大家友和
千葉ロッテマリーンズ 二軍チーフ投手コーチ #89 | |
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横浜DeNAベイスターズ二軍投手コーチ時代 (2023年 8月11日、横須賀スタジアム) | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府京都市右京区 |
生年月日 | 1976年3月18日(48歳) |
身長 体重 |
185 cm 91 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投両打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1993年 ドラフト3位 |
初出場 |
NPB / 1994年4月27日 MLB / 1999年7月19日 |
最終出場 |
MLB / 2009年10月4日 NPB / 2011年8月24日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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大家 友和(おおか ともかず、1976年3月18日 - )は、京都府京都市右京区出身の元プロ野球選手(投手、右投両打)、野球指導者。
メジャーリーグベースボール(以下:MLB)での登録名は「トーモ・オーカ(Tomo Ohka)」。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]小学生から野球を始める。当時のポジションはキャッチャーであった。京都成章高等学校に入学後、ピッチャーにコンバートされる。3年生時に夏の京都府大会で準優勝し、プロのスカウトの注目を浴びた。高校時代の同級生に倉義和がいる。
1993年のドラフトで横浜ベイスターズから3位指名を受けて入団(この年に横浜から指名を受けた6名の中で唯一の高校生であった)。背番号は56。
横浜時代
[編集]1994年は高卒ルーキーながら一軍入りを果たす。同年4月29日のヤクルト戦で中継ぎとして登板し、わずか3球で初勝利を挙げる。
1997年オフにフロリダ教育リーグに参加してMLB挑戦を意識し始め、球団にその希望を伝える[1]。
1998年はイースタンリーグで最優秀防御率のタイトルを獲得。オフに球団がMLB挑戦を了承したため、自由契約となった。MLB移籍に際してジム・マスターアレクシスを代理人とした。
レッドソックス時代
[編集]1998年12月にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結ぶ。
1999年は傘下のAA級トレントン・サンダーで開幕を迎え、8連勝を記録して6月にAAA級ポータケット・レッドソックスに昇格。フューチャーズゲームの世界選抜に選出され、先発投手を務める。7月17日にメジャー契約を結び、19日のフロリダ・マーリンズ戦でメジャーデビューを果たしたが、以降2連敗を喫し25日にマイナーに降格。8月23日にメジャーに再昇格し、25日に再降格したものの、9月4日に再昇格しリリーフとして起用される。10月1日のボルチモア・オリオールズ戦で3回を無失点に抑え、MLB初勝利を挙げる。
2000年はマイナーで開幕を迎え、6月1日のシャーロット・ナイツ戦でインターナショナルリーグ史上48年ぶり3人目となる完全試合を達成。15日には2年連続でのフューチャーズゲーム選出を果たすが、17日には金善宇との衝突で5試合の出場停止を受けた。7月21日にメジャーに昇格。28日にはマイナーに降格したが、8月6日に再昇格し3連勝を記録。その後6連敗を喫したものの、防御率3.12を記録した。
2001年は背番号を18に変更し、開幕メジャー入りを果たした。移籍してきた野茂英雄と共に先発ローテーション入りし2連勝。4月はリーグ4位の防御率2.28を記録。5月10日のシアトル・マリナーズ戦ではイチローと初対決し、最速93mph(約150km/h)を記録したが左前安打を浴びた。デビッド・コーンのDLからの復帰に伴い13日にマイナーに降格。6月7日に再昇格するが登板はなく10日に再降格し、29日に再昇格。
エクスポズ/ナショナルズ時代
[編集]2001年7月31日にウーゲット・ウービナとのトレードでリッチ・ランドルズと共にモントリオール・エクスポズに移籍。伊良部秀輝、吉井理人とチームメイトとなる。移籍後は7連敗を喫したが、8月30日のアトランタ・ブレーブス戦で5回2/3を2失点に抑え移籍後初勝利。最後の3試合は17回2/3で防御率2.55、WHIP1.07と安定した投球を見せた。
