事の新規作成。
- 既存記事に対する新たなテーマの加筆・改稿。
- 一つの記事しか編集しない。他の記事を編集したとしてもその記事へのリンクなどのみ。
- 何らかの一つの事柄に関連する記事しか編集しない(「日本」「政治」「鉄道」など、あまりにも広範囲にわたり漠然とした事柄は別)。
- 連続投稿が非常に多く、記述内容の増加を伴わない連続投稿も見られる。
- 細かいこだわりを持ちつつ繰り返し投稿するためか。
- 定義文を書かない。冒頭からいきなり説明を書き始める。
- 定義文がなく、冒頭部に「○○とは」という節を設ける。
- 丸付き数字、括弧付き数字、句点としてのコンマ、読点としてのピリオドなど、表記ガイド外の表記法を用いる。
- これ自体(特に句読点に関して)は目くじらを立てる必要もないとは思う。その執筆者ではなく、そのように日本語の書式が不統一であることが悪いのであって、そのために執筆者に不愉快な思いをさせたくない。
- とはいえ、その人が新しく作った記事であればともかく、既存の記事を加筆・改稿したときに、元の表記法を無視したり、元の表記法をわざわざ書き換えてまで異なる表記法を使う人はどうなのかなとは思う。論文を書いているなどで、よほどその表記法に慣れきっているのか。
- 段落の最初を字下げする人。
- 「我が国」という表現を用いる人。
- 日本の法令や社会事情などに基づく記述をする。
- いきなりコピー&ペーストで記事名を変更する人。
- 知らずにやっているとは思うが、記事を削除しなければならなくなるのでご遠慮いただきたい。
- 分割元の記事名のみを書き、版を明記せずに記事を分割する人。
- ルール的にはOKとされるが…。
- 2桁以上の数字を半角で書き、1桁の数字は全角で書く人。何十年も前から文書を作成している方なのだろう。
- 何年も前の(インターネットにも残っていないような)新聞や雑誌等の記事を出典にして何かを書く人。
- 図書館でコピーを取る、古本屋で入手する、手持ちの雑誌などの山から記事を探し出すなど、大きな労力が必要。「絶対にこれを書きたい!いかなる苦労をしてでも、どうしても書きたいんだ!!」という気持ちがなければ書けない。それが人物・企業を批判するようなことである場合は何らかの執念を感じずにいられない。
- 英数字をすべて全角で書く人。
- 人物名を「****氏」と書く人。
- 節に番号を付ける人。他の人が編集する際に途中に節を挿入する場合、番号を書き換えなければならずめんどくさいので、できればやめていただきたい。
- 水平線を入れる人。
- 利用者ページが「白紙」。書くことがなければ利用者ページを作らなきゃいいのに、なぜ白紙の利用者ページを作成するのか。
- 利用者ページに数文字から十数文字程度の文字列・文章しか書いていない人。
- 新しい事件が発生したとき、あるいは新しい事象・言葉が生まれたとき、わざわざ新規アカウントを作ってそれらの記事を新規作成する人。
- 普段は活動しないのに、新しい事件が発生したとき、あるいは新しい事象・言葉が生まれたときだけ急に活動的になってそれらの記事を新規作成する人。
- 将来的な独立記事化を前提として暫定的にリダイレクトにしているにもかかわらず、リダイレクトを解除せず別の記事名で記事を作る人。「リダイレクト解除」ってそんなに嫌なのか?
