土屋挙直
表示
時代 | 江戸時代後期(幕末) - 明治時代 |
---|---|
生誕 | 嘉永5年9月19日[1](1852年10月31日) |
死没 | 明治25年(1892年[2])10月24日 |
改名 |
余七麻呂(幼名)、 松平昭邦(初名)→土屋挙直[3] |
戒名 | 高林院貫山挙直 |
墓所 | 法泉寺 (茨城県土浦市大岩田) |
官位 |
従五位下(1868年)、正五位、従四位、正四位(1892年) 相模守(1868年)[3] |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 常陸国土浦藩主 |
氏族 | 水戸徳川家→土屋氏 |
父母 |
父:徳川斉昭[3]、母:万里小路睦子 養父:土屋寅直 |
兄弟 | 徳川慶篤、池田慶徳、徳川慶喜、松平直侯、池田茂政、松平武聰、喜連川縄氏、松平忠和、挙直、徳川昭武、松平喜徳、松平頼之 |
妻 |
光子[4](上野高崎藩主松平輝聴の娘[3]) 妾あり |
子 | 正直、峯子、保子、義直、都子、理子[5]、邦子 |
特記 事項 | 小松宮彰仁親王妃頼子は義母竹子方の従姉[2]、華頂宮博経親王妃郁子(旧姓南部) は父方の姪。 |
土屋 挙直(つちや しげなお)は、常陸土浦藩の第11代(最後)の藩主。水戸藩主徳川斉昭の子で[3]、徳川慶喜の異母弟に当たる。
生涯
[編集]嘉永5年(1852年)9月19日、徳川斉昭の十七男[6]として江戸小石川の水戸藩邸で生まれる。斉昭の従弟[7]で大坂城代を務めた土浦藩の第10代藩主土屋寅直[注釈 1]の養子として、慶応4年(1868年)5月6日の寅直の隠居により家督を継いだ[10][11][12]。5月15日に従五位下・相模守に叙位・任官する。
明治2年(1869年)6月19日、版籍奉還により土浦藩知事に任じられた。明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県により免官後、東京へ移り、内務省御用掛と勧農局事務取扱役を兼任し、下総牧羊場に勤めた。
全ての職を辞任した後は、没落していく士族のために農地開発、開拓を積極的に推し進め、旧藩士が「樹芸社」の開墾事業(石岡市旧・新治郡三村)を始めると援助し、土屋農場を経営した[1]。
明治17年(1884年)、華族令の公布に伴い子爵に叙せられる。 明治25年(1892年)10月24日死去。享年41[13]。
栄典
[編集]家族
[編集]父母
妻
妾
- あり
子女
- 土屋正直[注釈 2](長男)
- 土屋義直[注釈 3](次男)
- 松平峰子 - 松平忠威夫人(前妻)
- 藤岡保子 - 藤岡勝二夫人
- 溝口都子 - 溝口武五郎[注釈 4]夫人
- 松平理子 - 松平忠威夫人(後妻)
- 相馬邦子 - 子爵相馬孟胤夫人
関連資料
[編集]丸カッコ内はコマ番号。
- 赤根益男ほか 編「一、江戸から明治へ―近代の扉を開く §14 土屋挙直」『目で見る土浦・石岡・つくばの100年』郷土出版社、1997年。
- 『常総の史蹟と寺々を訪ねる』後編、1968年[16]
- 「土屋挙直が天機奉伺に京に上る」122頁- (0066.jp2)
- 「土屋挙直が失職旧臣を救済」130頁- (0070.jp2)
- 「土屋挙直が三ツ輪商社をつくる」137頁- (0073.jp2)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus. “土屋挙直とは”. コトバンク. 講談社. 2022年4月29日閲覧。
- ^ a b 官報 1892, p. 273.
- ^ a b c d e “土屋氏(土浦藩)”. Reichsarchiv ~世界帝王事典~. 家系リスト. 2020年8月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年8月21日閲覧。
- ^ 土浦市史編集資料 1973, pp. 49頁- (コマ番号0032.jp2-), 三、霜の下草(土屋光子詠草).
