小松倍一
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小松 倍一(こまつ ばいいち、1873年(明治6年)9月15日[1] - 没年不詳)は、日本の教育者。
経歴
[編集]長野県東筑摩郡片丘村(現在の塩尻市)出身[1]。1899年(明治32年)、東京帝国大学文科大学史学科を卒業[2]。岐阜県大垣中学校教諭、山口県立豊浦中学校教諭、静岡県立掛川中学校校長、石川県立金沢第一中学校校長、福岡県立中学校修猷館校長[3]、第五高等学校教授、松江高等学校校長、第六高等学校校長、水戸高等学校校長を歴任[2]。1931年(昭和6年)に第四高等学校校長に就任した[2]。
1937年(昭和12年)に退官した後は、東洋高等女学校校長を務めた[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c 大衆人事録 1942.
- ^ a b c 人事興信録 1941.
- ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)歴代総受持・館長15頁
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1942年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版(上)』人事興信所、1941年。
公職 | ||
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先代 柴崎鉄吉 |
福岡県立中学修猷館長 1913年 |
次代 白坂栄彦 |
先代 久田督 |
石川県立金沢第一中学校長 1911年 - 1913年 |
次代 平山正 |
先代 柳生寧成 |
静岡県立掛川中学校長 1905年 - 1911年 |
次代 堀重里 |
その他の役職 | ||
先代 吉岡郷甫 |
東洋高等女学校長 1937年 - 1943年 |
次代 村上竜英 |