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利用者:桂鷺淵/藩の一覧/04

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上野国

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館林
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前橋
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関連地図
  • 『角川新版日本史辞典』「近世大名配置表」:23藩
    • 三ノ倉 - 白井 - 総社 - 高崎 - 前橋 - 大胡 - 沼田 - 安中 - 板鼻 - 上里見 - 豊岡 - 大戸 - 小幡 - 七日市 - 伊勢崎 - 長根 - 吉井 - 藤岡 - 那波 - 阿保 - 青柳 - 篠塚 - 館林
  • 『藩史大事典』目次:19藩
    • 沼田藩 - 大胡藩 - 前橋(厩橋)藩 - 総社藩 - 白井藩 - 館林藩 - 青柳藩 - 上里見(篠塚)藩 - 伊勢崎藩 - 那波藩 - 高崎藩 - 豊岡藩 - 板鼻藩 - 安中藩 - 吉井藩 - 矢田藩 - 七日市藩 - 小幡藩 - 坂本重治
  • 『藩と城下町の事典』:21藩
    • 前橋藩(厩橋藩) - 高崎藩 - 館林藩 - 沼田藩 - 大戸藩 - 白井藩 - 三之倉藩 - 安中藩 - 総社藩 - 板鼻藩 - 豊岡藩 - 藤岡藩 - 吉井藩(矢田藩) - 小幡藩 - 伊勢崎藩 - 七日市藩 - 大胡藩 - 那波藩 - 篠塚藩(上里見藩) - 阿保藩 - 青柳藩
  • 『群馬県史』(1927年)「上毛諸侯旗本代官の事績」(国会図書館デジタルコレクション):24藩(誤謬4藩を除く)
    • /碓氷藩/[注釈 1] - 箕輪藩〔井伊直政〕 - 藤岡藩 - /鳴渡藩/[注釈 2] - 宮崎藩〔奥平信昌〕 - 三之倉藩 - 板鼻藩 - 阿保藩 - 大戸藩 - 青柳藩 - /山川藩/[注釈 3] - 白井藩 - 那波藩 - 惣社藩 - 大胡藩 - 豊岡藩 - /大輪藩/[注釈 4] - 篠塚藩 - 上里見藩 - 厩橋(前橋)藩 - 高崎藩 - 館林藩 - 沼田藩 - 安中藩 - 小幡藩 - 伊勢崎藩 - 七日市藩 - 吉井藩
    • ほか「旗本知行所」「国外諸侯の領地(飛地)」「岩鼻陣屋(天領)」の節あり。

群馬郡

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高崎藩
  • 慶長3年(1598年) - 井伊直政12万石[3]
  • 慶長6年(1601年) - 井伊直政、近江佐和山に移封[4](転出は1600年とも[3]
  • 慶長9年(1604年) - 酒井家次、下総臼井より入封[4][3]
  • 元和2年(1616年) - 酒井家次転出/戸田松平康長入封[4][3]
  • 元和3年(1617年) - 松平康長転出/藤井松平信吉入封[4][3]
  • 元和5年(1619年) - 松平信吉転出/安藤重信入封[4][3]
  • 元禄8年(1695年) - 安藤重博転出/大河内松平輝貞入封[4][3]
  • 宝永7年(1710年) - 松平輝貞転出/間部詮房、摂津など3か国内から入封[3](相模国内より[4]
  • 享保2年(1717年) - 間部詮房転出/松平輝貞復封[4][3]
前橋藩(厩橋藩)
  • 天正18年(1590年) - 平岩親吉3万3000石[3]
  • 慶長6年(1601年) - 平岩親吉、甲府城代に就任し甲府に転出/酒井重忠入封[4][3]
  • 寛延2年(1749年) - 酒井忠恭転出/松平朝矩入封[4][3]
  • 明和4年(1767年) - 松平朝矩、武蔵川越に移転[4][4]
  • 慶応2年(1866年) - 松平直克、武蔵川越より還封[4]
総社藩(惣社藩)
  • 天正20年(1592年) - 諏訪頼水1万2000石[3](2万7000石とも[3]
  • 慶長6年(1601年) - 諏訪頼水、信濃高島に転出/旗本秋元長朝、加増により新封1万石[5][3]
  • 寛永10年(1633年) - 秋元泰朝、甲斐谷村に移封[5]
白井藩
『日本史広辞典』は井伊直孝の在封を記すが、『角川新版日本史辞典』は記さない。
  • 天正18年(1590年) - 本多康重2万石[3]
  • 慶長6年(1601年) - 本多康重転出/戸田松平康長、武蔵東方から入封[3]
  • 慶長7年(1602年) - 戸田松平康長、下総古河に移封[5][3]
  • 慶長15年(1610年) - 井伊直孝、加増により新封1万石[3]
  • 元和元年(1615年) - 井伊直孝、相続のため近江彦根藩に転出[3]
  • 元和2年(1616年) - 西尾忠永、武蔵原市より入封[5][3]
  • 元和4年(1618年) - 西尾忠永転出/本多紀貞入封[5][3]
  • 元和9年(1623年) - 本多紀貞除封[5][3]
三ノ倉藩
  • 大給松平近正、5500石[5]
  • 慶長5年(1600年) - 大給松平一生板橋に移封[5]

