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吉田勝也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉田勝也
(中野勝也)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山口県
生年月日 (1939-02-03) 1939年2月3日(85歳)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
所属厩舎 阪神栗東・田之上勲(1957年 - 1970年)
栗東・日迫清(1970年 - 1974年)
栗東・吉田三郎(1974年 - 1988年)
初免許年 1957年4月7日
免許区分 平地(初期には障害の免許も保持)
騎手引退日 1988年1月31日
重賞勝利 1勝
通算勝利 3948戦390勝
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吉田 勝也(よしだ かつや、1939年2月3日 - )は、山口県出身の元騎手

1957年から1976年までの登録名は「中野勝也」。

経歴

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1950年代

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1957年に阪神・田之上勲厩舎からデビューし、4月7日京都第3競走障害5歳以上60万下・ローラル(8頭中8着)で初騎乗[1]を果たすが、1年目の同年は0勝[2]に終わる。

2年目の1958年には4月6日の京都第3競走4歳未勝利・ヒウガイチで初勝利[3]7月19日20日小倉で初の2日連続勝利[4]を挙げる。同年には初の2桁となる11勝[2]をマークし、1966年まで9年連続2桁勝利[2]を記録。

3年目の1959年には7月11日の小倉で初の1日2勝[5]を挙げるなど初の20勝台となる20勝[2]1960年には夏の小倉戦8勝[6]を含む13勝[2]をマーク。

1960年代

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1963年には後に「九州産馬天皇賞」と形容される[7]霧島賞をニシモロで初めて制し[8]、秋の小倉戦8勝[9]を含む12勝[2]をマーク。

1964年から1966年には霧島賞で3年連続出走のヒウガチエリーに騎乗し、1964年は6頭中5番人気ながら51㎏で2着、1965年と1966年には共に57㎏のトップハンデを背負って制し連覇[10] [8]。ヒウガチエリーでは1965年の小倉記念で2着に入った[10]

1967年はデビュー以来10年ぶりの0勝に終わったが、1968年には2年ぶりの2桁となる18勝をマークし、1978年まで11年連続2桁勝利を記録[2]

1970年代

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日迫清厩舎に移籍した1970年にはワイエムホマレで重賞昇格前の小倉3歳ステークスを制し[11]、牝馬セブンヤングで読売カップ(秋)3着[12]に入るなど、11年ぶりの20勝台となる22勝[2]をマーク。

1972年には5月7日の京都第7競走4歳オープンでは桜花賞の前哨戦として出走したキョウエイグリーンに騎乗して勝利し[13]、自己最多の32勝[2]をマーク。

1973年にはキョウエイアリスで1月4日の京都第8競走近畿放送紅梅賞キシュウローレルの3着[14]とし、ホウシュウエイトでは毎日杯を制して自身唯一の重賞勝利[15]を挙げ、神戸新聞杯2着[16]菊花賞ではタケホープハイセイコーイチフジイサミに次ぐ4着で関西馬最先着[17]と健闘。

1974年には吉田三郎厩舎に移籍し、姓が「吉田」になった1976年まで7年連続20勝台を記録[2]

1976年のCBC賞ではハンピンオーで6頭中5番人気ながらニシキエースを抑えてシルバーランドの2着[18]に入り、ハンピンオーでは1977年1月30日の京都第9競走淀短距離ステークスでウラカワチェリーロングホークを抑えて勝利し[19]京都記念(春)ではエリモジョージを抑えてテンポイントクラウンピラードに次ぐ4着[20]阪急杯では3着[21]に入った。

1978年にはグレートタイタンで3勝を挙げたほかに菊花賞に騎乗し[22]1979年には4勝と12年ぶりの1桁に終わったが、1980年には2年ぶりで最後の2桁勝利となる22勝をマーク[2]

1980年代

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1980年にはカワチハートで東京優駿に騎乗し12着に終わるも皐月賞ハワイアンイメージには先着し[23]、グレートタイタンでは朝日チャレンジカップではアグネスレディーケイキロクオークスに2頭の間に入る4着[24]であった。

1983年小倉大賞典では12頭中11番人気のメイショウキングで2着[25]に入り、1984年には17年ぶりに0勝[2]に終わる。

1985年1月19日の京都第4競走4歳新馬ではハッピールイスで勝利するが、障害転向前の同馬にとって平地での唯一の勝利となった[26]

1986年には5月18日の阪神第9競走野苺賞をフェートノーザンで逃げ切ったのが最後の勝利となり、7月5日中京第3競走4歳未勝利・センターヒーロー(12頭中9着)を最後に現役を引退[27]

騎手成績

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通算成績 1着 2着 3着 4着以下 出走回数 勝率 連対率
平地 385 415 401 2633 3834 .100 .209
障害 5 11 15 83 114 .044 .140
390 426 416 2716 3948 .099 .207
主な騎乗馬
  • ホウシュウエイト(1973年毎日杯)

脚注

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  1. ^ 吉田勝也の近走成績”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 吉田勝也の年度別成績”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
  3. ^ 吉田勝也の近走成績”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
  4. ^ 抽出[通算 1着レース]|吉田勝也の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
  5. ^ 抽出[通算 1着レース]|吉田勝也の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
  6. ^ 抽出[1960年度 1着レース]|吉田勝也の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
  7. ^ 藤岡厩舎の躍進を支える今年JRA未勝利の大下」『スポーツニッポン』2015年8月21日。2024年11月4日閲覧。
  8. ^ a b レース名[霧島賞]のレース検索結果|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
  9. ^ 抽出[1963年度 1着レース]|吉田勝也の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
  10. ^ a b ヒウガチェリー”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
  11. ^ 小倉3歳ステークス|1970年8月23日”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
  12. ^ 読売カップ|1970年12月13日”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
  13. ^ キヨウエイグリーン (Kyoei Green)”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
  14. ^ 近畿放送紅梅賞|1973年1月4日”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
  15. ^ 抽出[通算 1着レース]|吉田勝也の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
  16. ^ ホウシュウエイト (Hoshu Eight)”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
  17. ^ 菊花賞|1973年11月11日”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
  18. ^ CBC賞|1976年12月12日”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
  19. ^ 淀短距離ステークス|1977年1月30日”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
  20. ^ 京都記念|1977年2月13日”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
  21. ^ ハンピンオー”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
  22. ^ グレートタイタン”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
  23. ^ 東京優駿|1980年5月25日”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
  24. ^ 朝日チャレンジカップ|1980年9月21日”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
  25. ^ 小倉大賞典|1983年4月3日”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
  26. ^ ハッピールイス (Happy Lewis)”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。
  27. ^ 吉田勝也の近走成績”. netkeiba.com. 2024年11月4日閲覧。