吉田勝也
吉田勝也 (中野勝也) | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 山口県 |
生年月日 | 1939年2月3日(85歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
所属厩舎 |
阪神→栗東・田之上勲(1957年 - 1970年) 栗東・日迫清(1970年 - 1974年) 栗東・吉田三郎(1974年 - 1988年) |
初免許年 | 1957年4月7日 |
免許区分 | 平地(初期には障害の免許も保持) |
騎手引退日 | 1988年1月31日 |
重賞勝利 | 1勝 |
通算勝利 | 3948戦390勝 |
吉田 勝也(よしだ かつや、1939年2月3日 - )は、山口県出身の元騎手。
経歴
[編集]1950年代
[編集]1957年に阪神・田之上勲厩舎からデビューし、4月7日の京都第3競走障害5歳以上60万下・ローラル(8頭中8着)で初騎乗[1]を果たすが、1年目の同年は0勝[2]に終わる。
2年目の1958年には4月6日の京都第3競走4歳未勝利・ヒウガイチで初勝利[3]、7月19日・20日の小倉で初の2日連続勝利[4]を挙げる。同年には初の2桁となる11勝[2]をマークし、1966年まで9年連続2桁勝利[2]を記録。
3年目の1959年には7月11日の小倉で初の1日2勝[5]を挙げるなど初の20勝台となる20勝[2]、1960年には夏の小倉戦8勝[6]を含む13勝[2]をマーク。
1960年代
[編集]1963年には後に「九州産馬の天皇賞」と形容される[7]霧島賞をニシモロで初めて制し[8]、秋の小倉戦8勝[9]を含む12勝[2]をマーク。
1964年から1966年には霧島賞で3年連続出走のヒウガチエリーに騎乗し、1964年は6頭中5番人気ながら51㎏で2着、1965年と1966年には共に57㎏のトップハンデを背負って制し連覇[10] [8]。ヒウガチエリーでは1965年の小倉記念で2着に入った[10]。
1967年はデビュー以来10年ぶりの0勝に終わったが、1968年には2年ぶりの2桁となる18勝をマークし、1978年まで11年連続2桁勝利を記録[2]。
1970年代
[編集]日迫清厩舎に移籍した1970年にはワイエムホマレで重賞昇格前の小倉3歳ステークスを制し[11]、牝馬セブンヤングで読売カップ(秋)3着[12]に入るなど、11年ぶりの20勝台となる22勝[2]をマーク。
1972年には5月7日の京都第7競走4歳オープンでは桜花賞の前哨戦として出走したキョウエイグリーンに騎乗して勝利し[13]、自己最多の32勝[2]をマーク。
1973年にはキョウエイアリスで1月4日の京都第8競走近畿放送紅梅賞をキシュウローレルの3着[14]とし、ホウシュウエイトでは毎日杯を制して自身唯一の重賞勝利[15]を挙げ、神戸新聞杯2着[16]、菊花賞ではタケホープ・ハイセイコー・イチフジイサミに次ぐ4着で関西馬最先着[17]と健闘。
1974年には吉田三郎厩舎に移籍し、姓が「吉田」になった1976年まで7年連続20勝台を記録[2]。
1976年のCBC賞ではハンピンオーで6頭中5番人気ながらニシキエースを抑えてシルバーランドの2着[18]に入り、ハンピンオーでは1977年1月30日の京都第9競走淀短距離ステークスでウラカワチェリー・ロングホークを抑えて勝利し[19]、京都記念(春)ではエリモジョージを抑えてテンポイント・クラウンピラードに次ぐ4着[20]、阪急杯では3着[21]に入った。
1978年にはグレートタイタンで3勝を挙げたほかに菊花賞に騎乗し[22]、1979年には4勝と12年ぶりの1桁に終わったが、1980年には2年ぶりで最後の2桁勝利となる22勝をマーク[2]。
1980年代
[編集]1980年にはカワチハートで東京優駿に騎乗し12着に終わるも皐月賞馬ハワイアンイメージには先着し[23]、グレートタイタンでは朝日チャレンジカップではアグネスレディー・ケイキロクのオークスに2頭の間に入る4着[24]であった。
1983年の小倉大賞典では12頭中11番人気のメイショウキングで2着[25]に入り、1984年には17年ぶりに0勝[2]に終わる。
1985年1月19日の京都第4競走4歳新馬ではハッピールイスで勝利するが、障害転向前の同馬にとって平地での唯一の勝利となった[26]。
1986年には5月18日の阪神第9競走野苺賞をフェートノーザンで逃げ切ったのが最後の勝利となり、7月5日の中京第3競走4歳未勝利・センターヒーロー(12頭中9着)を最後に現役を引退[27]。
騎手成績
[編集]通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
平地 | 385 | 415 | 401 | 2633 | 3834 | .100 | .209 |
障害 | 5 | 11 | 15 | 83 | 114 | .044 | .140 |
計 | 390 | 426 | 416 | 2716 | 3948 | .099 | .207 |
- 主な騎乗馬
- ホウシュウエイト(1973年毎日杯)
脚注
[編集]- ^ “吉田勝也の近走成績”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l “吉田勝也の年度別成績”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “吉田勝也の近走成績”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “抽出[通算 1着レース]|吉田勝也の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “抽出[通算 1着レース]|吉田勝也の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “抽出[1960年度 1着レース]|吉田勝也の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
- ^ 「藤岡厩舎の躍進を支える今年JRA未勝利の大下」『スポーツニッポン』2015年8月21日。2024年11月4日閲覧。
- ^ a b “レース名[霧島賞]のレース検索結果|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “抽出[1963年度 1着レース]|吉田勝也の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
- ^ a b “ヒウガチェリー”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “小倉3歳ステークス|1970年8月23日”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “読売カップ|1970年12月13日”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “キヨウエイグリーン (Kyoei Green)”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “近畿放送紅梅賞|1973年1月4日”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “抽出[通算 1着レース]|吉田勝也の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “ホウシュウエイト (Hoshu Eight)”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “菊花賞|1973年11月11日”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “CBC賞|1976年12月12日”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “淀短距離ステークス|1977年1月30日”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “京都記念|1977年2月13日”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “ハンピンオー”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “グレートタイタン”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “東京優駿|1980年5月25日”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “朝日チャレンジカップ|1980年9月21日”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “小倉大賞典|1983年4月3日”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “ハッピールイス (Happy Lewis)”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “吉田勝也の近走成績”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。