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宮田敬助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮田みやた 敬助けいすけ
[[ファイル:|200px]]
生誕 1921年1月12日
日本の旗 日本 群馬県
死没 (2013-08-09) 2013年8月9日(92歳没)
所属組織 大日本帝国海軍
警察予備隊保安隊
海上自衛隊
軍歴 1938年 - 1945年(帝国海軍)
1953年 - 1954年(予備隊・保安隊)
1955年 - 1977年(海自)
最終階級 海軍大尉(日本海軍)
海将(海自)
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宮田 敬助(みやた けいすけ、1921年大正10年)1月12日 - 2013年平成25年)8月9日)は、日本海軍軍人海上自衛官群馬県出身。

海軍大尉で終戦を迎えた後、警察予備隊保安隊への入隊を経て海上自衛隊に転官し、少年術科学校長、第3護衛隊群司令、第11代護衛艦隊司令官、第17代横須賀地方総監などの要職を歴任した。海上自衛隊における最終階級は海将

経歴

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旧制沼田中学校を経て海軍兵学校第69期で卒業。卒業後は重巡洋艦那智」に乗組む。その後、重巡洋艦「三隈」乗組みを経て、戦艦大和」乗組みとなり、太平洋戦争を迎えた。その後、駆逐艦の水雷長等で勤務し、戦争末期には人間魚雷回天」を運用する部隊に配属され、大神基地終戦を迎えた。戦後は、警察予備隊(後の陸上自衛隊)に入隊。その後、海上自衛隊に転官した。海上自衛隊でも主に海上勤務の後、少年術科学校長、第3護衛隊群司令、護衛艦隊司令官等の要職を歴任し、1976年(昭和51年)5月、第17代横須賀地方総監に就任。1977年(昭和52年)7月に退官した。

年譜

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第十雄洋丸事件での対応

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1974年(昭和49年)11月9日に起こったLPGタンカー衝突炎上事故「第十雄洋丸事件」での対応では護衛艦隊司令官として陣頭指揮をとった。

脚注

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  1. ^ 昭和16年3月25日 海軍辞令公報(部内限)第604号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072080500 
  2. ^ 昭和16年4月21日 海軍辞令公報(部内限)第625号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072080800 
  3. ^ 昭和17年1月19日 海軍辞令公報(部内限)第796号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072083900 
  4. ^ 昭和16年11月1日 海軍辞令公報(部内限)第738号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072083000 
  5. ^ 昭和17年4月20日 海軍辞令公報(部内限)第845号(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072085200 
  6. ^ 昭和17年11月1日 海軍辞令公報(部内限)第974号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072087700 
  7. ^ 昭和18年1月16日 海軍辞令公報(部内限)第1032号(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072089100 
  8. ^ 昭和18年3月9日 海軍辞令公報(部内限)第1065号(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072089900 
  9. ^ 昭和18年9月13日 海軍辞令公報(部内限)第1214号(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072093000 
  10. ^ 昭和18年10月1日 海軍辞令公報(部内限)第1229号(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072093500 
  11. ^ 昭和18年11月15日 海軍辞令公報(部内限)第1263号(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072094400 
  12. ^ 昭和18年12月10日 海軍辞令公報(部内限)第1278号(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072094800 
  13. ^ 昭和19年3月15日 海軍辞令公報(部内限)第1370号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072096600 
  14. ^ 昭和19年4月20日 海軍辞令公報(部内限)第1435号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072097400 
  15. ^ 昭和19年5月1日 海軍辞令公報(部内限)第1451号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072097900 
  16. ^ 昭和19年10月20日 海軍辞令公報 甲 第1624号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072101600 
  17. ^ 昭和20年3月15日 海軍辞令公報 甲 第1746号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072103800 
  18. ^ 昭和20年5月28日 海軍辞令公報 甲 第1812号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072105100 
  19. ^ 昭和20年11月19日 海軍辞令公報 甲 (部内限)第1986号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072108300 
  20. ^ 昭和21年1月25日 第二復員省辞令公報 甲 第43号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072162300 
  21. ^ 昭和21年3月30日 第二復員省辞令公報 甲 第135号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072159100 
  22. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、48頁。NDLJP:1276156 
  23. ^ 『官報』号外第103号(昭和26年12月7日)
  24. ^ 『官報』本紙第7660号(昭和27年7月21日)
  25. ^ 『官報』本紙第8641号(昭和30年10月19日)
  26. ^ 『官報』号外第59号(平成3年4月30日)
  27. ^ 『官報』本紙第6129号(平成25年9月11日)

参考文献

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戸高一成監修『日本海軍士官総覧―海軍義済会員名簿(昭和十七年七月一日調)(復刻版)』柏書房、2003年。

先代
須藤吉樹
横須賀地方総監
第17代:1976年 - 1977年
次代
時忠俊
先代
須藤吉樹
海上幕僚副長
第12代:1975年 - 1976年
次代
時忠俊
先代
中村悌次
護衛艦隊司令官
第11代:1973年-1975年
次代
齋藤國二朗