利用者:桂鷺淵/藩の一覧/04
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上野国
[編集]※
[編集]- 『角川新版日本史辞典』「近世大名配置表」:23藩
- 三ノ倉 - 白井 - 総社 - 高崎 - 前橋 - 大胡 - 沼田 - 安中 - 板鼻 - 上里見 - 豊岡 - 大戸 - 小幡 - 七日市 - 伊勢崎 - 長根 - 吉井 - 藤岡 - 那波 - 阿保 - 青柳 - 篠塚 - 館林
- 『藩史大事典』目次:19藩
- 沼田藩 - 大胡藩 - 前橋(厩橋)藩 - 総社藩 - 白井藩 - 館林藩 - 青柳藩 - 上里見(篠塚)藩 - 伊勢崎藩 - 那波藩 - 高崎藩 - 豊岡藩 - 板鼻藩 - 安中藩 - 吉井藩 - 矢田藩 - 七日市藩 - 小幡藩 - 坂本重治領
- 『藩と城下町の事典』:21藩
- 前橋藩(厩橋藩) - 高崎藩 - 館林藩 - 沼田藩 - 大戸藩 - 白井藩 - 三之倉藩 - 安中藩 - 総社藩 - 板鼻藩 - 豊岡藩 - 藤岡藩 - 吉井藩(矢田藩) - 小幡藩 - 伊勢崎藩 - 七日市藩 - 大胡藩 - 那波藩 - 篠塚藩(上里見藩) - 阿保藩 - 青柳藩
- 『群馬県史』(1927年)「上毛諸侯旗本代官の事績」(国会図書館デジタルコレクション):24藩(誤謬4藩を除く)
群馬郡
[編集]- ■ 高崎藩
- 慶長3年(1598年) - 井伊直政12万石[3]
- 慶長6年(1601年) - 井伊直政、近江佐和山に移封[4](転出は1600年とも[3])
- 慶長9年(1604年) - 酒井家次、下総臼井より入封[4][3]
- 元和2年(1616年) - 酒井家次転出/戸田松平康長入封[4][3]
- 元和3年(1617年) - 松平康長転出/藤井松平信吉入封[4][3]
- 元和5年(1619年) - 松平信吉転出/安藤重信入封[4][3]
- 元禄8年(1695年) - 安藤重博転出/大河内松平輝貞入封[4][3]
- 宝永7年(1710年) - 松平輝貞転出/間部詮房、摂津など3か国内から入封[3](相模国内より[4])
- 享保2年(1717年) - 間部詮房転出/松平輝貞復封[4][3]
- ■ 前橋藩(厩橋藩)
- 天正18年(1590年) - 平岩親吉3万3000石[3]
- 慶長6年(1601年) - 平岩親吉、甲府城代に就任し甲府に転出/酒井重忠入封[4][3]
- 寛延2年(1749年) - 酒井忠恭転出/松平朝矩入封[4][3]
- 明和4年(1767年) - 松平朝矩、武蔵川越に移転[4][4]
- 慶応2年(1866年) - 松平直克、武蔵川越より還封[4]
- ■ 総社藩(惣社藩)
- 天正20年(1592年) - 諏訪頼水1万2000石[3](2万7000石とも[3])
- 慶長6年(1601年) - 諏訪頼水、信濃高島に転出/旗本秋元長朝、加増により新封1万石[5][3]
- 寛永10年(1633年) - 秋元泰朝、甲斐谷村に移封[5]
- ■ 白井藩
- 『日本史広辞典』は井伊直孝の在封を記すが、『角川新版日本史辞典』は記さない。
- 天正18年(1590年) - 本多康重2万石[3]
- 慶長6年(1601年) - 本多康重転出/戸田松平康長、武蔵東方から入封[3]
- 慶長7年(1602年) - 戸田松平康長、下総古河に移封[5][3]
- 慶長15年(1610年) - 井伊直孝、加増により新封1万石[3]
- 元和元年(1615年) - 井伊直孝、相続のため近江彦根藩に転出[3]
- 元和2年(1616年) - 西尾忠永、武蔵原市より入封[5][3]
- 元和4年(1618年) - 西尾忠永転出/本多紀貞入封[5][3]
- 元和9年(1623年) - 本多紀貞除封[5][3]
- □ 三ノ倉藩
利根郡・吾妻郡
[編集]- ■ 沼田藩
- 慶長2年(1597年) - 真田信幸(真田信之)2万7000石[3]
- 慶長5年(1600年) - 真田信之、信濃上田に転出[4][3]。沼田は合わせて領有[4]
- 元和8年(1622年) - 真田信吉、新封3万石(信濃松代藩から分与)[3]
- 元和7年(1621年)分与[4]