2002年3月5日にエクスポズと再契約。4月28日のセントルイス・カージナルス戦ではマット・モリスに投げ勝ち、以降4連勝を記録。前半戦を含む8勝4敗、防御率3.19、WHIP1.27の成績で折り返す。9月7日のブレーブス戦ではアンドリュー・ジョーンズへの死球が故意死球とみなされ退場処分と6試合の出場停止を受けたが、後半戦も5勝4敗、防御率3.16、WHIP1.20と安定した投球を続け、チーム最多の13勝を記録。オフには日米野球のMLB選抜に選出された。「まっすぐにこだわった」という投球を見せたが、中村紀洋に3点本塁打を浴びるなど3回1/3を7失点とKOされた。
2003年7月9日のフィラデルフィア・フィリーズ戦では7回までノーヒットノーランの好投を続けるも、7回にプラシド・ポランコが空振りした際にバットが内野スタンドにすっぽ抜ける。観客がバットを返さなかったため、ポランコは替えたバットで打ち、三塁手のエドワーズ・グスマンのミスを誘い初安打となった。後半戦は15試合の登板で3勝3敗、防御率3.76、WHIP1.41の投球で2年連続10勝を記録し、クオリティ・スタートはリーグ4位の22を記録した。オフには1年233万7500ドルで再契約。
2004年3月23日に滋賀県草津市でNPO法人「Field of Dreams」を発足させた。レギュラーシーズンでは4月は5度の先発で全て敗戦という幸先の悪いスタートを切ったが、5月は3勝0敗で防御率も1点台と調子を取り戻し、通算でも防御率3.01、WHIP1.35と安定した投球を続けていたが、6月10日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦でカルロス・ベルトランのピッチャーライナーを腕に受けて骨折し故障者リスト入り。9月15日のフロリダ・マーリンズ戦で復帰した。この年は得点援護率が2.87と低かったこともあり、15先発でわずか3勝に終わった。オフには1年275万ドルで再契約。
2005年はチームが本拠地移転によってワシントン・ナショナルズと名称を変更。開幕から先発で起用されたが、前年までの通算で2.31だった与四球率が5月上旬までで5.70と制球が乱れ先発を外される。6月4日のフロリダ・マーリンズ戦では降板を要求する監督のフランク・ロビンソンに背を向けたため罰金1000ドルを科せられる。さらに、後日控え野手が枯渇していた別の試合で代走に起用され、「罰走」という形で懲罰を受けた。
ブルワーズ時代
[編集]2005年6月10日にトレードによりミルウォーキー・ブルワーズに移籍。6月14日のタンパベイ・デビルレイズ戦で移籍後初先発し、自身初の完封勝利を挙げる。前半戦を5勝4敗、防御率3.62、WHIP1.32で折り返し、9月5日のシンシナティ・レッズ戦で10勝に到達。与四球率も移籍後は1.99と復調した。
2006年2月の前半二週間、毎日放送のラジオ番組『月極ラジオ』で、メインパーソナリティを担当。15日にNPB/MLB合わせてこの年の日本人投手最高年俸となる1年453万ドルでブルワーズと再契約。4月15日のニューヨーク・メッツ戦では7回5安打2失点に抑え、打撃でも4回にバスター打法で勝ち越し2点適時打を放ち勝利投手となる。25日のブレーブス戦で長谷川滋利を抜いて日本人メジャーリーガー史上2位となる通算46勝を挙げた。2勝1敗、防御率3.18、WHIP1.356と好投を続けていたが、5月1日のヒューストン・アストロズ戦で右肩の張りを訴え途中降板。病院にて回旋筋裂傷が判明し、故障者リスト入りする。7月18日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦で復帰。8月24日のコロラド・ロッキーズ戦では6失点を喫するも、初めて左打席に立ち自ら4打点を記録し勝利。しかし、9月15日の走塁中に左太腿を痛めシーズンを終了した。
ブルージェイズ時代
[編集]2007年1月にトロント・ブルージェイズと1年150万ドル+最高150万ドルの出来高で契約。4月29日に野茂英雄に次いで日本人メジャーリーガー史上2人目となるメジャー通算50勝を達成する。しかし成績不振により、6月18日に解雇された。
カージナルス傘下時代
[編集]2007年6月19日にセントルイス・カージナルスとマイナー契約を結んだが、7月4日に解雇された。
マリナーズ傘下時代
[編集]2007年7月13日にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結ぶ。8月5日に放出された。
ホワイトソックス傘下時代
[編集]2008年2月22日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約。傘下のAAA級シャーロット・ナイツでプレーし、8試合のリリーフ登板を含む28試合の登板で5勝11敗、防御率4.18、WHIP1.33の成績に終わり、メジャー昇格はなかった。
インディアンス時代
[編集]2008年12月6日にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結んだ。
