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菰田万一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

菰田 万一郎(こもだ まんいちろう、1882年明治15年)11月9日 - 1939年昭和14年)3月6日[1][注 1])は、日本の教育者。旧姓は早川

経歴

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長野県小県郡当郷(現青木村)生まれ。長野県尋常中学校上田支校(1899年(明治32年)には長野中学校上田支校に、翌1900年(明治33年)に上田中学校として独立、現・長野県上田高等学校)、同松本本校(現・長野県松本深志高等学校)を経て、旧制浦和高等学校東京帝国大学哲学科卒業。尋常中学校の同級生に五島慶太がいた。千葉県夷隅郡中川村の菰田家の養子となる。

東京府立第二中学旧制山口高等学校で教壇に立った後、1928年(昭和3年)文部省学務局事務官となり、翌年学生課長、調査課長を務めた。 その後は旧制松江高等学校旧制第四高等学校で校長を務めた。

主著

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  • 『現今の実業道徳』岩波書店、1919年。
  • 『最近倫理思潮』博文館、1926年。
  • 『思想と自己創造』東洋図書、1929年。
  • 『実業道徳精義』東洋図書、1930年。
  • 『建国明治・大正・昭和勅語詔書精義』東洋図書、1930年。    

脚注

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注釈

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  1. ^ 『長野県歴史人物大事典』306頁では1940年。

出典

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  1. ^ 『官報』第3655号、昭和14年3月14日。

参考文献

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