- この行為をやる人はまず間違いなくまともな記事を書かない。
- 逆にリダイレクトを解除して書かれた記事は比較的質の良いものが多い。
- 会話ページを過去ログ化せず除去していいのかどうかは議論が分かれるようであるが、ルール上はともかく、活動内容や他者への対応がまともと思えるユーザーがこの行為をするのをいまだかつて見たことがない(明らかな荒らし・誹謗中傷・個人攻撃などを除く)。
- 他人の意見に反対するのはいいけど、他人の意見を「無効」と言う人は何様?(規定投稿数を満たしていないなど、明確化されたルールに基づく場合は除く)
- ノートページや要約欄などで記事内容を全否定するような批判を述べる人。
- 「概念の歴史に興味がある」「文献を調べる体験」と言いつつ、出典が辞書や辞典・事典ばかりの人。
- 激しい価値観の変化を繰り返しているこの国において「概念の歴史」というのは崇高なテーマですが、書くのは本当に難しいのよね。
- 新規記事作成時に要約欄に「新規作成しました」「作りました」といったことだけを書く人。八割がた独自研究または宣伝。
- 文章中や節の名に「疑問文」を入れる人。これも多くが独自の意見主張または宣伝。
管理者立候補における投票について
- 反対票が賛成票の3倍の力を持つシステム自体はウィキペディアの基本的な考え方からして妥当だろう。
- しかし、どれだけその候補者が管理者としてふさわしくないか他者にキチンと説明することなしに、1人で3人の賛成者の意見を否定するような強力な票を安易に入れる気にはならない。私自身は。
- 確固とした理想の管理者像があって、立候補する人がそれに叶わない人ばかりというのであれば、妥協するか、自分で理想の人を見つけて交渉して推薦するか、自分自身がその理想像を実践して立候補するといいんじゃないかなあ。
秀逸な記事・良質な記事とは
- 秀逸な記事・良質な記事は、あくまで「百科事典の記事として秀逸・良質」かどうかが問われるべき。そもそも百科事典は百科事典であって、専門書ではない。
- 秀逸な記事の目安の一つに「詳しくない読者にもその主題について理解できるように、わかりやすく書かれている」というのがある。
- したがって、「あまりに高度に専門的な観点での正確性」と「わかりやすさ」が共存しない場合、「わかりやすさ」を犠牲にして「あまりに高度に専門的な観点での正確性」を追求することは必ずしも求められているわけではない。
- むしろ逆に「あまりに高度に専門的な観点での正確性」を多少犠牲にしてでも、「わかりやすさ」に配慮したほうがいいかもしれない。
- 専門家は「あまりに高度に専門的な知識を当たり前に知っている」がゆえに、「詳しくない読者」の存在を蔑ろにすることも考えられる。
- 専門家が記事を書く場合「詳しくない読者にもその主題について理解できるように、わかりやすく書かれている」ような記事を書けるものかどうか。
- 専門家が記事を評価する場合「詳しくない読者にもその主題について理解できるように、わかりやすく書かれている」記事を見分けることができるのかどうか。
日本・日本語・日本人・日本文化とウィキペディア
- 日本語版のウィキペディアンとは、日本語という、「異なる考え方を持つ人との間の、文章だけによる正確な情報伝達・コミュニケーション」にまったく適さない言語でもって、「異なる考え方を持つ人との間の、文章だけによる正確な情報伝達・コミュニケーション」を実現させようという壮大な実験を試みている集団です。
- 日本語では深く掘り下げた内容の表現に関して「正確性」と「(特に専門外の人への)わかりやすさ」はまったく両立しない。完全に相反する。
- 質問サイトなどにときおり見られる「ウィキペディアで調べても意味がわからない」といった書き込みは百科事典という以上、わかりやすさよりは正確性をとる執筆者が多いということなのでしょう。各執筆者の文章能力・構成能力等の問題もあるとしても。
- もっとも、その「わかりやすさ」はあくまでも「現代の日本社会に生きる日本人にとってのわかりやすさ」と割り切ればそれまでかもしれない。
- 日本語では言葉の一部を切り取ったり、言葉の配列を変えたりするだけでも意味・主張が異なる場合が多い。かといって、全文引用するのも様々な問題で難しいし、「全文引用していない=作為」と決めつけるのもどうかとは思う。