2009年5月28日に2シーズンぶりにメジャーに昇格。5月30日のニューヨーク・ヤンキース戦に登板し、MLB通算1000投球回を達成した。結果としてこの2009年が大家のMLB在籍最終年となったが、この昇格により、大家は日本人選手では野茂に続き2人目のMLB在籍10年選手となり、引退後の選手年金を満額受給する資格を得た[注 1]。オフに自由契約となる。
メキシカンリーグ時代
[編集]2010年3月にリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのキンタナロー・タイガースに入団したが、わずか1週間で解雇となった。
横浜復帰
[編集]4月7日に古巣の横浜ベイスターズと契約に合意し、12年ぶりにNPBに復帰。背番号は44。5月2日の東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)に先発で復帰登板し、6回1/3を投げ1失点の好投で勝利投手となった。NPBでは前述の初勝利である1994年4月29日のヤクルト戦以来16年(5847日)ぶりの勝利であり、これは遠山奬志の10年ぶりの勝利を抜くNPB最長ブランク記録である。シーズン成績では横浜が最下位を独走する中、チーム2位の7勝を記録した。
2011年は開幕から不調が続き、7試合に先発して6敗と1勝もあげることが出来なかった。9月27日に右肩のクリーニング手術を受けた。10月9日に球団から戦力外通告を受けた[3]。12月2日に自由契約公示された。
横浜退団後
[編集]2012年は所属先が見つからず、リハビリやトレーニングに費やす。
2013年1月、韓国の独立野球団高陽ワンダーズの春季キャンプに臨時インストラクターとして参加。その後4月8日、BCリーグの富山サンダーバーズに入団することで合意したことが発表された[4]。オフにメジャーリーグのトライアウトを受験し、12月16日に古巣・ブルージェイズとマイナー契約を結んだことが発表された[5]。
2014年は古巣ブルージェイズのスプリングトレーニングに招待選手として参加するが、3月3日にマイナーに降格し[6]、22日に解雇された[7]。その後は独立リーグ・アトランティックリーグのブリッジポート・ブルーフィッシュのスプリング・トレーニングに参加。4月23日にブリッジポートと契約したことが発表される[8]。5月6日のヨーク・レボリューション戦で9回を3安打5奪三振と好投し、移籍後初完封勝利を挙げた[9]。シーズン終了までブリッジポートに所属し、26試合の先発で7勝12敗、防御率5.15、WHIP1.67の成績を残す。
2015年3月9日にBCリーグの富山に復帰したが[10]、8月10日に戦力外となり、退団[11]。その後、8月21日に同じBCリーグに所属する福島ホープスへ入団した[12]。なお福島入団時より、登録を両打ちから右打ちへ変更している。
2016年は福島で16試合に登板し7勝4敗、防御率2.82だった。オフの10月2日にMLBの公開トライアウトを受け[13]、12月15日にボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結び、AAA級ノーフォーク・タイズに配属された[14]。
2017年3月28日に解雇となった[15]。その後帰国し、現役続行に向けて調整を続けていたが、契約を結ぶ球団がなかったことから6月19日に現役引退を表明した[16]。
現役引退後
[編集]2017年は自身が設立したField of Dreamsの傘下であり、従前よりゼネラルマネージャーを務める社会人野球クラブチーム・OBC高島のコーチに就任した[17]。
同年11月より古巣である横浜DeNAベイスターズの二軍投手コーチを務め、2023年限りで退団した[18]。
選手としての特徴
[編集]最速94mph(約151.2km/h[19])、平均87.8mph(約141.1km/h)のフォーシーム、ツーシーム、平均86.1mph(約138.5km/h)のカットボール、平均79.6mph(約128.0km/h)のスプリッター、さらに平均82.5mph(約132.7km/h)のスライダー、平均72.8mph(約117.1km/h)のカーブを投げる。
2011年終わりごろに受けた手術で球威が低下[20]。ナックルボールを投球の軸、および決め球にする投球スタイルに一変し、2013年に富山サンダーバーズに入団するなど再起を図った[20]。
2009年終了時のMLB通算打率は.138(33安打)。2004年には盗塁も記録している。
投球間隔がとても短いことで知られる。捕手がサインを出すと同時に、投球動作に入っている。
人物
[編集]MLBやマイナーを転々としてきたが、MLBでの成功・失敗について「よく成功とか失敗とか言われるが、じゃあ何が成功で、何が失敗なのか。僕はアメリカに来て野球が楽しいと思えるだけで、成功だと思うんです。僕らは見せてナンボの世界にいますから、成績を残せなければ失敗と言われるのも仕方がないと思うが、やりたいことをやるのが一番だと思います。先発でもリリーフでも、マイナーでもメジャーでも、野球をやれるだけで僕は十分、幸せなんです」と語っている[21]。
