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孟春 (砲艦)

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孟春 (軍艦)から転送)
孟春
横須賀に停泊する「孟春」(明治10年代前半)[1]
横須賀に停泊する「孟春」(明治10年代前半)[1]
基本情報
建造所 イギリスの旗 イギリスロンドン[2]
運用者 佐賀藩[2]
 大日本帝国海軍[3]兵部省[4]海軍省
艦種 砲艦[2]
建造費 購入金額:88,500 [2]
母港 横須賀(1886年12月28日時点)[5]
艦歴
竣工 1867年1月(慶応2年12月頃)製造[6]
就役 慶応4年1月(1868年2月頃)、佐賀藩が購入[2]
明治4年5月22日(1871年7月9日)、兵部省受領[7]
除籍 1887年(明治20年)10月8日[8]
その後 逓信省へ移管[8]
1896年(明治29年)7月、廃船[9]
要目
排水量 357 英トン[8][10]
トン数 305 トン[6]
長さ 22 3 6 [11] (41.09 m)
全長 142 尺 5 寸[12] (43.18 m)
3 間 4 尺 8 寸[11](6.91m)
甲板幅:21尺2寸[12] (6.42 m)
深さ 10 尺 3 寸[6] (3.12 m)
吃水 8 尺[6] (2.42m)
または7フィート7インチ (2.31 m)[10]
主缶×2基[13]
主機 2気筒直動機械[6]×2基[14]
出力

191IHP[8][15],

または120馬力 (89 kW)[2]、100名馬力[6]
推進器 2翼普通型青銅製スクリュー[15]×2軸[注釈 1]
帆装 3トップスル・スクーナー[2]
速力 14.2ノット (26.3 km/h)[10] か14.1ノット (26.1 km/h)[4]
または 12ノット (22 km/h)[2]
あるいは 8.0ノット (14.8 km/h)[13]
燃料 炭団:98,000 [6][13]
航続距離 燃料消費:15,000斤/日[6]
乗員
  • 1871年時:65名(准士官以上8名、下士14名、火水夫43名)[6][16]
  • 1873年10月時:275名[17]
  • 1874年時:73名[18]、または45名(上士官8人、下士9人、卒28人)[19]
  • 1883年2月時:88名[20]
兵装
1874年時[21]
70ポンド・アームストロング砲×1門
40ポンド・アームストロング砲×1門
20ポンド・アームストロング砲×2門
その他 船材:鉄骨[8]
信号符字:GQBR(1886年-)[22]
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孟春(もうしゅん / 旧仮名:まうしゆん[9])は日本海軍(兵部省[4]、海軍省)の軍艦[3]。元佐賀藩の軍艦「孟春丸[9]

「孟」は訓読みで「はじめ」となり、孟春はの初め、つまり旧暦正月1月)を意味する[8]

概要

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佐賀藩の軍艦で佐賀藩時に戊辰戦争に参加[2]、日本海軍では台湾出兵西南戦争などに参加し、京城事変では朝鮮警備に就くなど[9]、明治初期に日本海軍の軍艦として非常に活躍した[23]。日本海軍での正式名称は「孟春艦[3]

艦型

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3トップスル・スクーナー型で鉄骨木皮の砲艦[2]。右表の船体の主要寸法は主に明治4年『記録材料・海軍省報告書第一』[6]、明治元年[11] と明治7年の『公文類纂』[12] によった。他の文献での主要寸法は以下の通り。

  • 『佐賀藩海軍史』:長さ22間半余り(40.91m強)、幅3間半余り(6.36m強)[2]
  • 『帝国海軍機関史』:長さ132 ft (40.23 m)、幅22 ft (6.71 m)[15]
  • 『日本近世造船史 明治時代』:長さ131 ft (39.93 m)、幅22 ft (6.71 m)、吃水7 ft 7 in (2.31 m)[10]
  • 『日本海軍艦船名考』:長さ131尺 (39.70m)、幅22尺 (6.67m)[8]
  • 『日本海軍史』第7巻:長さ44.5m、幅6.6m、吃水2.5m[24]
  • 『日本軍艦史』(1995年):長さ39.9m、幅6.6m、吃水2.2m[25]

