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城南FC

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
天安一和から転送)
城南ソンナムFC
Seongnam FC
原語表記 성남 FC
クラブカラー  
創設年 1989年
所属リーグ Kリーグ2
ホームタウン 城南市
ホームスタジアム 炭川総合運動場
収容人数 16,406
代表者 大韓民国の旗 申相珍朝鮮語版(城南市長)
監督 大韓民国の旗 崔喆宇朝鮮語版(代行)
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

城南FC(ソンナムFC、朝鮮語: 성남 FC英語: Seongnam FC)は、韓国の北西部、京畿道城南市をホームタウンとするサッカークラブである。韓国プロサッカーリーグ・Kリーグに加盟している。

概要

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かつては「世界基督教統一神霊協会」(旧統一教会、現・世界平和統一家庭連合)系企業の一和(イルファ)をスポンサーとしており、クラブにも教団の色が現れていた。一和は高麗人参濃縮茶、メッコールの製造元である。炭川総合運動場をホームスタジアムに使用している。

しかし統一教会設立者・総裁である文鮮明が2012年9月に死去した後、統一教会グループはスポーツ関連事業から手を引き、チームの財政自立を求めた。また、チームの財政難が深刻なこともあるため、2013シーズンをもって「城南一和天馬」の名前が消えることが濃厚となっていた。ホームタウンを安山市へと移転する案もあったが、2013年10月2日、城南市は市民クラブとして城南一和を買収して再生させることを発表した。チーム名変更に伴い、エンブレムもペガサス(天馬)からカササギ(城南市の鳥)に変更されている。

一時は女子チーム「忠南一和天馬朝鮮語版」を持ちWKリーグに参加していたが、2012年シーズン終了後に解散している。

歴史

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クラブは1988年にソウル江北地区を本拠地として、一和天馬(イルファ・チョンマ、일화 천마)のクラブ名で創設された。1993年から国内リーグを3連覇、1995年にはアジアクラブ選手権にも優勝して、1996年AFC選定年間最優秀クラブ賞を受賞した[1]

1996年に本拠地を天安市に移し、天安一和天馬(チョナン・イルファ・チョンマ、천안 일화 천마)に改称。1998年から2年連続で最下位になるなど低迷した。2000年からは本拠地を城南市に移し、城南一和天馬(ソンナム・イルファ・チョンマ、성남 일화 천마)に改称。2001年からリーグを3連覇した。豊富な資金力で次々とスター選手を獲得したことから、この時期は「韓国版レアル・マドリード」と呼ばれた[2]

AFCチャンピオンズリーグには2002年2003年開催の第1回大会で初出場したが、この時はグループリーグで敗退。続く2004年第2回大会にも出場し、決勝進出。決勝戦ではアル・イテハドサウジアラビア)と対戦し、アウェーでの第1戦を3-1で勝利するが、続くホームでの第2戦を0-5で落とし、逆転で優勝を逃す。その後、2年連続で出場を逃したが、2007年大会で3年ぶりの出場。この時は準決勝で浦和レッズ日本)と対戦し、第1戦・第2戦ともに2-2で引き分け、アウェーゴールも同点となり延長戦でも決着せず。PK戦にまでもつれ込んだが、そのPK戦を3-5で落とした。3年後の2010年大会では2度目の決勝進出。日本(東京国立霞ヶ丘競技場陸上競技場)で行われた決勝戦ではゾブ・アハン・エスファハーンFCイラン)を3-1で降し、初優勝。アジア代表として同年のFIFAクラブワールドカップに出場し、4位となる。

2014年のKリーグクラシックから城南FC(ソンナムFC、성남 FC)でリーグ戦に参加している。2016年はKリーグクラシック11位で昇降プレーオフに出場し江原FCに敗れ、2017年からクラブ史上初のKリーグチャレンジ降格となった。

2018年、Kリーグ2で2位となり、同年1位だった牙山ムグンファFCKリーグ1へ昇格する資格がなかったため、2019年より3年ぶりにKリーグ1へ復帰する。

2022年7月、城南市長交代に伴い球団代表が新市長の申相珍朝鮮語版に交代すると、市の予算の100億ウォンを費やしKリーグ1で残留争いを続けるチームを敵視する発言を繰り返し、クラブの解体もしくは売却、アマチュア化しK4リーグへの自主降格などを示唆されるようになる。それに対し、城南FCサポータークラブ一同団体blacklistが猛反対と抗議活動が活発化、Kリーグ各クラブのサポーター団体もそれに呼応し城南FCの存続を願う運動が行われている[3]

