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吉永治市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

吉永 治市(よしなが じいち、1913年大正2年)10月12日[1] - 2000年平成12年)4月4日[1])は、昭和期の実業家政治家衆議院議員。号・望蘇(ぼうそ)[1]

経歴

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熊本県[2]上益城郡、後の益城町で生まれた[1]陸軍に入隊し第106師団に配属され日中戦争に出征し、1939年(昭和14年)11月、独立混成第18旅団独立歩兵第92大隊に情報作戦担当として転属し、中支宋河鎮の警備中に陸軍士官学校将校学生として入学した[3]。1943年(昭和18年)陸軍士官学校を卒業[1][注 1]。その後、熊本歩兵第13連隊補充の教育主任となる[3]。陸軍少佐復員[2]

戦後、1951年(昭和26年)[注 2] 日本大学経済学部を卒業した[2]。全国農業会秘書課長、西日本肥料工業社長、吉永興業社長、旭観光開発代表取締役などを務めた[1][2]

1955年(昭和30年)2月、第27回衆議院議員総選挙熊本県第2区から無所属で出馬して落選[4]。 以後、第28回第30回総選挙に出馬したが落選[5]。1972年(昭和47年)12月の第33回総選挙に無所属で出馬して当選し[6]、衆議院議員に1期在任した[1][2]。この間、自由民主党宣伝局次長、同国防副部会長などを務めた[1][2]。その後、第34回第35回総選挙に立候補したがいずれも落選した[7]

その後、東興企業代表取締役、田木建設常務、「民族機構」直営グリンスター・センター代表取締役、日本郷友連盟顧問、日本世界戦略研究所顧問、自民党前議員会常任理事、吉永政経研究所会長などを務めた[1][2]

著作

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  • 『我が心魂録 : 愛と真実を求めて』フェイス出版、1972年。

栄典

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1988年、勲三等瑞宝章受章[8]

脚註

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注釈

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  1. ^ 『陸軍士官学校』230頁以下の出身者名簿に掲載がないため詳細は不明。
  2. ^ 『現代物故者事典 2000-2002』671頁では昭和25年。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i 『現代物故者事典 2000-2002』671-672頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』710-711頁。
  3. ^ a b 『名鑑 第百六師団』296-297頁。
  4. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』371頁。
  5. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』371-372頁。
  6. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』372頁。
  7. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』373頁。
  8. ^ 「秋の叙位叙勲4538人、晴れの受章 隠れた功労者、史上2位の1741人」『読売新聞』1988年11月3日朝刊

参考文献

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  • 山崎正男編『陸軍士官学校』秋元書房、1969年。
  • 『名鑑 第百六師団』撰興社、1988年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『現代物故者事典 2000-2002』日外アソシエーツ株式会社、2003年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。