- 天和元年(1681年) - 真田信利除封[4][3]
- 元禄16年(1703年) - 本多正永、下総舟戸より入封[4][3]
- 享保15年(1730年) - 本多正矩、駿河田中に移封[4][3]
- 享保17年(1732年) - 黒田直邦、常陸下館より入封[4][3]
- 寛保2年(1742年) - 黒田直純転出/土岐頼稔、摂津など4か国内から入封[4][3]
-要確認
- 『角川日本地名大辞典』によれば「元和元年成定は大坂夏の陣に城中と通牒したとして除封され,廃藩になったという」とある。『寛政譜』巻第千百二十二の岡家俊(岡越前守)と類似しているようであるがわからない。『寛政譜』の岡家俊は宇喜多家を離れて家康に仕え、采地6000石を与えられたが、明石全登の親族(外戚)であるといい、大坂方で参戦した息子・平内に連座する形で切腹させられた。
碓氷郡
[編集]- ■ 安中藩
- 元和元年(1615年) - 井伊直勝新封[4]
- 彦根藩から分与[3]
- 正保2年(1645年) - 井伊直好転出/水野元綱入封[4][3]
- 寛文7年(1667年) - 水野元知除封/堀田正俊入封[4][3]
- 天和元年(1681年) - 堀田正俊転出/板倉重形、下野国内から入封[4][3]
- 元禄15年(1702年) - 板倉重同転出/内藤政森入封[4][3]
- 寛永2年(1749年) - 内藤政苗転出/板倉勝清入封[4][3]
- ■ 板鼻藩
- ■ 上野豊岡藩
- ■ 上里見藩
甘楽郡
[編集]- ■ 小幡藩
- △『角川新版日本史辞典』は奥平→水野→永井→織田→奥平松平の藩と描く。元和3年に永井直勝転出・織田信良が分封を受ける。
- △『日本史広辞典』は2つの小幡藩(水野→永井の藩と、織田→奥平松平の藩)を記す
- 奥平信昌3万石[4](上野宮崎藩)
- 慶長6年(1601年) - 奥平信昌転出/水野忠清新封1万石[4]
- 元和2年(1616年) - 水野忠清転出/永井直勝新封1万石[4]
- 元和3年(1617年) - 永井直勝転出/織田信良、大和松山藩織田信雄から分与[4][3]
- 寛永19年(1642年) - 福島から小幡に移転[3]
- 明和4年(1767年) - 織田信浮転出/奥平松平忠恒入封[4][3]
- *(『日本史広辞典』)小幡藩A
- *(『日本史広辞典』)小幡藩B
- ■ 七日市藩
多胡郡
[編集]- □ 長根藩
- 天正18年(1590年)[3] - 菅沼定利2万石[4]
- 慶長15年(1610年) - 菅沼忠政(奥平忠政)、美濃加納に転出[3][4]、廃藩
- 天和2年(1682年) - 堀田正休新封1万石[4][3]
- 元禄11年(1698年) - 堀田正休、近江宮川に移封[4][3]、廃藩
- 宝永6年(1709年) - 旗本鷹司松平信清加増により新封1万石[3]。矢田を居所とする[4]
- 元治元年(1864年) - 矢田を吉井に改称[4]
- 明治2年(1869年) - 廃藩[4]。
緑野郡
[編集]- ■ 藤岡藩
那波郡・佐位郡
[編集]- ■ 那波藩
- ■ 伊勢崎藩
- △『日本史広辞典』は酒井忠世を記さず
- 慶長6年(1601年) - 稲垣長茂、上野国内より入封[4]
- 元和2年(1616年) - 稲垣重綱、越後藤井に移封[4][3]/酒井忠世、那波より入封[4]
- 元和3年(1617年) - 酒井忠世、前橋藩を継ぐ[4]
- 寛永14年(1637年) - 酒井忠能新封[4](前橋藩から分与[3])
- 寛文2年(1662年) - 酒井忠能、信濃小諸に移封[4][3]
- 天和元年(1681年) - 酒井忠寛新封[4][3](前橋藩から分与[3])
勢多郡
[編集]- ■ 大胡藩
新田郡
[編集]- ■ 阿保藩
- △武蔵国に所在とする説がある。
邑楽郡
[編集]- ■ 篠塚藩
- ■ 青柳藩
- ■ 館林藩
- 天正18年(1590年) - 榊原康政10万石[3]
- 寛永20年(1643年) - 榊原忠次、陸奥白河に移封[8][3]
- 正保元年(1644年) - 大給松平乗寿入封[8][3]
- 寛文元年(1661年) - 松平乗久転出/徳川綱吉新封[3]