エクスポズ投手時代に設立した草津シニア(「Field of Dreams」の中学生向けベースボールチーム)からは、NPBの選手として京山将弥を輩出している。
京山が近江高校を経てDeNAへ入団した2017年の秋季キャンプからは、大家もDeNAの二軍投手コーチに就任。就任後は、一軍の経験がなかった京山にカットボールの投げ方を教えることによって翌2018年の飛躍につなげている[22]。
メジャー在籍中の2003年、「野球以外でも自分を高めたい」と立命館大学へ入学。シーズンオフにはトレーニングを行いつつ大学へ通った。[23]
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1994 | 横浜 | 15 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 126 | 28.0 | 29 | 1 | 18 | 1 | 0 | 18 | 0 | 0 | 13 | 13 | 4.18 | 1.68 |
1995 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 44 | 9.1 | 3 | 0 | 13 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 2 | 2 | 1.93 | 1.71 | |
1996 | 14 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 95 | 18.0 | 27 | 3 | 14 | 0 | 1 | 11 | 3 | 0 | 19 | 19 | 9.50 | 2.28 | |
1998 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 10 | 2.0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 2 | 9.00 | 2.00 | |
1999 | BOS | 8 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | .333 | 65 | 13.0 | 21 | 2 | 6 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 12 | 9 | 6.23 | 2.08 |
2000 | 13 | 12 | 0 | 0 | 0 | 3 | 6 | 0 | 0 | .333 | 297 | 69.1 | 70 | 7 | 26 | 0 | 2 | 40 | 3 | 0 | 25 | 24 | 3.12 | 1.38 | |
2001 | 12 | 11 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 0 | 0 | .286 | 241 | 52.1 | 69 | 7 | 19 | 0 | 2 | 37 | 1 | 1 | 40 | 36 | 6.19 | 1.68 | |
MON WSH |
10 | 10 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | 0 | .200 | 228 | 54.2 | 65 | 8 | 10 | 0 | 1 | 31 | 1 | 0 | 30 | 29 | 4.77 | 1.37 | |
'01計 | 22 | 21 | 0 | 0 | 0 | 3 | 9 | 0 | 0 | .250 | 469 | 107.0 | 134 | 15 | 29 | 0 | 3 | 68 | 2 | 1 | 70 | 65 | 5.47 | 1.52 | |
2002 | 32 | 31 | 2 | 0 | 1 | 13 | 8 | 0 | 0 | .619 | 806 | 192.2 | 194 | 19 | 45 | 7 | 7 | 118 | 2 | 1 | 83 | 68 | 3.18 | 1.24 | |
2003 | 34 | 34 | 2 | 0 | 1 | 10 | 12 | 0 | 0 | .455 | 864 | 199.0 | 233 | 24 | 45 | 11 | 9 | 118 | 8 | 0 | 106 | 92 | 4.16 | 1.40 | |
2004 | 15 | 15 | 0 | 0 | 0 | 3 | 7 | 0 | 0 | .300 | 367 | 84.2 | 98 | 11 | 20 | 1 | 1 | 38 | 3 | 0 | 40 | 32 | 3.40 | 1.39 | |
2005 | 10 | 9 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 0 | 0 | .571 | 231 | 54.0 | 44 | 6 | 27 | 1 | 1 | 17 | 3 | 0 | 23 | 20 | 3.33 | 1.31 | |