利根郡・吾妻郡

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沼田藩
  • 慶長2年(1597年) - 真田信幸(真田信之)2万7000石[3]
  • 慶長5年(1600年) - 真田信之、信濃上田に転出[4][3]。沼田は合わせて領有[4]
  • 元和8年(1622年) - 真田信吉、新封3万石(信濃松代藩から分与)[3]
    • 元和7年(1621年)分与[4]
  • 天和元年(1681年) - 真田信利除封[4][3]
  • 元禄16年(1703年) - 本多正永、下総舟戸より入封[4][3]
  • 享保15年(1730年) - 本多正矩、駿河田中に移封[4][3]
  • 享保17年(1732年) - 黒田直邦、常陸下館より入封[4][3]
  • 寛保2年(1742年) - 黒田直純転出/土岐頼稔、摂津など4か国内から入封[4][3]
大戸藩
△『角川日本地名大辞典』によれば「居所や藩領域が不明のため,藩の存立自体に疑問がある」という[6][7]

-要確認

  • 『角川日本地名大辞典』によれば「元和元年成定は大坂夏の陣に城中と通牒したとして除封され,廃藩になったという」とある。『寛政譜』巻第千百二十二の岡家俊(岡越前守)と類似しているようであるがわからない。『寛政譜』の岡家俊は宇喜多家を離れて家康に仕え、采地6000石を与えられたが、明石全登の親族(外戚)であるといい、大坂方で参戦した息子・平内に連座する形で切腹させられた。

碓氷郡

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安中藩
  • 元和元年(1615年) - 井伊直勝新封[4]
    • 彦根藩から分与[3]
  • 正保2年(1645年) - 井伊直好転出/水野元綱入封[4][3]
  • 寛文7年(1667年) - 水野元知除封/堀田正俊入封[4][3]
    • 相模・下総・常陸国内から入封[3]、相模国内から入封[4]
  • 天和元年(1681年) - 堀田正俊転出/板倉重形、下野国内から入封[4][3]
  • 元禄15年(1702年) - 板倉重同転出/内藤政森入封[4][3]
  • 寛永2年(1749年) - 内藤政苗転出/板倉勝清入封[4][3]
板鼻藩
  • 寛永2年(1625年) - 酒井忠行新封[4]
  • 寛永13年(1636年) - 酒井忠行、前橋藩を継ぐ[4]
上野豊岡藩
上里見藩
  • 寛延元年(1748年) - 奥平松平忠恒、篠塚から入封[4]
  • 明和4年(1767年) - 小幡へ移封[4]