- 延宝8年(1680年) - 徳川綱吉、江戸城に入り幕領となる[8]
- 『日本史広辞典』によれば、徳松に継承後、天和3年(1683年)に除封[3]
- 宝永4年(1707年) - 越智松平清武、相模国内から入封[8][3]
- 享保13年(1728年) - 松平武元転出/太田資晴入封[8][3]
- 享保19年(1734年) - 太田資晴、大坂城代に就任し摂津ほか5か国内に転出[3]。館林は幕領となる[8]
- 元文5年(1740年) - 太田資俊、摂津ほか5か国内から入封[3]
- 延享3年(1746年) - 太田資俊転出/越智松平武元復封[8][3]
- 天保7年(1836年) - 松平斉厚転出/井上正春入封[8][3]
- 弘化2年(1845年) - 井上正春転出/秋元志朝入封[8][3]
武蔵国
[編集]※
[編集]- 『角川新版日本史辞典』「近世大名配置表」:19藩
- 石戸 - 小室 - 鳩谷 - 原市 - 喜多見 - 金沢(六浦藩) - 岩槻 - 忍 - 私市(騎西藩) - 久喜 - 赤松〔赤沼〕 - 野本 - 松山 - 川越 - 岡部 - 深谷 - 八幡山 - 本庄 - 東方
- 『藩史大事典』目次:17藩
- 本庄藩 - 岡部藩 - 深谷藩 - 忍藩 - 騎西藩 - 久喜藩 - 石戸藩 - 野本藩 - 赤沼藩 - 小室藩 - 原市藩 - 岩槻藩 - 川越藩 - 鳩ヶ谷藩 - 江戸藩 - 喜多見藩 - 金沢(六浦)藩
- 『藩と城下町の事典』:24藩
- 川越藩 - 岩槻藩 - 忍藩 - 本庄藩 - 八幡山藩 - 岡部藩 - 深谷藩 - 東方藩 - 瓶尻藩〔三宅康貞〕 - 羽生藩〔大久保忠隣〕 - 私市藩(騎西藩) - 久喜藩 - 石戸藩 - 松山藩 - 野本藩 - 高坂藩 - 奈良梨藩 - 鯨井藩 - 赤沼藩 - 原市藩 - 小室藩 - 鳩谷藩 - 喜多見藩 - 六浦藩(金沢藩)
児玉郡
[編集]榛沢郡・幡羅郡・大里郡
[編集]- ■ 岡部藩
- 『岡部藩』 - 角川日本地名大辞典
- ※『角川新版日本史辞典』は関ヶ原以前の大身旗本時代から記す
- ※『藩と城下町の事典』は1649年に立藩とする[10]
- ※『日本史広辞典』は1705年に三河半原から入封とする[11]
- 安部信勝5200石[12]
- 慶安2年(1649年) - 安部信盛、大坂定番となり摂津国内で1万石加封[10]。1万9200石[12]
- 宝永2年(1705年) - 安部信峰(安部信峯)、岡部に居所を移す[13][11][10]
- 明治元年(1868年) - 安部信発、三河半原に移封[9][11][10]
- 松平忠輝1万石[9]
- 慶長7年(1602年) - 松平忠輝、下総佐倉に移封[9]
- 元和8年(1622年) - 酒井忠勝、下総国内より入封1万石[9]
- 寛永3年(1626年) - 酒井忠勝、忍へ移封[9]
- □
瓶尻 藩 - ◎三ヶ尻陣屋は現在の熊谷市三ケ尻
埼玉郡
[編集]- 天正18年(1590年) - 大久保忠隣、羽生城に入り2万石[15]
- 文禄3年(1594年) - 大久保忠隣、忠世の家督を継ぐ[16]。羽生城・小田原城を合わせ6万5000石を領有[15]。小田原藩への転出とも記述[16]。
- 慶長19年(1614年) - 大久保忠隣改易、廃藩[15]
- 1592年 - 東条松平忠吉10万石[11]
- 慶長5年(1600年) - 松平忠吉、尾張清洲に移封[12][11]
- 寛永3年(1626年) - 酒井忠勝、深谷より入封[12]
- 寛永4年(1627年) - 酒井忠勝、川越藩を継ぐ[12]
- 寛永10年(1633年) - 大河内松平信綱、相模・上野国内より入封[12][11]
- 相模国内より[12]
- 寛永16年(1639年) - 松平信綱転出/阿部忠秋入封[12][11]
- 文政6年(1823年) - 阿部正権転出/奥平松平忠堯入封[12][11]
- 天正18年(1590年) - 松井松平康重2万石[11]
- 慶長6年(1601年) - 松平康重転出/大久保忠常新封2万石[12][11]
- 寛永9年(1632年) - 大久保忠職、美濃加納に移封[12][11]
- 天正18年(1590年) - 高力清長2万石[11]