機関

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主機は直動機関2基[14]。なお斜動機関とする文献もあるが[13]、『幕末の蒸気船物語』32頁によると斜動機関(ダイアゴナル型またはイングランド型)は外輪用の機関形式になる[26](孟春はスクリュープロペラ[13])。2気筒でシリンダーの直径25 in (640 mm)、ピストンの行程は18 in (460 mm)[15]。注射復水器を装備した[15]

ボイラーは角2基[13]製で大きさは径6 ftin (2.03 m)、長さ15 ftin (4.75 m)。1基につき炉筒はそれぞれ2基、缶管は直径3 in (76.2 mm)で長さ6 ft 12 in (2.13 m)の鉄管が100本、総受熱面積1,205.6ft2、総火床面積57.26 ft2[15]1878年(明治11年)にボイラーが交換された[27]

出力は右表の通りに色々な値が出ており191実馬力[15]、120馬力[2]、100名馬力[6] などの値がある。速力も同様に、14.2ノット[10] から7ノット[25] までの値がある。

兵装

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兵装については『公文類纂』によると1874年(明治7年)時にはアームストロング砲を4門搭載していた(右要目表参照)[21]。その他の文献では以下の記載がある。

  • 『佐賀藩海軍史』:英式70ポンド・アームストロング前装旋回砲2門、同6ポンド砲2門の計4門[2]
  • 『帝国海軍機関史』:70ポンド・アームストロング砲1門(艦首)、同40ポンド砲1門(艦尾)、同20ポンド砲1門(舷側)の計3門[14]
  • 『近世帝国海軍史要』:12cm砲2門[3]
  • 『日本軍艦史』(1995):2 cmクルップ砲2門[25]

艦歴

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※日付は明治5年まで旧暦

佐賀藩

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元は1867年1月(慶応2年12月頃)にロンドンで建造された原名「ヨーゼニー[14]」(Eugenie)[9]。慶応4年1月(1868年2月頃)、長崎佐賀藩が購入し[2]孟春丸」と命名された[9]

戊辰戦争では、慶応4年2月18日に関東御征伐海軍先鋒として三重津を出港、2月22日に神戸に到着した[28]。2月30日に大原重徳が海軍先鋒総督に任命され、「孟春丸」と「豊瑞丸」(薩摩藩籍)、「雄飛丸」(久留米藩籍)が日本で初めて艦隊行動を行い、大坂から横浜まで兵員の輸送を行っている[23]。「孟春丸」は3月19日に兵庫を発し、3月23日に横浜港へ到着した[28]。閏4月19日品海へ回航した[28]函館へ移動した榎本艦隊を追い[23]、閏4月25日に横浜港を出港し奥州へ進出した[28]

明治2年(1869年)、陸奥国鍬ヶ崎(現岩手県宮古市鍬ヶ崎)付近で海嘯のため座礁[29]。または明治元年6月に鮫浦で荒天のため座礁[30]

船体は明治3年(1870年)に引き下ろされ[注釈 2]、同年11月に品海に到着した[31]

日本海軍

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明治4年(1871年)4月17日に佐賀藩から新政府へ「孟春丸」献納の申し出があり[32]、5月15日に許可となり[33]、5月22日に受領された[7]兵部省所管となり艦名は「孟春(艦)」となった[9]。11月15日(12月26日)六等艦に定められた[9]

明治5年(1872年)5月18日の時点で中艦隊に所属[34]、5月23日、「鳳翔」「雲揚」「孟春」は品川を出港し[35]、7月11日に帰着した[35]。8月17日、中艦隊から除かれた[34][36]。9月5日、石川島で修理するために造船局の管轄となり[37]、入渠した[27]

1873年(明治6年)1月16日、陸揚げの届が出された[27]。2月2日、「孟春」は主船寮所轄から提督府所轄になったが[38]、3月13日に主船寮所轄に戻された[39]。12月に修理が完了し[27]、12月13日、中艦隊に編入された[34][40]

1874年(明治7年)2月23日に試運転が行われた[27]台湾出兵に「日進」「雲揚」とともに参加、4月7日(または4月6日[41])に出兵命令が出て[42]、4月10日(または4月9日[43])品川を出港した[44]。その後、清国の諸港を巡り、揚子江に入った[41]。11月10日に長崎港に帰着し[44]、11月29日に品川へ帰港した[43]