甘楽郡

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小幡藩
△『角川新版日本史辞典』は奥平→水野→永井→織田→奥平松平の藩と描く。元和3年に永井直勝転出・織田信良が分封を受ける。
△『日本史広辞典』は2つの小幡藩(水野→永井の藩と、織田→奥平松平の藩)を記す
  • 奥平信昌3万石[4]上野宮崎藩
  • 慶長6年(1601年) - 奥平信昌転出/水野忠清新封1万石[4]
  • 元和2年(1616年) - 水野忠清転出/永井直勝新封1万石[4]
  • 元和3年(1617年) - 永井直勝転出/織田信良、大和松山藩織田信雄から分与[4][3]
  • 寛永19年(1642年) - 福島から小幡に移転[3]
  • 明和4年(1767年) - 織田信浮転出/奥平松平忠恒入封[4][3]
*(『日本史広辞典』)小幡藩A
  • 慶長7年(1602年) - 水野忠清新封1万石[3]
  • 元和2年(1616年) - 水野忠清転出/永井直勝入封[3]
  • 元和3年(1617年) - 永井直勝転出[3]
*(『日本史広辞典』)小幡藩B
  • 元和元年(1615年) - 織田信良新封2万石(大和松山藩から分与)[3]
  • 寛永19年(1642年) - 福島から小幡に移転[3]
    明和4年(1767年) - 織田信浮転出/奥平松平忠恒入封[3]
七日市藩
  • 元和2年(1616年) - 前田利孝新封[4][3]

多胡郡

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長根藩
  • 松平忠明7000石[4]
  • 慶長7年(1602年) - 三河作手に移封[4]
吉井藩矢田藩
◎吉井陣屋は矢田陣屋の近隣
  • 天正18年(1590年)[3] - 菅沼定利2万石[4]
  • 慶長15年(1610年) - 菅沼忠政奥平忠政)、美濃加納に転出[3][4]、廃藩
  • 天和2年(1682年) - 堀田正休新封1万石[4][3]
  • 元禄11年(1698年) - 堀田正休、近江宮川に移封[4][3]、廃藩
  • 宝永6年(1709年) - 旗本鷹司松平信清加増により新封1万石[3]。矢田を居所とする[4]
  • 元治元年(1864年) - 矢田を吉井に改称[4]
  • 明治2年(1869年) - 廃藩[4]

緑野郡

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藤岡藩
  • 松平(依田)康真、3万石[8]
  • 慶長5年(1600年) - 松平(依田)康真除封[8]

那波郡・佐位郡

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那波藩
  • 大給松平家乗、1万石[8]
  • 慶長6年(1601年) - 松平家乗、美濃岩村に移封[8]/酒井忠世新封[8]
  • 元和2年(1616年) - 酒井忠世、伊勢崎に移封[8]
伊勢崎藩
△『日本史広辞典』は酒井忠世を記さず
  • 慶長6年(1601年) - 稲垣長茂、上野国内より入封[4]
  • 元和2年(1616年) - 稲垣重綱、越後藤井に移封[4][3]/酒井忠世、那波より入封[4]
  • 元和3年(1617年) - 酒井忠世、前橋藩を継ぐ[4]
  • 寛永14年(1637年) - 酒井忠能新封[4](前橋藩から分与[3]
  • 寛文2年(1662年) - 酒井忠能、信濃小諸に移封[4][3]
  • 天和元年(1681年) - 酒井忠寛新封[4][3](前橋藩から分与[3]

勢多郡

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大胡藩
  • 天正18年(1590年) - 牧野康成2万石[3]
  • 元和2年(1616年) - 牧野忠政、越後長嶺に移封[4][3]

新田郡

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阿保藩
△武蔵国に所在とする説がある。
  • 菅沼定盈、1万石[8]
  • 慶長6年(1601年) - 菅沼定仍、伊勢長島に移封[8]

邑楽郡

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篠塚藩
  • 延享4年(1747年) - 奥平松平忠恒、陸奥桑折より入封[8]
  • 寛延元年(1748年) - 上里見に移転[8]
青柳藩
  • 慶長7年(1602年) - 近藤秀用、新封5000石[8]
  • 慶長19年(1614年) - 相模国で1万石を加増される(1万5000石)[8]
  • 元和5年(1619年) - 遠江井伊谷に移封[8]
館林藩
  • 天正18年(1590年) - 榊原康政10万石[3]
  • 寛永20年(1643年) - 榊原忠次、陸奥白河に移封[8][3]
  • 正保元年(1644年) - 大給松平乗寿入封[8][3]
  • 寛文元年(1661年) - 松平乗久転出/徳川綱吉新封[3]
  • 延宝8年(1680年) - 徳川綱吉、江戸城に入り幕領となる[8]
    • 『日本史広辞典』によれば、徳松に継承後、天和3年(1683年)に除封[3]
  • 宝永4年(1707年) - 越智松平清武、相模国内から入封[8][3]
  • 享保13年(1728年) - 松平武元転出/太田資晴入封[8][3]
  • 享保19年(1734年) - 太田資晴、大坂城代に就任し摂津ほか5か国内に転出[3]。館林は幕領となる[8]
  • 元文5年(1740年) - 太田資俊、摂津ほか5か国内から入封[3]
  • 延享3年(1746年) - 太田資俊転出/越智松平武元復封[8][3]
  • 天保7年(1836年) - 松平斉厚転出/井上正春入封[8][3]
  • 弘化2年(1845年) - 井上正春転出/秋元志朝入封[8][3]

