名古屋観光ホテル
名古屋観光ホテル Nagoya Kanko Hotel | |
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名古屋観光ホテル | |
ホテル概要 | |
正式名称 | 名古屋観光ホテル |
設計 | 日本設計事務所(現在の日本設計)[1] |
施工 | 大林組・清水建設[1] |
運営 | エスパシオエンタープライズ株式会社 |
階数 | 地下4 - 18階 |
レストラン数 | 7軒 |
部屋数 | 310室 |
敷地面積 | 7,231[1] m² |
建築面積 | 5,266[1] m² |
延床面積 | 47,422[1] m² |
駐車場 | 250台 |
最頂部 | 69.5m |
開業 | 1936年(昭和11年)12月16日[2] |
最寄駅 | 名古屋市営地下鉄 伏見駅 |
最寄IC | 名古屋高速都心環状線 錦橋出口 |
所在地 |
〒460-8608 愛知県名古屋市中区錦一丁目19番30号 |
位置 | 北緯35度10分7.86秒 東経136度53分43.7秒 / 北緯35.1688500度 東経136.895472度座標: 北緯35度10分7.86秒 東経136度53分43.7秒 / 北緯35.1688500度 東経136.895472度 |
公式サイト | 公式サイト |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒460-8608 愛知県名古屋市中区錦一丁目19番30号[2] |
設立 | 1982年(昭和57年)6月(注) |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 9180001038955 |
事業内容 | ホテル運営 |
代表者 | 山下 孝治(代表取締役社長)[2] |
資本金 | 8000万円 |
売上高 |
連結:60億71百万円 単独:57億93百万円 (2008年3月期) |
純利益 |
△9,577万2,000円 (2024年3月期)[3] |
純資産 |
△20億2,327万3,000円 (2024年3月期)[3] |
総資産 |
5億5,326万3,000円 (2024年3月期)[3] |
従業員数 |
連結:229名 単独:206名 (2008年3月31日現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 |
興和(株) 100% (2017年3月31日現在) |
外部リンク | http://www.nagoyakankohotel.co.jp |
特記事項:注 1982年(昭和57年)10月に(旧)株式会社名古屋観光ホテルを当社が吸収合併し、旧会社は消滅した。旧会社の設立日は1934年(昭和9年)9月14日である。 |
名古屋観光ホテル(なごやかんこうホテル)は、松坂屋を中核に伊藤銀行(現在の三菱UFJ銀行)等を抱える伊藤財閥当主の伊藤次郎佐衛門が中心となって設立した名古屋では最古のシティホテルである。エスパシオエンタープライズ株式会社が運営する。
本項では2021年(令和3年)6月まで同ホテルを運営していた株式会社名古屋観光ホテル(Nagoya Kanko Hotel Co., Ltd.)についても説明する。
概要
[編集]名古屋市の古くからの都心である広小路伏見交差点に近い一等地にあり、皇族の宿泊先にも選ばれる、名古屋では屈指の名門ホテル。かつては、名古屋城西隣に毎日新聞社グループが開設したホテルナゴヤキャッスルと共に、名古屋の最高級ホテルとして、地元政財界の強い支持を受け君臨していた。
しかし1980年代以降、名古屋東急ホテルやヒルトン名古屋など、外部資本の高級ホテル進出を受けて低迷が続き、興和が90%以上の株式を買収して傘下におさめ、客室の改装など再建を推し進めていた。2012年(平成24年)3月1日には、興和の全面支援を受けるため、完全子会社化された。
沿革
[編集]- 1934年(昭和9年)9月 - 名古屋市、名古屋商工会議所、地元有志等の発起により、(旧)株式会社名古屋観光ホテルが設立[4]
- 1936年(昭和11年)12月16日 - 国策ホテルとして、名古屋観光ホテル開業[注釈 1]。
- 1945年(昭和20年)9月26日 - 名古屋観光ホテルが米軍により接収。
- 1946年(昭和21年)12月22日 - 常盤ホテル開業。