江華島事件が起き釜山へ進出するため[23]、1875年(明治8年)10月18日、「孟春」と「第二丁卯」は中牟田倉之助少将を指揮官として、居留民保護のために釜山回航を命じられ[45]、「孟春」は10月19日(または10月20日[45])に横浜港を出港した[44]。10月28日、中艦隊は解隊、日本周辺を東部と西部に分け、東部指揮官には中牟田倉之助少将、西部指揮官には伊東祐麿少将が任命され[45]、「日進」「春日」「浅間」「第二丁卯」「孟春」「千代田形」「肇敏丸」「快風丸」は西部指揮官所轄となった[45]。また「孟春」は11月9日に艦隊から除かれた[注釈 3]。12月11日、「孟春」は釜山派遣から長崎港に帰着した[46]。12月15日、黒田清隆が「玄武丸」に乗組み朝鮮へ出張するため、「日進」「孟春」「高雄丸」が釜山までの護衛を命令された[46]。「孟春」は翌1876年(明治9年)1月8日に長崎を出港し[46]、3月15日に横浜港に帰港した[44][47]

1876年(明治9年)3月15日、ボイラーと機械の修理の申し出があった[27]。10月には缶管65本が損傷のため返納との届出が出ている[27]。10月28日、萩の乱を鎮圧するために(横浜港を[48])出港[44]、12月11日、「孟春」は「春日」と共に横浜港に帰港した[44][49]

1877年(明治10年)1月24日、行幸出発に際し、「」「鳳翔」「孟春」「千代田形」の4隻で小艦隊を編成して金田湾まで見送り、帰途は蒸気機関運転での艦隊運動訓練を行った[50]

西南戦争では日奈久攻略に参加した[9]。2月8日、西南方面が不穏のため、「鳳翔」と「孟春」の2隻に回航命令が出され、翌日に2隻は横浜港を出港、神戸港に向かった[44][51]、2月18日午後8時、「孟春」は神戸港を出港し下関へ向かった[51]。 4月7日、西郷軍の扇動者5名を逮捕する[52]。6月29日、大分県浦大島で座礁[52]。9月には城山の戦いに参加した[53]。 10月29日、横浜港に帰港した[44]

1878年(明治11年)4月15日(または4月14日[27])、横須賀に回航。翌日から6カ月余り横須賀造船所で修理(ボイラー交換[27])を行った[54]。9月頃に試運転を行った[27]。11月2日、横浜に回航。11月5日、更に品川に回航した[54]。11月29日、横須賀に回航。12月1日、兵庫へ向け出港したが、暴風のために当日は金田湾に避泊した[54]。12月5日、兵庫港[54]。伊藤司令長官が三原へ巡見のために12月10日兵庫出港、瀬戸内海の多度津、三原糸崎、竹原湾、御手洗を巡り、12月16日兵庫に戻った[54]。12月21日兵庫を出港、暴風のために由良湾、的矢、御前埼灯台、清水港に避泊し、12月29日横浜に帰港した[54]

測量艦

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1879年(明治12年)から1882年(明治15年)の間、「孟春」は測量任務に従事した[9]。1879年3月27日、山陰北陸沿海の測量中は水路局所轄とされた[55]

1880年(明治13年)2月3日、品川から横浜に回航[56]。4月26日、品川に戻った[56]。6月26日に品川発、横須賀港で富士山から的を借用し、同日館山湾に到着した[56]。館山湾で射撃訓練を行う[57]。7月3日、館山湾から網代へ回航した[57]。網代から真鶴岬まで戦闘訓練、7月9日に金田湾へ回航、翌日横浜港に帰港した[57]。10月27日、横須賀港に回航し海軍卿榎本武揚が乗艦、横浜で下艦した[57]

1881年(明治14年)2月1日、横須賀に回航[57]。2月15日から横須賀造船所で修理を行った[58]。4月9日、品川に回航[57]。4月13日、横須賀に回航された[57]。1882年9月5日に修理が完了した[59]

朝鮮派遣

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1882年(明治15年)、朝鮮事変により朝鮮半島方面で警備に就いた[9]。8月28日、品川を出港して朝鮮へ向かい[44][60]、8月31日に兵庫港へ入港し、翌日出港[60]。下関を経て9月6日に朝鮮溝竹島に到着した[60]。9月7日、溝竹島を発ち[60]、ヘルソールス列島をへて9月9日に仁川港に到着した[60]。9月11日、南陽湾から豊浦に回航、翌日に仁川に戻った[60]。9月20日、駐朝鮮公使・花房義質を乗せて出港、南陽湾に到着した[60]。9月21日、南陽湾発、花房公使は「明治丸」に移乗し、「孟春」は仁川港に戻った[60]。9月28日、豊浦に回航した[60]。10月2日に豊浦発、10月4日に釜山浦に到着した[60]。11月27日に釜山を発ち[60]、各地に寄港して[60]12月11日に横浜港に帰港した[44][60]

