西尾忠照
表示
時代 | 江戸時代前期 |
---|---|
生誕 | 慶長18年(1613年) |
死没 | 承応3年10月26日(1654年12月4日) |
別名 | 忠昭(ただあきら) |
墓所 | 埼玉県上尾市原市の妙厳寺 |
官位 | 従五位下右京亮、丹後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川秀忠→家光→家綱 |
藩 | 常陸土浦藩主→駿河田中藩主 |
氏族 | 西尾家(後期東条吉良氏庶流) |
父母 | 父:西尾忠永、母:西尾吉次娘 |
兄弟 | 忠照、忠知、有馬忠頼正室、稲垣重昌正室、増田某室 |
妻 |
正室:竹中重義娘 継室:松平伊昌娘 |
子 | 忠成、酒井忠世養女[1] |
西尾 忠照(にしお ただてる)は、江戸時代前期の大名。忠昭とも。常陸国土浦藩2代藩主、駿河国田中藩初代藩主。横須賀藩西尾家3代。官位は従五位下・右京亮、丹後守。
略歴
[編集]慶長18年(1613年)、西尾忠永の長男として駿河国に生まれ、元和6年(1620年)の忠永死去に伴い、家督を相続し土浦藩主となる。元和6年(1620年)から元和7年(1621年)にかけ、日光東照宮参拝帰路の2代将軍徳川秀忠を迎えるにあたり、城の威容を整えるために東櫓、西櫓を築造した。慶安2年(1649年)2月11日、5000石を加増され、駿河国田中に転封した。承応3年(1654年)、死去。嫡子・忠成が遺領を継いだ。
官歴
[編集]系譜
[編集]父母
正室、継室
子女