小早川重景
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時代 | 鎌倉時代末期 - 南北朝時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
別名 | 弥四郎[1]、出雲四郎左衛門尉[1] |
官位 | 左衛門尉 |
幕府 | 室町幕府 奉公衆 |
氏族 | 竹原小早川氏 |
父母 | 父:小早川祐景[1] |
兄弟 | 重景、万福丸、福一、景継(養子) |
子 | 重宗[1]、薬寿 |
小早川 重景(こばやかわ しげかげ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。竹原小早川氏の第4代当主。室町幕府奉公衆。
生涯
[編集]建武5年・延元3年(1338年)2月、父・祐景が奈良で討死したため、同月、祖父・景宗より安芸国都宇竹原荘(広島県竹原市)・阿波国板西下荘(徳島県板野郡板野町)の一部・備前国裳懸荘(岡山県瀬戸内市邑久町虫明)などの所領を譲り受け竹原小早川家の家督を相続した。
康永4年(1345年)、京都四条堀川・油小路の屋敷地をめぐって千葉胤泰と裁判となり、四条隆蔭の裁定で勝訴している。
系譜
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 今井尭ほか編 1984, p. 341.
参考文献
[編集]- 今井尭ほか編『日本史総覧』 3(中世 2)、児玉幸多・小西四郎・竹内理三監修、新人物往来社、1984年3月。ASIN B000J78OVQ。ISBN 4404012403。 NCID BN00172373。OCLC 11260668。全国書誌番号:84023599。