朝鮮派遣中の10月12日「扶桑」「金剛」「比叡」「龍驤」「日進」「清輝」「天城」「磐城」「孟春」「第二丁卯」「筑波」の11隻で中艦隊が再度編成された[61]

1883年(明治16年)2月16日から3月26日まで横須賀造船所で修理を行った[62]。 3月21日、再度の朝鮮警備のため横浜港を出港[44]的矢を経由し3月25日兵庫港に入港した[63]。4月4日に兵庫発、伊予興居島、豊後姫島門司を経由し、4月17日釜山浦に到着した[63]。4月21日釜山浦から竹敷に回航、翌日に竹敷発、4月25日豊島に一時碇泊し、同日仁川に到着した[63]。6月10日仁川発、三島を経て、6月14日長崎に帰国した[63]

7月3日、長崎を出港し門司に寄港、7月8日釜山浦に到着した[63]。7月12日釜山浦発、7月14日仁川に到着した[63]。8月1日仁川発、八尾島、南陽を経て仁川湾に戻った[63]。8月14日仁川発、豊島を経て、8月17日三島に到着した[63]。8月26日三島発、翌27日に長崎に帰国した[63][注釈 4]。9月15日長崎発、大村、呼子、門司、上ノ関、三原、兵庫、紀伊大島、清水を経由し10月15日品川に帰着した[63]

1884年(明治17年)、朝鮮警備のため5月5日横浜港を出港[44]、10月14日長崎港に帰港した[44]

1885年(明治18年)、朝鮮方面の航海のために8月13日厳原を出港[44]、10月5日仁位(現長崎県対馬市豊玉町仁位)に帰港した[44]

同年(1885年)12月28日中艦隊は解隊[64]、同日「春日」を除く中艦隊に所属していた8隻(「扶桑」「金剛」「比叡」「海門」「筑紫」「清輝」「磐城」「孟春」)で改めて常備小艦隊が編成された[64]

1886年(明治19年)、朝鮮警備のため9月2日竹敷を出港[44]、12月20日長崎港に帰港した[44]。 12月28日「孟春」は常備小艦隊から除かれて、横須賀鎮守府所轄予備艦に指定された[5]

除籍

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1887年(明治20年)10月8日に除籍され[注釈 5]逓信省へ交付[8]商船学校係留練習船「孟春号」となった[9]1896年(明治29年)7月に廃船とされ、神奈川県港務部へ移管、検疫番船「孟春号」とされた[9]

艦長

[編集]
佐賀藩
日本海軍

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

  • (代理)瀧野直俊二等士官:明治4年(1871年)5月 - 明治5年(1872年)3月9日
  • 瀧野直俊少佐:明治5年(1872年)4月16日 - 同7月24日[35]
  • 増田広豊大尉:明治5年(1872年)7月24日[35] - 同8月18日[36]
  • 磯辺包義大尉:1873年10月28日[40] - 1875年4月14日
  • 笠間広盾大尉:1875年5月15日[65] - 1878年5月11日[66]
  • (艦務代理)原田元信大尉(副長):1876年12月16日 - (艦長笠間広盾少佐謹慎中)[49]
  • 大村松次郎少佐:1878年5月11日[66] -
  • 伊地知弘一少佐:1880年1月 - 1884年1月21日
  • 野村貞少佐:1884年1月21日 - 1884年2月21日
  • 原田元信少佐:1884年2月21日 - 1885年7月2日
  • 高木安行少佐:1885年7月2日 - 1886年4月12日
  • (心得)飯田信臣大尉:1886年4月12日 - 1886年6月23日[67]
  • 吉田重親少佐:1886年6月23日[67] -