武蔵国

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関連地図
  • 『角川新版日本史辞典』「近世大名配置表」:19藩
    • 石戸 - 小室 - 鳩谷 - 原市 - 喜多見 - 金沢(六浦藩) - 岩槻 - 忍 - 私市(騎西藩) - 久喜 - 赤松〔赤沼〕 - 野本 - 松山 - 川越 - 岡部 - 深谷 - 八幡山 - 本庄 - 東方
  • 『藩史大事典』目次:17藩
    • 本庄藩 - 岡部藩 - 深谷藩 - 忍藩 - 騎西藩 - 久喜藩 - 石戸藩 - 野本藩 - 赤沼藩 - 小室藩 - 原市藩 - 岩槻藩 - 川越藩 - 鳩ヶ谷藩 - 江戸藩 - 喜多見藩 - 金沢(六浦)藩
  • 『藩と城下町の事典』:24藩
    • 川越藩 - 岩槻藩 - 忍藩 - 本庄藩 - 八幡山藩 - 岡部藩 - 深谷藩 - 東方藩 - 瓶尻藩三宅康貞〕 - 羽生藩〔大久保忠隣〕 - 私市藩(騎西藩) - 久喜藩 - 石戸藩 - 松山藩 - 野本藩 - 高坂藩 - 奈良梨藩 - 鯨井藩 - 赤沼藩 - 原市藩 - 小室藩 - 鳩谷藩 - 喜多見藩 - 六浦藩(金沢藩)

児玉郡

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本庄藩
本庄藩』 - 角川日本地名大辞典
  • 小笠原信嶺1万石[9]
  • 慶長17年(1612年) - 小笠原信之、下総古河に移封[9]
八幡山はちまんやま
八幡山藩』 - 角川日本地名大辞典
  • 竹谷松平家清1万石[9]
  • 慶長6年(1601年) - 家清、三河吉田へ移封[9]

榛沢郡・幡羅郡・大里郡

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岡部藩
岡部藩』 - 角川日本地名大辞典
※『角川新版日本史辞典』は関ヶ原以前の大身旗本時代から記す
※『藩と城下町の事典』は1649年に立藩とする[10]
※『日本史広辞典』は1705年に三河半原から入封とする[11]
深谷藩
深谷藩』 - 角川日本地名大辞典
  • 松平忠輝1万石[9]
  • 慶長7年(1602年) - 松平忠輝、下総佐倉に移封[9]
  • 元和8年(1622年) - 酒井忠勝、下総国内より入封1万石[9]
  • 寛永3年(1626年) - 酒井忠勝、忍へ移封[9]
東方藩
東方藩』 - 角川日本地名大辞典
  • 戸田松平康長1万石[9]
  • 慶長6年(1601年) - 戸田康長、上野白井に移封[9]
瓶尻みかしり
◎三ヶ尻陣屋は現在の熊谷市三ケ尻
  • 天正18年(1590年) - 三宅康貞5000石[14]
  • 慶長9年(1604年) - 三河挙母に加転封[14]

