大石田大橋
大石田大橋 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 山形県北村山郡大石田町 |
交差物件 | 最上川 |
座標 | 北緯38度35分11.2秒 東経140度22分25.8秒 / 北緯38.586444度 東経140.373833度座標: 北緯38度35分11.2秒 東経140度22分25.8秒 / 北緯38.586444度 東経140.373833度 |
構造諸元 | |
形式 | トラス橋[1] |
全長 | 145.8m[2] |
幅 | 5.4m[3] |
地図 | |
関連項目 | |
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大石田大橋(おおいしだおおはし)又は大橋(おおはし)は、山形県北村山郡大石田町に架かる橋。
概要
[編集]最上川に架かる橋で、右岸の大石田地区と左岸の横山地区を結んでいる[1]。上流側の虹の大橋(1989年完成)が開通されるまでは国道347号として機能していた[4]。現在は山形県道121号尾花沢大石田線となっている。車両が通ることができる橋であるが、幅は約5mほどしかなく、車線も引かれていない。
歴史
[編集]初代(1901年)
[編集]木製の木橋で、1901年架橋[5]。鉄道「官有鉄道奥羽南線」(現奥羽本線)の大石田部分の開通に合わせ建設された[6]。
2代目(1930年)
[編集]現在使用されている橋で、1930年12月7日に開通[3]。木橋から鉄橋に変わった他、洪水時などの水位上昇を見据え、桁の位置を以前より上げて架け替えが行われた[2][3]。鉄骨が橋脚の上に組まれているカンチレバートラス橋で、平成18年に強度の検査が行われている[7]。
1931年から現在も行われている大石田まつり及び最上川花火大会は2代目大石田大橋の完成を祝して創始されたものである[8]。
架け替え
[編集]2020年7月の豪雨による最上川氾濫に伴い、治水対策として左岸の拡幅工事が行われることになり、大石田大橋は架け替えられることになった[9]。架け替える橋の位置について、計画では2代目の橋の位置、上流側、下流側、約200メートル下流側の4パターンが示されている[9]。
周辺
[編集]大石田大橋付近を流れる最上川は大石田河岸として栄え、江戸時代は最上川最大の船着場であり、最上川舟運の中継河岸であった[10][11]。船着場は大橋から上流部すぐの朧気川合流点に存在した[12]。1792年には川船方役所が大橋すぐ近くに設けられており、1872年まで機能した。大橋の北岸にはかつての大石田川岸を復元しようと、750mに及ぶ江戸時代の大石田川岸の風景が再現されており、川船方役所の大門や塀蔵が建設された[11]。
最上川花火大会の当日は最上川に灯篭流しも行われ、大石田大橋の下流側には観覧席も設けられる[8]。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “上空から見た川の様子 - 大石田大橋付近(大石田・横山)”. 最上川電子大辞典. 2017年5月2日閲覧。
- ^ a b c “やまがた橋物語-最上川第2部【大橋(大石田)】|山形新聞”. 山形新聞. 2017年5月2日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b c 轍のあった道
- ^ “やまがた橋物語-最上川第2部【虹の大橋(大石田)】|山形新聞”. 山形新聞. 2017年5月2日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 256_anokoro.pdf (PDF) - あの頃の風景 おくの細道 第2回
- ^ 町の中心駅、大石田駅の開業も1901年である。
- ^ “建設後75年を経た鋼トラス橋の実橋載荷実験” (PDF). 2020年7月29日閲覧。
- ^ a b 2016posutaura.pdf (PDF)
- ^ a b “最上川左岸、拡幅へ 大石田大橋架け替え、集落の一部移転”. 山形新聞 (2022年8月3日). 2022年8月4日閲覧。
- ^ a b 大石田河岸
- ^ a b 大石田資料写真と解説(2)
- ^ “上空から見た川の様子 - 大石田大橋付近”. 最上川電子大辞典. 2017年5月2日閲覧。