- 1947年(昭和22年)
- 6月20日 - 常盤ホテル営業休止。
- 8月15日 - 貿易庁 ホテルトキワ開業。
- 1950年(昭和25年)
- 3月29日 - ナゴヤハーバーロッジ開業。
- 4月1日 - ホテルトキワが民間移行で名古屋観光ホテルへ復帰。
- 12月8日 - 政府登録国際観光旅館に指定[5]。
- 1956年(昭和31年)11月30日 - ホテルトキワ、ナゴヤハーバーロッジ閉鎖。
- 1956年(昭和31年)12月 - 名古屋観光ホテル営業再開[4]。
- 1961年(昭和36年)9月 - 名古屋証券取引所第2部上場[4]。
- 1970年(昭和45年)9月30日 - 改築の為、営業休止。
- 1971年(昭和46年)6月 - 上場廃止[4]、
- 1973年(昭和48年)7月1日 - 新館(客室505室)フルオープン。
- 1979年(昭和54年)5月27日 - 第30回全国植樹祭に行幸した昭和天皇、香淳皇后が宿泊[6]。
- 1982年(昭和57年) - 6月に(新)株式会社名古屋観光ホテルを設立、10月に(旧)株式会社名古屋観光ホテルを吸収合併[4]。
- 1999年(平成11年)7月13日 - 興和のTOBで68.7%の持株とし、子会社化。
- 2012年(平成24年)3月1日 - 興和の完全子会社となる。
- 2019年(令和元年)
- 2021年(令和3年)7月1日 - 興和の完全子会社であるエスパシオ株式会社(同日付でエスパシオエンタープライズ株式会社に商号変更)にホテル事業および料飲事業を承継[8][9]。
トラブル
[編集]2022年(令和4年)10月1日、東海ラジオ主催「丘みどりオータムディナーショー2022」において、開催前日の10月1日にダブルブッキング発覚のため、中止が発表された。ホテル総支配人名による説明では、「予約のお申込みをいただいたにもかかわらず、新たな案件が同じ宴会場で受注されたため、ホテル担当者は、ダブルブッキングを承知の上で、主催者様の承諾なしに要件満たさない別宴会場をディナーショーの会場として押さえました。その事実を主催者様に前日21時まで、お知らせせずにあたかも該当会場が押さえられているかのように虚偽の報告をしておりました」とのこと。ショーは昼と夜の2部制で、料金は1人3万円(税込み)で約300人が来場予定だった。鑑賞予定者にはチケット代金の返金と交通費、宿泊代を支払うとしている[10][11]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e “BCS賞受賞作品”. 日本建設業連合会. 2017年11月29日閲覧。
- ^ a b c “会社情報”. 株式会社 名古屋観光ホテル. 2017年11月29日閲覧。
- ^ a b c 株式会社名古屋観光ホテル 第42期決算公告
- ^ a b c d e 出典:株式会社名古屋観光ホテル 有価証券報告書より
- ^ 「国際観光ホテル決る」『日本経済新聞』昭和25年12月8日3面
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、148頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ G20愛知・名古屋外務大臣会合
- ^ “ナゴヤキャッスル 名古屋観光ホテル 来月1日事業統合”. 読売新聞オンライン (株式会社読売新聞東京本社). (2021年6月19日) 2022年2月12日閲覧。
- ^ “事業承継に関するお知らせ”. エスパシオエンタープライズ株式会社. 2022年1月12日閲覧。
- ^ “丘みどり ディナーショー中止にホテル側が経緯説明「担当者はダブルブッキングを承知」 - スポニチ Sponichi Annex 芸能”. スポニチ Sponichi Annex. 2022年10月3日閲覧。
- ^ “【丘みどりオータムディナーショー2022 中止につきまして】”. 丘みどりオフィシャルサイト. 2022年10月3日閲覧。
関連項目
[編集]- 西部警察 PART-II
- 『決戦・地獄の要塞・名古屋編』のロケで名古屋観光ホテルが使用されている。
- 愛知国際放送(RADIO-i)120proof(iJ むらなが吟)など2000年(平成12年)7月より数年間、毎週金曜日に当ホテル内ジャルダンにて定期公開生放送が行われていた。