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八幡山藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

八幡山藩(はちまんやまはん)は、武蔵国児玉郡八幡山(現在の埼玉県本庄市児玉町八幡山)に存在した藩。居城は雉岡城竹谷松平家の時代では八幡山城と呼ばれる)。児玉郡北部に所在した本庄藩に対し、八幡山藩は児玉郡南部に所在した。

藩史

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小田原征伐後、徳川家康関東に入り、江戸城主となると、家康は松平家清を1万石で児玉郡八幡山に配領し、立藩させた。こうして家清は父・清宗を伴って八幡山城に居住した。藩政は父清宗が専任し、家清は天正19年(1591年)、九戸一揆(九戸政実の乱)の鎮圧や関ヶ原の戦いに従軍し、尾張国清洲城城番を担当した(父に藩事を任せた形になる)。その後、家清は慶長6年(1601年)に加恩3万石を得て、三河国吉田に転封し、八幡山藩は江戸時代を迎える前に廃藩となり、約11年という短い藩史に幕をとじた。

備考

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父・清宗に藩政(藩事)を任せて従軍していたため、清宗が藩主と誤解されがちであるが、家清が藩主であり、藩祖である(実質的な領主という意味では清宗も含まれるが、一時的なものである)。したがって、歴代藩主と書くのは妥当ではなく、家清一代限りの藩ということになる。

参考文献

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