タイトル

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国内タイトル

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国際タイトル

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過去の成績

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シーズン ディビジョン 韓国FAカップ チャンピオンシップ
リーグ 順位
1989 Kリーグ 5位 - 大会なし
1990 Kリーグ 6位 - 大会なし
1991 Kリーグ 5位 - 大会なし
1992 Kリーグ 2位 - 大会なし
1993 Kリーグ 1位 - 大会なし
1994 Kリーグ 1位 - 大会なし
1995 Kリーグ 前期1位
後期7位
- 優勝
1996 Kリーグ 前期9位
後期5位
準々決勝敗退 資格なし
1997 Kリーグ 8位 準優勝 大会なし
1998 Kリーグ 10位 準々決勝敗退 資格なし
1999 Kリーグ 10位 優勝 資格なし
2000 Kリーグ 3位 準優勝 3位
2001 Kリーグ 1位 準々決勝敗退 大会なし
2002 Kリーグ 1位 準決勝敗退 大会なし
2003 Kリーグ 1位 ベスト16 大会なし
2004 Kリーグ 前期8位
後期9位
ベスト32 資格なし
2005 Kリーグ 前期6位
後期1位
ベスト16 1回戦敗退
2006 Kリーグ 前期1位
後期9位
ベスト32 優勝
2007 Kリーグ 2位 ベスト16 準優勝
2008 Kリーグ 5位 準々決勝敗退 1回戦敗退
2009 Kリーグ 2位 準々決勝敗退 準優勝
2010 Kリーグ 5位 準々決勝敗退 2回戦敗退
2011 Kリーグ 30 9 8 13 43 47 35 10位 優勝 資格なし
2012 Kリーグ 44 14 10 20 47 56 52 12位 ベスト16 大会なし
2013 Kクラシック 38 17 9 12 51 42 60 8位 ベスト16
2014 Kクラシック 38 9 13 16 32 39 40 9位 優勝
2015 Kクラシック 38 15 15 8 41 33 60 5位 準々決勝敗退
2016 Kクラシック 38 11 10 17 47 51 43 11位 準々決勝敗退
2017 Kチャレンジ 37 13 14 10 38 31 53 4位 準々決勝敗退
2018 Kリーグ2 36 18 11 7 49 36 65 2位 ベスト32
2019 Kリーグ1 38 12 9 17 30 40 45 9位 ベスト32
2020 Kリーグ1 27 7 7 13 24 37 28 10位 準決勝敗退
2021 Kリーグ1 38 11 11 16 34 46 44 10位 ベスト16
2022 Kリーグ1 37 7 8 22 33 66 29 12位 ベスト16

現所属メンバー

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2024年3月28日現在

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK 大韓民国 柳相勳朝鮮語版
2 DF 大韓民国 朴光一
3 DF 大韓民国 姜義彬朝鮮語版
4 MF 大韓民国 韓石種朝鮮語版
5 DF 大韓民国 愉善朝鮮語版
6 MF 大韓民国 政原進朝鮮語版
7 MF 大韓民国 呉宰奕朝鮮語版
8 MF ウズベキスタン アリバエフ
9 FW コロンビア フイズスペイン語版 (ポルトガルの旗)
10 FW ブラジル ガブリエル
11 FW 大韓民国 金正桓朝鮮語版
13 FW 大韓民国 田成秀朝鮮語版
14 DF 大韓民国 金訓民朝鮮語版
15 DF 大韓民国 梁時侯朝鮮語版
16 FW 大韓民国 柳俊善
17 FW 大韓民国 申在源朝鮮語版
18 FW 大韓民国 李庭協
No. Pos. 選手名
19 MF 大韓民国 梁太陽朝鮮語版
20 DF 大韓民国 趙成昱朝鮮語版
21 GK 大韓民国 崔弼守朝鮮語版
22 DF 大韓民国 鄭昇勇朝鮮語版
23 DF 大韓民国 金君佚
24 MF 大韓民国 長英基朝鮮語版
26 FW 大韓民国 朴ヒョンビン朝鮮語版
27 FW 大韓民国 李俊尚朝鮮語版
28 DF 大韓民国 尹榮善
29 DF 大韓民国 張孝俊朝鮮語版
31 GK 大韓民国 許仔雄朝鮮語版
47 FW 大韓民国 朴祉原朝鮮語版
66 DF 大韓民国 金俊洙朝鮮語版
77 FW 大韓民国 鄭載潤朝鮮語版
88 MF 大韓民国 鞠關羽
99 FW コンゴ民主共和国 クリス英語版 (フランスの旗)
監督

歴代監督

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歴代所属選手

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関連項目

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脚注

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注釈

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  1. ^ a b ただし、韓国プロサッカー連盟朝鮮語版には公式な監督代行とは認められていない。

出典

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  1. ^ Award 1996”. アジアサッカー連盟. 2008年6月7日閲覧。
  2. ^ 吉崎 英治『週刊サッカーマガジン』(ベースボールマガジン社、2004年02月17日号 No.960、108ページ)
  3. ^ 김, 귀혁 (2022年8月28日). “'서명 운동부터 걸개까지' 성남FC와 수원FC 서포터스가 뭉친 사연” (朝鮮語). 스포츠니어스. 2022年8月31日閲覧。

外部リンク

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