- 元和5年(1619年) - 高力忠房、遠江浜松に移封[12][11]
- 元和6年(1620年) - 青山忠俊、上総国など5か国内から入封[12][11]
- 相模・上総・下総国内から[12]
- 元和9年(1623年) - 青山忠俊転出/阿部正次、小田原から入封[12][11]
- 天和元年(1681年) - 阿部正邦転出/板倉重種入封[12][11]
- 天和2年(1682年) - 板倉重種転出/戸田忠昌入封[12][11]
- 貞享3年(1686年) - 戸田忠昌転出/藤井松平忠周入封[12][11]
- 元禄10年(1697年) - 松平忠周転出/小笠原長重入封[12][11]
- 正徳元年(1711年) - 小笠原長煕転出/永井直敬入封[12][11]
- 宝暦6年(1756年) - 永井直陳転出/大岡忠光入封[12][11]
比企郡
[編集]- 寛永元年(1624年) - 渡辺吉綱3000石[12]
- 寛文元年(1661年) - 渡辺吉綱、加封(2回目)により1万3500石[12]
- 元禄11年(1698年) - 渡辺基綱、和泉大庭寺に移封[12]
入間郡・高麗郡
[編集]- 天正18年(1590年) - 酒井重忠1万石[11]
- 慶長6年(1601年) - 酒井重忠、上野前橋に移封[12][11]
- 慶長14年(1609年) - 酒井忠利、駿河田中から入封[12][11]
- 寛永11年(1634年) - 酒井忠勝、若狭小浜に移封[12][11]
- 寛永12年(1635年) - 堀田正盛、相模国内から入封[12][11](相模など4か国内[11])
- 寛永15年(1638年) - 堀田正盛、信濃松本に移封[12][11]
- 寛永16年(1639年) - 大河内松平信綱、忍より入封[12][11]
- 元禄7年(1694年) - 松平信輝転出/柳沢吉保入封[12][11]
- 摂津など5か国内より入封[11]
- 宝永元年(1704年) - 柳沢吉保転出/秋元喬知入封[12][11]
- 明和4年(1767年) - 秋元涼朝転出/松平朝矩入封[12][11]
- 慶応2年(1866年) - 松平直克転出/松井松平康英入封[12]
- 『日本史広辞典』では1867年[11]
- □ 鯨井藩
- ◎鯨井陣屋は現在の川越市鯨井
足立郡
[編集]- 阿部正次5000石[18]
- 慶長5年(1600年) - 相模で加封され1万石[18][11]
- 慶長15年(1610年) - 下野鹿沼に移封[18]
- 元和3年(1617年) - 阿部正次、上総大多喜に移封[11]
豊島郡・多摩郡
[編集]- □ 江戸藩
- △『藩史大事典』目次には「江戸藩」が記載(目次だけで内容は未確認)。豊臣大名としての徳川家康か。江戸時代における「徳川政権」を、中央政府としての性格を持つ「江戸幕府」のほかに、徳川家700万石の家政をおこなう「藩」の性格があるとして、比喩的に「江戸藩」を用いる書籍もある[19]。
- 天正18年(1590年) - 喜多見勝忠、多摩郡喜多見村を安堵され500石を知行[20]
- 天和元年(1681年) - 喜多見重政、加増を受け1万石[12][20]
- 元禄2年(1689年) - 除封[12][20]
久良岐郡
[編集]- ■ 六浦藩(金沢藩)
相模国
[編集]※
[編集]- 『角川新版日本史辞典』「近世大名配置表」:4藩
- 甘縄(玉縄藩) - 深見 - 小田原 - 荻野山中
- 『藩史大事典』目次:4藩
- 深見藩 - 甘縄(玉縄)藩 - 荻野山中藩 - 小田原藩
- 『藩と城下町の事典』:
- 荻野山中藩 - 甘縄藩 - 小田原藩
鎌倉郡
[編集]- ■ 玉縄藩(甘縄藩)
- 『甘縄藩』 - コトバンク
- 『玉縄城』 - コトバンク
- △『日本大百科全書(ニッポニカ)』は「1590年(天正18)徳川家康の関東入国に際し本多正信が1万石で配されたというのが定説になっているが、正しくは水野忠守らによる番城制」とする
- 『日本史広辞典』は松平正綱から
- 「一説に」本多正信1万石[9]
- 慶長10年(1605年)頃 - 本多正純、下野小山に移封[9]