MIL | 22 | 20 | 1 | 1 | 0 | 7 | 6 | 0 | 1 | .538 | 543 | 126.1 | 145 | 16 | 28 | 4 | 2 | 81 | 5 | 0 | 65 | 61 | 4.35 | 1.37 | |
'05計 | 32 | 29 | 1 | 1 | 0 | 11 | 9 | 0 | 1 | .550 | 774 | 180.1 | 189 | 22 | 55 | 5 | 3 | 98 | 8 | 0 | 88 | 81 | 4.04 | 1.35 | |
2006 | 18 | 18 | 0 | 0 | 0 | 4 | 5 | 0 | 0 | .444 | 421 | 97.0 | 98 | 12 | 35 | 1 | 5 | 50 | 4 | 0 | 58 | 52 | 4.82 | 1.37 | |
2007 | TOR | 10 | 10 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 0 | 0 | .286 | 251 | 56.0 | 68 | 10 | 22 | 1 | 0 | 21 | 2 | 0 | 39 | 36 | 5.79 | 1.61 |
2009 | CLE | 18 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | 0 | 0 | .167 | 306 | 71.0 | 77 | 18 | 19 | 1 | 4 | 31 | 0 | 3 | 47 | 47 | 5.96 | 1.35 |
2010 | 横浜 | 22 | 22 | 1 | 0 | 0 | 7 | 9 | 0 | 0 | .438 | 525 | 121.2 | 145 | 16 | 22 | 1 | 3 | 62 | 2 | 0 | 72 | 62 | 4.59 | 1.37 |
2011 | 7 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | .000 | 145 | 32.2 | 41 | 6 | 10 | 2 | 0 | 14 | 1 | 0 | 26 | 25 | 6.89 | 1.56 | |
NPB:6年 | 63 | 33 | 1 | 0 | 0 | 8 | 17 | 0 | *0 | .320 | 945 | 211.2 | 247 | 26 | 79 | 4 | 4 | 112 | 6 | 0 | 134 | 123 | 5.23 | 1.54 | |
MLB:10年 | 202 | 178 | 5 | 1 | 2 | 51 | 68 | 0 | 1 | .429 | 4620 | 1070.0 | 1182 | 140 | 302 | 27 | 34 | 590 | 35 | 2 | 568 | 506 | 4.26 | 1.39 |
- MON(モントリオール・エクスポズ)は、2005年にWSH(ワシントン・ナショナルズ)に球団名を変更
- 「-」は記録なし
- 通算成績の「*数字」は不明年度がある事を示す
年度別守備成績
[編集]年 度 |
球 団 |
投手(P) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
1994 | 横浜 | 15 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1.000 |
1995 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
1996 | 14 | 1 | 4 | 2 | 0 | .714 | |
1997 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | |
1999 | BOS | 8 | 0 | 3 | 0 | 0 | 1.000 |
2000 | 13 | 8 | 7 | 1 | 1 | .938 | |
2001 | 12 | 8 | 3 | 1 | 2 | .917 | |
MON WSH |
10 | 4 | 8 | 0 | 0 | 1.000 | |
'01計 | 22 | 12 | 11 | 1 | 2 | .958 | |
2002 | 32 | 24 | 30 | 0 | 2 | 1.000 | |
2003 | 34 | 10 | 35 | 4 | 2 | .918 | |
2004 | 15 | 4 | 11 | 1 | 3 | .938 | |
2005 | 10 | 1 | 9 | 1 | 0 | .909 | |
MIL | 22 | 7 | 18 | 0 | 2 | 1.000 | |
'05計 | 32 | 8 | 27 | 1 | 2 | .972 | |
