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土屋正方

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
土屋正方
時代 江戸時代中期
生誕 宝永6年(1709年
死没 明和5年5月19日1768年7月3日
別名 熊次郎、民部、長三郎(通称
戒名 慈道
墓所 西久保大養寺
官位 従五位下越前守
幕府 江戸幕府 小姓組番士、徒頭目付京都町奉行江戸町奉行
主君 徳川吉宗
氏族 土屋氏
父母 父:土屋正克、母:不明
兄弟 土屋正勝、土屋正方
先妻:筧正忠
後妻:山口直之
土屋正延
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土屋 正方(つちや まさかた)は、江戸時代中期の旗本。土屋讃岐守家の第6代当主。

生涯

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享保12年(1727年)10月9日、父の遺跡を継ぐ。享保16年(1731年)3月5日、江戸幕府8代将軍・徳川吉宗小姓組の番士として列し、元文4年(1739年)7月19日、徒頭となり、寛保元年(1741年)6月1日に目付となる。大猷院百回の法要や日光山御宮修造などに関係し、宝暦2年(1752年)2月9日に京都町奉行(東町奉行)に昇任し、4月15日に従五位下越前守に叙任する。宝暦3年12月24日(1754年)、江戸町奉行(南町奉行)となる。明和3年(1766年)1月11日、武蔵国横見郡山野下村123石と地頭方村107石を加増され、千石取りの旗本となった。明和5年(1768年)60歳で没した。法名は慈道。  

その他

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  • 江戸幕府の旗本の数について、俗に「旗本八万騎」と言われるが実際は約5000家余りで、そのうち土屋家のような千石取り以上の旗本は700家ほどであった。

知行所

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年表

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参考文献

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先代
土屋正克
土屋家第6代当主
土屋正方
次代
土屋正延