- ^ “深溝松平家”. Reichsarchiv ~世界帝王事典~. 家系リスト. 2019年8月21日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 「3-1 短刀 葵紋崩し(1857年=安政4年、館蔵)」『特別展「幕末動乱―開国から攘夷へ―」展示資料一覧』(pdf)土浦市立博物館、2014年3月27日、4頁 。「土屋家刀剣。徳川斉昭が17男余七麻呂 (11代藩主挙直)に贈った品」
- ^ 「本文」『角田家本梅田雲浜安政大獄吟味関係資料について』(pdf) 。2022年4月29日閲覧。「(前略)大坂城代をつとめた土屋寅直(常陸土浦藩主、徳川斉昭の従弟)(後略)」国立国会図書館デジタルコレクション、インターネット公開。
- ^ 「同日 大坂城代土屋寅直、異國船近海渡來ノ際ノ大坂警衞ニ關シ、意見ヲ幕府ニ具申ス。」『大日本維新史料』第2編 5、維新史料編纂事務局、236頁。doi:10.11501/1114495 。2022年4月29日閲覧。国立国会図書館デジタルコレクション、コマ番号0124.jp2、インターネット公開。
- ^ 大蔵省印刷局『授爵敍任及辭令 / 土屋寅直外四名(宮内省)』3729号、日本マイクロ写真、1895年12月2日、8頁。doi:10.11501/2947005。「◯明治28年11月29日 / 叙正三位 従三位土屋寅直外四名(宮内省)」コマ番号0005.js2、インターネット公開
- ^ 大植四郎 1988, p. 361, 「土屋擧直」.
- ^ 大植四郎 1988, p. 477, 「土屋寅直」.
- ^ 土浦市立博物館 2020, p. 2, 下記の資料もあわせてご覧ください。「知藩事任命決意表明書」.
- ^ 土浦市史編集資料 1973, pp. 23頁- (コマ番号0018.jp2-), 二、たむけ草(土屋挙直追善集).
- ^ 宮内省「官報」本号 / 第2801号、大蔵省印刷局、1892年10月27日、doi:10.11501/2946066、2019年8月21日閲覧。「明治25年10月25日 叙正四位 従四位子爵土屋擧直。特旨ヲ以ッテ位1級被進(10月25日宮内省)」インターネット公開。
- ^ a b “土屋正直”. 『人事興信録』. 名古屋大学大学院法学研究科 (1928年7月). 2022年4月27日閲覧。
- ^ 『常総の史蹟と寺々を訪ねる』後編、山本秋広、水戸〈紀山文集 ; 第11-12巻〉、1968年。全国書誌番号:73000634、doi:10.11501/3448749。国立国会図書館内/図書館送信。
参考文献
[編集]本文の典拠、主な執筆者、編集者名の順。
- 大植四郎 編著『明治過去帳 : 物故人名辞典』(新訂第3刷)東京美術、1988年。全国書誌番号:89060313、ISBN 4-8087-0119-7(初刷: 1971年)
- 土浦市史編纂委員会 編『文学篇』第20篇、柳生四郎 解説、土浦市教育委員会、土浦〈土浦市史編集資料〉、1973年。
- 「2020年度夏季展示室だより」(pdf)『霞 (かすみ)』通巻第50号、土浦市立博物館 編集・発行、2020-06-30(令和2年)。
外部リンク
[編集]- ニューヨークで撮影した集合写真(徳川昭武、土屋挙直、清水篤守)Sarony's Imperial Portraits。手札版、国立国会図書館収蔵〈榎本武揚関係文書〉。
- 焚き殻入れ (アーカイブ版) ARTstor。土屋正直、挙直旧蔵と伝わる蓋付きの漆器 (6.6 x 6.3 cm)。ウォルターズ美術館(メリーランド州)、1931年。
日本の爵位 | ||
---|---|---|
先代 叙爵 |
子爵 (土浦)土屋家初代 1884年 - 1892年 |
次代 土屋正直 |