2006 | 18 | 8 | 12 | 5 | 1 | .800 | |
2007 | TOR | 10 | 4 | 3 | 2 | 0 | .778 |
2009 | CLE | 18 | 7 | 9 | 0 | 1 | 1.000 |
2010 | 横浜 | 22 | 6 | 14 | 1 | 1 | .952 |
2011 | 7 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
NPB | 63 | 10 | 22 | 3 | 1 | .914 | |
MLB | 202 | 85 | 148 | 15 | 14 | .940 |
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
[編集]NPB
[編集]- 初記録
- 投手記録
- 初登板:1994年4月27日、対中日ドラゴンズ4回戦(横浜スタジアム)、2回表2死に救援登板、2回2/3を無失点
- 初奪三振:同上、2回表に種田仁から
- 初勝利:1994年4月29日、対ヤクルトスワローズ4回戦(横浜スタジアム)、8回表に救援登板、1/3回無失点
- 初先発登板:1994年7月28日、対中日ドラゴンズ19回戦(ナゴヤ球場)、4回2/3を2失点
- 初先発勝利:2010年5月2日、対東京ヤクルトスワローズ9回戦(明治神宮野球場)、6回1/3を1失点
- 初完投勝利:2010年7月31日、対東京ヤクルトスワローズ12回戦(郡山開成山野球場)
- 打撃記録
- 初安打:2010年6月25日、対読売ジャイアンツ8回戦(東京ドーム)、3回表にディッキー・ゴンザレスから中前安打
- 初打点:2010年7月31日、対東京ヤクルトスワローズ12回戦(郡山開成山野球場)、6回表に中澤雅人から左前適時打
独立リーグでの投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
完 投 |
勝 率 |
投 球 回 |
打 者 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
奪 三 振 |
与 四 球 |
与 死 球 |
失 点 |
自 責 点 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 策 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013 | 富山 | 21 | 7 | 7 | 0 | 2 | .500 | 111.0 | 478 | 108 | 6 | 25 | 59 | 5 | 48 | 46 | 5 | 1 | 0 | 3.73 | 1.50 |
2015 | 12 | 3 | 5 | 0 | 1 | .375 | 46.0 | 233 | 71 | 2 | 18 | 27 | 1 | 44 | 42 | 2 | 0 | 0 | 8.22 | 2.13 | |
福島 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 7.0 | 27 | 3 | 0 | 5 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0.00 | 0.71 | |
'15計 | 15 | 4 | 5 | 0 | 1 | .444 | 53.0 | 260 | 74 | 2 | 23 | 29 | 2 | 44 | 42 | 2 | 1 | 0 | 7.13 | 1.94 | |
2016 | 16 | 7 | 4 | 0 | 1 | .636 | 79.2 | 331 | 73 | 4 | 28 | 26 | 7 | 38 | 25 | 2 | 0 | 1 | 2.82 | 1.25 | |
通算:3年 | 52 | 18 | 16 | 0 | 4 | .529 | 243.2 | 1069 | 255 | 12 | 76 | 114 | 14 | 130 | 113 | 9 | 2 | 1 | 4.18 | 1.52 |
- 各年度の太字はリーグ最高
背番号
[編集]- 56(1994年 - 1998年)
- 53(1999年 - 2000年)
- 18(2001年 - 同年途中、2007年)
- 24(2001年途中 - 2003年)
- 34(2004年 - 2005年途中、2013年、2015年 - 同年途中)
- 55(2005年途中 - 2006年)
- 16(2009年)
- 44(2010年途中 - 2011年、2015年途中 - 2016年)
- 78(2018年 - 2023年)
- 89(2025年 - )
関連情報
[編集]書籍
[編集]- 「野球すんやでぇ 大リーガー大家友和の挑戦」山森恵子著、KKベストセラーズ、2002年10月、ISBN 4584187045