- Wikipedia:善意にとるも重要な手段のひとつでしょう。
- 日本語の単語の意味は時代とともに変化していく。また、何らかのひとつの出来事によって数年程度で大きく変化する場合がある。
- 最近のこの国の社会情勢のめまぐるしい変化は様々な新しい言葉を次から次へと生み出す。その多くは時代とともに人の語彙から消え去っていくが、ウィキペディアではそういった言葉も保存される。
- 日本語では深く掘り下げた内容の表現に関して「正確性」と「(特に専門外の人への)わかりやすさ」はまったく両立しない。完全に相反する。
- 日本民族は日本列島という他のどの地域とも異なる気候風土の中で、日本語という他のどの言語とも異なる言語を用い、2000年以上の長きに及ぶ激動的な歴史を積み重ね、他のどの民族とも異なるまったく独自の文化と価値観を構築してきた集団。それを頭ごなしに否定してもしょうがないでしょう。たとえそれが非合理的でバカげたことであろうとも。
- そして、そういった価値観を持つ集団でもいい百科事典は作れるんじゃないですかね。
- しかし、日本民族といえども日本民族独自の価値観を(部分的にでも)否定している人の参加も歓迎されますし、日本版ではなく日本語版なので、他民族の人の参加ももちろん歓迎されます。
- 「日本語ができない人の参加はお断り」という主張を見かけるが、「日本語ができる人」とはどのくらいのレベルで日本語に精通している人なのだろう?
- 日本語という言語は本質上、たとえ母語としていても100%完全に習得できることは考えられない言語である。
- しかし、「普通に読んで理解できるレベルの文章」は存在する。
- 本来は誤用・誤った意味であっても、年齢層を問わず定着しているとみなせる言葉を用いることは問題ないと思う。
- 例:
- 確信犯
- 敷居が高い
- 恣意的
- 最も…なものの一つ(元々は英語の“one of the (最上級) (複数形)” を日本語で表現するために作られた熟語である[1])
- 定着するということは、そういう意味の言葉を用いる必然性が生まれたということなのだから。そしてその必然性は、日本という国の激動の歴史が生み出したことなのだから。
- これをどうしても拒否するなら、文章の意味合いを変えずに代替できる表現を使ってください。
- 例:
- 学術的な意味と社会一般的な認識による意味が大きく異なる語は、社会一般的な認識による意味に合わせたほうが揉めないと思う。学術的な意味で使う場合は十分な配慮を。
- 例:暴力、放射能
- 日本語はたった17文字ですばらしい文学作品を作ることができ、たった140文字の中に濃密な内容を盛り込むこともできる言語ですが、百科事典という場で使う場合はまったく別の使い方が求められるのでしょう。
信頼できる情報源とは
- 「信頼できる情報源」とは「自分が主張したいこと、強く共感できることが書かれている情報源」ではありません。
- 「信頼できる情報源ではない情報源」とは「自分にとって都合の悪いことが書かれている情報源、敵が使ってくる情報源」ではありません。
その他
- くどいですが私の編集、管理行為、その他ウィキペディアにおける一切の活動は個人的感情や思想信条・民族的性質その他とは無関係です。
- 自分の側からは他者を敵対視しないように努めております。
- 聖人君子ではなく未熟な人間ゆえ「絶対に敵対視しない」とまではいいきれませんけれど…。
- どんなことであれ、素直に面白いことは面白い、楽しいことは楽しい、嫌なことは嫌だ、宣伝したいなら宣伝したいと言えばいいじゃないか。極悪とか反社会的とか人の道に外れているというだけでは排除はされないはず。
- ただし、それを批判するのもまた自由。
脚注
- ^ 英語の最上級は「最上位の1つのもの」と「上位グループに含まれるいくつかのもの」の2つの意味があるが、日本語の「最も…」は厳密には「最上位の1つのもの」の意味しかない。
(以下追加予定)
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メモ
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参考:⇒Wikipedia:ウィキバンク
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