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 回転毎分:110rpm[15]
    直径:7 ft 2 in (2.18 m)
    ピッチ:11 ft 10 in (3.61 m)[15]
    または回転毎分:117rpm[13]
    直径:5 ft 6 in (1.68 m)
    ピッチ:9 ft 2 in (2.79 m)[13]
  2. ^ 佐賀藩海軍史 1972, p. 256によると「明治5年頃」に引き下ろし。
  3. ^ 海軍制度沿革4-1 1971, p. 7、明治8年10月28日、11月9日による。除かれたのが解隊の後と矛盾があるがそのまま。
  4. ^ #S9.12.31恩給叙勲年加算調査(下)/軍艦(4)画像1-2(孟春)によると、8月17日長崎港に帰港
  5. ^ 造船史明治 1973, p. 444によるとこの時に廃船。

出典

[編集]
  1. ^ 福井 1994, p. 490.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 佐賀藩海軍史 1972, p. 256.
  3. ^ a b c d 近世帝国海軍史要 1974, p. 884.
  4. ^ a b c 造船史明治 1973, p. 189.
  5. ^ a b #M19公文類聚15/大和艦外四艦々隊編入及所轄ヲ定ム#M19公文類聚15/大和葛城は常備小艦隊、天城孟春は横須賀鎮守府
  6. ^ a b c d e f g h i j k #M1-M9海軍省報告書画像23-24、明治四年辛未艦船総数表
  7. ^ a b #M4公文類纂26/孟春丸献納の件画像15
  8. ^ a b c d e f g h 浅井 1928, pp. 28–29.
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m 中川努「主要艦艇艦歴表」#日本海軍全艦艇史資料篇p.10、孟春『もうしゅん・まうしゅん』
  10. ^ a b c d e 造船史明治 1973, p. 128.
  11. ^ a b c #M1公文類纂/蒸気軍艦届(2)画像32
  12. ^ a b c #M7公文類纂13/管轄(2)画像22
  13. ^ a b c d e f g h 機関史 1975別冊表1
  14. ^ a b c d 機関史 1975上巻p.466
  15. ^ a b c d e f g h i 機関史 1975上巻pp.468-469 (沿革)
  16. ^ 機関史 1975上巻p.466
  17. ^ 海軍制度沿革10-1 1972, pp. 153–155.
  18. ^ #M7公文類纂13/管轄(1)画像46
  19. ^ #M7公文類纂13/管轄(2)画像35
  20. ^ 海軍制度沿革10-1 1972, pp. 156–158.
  21. ^ a b #M7公文類纂13/管轄(2)画像46
  22. ^ #公文類聚10編33巻 画像1
  23. ^ a b c d 片桐 2014, pp. 207–208、孟春(もうしゅん)
  24. ^ 『日本海軍史』第7巻pp.224-225
  25. ^ a b c 日本軍艦史 1995, p. 12.
  26. ^ 元綱 2004, p. 32.
  27. ^ a b c d e f g h i j 機関史 1975上巻p.467(経歴)
  28. ^ a b c d e 佐賀藩海軍史 1972, pp. 256–257.
  29. ^ 『佐賀藩海軍史』256ページ
  30. ^ 『佐賀藩戊辰戦史』350-351、621ページ
  31. ^ #M3公文類纂9/孟春艦品海へ回着画像1
  32. ^ #M4公文類纂26/孟春丸献納の件画像1-2
  33. ^ #M4公文類纂26/孟春丸献納の件画像2
  34. ^ a b c 海軍制度沿革4-1 1971, p. 7.
  35. ^ a b c d #M1-M9海軍省報告書画像30、明治5年7月。
  36. ^ a b #M1-M9海軍省報告書画像30-31、明治5年8月。
  37. ^ #M5公文類纂24/5号送達大日記 孟春艦修復中管轄画像1
  38. ^ #M1-M9海軍省報告書画像37-38、明治6年2月。
  39. ^ #M1-M9海軍省報告書画像38-39、明治6年3月。
  40. ^ a b #M1-M9海軍省報告書画像45-47、明治6年12月。
  41. ^ a b #M1-M9海軍省報告書画像51-52、明治7年4月。
  42. ^ #20出兵命令 画像1
  43. ^ a b #M1-M9海軍省報告書画像58-59、明治7年11月。
  44. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q #S9.12.31恩給叙勲年加算調査(下)/軍艦(4)画像1-2、孟春
  45. ^ a b c d #M1-M9海軍省報告書画像68-70、明治8年10月。
  46. ^ a b c #M1-M9海軍省報告書画像72-73、明治8年12月。
  47. ^ #M1-M9海軍省報告書画像78-80、明治9年3月。
  48. ^ #M9.7-M10.6海軍省報告書/沿革画像7-11、明治9年10月
  49. ^ a b #M9.7-M10.6海軍省報告書/沿革画像13-16、明治9年12月
  50. ^ #M9.7-M10.6海軍省報告書/沿革画像17-20、明治10年1月
  51. ^ a b #M9.7-M10.6海軍省報告書/沿革画像20-24、明治10年2月
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  53. ^ 『日本海軍史 第1巻』236ページ
  54. ^ a b c d e f #M11.7-M12.6海軍省報告書画像42-43、孟春艦航泊表
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  56. ^ a b c #M12.7-M13.6海軍省報告書画像31-32(pp.53-54)、航泊表孟春
  57. ^ a b c d e f g #M13.7-M14.6海軍省報告書画像33、艦船航泊表、孟春艦
  58. ^ #M13.7-M14.6海軍省報告書画像19-20、海軍艦船修復
  59. ^ #M15.7-12海軍省報告書画像17、部内艦船修復
  60. ^ a b c d e f g h i j k l m #M15.7-12海軍省報告書画像20、艦船航海 孟春艦
  61. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.8、明治15年10月12日丙第84号。
  62. ^ #M16海軍省報告書画像21、艦船修理
  63. ^ a b c d e f g h i j #M16海軍省報告書画像25、艦船航海、孟春艦
  64. ^ a b #海軍制度沿革4-1(1971)p.8、明治18年12月28日丙第82号。
  65. ^ #M1-M9海軍省報告書画像64-66、明治8年5月。
  66. ^ a b #M10.7-M11.6海軍省報告書画像31-34、明治11年5月沿革
  67. ^ a b 『官報』第895号、明治19年6月26日。