- 「プロ野球のお金と契約」ポプラ新書、2017年10月、ISBN 4591156141
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 輝くマウンドへ
- ^ AERA dot.メルマガ、杉山貴宏「イチローがもらえるMLBの年金額が凄い! 満額支給の日本人選手は…」、2018年5月19日付。
- ^ “2012年の選手契約について”. 横浜ベイスターズ (2011年10月9日). 2011年10月21日閲覧。
- ^ “大家友和投手入団内定のお知らせ”. BCリーグ (2013年4月8日). 2011年4月8日閲覧。
- ^ Blue Jays sign two MLB.com
- ^ 大家はマイナーへ「ナックル発展途上」日刊スポーツ、2014年3月3日。
- ^ 大家が自由契約「驚いていない」日刊スポーツ、2014年3月23日。
- ^ “メジャー通算51勝 大家が米独立リーグ入り”. スポーツニッポン (2014年4月24日). 2014年4月24日閲覧。
- ^ “日本人選手情報:球速80kmの魔球ナックル、大家友和が独立リーグで完封勝利!”. J SPORTS (2014年5月9日). 2014年5月12日閲覧。
- ^ 大家友和投手入団内定のお知らせ
- ^ 退団選手のお知らせ
- ^ 入団選手のお知らせ
- ^ ナガオ勝司 (2016年11月21日). “ナックルボーラー大家友和の大勝負。41歳でMLB、夢への公開トライアウト。”. Sports Graphic Number Web. 文藝春秋社. 2016年11月21日閲覧。
- ^ MLB公式プロフィール参照。2016年12月16日閲覧。
- ^ “【MLB】大家友和がオリオールズとのマイナー契約解除に 「悔いはない」とさばさば”. 産経ニュース. 産業経済新聞社 (2017年3月29日). 2017年3月29日閲覧。
- ^ “大家友和投手(41)現役引退へ 大リーグ通算51勝”. NHK NEWS WEB (2017年6月20日). 2017年6月20日閲覧。[リンク切れ]
- ^ http://obctakashimacontent.shiga-saku.net/e421242.html 2017年9月3日閲覧。
- ^ “【DeNA】仁志敏久2軍監督、大家友和2軍投手コーチの今季限りでの退団を発表”. (2023年10月3日) 2023年10月11日閲覧。
- ^ 40歳大家、5年磨いたナックルでメジャー再挑戦、日刊スポーツ
- ^ a b 橋本佳奈 (2013年5月8日). “大家、ナックルボールで再起 元大リーガー、BC富山に”. 朝日新聞 2013年5月8日閲覧。
- ^ 週刊ベースボール 2009年29号、54頁、2009年、雑誌20441-7/6
- ^ DeNA京山初勝利 飛躍の陰に中学恩師大家コーチ(『日刊スポーツ』2018年4月20日付記事)
- ^ http://www.tkse.org/message_ooka.html
関連項目
[編集]- 京都府出身の人物一覧
- 横浜DeNAベイスターズの選手一覧
- メジャーリーグベースボールの選手一覧 O
- 日本出身のメジャーリーグベースボール選手一覧
- 富山GRNサンダーバーズの選手一覧
- 福島レッドホープスの選手一覧
- 大家友和ベースボールクラブ
外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 大家友和 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 選手名鑑 - 横浜DeNAベイスターズ公式サイト
- Atlantic League of Professional Baseball Clubs Stats
- 大家友和のブログ - Ameba Blog
- 大家友和 (@t_ohka) - X(旧Twitter)
- NPO Field of Dreams - 大家友和が発起人となり設立されたNPO法人
- 日本の野球選手
- 在アメリカ合衆国日本人の野球選手
- 在カナダ外国人の野球選手
- 在メキシコ外国人の野球選手
- 横浜DeNAベイスターズ及びその前身球団の選手
- 千葉ロッテマリーンズ関連人物
- MLBの日本人選手
- ボストン・レッドソックスの選手
- モントリオール・エクスポズの選手
- ワシントン・ナショナルズの選手
- ミルウォーキー・ブルワーズの選手
- セントルイス・カージナルス傘下の選手
- トロント・ブルージェイズの選手
- クリーブランド・インディアンスの選手
- キンタナロー・タイガースの選手
- 富山GRNサンダーバーズ及びその前身球団の選手
- ブリッジポート・ブルーフィッシュの選手
- 福島レッドホープス及びその前身球団の選手
- 日本の野球指導者
- 京都成章高等学校出身の野球選手
- 在カナダ日本人
- 在メキシコ日本人
- 京都市出身の人物
- 1976年生
- 存命人物