大草高好
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大草 高好(おおくさ たかよし、生年不詳 - 天保11年1月18日(1840年2月20日))は、江戸時代後期の旗本。禄高3,500石。通称は主膳。官位は能登守、後に安房守。実父・実母は不明。大草高般の養子。次男に久世広周。
文化2年(1805年)に家督を相続。文化3年(1806年)に火事場見廻、文化8年(1811年)に使番、文政元年(1818年)に目付となった後、文政10年(1827年)に長崎奉行に就任。天保4年(1833年)に江戸に戻り小普請奉行、作事奉行を歴任。天保6年(1835年)に勘定奉行となる。天保7年(1836年)9月20日に江戸北町奉行となり、天保10年(1839年)5月の蛮社の獄において渡辺崋山らの吟味を行ったが、花井虎一の偽証や鳥居耀蔵の捏造と吟味介入に不信感を抱き、崋山らに同情的だった。天保11年(1840年)1月18日、在任中に死去(ただし清水正巡『有也無也』には前年12月10日に死去したとの記述がある)。後任の北町奉行は遠山景元が任命された。
参考文献
[編集]- 寛政譜以降 旗本家百科事典(東洋書林)
- 徳川幕臣人名辞典(東京堂出版、2010年) 124頁