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小早川実義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
小早川実義
時代 南北朝時代
生誕 不詳
死没 貞治3年/正平19年(1364年
別名 出雲又四郎[1]
官位 甲斐守[1]
幕府 室町幕府奉公衆
主君 足利将軍家
氏族 小早川氏
父母 父:小早川重宗[1]
兄弟 小早川実義小早川弥五郎
小早川義春[1]小早川弥五郎小早川福犬
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小早川 実義(こばやかわ さねよし)は、南北朝時代武将竹原小早川氏の第6代当主。小早川重宗の嫡男。

略歴

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観応3年/正平7年(1352年)、観応の擾乱に於いて足利尊氏義詮方に属して山城国男山(京都府八幡市石清水八幡宮)八幡合戦に参加。

文和2年/正平8年(1353年)12月、幕府の命令[2]に応え、安芸国入野城(にゅうのじょう)合戦に参加し戦功をあげる。貞治3年/正平19年(1364年)、安芸国西条合戦に於いて討死。

脚注

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  1. ^ a b c d 今井尭ほか編 1984, p. 341.
  2. ^ 西条弥六衛門入道大多和左衛門太郎などの横領から、安芸国入野郷内早田方・貞宗方田畠屋敷を取り戻し、武石胤泰に渡すよう命じた、観応2年(1351年)4月9日の将軍家御教書(平賀家文書)。

参考文献

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  • 今井尭ほか編『日本史総覧』 3(中世 2)、児玉幸多小西四郎竹内理三監修、新人物往来社、1984年3月。ASIN B000J78OVQISBN 4404012403NCID BN00172373OCLC 11260668全国書誌番号:84023599 

関連史料

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関連項目

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