参考文献

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  • アジア歴史資料センター(公式)
    • 国立公文書館
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      • 「記録材料・海軍省報告書/第一 沿革」、JACAR:A07062089300  明治9年7月から明治10年6月。
      • 「記録材料・海軍省報告書」、JACAR:A07062091300  明治10年7月から明治11年6月。
      • 「記録材料・海軍省報告書」、JACAR:A07062091500  明治11年7月から明治12年6月。
      • 「記録材料・海軍省報告書」、JACAR:A07062091700  明治12年7月から明治13年6月。
      • 「記録材料・海軍省報告書」、JACAR:A07062091900  明治13年7月から明治14年6月。
      • 「記録材料・海軍省報告書」、JACAR:A07062092300  明治15年7月から12月。
      • 「記録材料・海軍省報告書」、JACAR:A07062092500  明治16年1月から12月。
      • 「大和艦外四艦々隊編入及所轄ヲ定ム」『公文類聚・第十編・明治十九年・第十五巻・兵制四・庁衙及兵営・兵器馬匹及艦船』、JACAR:A15111159500 
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      • 「公文類聚・第十編・明治十九年・第三十三巻・運輸三・船舶車輌・津港・河渠・橋道:逓信省海軍艦船及西洋形商船ニ信号符字ヲ点付ス・其二」、JACAR:A15111235500 
      外務省外交史料館
      • 「台湾征討関係一件/外交史料 台湾征討事件 第一巻:台湾征討事件/20 二〇 出兵命令」、JACAR:B03030114600 
      防衛省防衛研究所
      • 「明治元年 公文類纂 完 本省公文/蒸気軍艦届 自5月 至12月 諸藩より所有艦船を届け出るもの(2)」、JACAR:C09090001100 
      • 「公文類纂 明治3年 巻9 本省公文 艦船部/諸届 12月 孟春艦品海へ回着の義佐賀藩より届」、JACAR:C09090118900 
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      • 「公文類纂 明治7年 巻13 本省公文 艦船部1/管轄(2)」、JACAR:C09112102000 
      • 「恩給叙勲年加算調査 下巻 除籍艦艇 船舶及特務艇 昭和9年12月31日/除籍艦艇/軍艦(4)」、JACAR:C14010005800 
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  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9
    • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5 
  • 『日本軍艦史』 世界の艦船 1995年8月号増刊 第500集(増刊第44集)、海人社、1995年8月。ISBN 4-905551-55-2 
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  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 
  • 宮田幸太郎『佐賀藩戊辰戦史』佐賀藩戊辰戦史刊行会、1976年
  • 元綱数道『幕末の蒸気船物語』成山堂書店、2004年4月。ISBN 4-425-30251-6 
  • 官報