埼玉郡

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羽生はにゅう
羽生藩』 - 角川日本地名大辞典
  • 天正18年(1590年) - 大久保忠隣、羽生城に入り2万石[15]
  • 文禄3年(1594年) - 大久保忠隣、忠世の家督を継ぐ[16]。羽生城・小田原城を合わせ6万5000石を領有[15]。小田原藩への転出とも記述[16]
  • 慶長19年(1614年) - 大久保忠隣改易、廃藩[15]
忍藩
忍藩』 - 角川日本地名大辞典
△『日本史広辞典』は酒井忠勝を記さず[11]
  • 1592年 - 東条松平忠吉10万石[11]
  • 慶長5年(1600年) - 松平忠吉、尾張清洲に移封[12][11]
  • 寛永3年(1626年) - 酒井忠勝、深谷より入封[12]
  • 寛永4年(1627年) - 酒井忠勝、川越藩を継ぐ[12]
  • 寛永10年(1633年) - 大河内松平信綱、相模・上野国内より入封[12][11]
    • 相模国内より[12]
  • 寛永16年(1639年) - 松平信綱転出/阿部忠秋入封[12][11]
  • 文政6年(1823年) - 阿部正権転出/奥平松平忠堯入封[12][11]
騎西藩(私市藩)
騎西藩』 - 角川日本地名大辞典
  • 天正18年(1590年) - 松井松平康重2万石[11]
  • 慶長6年(1601年) - 松平康重転出/大久保忠常新封2万石[12][11]
  • 寛永9年(1632年) - 大久保忠職、美濃加納に移封[12][11]
久喜藩
久喜藩』 - 角川日本地名大辞典
  • 貞享元年(1684年) - 米津政武入封[12][11]
    • 武蔵国内から[12]、摂津など5か国内から[11]
  • 寛政10年(1798年) - 米津通政、出羽長瀞に移封[12][11]
岩槻藩
岩槻藩』 - 角川日本地名大辞典
  • 天正18年(1590年) - 高力清長2万石[11]
  • 元和5年(1619年) - 高力忠房、遠江浜松に移封[12][11]
  • 元和6年(1620年) - 青山忠俊、上総国など5か国内から入封[12][11]
    • 相模・上総・下総国内から[12]
  • 元和9年(1623年) - 青山忠俊転出/阿部正次、小田原から入封[12][11]
  • 天和元年(1681年) - 阿部正邦転出/板倉重種入封[12][11]
  • 天和2年(1682年) - 板倉重種転出/戸田忠昌入封[12][11]
    • 畿内から[12]。河内国内から[11]
  • 貞享3年(1686年) - 戸田忠昌転出/藤井松平忠周入封[12][11]
  • 元禄10年(1697年) - 松平忠周転出/小笠原長重入封[12][11]
  • 正徳元年(1711年) - 小笠原長煕転出/永井直敬入封[12][11]
  • 宝暦6年(1756年) - 永井直陳転出/大岡忠光入封[12][11]

比企郡

[編集]
奈良梨藩
奈良梨藩』 - 角川日本地名大辞典
◎奈良梨陣屋は現在の比企郡小川町奈良梨
  • 天正18年(1590年) - 諏訪頼水1万2000石[17]
  • 文禄元年(1592年) - 上野国総社に転出[17]
武蔵松山藩
松山藩』 - 角川日本地名大辞典
  • 桜井松平忠頼2万5000石[12]
  • 慶長6年(1601年) - 忠頼、遠江浜松に移封[12]
野本藩
野本藩』 - 角川日本地名大辞典
  • 寛永元年(1624年) - 渡辺吉綱3000石[12]
  • 寛文元年(1661年) - 渡辺吉綱、加封(2回目)により1万3500石[12]
  • 元禄11年(1698年) - 渡辺基綱、和泉大庭寺に移封[12]
高坂藩
→遠江掛塚藩
高坂藩』 - 角川日本地名大辞典
◎陣屋は東松山市高坂たかさか
赤沼藩(赤松藩)
赤松藩』 - 角川日本地名大辞典
  • 元禄6年(1693年) - 内藤正勝新封[12]
  • 元禄16年(1703年) - 内藤正友、信濃岩村田に移封[12]