- 寛永2年(1625年) - 大河内松平正綱新封[9][11]
- 元禄16年(1703年) - 松平正久、上総大多喜に移封[9][11]
高座郡
[編集]- ■ 深見藩
- △『藩史大事典』目次では「深見藩」のほか、上野国に「坂本重治領」を挙げる。
足柄下郡
[編集]- 1594年 - 大久保忠隣6万5000石[11]
- 慶長19年(1614年) - 大久保忠隣除封[9][11]
- 元和5年(1619年) - 阿部正次、上総大多喜から入封[9][11]
- 元和9年(1623年) - 阿部正次、武蔵岩槻に転封[9][11]
- 寛永9年(1632年) - 稲葉正勝、下野真岡から入封[9][11]
- 貞享2年(1685年) - 稲葉正往、越後高田に移封[9][11]
- 貞享3年(1686年) - 大久保忠朝、下総佐倉から入封[9][11]
荻野山中藩
[編集]- 元禄3年(1690年) - 大久保教寛、小田原藩(大久保忠朝)より6000石を分与【小田原藩支藩】[9]
- 宝永3年(1706年) - 5000石加封[9]
- 天明3年(1783年) - 大久保教翅、荻野山中に住す[9][11]
伊豆国
[編集]※
[編集]- 『角川新版日本史辞典』「近世大名配置表」:1藩
- 韮山
- 『藩史大辞典』目次:
- 記載なし
田方郡
[編集]- □ 韮山藩
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “山河郷(中世)”. 角川日本地名大辞典. 2022年12月30日閲覧。
- ^ “山川村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2022年12月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt 『日本史広辞典』, p. 巻末82.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg 『角川新版日本史辞典』, p. 1298.
- ^ a b c d e f g h 『角川新版日本史辞典』, p. 1297.
- ^ “大戸藩(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2022年12月20日閲覧。
- ^ “大戸村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2022年12月20日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 『角川新版日本史辞典』, p. 1299.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 『角川新版日本史辞典』, p. 1305.
- ^ a b c d 『藩と城下町の事典』, p. 192.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd 『日本史広辞典』, p. 巻末84.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at 『角川新版日本史辞典』, p. 1304.
- ^ 『角川新版日本史辞典』, pp. 1304–1305.
- ^ a b 『藩と城下町の事典』, p. 193.
- ^ a b c 『藩と城下町の事典』, p. 194.
- ^ a b 『藩と城下町の事典』, p. 200.
- ^ a b c d e 『藩と城下町の事典』, p. 196.
- ^ a b c d e f g h i j k 『角川新版日本史辞典』, p. 1303.
- ^ 山本明『決定版 知れば知るほど面白い! 江戸三百藩』p.18
- ^ a b c d “喜多見氏”. 日本大百科全書(ニッポニカ). 2023年1月5日閲覧。
参考文献
[編集]外部リンク
[編集]- 和暦西暦対照表(近世) - 静岡県立中央図書館
- 大名家一覧|武鑑全集
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