入間郡・高麗郡

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川越藩
川越藩』 - 角川日本地名大辞典
  • 天正18年(1590年) - 酒井重忠1万石[11]
  • 慶長6年(1601年) - 酒井重忠、上野前橋に移封[12][11]
  • 慶長14年(1609年) - 酒井忠利、駿河田中から入封[12][11]
  • 寛永11年(1634年) - 酒井忠勝、若狭小浜に移封[12][11]
  • 寛永12年(1635年) - 堀田正盛、相模国内から入封[12][11](相模など4か国内[11]
  • 寛永15年(1638年) - 堀田正盛、信濃松本に移封[12][11]
  • 寛永16年(1639年) - 大河内松平信綱、忍より入封[12][11]
  • 元禄7年(1694年) - 松平信輝転出/柳沢吉保入封[12][11]
    • 摂津など5か国内より入封[11]
  • 宝永元年(1704年) - 柳沢吉保転出/秋元喬知入封[12][11]
  • 明和4年(1767年) - 秋元涼朝転出/松平朝矩入封[12][11]
  • 慶応2年(1866年) - 松平直克転出/松井松平康英入封[12]
    • 『日本史広辞典』では1867年[11]
□ 鯨井藩
◎鯨井陣屋は現在の川越市鯨井
  • 天正18年(1590年) - 戸田一西5000石[注釈 5]
  • 慶長5年(1600年) - 近江大津に移転[注釈 6]

足立郡

[編集]
石戸藩
石戸藩』 - 角川日本地名大辞典
  • 牧野康成5000石[18]
  • 寛永10年(1633年) - 牧野信成、加封(2回目)により1万1000石[18]
  • 正保元年(1644年) - 下総関宿に移封[18]
武蔵小室藩
小室藩』 - 角川日本地名大辞典
  • 天正18年(1590年) - 伊奈忠次1万石[11]
  • 元和5年(1619年) - 伊奈忠勝除封[18][11]
鳩ヶ谷藩
鳩谷藩』 - 角川日本地名大辞典
※『角川新版日本史辞典』では慶長15年(1610年)に鹿沼に転封とする[18]
  • 阿部正次5000石[18]
  • 慶長5年(1600年) - 相模で加封され1万石[18][11]
  • 慶長15年(1610年) - 下野鹿沼に移封[18]
  • 元和3年(1617年) - 阿部正次、上総大多喜に移封[11]
原市藩
原市藩』 - 角川日本地名大辞典
  • 西尾吉次5000石[18]
  • 慶長7年(1602年) - 美濃で加封され1万2000石[18]
  • 元和2年(1616年) - 上野白井に移封[18]

豊島郡・多摩郡

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□ 江戸藩
△『藩史大事典』目次には「江戸藩」が記載(目次だけで内容は未確認)。豊臣大名としての徳川家康か。江戸時代における「徳川政権」を、中央政府としての性格を持つ「江戸幕府」のほかに、徳川家700万石の家政をおこなう「藩」の性格があるとして、比喩的に「江戸藩」を用いる書籍もある[19]
喜多見藩
喜多見氏』 - コトバンク
◎ 喜多見村の慶元寺前に陣屋を置く[20]
  • 天正18年(1590年) - 喜多見勝忠、多摩郡喜多見村を安堵され500石を知行[20]
  • 天和元年(1681年) - 喜多見重政、加増を受け1万石[12][20]
  • 元禄2年(1689年) - 除封[12][20]

久良岐郡

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六浦藩(金沢藩)
  • 享保7年(1722年) - 米倉忠仰、下野皆川より移封[12][11]
  • 明治2年(1869年) - 六浦藩と改称[12][11]

相模国

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荻野山中
荻野山中
小田原
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深見
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玉縄
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関連地図
  • 『角川新版日本史辞典』「近世大名配置表」:4藩
    • 甘縄(玉縄藩) - 深見 - 小田原 - 荻野山中
  • 『藩史大事典』目次:4藩
    • 深見藩 - 甘縄(玉縄)藩 - 荻野山中藩 - 小田原藩 
  • 『藩と城下町の事典』:
    • 荻野山中藩 - 甘縄藩 - 小田原藩

鎌倉郡

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玉縄藩(甘縄藩)
甘縄藩』 - コトバンク
玉縄城』 - コトバンク
△『日本大百科全書(ニッポニカ)』は「1590年(天正18)徳川家康の関東入国に際し本多正信が1万石で配されたというのが定説になっているが、正しくは水野忠守らによる番城制」とする
『日本史広辞典』は松平正綱から
  • 「一説に」本多正信1万石[9]
  • 慶長10年(1605年)頃 - 本多正純、下野小山に移封[9]
  • 寛永2年(1625年) - 大河内松平正綱新封[9][11]
  • 元禄16年(1703年) - 松平正久、上総大多喜に移封[9][11]

高座郡

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深見藩
△『藩史大事典』目次では「深見藩」のほか、上野国に「坂本重治領」を挙げる。
  • 天和2年(1682年) - 坂本重治新封[9]
  • 元禄2年(1689年) - 減封廃藩[9]

足柄下郡

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小田原藩
小田原藩』 - コトバンク
  • 1594年 - 大久保忠隣6万5000石[11]
  • 慶長19年(1614年) - 大久保忠隣除封[9][11]
  • 元和5年(1619年) - 阿部正次、上総大多喜から入封[9][11]
  • 元和9年(1623年) - 阿部正次、武蔵岩槻に転封[9][11]
  • 寛永9年(1632年) - 稲葉正勝、下野真岡から入封[9][11]
  • 貞享2年(1685年) - 稲葉正往、越後高田に移封[9][11]
  • 貞享3年(1686年) - 大久保忠朝、下総佐倉から入封[9][11]

荻野山中藩

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荻野山中藩
荻野山中藩』 - コトバンク
荻野山中への移転以前を駿河松長藩ともする
『日本史広辞典』は1783年の「駿河松永からの入封」より記す[11]
  • 元禄3年(1690年) - 大久保教寛、小田原藩(大久保忠朝)より6000石を分与【小田原藩支藩】[9]
  • 宝永3年(1706年) - 5000石加封[9]
  • 天明3年(1783年) - 大久保教翅、荻野山中に住す[9][11]

伊豆国

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  • 『角川新版日本史辞典』「近世大名配置表」:1藩
    • 韮山
  • 『藩史大辞典』目次:
    • 記載なし

田方郡

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韮山藩

脚注

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注釈

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  1. ^ 酒井家次の下総臼井藩の誤
  2. ^ 石川康通の上総鳴渡藩の誤。「上州甘羅郡」と記述
  3. ^ 太田資宗の下野山川藩。山川は「後に下野足利郡に入る」とするがおそらく誤[1][2]
  4. ^ 土井利直の下総大輪藩。「上州邑楽郡大輪」とする
  5. ^ 『藩と城下町の事典』
  6. ^ 『藩と城下町の事典』

出典

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  1. ^ 山河郷(中世)”. 角川日本地名大辞典. 2022年12月30日閲覧。
  2. ^ 山川村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2022年12月30日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt 『日本史広辞典』, p. 巻末82.
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg 『角川新版日本史辞典』, p. 1298.
  5. ^ a b c d e f g h 『角川新版日本史辞典』, p. 1297.
  6. ^ 大戸藩(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2022年12月20日閲覧。
  7. ^ 大戸村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2022年12月20日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 『角川新版日本史辞典』, p. 1299.
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 『角川新版日本史辞典』, p. 1305.
  10. ^ a b c d 『藩と城下町の事典』, p. 192.
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd 『日本史広辞典』, p. 巻末84.
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at 『角川新版日本史辞典』, p. 1304.
  13. ^ 『角川新版日本史辞典』, pp. 1304–1305.
  14. ^ a b 『藩と城下町の事典』, p. 193.
  15. ^ a b c 『藩と城下町の事典』, p. 194.
  16. ^ a b 『藩と城下町の事典』, p. 200.
  17. ^ a b c d e 『藩と城下町の事典』, p. 196.
  18. ^ a b c d e f g h i j k 『角川新版日本史辞典』, p. 1303.
  19. ^ 山本明『決定版 知れば知るほど面白い! 江戸三百藩』p.18
  20. ^ a b c d 喜多見氏”. 日本大百科全書(ニッポニカ). 2023年1月5日閲覧。

参考文献

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  • 二木謙一監修、工藤寛正編『藩と城下町の事典』東京堂出版、2004年。 
  • 『角川新版日本史辞典』角川学芸出版、1996年。 
  • 『日本史広辞典』山川出版社、1997年。 

外部リンク

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